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今年の九州大の問題 [大学受験]

 軍事・政治・行政・財政の中心である帝国の首都は、多くの人を引き寄せる求心力をもつと同時に、一大消費地を形成する。そして、その立地、及びそれを中心とする交通・輸送網は、帝国の経済・商業に大きく影響を与えることとなる。また、逆の視点からみれば、その立地は、当時の政治や経済などの状況によって大きく規定されていたともいってよい。中国を支配した歴代王朝の首都もその例にもれず、その歴史変動に呼応して変遷してきた。
 以上を踏まえ、6世紀末から14世紀の中国における、諸王朝の首都の立地、それを中心とする交通・輸送網と経済・商業との関係について、500字以内で論述しなさい。なお下記のキーワードを一度は使用し、下に波線を付すこと。
【キーワード】
 泉州  ソグド人  海運  江南  モンゴル高原  ムスリム  臨安
 黄河  揚州  華北




6世紀末から14世紀・・・・隋・唐・五代・宋・元・明
隋:大興城 江南と華北を結ぶ大運河を建設 西周以来政治の中心であった渭水盆地 渭水と黄河を結ぶ水運の発達
唐:長安 東西交流の活発化により国際都市 モンゴル高原の突厥がソグド人の交易を保護 政治都市の長安に対し、ムスリム商人の来航により揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展
五代~北宋:開封(黄河と大運河の結節点:経済的比重の増大) 水路を通じて中国の東西南北を結びつける商業網の中枢
南宋:臨安 江南の開発が進む→中国経済の中心は長安を中心とする西北地域から東南地域へ移動
元:大都 ユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点 新運河を開削し江南と大都を結ぶ
明:南京 経済が発達した長江流域に都を置く


【最初につくった答案】
6世紀末に中国を統一した隋は、都を西周以来政治の中心であった渭水盆地の大興城に置いた。渭水と黄河を結ぶ水運が発達する一方、隋は大運河を建設し、経済的に発展した江南と渭水盆地を結びつけた。続く唐の都長安は大興城と同じ場所に位置し、東西交流の活発化によって国際色豊かな都市となった。西方のソグド人はモンゴル高原の突厥の保護を受けて長安を訪れ、陸路の東西交易を活発に行った。一方で海上交易も活発化し、ムスリム商人の来航により揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展した。唐滅亡後の五代から北宋の時代は、黄河と大運河の結節点である開封に都が置かれた。このことは、首都機能として政治・軍事的な役割よりも経済的な役割が重要となったことを意味している。12世紀、金の侵入によって北宋が滅亡し、臨安を都に南宋が成立した。臨安は大運河の南端である杭州にあたり、江南の経済拠点である。この結果江南の開発は一層進み、中国経済の中心は長安を中心とする中国西北から東南地域に移動した。モンゴル人王朝の元は交通を重視し、フビライが建設した都の大都は、ユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点 として機能した。元では江南と大都を結ぶ新運河も開削され、南北を結ぶ流通も活発であった。14世紀後半に成立した明は、建国当初、経済が発達した長江流域の南京に都をおいた。長江下流域に都をおいて中国全土を支配した王朝は、明が最初である。

600文字と大きく字数オーバー。大失敗。
「長江下流域に都をおいて中国全土を支配した王朝は、明が最初である。」という一文は、私が好きな山川の教科書『新世界史』のコラム「南京と北京」から頂いた文章。


【修正】
6世紀末に中国を統一した隋は、都を西周以来政治の中心であった渭水盆地の大興城に置いた。隋は大運河を建設し、経済的に発展した江南と渭水盆地を結びつけた。続く唐の都長安は国際色豊かな都市であり、西方のソグド人はモンゴル高原の突厥の保護を受けて長安を訪れ、陸路の東西交易を活発に行った。一方で海上交易も活発化し、ムスリム商人の来航によって揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展した。五代から北宋の時代は、黄河と大運河の結節点である開封に都が置かれ、首都の機能として経済的な役割が重視されるようになった。12世紀、南宋が都を置いた臨安は、大運河の南端である杭州にあたり、江南の経済拠点である。この結果江南の開発は一層進み、中国経済の中心は長安を中心とする中国西北から東南地域に移動した。モンゴル人王朝の元は交通を重視し、都の大都はユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点として機能した。元では江南と大都を結ぶ新運河も開削され、南北を結ぶ流通も活発であった。14世紀後半に成立した明は、経済が発達した長江流域の南京に都をおいた。長江下流域に都をおいて中国全土を支配した初めての王朝である。(494字)


 迷ったのは「モンゴル高原」の使い方。最初は「カラコルム」で大モンゴル帝国の首都につなげようかと思ったが、大モンゴル帝国はウルスという政治集団にもとづく独特な国家形態をとるので他の中国王朝とは同列に語れそうもない、と感じたので今回は別の使い方。出題者に、「モンゴル高原」をキーワードにした意図を尋ねてみたい。

 九大の問題で目を引いたのは、〔2〕の問題。14~15世紀のイングランドにおける4つの統計資料(人口、賃金、小麦価格、輸出)を見て変化を読み取り、背景を考えるという問題。高大接続システム改革会議による「大学入学希望者学力評価テスト」を思い出す問題だった。高校の授業でも使える良問だったと思う。

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