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「世界史」をどう語るか~『思想』3月号(岩波書店)より [歴史関係の本(小説以外)]

 岩波書店の『思想』3月号(No.1127)の特集は「<世界史>をいかに語るか-グローバル時代の歴史像-」。『思想』ではかつて2002年5月号でグローバル・ヒストリーの特集が組まれたが、そのときの特集は難解で、正直自分にはあまり理解できなかった。

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 今号の特集では、小川幸司・成田龍一・長谷川貴彦の3名の先生による鼎談「「世界史」をどう語るか」が注目。小川先生は、大著『世界史との対話』(地歴社)の著者であり、私が尊敬する先生の一人である。この鼎談で印象に残ったのは2点で、1点目は成田先生による『世界史との対話』の解題。『世界史との対話』は何度となく読んできた本だが、成田先生の解題を読み、なるほどこういう読み方もあるのかと興味深く拝読。そしてもう1点は、小川先生の「グローバル・ヒストリーのように歴史像が大きくなればなるほど、読み手は受け身となり、歴史と自己が離れてしまう逆説がおこる」という指摘。
 グローバル・ヒストリーについて、「世界の歴史を(ヨーロッパ中心史観に基づかないで)、国民国家の歴史の寄木細工として見るのではなく、ローカル→ナショナル→リージョナル→グローバルと視点を大きくして、特に人・モノ・金・情報・病気など諸地域を結びつける紐帯に注目していこうとする見方」というのが私の理解であった。例えば茶や砂糖といったモノを題材とすることで、生徒は「身近なモノにも歴史あり」と実感できると考えてきた(私がこうしたイメージを持ったのは、大阪大学出版会から出ている『歴史学のフロンティア』、特に第四章「イギリス帝国とヘゲモニー」を読んでからだと思う→『イギリス帝国の歴史』中公新書)。世界史の教科書を見ても、国家の枠組みに拘りすぎるべきではないという考えは一定のコンセンサスを得ていると思う(例えば東京書籍の『世界史A』世A301にある特集「国家と民族」など)。
 その一方でグローバル・ヒストリー全体に感じてきたのは、いいようのない不安定さでもある。帰属意識の危機、とでも言おうか、自分という主体と切り結ぶことができない大きな話は、相手の心に響かないのでは?という不安感である。ではどうすれば、場所も時代も違う話を自分の問題として受け止めることができるのか。そのヒントの一つは、成田先生が最後で指摘している、「いのち」という視点かもしれない。例えば今年の東大世界史第一問でも、「では日本の女性参政権はどうだったのか?君たちの祖母、曾祖母の時代は?」という問いにつなげれば、十分グローバル・ヒストリーたり得る。これから世界史を語るには、「今、ここから」という視点が不可欠だと思われる。「歴史総合」が成功するか否かは、この視点にあるのではないだろうか。
 先日、鹿児島大学文系後期(2016年度)の小論文の添削指導を行っていて、興味深い文章に出会った。課題文は入江 昭氏の『歴史家が見る現代世界』(講談社、2014)で、国際関係を国家を単位で捉えることに警鐘を鳴らし、これまで国同士の対立を助長する傾向があったナショナリズムを、人類共通の諸問題の解決に積極的に関わり、結びつけるようなナショナリズムに転換していくべきことを述べている。明らかにグローバル・ヒストリーの視点を意識した文章で、入江昭氏については本号でも岡本充弘氏が「グローバル・ヒストリーの可能性と問題点――大きな歴史のあり方」の中で触れているが、(32㌻)、岡本氏が本号の別の箇所(「思想の言葉」)で、ナショナリズムのマイナス面を強調してるのは興味深い(入江昭氏については、秋田茂先生も前述の「イギリス帝国とヘゲモニー」で触れている)。
 岡本氏の論考や、岸本美緒氏の「グローバル・ヒストリー論と「カリフォルニア学派」」を読んで感じるのは、グローバル・ヒストリーに対し「反対ではないが、少し整理が必要では」という問題意識であった。高校で世界史を担当する我々も、グローバル・ヒストリー礼賛に終わらず、ツールとして使うまでの工夫が必要なのかもしれない。

 私が書いた文が収録されている『地域から考える世界史』(勉誠出版)との関連では、小川先生が紹介している「下からの」グローバル・ヒストリーの可能性(リン・ハントによる)が興味深い。とはいえ、ローカルとグローバルのつながりといえば聞こえはいいが、一方で他の地域の人にとっては重要な問題とはならないかもしれない。このことに関しては、成田先生が述べている「メタ通史」の考えが参考になる。

 歴史学の成果を歴史教育にどう生かしていくのか。かつて『世界史をどう教えるか』(山川出版社)という本を手の取ったが[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-06-15]、私の関心からは少し外れていた。言い換えれば、歴史学と歴史教育はどのような関係にあるべきなのか、というのが私の関心事の一つであり、この点でもこの鼎談は興味深かった。

 先日恩師の退官記念最終講義に出席してきたが、次のように語っていた。
「歴史学には、英国史も日本史もない。あるのは歴史だけだ。ある時期から私はそう語るようになりました。歴史学は、史料の解釈学です。なるほど、史料には地域性があります。しかし、ほとんどのものは、近代に至るまで現代的意味での国境がないのです。歴史家は、とくに海外の歴史を専門とする歴史家は、「帰属意識の危機」を胸に秘めつつ、国境を越えたフラタニティ(兄弟団)を作り、せっかく生き残ってくれた史料を、「死者の声」を、誰もが接近できる共有の「世界遺産」として、必ずしも同じ関係でというわけではないが、共同作業的に解釈を行い、いろいろな言葉で、いろいろな場所で物語っていくべきでしょう。これが私の考える「グローバル・ヒストリー」です。「グローバル・ヒストリー」は、方法論の問題ではありません。それは歴史学者の仕事です。しかし歴史家にとっては、それは態度、あるいは立ち位置、あるいは「考察様式」の問題なのです。」
「史料を残した過去の人々、亡くなった人々は、われわれの解釈を批判し、抗弁できない。だから歴史学は、全身全霊をこめて、自分と過去と現在を疑う批判の徒でなければならないのです。しかし、歴史学は同時に、主知主義的で、観察者の内在的な、心からの「問題」関心を無視した、研究史上のお仕着せの問題意識を解決することも使命としています。歴史学者とはそういうものです。それは否定しない。しかし、わたしは、学界という制度の、いわば研究常識と権威にとらわれず、「自分の頭と足で、問題を発掘する」歴史家(Antiquary)に憧れています。そして残りの人生をかけて、そういう歴史家になれたら本望です。」

 歴史教育に携わる者は、歴史学者による歴史学の成果を尊重しつつ、恩師の言う「歴史家」たるべきなのかもしれない。最終講義では「多様な過去の「世界」に対峙できない者は、未来を見ることはできない」というミヒャエル・エンデの『モモ』の一節が紹介されたが、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」というドイツの故ヴァイツゼッカー大統領の有名な演説を思い出す。学部生の頃、教養部のT先生の授業で講読した演説(今年の大阪大学の問題(文学部)で使用された演説は、このとき(1985年5月8日)のものではない)。「過去と真摯に向き合えない人は、現在も未来も見通すことができない、それはなぜ?」という問いに対する答えを、生徒たちがそれぞれに見つけることが出来るような授業、私にはそれができるのだろうか。

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