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東京大学教養学部歴史学部会編『歴史学の思考法』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]

 東大教養学部で行われる12回の授業内容を収録した本。全部で12名の先生方が執筆しておられるが、共通点は東大の歴史学の先生というだけで、それぞれ専門の地域も時代も異なる。しかし、「歴史学的思考は現代社会を生きぬくうえで有用なスキルである」という共通認識の下で書かれており、全部でⅣ部12章構成だが読み進んでも統一感が感じられる。第Ⅰ部第2章では、「過去への問い→事実の認識→事実の解釈→歴史像の提示」という「歴史学の営み」が紹介されているが、高校新学習指導要領における「歴史総合」で想定されているのは、このプロセスのように思われる。第2章に加えて第Ⅱ部(「地域から思考する」)と第Ⅲ部(「社会・文化から思考するする」)を読むと、高校の授業科目である「世界史の授業」と大学における「歴史学の授業」との違いはより明確になる。私が高校生のころを振り返ってみると、世界史は各国史の寄木細工であり、その対象は各国の制度や組織、国どうしの戦争や外交といった表層で、心性や身体などの深層が扱われていた記憶はない。しかし現在ではグローバルヒストリーは常識となり、様々なネットワークにもとづく広狭様々な地域が高校世界史の授業でも扱われるようになった。昨年行われた九州高等学校歴史教育研究協議会では、伝説を通じて心性を考える高校世界史の授業も発表された。こうした変化は歴史学の成果を反映しているのだろう。まとめともいえる最終章では歴史学の有用性について語られているが、自分の授業で他者を理解する能力が育成されているかというと、心もとない。それどころか逆に作用したことの方が多かったかもしれない。それを意識したのは、『地域から考える世界史』で触れた経験だが、今の自分の関心は自分たちの閉じた認識をいかに開かせていくかという点にある。それは歴史学的思考により可能となるのかもしれない。「映画や小説と教科書の橋渡し的な授業」を自分の授業で目指してきた私には、歴史を学ぶ意義のひとつとして「歴史学的な思考の有用性」という点で、有益な一冊であった。

 これまで読んだ本に対する理解が深まったことも、この本を読んでよかったこと。歴史を学ぶことの有用性については、ともにマルク・ブロックのことばが引用された、小田中直樹先生の『歴史学って何だ?』(PHP新書)と、平成30年度学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の村瀬正幸先生による「歴史総合」の解説。福岡大学人文学部歴史学科西洋史ゼミ編著『地域が語る世界史』(法律文化社)は、第Ⅱ部で示されている思考法にもとづいて行われた研究成果をまとめた論文集で、第10章で紹介されているサバルタン研究(サバルタン・スタディーズ)が「せめぎあう地域」という文脈で紹介されている。第4章について、章末にもあげられている足立啓二先生の『専制国家史論』(柏書房)は、現職で派遣された鳴門教育大学時代に、小浜正子先生の授業で講読した本。「民族も国境も越えて」というサブタイトルがつけられた杉山正明先生の『遊牧民から見た世界史』(日経ビジネス文庫)は、増補改訂版が出ているらしい。同じく第4章関係では『新しい世界史へ』(岩波新書)の著者、羽田正先生には昨年九州高等学校歴史教育者協議会(九歴協)大会が熊本で開催された折に講演に来ていただいた。「30年後を生きる人たちのための歴史」という演題でお話していただいたが、「主権国家や国民国家という西洋近代で生まれた概念が、実は日本列島に住む人々にとって異質なものではなく、それまでに十分に慣れ親しみ容易に理解できるものだったのではないか」という指摘は、第4章のテーマそのものとつながる気がする。「帝国」というキーワードがたびたび登場するが、鈴木薫先生が『オスマン帝国』(講談社現代新書) で指摘した「柔らかい専制」は、第4章(71㌻)や第5章(83㌻以下)との関連で興味深い。第6章では、国民国家は帝国主義と親和性が高いことが指摘されているが(97㌻)、このことについては大澤広晃先生の『歴史総合パートナーズ⑧・帝国主義を歴史する』(清水書院)を手がかりにもう一度考えてみたい。本書全体にかかわるテーマをヨーロッパを例に示したのが、故ジャック・ル・ゴフ先生の『子どもたちに語るヨーロッパ史』(ちくま学芸文庫)。

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 第4章は、「お国はどちら?」という問いから始まるが、私が大学(熊本大学教育学部)で最初に受けた「西洋史概説」の授業でもこの問いが鶴島博和先生から投げかけられた記憶がある。日本語の「国」に相当する英単語は複数あるが、「state」はこの問いの「お国」のニュアンスではないか、という話だったような気がする。その後鶴島先生のゼミにはいってからは、3年生でGeoffrey Barracloughの「The Crucible of Europe:The Ninth and Tenth Centuries in European History」、4年生ではOtto Brunnerの「Das Problem einer europäischen Sozialgeschichte」(邦訳あり)を読んだ。午後3時に始まったゼミが夜9時まで続いたこともあったが、教員になって10年目に派遣された大学院で田中優先生のご指導のもと、Gerhard Oestreichの「Ständetum und Staatsbildung in Deutschland」(邦訳あり)などそれなりに文献が読むことができたのは学部生時代の経験があったからだと感謝している。学部生時代、当時福岡大学商学部教授だった田北廣道先生からたくさんの文献をお借りしたが、その中にH. Dannenbauerの「Die Entstehung des Territoriums der Reichsstadt Nürnberg」という1928年に発行された本(のコピー:田北先生を通じてドイツから送っていただいた)があったが、辞書にも載っていない単語が出てきた。最初はなんだかわからなかったが、声に出して読んでみて、ようやく解った。「i」が「y」になっていたのである。故阿部謹也先生の『自分の中に歴史をよむ』(筑摩書房)の中に古文書が読めなくて苦労したとき「とにかく声に出してよむことだと(上原専禄)先生はいわれたのです。」という記述があるが、それを実感したのがその時だった。平成9年に九州高等学校歴史研究協議会の第26回大会が熊本県人吉市(私の初任の地)で開催された際、当時一橋大学学長だった阿部先生に講演に来ていただいたのは、大変うれしいことであった。その後九歴協では網野善彦先生(大分大会)、川勝平太先生(熊本大会)、川北稔先生(大分大会)、加藤陽子先生(宮崎大会)、本書第4章を執筆している杉山清彦先生(大分大会)、千田嘉博先生(宮崎大会と長崎大会)など、多くの先生方に講演をしていただいた。有難いというほかない。

「はじめに」での金田一耕助や、11章での澁澤龍彦は私のツボだった。茶木みやこの「まぼろしの人」の歌詞は、全部覚えている。

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東大連続講義 歴史学の思考法

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 単行本



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