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世界史の授業と「語り口」 [授業ネタ]

 高校で日本史や世界史の教師をしていると、歴史上の人物や事件のオモシロエピソードを紹介する機会は多い。エピソードを紹介する際、伝える手段として言葉だけで語るかそれとも文字を併用するかだが、私はプリントの余白や裏を使って紹介している。自分の記憶力に自信がないため、内容の正確さを期すということと、あとから見直すことが可能という二つの点からである。

 言葉だけで語るにせよ、文字で伝えるにせよ、「語り口」は重要だと思う。私が「語り口」の重要性を感じたきっかけは、『小学校歴史実践選書 歴史の授業の展開』(あゆみ出版)を読んだことであった。「紙芝居屋さんを見習う-語り上手になろう」「話の乱れは頭の乱れ-話し上手になるひけつ」「人を見て法を説け-話・説明・講義の区別」等を読んで、語る内容だけでなく、語り口もまた重要なことだと感じたものである。小川幸司先生の『世界史との対話』(地歴社)を読んだとき思い出したのが、「話の乱れは頭の乱れ-話し上手になるひけつ」の中の一文、「ランケもトインビーも、日本でいえば服部之総も羽仁五郎もひとかどの歴史家といわれる人は、いずれも風格のある話をする。日本の歴史を本気で子どもたちに教えるのなら、最も美しい日本語で、格調高く話をしようではないか。」という一節だった。
 
 内容やクラスの雰囲気に応じて語り口を変えることは重要だと思う。道端で排便中に暗殺されたカラカラ帝や新婚初夜に鼻血を出して死んだアッティラみたいな「お笑い系」のエピソードを紹介するとき、楽しそうな語り口(文体)でいくのか、それともあえて冷静にいくのかという点を、クラスのノリまで考慮した上で使い分けていくということである。以前紹介した『マスダ組提供歴史事典―ワールドワイドウェブ歴史奇譚 (別冊歴史読本)』(新人物往来社)は、マンガとともに笑えるエピソードを紹介した本だが、「語り口」という点でとても参考になる本であった。

 様々な点で衝撃的だったのが、兵庫県の田中忍先生より頂いた先生自作の副読本『世界史の飾り窓』(前編・後編)と『世界史漫才』(前編・後編)。前者は、面白いエピソードから教科書よりも深い解説まで、「教科書には出てこないが、自分が伝えたいこと」を全89回・185本の読み物でまとめてある。一方後者はタイトル通り、ヒトラーからゴルバチョフまで歴史上の人物・事件をネタにした漫才65本(プラスBONUS TRACK2本)が掲載されている。
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 「語り口」という点で、「だ・である調」の『飾り窓』と、漫才の台本形式で書かれた両者は大きく異なる。しかし共通して感じられるのは、「批判的に見て、そして考える」という姿勢。当然のことながら、『飾り窓』と『漫才』が目的としている点は同じだと感じた。世界史に興味を持ってくれる生徒がひとりでも増え、そして自分自身で社会に対する洞察力を磨いていって欲しいという願いである。
 なにより伝わってくるのは田中先生の情熱だ。これだけの分量をワープロで打ち、そして印刷・製本に至るまでに費やした時間とエネルギーを考えると、感服することしかできない。このような自作の副読本を配られた生徒は、それだけで先生を尊敬するだろうし、そしてまた、教師自身が楽しんでいけば、生徒も楽しんでくれるだろう。

 アクティブ・ラーニングという言葉が広がって、かなりの時間が経った。私の授業は語りがメインだったので、正直言ってまだなじめない部分がある。マルクスの『共産党宣言』風に、「教育界に妖怪が現れている。アクティブ・ラーニングという妖怪が。」という気分だ。しかしアクティブというのは身体的な動きだけでなく、脳のアクティブさをも含んでいる。「対話的な学び」に「先哲の考え方を手掛かりに考える」という例も示されていることは、それをよく示していると思う。『飾り窓』『漫才』のような取り組みが色あせることは決してないと感じている。

 ところでカラカラ帝は、軍隊とともに移動中、列を離れて道端で排便中に背後から刺殺されたと言われている。『ローマ帝国愚帝列伝』(新潮社)には「腰を屈めている皇帝の許に百人隊長が走り寄り、背後から渾身の力を込めて剣を突き刺す」とあるので、大きい方だと思ったが、Wikipediaには「軍列を止め、道端で放尿している所を後ろから刺されて絶命したとされている」とある。大?小?どっちだろう。
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コメント 3

shinobu tanaka

 過分なお褒めの言葉、ありがとうございます。ただ、「現在進行形」ではないところが心苦しいです。新年度は世界史担当に復帰できることを祈ってます。
by shinobu tanaka (2017-02-12 13:53) 

zep

『飾り窓』の最終話、「ノルマントからの使者と国民国家」がいちばん印象に残っています。今は成人した長男が小さかった頃、一緒に見ていた「ウルトラマンティガ」で、ティガがタイムスリップして初代ウルトラマンと共闘するエピソードがありました。その回では、脚本が書けず飲み屋で思い悩む「金ちゃん」金城哲夫も出てきたことをなつかしく思い出した次第です。ロボット怪獣キングジョーの名前の由来が、金城哲夫からとったという説があるそうですが、キングジョーで観光客誘致に取り組む神戸港のことを考えると、常に「現在進行形」なのだなぁ...と思っているところです。
by zep (2017-02-12 20:22) 

shinobu tanaka

うちも上の子と見てました。ダイゴ隊員が着ぐるみ倉庫に入るシーンも覚えています。
キングジョーの話の出どころは切通理作さんですね。
これは妄想でしかないですが、セブン最終話の過労死するセブンはアメリカ、最後の怪獣バンドンは冷戦とアメリカの介入で出現したり、倒されるバンドン会議に集まった東南アジア諸国、特にベトナムかなあと。自分が去ったあとの秩序は見通せないけど、自分たちでやるしかない。そんなアンビバレンスを感じます。
by shinobu tanaka (2017-02-12 22:15) 

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