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今年の九州大学の問題 [大学受験]

 昨年度地歴二次試験スタート初年度ながら出題ミスを犯してしまった九大。
http://www.kyushu-u.ac.jp/entrance/examination/H27sekaishi.pdf

 
 〔1〕が大論述、〔2〕が40字・150字・200字の中小論述、〔3〕が単問という東大と同じ構成であることは昨年通り。〔2〕〔3〕は全問正解で当たり前のレベル。昨年通り、東京大学とまったく同じ構成であった。前期試験の前、ある予備校の先生から、昨年度の九大の地理はさほど難しくはなかったので、世界史受験者は不利だったのではないか、という話をうかがった。「600字」というボリュームに萎えてしまった受験生もけっこういただろう。昨年度の入試で世界史受験者の点数が低かったなら、今年は形式を変えてくるかも....と思ったが、昨年とほぼ同じ傾向であった。

 〔2〕問3の「シーア派の性格」は、「最後の正統カリフであるアリーとその子孫のみを指導者と認める宗派。」で32文字。40字も要求する必要はない。各予備校とも字数稼ぎには苦労労した印象を受ける。40字要求するならKが使ってる「ウンマ」という用語を指定してもよかった。
 〔2〕問4は200字でカリフ制の変容を論述させる問題。指定語句に「8世紀」、「10世紀」、「13世紀」がはいっているが、それぞれ「アッバース朝」「ファーティマ朝」「マムルーク朝」の指定語句に該当するので、

 ・7世紀:ムスリムの選挙で選ばれた正統カリフ時代から、ウマイヤ朝以降世襲
 ・8世紀:アッバース朝
 ・10世紀:ファーティマ朝がカリフを称し、続いて後ウマイヤ朝もカリフを称したため、アッバース朝のカリフと鼎立
 ・13世紀:アッバース朝が滅亡し、カリフの子孫はマムルーク朝の保護

ということになるだろう。ここで考えたのは、以下の2点。
(1)8世紀のアッバース朝時代、カリフ制の変容に関わる出来事があっただろうか。
(2)カリフが政治権力を失い、宗教的権威のみを保持すうることになった点は、10世紀のブワイフ朝と11世紀のセルージュク朝のどちらで書くか。

 まず(1)について。Sは「ウマイヤ朝や8世紀に成立したアッバース朝では世襲制となった」とまとめ、Kは「8世紀半ばにアッバース朝が成立したが、」という表現にとどまっている。Yは「・・・・世襲に変わり、8世紀に成立したアッバース朝もこれを引き継いだ」とSど同じで、S・Yのほうが「変容」という要求に沿っている。
一方(2)については、SとYはブワイフ朝に触れておらず、Kは「10世紀にはブワイフ朝の侵攻などによりカリフの力は衰え....3カリフ鼎立も生じた」とうまくまとめてある。ずいぶん前のことだが、センター試験で「カリフが政治的実権を失った時期として、適当なものを次の①~④から一つ選べ。①7世紀、②8世紀、③10世紀、④13世紀)という問題が出題された(1993年旧課程世界史追試第3問C)ことがあるので、「10世紀」ははずせないように思われる。

【私の解答例】
7世紀にウマイヤ朝が成立すると、カリフは信者による互選から世襲制となり、8世紀に成立したアッバース朝でも世襲であった。この王朝初期のカリフは政治・宗教両面の指導者であったが、10世紀には政治的権力を失い、またファーティマ朝と後ウマイヤ朝の君主もカリフを称し、3人のカリフが並び立つことになった。13世紀にはマムルーク朝がカリフの子孫を保護し、非アラブ人によってカリフが継承されることにつながった。(196文字)
 
 カリフが政治的権力を失った点については10世紀に含めて、「スルタン」に関する記述を全部削ってみた。3予備校とも「スルタン」の語句を使用しているが、この語句が必須の加点ポイントなのかどうか、ぜひ出題者に尋ねてみたい。


最後に〔1〕。

 19世紀末から20世紀初にかけてのいわゆる帝国主義時代、世界各地には欧米諸国や日本によって様々な植民地が築かれた。なかでもイギリスは当時最大の植民地保有国だった。その植民地には、インドのように広大な面積を有するものから、ナポレオンが流された大西洋のセントヘレナ島のように狭小なものまで、様々なタイプがあった。
 それでは、これらのうち、後者の範疇に属するシンガポール、ジブラルタル、スエズ運河の存在は、当時のイギリスの世界経営において、同じ意味を有する他の植民地の事例もあげながら、500字以内で説明しなさい。ただし下記の9つのキーワードを必ず1回は使用し、その箇所に下線を引くこと。

【キーワード】
 産業革命  資源  市場  中国  自由貿易  物流  南シナ海  大西洋 ケープ植民地



 「シンガポール」「ジブラルタル」「スエズ運河」がイギリスの世界経営において有した意味とは?最初に思いつくのは、キーワードにある「物流」の要地という役割。ここで注目は、Yがあげている「軍事上の重要拠点」としての役割。太平洋戦争中、日本はシンガポール攻略を行い、トラファルガーはジブラルタルの近く。第二次世界大戦後も、イギリスはスエズ駐兵権を維持したことを考えれば、軍事上の重要拠点という役割を含めていいのではないだろうか。確かに、「物流の拠点を守るために軍隊を駐屯させた」という解釈も可能であるが、軍事上の重要性に触れる価値は十分にある。
 では「同じ意味を有する他の植民地の事例」としてどこをあげるか。Sはマラッカ、ペナン、Kがペナン、マラッカに加えてアデンや香港、またYはマルタ、キプロス、香港をあげている。物流と軍事上の需要拠点としての役割ならば、アデン、マルタ、キプロスが適当だという気がするが、アデンとマルタを試験本番中に思いつくことはかなり難しい。キプロスに触れることができれば十分だという気がする。

【私の解答例】
産業革命をいち早く迎え「世界の工場」となったイギリスは、自国製品の市場と原料の供給地を確保を目指し、時には武力を用いて自国に有利な自由貿易体制を世界中に広げようとした。そのため物流と軍事上の拠点を世界各地に確保しつつ、植民地の拡大を進めた。18世紀に獲得したジブラルタルは、大西洋と地中海を結ぶ要衝で、北アフリカへ渡る要地でもある。1869年にスエズ運河が開通すると、ジブラルタルの重要性はさらに増し、アジアへの通路を確保するためイギリスはキプロス島も領有した。ウィーン会議で獲得したケープ植民地は、アジアへの通路という役割は徐々に低下したが、金やダイヤモンドなど資源の供給地としての重要性は高まり、スエズ運河の株式を買収したイギリスは、カイロ、ケープタウンとインドのカルカッタを結ぶ3C政策を展開した。19世紀前半にはシンガポールを確保して、ペナン・マラッカとともに海峡植民地を形成してアジア貿易の拠点とし、アヘン戦争以降は中国を自由貿易体制に組み込んで利権の確保をさらに進めた。こうしてイギリスは19世紀末までに、南シナ海からインド洋を経て地中海、大西洋まで、東アジアからヨーロッパに至るルートを確保した。(499字)


 「産業革命」の語句に関して、Kは「19世紀後半、重化学工業を中心として第2次産業革命が進展する一方、...」と第2次産業革命の文脈で使用しているが、これだと同予備校が出した解答例後半部の「一方シンガポールは....ペナン島やマラッカと海峡植民地を構成し、南シナ海とインド洋を結ぶ中継地であった。」の部分との整合性が苦しくなる(海峡植民地の構成は1826年のため)。SやY同様、スタートは第1次の産業革命とするほうがよいだろう。なおTのウェブサイトでは九大の解答例を見つけることができなかった。まさか、つくってない....なんてことはないよね?
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兵庫県田中

世界史を生業にしております兵庫県の公立高校教員の田中忍といいます。
ブログはちょくちょく拝見させていただいております。
ちょうど、この問題の解答例を書いてくれ、と生徒から頼まれ書いてみました。これも一例であり、駄文の一つですが。ちなみにfacebook上に阪大や一橋大のものも上げています。

大阪大学の世界史の解答例以上に河合塾にケンカを売ります(第3回)。
九州大学の世界史大問1
19世紀末から20世紀初めにかけての帝国主義時代、シンガポール、ジブラルタル、スエズ運河の存在は、当時のイギリスの世界経営において共通していかなる意味を有していたか。(500字以内)
指定語句:産業革命  資源  市場  中国  自由貿易  物流  南シナ海  大西洋  ケープ植民地(9つ)
河合塾の解答例への不満は大きく2つある。1つめは、教科書や図説の記載の範囲内に収めようとしているが、九州大学が「自分を旧帝大の中のどこに位置づけようとしているのか」というアイデンティティを考慮に入れていない。第三者評価はともかく、九大自身は「大阪大学と北海道大学の間にあり、前期ではできれば東大か京大を考えていた層」を狙っているはずである。だから500字という大技をしかけているのだ(たぶん)。
2つめは、この問題の土台となっているのは、東大の木畑さん、阪大の秋田さん、九大の佐々木さんが追究している世界公共財を提供し、世界各地の植民地軍をイギリス軍として派遣し、貿易赤字をサービス収支の黒字で相殺した「金融帝国としてのイギリス」を書ける/描けるか、である。
(自作)
イギリス経済の特徴は非ヨーロッパ性にある。産業革命前後は大西洋貿易が重要だったが、19世紀イギリスは、アヘン戦争で中国市場を開放させたように、自由貿易に世界各地を取り込むことで「世界の工場」である以上に「世界の銀行」として繁栄した。海上帝国イギリスにとっては本国と最重要の植民地インド、そして中国を結ぶ物流・情報・金融の要地を支配する「点と線の帝国」が最も効率的であり、帝国の生命線だった。しかし米独の第2次産業革命が1873年の大不況を招き、新資源の産地と市場としての植民地の重要性をディズレーリ内閣に認識させ、1875年のスエズ運河株買収、1877年のインド帝国成立へと導いた。スエズ運河とジブラルタルは戦略的価値を高め、逆にケープ植民地は下げたが、金とダイヤモンドの鉱脈が発見されるとイギリスは南ア戦争で征服した。ここに3C政策が確立したが、それは4つめのCである中国の南シナ海域の拠点香港、そこへの要地シンガポールの価値も高めた。19世紀末にこれらの拠点に海軍、海底電信ケーブル、政府系金融機関を設置したことがそれを物語る。そしてこれらを1932年に面として実体化させたものがブロック経済だった。 (496字)
by 兵庫県田中 (2016-03-10 13:44) 

zep

田中先生、こんばんは。
解答例、ご教示ありがとうございました。

ジェントルマン資本主義にもとづく論述はたいへん興味深いものです。
有斐閣の『イギリスの歴史~帝国=コモンウェルスのあゆみ』の第3章を読むと、先生の解答例はよりよく理解できると思います。
ただ、受験生には彼らが試験会場で書けるように指導しなければならないので、レベルが高すぎる内容だと感じました。
今年うちの学校から九大に合格した生徒にちょっと尋ねてみたところ、やはり「物流の拠点」として書いたと言っておりました。
by zep (2016-03-10 22:05) 

zep

田中先生のFacebookを探してみましたが、
同姓同名の方が多く、見つけることができませんでした(>_<)
by zep (2016-03-10 22:10) 

兵庫県田中

プロフィール写真がハロウィンのジャックオーランタン、出身大学は大阪市立大学、住所大阪市で絞ってみてください。
by 兵庫県田中 (2016-03-11 10:53) 

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