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私が今住んでいる場所は、旧日本陸軍の施設の敷地だった [その他]

 今私が住んでいる所は「昔は軍の飛行場だった」とは耳にしていた。また一年ほど前、熊本日々新聞の「わたしを語る」で、日本舞踊家の藤間富士齋さんが「菊池の特攻基地にも慰問した」という記事を読んだこともあって、花房飛行場については関心をもっていた。そして今年の9月にこの飛行場で使われていた給水塔が、菊池市の有形文化財の指定を受けたということで、一度見てみたいと思っていたが、正確な場所が不明だった。折良く、地元の「花房飛行場の戦争遺産を未来に伝える会」の方々が、見学会を行うということで参加してきた。

 国道387号線をはさんで、東側が花房飛行場(正式には陸軍菊池飛行場)、西側が菊池通信教育隊の跡地である。驚いたのは、私が家を建てたところが飛行場ではなく、通信教育隊のもと敷地内で、家のすぐわきに教育隊基地のトイレがまだ残っていたこと。また以前から、不自然な場所に防火水槽がいくつもあることを訝しく思っていたのだが、これらはすべて教育隊の施設としてつくられたものであった。

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文化財に指定された給水塔。かつて花房台地の地下水を貯水していた。米軍の機銃掃射の痕が至る所に残っている。戦後は富の原地区に生活用水を供給し、なんと2007年まで使われていたという。案内をしていただいた菊池市立菊池南中学校の先生は、「子どもの頃はよく上って遊んでいた」という。現在は、毎日地元有志の方々が点検やパトロールを行っている。


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飛行機の格納庫のあと。至る所、機銃掃射の痕が生々しく確認できる。


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機銃掃射の痕。



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燃料倉庫。同行していただいた当時を知る方によれば、燃料はドラム缶で野積みだったので、弾薬庫だったのでないかという。最近まで住居兼倉庫として使用されていた。現在の所有権者が重機を使って解体を試みたが、あまりに頑丈で壊せなかったそうである。菊池川からとった石がコンクリートに混ぜられているとのこと。


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現在も倉庫として使用されているもと倉庫と、その中に残っている、当時のもと思われる書き込み。

 もと飛行場あとの地域では、至る所に当時のコンクリートが残っている。軍用で丈夫なため、除去できないらしい。もっとも最近は、アパートなどの建設で、なくなるものも多いとのことであった。


 給水塔が文化財指定を受けたことで、「平和と養生のまち」をテーマに地域づくりをしていきたいということである。先日地元の熊本日々新聞で紹介された、県立菊池高校の社会同好会も先生と生徒が参加していた。

 昨年大分県立博物館に行ったとき、宇佐市では掩体壕など戦争遺跡を保存する活動がさかんであるという話を学芸員の方からうかがった。私が住む地域でもそうした活動が行われており、自分が住む地域の歴史を目の当たりにすることができ、たいへん有意義であった。




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「地域」と世界史 [その他]

 先日『学生が語る 戦争・ジェンダー・地域』について書いたところ、福岡大学の星乃治彦先生から『「地域」(七隈・福岡・東アジア)と生きる福岡大学』を送っていただきました。この冊子は、総合科学研究チーム「グローバル化の中の『地域』」というプロジェクト[http://www.cis.fukuoka-u.ac.jp/~hoshisemi/Project/global.html]が主催した講演およびシンポジウムの記録です。福岡大学といういわば「地域」の大学が地元とどう関わっていくかを考えていこうという研究ですが、中でも「リージョナリズムとナショナリズム」という問題提起は重要だと思います。

 2008年の10月に刊行された本『歴史学のフロンティア』(大阪大学出版会)のサブタイトルが「地域から問い直す国民国家史観」となっていることが示すとおり、地域という概念がクローズアップされるようになった背景には、国民国家という概念が相対化されるようになったことがあるのでしょう。

 「地域」という言葉に反応したのは、山川出版社が発行している『歴史と地理』の今年の2月号(No.631)に紹介されている「地域から考える世界史」というプロジェクトに私も関わっているからです。「地域からの世界史」(この場合の世界史は、地理歴史科の中の科目としての世界史)で使うときの地域とは、『歴史学のフロンティア』でいわれている「ローカル」な地域に近いと私は考えています。なお『歴史学のフロンティア』では、グローバル→リージョナル→ナショナル→ローカルというとらえ方を提唱していますが、私のイメージでは「地域から考える世界史」というときには「ローカル」よりももうワンランク小さなイメージを持っています。

 南塚信吾先生は『世界史なんていらない?』(岩波ブックレット)の中で、世界史を構想するヒントとして「ミクロ地域からの世界史」を提唱していますが、イメージとしてはこれがいちばんしっくりきますね。ですから、星乃先生から送っていただいた冊子にある「『地域』は人の生きていくもっとも大切な場所であり、だからこそ人を引きつける」とか、「地域とは人びとが基本的な生活を営み、かつさまざまな活動を展開する基盤となる空間」という言葉には、曖昧ではありますが共感を覚えます。

 私の子どもが通う小学校には、地域学習発表会という行事がありますが、この場合の地域は校区のことです。高校ではどうでしょうね?少なくとも郡市、県くらいの広さでしょうか。また、生活の基盤となる空間が複数の行政区分にまたがることもあるでしょう。確かに「地域は人間の意図する目的や見方によってその範囲や規模が規定される」(『「地域」と生きる福岡大学』)と言えます。

 『歴史と地理』に掲載された紹介文には、ある先生から出された「地域からの世界史は、それぞれの地域のお国自慢になるおそれはないか。それでは意味が無いのでは」という言葉が載っています。どのような文脈での発言で、またどのような議論が交わされたのかは不明ですが、私は「お国自慢、大いに結構」と思っています。小学生で自分の校区の歴史や特産品、先人の努力を調べて関心を持ち、成長するにつれて関心の対象範囲が拡大することになんら不都合があるとは思えません。授業で知ったことを契機に関心を広げていけばよいのであり、なにも授業がすべてで、そこで終わりということではないでしょう。エルトゥールル号のことを授業で扱うとき、熊本と和歌山で同じ扱いにできるわけがありません。

 『(「地域」と生きる福岡大学』で触れられている「グローバルに考え、ローカルに行動する」という言葉は、いい言葉だと思います。このような視点を意識することで、世界システム論ももっと授業に生かすことができるように思います。



 
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スペインが衰退した理由 [その他]

 今朝のNHKラジオ「ラジオあさいちばん」の「時の話題」は、アンジェイ・ワイダ監督の作品『カチンの森』に寄せて作新学院大学総合政策学部教授の小林和男さんのお話でした。「歴史の真実とミサイル」という題でしたが、その中で印象に残ったのはドイツのアウシュヴィッツに対する姿勢と、旧ソ連のカチンの森事件に対する姿勢の違いです。ドイツでは学校でアウシュヴィッツを教えなければならないということになっているそうで、アウシュヴィッツを訪れるドイツ人も多いとのこと。対して旧ソ連~ロシアはカチンの森事件の真相解明には極めて消極的であるという話が印象的でした。

 これで思い出したのが『現代教育科学』2009年9月号(特集「教育基本法と教師の意識改革」)に掲載されていた山口県の小学校の先生の文章。ラス・カサスの『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』がライバルのイギリスやオランダによるプロパガンダに利用され、結果スペイン人は自己嫌悪におちいり自国の悪口を言うようになったことから、スペインは衰退してしまった、という話です。(66~67㌻)

 その著作がスペイン批判に利用されたことから、ラス=カサスが、スペイン国内では国の名誉を失墜させた男という批判があるのは事実です。それに自分の国の悪口を言うべきではないという趣旨は理解できますが、自分の国の過去を語ることが「悪口」で、「悪口」を言われた国民は自国への誇りを失うとすれば、アウシュヴィッツのことを学校で教えることを強制しているドイツはなぜ経済大国なのでしょうか?

 16世紀に「覇権国家」として繁栄を誇ったスペインが、17世紀にオランダにとってかわられた理由は、世界史の教科書に書いてある通り。新大陸からもたらされた銀はプロテスタントやイスラーム勢力との戦争、宮廷費に浪費され、国内産業の育成をはじめとする国民の利益につながらなかったこと、さらに経済的に豊かなオランダが独立したことがあげられるでしょう。
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九歴教大分大会 無事終了 [その他]

 大分県は別府市で開催された九州高等学校歴史教育研究協議会も無事に終了しました。私の発表はともかく、これまで色々とお世話になっていた他県の世界史の先生方とまたお会いできて、たいへんうれしいことでした。実行委員長の先生はじめ、開催に尽力いただいた大分県の先生方、本当にありがとうございました。

 5日に行われた地域調査は実に興味深いものでした。大分県立歴史博物館[http://rekisihakubutukan-b.oita-ed.jp/]~天念寺~冨貴寺大堂~真木大堂というコースでしたが、同行していただいた歴史博物館の学芸員さんが実に博識で話も面白く、「熊本大会のときにはぜひゲストで呼びたい」という声があがったほど。本当に勉強になりました。冨貴寺大堂(国宝)を見学するときには、その前にぜひ歴史博物館で再現されている原寸大レプリカを見て予習しておくことをオススメします。



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大分駅の工事現場から出土した大友氏関係の鉄製遺物(歴史博物館)


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エアーブラシで遺物に付着した泥その他を落としている様子( 〃 )


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天念寺の川中不動


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天念寺裏の山にある「無明の橋」[http://www.yado.co.jp/hasi/ooita/T_mumyoubasi/index.htm]


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神仏習合がよくわかる(天念寺)


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「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」 [その他]

高校の世界史教師(特に進学校の)の多くが感じていながら、恐くて口に出せなかったことがある。それを口に出してしまったが最後、今自らが行っている授業を自己否定することにつながってしまうからである。しかし昨日、それを真正面から言語化した文章を目にしてしまった。

 タイトルは「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」というもので、筆者は小川幸司先生。長野県で世界史を教えられている方のようだ。読んだのは、昨日行われた歴史学研究会の特設部会「社会科世界史60年」での報告文章である[http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/annual_meetings/index.html]。この場合「苦役」とは「暗記地獄」を指しているが、似たような意味で、一昨年日本西洋史学会の折りに、ある先生は「世界史教師の博識は生徒の負担につながる」という言葉を口に出された。小川先生は、「善意」という言葉を使い、問題の深刻さをより強く示されているように思う。また「すべての道はローマに通ず」的で、なかなかシニカルでもある。

 核心的な指摘の部分を引用させていただこう。
「今や、私たちは、はっきりと認識すべきなのである。高校世界史は、高校生からも社会人一般からも“嫌われている”科目であり、その意義に共感してもらうことに“失敗”してきた科目なのだということを。
 私たちは、こう自問自答すべきなのだ。現代において世界史を学ぶことは必要だろうけれども、今の世界史教育の「方法」は高校生の学びにとって相応しいものなのだろうか、と。この自己検証を怠ってきたがゆえに、世界史を学ぶ意義までもが侵食されてしまったのではないだろうか。」

 昨年宮崎大学で開かれた研究大会の折に私は報告を行ったが、その時の課題テーマは「転換期における歴史授業の実践的課題を探る」というもので(「高校世界史は、高校生からも社会人一般からも“嫌われている”科目であり、その意義に共感してもらうことに“失敗”してきた科目なのだということを認識すべき時がきた」という意味で、現在は転換期と言えるかもしれない)、私は教育学会という「理想を求める」場で、高校の教室という「現実的な場」ではどういう授業が行われているかを話してみた。様々な意見をもらったが、私と大学の先生方とは問題意識が違うようで、議論がかみ合ったとは思えない。このときのレジュメは[http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/zensyagaku2008.pdf]であるが、この「はじめに」で婉曲的に書いているように、私の問題意識が「嫌われている世界史を好きにさせるにはどうすればいいか」というものだったのに対し、大学の先生方は「何をどう教えれば、理想の人間として成長できるのか」という点に問題意識があったように思う。なかでも某出版社の歴史教育関係の本に掲載されていた内容を使った「日露戦争は侵略戦争か否か」というテーマの話を授業でやるのは不適切だ、という意見をいただいたが、「授業で何をすべきか」という点で、私と大学の先生方とは問題意識が違うように思われる。高校の世界史教師向けの研修会で、大学の歴史教育関係の先生を招くよりも、予備校の名物講師を招く方がより現実的な研修会となるのは、(少なくとも進学校の教師にとっては)自然かもしれない。そもそも、学会や学会誌で発表されているような授業が現場で実際に行われてきたとはいえない。大学の先生、生徒、そして保護者が求める「よい授業」はそれぞれに異なる。現場の教師が、直接の消費者である生徒や保護者のニーズを最優先して「理想的な授業」よりも「大学受験を念頭に置いた暗記中心の授業」をやってきたのは当然と言えば当然だろう。

 以前『世界史をどう教えるか』(山川出版社)を読んだときに感じた「しっくりこない感じ」を、私は明確に説明することができなかった[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-06-15]。だがこの論文ではそのことも明快に指摘されている。

 では一体高校における世界史の授業は、どう変えていくべきなのか。残念ながら、今の私には旧来の授業スタイルにとって変わるべき対案があるわけではない。ただ「なんとかせねば」という気持ちは持っているつもりだ。授業ネタ集めはその一つの方法なのである。
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稲垣佳世子・波多野誼余夫『人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 』 (中公新書) [その他]

 学校現場では、勤務する学校の社会的評価によってその教師の評価も決まってしまうということがしばしば見られる。その背景として、教育現場では伝統的な学習観、すなわち「学び手はもともと受動的であり、有能ではないのだから、よい教え手が必要」で、「知識は伝達されるものであり、良い教師が行うべきことは、できる限りたくさんの知識を伝達することである」という考えが支配的であることがあげられよう。有能な生徒には有能な教師が必要、というわけだ。『月刊中学向山型社会』という教育雑誌の2005年11月号には「生徒の100倍の知識を持っていないと授業にならない」というタイトルの文が掲載されていたそうだが、このタイトルは、現在の教育現場では伝統的な学習観が支配的であることを示しているのではないか?

 しかし、こうした伝統的な学習観がもはや通用しないことを実感している世界史の教師は少なくあるまい。教師の博識が生徒の負担となり、さらに世界史の授業に対する学び手の意欲と能動性の低下については、「生徒のニーズに応えた」結果起こった「世界史未履修問題」がはっきりと示している。

 この本が示しているのは、こうした伝統的な学習観の打破である。つまり学び手は、実は有能であり、知識は伝達されなくても構成されることが可能、ということである。では学び手はどうのような場合に有能にかつ能動的に学ぶことができるのだろうか。まずあげられるのは、現実的に必要な場合である。いわゆる「必要は発明の母」ということだが、これに関してはどうも世界史の授業は他の教科・科目にくらべれば分が悪いような気がする。別に世界史の知識などなくても生活には困らないからだ。ではどうすればいいかというと、「知的好奇心により学ぶ」という方法が考えられる(第3章)。ただこの場合留意しなければならないのは、知的好奇心にもとづく学び手の能動性は、外側からせき立てられない限りにおいて発揮されるということだ。つまり心的な余裕が必要という点である。

 「知識が構成される」とは「参加しつつ学ぶ」(第7章)ということで、討論や話し合いによる仲間同士のやりとりが、知的好奇心を高め、より深く理解するのを助けるということである。ただこの場合、知識量に差がある者同士でおこなうやりとりよりも、同輩同士のやりとりのほうが知的好奇心が高まりやすいという点は興味深い。こうした考え方は一般化しているようで、高垣マユミ(編著)『授業デザインの最前線』(北大路書房)では、「社会的相互作用」にもとづく学習過程として説明されている。

 もちろん、知識がなければ思考はできないから、「知識があるほど学びやすい」(第7章)し、意図的におしえなければ身につかない知識がある以上、我々教師の役割が大きく変化するものではなかろう。それに「有能で能動的な学び手」が常に正しい答えにたどりつくとは限らないから、われわれ教師の役割は増えこそすれ、減少することはないだろう。

 すぐに授業に活かすことができる本、というわけではないが、読んでみると授業や生徒に対する見方や考え方がこれまでとは少し違ってくるかもしれない。



人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

  • 作者: 稲垣 佳世子
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1989/01
  • メディア: -



授業デザインの最前線―理論と実践をつなぐ知のコラボレーション

授業デザインの最前線―理論と実践をつなぐ知のコラボレーション

  • 作者: 高垣 マユミ
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本



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ワープロソフト「一太郎」の罫線 [その他]

 仕事の時使うワープロソフトは、今でも「一太郎」です。私が教師になったとき(平成元年)、「一太郎Ver.3」とNECのPC-9801RX2(インテルの80286というCPUをつんでいました)を購入し、現在使っているのは「2007」です。「MS-Word」も使いますが、やはり日常のメインは「一太郎」。その理由は、「Word」に比べて使いやすい罫線機能です。

 ところが先日、「一太郎」で罫線で表をつくっていて、妙なことが起こりました。枠をしっかりつくったつもりなのに、枠から罫線がほんの少し飛び出てます。
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これです。分かります?


 飛び出た部分を消そうとしても消えず、終点を少し下げてみると、今度は枠に届きません。
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 これはいったいどういうことでしょう?

【補足】
 少し画像の説明が不足してました。画像中の横の罫線2本の間隔が1行に相当します。ですから、一太郎の罫線モードの時に Insert キー等で切り替える「通常」と「行間」の違いではありません。また罫線のカーソルを最小単位で動かせる「Shift + 矢印キー」でも、うまくいきませんでした。

 Yahoo!知恵袋に質問してみました[http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217445682]。さて、解決するでしょうか?ジャストシステムの人にも見てもらえるよう、さきほどジャストシステムのアフィリエイトまで申し込みました。

 私自身、一太郎を20年ほど使っているので、「一太郎について分からないことがあるので人に尋ねる」というのは、よほどのことなんですがね(笑)。

江田船山古墳 [その他]

 近くにありながらこれまで行ったことがなかった和水町(旧菊水町)の江田船山古墳を昨日見に行ってきました。「肥後古代の森」の一部(菊水地区)として、古墳周辺は綺麗に整備されており、貝塚の一部(薬品で表面を切り取り、ガラスケースにいれて展示)や復元された竪穴式住居・縄文土器・石人などが屋外に展示してあり、とても勉強になりました。散策するにはもってこいの場所でしょう。公演の脇を流れる菊池川では、釣り人の姿も数多く見かけました。



東アジアと江田船山古墳

東アジアと江田船山古墳

  • 作者: 白石 太一郎
  • 出版社/メーカー: 雄山閣
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 単行本



江田船山古墳鉄剣銘の秘密―古代史発掘 被葬者は百済王の王子だった!!

江田船山古墳鉄剣銘の秘密―古代史発掘 被葬者は百済王の王子だった!!

  • 作者: 江口 素里奈
  • 出版社/メーカー: 五月書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本



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映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督、1982年、アメリカ) [その他]

 私がこれまで見た映画の中で最も好きな作品が、この『ブレードランナー』です。最初に見たのは、テレビの月曜ロードショーでした。私の記憶では解説が水野晴郎氏だったような気がしますが、Wikipediaの記事には「月曜ロードショー」とあるので、解説は水野氏ではなく荻昌弘氏だったのでしょう。映画で強烈なインパクトを残した「ルトガー・ハウアーはオランダの俳優さんです」という紹介が印象に残っています。その後ビデオ、DVDを購入してあわせて100回以上は見ました。

 この映画の魅力は、近未来都市のヴィジュアルイメージにあります。暗く冷たく、雑然とした2019年のロサンゼルス。ヴァンゲリスの音楽とも相まって、映画全体を包む暗い雰囲気が見る人自身をも包み込むかのように迫ってきます。主役のハリソン・フォードもさることながら、レプリカントを演じるルトガー・ハウアーの知的でクールな演技は背筋がゾクゾクするほど。エンディングでの雨の中で機能が停止していくシーンは、凄絶な中にも美しさがあります。彼が映画の中で語る「俺たちは何処から来て、何処へ行くのか」という台詞(レプリカントたちは、この答えを求めて地球に「帰って」きた)は普遍的な問いだと思いますが、印象深い台詞です。

 監督はリドリー・スコット。『エイリアン』の1作目や、コロンブスを描いた『1492』、ラッセル・クロウの『グラディエーター』、オーランド・ブルームの『キングダム・オブ・ヘブン』等で知られています。ガンに冒された松田優作の鬼気迫る演技が光る『ブラック・レイン』も素晴らしい。



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 昨年、映画公開25周年ということで、この『ブレードランナー』の「ファイナル・カット」というヴァージョンがリリースされました。未公開映像を加え、監督自身が新たに編集し直した作品です。これにあわせて発売されたのが、これまでの全ヴァージョンと特典映像やら制作秘話などを加えた5枚組のDVDボックス。すごいヴォリュームのアイテムでした。ところがこのボックスには、DVDだけの「アルティメット・コレクターズ・エディション」と、オマケがついて特製ケースにはいった「アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム」の2種類があります。DVDだけのボックスは1万4800円で、「プレミアム」の方はなんと2万4800円。AmazonUSで「プレミアム」を買いましたが、日本までの送料入れても約7000円でした。本体価格が$54.99、送料が$7.98で合計$62.97。私が昨年末に買ったときのレートは1ドル=111.30円で、払ったのは7,008円です。今はかなり円高が進んでいるので、もっと安く手にはいるでしょう。高すぎはしませんかねぇ?アメリカ版には日本語の字幕がはいっているということで買ったのですが、それはDVDのみのヴァージョンで、「プレミアム」収録のDVDには日本語字幕はなく、仕方なくDVDだけの5枚組日本版も買うことに。これなら最初から日本製のボックスを買っとけばよかった......「プレミアム」についているオマケの「スピナー」(飛行艇)の模型と、ユニコーンのフィギュアはかなりチャチでショボいもので、価格差に見合うだけの価値はありませんでした。アメリカではブルーレイ版もリリースされてますが、日本盤は今のところHDDVD版のみ。一時は『ブレードランナー』を観るために、HDDVDのプレイヤーを買おうかとも思ったんですが。


 DVDと同時にリリースされたのが、映画のサントラ3枚組CD。『ブレードランナー』のサントラはなかなか入手困難で、ヴァンゲリスのベスト盤に2曲だけ収録されていたのですが、これでようやく全体を聴くことが可能になりました。「愛のテーマ」が流れるシーンで、ショーン・ヤングが髪型を整えながらピアノを弾く場面の美しさ!韓国映画『僕の彼女を紹介します』で、主人公の女性がピアノを弾くシーンがありますが、あのシーンとは違って、暗く冷たく、そして美しい名シーンです。



『ブレード・ランナー ファイナル・カット』製作25周年記念エディション

『ブレード・ランナー ファイナル・カット』製作25周年記念エディション

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: HD DVD
「ブレードランナー」オリジナル・サウンドトラック<25周年記念エディション>

「ブレードランナー」オリジナル・サウンドトラック<25周年記念エディション>

  • アーティスト: ヴァンゲリス,ドン・パーシバル,サントラ
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2008/03/05
  • メディア: CD
ブレードランナー

ブレードランナー

  • アーティスト: サントラ,ヴァンゲリス
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2007/02/21
  • メディア: CD
ブレードランナー

ブレードランナー

  • アーティスト: サントラ,ヴァンゲリス
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1989/09/01
  • メディア: CD
Blade Runner Trilogy [25th Anniversary]

Blade Runner Trilogy [25th Anniversary]

  • アーティスト: Vangelis,Dick Morrissey,Dimitris Tsakas,Demis Roussos,Don Percival,Mary Hopkin
  • 出版社/メーカー: Universal
  • 発売日: 2007/12/10
  • メディア: CD
Blade Runner: The Inside Story (Transmetropolitan)

Blade Runner: The Inside Story (Transmetropolitan)

  • 作者: Don Shay
  • 出版社/メーカー: Titan Books
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: ハードカバー
Future Noir: The Making of Blade Runner

Future Noir: The Making of Blade Runner

  • 作者: Paul M. Sammon
  • 出版社/メーカー: Harpercollins
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: ペーパーバック
Blade Runner: Do Androids Dream of Electric Sheep?

Blade Runner: Do Androids Dream of Electric Sheep?

  • 作者: Philip K. Dick
  • 出版社/メーカー: Random House (a)
  • 発売日: 2007/11/27
  • メディア: CD
メイキング・オブ・ブレードランナーファイナル・カット

メイキング・オブ・ブレードランナーファイナル・カット

  • 作者: ポール M.サモン
  • 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 単行本
「ブレードランナー」論序説 (リュミエール叢書 34)

「ブレードランナー」論序説 (リュミエール叢書 34)

  • 作者: 加藤 幹郎
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/09/28
  • メディア: 単行本


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