井上勇一『鉄道ゲージが変えた現代史~列車は国家権力を乗せて走る』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]
鉄道のゲージ(軌間:二本のレールの内面距離)については、浜島書店の資料集『新詳世界史図説』でも触れてあります(テーマ「交通革命の時代」)。『新詳』によれば、ゲージの幅はレールの頂面から16ミリ下がった位置で測定されますが、現在世界の鉄道の多くは、標準軌(スティーヴンソンゲージ:4フィート8.5インチ、1435ミリ)を採用しており、これはスティーヴンソンが開発したロコーモーション号が使ったゲージです。これより広いゲージが広軌、狭いゲージが狭軌です。『新詳』の項目では、インドや南米では欧米の資本が、オーストラリアでは各州政府がそれぞれ勝手な軌間で鉄道の敷設を行ったため、軌間が不統一となり、経済停滞の一因ともなった、とあります。
日清戦争後、中国東北地方の利権をめぐって、ロシアと日本との間には対抗的な 関係が形作られていった。そのなかで、鉄道をめぐる問題が一つの焦点となってくる。 この鉄道について簡潔に説明しなさい。(120字) (一橋大・1996年)
19世紀末、ロシアの鉄道は標準軌ではなく5フィートの広軌を採用しました(この『鉄道ゲージが変えた現代史』には、ロシアが広軌を採用した理由にういて、ドイツが鉄道でロシアに侵入することを警戒したからだという説が紹介されています)。もちろんシベリア鉄道は広軌で建設され、さらにロシアが三国干渉の代償として敷設権を獲得した東清鉄道も広軌で建設されました。一方この地域には、イギリスの支援で清朝が北京から満州までの京奉鉄道を建設していました。こちらはもちろん標準軌。自国と同じゲージの鉄道が広がった方が、勢力拡張には都合がいいに決まってますから、中国を舞台に鉄道建設をめぐるロシアとイギリスの対立が表面化します。イギリスは、「お雇い外国人」から学んだ標準軌を採用した日本とともに、ロシアによる広軌の進出を阻止しようとする.....というワケです。鉄道敷設権が帝国主義諸国家にとって重要な利権であった19世紀末には、鉄道ゲージは国家の勢力範囲を画定する大きな要素だったので、こうした対立が生じたと言えるでしょう。産業革命後、鉄道の敷設キロ数が工業化その他のバロメーターであったのが、帝国主義時代には鉄道ゲージが国家の勢力を示すバロメーターとなった、と言ってもいいかもしれません。本書では、19世紀末から日露戦争をへて第二次世界大戦までの東アジア近現代史を、鉄道ゲージというユニークな視点から検証されています。面白いテーマでの本でしたが、いかんせん細かな鉄道敷設の話が多く、かなり退屈したのも事実。対象地域も二つのゲージが対立する東アジアが中心で、世界全体を概観するというものではありません(このことは、東アジアにおいて鉄道が帝国主義諸国の侵略手段となったことを意味しています)。
ところで、インドではなぜ様々なゲージが混在していたのでしょうか?イギリスの植民地であるインドは、宗主国イギリスの標準軌を採用するのが普通だと思うのですが?この本は東アジアが対象なので、本書では不明です。この点を補ってくれるのが、吉岡昭彦著『インドとイギリス』(岩波新書)。この本では「Ⅴ インドの鉄道」という章が設けられています。この本によれば「インドの中で、かなり相隔たった任意の二つの地点をとってみると、両地点の間をゲイジの変更による乗換え・積替えなしに鉄道で結びうるのは、ごく稀な、例外的なケース」です(125ページ)。こうした3つのゲージが混在した理由として、インド政庁の財政状況を背景に(標準軌鉄道の建設費は広軌鉄道のそれにくらべると三分の二ですむ)、インドにおける鉄道建設政策が時々で大きく異なっていたことが指摘されています。いずれにせよインドにおいて、鉄道がイギリスの支配を有利にするために建設されていることは確かです。さらに3つのゲージの混在が、インドの経済に悪影響を与えたことも同じように確かなことです。鉄道ゲージというかなり特殊な要素が、歴史の展開と大きく関わっているということを示す点で、『鉄道ゲージが変えた現代史』と『インドとイギリス』は、相互補完的な二冊と言っていいでしょう。
この『鉄道ゲージ』で新たに知ったこと。
①ウラジヴォストークは不凍港ではない。
②バルフォア宣言で有名なバルフォアは、ソールズベリの甥で、日英同盟と関係が深い。
③日露戦争中、日本軍は旅順攻略に向けて占領した地域で東清鉄道のゲージを次々と変更する工事を実施した。
鉄道ゲージが変えた現代史―列車は国家権力を乗せて走る (中公新書)
- 作者: 井上 勇一
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1990/11
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