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『IN OUR TIME』 [たんなる日記]

 昨日の終戦記念日、予備校で世界史を教えておられる先生のTwitterで、興味深いツィートがあった。

「なぜ戦争の悲惨さを語らない?戦地では血しぶきが飛び、人間の肉が散乱する。その悲惨さから議論を始めないと道を誤るとは思わないか?」
これは河合塾世界史・青木裕司先生の言。

「戦争は外交の延長だからこそ、戦地の『悲惨さ』を訴えても戦争の抑止にはならない。政治を語ること、それに尽きる。戦地を語るな、戦争を語れ。」
これは駿台世界史・茂木誠先生の言。

 その後、他の先生も交えて少し話題にしたのだけれど、戦地の悲惨さを語ることも、戦争に至るまでの外交(政治)を語ることも、どちらも必要ではないかというところで落ち着いた。戦争に突入した場合、戦地に赴くのは政治家ではなく多くの場合は一般の国民なのだから、政治の失敗のツケを払うのは一人一人の国民である(別に戦争に限った話ではないが)。政治という国家レベルの話を、戦場での悲惨な体験という個人レベルの話と結びつけることは、世界史の授業では必要なことだろうと思う。この点でも小川先生が言う「糊とハサミ」は重要なことだ(ただし、出来上がりが良くないと、生徒には伝わらない)。

 『LIFE AT WAR』という写真集がある。スペイン内戦から第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてアルジェリア戦争など局地戦争までの戦場で撮影され、雑誌『LIFE』に掲載された作品を集めたものだ。悲惨な戦場の写真もさることながら、戦争に巻き込まれてしまった一般市民の写真もまたインパクトが大きい。なかでも、ロナルド・L・ヘーバール(現在は「ハーバール」表記が多い)が撮影したソンミ村の虐殺(ミライの虐殺)時の写真は、見るたびに胸が締め付けられる。説明にはこう書いてある。「私は”待て!”と叫んでシャッターを押した。その場を離れた私の耳にM16銃の銃声が聞こえた。倒れる姿がちらと見えたが、私は振り向かなかった」。該当写真は、Wikipediaの「ソンミ村虐殺事件」の項目に掲載されている。
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 ベトナム戦争は、数多くの記録が残されており、沢田教一をはじめ多くの日本人カメラマンも膨大な記録写真を撮っている。こうした写真を見ていると、石川文洋『ベトナム最前線 カメラ・ルポ 戦争と兵士と民衆』(読売新聞社)の序文に書いてあることが事実であるならば、このような人間が知覧特攻基地を舞台にした映画を作るなど、命の冒涜に等しいとすら思えてくる。ロバート・キャパらが結成した写真家集団マグナムには、『IN OUR TIME(我らの時代)』という作品集があるが、自分が生きているこの時代は、なんという時代なのだろう.....という思いにとらわれてしまう。

 もう一つ話題となったのが、「戦場の悲惨さ」に人間は適応するのか、という点。少しズレるが、どこまで残酷になれるかという点ともつながるかもしれない。ソンミ村で虐殺を行った米兵たちは、自分の家では「普通の人」であっただろうに、なぜあのように残酷なことができたのだろうか。一つの答えとして「ミルグラム効果」をあげることができるだろう。アメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムによる実験(ミルグラム実験、アイヒマン実験)によって示された心理状態である。数十年前に『知ってるつもり?!』というテレビ番組でアドルフ・アイヒマン(ナチス・ドイツにおけるホロコーストの指導者の一人)の特集があった際、この実験を記録したフィルムが放送されたが、悲鳴を耳にした被験者が笑っているのが印象的であった。



In our time―写真集マグナムの40年

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  • 発売日: 1990/10
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服従の心理 (河出文庫)

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