「時代を哲学する」 [たんなる日記]
外国ルーツの子どもたち支援研修会でも感じたことだが、グローバル化が進む一方で排外主義的な雰囲気も強くなっているような気がする。排外主義といっても、xenophobia的な思想ではなくて、「外国人に恩恵を与えるより、日本人を優先すべきだ」という雰囲気。広く考えれば、自分以外の人間が利益を得るのはおもしろくない、という気持ちなのかもしれない。アメリカのサンディスプリングス市の例も、根底は同じだという気がする。
今日は、津田塾大学の萱野稔人教授の講演を聴きにいったのだが、納得した話が、「社会が発展しているときには、争いは起こりにくい」という話。なぜなら、社会が発展しているときには分配できる財も増えるからである(一方で、社会が発展すると経済格差も大きくなるが)。逆に停滞している場合は、分配できる財は減少するので、問題になるのが「貴重な財を誰にどう配分するか」ということになる。どう配分していくのが正しいのか、自分たちにとってよい社会となるのかを考えていくのが「時代を哲学する」ことだろう。やはり弁証法か。
今日は、津田塾大学の萱野稔人教授の講演を聴きにいったのだが、納得した話が、「社会が発展しているときには、争いは起こりにくい」という話。なぜなら、社会が発展しているときには分配できる財も増えるからである(一方で、社会が発展すると経済格差も大きくなるが)。逆に停滞している場合は、分配できる財は減少するので、問題になるのが「貴重な財を誰にどう配分するか」ということになる。どう配分していくのが正しいのか、自分たちにとってよい社会となるのかを考えていくのが「時代を哲学する」ことだろう。やはり弁証法か。
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