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今年の東大の問題 [大学受験]

今年の東大の大論述(第1問)は、以下のような問題。

 近代世界は主に、君主政体や共和政体をとる独立国と、その植民地からなっていた。この状態は固定的なものではなく、植民地が独立して国家をつくったり、一つの国の分裂や解体によって新しい独立国が生まれたりすることがあった。当初からの独立国であっても、革命によって政体が変わることがあり、また憲法を定めるか、議会にどこまで権力を与えるか、国民の政治参加をどの範囲まで認めるか、などといった課題についても、さまざまな対応がとられた。総じて、それぞれの国や地域が、多様な選択肢の間でよりよい方途を模索しながら近代の歴史が進んできたといえる。
 以上のことを踏まえて、1770年前後から1920年前後までの約150年間の時期に、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、諸国で政治のしくみがどのように変わったか、およびどのような政体の独立国が誕生したかを、後の地図Ⅰ・Ⅱも参考にして記述せよ。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、以下の8つの語句を必ず一度は用いて、それらの語句全てに下線を付すこと。


アメリカ独立革命  ヴェルサイユ体制  光緒新政  シモン=ボリバル
選挙法改正*  大日本帝国憲法  帝国議会**  二月革命***


*イギリスにおける4度にわたる選挙法改正
**ドイツ帝国の議会
***フランス二月革命



 問題の要求は、「1770年前後から1920年前後までの約150年間の時期に、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、諸国で政治のしくみがどのように変わったか、およびどのような政体の独立国が誕生したか」。同じ地域の時代が異なる地図を並べた点で、1992年東大の第1問(この問題を取り上げていない論述問題集はないと思われる)を思い出した人も多かったのではないだろうか。

 構成は、時系列か地域に分けるかのどちらかになるが、地図が出ているので地域ごとに「ヨーロッパでは~、南北アメリカでは~、東アジアでは~」と書いていきたい。600字なので、ヨーロッパ200字+南北アメリカ200字+東アジア200字をベースとして、多く書くことができる部分は字数を多くするなどの調整していく。なお各予備校が公開した解答例をみると、代ゼミと河合塾が時系列で、東進が地域ごとになっていた。発表が遅れた駿台の解答例から歯切れの悪さを感じるのは、作成者が時系列で書くかそれとも地域別に書くかで迷ったからか?駿台と代ゼミは指定語句からスタートしているが、いきなり指定語句からの書き始めは、これから論述を練習しようという人にはちょっとハードルが高い。目にした予備校の解答例では、東進の解答例がよかった。

指定語句を3つの地域に分けてみると、以下のようになる。
・ヨーロッパ・・・・ヴェルサイユ体制、選挙法改正、帝国議会、二月革命
・南北アメリカ・・・・アメリカ独立革命、シモン=ボリバル、
・東アジア・・・・光緒新政、大日本帝国憲法

 ヨーロッパに関する指定語句が、他の二つの地域に比べると多いので、書けることが多いはず。なので、この段階で時数配分はヨーロッパを多めにしたい。ヨーロッパ300~350字+南北アメリカと東アジアで300~250字程度か。

地図から読み取れる変化。
・ヨーロッパ・・・・立憲君主政の国が増えているが、フランスは共和政となっている
(フランスが目立っているので、フランス革命に触れないわけにはいかない)
・南北アメリカ・・・・アメリカ以外はほとんど植民地だったのが、成文憲法を持つ共和政の独立国が大勢となっている
・東アジア・・・・多くが君主政の国だったのが、日本が立憲君主政、朝鮮が植民地、中国が共和政となっている

【私の解答例】
ヨーロッパの多くは君主政国家であったが、フランスは18世紀末に共和政となった。その後君主政が復活したが、二月革命後は男性普通選挙を採用した第二共和政となり、第二帝政を経て成立した第三共和政以降は共和政が定着した。イギリスは君主政が続いたが伝統的に議会の力が強く、選挙法改正を通じて選挙権が拡大し、第一次世界大戦後には女性参政権も実現した。これに対してドイツ帝国は君主権が強く、男性普通選挙を導入した帝国議会の力は弱かった。第一次世界大戦後、男女普通選挙を定めた憲法を持つドイツ共和国となった。第一次世界大戦でヨーロッパの帝政諸国家は解体し、ヴェルサイユ体制の下、民族自決の原則により多くの共和政国家が生まれた。北アメリカではアメリカ独立革命後に合衆国が共和政国家として成立し、19世紀前半には男性普通選挙が実現したが、対象は白人だけであった。同じころ南アメリカでは多くの国がシモン=ボリバルらの指導によってヨーロッパの宗主国から独立し、共和政となった。東アジアでは、日本が1889年に大日本帝国憲法を制定して立憲君主政国家となったが、ドイツ同様に君主権が強かった。日本は清朝を日清戦争で破り、台湾を植民地とした。一方敗れた清朝は日本にならって立憲君主政をめざす光緒新政を断行したが、辛亥革命によって清朝は倒れ、共和政の中華民国が成立した。朝鮮は大韓帝国として清朝から独立したが、日本の植民地となった。(595字)

 日本の普通選挙法にも触れたいところだが、「1920年前後」に1925年ははいるのだろうか?書けるネタはかなり多いので、600字とはいえ書きすぎると字数オーバーになりかねない。宮崎市定先生の「歴史学における要約の重要性(特徴が見えてくる)」という指摘を改めて実感。


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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史A)~追試験 [大学受験]

 おおまかな印象としては、よい資料を用いた良問が多かった。しかし一方で、本試験と同様に世界史Aの問題としては難易度が高い。「世界史Bの問題」と言われても違和感なく、受験者がゼロまたは極少数である世界史Aの追試としては、正直「もったいなかった」と思う。

 第1問のテーマは、歴史の動きとモノや習慣との関係。問2は「う」が匈奴であるため、単純な知識問題となってしまったのが惜しい。「あ」と「い」がトルコ系であるため、「う」もトルコ系で揃えると、トルコ系民族の西方移動として考えることも可能である(こうなると世界史Bだが)。かつてセンター試験の時代に出題されたことがあるが[https://zep.blog.ss-blog.jp/2013-01-06]、やはり世界史Bである。問3のヒントは絵ではなく、先生の言葉「西アジア産の青いコバルト顔料で文様を描いて絵付けをした」である。絵で示された器の拡大図はなんとなく宋や高麗の青磁のようにも見えるが、「青」というキーワードから染付を選ばせるのは、世界史Aのみ履修者にはキツかったと思われる。ウチが使っている第一学習社の教科書『高等学校 改訂版世界史A』を見てみたが、染付の写真は見つけることができなかった。染付は山川の世界史用語集でも③なので、これを世界史Aで出すのは厳しいと思う。驚いたのはBの会話文中の「ンクルマは、日本ではエンクルマとも呼ばれます」という表記。センター試験時代から含めて「ンクルマ」の表記は初めて目にした。問6の選択肢「う」の「ムスタファ=ケマルが服装の改革を行ったのは、ローマ字の採用と同じ政策の一環である。」という選択肢は、「西欧化」というメタな認識を問うよい問題であった。「え」の選択肢は簡単すぎるが、世界史Aである以上は妥当だと思う。問9は読めばわかる系の問題なので、国語の問題だと揶揄されそうだが、読むためには中国史の素養が必要だと思うので、国語ではなく歴史の問題だと思う。資料・選択肢ともに、読解力をみる世界史Aの問題として、よく練られた問題である。この問題をみていると、「読めば分かる」というのはわれわれ教員が日常的に教科書などを読んでいるからであり、受験する高校生にとっては、簡単とは言えないのではないかという気がしてくる。

 第2問のテーマは、「歴史上の国民や国家」。Aは佐藤卓己先生の『ヒューマニティーズ 歴史学』の一部を要約したものをもとに先生と生徒が会話している文章である。ナチ党の日本語訳は国家社会主義ドイツ労働者党ではなく国民社会主義ドイツ労働者党であり、「(フランス人権宣言)以来の健全な国民主権や民主主義の政治的伝統の上に、ナチズムは登場したのである」、という指摘と、その部分を補足して問10につながる赤木くんの言葉は深い。話題となった田野大輔先生の論考[https://gendai.media/articles/-/69830]を再読したい。とてもよい文と設問だが、あまり目立たない「世界史Aの追試」であることが残念だ。 Bは、戊戌の変法を進めた梁啓超が日本で発表した文章の要約とをもとに、先生と生徒が会話する文章。一般的な説明に対して具体例を答えさせる問5もよい問題だが、正解以外の選択肢が「事実として間違っている」のでちょっと残念。他の選択肢を工夫して、世界史Bの問題として出題したいところ。問6も、第1問の問9同様に、世界史の素養を必要とする読解問題。今回の第2問A・Bのように、資料をもとに教師と生徒が会話するという形式は、様々な発見があってとてもよかった。

 第3問のテーマは「20世紀を動かした政治家」。世界史Aらしいテーマだ。かつてのセンター試験のようなオーソドックスな問題が目立ったが、問9のEC・EUに加盟した国を示した地図を年代順に並べる問題は難問。会話文の「マルタ共和国は2004年にEUに加盟し」「旧社会主義圏の東欧の国々がマルタ共和国と同じ時期にEUに加盟」という内容からb→cという流れは判断できるが、aがbとcの間にくるという判断は難しい。EFTA加盟国という中途半端な知識では、かえって間違えそうな気がする。

 第4問はのテーマは、「統計資料を通じた歴史理解」。ラストにグラフなど統計データの読み取りという面倒な問題が並んでいるのはなかなかキツい。Aは表とグラフが並んで示されているが、ダブル読み取りではなくそれぞれ単独の読み取りなので、読み取り自体は難しくない。しかし、問1は読み取った結果とその要因を組み合わせるという合わせ技問題で、「い」を読み取ったあとに知識を使うことになる。問5も同様で、単に「グラフをみればわかる」という問題でなない点はよいが、最後にこうした面倒な問題がくるのは大変。問3は、「グラフから立てられる問い」と「問いに対する仮説」の内容を完成させる問題で、歴史総合を意識した問題。問6は、ポルトガルの植民地を答えさせる問題で、かつてセンター試験時代に世界史Bでよく出題されていたアンゴラを答えさせる問題。エジプトとリベリアはともかく、(アフリカではないがポルトガルの植民地である)東ティモールを選択肢に入れているのがエグい。世界史Aのみ履修者で、ここまで手が回っている受験生がいるのだろうか....

 教員の視点からは良問が多く、作問委員の先生方はかなりご苦労されたと思う。その結果、受験した高校生、とりわけ世界史Aのみ履修者には相当厳しい問題だった。




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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史B) [大学受験]

 今年の共通テスト世界史Bは31ページで、センター試験の時代と比べるとだいたい5ページくらい増えた。約20%の増加である。問題数は34と例年通りで増えたのはリード文だが、センター試験時代の世界史Bはリード文や図は問題と関係ないことが多く、読まなくても解ける問題が多かった。そのためかつてのセンター試験では、設問とリード文の乖離がよく批判されていた。一方で、様々に興味深いトピックやメッセージ性を感じられるリード文も多く、出題者の個性が感じられたものである(2007年本試験第4問Bの紅灯照や、2006年本試験第1問Cのアラビアンナイト翻訳の意味、エリック・ウィリアムズやマルク・ブロックなど)。私が大学入試センターの問題評価委員をしていたとき、「リード文と問題との乖離など、そんなに重要なことではない」という意味のことを書いたのは、リード文と設問の結びつきに拘りすぎると、面白いリード文が読めなくなるのではないかと思ったからである。その意味で、今年の共通テスト世界史Bのリード文は、題材も面白くかつ読まないと解けないという点で良問だった。とりわけ地中海世界で使用された貨幣にみられる共通性や、フランス国王の紋章と系図の組み合わせは、興味深い題材であった。

 知識と読解力の両方が必要という問題が多いが、読解力の中身は持久力(読むのを面倒くさがらない能力)と情報処理能力(知識活用能力)と言えるかもしれない。文章中から時期を特定できるデータやカギとなる用語を見つけ出す能力だが、これは共通テストタイプの問題を繰り返せば身につくと思う。なかでも時期を特定できる力が求められる場面が目立った(これは世界史Aも同じ)。しかし学習持久力は身につけるにはどうすればいいのだろう。第4問Bのマラトンの戦いの、23と25の問題、知識はあってもそれを使わないと正解にたどり着けない。長々と書いてある文章を正しく要約して、まとめる能力か。27などは、「べーダが731年頃に執筆」という冒頭の言葉から、資料1→資料2はわかるが、その間に資料3がくることはあとの文章を読まないと特定できない。こうなってくると、先に設問をみて、あとから問いに沿って資料やリード文を読んだ方がいいのではないかとも思う。
 一つ共通テストとしてちょっと難しいか?と思ったのが3。ニュージーランドで女性が参政権を獲得したのはリード文中にあるように1893年で、自治領となったのはこの年よりも前か後かを判断させる、という問題。イギリスの植民地で最初に自治領となったのはカナダだったというのはよく知られている。1998年の筑波大で 「1840~1870年代の時期の大陸国家としてのアメリカ合衆国の発展」が出題されたとき、指定語句の一つが「カナダ連邦の形成」だった。 カナダの場合は、南北戦争後にアラスカ購入など拡大の傾向を見せるアメリカに対抗するための自治領化であるが、ニュージーランドについては自治領化の背景としてあまり思い浮かばない。強いてあげれば、オーストラリアの自治領化は移民制限法(白豪主義)の成立と同じ1901年なので、それとあまり違わないのではという推理か。

 適度な知識と読解力が必要で、知識不要の問題はみられなかったという点で、よい問題だったと思う。しかし一方で、果たしてこれでいいのかという思いも残る。そんなに深い知識がなくても答えることは可能だが、そのためには読まなければならない。難しくはないが、面倒くさい。これだけ面倒くさい問題が多いと、受験生は世界史を敬遠するのではないだろうか。どの大学のどの学部を受ける人でも共通の問題を課す、という共通テストの性格を考えれば、もう少し取り組みやすい問題でもよかったと思う。

 なお、私が高校時代に使用した教科書『世界史 三訂版』(三省堂、昭和56年3月30日3版発行)では、「ムアーウィ」という表記だった。
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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史A) [大学受験]

 世界史Bは世界史探究に引き継がれていくが、世界史Aを引き継ぐ科目はなくなる。大学入試センターが発表した「令和7年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テストの出題教科・科目の出題方法等の予告」によれば、令和7年度も「経過措置科目」として「旧世界史A」として出題されるそうだが、現在の高校1年生は「旧世界史A」を受験することはできない。したがって、共通テストで世界史Aが出題されるのは事実上来年までということになる。最終盤を迎えつつある世界史Aの共通テストは、いったいどういうものだったのだろうか。

 大まかに言うと、かつてのセンター試験時代の世界史Aと比べて難しく、かつセンター試験の名残が感じられる試験という印象だった。

 第1問は「史跡をめぐる歴史」。問題番号1・2・4はセンター試験的である。3の「野中がパリ万博に関わった理由」を問うのは、板野さんの発言に「肥前の地の大半は佐賀県だったよね」とあるので、このことを問う必要はあまり感じられない。5のハングルに関する設問の選択肢に「日本で仮名文字が成立した時期」があるが、これは中学校で学ぶ歴史分野の知識である。3と5は、歴史総合を意識した問題なのかもしれない。6もセンター試験的だが、受験生は①か②かで迷ったと思われる。大韓帝国という国号は、日清戦争後の下関条約で、清朝が朝鮮の独立を認めたことにより使用された。したがって、②は日清戦争の契機となった事件であることから大韓帝国以前の出来事であり、正解は①となる。しかし世界史Bであるならまだしも、世界史Aでこれを問うのは少々酷ではないだろうか。確かに会話文と問題番号5の選択肢「清からの独立」という観点からは、至極妥当な問題であるが、勤務校で使用している世界史Aの教科書『高等学校 改訂版世界史A』(第一学習社)では、(日露戦争の後に)「日本の韓国併合」の文脈で大韓帝国という語句は登場しており、難易度は高い。

 第2問はやや抽象的なテーマで、リード文には「近現代における国のあり方」とある。全体的に知識を問うセンター試験的な問題が多く、中でも8・9・13・14と歴史事象が起こった時期を問う問題が多い。 中東戦争に関する問題の7は、正解である②以外の選択肢が時期的に違っていることから正解を導くことが可能だが、正攻法だと「第三次中東戦争でイスラエルがシナイ半島を占領した」「第四次中東戦争が石油危機の原因となった」という流れを把握しておく必要があるため、やや難しい。スエズ戦争(第二次中東戦争)を問うた第4問の27ともに、中東問題の正確な把握が必要だった点は、世界史Aのみ履修者にはキツかったのではないだろうか。12は図版資料の読み解きで、いい問題だと思う。③は事実として間違っており、①④は図を見て誤りを判断する。ラーマ4世、ラーマ5世の近代化政策という知識を使って、力業で②を正解とすることも可能ではあるが。15は正直あまり好きな問題ではない。史実として間違っているのは②だけで、①④は史実としては正しい。「地図上から消えてしまった国」という条件に合致しないから誤りということだろうが、史実としては正しい選択肢を誤りと判断させるためには、問い方にもう少し工夫が欲しかった。
 
 第3問は「旅行経験から学ぶ歴史」。16はマウリヤ朝や扶南、「インダス川流域のモエンジョ=ダーロ」「アーリヤ人のガンジス川流域進出」など、世界史Aのみ履修者には厳しい問題だった。17はセンター試験時代の世界史Bのような問題。日露戦争後のベンガル分割令反対運動におけるスワラージ・スワーデシの運動、第一次世界大戦後のローラット法反対のガンディーによる非協力運動、プールナ=スワラージ翌年の塩の行進といったインド独立運動の流れを把握しておくことが要求された。やはり「○○はいつ起こった」という時代を問う問題に行き着く。その一方で、19は「いつ」だけではなく「どこ」も抱き合わせで問われた点でセンター試験的。選択肢4つのうち、トルコとイランが2つずつ。③は20世紀のことなので誤り、というわけだが17の選択肢にあるウラービーをはじめ、30のマフディーなどイスラーム圏の民族運動の整理まで世界史Aのみ履修者は手が回っていなかったのでは。18はメモの「ベンガル地方の東部ではイスラーム教徒が、西部ではヒンドゥー教徒が住民の多数を占めるようになっていた」という文から、「西がインド」ということになり正解は②か③のどちらかだろうという想像はつく。しかし正解にたどり着くにはもうひとつ知識が必要で、「ベンガル分割令の公布から40年後」にベンガル地方に成立するのはパキスタンなのかバングラデシュなのかを判断しなければならない。結構大変。20はまさに「国語の問題」。エルギン=マーブルは昨年末に返還の報道が流れたが、その後どうなったのだろう。22~24は、メモ1=五四運動、メモ2=大躍進、メモ3=天安門事件の正確な内容把握が必要。陳独秀が中国共産党を結成するのが五・四運動直後の1921年であるため、22は時代で判断することが可能である。しかしメモ1~3のいずれも「近代中国の運動」について述べてあるため、自分自身で整理しておかないと混乱してしまいそう。

 第4問は「歴史上の移動や流通」というどこかで見たようなテーマ。ただコロナウイルスやスエズ運河の事故など切り口は新しい。26はスエズ運河開通の年代(1869年)さえ知っておけばなんとかなるが、逆にそれを知らないと厳しい。27は年代を知らなくても、「スエズ戦争はナセルのスエズ運河国有化宣言を契機に始まったので、スエズ戦争は「え」のあとにくる」という判断(=⑤⑥は誤りという判断)はできそうだが、それ以上はやはり知識が必要となる。28は、まずウの都市が広州という判断がつかないと始まらない。29は、センター試験の時代によく見られたグラフを使った年代問題。Xが第一次世界大戦中の出来事で、清仏戦争が1884年という知識は、世界史Aのみ履修者には厳しかったと思われる。

 全体的に日本史と絡めた問題と時代を問う問題が多かったが、「フランス革命と明治維新はどちらが先か」的な知識は歴史総合でも必要となる。来年は実質的に共通テスト世界史A最後の試験となるが(一応再来年の経過措置は予告されている)、おそらくこの流れは続くだろう。有終の美を飾るにふさわしい問題を期待したい。
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今年の東大の問題(第1問) [大学受験]

 今年の東京大学の世界史、第1問は、「8世紀から19世紀までのトルキスタンの歴史的展開」を問う問題であった。内容分析その他は駿台予備校による分析シートが詳細で、さらに考え方も明記してありとても良い。高校生に解説をするときにも自分でアレンジして使えそうだ。

 「トルキスタン」という言葉はよく目にするが、具体的な地理的範囲は?と問われると私自身もなかなか怪しい。山川の『詳説世界史』によると、トルキンタン=だいたい中央アジアで、パミール高原を境に東西にわけられる。西トルキスタンはソグディアナに相当し、現在はウズベキスタン共和国、東トルキスタンがタリム盆地(ほぼタクラマカン砂漠)で中国の新疆ウイグル自治区に相当する。駿台の分析シートには、「最近では中央アジアに替わって内陸アジアという表現が用いられるようになっている」とあるが、教科書では「中央アジア」「内陸アジア」「中央ユーラシア」といった表現が混在している。駿台の分析シートには、「冬期講習で行った論述問題で受講生が最も使えなかった用語がトルキスタンだった」とあるが、このような曖昧さも理由の一つだという気がする。

 古い本だが、羽田明他『西域』(河出書房新社)によれば、広義の西域はヨーロッパも含めて中国より西の地域はすべて含まれ、狭義の西域は東トルキスタンすなわちタリム盆地を意味する。ただし、時代によっては西トルキスタンも含んだ中央アジア(海とつながっていない内陸河や内陸湖が分布している地域)全体を指し、「現在のことばでいえば、内陸アジアというのに近い」とある。問題のリード文には「内陸アジアに位置するパミール高原の東西に広がる乾燥地帯」とあるので、内陸アジアという呼称がよいのかもしれない。

 このトルキスタンが重要な点としては、リード文にもあるように、ユーラシア大陸の交易ネットワークの中心として、様々な文化が交錯する場であったこと、つまり東西文化交流の媒介地域であったことがあげられる。そしてもう一点は、とかく対立の文脈で語られてきた農耕民族と遊牧民族が共生してきた、もう一つの文化交流があった地域であるという点である。以下、2011年度センター試験世界史B(本試験)の第4問Bのリード文より。

 8世紀にモンゴル高原に興ったウイグルは,ソグド人の商業活動を保護するとともに,ソグド人の文化から大きな影響を受けた。ウイグル文字がソグド文字に由来することや,マニ教を受容したことは,その表れである。9世紀中葉以降,ウイグル人をはじめとするトルコ系遊牧民が中央アジアへ移住すると,彼らの支配下に入ったソグド人・トカラ人・漢人らの定住民もトルコ語を話すようになり,中央アジアのトルコ化が進行した。一方,トルコ系遊牧民も,定住民から商業・交易上の慣習や行政制度,さらには仏教やイスラームなどの諸宗教を受容し,遊牧文化と定住文化を融合させていったのである。

今年の問題で一番迷ったのが、指定語句の「宋」の使い方。宋とトルキスタン地域との関わりが思いつかなかった。河合塾・駿台ともに、宋と金によって滅ぼされた遼の一族がトルキスタンで西遼を建国したという形で使っている。なるほど。
1996年度センター試験世界史(追試験)第1問Bを思い出した。

問5 下線部⑤に関連して,サマルカンド地方を領有した勢力を,年代順に正しく並べているのはどれか。次の①~④のうちから一つ選べ。
   ① カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――サーマーン朝
 ② サーマーン朝――カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国
 ③ カラ=キタイ――サーマーン朝――カラ=ハン朝――チャガタイ=ハン国
 ④ サーマーン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――カラ=ハン朝


 河合塾の二次私大解答速報は過去の内容まで閲覧できるが、駿台の掲載は一年間だけというのが残念。分析だけでもずっと読めるようにしもらえるとうれしい。
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「歴史総合」のサンプル問題 [大学受験]

 武井彩佳先生の『歴史修正主義』(中公新書)を読んでいて、大学入試センターが昨年公表した歴史総合のサンプル問題を思い出した。同書133㌻の「ナショナル・ヒストリーの限界」で指摘されている点は、サンプル問題の最後の問題(第2問・問6)とつながるように感じられる。

 大學入試センターによる「歴史総合」のサンプル問題[https://www.dnc.ac.jp/albums/abm00040337.pdf]はとてもよく出来ている。『学習指導要領解説・地理歴史科編』[https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002620_03.pdf]の124㌻に示されている「社会的事象の歴史的な見方・考え方」の視点や方法
  ①時期,年代など時系列に関わる視点
  ②展開,変化,継続など諸事象の推移に関わる視点
  ③類似・差異など諸事象の比較に関わる視点
  ④背景,原因,結果,影響,関係性,相互作用など事象相互のつながりに関わる視点
  ⑤現在とのつながり
がしっかりと取り入れられており、 問題をつくった先生方の工夫と熱意=本気度が伝わってくる問題である。

 世界史教師には良問だが、世界史受験生にはキツい問題というのが印象。実際の授業の場面を用いて、資料やデータを読み込んでいく問題は、長い文章が読めない生徒にはキツい。内容も単純に暗記だけでは解けず、センター試験の時には読み飛ばしても大勢に影響がなかった資料文も丹念に読まなければならない。一方で、第1問の問1など中学校時代のベーシックな学習が抜けていたら間違ってしまうような問題もあり、気が抜けない。さらに資料同士の比較検討など、相応の訓練が必要となるので、これまでのセンター試験時代の世界史Aの問題とは、まったくもってレベチである。極めつけは「近代化と私たち」を教育制度で考察する前述の第2問Bでの問6で、メタレベルを問う問題になっている。

 実際の共通テストでは「日本史探究」「世界史探究」「地理総合・公共」との抱き合わせで行われるので、「歴史総合」の分量としては、それぞれサンプル問題通りの10問くらいだろうが、「歴史総合」を含む科目、とりわけ「歴史総合・世界史探究」で受験する生徒は減るような気がする。これまで「世界史Aならなんとか点が取れるかも」だった層が、「歴史総合・世界史探究」で受験することはなくなるだろう。もっとも、もともと世界史Aの共通テスト受験生の数は極めて少なく(昨年度は第一日程で1544人、第二日程で14人)、作問の苦労に見合わないのが実情だったので、現実に即したという見方もできる。

 元日の朝日新聞紙上の岩波書店全面広告[https://www.iwanami.co.jp/news/n45189.html] が話題だが、歴史的な見方考え方はすべての人に大切なことだと思う。それは「歴史総合」の成否にかかっているが.....。

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今年の東大の問題 [大学受験]

 今年の東大第1問の要求は、地中海世界における3つの文化圏の成立過程を宗教の問題に着目しながら述べること。「宗教の問題」とは、「宗教をめぐる様々な葛藤が生じ、それが政権の交替や特定地域の帰属関係の変動につながることもあった」と説明されている。
 指定語句は、「ギリシア語」「グレゴリウス1世」「クローヴィス」「ジズヤ」「聖像画(イコン)」「バルカン半島」「マワーリー」の7つ。

今年の東大の問題(世界史) 読売新聞のサイト
https://www.yomiuri.co.jp/nyushi/sokuho/k_mondaitokaitou/tokyo/mondai/img/tokyo_zenki_sekaishi_mon.pdf

 地中海周辺に成立した3つの文化圏を扱った問題はこれまで様々に出題されてきたので、新傾向の問題が出るかとドキドキした分、ベタな出題に驚いた。思いつくだけでも、1995年の東大、1992年の一橋大、2003年の東京都立大など。横浜国立大が世界史の二次試験をやっていた頃「8世紀を中心とする時代の地中海周辺世界の政治状況を、次の5つの語を必ず一度以上用いて、400字以内で記せ。ただし、句読点も一字に数えること。アッバース朝、ウマイヤ朝、カール大帝、ビザンツ帝国、ローマ教皇」という出題もあった。過去問しっかりやった受験生はよく書けたのではないかと思う。

 「5世紀から9世紀」という短いタイムスパンなので、ここは時系列に書いていくという方針でよいと思う。ただし、それぞれの文化圏が確立した時期は明確にしておいたほうがよい。
   
5世紀:ゲルマン人の移動とゲルマン国家の分立(諸民族の大移動)、西ローマ帝国の滅亡、カトリックと結びついたフランク王国の発展  クローヴィス
     ↓
6世紀:ビザンツ帝国(生き延びたローマ帝国)のユスティニアヌス、ギリシア正教とギリシア語に基づくギリシア・ビザンツ文化圏の成立
      ↓
7世紀:イスラーム勢力の地中海進出(地域の帰属関係の変動)
     ↓
8世紀:ウマイヤ朝からアッバース朝へ(政権の交替)
     ↓ 
800年:カールの戴冠(ラテン・カトリック文化圏の確立)


要求は9世紀までだが、9世紀の地中海世界で書けることは思いつかない。さて何を書く? 代ゼミ・河合・駿台の各予備校が公開した解答例をみると、最後の一文は次のようになっていた。

代ゼミ:「両キリスト教会はバルカン半島に移住したスラヴ人への布教を進めて勢力圏拡大を競った。」
河合塾:「東ローマ帝国では、バルカン半島に南下したブルガール人やスラヴ人への布教を進め、コンスタンティノープル教会中心にギリシア語を公用語とする正教文化圏が形成されていった。」
駿台:「9世紀にはビザンツ帝国がスラヴ人・ブルガール人にギリシア語で布教を進め、ギリシア・ビザンツ文化圏を形成した。」

 なるほど、「バルカン半島」を9世紀で使うとのはよい考えだと思う。「9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。」としておく。駿台の解答例で使用されている「ギリシア・ビザンツ文化圏」という用語は、2003年の都立大のリード文でも「このように、7世紀後半から8世紀にかけて地中海世界は、ラテン・キリスト教文化圏、ギリシア・ビザンツ文化圏、そしてアラブ・イスラーム文化圏の3つの文化圏に分かれることになった。」と使用されているので、そのまま拝借。ただし「ラテン・キリスト教文化圏」という表現は、ギリシア正教もキリスト教なので「ラテン・カトリック文化圏」としたほうがよいのでは。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立時期は、代ゼミの解答例同様、ギリシア語が公用語となった7世紀としておく。代ゼミの解答例では9世紀が「勢力圏拡大」となっているのは、そのためだろう。

私が考えた解答例は以下の通り。

5世紀に入ると地中海世界ではゲルマン人国家が分立し、その混乱の中西ローマ帝国は滅亡した。代わって勢力を拡大したフランク王国は、初代クローヴィスがアタナシウス派に改宗したことから旧ローマ市民からも支持された。6世紀にはいるとユスティニアヌス帝のもとビザンツ帝国がヴァンダルや東ゴートなどのゲルマン国家を滅ぼして地中海帝国を回復した。その後帝国の勢力は後退するが、ギリシア語とギリシア正教に基づくギリシア・ビザンツ文化圏が確立した。対するカトリックも、グレゴリウス1世の布教でイングランドやゲルマン人に広がった。しかし7世紀になるとイスラーム勢力が進出し、シリア・エジプトをビザンツ帝国から奪ったことでアラブ・イスラーム文化圏が地中海世界まで拡大した。8世紀にはいるとイスラーム文化圏はイベリア半島まで拡大したが、ジズヤを免除されなかったマワーリーの不満が高まり、750年ウマイヤ朝はアッバース朝に交替し、諸王朝の分裂が進んだ。同じころキリスト教世界では、ビザンツ皇帝が聖像画(イコン)を禁止したことにローマ=カトリック教会が反発し、フランク王国に接近した。800年、ローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ皇帝の帝冠を授けたことによってラテン・キリスト教文化圏が成立し、地中海世界に3つの文化圏が成立した。9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。
(596字)

 最後の9世紀の事例がとって付けたようで、おさまりが悪い。9世紀のことは何を書けば良かったのだろう。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立を7世紀としている点で、代ゼミの解答例に近いかな。

【代ゼミの解答例】
https://sokuho.yozemi.ac.jp/sokuho/k_mondaitokaitou/1/kaitou/img/tokyo_zenki_sekaishi_kai.pdf

【駿台予備校の解答例】
https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/2021/tky1_sek_1.pdf

【河合塾の解答例】
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/t01-52a.pdf
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初めての共通テスト [大学受験]

 大学入試センターから入学共通テスト中間集計が発表されたが[https://bit.ly/35ZqsCH]、世界史Bの平均点は65.79と私の予想よりもかなり高い。また北九州予備校による集計データを見ると、昨年度に比べて上位と下位が減少して中位が厚くなっており、よい分布となっていると思う。正直、世界史Bは昨年に比べて結構下がると予想していたが、実際はそうでもなく自分の学校でも前年との大きな変化はなかった。「平均点下がるよ、これは」なんて騒いでいたのは私だけだった、というオチ。

 受験した生徒にマルク=ブロックを使った問題の感想を尋ねてみたが、もっと長い文章は他教科のテストでも読んでいるので、別に驚かなかったと言っていた。高得点者は、先に選択肢から見て、まず「い」は事実として違うから正解は①か②か③、キーワードは「資料」で、X:領主○で農村×、Y:領主×で俗人○、Z:亡命○と整理してから文章を読んだという。また問題番号6は、単に「一番古いのはどれか」だから年代知らなくても当然②、7では日本史で出てきた松方財政と日銀設立のことを思い出して、「戦争では(不換)紙幣を発行する」と予想してグラフをみたらやはり紙幣発行は増えていたということだった。「地頭の良さ」が点数に反映されたという印象である。

「下線部がない問題文」で思いだしたのが、次の問題。

次の史料は、許子(許行)という思想家の教えに心酔する陳相という人物と、 ① との論争である。これを読んで、下の問いに答えよ。


 陳相は ① に会い、許行の言葉を受け売りして、言った。「(あなたが今仕えておられる)藤(とう)※の君は、まことに賢君です。しかし、まだ正しい道をご存じない。賢者は、民とともに耕して生計をたて、朝夕自炊しながら、政治をとるもの。今、藤の国には倉廩(こめぐら)も府庫(かねぐら)もありますが、これは、民に頼って暮らしているもの。どうして賢君といえましょう。」

(中略)
 ①  「許子は冠をかぶるのか?」
陳 相 「かぶります。」
 ①  「何の冠をかぶるのか?」
陳 相 「素(しろぎぬ)の冠をかぶります。」
 ①  「自分でこれを織るのか?」
陳 相 「いえ、粟(こくもつ)ととりかえます。」
 ①  「許子はどうして自分で織らないのか?」
陳 相 「耕す妨げになります。」
 ①  「許子は釜甑(なべかま)で煮炊きし、鉄で耕すのか?」
陳 相 「そうです。」
 ①  「自分でこれを作るのか?」
陳 相 「いや、粟(こくもつ)ととりかえます。」
 ①  「(中略)許子はどうして陶工や鍛冶屋の仕事をしないのか?みな自分のいえで作ったものを用いずに、どうして面倒にもいろいろな職人ととりかえるのか?何とわずらわしいことよ。」
陳 相 「職人の仕事は、農業をやりながらでは、とてもできないからです。」
 ①  「それなら、天下を治めることだけが、どうして農業をやりながらできるというのか。」
※注 藤は当時の小国の名

 問1 上の史料から読み取ることができない事実を、次の文①~⑤のうちから一つ選べ。
  ① この時代には、交易を媒介に農民と手工業者の間の分業関係が成立していた。
  ② この時代の農業では鉄器の使用が普及していた。
  ③ この時代には、人民の統治をもっぱら仕事とする人々が生まれていた。
  ④ この時代には、王による一族の分封が行われていた。
  ⑤ この時代には、人民から徴収したものを収める倉庫が作られていた。

 問2 上の史料は、王道政治を唱えて諸国を遊説した儒家 ① の言行を記した書物の一節である。この人物の名を、次の①~④のうちから一つ選べ。
  ① 董仲舒    ② 孟子   ③ 荘子   ④孫子

 問3 上の史料の論争が行われたのは、いつの時代か。問1と問2をふまえ、次の①~④の中から正しいものを一つ選べ。
  ① 周   ② 春秋   ③ 戦国   ④ 前漢




これは1988年12月に実施された、センター試験の試行テストの問題(世界史)である。共通テストの試行調査と異なるのは、センター試験の試行テストを受けたのは翌1989年1月に(最後の)共通一次試験を受ける予定だった人たちという点である。共通テストでも、初めての受験生には試行テストを実施するくらいの配慮が欲しかった。テスト問題の内容面ばかり気にして、受験生のことを後回しにしてしまった自分を恥じ入るばかりである。
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今年の東大の問題 [大学受験]

 第1問の大論述は、冊封体制がテーマ。具体的には、15世紀頃から19世紀末までの時期における、東アジアの伝統的な国際関係のあり方とその変容。史料が3つ提示され、論述内容の具体的事例として示さないといけないので、結構難しい印象。

 史料Aは明滅亡後の朝鮮で書かれた文書。中国が夷狄の満洲人による支配の地となったため、朝鮮が中華となったと自負している。崇禎帝は明最後の皇帝で、FGOに秦良玉が登場してからはネタにしやすくなった。徐光啓がアダム=シャールとともに作成した『崇禎暦書』が完成したのは、 崇禎帝の時代である。崇禎帝が自殺したのは1644年なので、史料は明が滅亡してから100年以上あとに書かれたことになり、なかなか強い意志を感じる。これは指定語句の「小中華」と組み合わせることが可能で、リード文の「国内的には....異なる説明で正当化」に関係するだろう。
 史料Bは「フランス」「フエ」がヒントで、ベトナムの阮朝でフランス人が書いた文章。「1875年から1878年」という年代なので清仏戦争よりも前だが、第一学習社『グローバルワイド最新世界史図表』巻末の年表をみると、1874年には第2次サイゴン条約が結ばれており、ベトナムに対するフランスの干渉が激しくなった時期に当たる。アヘン戦争・アロー戦争と清仏戦争の間の時期で、清の衰退によって冊封体制が崩壊に向かう時期でもあるが、それでも阮朝は清を宗主国として認めていた。一方で、フランス人の目にはそれが無礼に写っていったこともうかがえる。フランス人の常識であった主権国家体制と、伝統的な冊封体制がせめぎ合っているような印象である。場所がベトナムなので、指定語句の「清仏戦争」と組み合わせることができそうだ。
 史料Cは琉球が貿易ネットワークの中心であったことを示す史料だが、琉球処分が始まる1872年よりも前に書かれた史料だと思われる。山川の『詳説世界史』180㌻の記述に近いイメージなので、問題で指定された時期「15世紀頃から」に合致し、内容はリード文中の「自らの支配の強化に利用」と関係する。組み合わせる指定語句は「薩摩」だが、島津氏による琉球攻撃は17世紀の初めであり、琉球が日清に「両属」するのはそれ以降なので使用には注意が必要かも(『詳説世界史』190㌻)。ちなみに熊本の荒尾に亡命していた孫文が熊本の済々黌高校で講演をした際に、日本と中国との関係を「唇と歯」にたとえている。

 次に構成。最初に冊封体制の説明→変容という2部構成か。朝鮮・ベトナム・琉球を具体例として、後半の「変容」を説明する。
(1)「東アジアの伝統的な国際関係のあり方」
   ・冊封体制の説明
   ・使用する指定語句・・・・「朝貢」
   ・使用する史料・・・・C
(2)「東アジアの伝統的な国際関係の近代における変容」
   ・朝鮮における変容・・・・史料Aと指定語句「小中華」
   ・ベトナムにおける変容・・・・史料Bと指定語句「清仏戦争」
   ・琉球における変容・・・・指定語句「薩摩」
   ・冊封体制の崩壊・・・・下関条約

 残った指定語句「条約」をどう使うか。リード文に「このような関係は、ヨーロッパで形づくられた国際関係が近代になって持ち込まれてくると、現実と理念の両面で変容を余儀なくされることになる」とある。つまり冊封体制がヨーロッパ起原の主権国家体制によって変容を迫られることになるが、そのあらわれが対等な主権国家同士によって結ばれる「条約」であったという文脈で使うことにしよう。分量的には前半よりも後半の方が多くなりそうなので、前半200字+後半400字くらいか。最初の書き出しについて、「基本の3パターン」のうち今回は「リード文中の語句」を用いることにした。

【解答例】
東アジアでは、中国の諸王朝が周辺諸国の朝貢に対して返礼品の下賜と官職の授与を行う冊封体制が、伝統的な国際秩序として機能していた。史料Cに記されている琉球のように、この体制を受容した周辺諸国には経済的繁栄がもたらされた。また、明滅亡後の朝鮮で見られた小中華の思想のように、この体制を国内統治の手段として利用することもあった(史料A)。しかしヨーロッパ起原の主権国家体制が中国にもたらされて以降、冊封体制も変容を迫られることになった。19世紀になりアヘン戦争・アロー戦争に連敗した清王朝は、主権国家としてヨーロッパ諸国と様々な条約を結ぶことになり、冊封体制は動揺した。まず琉球は17世紀以来、薩摩と清に両属していたが、19世紀後半の琉球処分により冊封体制から離れることになった。またベトナムには19世紀からフランスが進出し、史料Bにみられるように近代的な主権国家体制と伝統的な冊封体制とのせめぎ合いが見られたが、清仏戦争に敗北した清は、天津条約でベトナムに対する宗主権を放棄した。そして17世紀以降外交関係を清と日本の2国に限っていた朝鮮でも、1876年に日本との間に日朝修好条規が結ばれたため、中国同様に主権国家体制と冊封体制とのせめぎ合いが見られた。この状況は、日清戦争後の下関条約で清が朝鮮の宗主権を放棄することで解消され、東アジアでは冊封体制にかわって主権国家体制が浸透することになった。
(591字)


 河合塾の解答例は「小中華」を「変容」の文脈で使っているが、それもアリだろう。駿台の解答例は、前半「あり方」で朝鮮・琉球・ベトナムに触れ、後半「変容」でも再び朝鮮・琉球・ベトナムに触れていて読みづらい。確かに、「変容」としては「変わる前」と「変わった後」の両者を述べる必要があるが、「変わる前」は三者に共通の点を述べることで要求を満たすように思われる。駿台よりも河合塾の解答例の方が良いと思う。
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文部科学省大学入学者選抜改革推進委託事業人文社会分野(地理歴史科・ 公民科)における試行試験 [大学受験]

 早稲田大学を中心に作成された、次期学習指導要領向けのサンプルテスト(地歴・公民)が公開されたので、世界史の問題を解いてみた。正式には「文部科学省大学入学者選抜改革推進委託事業人文社会分野(地理歴史科・ 公民科)における試行試験」という名称で、問題冊子の表紙には「この試行試験は、文部科学省委託事業として「思考力・判断力・表現力」等をどのように問えるかを検討するために行ったものであり、試行試験の結果を踏まえ、今後の課題等について検討していく予定です。このため、今回公開する問題は完成したものではないことをご了承ください。また、その目的のために様々なパターンの問題を含めております。試行試験は生徒の学力を評価するためのものではなく、特定の大学の入学試験とも一切関係がありません。 このことにつきまして十分ご理解のうえご覧いただけますと幸いです。 」とある。

 大学入試センターの試行調査(プレテスト)とは異なり、次期学習指導要領で求められている学力をトータルで評価することを目的としてるため、客観式の問題のみならず記述・論述式の問題も出題されている。大問構成は3つで、100点満点(第1問・2問がそれぞれ30点、第3問は40点)。第1問は「アメリカ合衆国への移民」、第2問は「世界史上の疫病」、そして第3問が「大交易時代」。第1問と第2問は客観式の問題で、第3問は客観式・記述・論述式の混合。このうち論述問題は、「100字以上130字以内」(指定語句3つあり)と「30字以内」の2つであった。全体としてグラフや年表、資料文の丁寧な読み取りが必要で、「資料データの読み取りや読解力、そして読み取った結果をもとに考える姿勢を重視したい」という出題者の意図が伝わってくる。そのため、即答するのはかなり難しい。前近代分野からの出題がないのは、資料データの提示が難しいからだろう。

  第1問は、グラフ・年表・会話文の読み取りを正しく組み合わせないと正解が導けない。よく工夫された問題である。ヨーロッパが移民を生み出したプッシュ要因を問う問2は、「19世紀の後半」というヒントだけでロとハのどちらが史実にあわないか判断するのは難しい。風刺画を時系列に並べる問5が面白い。以前、ナポレオンを描いた絵を時系列に並べてみるという授業を見たことがあるが、それぞれの絵に付けられたタイトルが英語なので、日本語訳のタイトルがついていたらもっと解きやすかったと思う。

 第2問では、グラフと地図の読み取りを組み合わせた問1がよく工夫されている。知識を必要とせず資料の読み取り技能だけで答えるという問題は、2003年度のセンター試験世界史B本試験第4問Cで出題されたが、今回の問題はグラフだけではなく地図の読み取りも組み合わされている。問2は、地理的な知識も必要である。問3「14世紀のペスト流行の原因」の正解は「ハとニ」となっているが、「ニ 百年戦争の終結」は15世紀だからこれは明らかに解答のミスだろう。「ハ 農奴制の強化」もペスト流行との因果関係は不明だ。私は「イ ヴェネチアの繁栄」と「ロ ジャムチ(駅伝制)の整備」と思ったのだが、どうだろう。ジャムチ整備は13世紀だが、マクニールの「モンゴルのヨーロッパ遠征がペスト流行をもたらした」というのが頭にあったので。説明に必要なデータを選ばせる問5、資料を読んで課題レポートを完成させる問6も良問。

 第3問は、全体的に難度が高い問題が並んでいる。問3「足利義満の死後、次の義持の時代に明との国交が不安定であった理由」を6つの選択肢から2つ選ばせる問題は、時代的にあわないイと文中の記述から誤りとわかるハは除外できるが、残った4つから2つ選ぶのは難しい。「日本側の事情」と考えればよいのだろうか。論述問4は、「後期倭寇の活動が明代前半期に成立した国際秩序に与えた影響」を130字で述べる問題。指定語句は「琉球王国」「朝貢貿易」「日明貿易」の3つである。「明代前半期に成立した国際秩序」とは「海禁」であり、それが崩れていくというのが「影響」である、というのが求められている結論。これに気づけば、3つの指定語句をいずれも減速傾向で使うことになるからさほど難しくはない。しかし、「海禁」という語句自体が問1で問われているのは少々問題ありではないか?会話や資料の内容から適切なものを選ばせる問7は、時代の全体像を示すような選択肢で固めてみてもよかった気がする。

 60分という解答時間で最後までいきついた被験者はあまり多くなかったように思われる。確かに難易度は高いが、考えさせる場面が多い問題が並んでおり、授業中にグループワークで取り組ませるに適した問題である。
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