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今年の東大の問題 [大学受験]

 第1問の大論述は、冊封体制がテーマ。具体的には、15世紀頃から19世紀末までの時期における、東アジアの伝統的な国際関係のあり方とその変容。史料が3つ提示され、論述内容の具体的事例として示さないといけないので、結構難しい印象。

 史料Aは明滅亡後の朝鮮で書かれた文書。中国が夷狄の満洲人による支配の地となったため、朝鮮が中華となったと自負している。崇禎帝は明最後の皇帝で、FGOに秦良玉が登場してからはネタにしやすくなった。徐光啓がアダム=シャールとともに作成した『崇禎暦書』が完成したのは、 崇禎帝の時代である。崇禎帝が自殺したのは1644年なので、史料は明が滅亡してから100年以上あとに書かれたことになり、なかなか強い意志を感じる。これは指定語句の「小中華」と組み合わせることが可能で、リード文の「国内的には....異なる説明で正当化」に関係するだろう。
 史料Bは「フランス」「フエ」がヒントで、ベトナムの阮朝でフランス人が書いた文章。「1875年から1878年」という年代なので清仏戦争よりも前だが、第一学習社『グローバルワイド最新世界史図表』巻末の年表をみると、1874年には第2次サイゴン条約が結ばれており、ベトナムに対するフランスの干渉が激しくなった時期に当たる。アヘン戦争・アロー戦争と清仏戦争の間の時期で、清の衰退によって冊封体制が崩壊に向かう時期でもあるが、それでも阮朝は清を宗主国として認めていた。一方で、フランス人の目にはそれが無礼に写っていったこともうかがえる。フランス人の常識であった主権国家体制と、伝統的な冊封体制がせめぎ合っているような印象である。場所がベトナムなので、指定語句の「清仏戦争」と組み合わせることができそうだ。
 史料Cは琉球が貿易ネットワークの中心であったことを示す史料だが、琉球処分が始まる1872年よりも前に書かれた史料だと思われる。山川の『詳説世界史』180㌻の記述に近いイメージなので、問題で指定された時期「15世紀頃から」に合致し、内容はリード文中の「自らの支配の強化に利用」と関係する。組み合わせる指定語句は「薩摩」だが、島津氏による琉球攻撃は17世紀の初めであり、琉球が日清に「両属」するのはそれ以降なので使用には注意が必要かも(『詳説世界史』190㌻)。ちなみに熊本の荒尾に亡命していた孫文が熊本の済々黌高校で講演をした際に、日本と中国との関係を「唇と歯」にたとえている。

 次に構成。最初に冊封体制の説明→変容という2部構成か。朝鮮・ベトナム・琉球を具体例として、後半の「変容」を説明する。
(1)「東アジアの伝統的な国際関係のあり方」
   ・冊封体制の説明
   ・使用する指定語句・・・・「朝貢」
   ・使用する史料・・・・C
(2)「東アジアの伝統的な国際関係の近代における変容」
   ・朝鮮における変容・・・・史料Aと指定語句「小中華」
   ・ベトナムにおける変容・・・・史料Bと指定語句「清仏戦争」
   ・琉球における変容・・・・指定語句「薩摩」
   ・冊封体制の崩壊・・・・下関条約

 残った指定語句「条約」をどう使うか。リード文に「このような関係は、ヨーロッパで形づくられた国際関係が近代になって持ち込まれてくると、現実と理念の両面で変容を余儀なくされることになる」とある。つまり冊封体制がヨーロッパ起原の主権国家体制によって変容を迫られることになるが、そのあらわれが対等な主権国家同士によって結ばれる「条約」であったという文脈で使うことにしよう。分量的には前半よりも後半の方が多くなりそうなので、前半200字+後半400字くらいか。最初の書き出しについて、「基本の3パターン」のうち今回は「リード文中の語句」を用いることにした。

【解答例】
東アジアでは、中国の諸王朝が周辺諸国の朝貢に対して返礼品の下賜と官職の授与を行う冊封体制が、伝統的な国際秩序として機能していた。史料Cに記されている琉球のように、この体制を受容した周辺諸国には経済的繁栄がもたらされた。また、明滅亡後の朝鮮で見られた小中華の思想のように、この体制を国内統治の手段として利用することもあった(史料A)。しかしヨーロッパ起原の主権国家体制が中国にもたらされて以降、冊封体制も変容を迫られることになった。19世紀になりアヘン戦争・アロー戦争に連敗した清王朝は、主権国家としてヨーロッパ諸国と様々な条約を結ぶことになり、冊封体制は動揺した。まず琉球は17世紀以来、薩摩と清に両属していたが、19世紀後半の琉球処分により冊封体制から離れることになった。またベトナムには19世紀からフランスが進出し、史料Bにみられるように近代的な主権国家体制と伝統的な冊封体制とのせめぎ合いが見られたが、清仏戦争に敗北した清は、天津条約でベトナムに対する宗主権を放棄した。そして17世紀以降外交関係を清と日本の2国に限っていた朝鮮でも、1876年に日本との間に日朝修好条規が結ばれたため、中国同様に主権国家体制と冊封体制とのせめぎ合いが見られた。この状況は、日清戦争後の下関条約で清が朝鮮の宗主権を放棄することで解消され、東アジアでは冊封体制にかわって主権国家体制が浸透することになった。
(591字)


 河合塾の解答例は「小中華」を「変容」の文脈で使っているが、それもアリだろう。駿台の解答例は、前半「あり方」で朝鮮・琉球・ベトナムに触れ、後半「変容」でも再び朝鮮・琉球・ベトナムに触れていて読みづらい。確かに、「変容」としては「変わる前」と「変わった後」の両者を述べる必要があるが、「変わる前」は三者に共通の点を述べることで要求を満たすように思われる。駿台よりも河合塾の解答例の方が良いと思う。
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