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佐藤賢一『剣闘士スパルタクス』(中央公論新社) [歴史関係の本(小説)]

 西洋歴史小説の第一人者による、剣奴の反乱の指導者スパルタクスを主人公とした小説。この小説のおもしろさは、スパルタクスの心理描写。抑圧され悲惨な生活を送っていたという固定観念を逆手にとり、図らずも奴隷反乱の指導者になってしまったという設定。
 奴隷身分ではあるものの、美形の一級剣闘士(他にも二級剣闘士、新人剣闘士などのランクがある)として剣闘士試合の花形スターだったスパルタクスは、彼が所属する剣闘士養成所のパトロンで、スパルタクスを愛人としていた貴族女性の怒りを買い、様々な嫌がらせを受けます。そんな様子を見かねた仲間の剣闘士たちから推され、スパルタクスは反乱に参加、気がついたらリーダーとなっていたわけですが、奴隷とはいえかつての栄光の日々を思い出しては「これでよかったのだろうか?」と逡巡し、膨れあがっていく集団にリーダーとしての重荷を感じはじめる。こうしたスパルタクスの視点でストーリーが展開するため、『双頭の鷲』のグライーや『二人のガスコン』のシラノのような、主人公のライバルともいえる存在が入り込む余地がありません。その点佐藤氏の他の小説に比べると、コンパクトにまとまりすぎという印象。また、ローマでのガリア人クリクススとの試合をのぞいて、緊迫感のある場面の描写がほとんどなく、スパルタクスが剣闘士として最初にのぞんだ試合のように該当部分の描写を直前で止め、回想によって結果を読者に知らせるという手法をとっていることは、一層その印象を強くしています。そうした部分の細かい描写を入れたらよかったのにと思ってしまうのですが、スパルタクスがやらた強いためライバルが設定できず、入れてもあまり変わらなかったかもしれません。ちなみにスパルタクスとクリクススが戦ったのはローマの闘技場という設定ですが、私たちがよく知っているいわゆる「コロッセウム」は帝政時代に完成したもので、たぶん別の闘技場でしょう。
 以上は一般的な感想。この小説を読んで思い出したのが、スパルタクス研究では古典ともいえる土井正興氏の『スパルタクスの蜂起』(青木書店)。浜島書店がやってる高校生向けに世界史関係の本を紹介するホームページでも推薦されていて[http://www.hamajima.co.jp/dokusyo/sekaishi/stars/suparuta.html]、また安井先生の授業もこの本が元ネタです。大麦の食事、カプアやポンペイの養成所や闘技場、試合の回数を示した取組表、ガリア・トラキア・ギリシアの3タイプの存在など、おそらく佐藤氏も部分的にはこの本を参考にしたのではないでしょうか?ただ土井氏の本以上に細かい描写があるので、おそらくはかなり資料集めをしたと思われます。ちょっとした部分にも、ハッとさせられる描写がありますね。ストーリーも史実にほぼ忠実で、養成所の経営者レントゥルス・パティアトゥスをはじめ、盟友オエノマウスとクリクスス(クリコス)といった主要な指導者も史実通り実在の人物。有名な剣闘士が、いわばアイドル的存在だったというのも事実のようです。土井氏の本ではレントゥルスは「貪欲で残忍」と書かれていますが、オエノマウスが最初に戦死し、クリクススが主戦論を唱えるのは史実通り。最後にスパルタクスがクラッススを追いながら、背後から足を槍で刺されるというのも土井氏の本に書かれている通りです。土井氏の『スパルタクスの蜂起』は、当時のローマ社会の構造や貴族の生活(とくにブルートゥスの実像などは意外かも)などがわかりやすく書かれていて、いい本だと思います。
 という具合に史実に忠実なわけですが、受ける印象は土井氏の研究所と佐藤氏の小説からではまったく違います。もしかすると、佐藤氏は土井氏の本はもちろん安井先生のスパルタクスの授業のことも知っていて、あえて違うスパルタクス像を描いたのではないでしょうかね?基本的な部分では研究書と同じでも、読者に与える「スパルタクスってこんな人」っていう印象は全然違う。私はこの小説のすごさは、作者佐藤氏の伝統的な見方に対する挑戦と小説家の自由な想像力の主張にあるような気がします。 
 一つ疑問。エピローグで「歴史に名高い古の」アクティウムの海戦がでてきますが、これはいったいいつのアクティウムでしょう?調べたけどわかりませんでした。

剣闘士スパルタクス

剣闘士スパルタクス

  • 作者: 佐藤 賢一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/05
  • メディア: 単行本


新版 スパルタクスの蜂起―古代ローマの奴隷戦争

新版 スパルタクスの蜂起―古代ローマの奴隷戦争

  • 作者: 土井 正興
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 1988/03
  • メディア: 単行本


スパルタクスとイタリア奴隷戦争

スパルタクスとイタリア奴隷戦争

  • 作者: 土井 正興
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 単行本


スパルタクス反乱論序説

スパルタクス反乱論序説

  • 作者: 土井 正興
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本


古代奴隷制社会論

古代奴隷制社会論

  • 作者: 土井 正興
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 1984/01
  • メディア: -


歴史をなぜ学ぶか

歴史をなぜ学ぶか

  • 作者: 土井 正興
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 1986/03
  • メディア: 単行本


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