「主体的、対話的で深い学び」をもう一度 [授業研究・分析]
10年前、新潟で鳥越泰彦先生と私が話したことは、世界史の授業におけるディスカッションについてだった。「クラス全体だとなかなか発言できない生徒でも、小グループだと発言しやすい」「グループの意見をクラス全体に発表するときも、自分だけの意見じゃないので、責任感が薄まり抵抗感が小さい」という小グループによるディスカッションのメリットから、「根拠がない思いつきの意見を排除するにはどうすればいいか」「話し合いに適しているのはどんなテーマか」といった点だった(グループ学習の意義については、鳥越先生の『新しい世界史学習へ』67~68㌻で述べられている)。
このときの西洋史学会で、私は「生徒の自発的思考を促す世界史学習の試み」というテーマで発表した。発表の元になったのが、NHKの教育テレビで2006年の7月に放送された「わくわく授業」の内容である。折も折、放送から間もない2006年の10月、全国の高校で世界史の未履修が発覚して社会問題となった。これを契機に日本西洋史学会でも高校における世界史の授業に関心が向けられ、翌年2007年の大会では「歴史教育への現代的アプローチ -歴史学者、社会科教育学者、実践家の立場から-」というシンポジウムが設定され、私に声がかかったのであった。
・西洋史学会第57回大会のプログラム http://www.seiyoushigakkai.org/2007/annai.pdf
・私の発表レジュメ
http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/seiyousigakkai.pdf
・鳥越泰彦「世界史未履修問題を考える」(日本学術協力財団『学術の動向』2008年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/10/13_10_8/_pdf
・鶴島博和他「世界史教育の現状と課題(Ⅰ)」(『熊本大学教育学部紀要』62、2013)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/29209/1/KKK062_029-056.pdf
NHKのディレクターさんから「講義形式ではない歴史の授業を提示したい」というお話をいただき、ディレクターさんと話し合いながら授業をつくっていったのだが、ここ数年来この時の授業に関する問い合わせを時々頂き、授業見学などもいただいている。「アクティブ・ラーニング祭」のおかげだ。当時はアクティブ・ラーニングなんて言葉はなかった。あったのかもしれないが、耳にした記憶はない。「対話的・主体的な深い学び」「アクティブ・ラーニング型授業」が脚光を浴びたおかげで、10年も前の私の授業が注目されたというわけだ。NHKでは「わくわく授業」の番組自体が終了しており、NHKのサイトは閉鎖されているが、現在ベネッセのサイトで紹介されている。有り難いような恥ずかしいような不思議な気分だ。なぜ恥ずかしいのかというと、現在このような「考えさせる」授業は、ほとんどやっていないから。それでも当時のディレクターさんの文章を改めて読ませていただいて、とても懐かしい気分である(ビデオ見直す勇気はないから笑)。
・ベネッセのサイト: http://benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html
・番組を視聴された方(栃木県の高校日本史の先生)による分析と評価
http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub5.htm#9e
・私自身による授業解説「こんな授業をやってみた」
南塚信吾『世界史なんていらない?』(岩波ブックレット)に収録
・「モンゴル帝国の発展」の授業プラン
「ネットワーク論にもとづく高等学校世界史の授業 :
小単元「モンゴル民族の発展」の場合」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/standard.pdf
全国社会科教育学会「社会科教育論叢」第45号に掲載
全国社会科教育学会編『中学校・高校の“優れた社会科授業”の条件』
(明治図書)に加筆して再録
★
昨年度(今年の2月)、学年末考査も終わったことから、2年生の世界史Aでやったのが、「第二次世界大戦に至る道」という授業である[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2016-12-30]。
平成29年2月23日・熊本県立熊本北高校2年2組・世界史A)
・問い「第一次世界大戦後、国際協調の時代を迎えたにもかかわらず、第二次世界大戦に至った原因は何だろうか」
・テーマ「自分の言葉で歴史を語ろう」
(「わくわく授業」のキャッチコピー「「歴史の謎に自力で迫れ」」のパクリである)
(1)生徒の理解の深化状況
①生徒の記述より
・【原因】として「世界恐慌」という言葉をあげた生徒は多かった(41名中24名)。
(「世界恐慌→ファシズムの台頭→侵略戦争」という流れ)
例)(第二次世界大戦が起こった理由は)「世界恐慌」である。
(なぜなら)「世界恐慌対策のために各国が自国のことを考えたブロック経済などを行った結果、日本やドイツ、イタリアの国が兵力を使って無理に領土を拡大しようとしたから」である
・概念化できていた生徒の例
(第二次世界大戦が起こった理由は)「国際協調を無視し、自国の利益を優先した行動を起こすことで、国どうしの調和がとれなくなるから」である。
(なぜなら)「ヴェルサイユ・ワシントン体制での二つの条件である、世界経済が好調で規模も拡大していること、平和維持の価値が広く認められていることの1つ目が世界恐慌で失われ、ドイツがナチズムをとるとともにヴェルサイユ体制の打破をとなえ、国際連盟から脱退するなど協調を保つことが難しくなったから」である。
※この生徒(日本史選択)は「国際協調の精神はなぜ失われたのか」という点に注目したと言っていた。
②教師の見取り
・資料として年表を使ったため、事件や出来事には目が向いたが、上位の概念化は難しかった。
(2)反省と改善
①全般:「戦争を未然に防ぐには、どうすればよいだろう?」という問いに進む時間はまったくなかった。
② 資料の提示
・反省:年表の活用について、提示の仕方や具体的な指示について工夫が必要。
配付資料の右側に目がいかない生徒がいた。年表で「帰還不能点」を探すことと、戦争が起こってしまった理由を考察することが結びつかない生徒もいた。
・改善:教科書や資料集のみを使い、教師がつくる資料は特に提示しない。
③文章の基本構成:例の提示について・・・・構成を変える
・改善:今回は「論点→意見→論拠」としたが、「年表を見て考える」というプロセスなので、「論拠→意見」という構成に変更する。
(参考:山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書)
② 文章化の具体的なプロセス
・反省:「自分の意見」を書くのか「班の意見」を書くのか指示が不明確であった。
・改善:「最初に個人で文章化→次にグループで他者と意見交換→再度個人で文章完成」、というプロセスの方がよいのでは?
「対話的」な学びを、「深い」学びに引き上げるのは、本当に難しい。
このときの西洋史学会で、私は「生徒の自発的思考を促す世界史学習の試み」というテーマで発表した。発表の元になったのが、NHKの教育テレビで2006年の7月に放送された「わくわく授業」の内容である。折も折、放送から間もない2006年の10月、全国の高校で世界史の未履修が発覚して社会問題となった。これを契機に日本西洋史学会でも高校における世界史の授業に関心が向けられ、翌年2007年の大会では「歴史教育への現代的アプローチ -歴史学者、社会科教育学者、実践家の立場から-」というシンポジウムが設定され、私に声がかかったのであった。
・西洋史学会第57回大会のプログラム http://www.seiyoushigakkai.org/2007/annai.pdf
・私の発表レジュメ
http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/seiyousigakkai.pdf
・鳥越泰彦「世界史未履修問題を考える」(日本学術協力財団『学術の動向』2008年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/10/13_10_8/_pdf
・鶴島博和他「世界史教育の現状と課題(Ⅰ)」(『熊本大学教育学部紀要』62、2013)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/29209/1/KKK062_029-056.pdf
NHKのディレクターさんから「講義形式ではない歴史の授業を提示したい」というお話をいただき、ディレクターさんと話し合いながら授業をつくっていったのだが、ここ数年来この時の授業に関する問い合わせを時々頂き、授業見学などもいただいている。「アクティブ・ラーニング祭」のおかげだ。当時はアクティブ・ラーニングなんて言葉はなかった。あったのかもしれないが、耳にした記憶はない。「対話的・主体的な深い学び」「アクティブ・ラーニング型授業」が脚光を浴びたおかげで、10年も前の私の授業が注目されたというわけだ。NHKでは「わくわく授業」の番組自体が終了しており、NHKのサイトは閉鎖されているが、現在ベネッセのサイトで紹介されている。有り難いような恥ずかしいような不思議な気分だ。なぜ恥ずかしいのかというと、現在このような「考えさせる」授業は、ほとんどやっていないから。それでも当時のディレクターさんの文章を改めて読ませていただいて、とても懐かしい気分である(ビデオ見直す勇気はないから笑)。
・ベネッセのサイト: http://benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html
・番組を視聴された方(栃木県の高校日本史の先生)による分析と評価
http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub5.htm#9e
・私自身による授業解説「こんな授業をやってみた」
南塚信吾『世界史なんていらない?』(岩波ブックレット)に収録
・「モンゴル帝国の発展」の授業プラン
「ネットワーク論にもとづく高等学校世界史の授業 :
小単元「モンゴル民族の発展」の場合」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/standard.pdf
全国社会科教育学会「社会科教育論叢」第45号に掲載
全国社会科教育学会編『中学校・高校の“優れた社会科授業”の条件』
(明治図書)に加筆して再録
★
昨年度(今年の2月)、学年末考査も終わったことから、2年生の世界史Aでやったのが、「第二次世界大戦に至る道」という授業である[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2016-12-30]。
平成29年2月23日・熊本県立熊本北高校2年2組・世界史A)
・問い「第一次世界大戦後、国際協調の時代を迎えたにもかかわらず、第二次世界大戦に至った原因は何だろうか」
・テーマ「自分の言葉で歴史を語ろう」
(「わくわく授業」のキャッチコピー「「歴史の謎に自力で迫れ」」のパクリである)
(1)生徒の理解の深化状況
①生徒の記述より
・【原因】として「世界恐慌」という言葉をあげた生徒は多かった(41名中24名)。
(「世界恐慌→ファシズムの台頭→侵略戦争」という流れ)
例)(第二次世界大戦が起こった理由は)「世界恐慌」である。
(なぜなら)「世界恐慌対策のために各国が自国のことを考えたブロック経済などを行った結果、日本やドイツ、イタリアの国が兵力を使って無理に領土を拡大しようとしたから」である
・概念化できていた生徒の例
(第二次世界大戦が起こった理由は)「国際協調を無視し、自国の利益を優先した行動を起こすことで、国どうしの調和がとれなくなるから」である。
(なぜなら)「ヴェルサイユ・ワシントン体制での二つの条件である、世界経済が好調で規模も拡大していること、平和維持の価値が広く認められていることの1つ目が世界恐慌で失われ、ドイツがナチズムをとるとともにヴェルサイユ体制の打破をとなえ、国際連盟から脱退するなど協調を保つことが難しくなったから」である。
※この生徒(日本史選択)は「国際協調の精神はなぜ失われたのか」という点に注目したと言っていた。
②教師の見取り
・資料として年表を使ったため、事件や出来事には目が向いたが、上位の概念化は難しかった。
(2)反省と改善
①全般:「戦争を未然に防ぐには、どうすればよいだろう?」という問いに進む時間はまったくなかった。
② 資料の提示
・反省:年表の活用について、提示の仕方や具体的な指示について工夫が必要。
配付資料の右側に目がいかない生徒がいた。年表で「帰還不能点」を探すことと、戦争が起こってしまった理由を考察することが結びつかない生徒もいた。
・改善:教科書や資料集のみを使い、教師がつくる資料は特に提示しない。
③文章の基本構成:例の提示について・・・・構成を変える
・改善:今回は「論点→意見→論拠」としたが、「年表を見て考える」というプロセスなので、「論拠→意見」という構成に変更する。
(参考:山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書)
② 文章化の具体的なプロセス
・反省:「自分の意見」を書くのか「班の意見」を書くのか指示が不明確であった。
・改善:「最初に個人で文章化→次にグループで他者と意見交換→再度個人で文章完成」、というプロセスの方がよいのでは?
「対話的」な学びを、「深い」学びに引き上げるのは、本当に難しい。
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