水俣病公式確認から60年 [その他]
熊本日々新聞は昨日まで熊本地震にともなう特別編集の紙面でした。昨日までは最終面が生活関連情報でしたが、今日の紙面から最終面はテレビ・ラジオ欄となっています。熊本市内でも、明日から再開される学校もあり、復旧が進んでいることを実感します。もちろん、まだまだ時間はかかることでしょう。
地震に気をとられてすっかり忘れていましたが、今日は水俣病の公式確認からちょうど60年の日です。熊本日々新聞の別冊特集「水俣病公式確認60年」を見て思い出しました。「坂本しのぶさんの60年」という特集を読み、熊本県の学校に勤務する者の一人として、水俣病について自分自身がもっと知り、そして伝えていく必要があると改めて感じています。
私が坂本さんのことを知ったのは、ユージン・スミス、アイリーン・スミス夫妻の『写真集 水俣 MINAMATA』(三一書房)でした。この本には、アイリーン氏が中学生のころの坂本さんとふれあった日々の記録が綴られています。坂本さんのお母様も、存命であられると今日の新聞で知り、感慨深いものがあります。
『写真集 水俣』は私の父が購入した本です。最後のページには、母の字で、購入した時期と父の名が書いてありますが、購入は昭和53年3月とあります。写真集という体裁ではありますが、ドキュメンタリーといってもよいでしょう。今日改めて読み返してみたが、現在でも十分なインパクトをもっています。
この本には、よく知られた写真が掲載されています。胎児性水俣病の少女と、彼女を抱きかかえて入浴する母の写真です。あばら骨が浮き出し、目を大きく見開いた胎児性水俣病患者の少女と、彼女を慈愛に満ちた表情で入浴させる母親。痛々しさと救いが交錯するかのようなモノクロームの写真は、かつて社会科の教科書や資料集に掲載されていたこともあり、見たことがある人も多いのではないでしょうか。ですが、現在は目にすることはありません。十数年前、両親の申し出によりアイリーン氏はこの写真を封印したからです。
私がこのことを知ったのは、今から10年前、熊本日々新聞の特集「水俣病公式確認50年~写真家たちの水俣」に掲載された、アイリーンさんのインタビューでした(平成18年10月6日付)。少女(撮影から6年後に亡くなる)のご両親は「もう休ませてあげたい」と仰ったそうですが、親御さんの気持ちを考えれば、自分の娘の裸姿が、「公害の告発」を目的にしているとはいえ、いたるところで使われるのは忍びないことでしょう。こうした「今は見ることができない写真があって、どうして見ることができなくなったのか」という点は、水俣病問題の深さを示していると感じます(ネット上では見ることができるという問題点は、別の問題提起にもつながりそうです)。
http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html
ユージン・スミス氏は、『LIFE』の特派員として第二次世界大戦中は戦地に赴き、重傷を負いました。彼の写真が載ってないか....と『LIFE AT WAR』の頁をめくると、彼が撮影した3枚の写真を見つけました。 そのうちの1枚、サイパン島で撮影された米兵の写真~唯一の生存者である赤ん坊を抱いている写真は、後に彼が水俣で撮影した「入浴する母子」の写真を思い出させます。
「入浴する母子」と並んでもう1枚、水俣関係で私の印象に残っている写真があります。昨年亡くなった塩田武史さんが撮影した、白い鳩を抱いた少年の写真です。被写体となったのは、胎児性水俣病患者の半永一光さんで、半永さんが白い鳩を抱き、満面の笑みを浮かべている写真です。この写真は塩田さんの『僕が写した愛しい水俣』(岩波書店)の表紙にも使われている写真ですが、生きる喜びというものがこれほどストレートに伝わってくる写真は、なかなかないと思います。石牟礼道子さんの『苦海浄土』には、言葉を発することができない杢太郎少年に、彼の祖父「爺」が話しかけるという場面がありますが、この杢太郎少年のモデルは半永さんだということです。昨日(4月30日)、たまたま読んだ読売新聞に掲載されていた半永さん兄弟の記事を読み、鳩を抱く少年の写真を思い出したことでした。
水俣病やハンセン病患者の方々をはじめ、戦争や差別などあらゆる困難に直面している方々の苦痛や悲しみを本当に理解しようというのは、おそらく不可能なことでしょう。しかし、理解しようとする努力は必要なのではないでしょうか。いま私が感じているのは、「東北の震災は、どこか人ごとだった」という悔恨です。4月23日の熊本日々新聞によれば、一昨年5月に、熊本市の防災会議で今回と同程度の規模の地震発生が予測されているという記事を掲載していた....とあります。私はまったく記憶にありません。東北の震災関連の報道を目にして津波の恐怖に唖然とし、数々の悲劇に涙し、普通に暮らしている自分に後ろめたさをおぼえつつも、心のどこかで「熊本でこんな地震が起きるはずはない」と「勝手に頭の中でカベをつくっていた」気がします。被災の現実を目にし、耳にするにつけ、事態の深刻さに天を仰ぐばかりです。
地震に気をとられてすっかり忘れていましたが、今日は水俣病の公式確認からちょうど60年の日です。熊本日々新聞の別冊特集「水俣病公式確認60年」を見て思い出しました。「坂本しのぶさんの60年」という特集を読み、熊本県の学校に勤務する者の一人として、水俣病について自分自身がもっと知り、そして伝えていく必要があると改めて感じています。
私が坂本さんのことを知ったのは、ユージン・スミス、アイリーン・スミス夫妻の『写真集 水俣 MINAMATA』(三一書房)でした。この本には、アイリーン氏が中学生のころの坂本さんとふれあった日々の記録が綴られています。坂本さんのお母様も、存命であられると今日の新聞で知り、感慨深いものがあります。
『写真集 水俣』は私の父が購入した本です。最後のページには、母の字で、購入した時期と父の名が書いてありますが、購入は昭和53年3月とあります。写真集という体裁ではありますが、ドキュメンタリーといってもよいでしょう。今日改めて読み返してみたが、現在でも十分なインパクトをもっています。
この本には、よく知られた写真が掲載されています。胎児性水俣病の少女と、彼女を抱きかかえて入浴する母の写真です。あばら骨が浮き出し、目を大きく見開いた胎児性水俣病患者の少女と、彼女を慈愛に満ちた表情で入浴させる母親。痛々しさと救いが交錯するかのようなモノクロームの写真は、かつて社会科の教科書や資料集に掲載されていたこともあり、見たことがある人も多いのではないでしょうか。ですが、現在は目にすることはありません。十数年前、両親の申し出によりアイリーン氏はこの写真を封印したからです。
私がこのことを知ったのは、今から10年前、熊本日々新聞の特集「水俣病公式確認50年~写真家たちの水俣」に掲載された、アイリーンさんのインタビューでした(平成18年10月6日付)。少女(撮影から6年後に亡くなる)のご両親は「もう休ませてあげたい」と仰ったそうですが、親御さんの気持ちを考えれば、自分の娘の裸姿が、「公害の告発」を目的にしているとはいえ、いたるところで使われるのは忍びないことでしょう。こうした「今は見ることができない写真があって、どうして見ることができなくなったのか」という点は、水俣病問題の深さを示していると感じます(ネット上では見ることができるという問題点は、別の問題提起にもつながりそうです)。
http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html
ユージン・スミス氏は、『LIFE』の特派員として第二次世界大戦中は戦地に赴き、重傷を負いました。彼の写真が載ってないか....と『LIFE AT WAR』の頁をめくると、彼が撮影した3枚の写真を見つけました。 そのうちの1枚、サイパン島で撮影された米兵の写真~唯一の生存者である赤ん坊を抱いている写真は、後に彼が水俣で撮影した「入浴する母子」の写真を思い出させます。
「入浴する母子」と並んでもう1枚、水俣関係で私の印象に残っている写真があります。昨年亡くなった塩田武史さんが撮影した、白い鳩を抱いた少年の写真です。被写体となったのは、胎児性水俣病患者の半永一光さんで、半永さんが白い鳩を抱き、満面の笑みを浮かべている写真です。この写真は塩田さんの『僕が写した愛しい水俣』(岩波書店)の表紙にも使われている写真ですが、生きる喜びというものがこれほどストレートに伝わってくる写真は、なかなかないと思います。石牟礼道子さんの『苦海浄土』には、言葉を発することができない杢太郎少年に、彼の祖父「爺」が話しかけるという場面がありますが、この杢太郎少年のモデルは半永さんだということです。昨日(4月30日)、たまたま読んだ読売新聞に掲載されていた半永さん兄弟の記事を読み、鳩を抱く少年の写真を思い出したことでした。
水俣病やハンセン病患者の方々をはじめ、戦争や差別などあらゆる困難に直面している方々の苦痛や悲しみを本当に理解しようというのは、おそらく不可能なことでしょう。しかし、理解しようとする努力は必要なのではないでしょうか。いま私が感じているのは、「東北の震災は、どこか人ごとだった」という悔恨です。4月23日の熊本日々新聞によれば、一昨年5月に、熊本市の防災会議で今回と同程度の規模の地震発生が予測されているという記事を掲載していた....とあります。私はまったく記憶にありません。東北の震災関連の報道を目にして津波の恐怖に唖然とし、数々の悲劇に涙し、普通に暮らしている自分に後ろめたさをおぼえつつも、心のどこかで「熊本でこんな地震が起きるはずはない」と「勝手に頭の中でカベをつくっていた」気がします。被災の現実を目にし、耳にするにつけ、事態の深刻さに天を仰ぐばかりです。
MINAMATA NOTE 1971-2012 私とユージン・スミスと水俣
- 作者: 石川武志
- 出版社/メーカー: 千倉書房
- 発売日: 2012/10/25
- メディア: 単行本
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