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「英国の夢~ラファエル前派展」(山口県立美術館)とヨーロッパ帝国主義 [授業ネタ]

 昨日、山口県立美術館[http://www.yma-web.jp/]に「英国の夢~ラファエル前派展」を見に行ってきた。2年前に森美術館で開催された「ラファエル前派展~英国ヴィクトリア朝絵画の夢」ほどではないものの、よい作品が来ていた。いちばん見たかったのは、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~56)の「浅瀬を渡るサー・イザンブラス」と「ブラック・ブランズウィッカー」の2作品。「サー・イザンブラス」は2人の子どもの不安げな表情と老騎士の哀愁漂う表情、彼の剣につけられたクジャクの羽飾りや彼ににしがみつく子どもが背中に結わえ付けている薪等、細部を堪能できた。ヴァージョン作品の方が、馬のバランスがよいようにも感じられたが。「黒きブランズウィック騎兵隊員」に描かれた、女性の服の襞と光沢は評判に違わずこれまた見とれるほど素晴らしい作品であった。
 ミレイはヴィクトリア時代のイギリスを代表する画家で、代表作「オフィーリア」は日本での人気も高く、2008年と2014年に日本でも展示された。ロイヤル・アカデミーの会長でもあったため、ヴィクトリア女王とも親交があり、ナショナル・ポートレイト・ギャラリー[http://www.npg.org.uk/]にはミレイが描いたディズレイリとグラッドストンの肖像画が収蔵されている。ミレイに爵位を授与したのはグラッドストンの意向だったという。

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 「英国の夢~ラファエル前派展」は、リバプール国立美術館のコレクションによっているが、リバプール国立美術館とはNational Museums Liverpool[http://www.liverpoolmuseums.org.uk/]の直訳であり、少々誤解を生みやすい訳語だという気がする。「Museums」と複数形になっていることからわかるとおり、National Museums Liverpoolは複数の美術館・博物館の総称である。このうちミレイをはじめラファエル前派の作品を多数収蔵しているのがレディ・リーヴァー美術館(Lady Lever Art Gallery)[http://www.liverpoolmuseums.org.uk/ladylever/index.aspx]であり、「サー・イザンブラス」「ブラック・ブランズウィッカー」ともにレディ・リーヴァーの収蔵品である。

 このレディ・リーヴァー美術館は、ミレイとほぼ同時代のウィリアム・リーバ(1851~1925)という人物のコレクションをもとにした美術館であるが、彼について、『授業に役立つ世界史100話(下)』(あゆみ出版)という本には興味深い話が掲載されている。
 同書掲載の「ラーマとティモテに隠された歴史~パーム椰子と落花生からみたアフリカ搾取の実態」によれば、ウィリアム・リーバが1885年頃に弟とともに立ち上げた石鹸製造会社「リーバ・ブラザーズ (Lever Brothers)」は、オランダのマーガリン会社「マーガリン・ユニ (Margarine Unie)」と1930年経営統合し、商号を「ユニリーバ」とした。
 ユニリーバといえば、日本にも子会社がある世界的な多国籍コングロマリットだが、石鹸製造会社のリーバ・ブラザースとマーガリン製造会社のマーガリン・ユニが合併したのは、両者の製品がともに植物性油脂を原料としていたという共通点からである。なかでもパーム椰子から採れる油は、石鹸製造にもマーガリン製造にもともに重要な原料であり、その最大の供給地がコンゴだった。1885年にベルギー王の私有地としてスタートしたコンゴ自由国は、1908年にベルギー領コンゴとして植民地化される。ユニ・リーバとベルギー植民地当局は、持ちつ持たれつの関係でコンゴを支配していくわけだ。まさに世界システム。

 そもそも、石鹸とマーガリンの需要が増大したというのも19世紀後半以降の世界情勢が影響している。産業革命の進展により、工場での労働によって油で汚れた体を洗うという習慣が労働者階級にも普及し、石鹸の需要は飛躍的に高まった。一方、マーガリンのほうはwikipediaによれば、1869年にナポレオン3世が軍用と民生用のためにバターの安価な代用品を募集したところ、フランス人のイポリット・メージュ=ムーリエが牛脂に牛乳などを加え硬化したものを考案した。これは、オレオマーガリン (oleomargarine)という名前がつけられ、後に省略してマーガリンと呼ばれるようになったという。1871年、ムーリエの考案したマーガリンの特許権を買収したのが、オランダ人のアントン・ユルゲンスで、彼がマーガリン・ユニの創設者である。マレー半島におけるゴムやスズの生産量増加が、自動車産業の発展や戦争用の缶詰需要の増大を背景としていたことを思い出す話だ。
 マーガリンというと、小学生の頃の給食では定番だったし、子どもの頃わが家では味の素がつくっていた「マリーナ」という商品名のマーガリンを使っていた。このマリーナ、いまはもう存在しないが、味の素がマーガリン事業から撤退した後、日本リーバ(現在のユニリーバ日本)が事業を引継いで一時生産していたらしい。


授業に役立つ世界史100話〈下〉

授業に役立つ世界史100話〈下〉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: あゆみ出版
  • 発売日: 1989/12
  • メディア: 単行本



闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: ジョゼフ コンラッド
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/09/08
  • メディア: 文庫



闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

  • 作者: コンラッド
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1958/01/25
  • メディア: 文庫



闇の奥

闇の奥

  • 作者: ジョセフ コンラッド
  • 出版社/メーカー: 三交社
  • 発売日: 2006/04
  • メディア: 単行本



『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷

『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷

  • 作者: 藤永 茂
  • 出版社/メーカー: 三交社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 単行本



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国家と民族 [授業ネタ]

来週から二学期の期末テスト。2年生の世界史Aは、イタリアとドイツの統一までがテスト範囲である。いわゆる「国民国家」の形成である。

 今日の新聞に「移民街 漂う疎外感」という記事が掲載されていた。記事によれば、問題を抱えているのは、移民の2世や3世であるという。両親や祖父母の国に親近感が持てない一方で、生まれ育ったフランスにもなじめない。そうした疎外感にイスラーム過激派はつけこむと指摘されていた。ウチの生徒(中国籍で父は中国人、母は日本人)が「中国では日本人と呼ばれ、日本では中国人と呼ばれて、からかわれたりデリカシーのないことを言われてきた」という経験を語っていたことを思い出した。

世界史Aの教科書では、国家と民族に関する記述が多く見られる。勤務校で使用しているのは東京書籍だが、「ネーション」という言葉の解説や、「国家と民族」という特集ページなどがある。10月31日付の熊本日日新聞では、特集「日本に生きる」の中で姜信子先生が、「国家や民族という概念からの解放」ということを述べておられた。

 もちろん現代社会においては、国家の一員という前提を抜きにしては権利も主張できない。パスポートの最初のページには「日本国民である本旅券の所持人」と書いてある。それでも、外国ルーツの人たちに対するネガティヴなイメージは、国家や民族という考え方を自明の前提と考えていることにも原因の一つがあるように思われる。国家や民族、国民国家という枠組みの形成について授業でじっくり考えてみるのも必要だという気がする。

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マララさんとワトスン博士 [授業ネタ]

 12月11日付のノーベル賞関係の新聞記事は実に興味深いものでした。日本人2人の受賞もたいへんうれしいことですが、やはりマララさんとサトヤルティさんの平和賞受賞。「2人はインドとパキスタンの関係改善に向け、両国首脳に授賞式出席を呼びかけたが、実現しなかった。」とありますが、これは印パ関係に使えるな....と思っていたところ、なぜか平和賞はスウェーデンではなくノルウェーでの授賞式。これはノーベルの遺言によるものらしいですが、その理由については諸説あるようです。 http://www.no.emb-japan.go.jp/Japanese/Nikokukan/nikokukan_files/nouberuheiwashou.pdf
ノーベル存命当時当時、ノルウェーとスウェーデンは同君連合だったものの、必ずしも良好な関係ではなかった模様で、それも理由の一つ?.....印パ関係に重なるような気も。
 しかしもっと私の注目をひいたのは、マララさんの名前の由来でした。「私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクであるマイワンドのマラライにちなんでつけられた」....マイワンドの戦い!!これはあのシャーロック・ホームズの助手ワトスン博士が参加し、重傷を負った戦いです。『緋色の研究』によれば、ワトスン博士は「あのマイワンドの激戦に参加し」「肩をジェーゼル銃で打ち抜かれて、骨を砕かれたうえに、鎖骨下の動脈に裂傷を負った」。ということで、ホームズとワトソンが初めで出会ったとき、「あなたはアフガニスタンに行ってきましたね?(パシュトゥン人はアフガニスタンの約45%、パキスタンの約11%をしめる)」「どうして、それがおわかりになったのです?」というやりとりになるわけです。新聞記事では「マラライは、19世紀の第2次アフガン戦争中に英国を苦しめた「マイワンドの戦い」でパシュトゥン人兵士を励まし、勝利に導いた英雄」なんだけど、ワトスン先生は「残虐きわまる回教徒兵士」だと評しているのも面白い。
 ということで、久しぶりに世界史の授業でNIE。新聞記事の裏には『シャーロック・ホームズ大全』(鮎川信夫訳、講談社)の「緋色の研究」から、冒頭の部分の「ワトスン」「シャーロック・ホームズ」を消したうえで印刷して配布。東京書籍の世界史Aの教科書には、パキスタンでの児童労働の写真があったのでさらにグッドでした。

 このことは『わたしはマララ』でも述べられています。

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アルザスとロレーヌ [授業ネタ]

 今日「ドイツの統一」の授業を行ったクラスは、ドイツ出身の留学生がいたので、彼女に協力をお願いしてアルザスとロレーヌの紹介をしてもらいました。
 まずドーデーの「最後の授業」を読ませて、留学生には①アルザス・ロレーヌの地理的位置、②住民はドイツ語とフランス語ともに話せる人が多く、ドイツではエルザス・ロートリンゲンと呼ばれること、③「最後の授業」に登場するアメル(Hamel)先生とオゼール(Hauser)老人の名は、発音はフランス語だが、それぞれハメル、ハウザーとドイツにもある名前であること等を、私との問答形式で説明してもらいました。
 「最後の授業」を使った授業は以前やったことがありましたが[http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/france.htm]、今日の授業では、アルザス・ロレーヌは独仏両国の文化がともに混在している地域であることを理解させることが最大の目的でした。私が一方的に説明するより、ずっとよかったと思います。その後、さらにストラスブールについても、ドイツ語ではシュトラースブルクといい、Street+castleという意味ということも話してもらい(黒板に書いてくれました)、現在EUのヨーロッパ議会が置かれており、ヨーロッパの統合と協調を象徴する都市であることにも触れてもらいました。私の意図を的確にくみ取ってくれたうえ、流暢な英語で説明してくれるなど、留学生の生徒の能力がかなり高かったことも、実に有り難いことでした。
 留学生と話していてちょっとびっくりしたことが一つ。私が持っていた第二次大戦中のエンタイア[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-12-15]の差出人は、なんとこの生徒の自宅のすぐ近くの住所だということでした。ポーランドに極めて近い地域とのこと。

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「コロンブスの交換と鄭和の交換」 [授業ネタ]

 昨日(10月19日土曜日)、福岡市のマリンメッセで開催された「夢ナビライブ2013」に生徒引率で行ってきた。進学ガイダンスのひとつだが、各大学の先生方が現場で高校生に講義をするというのがウリ。大学の先生に高校へ来てもらう、いわゆる「出前授業」はスケジュール調整が必要なので、こういう形式のイベントは楽だ。ということで、熊本北高校は1年生と2年生が全員参加。貸し切りバス18台とけっこうな数。参加してる高校生の数も多く、会場は「ごった返す」という表現がピッタリな感じの盛況ぶりだった。

 1時間目の講義、「コロンブスの交換と鄭和の交換」を拝聴。講師は福岡大学人文学部教授の則松彰文先生。コロンブスがサンサルバドル島に到着してから、何日間くらいで日本に梅毒が到達したのかなど、授業に使えそうな話題もあり。「コロンブスの交換」とか「(ヴァスコ=ダ=ガマの艦隊と比較して)鄭和の艦隊の規模の大きさ」といった話は、それぞれ「大航海時代」とか「明の永楽帝」の箇所で話をするけど、「両者の交換を比較」というのは普通やらない。「コロンブスの交換にくらべて、鄭和の交換は後の時代に与えたインパクトは確かに小さいが、グローバル化という視点で考えてみよう」という指摘。高校生でもわかりやすい話であったし、立ち見も出ている盛況ぶりだった。この講義を聴いた高校生には、ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』などを読んでほしいなぁ。
 則松先生は第一学習社の世界史B教科書を高く評価されていたので、今度読んでみよう。第一の世界史Bは、秋田茂先生が執筆に参加されているとのこと。新潟での西洋史学会のおり、新潟空港で桃木先生と秋田先生にコーヒーご馳走になりながら、色々と興味深いお話をうかがったのを思い出す。
以前書いた鄭和ネタ http://zep.blog.so-net.ne.jp/2006-05-03

 先日、教え子から「千葉県の教員採用試験に合格しました」という報告が届いた。院生のときから非常勤で高校の世界史を教えていた卒業生である。千葉県の世界史といえば、熱心な世界史の先生が多数おられる。ぜひたくさんのことを吸収して、将来的には熊本に戻ってきてほしいものだ。
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ダヴィド「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」 [授業ネタ]

 昨日課外が終わって、生徒が質問に来た。
「先生、ダヴィドの『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』の絵は何枚あるんですか?」
ワトーの「シテール島への船出」にまつわる話は有名だが(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2010-06-12)、あの有名なナポレオンの絵が複数あるとは.....質問にちょっと驚いたのだけど、理由を聞いて納得。

ナポレオンが肩に巻いているショールの色が違う。

帝国書院の『タペストリー』掲載の絵に描かれているのは黄色。
http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david_bernard.html

山川出版社の『世界史写真集』にはいってるのは絵は赤。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:David_napoleon.jpg

これだけ違う色ならば、「印刷の具合で」ということでもあるまい。
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サン=ジェルマン条約 [授業ネタ]

 3年生の授業は現在、第一次世界大戦後のアジアにおける民族運動の項目。中国のこの部分、平成25年度から使用される新しい教科書ではどんな記述なのだろう.....と東京書籍の『世界史B』を読んでいたら、興味深い記述を発見。

「1919年5月4日、北京でヴェルサイユ条約に抗議する運動がおこって全国に広まり、労働者のストライキなどもおこった(五・四運動)。北京政府は条約調印を命じたが、パリの中国代表団はそれを無視し、サン=ジェルマン条約で国際連盟への加盟が実現できることを確認したうえで、調印を拒否した。中国は国際連盟の原加盟国となり、非常任理事国に選ばれるなど、国際的な地位の向上に努めた。」(355㌻)

 ふむ、初めて知りました。リットン調査団が派遣されたことから中国が国際連盟に加盟していたことは知っていましたが、それがヴェルサイユ条約ではなく、サン=ジェルマン条約で実現したものだったとは......。


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ワトー「シテール島への船出」 [授業ネタ]

 ワトー(1684-1721)の「シテール島の巡礼」は17・18世紀の文化の項目でよく取り上げられる作品です。しかし、帝国の『タペストリー』掲載の絵は、山川出版社の「世界史写真集」に収められている絵と微妙に違います。クレジットを見ると、帝国版には「シャルロテンブルク美術館蔵」とあるのに、山川版には「ルーヴル美術館蔵」とあります。タイトルはどちらも「シテール島の巡礼」ですが、別の絵ですね。

 ワトーはこの絵を二枚描いています。構図はほぼ同じですが、人物の様子や右側のヴィーナス像などが大きく異なっています。一枚はワトーの故国フランスに残り、もう一枚はワトーの死後の1763年にプロイセンのフリードリヒ大王が購入し、サン=スーシ宮殿に飾られます。戦時中の疎開をへて、第二次大戦後は旧西ベルリンに戻りホーエンツォレルン家のシャルロッテンブルク宮殿に収蔵されていましたが、80年代半ば、当時ホーエンツォレルン家の当主であったプリンツ(王子)=フォン=フェルディナント=フォン=プロイセンは、財政難を理由にこの絵を売却する意向を明らかにします。アメリカのポール=ゲティ美術館は3500万マルク(当時約28億)のオファーを出し、その他ドイツ国内からも2500万マルク(約20億円)のオファーがあったそうです。これに対しベルリン市民は、「シテール島の巡礼」がベルリンから流出するのを防ぐべく、市民運動を展開し、500万マルク(約4億円)を集めました。プリンツも「絵が西ベルリンに残るなら1500万マルク(約12億円)でよい」と提示していたことから、残額を市と連邦政府が負担し、絵はベルリンに残ることになります。

 現在この絵があるシャルロッテンブルク宮殿のシャルロッテとは、フリードリヒ大王の祖母でゾフィー・シャルロッテのことです。彼女はハノーヴァー選帝侯の娘で、イギリス国王ジョージ1世の妹にあたります。

 以前この絵は「シテール島への船出」というタイトルで知られていました。ところが第二次大戦後、「船出」というタイトルに疑問が提出されるようになります。描かれている男女は、愛の島に旅立とうとしているのではなく、立ち去ろうとしているのであり、描かれているのは愛の始まりではなく終わりであるとする解釈です。「船出」というタイトルはワトー死後のもので、フランス学士院がこの作品を受け入れたときの記録では「シテール島への巡礼」となっている。もっともこの反論にもさらに反論があり、1984年に米仏で開催されたワトー生誕300年を記念する大回顧展では、パリ作品が「巡礼」、ベルリン作品が「船出」となっていたそうです。

 なお、『タペストリー九訂版』に掲載されている「シテール島」に「シャルロッテンブルク宮殿美術館」という説明がありますが、これは間違い。これはルーヴルの方で、山川の写真集に「ルーヴル」とあるのが、実はシャルロッテンブルク宮殿美術館に収蔵されている作品です。ダブルでクレジットミス。
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園木末喜のこと [授業ネタ]

 熊本学園大学で開かれた、「安重根と熊本を考えるシンポジューム」に行ってきました。安重根と熊本にどんな関係が?

 話はわが菊池市(現菊池市七城町.....天才バカボンのパパの出身地!)と大いに関係があり、旅順監獄で安重根の通訳をつとめた人は七城町の出身だったとこのと。園木末喜という方です。かなり詳しい裁判関係の記録が残っているのは、園木の功績が大なのは言うまでもないでしょう。彼は通訳のため、当時の世界情勢をかなり詳しく勉強したようで、熊本が誇っていい人物だと思います。『教科書が教えない歴史』(扶桑社)には安重根と千葉十七という憲兵の友情が語られていますが、通訳だった園木のことも忘れてはならないと思います。

 安重根が園木に贈った書は極めて興味深いものでした。「日韓友誼善作紹介」という書で、「贈園木先生 庚戌二月 於旅順獄中大韓国人安重根謹拝」とあります。当時、安重根30歳、園木末喜26歳。安重根をして、4歳も年下の日本人に、「先生」「謹拝」そして「(韓日ではなく)日韓」と書かしめた園木末喜とは、いったいどういう人だったのでしょうか。『教科書が教えない歴史』で述べられている安重根の人となりを読むと、園木について知りたいという思いはより強くなります。(出典がまったく明記されていないことは、『教科書が教えない歴史』の難点です。)

 安重根が贈った書は、園木末喜のお子さんが昭和61年に韓国へ寄贈されたとこのと。今日のシンポジウムによれば、お孫さんが東京に在住だそうですが、園木自身については今ひとつその実像がはっきりしませんでした。七城町には現在でも園木姓は多くおられます。今後、ぜひ調べてみたい人物です。


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ジャック・カロ 「戦争の惨禍」 [授業ネタ]

 熊本県立美術館に行ってきました。夏休み特集の「ヒーロー&ヒロイン大集合」も企画展として面白かったですが、興味深かったのは同時開催の「西洋版画大集合」の方です。メインのデューラー「メランコリア」もさることながら、意外にもジャック・カロの「戦争の惨禍」(「戦争の悲惨と不幸」、連作)が展示されていました。世界史の資料集には、三十年戦争の項目でこの作品の一部が必ずといっていいほど掲載されていますが、これが連作とは知りませんでした。サイズが小さかった(8センチ×18センチくらい)のも意外でした。この小さなサイズに繊細な線の描写、脱帽です。公開で刑罰を与えていると思われる情景もありましたが、どういうシーンなのか説明書きが一切無かったのは実に残念でした。カロはロレーヌの貴族の出身だったようです。

 版画というと小学校の図工の時間や浮世絵版画くらいしか思い浮かばない私にとって、西洋版画の技術的変遷は実に興味深いものでした。デューラーのエングレーヴィングやカロのエッチングと、アンディ・ウォーホールのシルクスクリーンやロイ・リキテンシュタインのリトグラフなどを比較すると、そのあまりの違いに驚かされます。
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