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鳥越泰彦『新しい世界史教育へ』(飯田共同印刷株式会社) [授業研究・分析]

 私が鳥越泰彦先生と直接お会いして言葉をかわしたのは一度だけ、今からちょうど10年前のことである。2007年に新潟で開催された第57回日本西洋史学会で、私の発表に対して好意的なコメントをしていただき(このときのビデオが残っている)、シンポジウム後に少しお話をさせてもらった[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-06-18]。当時私は鳥越先生のことをよく存じておらず、後日凄い先生だということを知り、ずいぶんと慌てたものだ。その後、何度かメールを交わして教えをいただいたのも、大変貴重な体験だった。

 本書は2014年に急逝した鳥越先生の歴史教育論をまとめた論集である。小川幸司先生による「あとがき」を読むと、編集の苦労が偲ばれる。
  第Ⅰ部 歴史教育論
  第Ⅱ部 授業実践
  第Ⅲ部 未来への構想
  第Ⅳ部 回想記


 以下、特に印象に残った項目について、私の備忘録的メモ。
 まず第Ⅰ部・第1章「高校世界史教育からの発信」。最近、女優の水原希子が出演しているサントリーのCMに対して、ツイッター上で差別的なツィートが寄せられるという出来事があった。鳥越先生の日高先生の実践に対するコメント「○○人というレッテルで人を区分することの限界」を目にして、この水原問題という今日的な問題が、歴史学習の切り口としても十分通用するのでは?と感じた。
 「改めて歴史的思考力を考える」ことは、われわれにとっては何のために授業をするのかということにつながる。「理解させる」「考えさせる」という独特な使役形に対する違和感。鳥越先生と同じ意見を持つ必要はないが、われわれ一人一人が自分にとっての歴史的思考力とは何かを考え、授業作りのベースにしていくことは大切な作業だと思う。
 小川幸司先生の『世界史との対話』について。鳥越先生は「世界史の知の三層構造(第一が事件・事実、第二が事件・事実を相互に結ぶ解釈、第三が「歴史批評」)」を評価しつつ、小川先生の歴史批評のみが提示され、生徒(読者)の歴史批評を提示する余地がないことを指摘している。今年の5月、第67回日本西洋史学会(一橋大学)で小川先生が講演なさったときのレジュメを入手し、拝読したが小川先生はその時の発表で「問い」にこだわっているような印象を受けた。 「世界史リテラシーの観点100」は、「過去への問いかけ」から始まり、 教科書案では「歴史を見つめる問い」が設定されている。複数資料の読み取りにもとづく考察も示されている。これらは、鳥越先生のコメントに対する小川先生からの回答ではないかと感じている。
 第Ⅰ章・「世界史教育の何が問題なのか?」(初出:青山学院大学教育学会紀要「教育研究」第49号2005)講義形式、プリント穴埋め形式依存への批判と、グループ学習の可能性が指摘されている。私が西洋史学会の折、鳥越先生から頂いたグループ学習に対するコメントを思い出す。
第Ⅲ部 新しい歴史教科書のモデルプラン。思考力育成型のテキスト。19世紀後半のアメリカ史「アメリカ合衆国の奴隷制と南北戦争」。
 鳥越先生の授業実践については、第Ⅱ部だけでなく、第Ⅳ部における同僚の先生と教え子の方による回想もあわせると、より雰囲気が感じられる。

 新しい歴史教科書プランや、歴史用語精選の試みなど鳥越先生が端緒をつけた取り組みは、現在多くの先生方によって受け継がれている。まだアクティブ・ラーニングという用語が一般化していなかった時期に、その先駆的な実践を行ったのも鳥越先生であった。日常的な私の授業は、鳥越先生が批判している「講義&プリント穴埋め」形式で、「知識を教え込む授業」(土井浩『「テーマ」で学ぶ世界史』文芸社、10~11㌻)である。しかし、本書のような「世界史の授業とはどうあるべきかを考える本」を読むことで、自分の授業に対する姿勢が変わったと感じている。学会誌をはじめとする授業の内容に特化した実践記録を読むことと同じか、それ以上にこうした授業論を語る本を読むことは大切ではないだろうか。鳥越先生のご冥福を心からお祈りする。


「私はすべてを語るべきではなく、人々が自らに問いかけるべきなのだと思ったのです」(クロード・ランズマン、『現代思想』1995年7月号・特集『ショアー』)。「歴史との対話」は、過去へ主体的に問いかける(疑問をもつ)ことからスタートするのだろう。
 
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