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世界史Bのプレテスト [大学受験]

 先日今年度のプレテスト(大学入学共通テストの試行調査)が実施され、問題と解答および出題のねらい等が公開された[https://www.dnc.ac.jp/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h30_1110.html] 。世界史Bに関しては、「昨年より簡単」になり、残念ながら「思考力を問うという点で後退した」というのが第一印象であった。

 「簡単になった」と感じる原因の一つは、わかりやすい選択肢である。例えば解答番号3では、「②メロヴィング朝とマムルーク朝」の組み合わせは時代的な隔たりが大きすぎるうえ、他の三つの選択肢は「教科書で同じ箇所に載っているのを見た」記憶がある。小問の概要は「地中海とその周辺地域で接触した国家・王朝について考察し判断する」となっているが、折角地図を使っているのだから、ダミー選択肢として「上の地図で表された地域において接触した可能性がない勢力」(地理的にハズれている勢力)を取り上げた方がよかったように感じる。

 一方「思考力を問うという点で後退した」と感じた原因は、「これって前にもあったよね」という問題が散見されたことである。まず問題番号12。宮崎滔天『三十三年之夢』を使った問題だが、2000年度の世界史A本試験第3問Bと引用箇所、さらに文中で空欄になっている部分までまったく同じであった。それはともかく、文中で空欄になっている国の組み合わせの選択肢は、かつての世界史Aのセンター試験のほうが良かったようにも思える。今年の試行問題では、単に組み合わせを問うのみで
  ① ロシア 日本     ② スペイン 清国
  ③ 日本  清国     ④アメリカ合衆国 スペイン
という選択肢だが、2000年度の世界史A問題では、
  ① a―アメリカ合衆国 b―スペイン
  ② a―スペイン b―アメリカ合衆国
  ③ a―アメリカ合衆国 b―日 本
  ④ a―日 本     b―アメリカ合衆国
 という選択肢であり、より深い読解が必要となっている。過去にこの問題があったことで、「後退した」印象を抱いてしまったのだろう。出題者の方には申し訳ない言い方だが、「世界史Bの新テスト(試行)問題が、世界史Aの過去問より簡単なんて信じられない」というのが正直な思いだ。

 次に問題番号24。ポーランド分割の風刺画は、同じものが2002年度の世界史A追試験第4問Bで使われた。分割に参加した国名と君主名の組み合わせを解答させる点も同じである。

 問題番号34については、類似の地図が今年のセンター試験世界史A追試第1問Bに使われているが(問題番号6)、小問の概要に「グラフと説明文とを関連付けて」とあるように今年の「高等学校担当教員の意見・評価」[https://www.dnc.ac.jp/center/kako_shiken_jouhou/h30/jisshikekka/hyouka_honshiken/chirirekishi.html]で指摘されている点がよく生かされていたと感じる。

 貨幣の写真を示して古い順に並べさせるタイプ(問題番号22)は、類似の問題が1998年の世界史B本試験第3問Aで出題されたが、貨幣の説明文を読み王朝を特定することが必要となっており、今回の問題は読解力を必要とした。

 この問題を見ていて思いだしたのが、平成25年に実施した熊本県の県下一斉テスト(世界史)で出題した問題で、ユーロ導入前のギリシアの貨幣(デモクリトス・ペリクレス・ホメロス・アリストテレス)を活躍した古い順に並べよというものである。並べた順番の選択肢もかなり工夫して、「ペリクレスで始まる選択肢とホメロスで始まる選択肢が二つずつ、ホメロスのほうが古いだろうから答えは二つに絞られ、正解候補の二つのうち片方は最後がアリストテレスでもう片方はペリクレスだから、アレクサンドロスの家庭教師だったアリストテレスが最後だろう」という流れを期待したのだが、寄せられた感想は残念ながら「難しすぎる」というものばかりであった。この問題を選択させた学校は世界史Bを履修しているはずだから、正直「これくらい説明できないような教員なら、やめてほしいんだけど」と思ったものである。


 今回の試行でよかったのは、文章をしっかり読むことを期待する問題が見られたことである(問題番号14、16、26、28)。 また正解が複数あるという問題もあった(問題番号24)。「東ロボくん」の開発者は「東ロボくんは、意味が分からないのに世界史の教科書を読み込んでコンスタントに高得点を出した」と自画自賛していたが、読解力を必要とする問題はAIで解答するには難しいだろう。一方で、昨年の試行問題にみられた「根拠を問う問題」「調べるための資料として適当なものを選ばせる問題」「誰の意見が正しいかを問う問題」などがあってもよかったのではないか。特に、昨年の「アジア・アフリカの民族運動に関する資料を読ませてその共通性を問う」というメタ認識的な問題はあってもよかった(難易度の関係もあったのかもしれないが)。全体としてこれまで実施されてきたセンター試験とあまり変わらず、「高得点をとるためにはアクティブラーニング的な授業など必要ないし、むしろ講義形式のほうが適しているのでは」と感じた。
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今年の九州大の問題 [大学受験]

[1]
 偶像崇拝と多神教を否定し唯一神を信仰する一神教の成立は、世界史上でもっとも重要な出来事の一つといえる。中東・西アジア地域で誕生した三つの一神教はそれぞれ聖典をもち、いずれも迫害や苦難の中から自己形成を遂げて成立した。その後、強い求心力を持つこれら三つの一神教は人類の歴史のなかで大きな役割を演じ、現在これらの信徒の合計は、世界人口の半数以上を占めるに至っている。これら一神教の成り立ちと性格について適切に理解することは、現代に生きる我々にとって必須の課題であるといえよう。
 以上を踏まえ、これら三つの一神教の成立過程について、以下のキーワードをすべて用いて説明せよ。説明にあたっては、各宗教が既存社会の圧力の中でどのように自己形成を遂げたか、あとから登場した宗教が先行する宗教の聖典をどのように位置づけていたか、に留意すること。説明は600字以内とし、使用したキーワードには波線を引くこと。キーワードは何度用いてもよい。
【キーワード】
 ヒジュラ  モーセ  イスラエル国  ピラト  パリサイ派  啓典の民 ダヴィデ  隣人愛


 問題の要求は、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教について以下の3点。
 ①成立過程   
 ②既存社会の圧力の中でどのように自己形成を遂げたか
 ③既存社会の圧力の中でどのように自己形成を遂げたか
600字なので、200字・200字・200字の構成プランで進めたい。

【ユダヤ教】
モーセ・・・出エジプト→唯一神ヤハウェによる十戒
パレスチナにヘブライ王国を形成→ダヴィデ王の繁栄
王国分裂→イスラエル国の滅亡→バビロン捕囚
民族的苦難の中でユダヤ教が成立  選民主義と律法主義 「旧約聖書」
【キリスト教】
ナザレのイエス・・・ユダヤ教の律法主義を批判→普遍的な神の愛と隣人愛を説く
ユダヤ教パリサイ派による批判→ローマ帝国の総督ピラトにより処刑→唯一神の子イエスの復活の信仰→使徒による布教→ローマ帝国による迫害→公認と国教化 「新約聖書」
【イスラーム教】
メッカの商人ムハンマド・・・ユダヤ教・キリスト教の影響を受け唯一神アッラーに帰依するイスラーム教を創始→メッカの支配層から迫害→ヒジュラ→メッカ回復
ムハンマドの死後、正統カリフ時代にイスラーム教は拡大・・・啓典の民
         
【私の解答例】
モーセに率いられてエジプトを脱出したヘブライ人は、唯一神ヤハウェと契約を結び、パレスチナにヘブライ王国をたてた。ダヴィデ、ソロモン王の時期に全盛期を迎えたものの、王国は分裂し、このうちユダ王国は前6世紀に新バビロニア王国に滅ぼされ、バビロン捕囚が起こった。解放後パレスチナに戻ったヘブライ人は選民思想と律法主義を特色とし、「旧約聖書」を聖典とするユダヤ教を形成した。後1世紀、ローマ帝国支配下のパレスチナで、ユダヤ教の律法主義を批判したのがイエスである。普遍的な神の愛と隣人愛を説いた彼は、メシアとみなされたものの、律法を重視するパリサイ派の反感を買い、総督ピラトにより処刑された。しかし唯一神の子イエスの復活を信じる人々により、「旧約聖書」に加えて「新約聖書」を聖典とするキリスト教が形成され、ローマ帝国領に広がった。当初は迫害されたが4世紀初めに公認され、さらに帝国の国教となった。7世紀、アラビア半島のメッカに生まれたムハンマドは、ユダヤ教・キリスト教の影響を受けて、唯一神アッラーへの絶対的帰依を説くイスラーム教を創始した。迫害を受けた彼は、622年にメディナへヒジュラを行い、宗教共同体を形成した。イスラーム教は、「旧約聖書」「新約聖書」も「コーラン」に先んじた預言の書とし、両教徒は「啓典の民」として一定の条件の下、信仰が認められた。

 ユダヤ教のヤハウェ、イエスの父、イスラーム教のアッラーはいずれも同一であることは知っておいた方がよい。元国連事務総長のブトロス=ガーリ氏(任1992-96)はエジプト出身でキリスト教徒(コプト正教会)であるが、母語はアラビア語であり、自らの神を呼ぶときには「アッラー」の呼称を用いた。彼の名「ブトロス」は、十二使徒の一人であるペトロのことである。


 今年の九大世界史は[1]よりも[2]の方が興味深かった。イングランド~イギリス国王の紋章を使った問題である。『週刊朝日百科 世界の歴史』で森護さんによる英国王の紋章の解説を読んで以来紋章(the coat of arms)に興味を持ち、20年くらい前から百年戦争の授業で紋章を使っている[http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/monsyou.html]。3年ほど前には、NHK「ファミリーヒストリー」のプロデューサーという方から「イギリス東部のNorwich(ノリッジ)という地域のイングロットINGLOTT家の紋章を解読して欲しい」という依頼があった。番組を見ていないが、いったい誰のファミリーヒストリーだったのだろう。

[2]の問1
 西欧では、おおよそ12世紀を通じて次第に紋章が確立し、その後現在に至るまで、王家をはじめとする家系や団体等において使用され続けている。資料1の図像(リチャード1世、ヘンリー4世、ジェームズ1世、ジョージ1世、ヴィクトリア女王のそれぞれの紋章)を解説しながら、それぞれの王の系譜、統治の意識について、260字以内で述べなさい。

この問題に対する各予備校の解答例、私の評価
 1位:代ゼミ
 2位:駿台予備校
 3位:河合塾
 河合塾の解答例からは「統治の意識」が読み取れないので、最下位。代ゼミを1位とした理由は、
 ①アイルランド王の紋章について、ジェームズ1世とジョージ1世の違いに触れている
 ②ヴィクトリア女王の紋章に対する説明が、駿台よりも明確である
の2点による。

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今年の東大の問題 [大学受験]

【第1問】  近現代の社会が直面した大きな課題は、性別による差異や差別をどうとらえるかであった。18世紀以降、欧米を中心に啓蒙思想が広がり、国民主権を基礎とする国家の形成が求められたが、女性は参政権を付与されず、政治から排除された。学問や芸術、社会活動など、女性が社会で活躍する事例も多かったが、家庭内や賃労働の現場では、性別による差別は残存し、強まることもあった。  このような状況の中で、19世紀を通じて高まりを見せたのが、女性参政権獲得運動である。男性の普通選挙要求とも並行して進められたこの運動が成果をあげたのは、19世紀末以降であった。国や地域によって時期は異なっていたが、ニュージーランドやオーストラリアでは19世紀末から20世紀初頭に、フランスや日本では第二次世界大戦末期以降に女性参政権が認められた。とはいえ、参政権獲得によって、女性の権利や地位の平等が実現したわけではなかった。その後、20世紀後半には、根強い社会的差別や抑圧からの解放を目指す運動が繰り広げられていくことになる。  以上のことを踏まえ、19~20世紀の男性中心の社会の中で活躍した女性について、また女性参政権獲得の歩みや女性解放運動について、具体的に記述しなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
キュリー(マリー)  産業革命  女性差別撤廃条約(1979)  人権宣言  総力戦  第4次選挙法改正(1918)  ナイティンゲール フェミニズム




 要求は「19~20世紀の男性中心の社会の中で活躍した女性について」と「女性参政権獲得の歩みや女性解放運動について」具体的に記述すること。中谷臣先生の『世界史論述練習帳』にあるように、「要求されたことは目一杯書く、それ以外は書かない」。したがって、要求へ指定語句を(時には力業ででも)結びつけていく。
 駿台の解答例のように「人権宣言」の語句を肯定的に使うことには疑問を感じる。世界史Aの教科書にも載っているグージュの活動を見れば明らか。裏技的だが、代ゼミの解答例のように「世界人権宣言に男女の同権が盛り込まれたが、実態として女性の社会進出は途上であった」としたほうがずっといい。リード文に「学問や芸術、社会活動など、女性が社会で活躍する事例も多かったが、家庭内や賃労働の現場では、性別による差別は残存し、強まることもあった」とあることから、ナイティンゲールやキュリー夫人も、肯定的には使わなかった。『世界史論述練習帳』にあるように、「課題に合致するデータを集めてくる」べき。
 「産業革命」と女性の地位との関係は、昨年実施された大学入学共通テストのプレテスト問題24が参考になる。[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-12-09]
 「フェミニズム」は、駿台の分析にもあるように「ウーマンリブ」と同義語で使うのが書きやすいが、本来ウーマンリブはフェミニズムの一形態であり、各社の資料集に載っているメアリ=ウルストンクラフトやグージュもフェミニストである。



【私の解答例】
女性参政権は近代に入っても認められず、フランス革命の人権宣言は普遍的人権を主張したものの、その対象は男性のみで女性は除外されていたため、フェミニズムが高まった。また産業革命で固定化した職住分離は良妻賢母の専業主婦を理想像とし、一方で女性労働者の賃金は低く抑えられていたため、19世紀前半まで女性の社会的地位は低かった。クリミア戦争で傷病兵の看護に従事し、近代看護学の基礎を築いたとされるナイティンゲールの活躍も、女性の政治的権利の向上には寄与しなかった。こうした状況に変化をもたらしたのは、第一次世界大戦である。第一次世界大戦は総力戦となったため女性の労働力は重要性を増し、このため女性の社会的地位は向上した。女性初のノーベル賞を受賞したキュリー(マリー)も、積極的に戦争に協力した。こうした動きは女性の参政権獲得に道を開き、イギリスでは第4次選挙法改正(1918)で初めて女性参政権が認められ、アメリカでも第一次世界大戦後に認められた。しかし性差による女性への社会的な差別は依然として続いたため、1960年代後半からベトナム反戦運動や公民権運動と並んで、女性を社会的差別から解放しようとするウーマンリブが世界的に広がった。女性差別撤廃条約(1979)はその成果の一つであり、近年ではジェンダーに対する意識も進んでいるが、イスラーム世界など女性の法的地位が男性よりも低い地域もなお残存している。


 一昨年10月、私が2年生の世界史Aでグージュを使って行ったフランス革命の授業の概要は、高大連携歴史教育研究会第二部会の教材共有サイト[https://sites.google.com/site/dai2bukai4all/home]の「ジェンダー史」の項目にアップしてある。


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大学入学共通テスト(世界史) プレテスト [大学受験]

 現在のセンター試験は2020年から「大学入学共通テスト」に移行する。11月中旬から下旬にかけて試行調査(プレテスト)が行われ、先日問題と採点結果の速報が公開された。問題数は36で現行のセンター試験と同じだが、印象は大きく異なっていた。

 問い方では、 問題番号3の「下線部②の説について、どのような根拠が想定できるか。想定できる根拠として適当でないものを選べ」という設問が目をまず引く。また、3人の会話文から「①伸之が誤っている ②エレーナが誤っている ③ひとみが誤っている ④全員正しい」という選択肢がつくられているのも面白い(問題番号8)。この問い方だと、「①○○が正しい....④全員誤っている」という問い方も可能となる。その他4つの短文から正しいもの2つの組み合わせを選ぶという形式(問題番号21・24)もこれまでにない問い方であり、センター試験ではおなじみの年代整序問題も、絵画資料を使った新しい問い方であった(問題番号14)。絵画資料につけられた説明には歴史用語を一切使用せず、図版による看図アプローチで情報を補うという問い方であり、絵画資料そのものを問題とした問題番号5ともども、興味深い問題であった。公平を期すためには、使用する図版には注意を払う必要がある。しかし、これまでセンター試験で使われた図版には問題そのものとはあまり関係ない資料が多かったので、絵画資料そのものが問題と直結している点は評価したい。 2016年世界史Bではホルバインが描いたエラスムスの絵を使った問題が出題されていたので、このような問題はセンター試験でも出題されるのではないだろうか。

 会話文を使った問題も多かったが、中でも問題番号9は会話文と統計資料がヒントとして生かされており、よい問題である(ただし正答率は19.8%と低かった)。会話文には、外国ルーツと思われる生徒も登場しており、よく配慮されていた。グラフをはじめとした資料が多く提示されているのも大きな特徴であったが、折れ線グラフも現行センター試験のように「年号でなんとかなる」という問題ではなく、中国の人口動態の折れ線グラフで人口が増加している時期が二つ示され、それぞれの時期で人口増加した正しい理由を説明している組み合わせを選ばせるという、思考力を必要とする問題であった。系図を用いた問題番号21の正答率は45.4%とやや低かったが、これはある程度の知識も必要とするため、知識と読み取りを組みあわせることが難しかったと思われる。これまで系図そのものが問題となったのは、共通一次時代(84年本試験)にモンゴル帝国の系図が出題されたが、系図の一部が空欄となっており、そこにはいる人名を答えるというものであった。こうした問題を体験してきた世代としては、今回のプレテストは隔世の感がある。

その他、印象に残った問題は以下の通り。
・問題番号4・6:長い資料文である。読み取れる内容を答える文としては、1988年12月に実施されたセンター試験試行問題で孟子を扱った問題が出題されたことがあったが、今回の試行問題の方がやや難しかった。問題番号6の正答率は48.2%。
・問題番号18:上位概念を問う問題として、評価できる問題。しかし正答率は17.1%と最も低い。こうした問題は重要だと思うのだが。
・問題番号22:ジャガイモ飢饉が題材となっている。今でこそジャガイモ飢饉という語句は『世界史用語集』にも載っているが、私がジャガイモ飢饉のことを初めて知ったのは1995年の東大第3問で、『旺文社全国大学入試問題』の解答例では「じゃがいも疫病による大飢饉」となっていた。その後2003年の千葉大で論述問題の指定語句となり、2007年の東大第1問でも、指定語句に準じる扱いになった。2007年の東大第1問では、「アイルランド」「穀物法」が指定語句になっているが、ジャガイモ飢饉と穀物法の関係で面白い文章を読んだことがある。ジャガイモ飢饉に対して当時のピール内閣は米国からトウモロコシを輸入して対応しようとしたが、穀物法によってそれが難しかったため、廃止の機運が盛りがったという。だたし、その頃のアイルランドの農民たちはトウモロコシを粉に挽く手段がなかったため、トウモロコシは飢饉を救うことができなかったらしい。
・問題番号24:ヴィクトリア女王一家の肖像を見て、「この肖像画の背景には、女性が良き妻・母であることを理想とする家族観があると考えられる」という文章の正誤を判断する問題。19世紀ヨーロッパの家族観については、これまでにも出題されたことがあるが(1998年度 本試験 世界史A 第2問C)、絵画を使用して精神的な部分を読み取らせる点が斬新である。この問題で使われているヴィクトリア女王一家の肖像画(ヴィンターハルター作「1846年のロイヤル=ファミリー」)は、2013年世界史B本試(第4問C)にも使用された。ヴィクトリア時代のイメージ戦略という観点は同じだが、2013年センターではリード文に「女王は「貞淑な妻」「慈悲深い母」を演じた」という説明があり、解答そのものに関わる扱いではなかった。これまでのセンター試験と新テストとの違いを考える上で、よい比較となる問題である。
・問題番号25:センテンスを完成させる問題も、論理的な説明という点で評価できる。

 短期間でよくこれだけの問題をつくりあげたものだと感服する。作成担当の方々には、本当に大変なご苦労があったと拝察する。
 知識を活用した上で判断するという作業が必要なため、解答には現行のセンター試験よりも多くの時間が必要だったと思われる。面倒くさく感じた受験生も少なくなかったのではないだろうか。



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今年の慶應義塾大学(商学部)の問題 [大学受験]

 『地域から考える世界史』(勉誠出版)で私が紹介している女性は、慶應義塾大学に進学した。慶大商学部の入試で今年出題された問題は、これからの入試問題を考える上で注目したい問題であった。

 人口減少社会に突入した日本にとって移民とどう向き合うかは喫緊の課題といえる。日本への移民受け入れに関して留意すべき点について、本文の内容を踏まえて、50字以内で述べなさい。ただし、本文中に登場する「摩擦」、「労働力不足」、「共生社会」の3語を必ず用いること。

 もちろん、世界史の問題である。「人口減少社会に突入した日本」という言葉があるので、「受け入れる」という前提で考えていきたい。

少子化による労働力不足を補うため移民を受け入れるには、摩擦を克服して多文化共生社会目指すことが重要。 50字

これから考えていかなければならないのは、どうすれば摩擦を克服できるかということ。
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センター世界史雑感 [大学受験]

 大学の歴史学の先生が「高校歴史が嫌われる理由の一つは、受験勉強のコスパが悪いこと」とコメントしていたが、正直そのとおりだと思う。中でも世界史Aは地歴科目の中で、総合的に最もコスパが悪い。熊本大学の場合、理系と教育学部は地歴A科目でも受験できるが、文学部と法学部はA科目不可である(教育学部でも社会専攻はB指定でいいと思うのだが)。鹿児島大学も同様で、法文学部はB科目のみである。このように「A科目では受験できない場合がある」となれば、A科目受験者が少ないのは当然であり、なかでも世界史Aのセンター試験受験者数は例年最下位争いをしている。今年(平成29年度)の世界史A受験者は、英語以外の外国語を除けば最少であった。

 4単位標準の世界史Bに比べて、2単位標準の世界史Aの難易度が低いかと言われれば、確かに難易度は低い。が、桁違いにやさしいというわけではない。世界史Aで高得点がとれる受験生は、Bで受験してもある程度の点数をとれる受験生だろう。おまけに受験生が少ないため、対策用の問題集もほとんどない。本試験の解説が旺文社の『大学入試問題正解 世界史』に掲載されるくらい。

 しかし、センター世界史Aは様々な点で頑張っていると思う。以前はBと共通問題があったが、最近はまったく見られない。「世界史Aは世界史Bの内容を薄めたものではない」という意見(確か歴教協?)も読んだ記憶があるが、(現場の実際の感覚はともかく)確かにその通りで、その点からすればAB共通問題がないのは、あるべき姿だと感じている。

世界史Aにはハッとする問題もあり、中でも特に印象に残っているのは、次の3つ。
(1) 鉄道の営業キロ数を示したグラフを使った問題
    http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-08-08
    (1999年度 本試験)
(2) 産業革命における綿織物のイノベーション
    http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-06-12
(2001年度 追試験)
(3)下線部⑧の時期(20世紀後半)の時期の科学や文化について述べた文として正しいものを、次の①~④から一つ選べ。
  ① ビートルズの音楽が流行した。
  ② レントゲンが、X線を発見した。
  ③ ゲーテが、文学者として活躍した。
  ④ ピカソが、「ゲルニカ」を描いた。
(2014年度 本試験)

「SENSEI NOTE」という教員向けSNSで「世界史Bの授業進度」というトピが立った時、高校で世界史を教えている教員でも世界史Aのセンター試験を見たことがない人がいるということでちょっと驚いたが、よく考えてみると確かにそうかもしれない。かつてセンター試験の会場では、問題冊子をもらうことができたため、世界史Aの問題をその日のうちに見ることが可能であった。しかしいまは配布がないため、大学入試センターのウェブサイトにアップされるのを待つしかない。B問題は各予備校が速報でアップしてくれるが、A問題をアップしてくれるところはほとんどない。

 そうした厳しい状況の中で、ベネッセ・駿台マークは唯一世界史Aの模試問題を作成しており、本当に頭が下がる。今年の11月マークもよくできた問題だった。年表を使った問題、地図を使った問題、グラフを使った問題いずれもセンター試験世界史Aレベルと形式をしっかりと踏まえた問題であった。

 世界史Aに限った話ではないが、模試と本番の問題で一番大きな差を感じるのは、リード文と資料である。リード文で印象に残っているのは、2006年本試験におけるAB共通問題の『千夜一夜物語』のリード文と、翌2007年世界史B本試験で紹介された中国の秘密結社「紅灯照」を紹介したリード文である。いずれも、「もっと知りたい」と思わされる文章であった。「リード文と設問の関係が薄い」と批判する意見も散見されたが、こうした専門性が高いリード文と関係が深い設問を作ろうとすると、設問の難易度が上がってしまい、また出題できる問題の内容も限定的になってしまう。結果としてセンター試験そのものの趣旨にそぐわない問題になってしまう可能性もあり、妥協は致し方ないと感じる。

 資料については、「アジア向け艤装船舶数の推移」(2016年世界史B本試 http://zep.blog.so-net.ne.jp/2016-01-27 )、「15~20世紀の植民地数の増減」(2017年世界史A本試)、「1921年~2001年のポーランドとハンガリーの小麦生産量の推移」(2017年世界史A追試)など、よくもまぁこんな統計資料を見つけてくるものだと感心する。これらの資料がすぐれているのは、より深い学習が可能となる点である。「15~20世紀の植民地数の増減」については、「植民地の数よりも、面積を示すほうがよいのではないか」という意見があったが、私はそうは思わない。確かに、宗主国側の視点では面積の方が重要かもしれないが、植民地側からすれば独立することのほうが重要だろう。このグラフだからこそ、植民地数の減少=独立国の増加という点が読み取りやすい。「19世紀はじめに独立した国が増えた背景」や「帝国主義の時代」を感じさせるよい資料だと思う。「1921年~2001年のポーランドとハンガリーの小麦生産量の推移」については、「冷戦の終結後、ポーランドがハンガリーを、生産高で常に上回っている」のはなぜだろうという疑問が出てくるが、農業中心のポーランドと工業にシフトしたハンガリーの違いという理解でよいのだろうか?

 いつも言ってることだが、やはりセンター試験の過去問は何度解いてもいいと思う。
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2015-12-28
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『ひと目でわかる茂木誠の世界史ノート』と『カリスマ講師の日本一成績が上がる魔法の世界史ノート』 [大学受験]

 世界史の教師として、自分の授業を受ける生徒にはどんなノートをつくって欲しいか。教師それぞれに理想のノートがあるだろうし、生徒自身にもあうorあわないがあるようだ。学年が上がって担当者が代わり、板書の形式が変わると、最初は慣れない生徒が出てくるものだ。また自分で工夫して作っている生徒も少なくない。「勉強ノート公開アプリ」の「Clear」で試しに「詳説世界史」を検索すると、高校生によるいいノートがたくさん出てきて、見ててとても楽しい。「神ノート職人」として有名な「みいこ」さんの世界史ノートも公開されている。
https://www.clearnotebooks.com/ja/notebooks/grade/senior-high?utf8=%E2%9C%93&q=%E8%A9%B3%E8%AA%AC%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2

 初任から3年間は板書でやっていたが、エピソードやプラスαを紹介したいのと、地図を黒板に書くのがたいへんなので現在も穴埋め式のプリントを使っている。例えば「"敵の味方"は敵?それとも味方?」という話で、日露戦争中の1904年、ロシアの同盟国のフランスと日本の同盟国のイギリスが英仏協商を結んだ背景と、日露戦争前後の国際関係の変化を関係づけて説明する場合、板書だけで生徒へ問いかけるとなると、かなり難しい。生徒の書く時間を考慮すると、プリントの方が「無難」だと感じている。もちろん、授業者それぞれだろうけど。
 
 私を含め、授業で穴埋め式プリントを使っている世界史の教師は多いと思う。ネット上には多くの先生方が自分のノート(穴埋めプリント形式を含む)を公開しており、中にはPDFでDL&印刷可能というテキストまで公開されているサイトもある。しかし、どれがいいかとなるとなかなか難しい。自分のノートを公開している先生方はいずれも自信があるから公開しているのだから、それぞれに素晴らしいものばかりである。このことは、世界史の場合だと一定の経験と向学心がある先生がつくったノートであれば、顕著な差は見られないということも意味している。九州高等学校歴史教育研究協議会(九歴協)では、『世界史要点ノート』という、授業で使ってもらうことを想定した教材をつくっているが、それなりに需要がある。このことは、世界史の場合「少々のことに目をつぶれば、他の教師が作ったノートでも、まぁOK」ということを示している。九歴協では私も『世界史A要点ノート』と『センター世界史』の作成に関わった。それぞれ4人程度で分担して作成したが、編集会議で各自が持ち寄った原稿を検討してみると、作成者による差異はあまり感じられなかった。ただ校種による工夫が必要なのは当然で、専門高校に通った次男と私立中高一貫に通った三男の中学生用世界史のノートを見せてもらったが、それぞれに参考になった。
 一番の問題は、「どこまで触れるか」という内容面でのレベル的な問題だろう。「基本センター試験まで、プラス関関同立」というレベルであれば特に問題ないが、これを超えるレベルを目指す生徒がクラスの半分以上いる場合は厄介である。以前勤務した学校では、世界史を受験に使わない生徒から東大を目指す生徒まで同じクラスに混在していたこともあり、結構苦労したものだ。九歴協の『世界史要点ノート』では、一応の対応策として「応用編」(253㌻)と「標準編」(191㌻)という2種を作成している。


 私が実際に購入した世界史ノートは下の2冊。
 ・『ひと目でわかる茂木誠の世界史ノート』(KADOKAWA)
 ・『カリスマ講師の日本一成績が上がる魔法の世界史ノート』(中経出版)

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 まず茂木誠先生(駿台予備校)のノートから。穴埋め形式で、基本的には事項と流れを確認する復習用に使うのがいいだろう。片側1ページが時系列の「年表プリント」で重要事項の確認、プラス地図や補足解説からなる「資料プリント」という構成。全122テーマからなり、センター試験レベルとしては十分。それぞれのテーマもうまくまとめてあり、山川出版社の『詳説世界史ノート』など教科書準拠の網羅的なノートに比べれば、うまく取捨選択&再構成されている。受験生だけでなく、世界史で教員採用を受けようという方が使うにも適しているように感じるが、現在手持ちの穴埋め式ノートがあるならばあえて買い直す必要はない。
 私が持っているのは2016年発行の旧判で、2017年には改訂版が発行されている。どうやら旧版では第20章と21章との間にあるべき「世界恐慌~第二次世界大戦」がまるまる抜け落ちていたようだ。茂木先生のサイト「もぎせか資料館」では、その差分がDL出来るようになっている。同サイトでDLできるプリントは、図版などが増えており改訂版だと思われる。DL版は空欄の解答がまとまったページに掲載されているが、復習用として使うなら、旧版のようにページ下にあるほうが勉強しやすいように思う。
 旧版では「第7章:近現代のアジア・アフリカ」というタイトルにもかかわらず、第7章にはアフリカが一切見あたらず、「第8章:第二次世界大戦後の世界」の中の「現代の中東・アフリカ・中南米」に「近代以前のアフリカ」「アフリカの独立」というテーマが含まれるなど構成にも難が見られたが、「もぎせか資料館」のDL版を見る限り、改訂版では解消されているようだ。

 もう一冊『カリスマ講師の世界史ノート』は、佐藤幸夫先生(代々木ゼミナール)によるもの。「佐藤先生の板書を受講生が実際に書き写したノート」が元ネタ。出版に際してノート部分は手書きで書き直したそうだが、凄い板書である。この地図も実際に手書き板書しているのだろうか....たぶんそうだろう。脱帽。
 メインは板書再現ノートの写真で、プラス下段四分の一ほどが解説。したがって、ノートというよりも参考書という側面が強い。板書なので、プリントみたいに全部を書き出すことは不可能だから、解説がないとノート部分だけで流れを理解するのは難しいと感じる。「入試のエキス」や「ノートのスパイス」といったコラムも充実しており、全80テーマ。短期決戦で流れを頭にたたき込みたい人にはオススメ...と言いたいところだが、ノート部分は手書き文字のうえ色がたくさん使われていて、かなり見づらい(私の老眼のせいかもしれないが)。 受験生向けと言うよりも、板書の方法と流れのまとめ方を勉強したい世界史教師向けという気がする。

 ちなみに私が見た世界史の板書で一番スゴイと思ったのは、元代ゼミの世界史担当だった岩田秀全先生。かつて見た「一橋大必勝特別セミナー」での板書は、もはや芸術だった。現在は大学で教鞭を執っておられるようだ。


改訂版 ひと目でわかる 茂木誠の世界史ノート

改訂版 ひと目でわかる 茂木誠の世界史ノート

  • 作者: 茂木誠
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/08/19
  • メディア: 単行本



カリスマ講師の 日本一成績が上がる魔法の世界史ノート

カリスマ講師の 日本一成績が上がる魔法の世界史ノート

  • 作者: 佐藤 幸夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
  • 発売日: 2013/06/14
  • メディア: 単行本



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今年気になった問題~北海道大学 [大学受験]

 カリブ海地域には、主として( E )が商品作物として導入され、原生林が切り開かれてプランテーションに変わり、隣接する製造工場での新需要によっても森林の伐採が進んだ。それは(5)大土地所有制と奴隷制を促進した農作物であったといわれる。イギリスが支配したインドでも、19世紀前半のナポレオン戦争の時代には海軍の艦船建造のため、19世紀後半以降は(6)鉄道建設にともなう枕木の大量需要のため森林の乱伐が進み、ヨーロッパで行われてきた森林保護政策が導入されはじめた。
問6 下線部(5)について、(ア)17世紀前半からスペイン植民地で広がった大土地所有制の名称を答えなさい。また(イ)その農業経営の特徴を簡潔に説明しなさい。
問7 下線部(6)について、経済史的な観点から、帝国主義時代のイギリスによるインドでの鉄道建設の歴史的意義を論じなさい。


問6 アシエンダ制は山川の『世界史用語集』をみると2008年版で④、2015年版では③。地理の用語集では④である。世界史の東京書籍の教科書に詳しい記述がある。「スペインの植民地では、17世紀前半から、アシエンダ制とよばれる大土地所有にもとづく農園経営が広がり、大農園主は負債を負った農民(ペオン)を使って、農業や牧畜を営んだ。17世紀半ばから銀の生産が減少に向かって、交易がおとろえると、アシエンダ制はいっそう拡大した。」(H28年度用・東京書籍『世界史B』219㌻)

問7 河合の分析にあるように、題意を正確に読み取ることが難しい。
各予備校による解答例は以下の通り。
【駿台予備校の解答】
イギリス本国からの綿織物が送られた港と、市場や茶・綿花などの原料生産地とをつなぎ、本国への経済的従属が強化されるとともに、鉄道建設が本国の安定した利潤を生んだことから、中東・中国で鉄道利権の獲得競争が展開された。
【河合塾の解答】
インドは茶・コーヒー・綿花などの商品作物の供給地やイギリス産綿製品の市場となった。それらの商品作物や綿製品を大量かつ速やかに運ぶために鉄道が建設され、その結果、インドはイギリスを中心とする世界経済に組み込まれていった。
【代ゼミの解答】
内陸部で生産される綿花などの工業原料の運搬や、本国の投資家に経済的利益をもたらす投資を目的に建設され、インドはイギリスによって世界的な経済体制に組み込まれた。

 駿台については「インドでの鉄道建設の歴史的意義」に「中東・中国で鉄道利権の獲得競争が展開された」という事項が妥当かどうか。河合塾については、インドの商品作物として「コーヒー」をあげることが妥当かどうか。

 中谷臣先生の『世界史論述練習帳』に書かれているように、意義とはプラス評価であるのが原則。インドはイギリスによって世界経済に組み込まれていったという記述は、あまりプラスらしくないが、ではプラス評価として書ける内容があるかどうか。

 インドにおける鉄道については浜島書店の資料集『アカデミア』にダージリン・ヒマラヤ鉄道の写真と説明が掲載されていたが、吉岡昭彦『インドとイギリス』(岩波新書)には次のような記述がある。
イギリスは19世紀後半、インドに鉄道・通信網を整備し、20世紀初頭には鉄道キロ数が4万キロにも達した。軍事費・一般行政費など統治の費用はもとより、この鉄道敷設の費用なども結局はインドでの徴税収入によってまかなわれ、それによって得られる利益は逆にほとんどイギリス人のものとされた。インドの鉄道では、イギリスやヨーロッパ大陸に輸出される商品、たとえば小麦、油種、米などは飢饉のときの救済物資と同じように割引運賃が適用された。さちに重要なことは、内陸部から港への、逆に港から内陸部への貨物輸送料金は、内陸部相互間の料金よりも割安になっていた。このことがなにを意味するかはいうまでもない。それは、食糧や原料の輸出と外国製品の輸入とを促進し、逆に、インド国内における商品交換の拡大、国内市場の統一をさまたげ、さらにインド工業の発展をもおくらせることになる。貴重な原料や食糧は、高い世界市場価格にひかれながら、あたかも水が低きにつくがごとく、港湾都市へ流れてゆくことになり、インド国内にとどまろうとしない。第一次世界大戦後、ようやぐインドの工業化が問題になったとき、この鉄道運賃差別制度が批判の的になったが、事態はたいして改善されなかった。こうして、鉄道運賃政策もまた、インドをいつまでも後進的な農業国、食糧・原料輸出国、工業製品輸入国にとどめておく役割を果たした。

実際インドにおける鉄道の普及はめざましく、 1999年度のセンター試験世界史A(本試) 第4問Bには、次のような問題がある。

次の図は国別の鉄道営業キロ数を示したものである。国名a~cの組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。(次の選択肢のインドは、英領インドのことである。)
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① a―イギリス  b―インド   c―アメリカ
② a―イギリス  b―アメリカ  c―インド
③ a―アメリカ  b―イギリス  c―インド
④ a―アメリカ  b―インド   c―イギリス


 かつてインドの鉄道は線路の幅(ゲージ)が混在しており、、デカン高原で収穫された綿花を産地から海岸の積み出し港まで輸送するに際しては、綿花を貨車に積んでも、ゲージが変わるごとに貨車から貨車へと綿花を積み替えることが必要となったという(井上勇一『鉄道ゲージが変えた現代史』中公新書) 。
こうした事情を考えると、「帝国主義時代のイギリスによるインドでの鉄道建設の歴史的意義」として、インド側から見た意義は書きづらい。代ゼミの解答例がいちばん良さそうだが、問題の「歴史的意義」という表現があまりよくなかったような気がする。
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今年の九州大の問題 [大学受験]

 軍事・政治・行政・財政の中心である帝国の首都は、多くの人を引き寄せる求心力をもつと同時に、一大消費地を形成する。そして、その立地、及びそれを中心とする交通・輸送網は、帝国の経済・商業に大きく影響を与えることとなる。また、逆の視点からみれば、その立地は、当時の政治や経済などの状況によって大きく規定されていたともいってよい。中国を支配した歴代王朝の首都もその例にもれず、その歴史変動に呼応して変遷してきた。
 以上を踏まえ、6世紀末から14世紀の中国における、諸王朝の首都の立地、それを中心とする交通・輸送網と経済・商業との関係について、500字以内で論述しなさい。なお下記のキーワードを一度は使用し、下に波線を付すこと。
【キーワード】
 泉州  ソグド人  海運  江南  モンゴル高原  ムスリム  臨安
 黄河  揚州  華北




6世紀末から14世紀・・・・隋・唐・五代・宋・元・明
隋:大興城 江南と華北を結ぶ大運河を建設 西周以来政治の中心であった渭水盆地 渭水と黄河を結ぶ水運の発達
唐:長安 東西交流の活発化により国際都市 モンゴル高原の突厥がソグド人の交易を保護 政治都市の長安に対し、ムスリム商人の来航により揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展
五代~北宋:開封(黄河と大運河の結節点:経済的比重の増大) 水路を通じて中国の東西南北を結びつける商業網の中枢
南宋:臨安 江南の開発が進む→中国経済の中心は長安を中心とする西北地域から東南地域へ移動
元:大都 ユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点 新運河を開削し江南と大都を結ぶ
明:南京 経済が発達した長江流域に都を置く


【最初につくった答案】
6世紀末に中国を統一した隋は、都を西周以来政治の中心であった渭水盆地の大興城に置いた。渭水と黄河を結ぶ水運が発達する一方、隋は大運河を建設し、経済的に発展した江南と渭水盆地を結びつけた。続く唐の都長安は大興城と同じ場所に位置し、東西交流の活発化によって国際色豊かな都市となった。西方のソグド人はモンゴル高原の突厥の保護を受けて長安を訪れ、陸路の東西交易を活発に行った。一方で海上交易も活発化し、ムスリム商人の来航により揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展した。唐滅亡後の五代から北宋の時代は、黄河と大運河の結節点である開封に都が置かれた。このことは、首都機能として政治・軍事的な役割よりも経済的な役割が重要となったことを意味している。12世紀、金の侵入によって北宋が滅亡し、臨安を都に南宋が成立した。臨安は大運河の南端である杭州にあたり、江南の経済拠点である。この結果江南の開発は一層進み、中国経済の中心は長安を中心とする中国西北から東南地域に移動した。モンゴル人王朝の元は交通を重視し、フビライが建設した都の大都は、ユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点 として機能した。元では江南と大都を結ぶ新運河も開削され、南北を結ぶ流通も活発であった。14世紀後半に成立した明は、建国当初、経済が発達した長江流域の南京に都をおいた。長江下流域に都をおいて中国全土を支配した王朝は、明が最初である。

600文字と大きく字数オーバー。大失敗。
「長江下流域に都をおいて中国全土を支配した王朝は、明が最初である。」という一文は、私が好きな山川の教科書『新世界史』のコラム「南京と北京」から頂いた文章。


【修正】
6世紀末に中国を統一した隋は、都を西周以来政治の中心であった渭水盆地の大興城に置いた。隋は大運河を建設し、経済的に発展した江南と渭水盆地を結びつけた。続く唐の都長安は国際色豊かな都市であり、西方のソグド人はモンゴル高原の突厥の保護を受けて長安を訪れ、陸路の東西交易を活発に行った。一方で海上交易も活発化し、ムスリム商人の来航によって揚州・広州など華中・華南の港町が経済都市として発展した。五代から北宋の時代は、黄河と大運河の結節点である開封に都が置かれ、首都の機能として経済的な役割が重視されるようになった。12世紀、南宋が都を置いた臨安は、大運河の南端である杭州にあたり、江南の経済拠点である。この結果江南の開発は一層進み、中国経済の中心は長安を中心とする中国西北から東南地域に移動した。モンゴル人王朝の元は交通を重視し、都の大都はユーラシアの東西を結ぶ陸上交通・海運の拠点として機能した。元では江南と大都を結ぶ新運河も開削され、南北を結ぶ流通も活発であった。14世紀後半に成立した明は、経済が発達した長江流域の南京に都をおいた。長江下流域に都をおいて中国全土を支配した初めての王朝である。(494字)


 迷ったのは「モンゴル高原」の使い方。最初は「カラコルム」で大モンゴル帝国の首都につなげようかと思ったが、大モンゴル帝国はウルスという政治集団にもとづく独特な国家形態をとるので他の中国王朝とは同列に語れそうもない、と感じたので今回は別の使い方。出題者に、「モンゴル高原」をキーワードにした意図を尋ねてみたい。

 九大の問題で目を引いたのは、〔2〕の問題。14~15世紀のイングランドにおける4つの統計資料(人口、賃金、小麦価格、輸出)を見て変化を読み取り、背景を考えるという問題。高大接続システム改革会議による「大学入学希望者学力評価テスト」を思い出す問題だった。高校の授業でも使える良問だったと思う。

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今年の東大の問題 [大学受験]

【第一問】  「帝国」は、今日において現代世界を分析する言葉として用いられることがある。「古代帝国」はその原型として着目され、各地に成立した「帝国」の類似点をもとに、古代社会の法則的な発展がしばしば議論されてきた。しかしながら、それぞれの地域社会がたどった歴史的な展開はひとつの法則の枠組みに収まらず、「帝国」統治者の呼び名が登場する経緯にも大きな違いがある。
 以上のことを踏まえて、前2世紀以後のローマ、および春秋時代以後の黄河・長江流域について、「古代帝国」が成立するまでのこれら二地域の社会変化を論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
漢字  私兵    諸侯     宗法
属州  第一人者  同盟市戦争  邑





 要求は、「古代帝国」が成立するまでの、地中海地域と黄河・長江流域の社会変化。「社会変化」なので、経済と政治両方書きたいところ。経済的変化が政治的変化をもたらしたという流れにもっていきたい。
ローマ・・・・都市国家の共和政から広大な領域国家の帝政へ変化
    属州から安価な穀物が流入したことで、中小農民が没落(経済)
     →内乱の一世紀(帝政準備の時期)
    同盟市戦争でローマの領域は拡大(政治)
    アクティウムの海戦以後、地中海全体を支配して領域はさらに拡大(政治)
    様々な民族を含んだ帝国全体をまとめる共通のローマ文化(文化)
    市民の第一人者として元老院と共同統治の姿勢を示す皇帝  
中国・・・・・・血縁に基づく分権的な封建制から官僚制に基づく集権的な郡県制へ変化
    鉄製農具や牛耕の普及で農業生産力が向上(経済)
     →氏族の統制はゆるみ、封建制度も崩壊(政治)
    王への権力集中が進み、戦国の七雄から秦が台頭し、中国を統一(政治)
    王以上の称号の必要性から生まれた皇帝

 「漢字」が指定語句なので、ローマ字もしくはラテン語も使いたい。


 駿台予備校が発表した「分析シート」の解説はとても詳しく、参考になった。特に「一見、京都大のような300字論述×2と思えるが、単純に帝政確立までの政治史を羅列する問題ではない。……どのような「社会的変化」が政治にいかなる影響を及ぼし、政治体制の変化の原因となったのか?という因果関係に留意をしながら論旨を展開することが求められているのだ。」という指摘は、なるほどと思える。東進の分析「指定語句の「宗法」・「邑」から,設問で要求されている春秋戦国時代以前の状況説明も求められていることを見抜きたい。」という的外れな分析とは雲泥の差。だいたい解答例を二つ発表するということ自体、予備校としての力のなさを示しているように感じられる。
「社会的変化」に関して、中谷臣先生のブログ『世界史教室』の2016年8月27日のエントリーを読んでいた人は、ピンと来たのでは?
駿台はセンター過去問の解説も、いちばんいいと思う(青い表紙の『センター試験過去問題集』)。

解答例をつくってみたものの、あまり自信はない....。
【解答例】
ローマでは、ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼした前2世紀以後、属州から安価な穀物が流入し始め、政治・軍事の担い手であった中小農民が没落した。この結果動揺した共和政を立て直すため実施されたグラックス兄弟の改革は失敗し、有力者が私兵を率いて争う内乱の一世紀となった。前1世紀初めには同盟市戦争がおこり、イタリア半島内の自由民に市民権が拡大されたが、この結果ローマは都市国家から半島全体の領域国家へと成長した。前1世紀後半、オクタヴィアヌスが地中海世界を統一してローマは多民族を含む帝国へと成長したが、共通語であるラテン語も帝国の統一に寄与した。また彼は元老院からアウグストゥスの称号を受け、事実上の帝政を始めたが、独裁を嫌うローマ市民に配慮し、市民の第一人者として元老院との共同統治という形式をとった。一方、黄河・長江流域では春秋時代以後、宗法にもとづく氏族の統制がゆるみ、氏族共同体が形成したも衰退したため血縁にもとづく封建制度は衰えた。さらに戦国時代にはいると有力諸侯が王を称し、自らに権力を集中させて富国強兵策をすすめた結果、戦国の七雄と呼ばれる七つの強国が並び立ち、互いに争った。この中から台頭した秦は他の6国を征服し、黄河から長江流域まで地域を統一した。秦王政は王に代わり皇帝を称し、郡県制にもとづく中央集権化を進めた。彼はそれまで地域ごとに異なっていた漢字も統一し、帝国の統一を進めた。(595文字)


「漢字」の語句は始皇帝の小篆から帝国の統一政策として使ってみたが、山川の『詳説世界史』の69㌻にある「中国文化圏の拡大と中国としての一体感」として使った方がいいかもしれない。駿台の分析で述べられている「この問題がなぜ中国という言葉を敢えて使わないか?」という点につながる。

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