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社会科教師教育研究の動向と課題 [その他]

 四捨五入すれば還暦という年齢になり、教師生活も残り僅かとなった(段階的定年延長がスケジュール通りに進めば、昭和41年生まれの私は64歳が定年になるが)。この年齢で正担任と部活顧問(野球部部長=責任教師)を抱えていると、教師としてのスキルアップなどはついつい後回しになる(はっきり言うと、優先順位は低い)。現在は社会系教科教育学会・全国社会科教育学会の会員だが、学会誌を読む時間的・体力的な余裕もなく、ましてや研究大会に参加する余裕などまったくない。そろそろ退会しようかと思っていた。これまでは課外授業による時間外手当があり確定申告を毎年行っていたため、こうした学会の会費も必要経費として計上することができたが、それもなくなった。退会するいい機会かな....と思案していた中、先日届いた『社会科教育論叢』(全国社会科教育学会)の特集「社会科教育研究の動向と課題」はなかなか面白かった。特に興味深かったのは、以下の二つ。

 ・渡部竜也「教員養成カリキュラムの研究と実践-教科教育の有効的関係の構築を目指して」
 ・南浦涼介「自主的研究組織と社会科教師の多様性-あるいはSNSという対抗的公共圏からの学会へのまなざし」

 この二つの論文が目にとまった背景には、渡部先生(https://twitter.com/qi2yXOPeY1zkJ9J)と世界史教師のボリバル先生(https://twitter.com/world_history_k)とのツイッター上でのやりとりがある。正直お二人の意図を正確に読み取ることもできていないので、どちらがの意見がいいとも言えないのだが、お二方とも真摯な取り組み(=よりよい授業をつくっていきたいという思いが感じられる取り組み)を行っている。しかしそのことが、現場教師と研究者との意識の違いを際立たせることにつながったように私には感じられるのである。

 渡部先生の論文には、私が知っている先生方のお名前が登場して、まずは懐かしい思い。「静観型」に分類されている溝口和宏先生とは、新潟大学で行われた日本西洋史学会の第57回大会でご一緒させていただいた[http://www.seiyoushigakkai.org/2007]。鹿児島大学で行われた全国社会科教育学会の研究大会でもお世話になった。また「消極的介入型」に分類されている梅津正美先生とは、共同で発表(社会系教科教育学会)と論文執筆を行ったことがある[https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5975291-00]。溝口・梅津両先生の授業プランについてはこれまでも知る機会があったが、私が現職の教員ということもあり、お二人が教員養成系大学で教師教育をどのように進めているかを知る機会はなかった。それゆえ、お二方それぞれの授業プランと、本業?でもある教員養成との関わりを考えることができてなかなか興味深かった。
 日本西洋史学会でのシンポジウムで司会をされたのは、児玉康弘先生だったが、渡部先生のウェブサイトを拝見したところ、児玉先生は渡部先生を批判していると。うーむ。
http://sswatanabe.web.fc2.com/first.html#%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98


 私は教員養成系大学(熊本大学教育学部)の出身で、ゼミは西洋史だったが社会科教育法の授業では「説明」の授業理論を中心に勉強した(担当の先生が広島大学出身だったので)。そのため、鳴門教育大学の大学院に派遣されて学んだ「意思決定」の授業理論にはなかなかなじめず、原田智仁先生の「理論批判」や児玉先生の「解釈批判」といった方法論にひかれたものである。そうした経験から、渡部先生がそれぞれの類型に対して述べておられる批判は、それぞれに理解できる。

渡部先生のツイッター上の発言を読むと、時々真意を測りかねる発言がある。しかし、渡部先生の論文を読むと、ツイッター上での発言だけではよくわからなかった先生の考えも、理解できるように思う(特に、4つの類型に対する批判の箇所)。渡部先生の著書については、斉藤仁一朗先生のウェブサイト[https://jinichiro15.com/]に詳しい(「感想メモ」の中)。社会科教育関係の本はここ10年以上読んだ記憶がないが、久しぶりに読んでみたいと感じた本。

 南浦涼介先生の論文を読んで改めて感じたことは「教師は基本的に勉強したいと思っている」ということ。多かれ少なかれ、教員は勉強が好きで、その楽しさをわからせたいと思って先生という仕事をしていると思う。しかしその一方で、自分を取り巻く様々な環境に対して不安を持っているのも事実。匿名性が重視されていることは、「身バレ」やトラブルを避けたいという意識の表れだろう。かつて私もツイッターの内容について、公的な機関から注意をされた経験がある。様々な意見を聞いて勉強したいが、あまり深入りはしたくないという若い先生方の思いと、現場の教師の力になりたいがなかなかうまくいかないという研究者の先生方との齟齬も感じられてモヤモヤする。
 教師教育研究が注目されているのも、新しい学習指導要領で教育内容のみならず方法まで示されたことで、勉強したいという学校現場の教師が増えたことがあるように思われる。そのことは、明らかに良いことだと思う。しかし私の周りでは、教員の会合でも学習内容の話題には花が咲くが、学習理論が話題になることはあまりない。世代交代を進めるべき時期に差し掛かっているのかもしれない。

 今回掲載されていた諸論文には、「ゲートキーピング」という言葉がたびたび出てくる。これは「カリキュラムや授業を目的や目標に応じて調整する教師の主体的な営み」という意味であると[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/39/0/39_107/_pdf ]。授業だけはなく、カリキュラムも含んでいるところが重要なのだろう。昨年受けた教員免許更新講習でも「カキュラム・マネジメント」の講座があったが、私にとってはクソだった。あと10年近く教員を続けるのはキツいな。

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