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エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』(ちくま文庫) [歴史関係の本(小説以外)]

 平成30年度の大学入試センター試験世界史A(本試験)のリード文で、エリック・ウィリアムズが取り上げられていた。私はその文章にいたく心を動かされたので、その年の試験問題評価委員会報告書に高等学校教科担当教員の意見・評価 として「毎年センター試験の「世界史A」問題には、はっとさせられることがある。過去にはビートルズやウッドストックロックフェスティバルといったカウンターカルチャー系の選択肢が出題されており、今年は「世界史の問題なのに選択肢が全て日本史関係」という問題も出題された。またリード文では、昨年のマルク=ブロックに続いて本年度はエリック=ウィリアムズが取り上げられた。いずれも業績のみならずその生き方がわれわれに感動を与える歴史家であり、「この人たちの著作は読んでほしい」という出題者からのメッセージのようにも思える。われわれ高等学校教員は、こうした出題者の思いに応えていかなければならないとも感じている。」という感想を書いた[https://bit.ly/34WLRvV] 。

 山川出版社の教科書『詳説世界史』を見ると、今でこそ「(奴隷貿易によって)ヨーロッパでは産業革命の前提条件である資本蓄積がうながされた」という記述があるが、1985年版や91年版には奴隷貿易の記述はあっても産業革命との関連を示す記述は見当たらない。『資本主義と奴隷制』の初版が出版されたのが1944年だが、今回再刊された中山毅先生による日本語訳が初めて出版されたのは、1987年のことだった。ウィリアムズ・テーゼが高校世界史の教科書に反映されるまでは、相当な時間がかかっている。ただ角山栄先生の名著『茶の世界史』(中公新書)の初版発行は1980年で邦訳が出版される前だが、同書ではすでに「興味のある読者には『資本主義と奴隷制』(1944年)を一読することを勧めたい。」(100㌻)と紹介されている。

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 第4章(149㌻)に登場するベックフォード2世(ウィリアム・トマス・ベックフォード)は、ゴシック小説『ヴァセック』の作者としてよく知られており、増田義郎先生によれば、『オトラントの城』のホレス・ウォルポール、『マンク(修道士)』(1796)のマシュー・グレゴリー・ルイスなども砂糖プランターだったそうで、増田先生は「おもしろいことに、ゴシック派文人には西インドの不在地主が多い」と述べている(『略奪の海カリブ』岩波新書145~146ページ)。このうちルイスは2回ほど西インドに行って、彼の所有する奴隷達の悲惨な状況にショックを受けて、生活の改善を行おうとしたらしい。『ヴァセック』からは『アラビアン・ナイト』からの影響が色濃く感じられるが、彼の生きた時代(1760年~1844年)はレイン版が出版された時期でもある。ベックフォードは下院議員で、スエズ運河の株式買収で有名なディズレーリのパトロンだった(作家出身同士で馬が合ったのかも)そうだ。川北稔先生は北米植民地の「代表なくして課税なし」との対比で、西インド諸島の砂糖プランターを「代表されすぎていた」とも評しているが(『砂糖の世界史』182㌻)、産業革命期に投資その他で寄与した人々の多くは、もとから富裕な不在地主の砂糖プランターではなく奴隷貿易に従事した人々であった(第五章)。

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 ヨアン・グリフィズの主演で映画にもなった「アメイジング・グレイス」の歌とウィルバーフォースの活躍のように、イギリスにおける奴隷制度の廃止はその非人道的な実態に反省した結果だというイメージがあるが、ウィリアムズによればそれは一面に過ぎない(第十一章)。イギリスにおける奴隷貿易の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利であり、それはアメリカの独立で決定的となった(第六章)。というのも「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」(203㌻)ため、アメリカから食料その他を輸入することは難しくなり収益は大きく低下したからである。また1783年のパリ条約前後から、イギリスは植民地経営の重心をアジアへ移すようになるが、それにともなって西インド砂糖プランテーションの地位の低下とともに奴隷貿易も衰退していく。

 イギリスの植民地経営がアジア、そしてアフリカへ軸足を移すようになった背景として、アメリカの独立の影響は注目してよいと思う。山川出版社の『世界史用語集』では「奴隷貿易の廃止(イギリス)」と「奴隷制の廃止(イギリス)」は別個に記されているが、そのことは「奴隷制の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利によってもたらされた」とするウィリアムズの主張(第9章)を考えると、重要なことのように思われる。19世紀前半のイギリスにおける自由主義改革とアジアへの進出を取り上げるとき、このような点にも注意していきたいものである。イギリスが自由貿易に舵を切るのは1820年代以降で、アメリカ独立から奴隷貿易が廃止される1807年まで依然として保護貿易主義だったという指摘もあるが[https://core.ac.uk/download/pdf/235429027.pdf]、「奴隷貿易の利潤は工業化に投資されてイギリス産業革命の資本を提供し、アメリカ独立によってアジア進出を強化したイギリスは、産業革命の進展とともに自由貿易帝国主義を進める」という説明は、授業で取り上げることはないかもしれないが、頭に置いておくと深みが増すような気がする。

 教員になって4年目、『茶の世界史』の紅茶帝国主義の話(94~95㌻)をもとに授業をつくったが、18世紀の大西洋三角貿易と19世紀のアジア三角貿易を同時期のこととして話をしてしまった。このミスの原因は、同書94㌻のグラフで、1850年以降茶と砂糖の輸入が急増した理由を深く考えなかったことである。『砂糖と世界史』の第8章「奴隷と砂糖をめぐる政治」を読んで、その間違いに気づきとても恥ずかしい思いをした。苦い失敗である。

 2020年に出版されたちくま文庫版は1987年に理論社から発行された邦訳の再発である。この間2004年に明石書店から新訳が出ているが、巷間旧訳の方が評価が高いようだ。明石書店版を最初に読んだときはさほど気にならなかったが、ちくま版を読んで気になったところを新訳と比較してみると、確かに旧訳の方が意味が通りやすい。たとえば前述の「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」が新訳では「アメリカ人は外国人となり....」となっており意味は分かるがスムーズに入ってこない。新訳は複数で翻訳にあたったということもあるかもしれない。明石書店版巻頭の解説もよいが、ちくま文庫版巻末の川北稔先生の解説がとても良いと思う。ウィリアムズがセンター試験のリード文に取り上げられた理由がよくわかる。[http://www.webchikuma.jp/articles/-/2089]

 最後の第十三章(結論)の5は、BLM運動の高まりを見ると、本書が今なお名著とされる所以を示していると思われる。




資本主義と奴隷制 (ちくま学芸文庫)

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  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 文庫



砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

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  • 作者: 川北 稔
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  • 発売日: 2017/01/26
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茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書)

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