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ナチズムとポルシェ [モノ教材(模型)]

 山川出版社の『詳説世界史』には、「ナチスは四カ年計画によって軍需工場を拡張し、」アウトバーン(自動車専用道路)建設など大規模な土木工事をおこして失業者を急速に減らし、イタリア=ファシズムにならって大衆娯楽や福祉にも一定の配慮を示して国民の支持を得た。」とあります。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは巨額の賠償金支払いに苦しみ、また第一次大戦後のベルギー・フランスによるルール占領とそれに対する消極的抵抗によりインフレも進行、失業者も増大しました。1933年に政権を握ったヒトラーは、アウトバーンの建設をはじめとする公共事業を進めることで失業者をなくし、国民の支持を獲得しようとしたわけです。この結果、ヒトラーが政権の座についたとき600万人いたドイツの失業者は、1939年に30万人にまで減少したといいます。
 一方大衆娯楽や福祉を担当したのが、「歓喜力行団」(Kraft durch Freude:KdF)という組織。ドイツでは1933年5月にすべての労働組合が解散を命じられますが、その代わりに国民の支持を得るため11月につくられたのが、歓喜力行団です。労働者はこの組織を通じてコンサートや映画、旅行などのレジャーを提供されました。
 1933年にドイツの政権を獲得したアドルフ=ヒトラーは、政権掌握の1カ月後、ベルリンで自動車博覧会を開催しますが、そこで彼は「国民車(フォルクスワーゲン)」を発表しました。国民車の条件は、①最高時速100km/hで走ること(アウトバーンを走らせるため)、②100km走るために必要なガソリンは7リットル以下であること(100kmにつき3マルク以上の支出にならないため)、③4~5人乗りであること、④冷却は空冷式であること、⑤値段が1000マルク以下であること、の5点です。これにもとづいて開発されたのが「フォルクス・ワーゲン・タイプ1(通称ビートル)」であり、1938年には正式に「歓喜力行団の車(KdF Wagen)と命名されました。4月からウチの2年生が使う世界史の資料集『タペストリー』(帝国書院)には、「ファシズム」の項目に当時のフォルクスワーゲンの宣伝ポスターが掲載されています(「1週間に5マルクの節約で車を」というスローガンが興味深い)。


 デル・プラド・ジャパン 「週間カー・コレクション」No.4


 このKdF Wagenを設計したのが、フェルディナント・ポルシェ(1875~1951)。彼がシュトゥットガルトに設立したポルシェ設計事務所が、現在のポルシェ社(Dr.Ing.h.c.F.Porsche AG)の前身です[ポルシェ・ジャパン公式サイト http://www.porsche.com/japan/jp/aboutporsche/porschehistory/milestones/earlyyears/]。


 オーストリア(オーストリー)発行 フェルディナント・ポルシェ生誕100周年記念切手(1975年)


 しかしフェルディナント・ポルシェが開発したのは、乗用車だけではありませんでした。第二次世界大戦中、彼は戦車をはじめとする軍用車両の開発を手がけます。現在40歳代の人は、タミヤの「ミリタリーミニチュアシリーズ」を覚えていることでしょう。ポルシェが開発した戦車の話は次回に。

 ところで、ポルシェ・ジャパン社の公式サイトでは、「フェルディナン・ポルシェ」という表記になっています。日本人ほど、ヨーロッパ人は名前の発音にこだわらない?


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aia

日本では高級車扱いですが、そもそもの最初は庶民のための車だったのですね。

ちなみにフェルディナント、フランス語発音だと「フェルディナン」になります。
by aia (2007-03-25 23:50) 

zep

戦後イメチェンしたのが功を奏したのかも?しれませんね。今はやはり高級車だと思いますよ(笑)。フランス語では「フェルディナン」ですか。これだったら間違わずに理解できそうですね(笑)。
by zep (2007-03-27 05:38) 

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