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北村 厚 『大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合』(KADOKAWA) [授業研究・分析]

 北村厚先生の新著『大学の先生と学ぶはじめての歴史総合』(KADOKAWA)は、「歴史総合」を学ぶ高校生向けに書かれた本。会話調の文体で、とても読みやすい。高校生向けではあるが、 むしろ私のように「歴史総合」の授業を担当する教師にとって有益な本である。全国で行われている「歴史総合」の授業は、おそらく教師が一方的に話す知識伝達型(いわゆる講義型)がいまだに多いと思う(学習指導要領の学校現場における受け取り方については、『現代思想』2017年4月号81㌻~で岡﨑勝先生が指摘している通り)。しかし一方で、講義型の授業を行っている先生方の中にも、「これではいけない、自分の授業を変えていきたい」と思っている方も少なくはないのではないだろうか。そうした迷える教師(まさに私のことである)に、実際の授業の進め方を提示する本としてとても有り難い一冊である。これまでの歴史総合本は、教科書の内容をより詳しく解説した参考書か、教員向けの素材提供本だったが、いわば「知識の使い方」を示した本書は、両者の中間とも言える。「はじめに」にある「この本に書いているからといって、それがこの「問い」の正解だ!なんて考えてはいけない。」という一文に、本書のコンセプトがよく表現されている。
 本書の各章(全13章)は、それぞれメインの問いとサブの問いから構成されているが、このような問いの立て方と授業構成については、渡部竜也・井手口泰典『社会科授業づくりの理論と方法』(明治図書)が参考になる。8月に渡部先生が熊本に来られた際に模擬授業を受けたが、本書を読んでいてそのときの模擬授業を思い出した。本書を実践編、『社会科授業づくりの理論と方法』を理論編として併せて読むと実際の授業のイメージが掴みやすいと思う。
 また、「はじめに」にもあるとおり、「この本では歴史総合の全部の内容をあつかているわけじゃないから、そこは注意が必要だ」が、メインの問いに含まれるキーワードが、理解すべき「概念」として提示されている。この概念で「歴史総合」に含まれる内容の理解に必要なツールは、ほぼカバーされていると思う。市民社会や国民国家、立憲制、「文明化」といった言葉は、高校生が理解できるように説明することは難しい。こうした「概念」の扱い方も、自分の授業で取り入れていきたい。そして本書では割愛されている内容を、「コラム」で紹介されている本を使って、自分の勤務校の実態や関心にもとづいて授業をつくっていけばよいのでないか。渡部先生の模擬授業を受けたとき、同期の日本史の先生と一緒に問いを考えたが、メインの問いを「日露戦争の世界史的な意義は何か」と「日露戦争がアジアに与えた影響は何か」のどちらにするか、「影響」と「意義」はどう違うのか等色々と話ができて面白かった。自分の授業がブラッシュアップできそうな予感の一冊。


大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合

大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合

  • 作者: 北村 厚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2023/10/31
  • メディア: Kindle版



社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 単行本



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「問いの構造図」にもとづく社会科授業づくり [授業研究・分析]

 今年の熊本県高等学校地歴・公民科研究会の日本史・世界史合同部会は、東京学芸大学の渡部竜也先生を講師にお迎えしての勉強会だった。最初に渡部先生による模擬授業が行われ、続いて講演(「問いの構造化」による探求学習の設計)、そして最後が参加者によるワークショップ(授業作成)という流れであった。前日は台風6号が九州に接近していたため開催が危ぶまれたものの、当日は天候も回復して無事開催することができた。注目を集めている先生が講師と言うこともあり、他県の先生方もオンライン・対面で参加されており(私の前の席に座っておられたのは大分県の先生であった)、充実した会となった。

 学部・院生時代ともに社会系教科教育法の指導を受けた先生がお二人とも広島大学のご出身だったこともあり、「なぜ」発問にもとづく探求学習の授業は私にとって馴染み深いものである。教育実習で最初にやった授業も「ヨーロッパで香辛料が高価だったのはなぜだろう」という問いにもとづく授業だった。

 渡部先生による模擬授業は、江戸時代の鎖国を題材としたものであった(『社会科授業づくりの理論と方法』第4章)。私の隣に座っていたのは副会長のO先生(私と同期で日本史)だったが、二人で話し合いながら楽しく参加することができた。参加者は「分かった気になる」のは楽しいものだ、ということを実感できたことだろう。思い出したのは、今から40年近くも前のこと、大学の社会科教材研究の時間に受けた模擬授業である。このとき受けた模擬授業は、後に「よみがえれ!縄文人」として藤岡信勝・石井郁男編『ストップモーション方式による1時間の授業技術』(日本書籍)という本に収められた(当時の授業で出てきた縄文土器が気になり、後藤和民『縄文土器をつくる』を読んで「調理に使える=縄文土器のスゴさ」を改めて実感した)。以後私の授業作りでは、「(~なのに、)~なのはなぜか」という問いにもとづく構成にできるようにしたいと考えてきた。

 渡部先生による「問いの構造図」にもとづく探求授業と、森分孝治先生による探求授業との違いは『社会科授業づくりの理論と方法』78㌻と第7章で触れられているが、講演で印象深かったのは「本質的な問いは後づけでよい」という話だった。理想は「逆向き設計」だろうが、実際に授業をつくる場合は「後づけ設計」(『社会科授業づくりの理論と方法』134㌻~)の方が現実的であると思う。最後のワークショップでは、私を含めて4人で「露仏同盟と日英同盟があるにもかかわらず、日露戦争が始まってすぐに英仏協商が成立したのはなぜか」という問いを設定して問いの構造化を考えたが、問いを考える中で、「日露戦争の世界史的な意義は何か」などの後づけEQが出された。

 そしてもう一つ、「歴史と地理/政治/経済など諸科学との総合化=間接的な歴史教育の公民化」という点。現在担当してる「公共」「歴史総合」「世界史B」に加えて、二学期からは「地理B」も担当する予定。


社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 単行本



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明治図書『教育科学 社会科教育』2022年9月号 [授業研究・分析]

 雑誌『教育科学 社会科教育』2022年9月号は、とてもよい特集号だった。この雑誌を欠かさず講読してきたわけではないが、歴史関係をはじめ面白そうな特集号の時はだいたい買ってきた。その中でもわかりやすく、読み応えがある特集だったと思う。「歴史総合の授業をどうするか」という私の目下の関心事にそっていたこともあるだろうが、この4月から実際に「歴史総合」が始まり、諸先生方の実践も研究会等で俎上に上るようになったことから、なるほどと思わせる論文が多かった。いずれも5㌻程度の分量であるためまとまっており、読みやすい点もよかった。
 最初の5本は授業デザインについて述べられているが、1999年11月号の「歴史理解のコードをどう育てるか」という特集と比べると、この約20年間の歴史の授業に対する考え方の変化がよく分かる。1999年というと、私が教育委員会から鳴門教育大学大学院(徳島県)に派遣されていた時期だが、20年前も現在も「歴史的な思考力を育成して歴史に対する理解を深めることで、現代の諸課題も考察できるようにする」という目標はあまり変わらないように感じる。が、20年前は内容理解を通じて歴史理解をめざす授業がほとんどだった。本号に掲載されている最初の5論文からこれからの授業で留意すべき点を私なりにまとめると、
  ・内容指向から資質・能力指向へ(覚えるから考えるへの転換)
  ・歴史を大観できる学び
  ・歴史と社会だけでなく、歴史と生徒との関係も視野に入れる
 20年前には「歴史と現代社会との関係」を考えることはあっても、「歴史と生徒自身との関係」を授業で扱うことは念頭になかった。宮本英征先生によれば、これは構築主義的思考とよぶそうだが、二井正浩先生が「自分事」と述べておられることに通じる。二井先生も述べておられるように、「私たち」という点からも、この視点は必要だと思われる。

 具体的な授業プランとして小中高あわせて17本(うち高校は4本)が掲載されているが、中学校の授業プランはそれぞれに興味深い。ただ高校の4本のうち、日本史探究の日本史は、「私たち」という点から歴史総合的でもあり、一方で歴史総合の日本史は探究的な印象も受ける。これらの授業プラン、特に小学校明治時代と日本史歴史総合の2本を、『近現代史の授業改革2 特集:世界史の中の日露戦争』(社会科教育1995年12月別冊、明治図書)の内容と比べると、時代の変化を感じてしまう。

 今回の特集には「歴史好き」という言葉がたびたび出てくる。筆者の先生方には、2006年秋から翌年にかけて発覚した世界史未履修問題を念頭に「歴史の授業を変えたい」という思いがあるように感じられる。このこととの関連では、冒頭の宇都宮明子先生の文章の「おわりに」が印象深い。教師生活が長い教員が「今の授業ではダメだ」と言われると、これまで数十年にわたるの教員生活すべてを否定されたような気分になるのかもしれない。歴史系科目の趣旨を生かすためには、教科教育学や歴史学以外の視点も必要かも。


 
社会科教育 2022年 09月号 (子どもを歴史好きにする! 見方・考え方を働かせる歴史授業)

社会科教育 2022年 09月号 (子どもを歴史好きにする! 見方・考え方を働かせる歴史授業)

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2022/08/08
  • メディア: 雑誌



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仮説実験授業 [授業研究・分析]

 20世紀前半のアメリカ関連で思い出すのが、仮説実験授業による「禁酒法と民主主義」の授業。小学生を対象にした授業の記録が、雑誌『たのしい授業』1988年12月号に掲載され、中学生を対象にした授業の記録は同じく1989年11月号と12月号に掲載された。仮説実験授業は故板倉聖宣先生が提唱した授業手法で、「授業書」と呼ばれるテキストを用いて進められる。所与の問題に対する自分の「仮説」を、討論という「実験」を通じて検証していくことから仮説実験授業とよばれ、このプロセスを他の問題にも応用できるようになることを目指している。そして、雑誌のタイトルにもなっているように「たのしい授業」であるべきだというのも仮説実験授業の大きな主張である。
 アメリカの禁酒法をテーマにした授業書は『禁酒法と民主主義』(仮説社)として1983年に出版されており、雑誌『たのしい授業』に掲載されている記録は、この授業書に基づいて行われたものである。『禁酒法と民主主義』の「はしがき」には、中学校や高校の社会、道徳、ホームルームなどで使用してほしいとあるが、「酒を飲んだりタバコを吸ったりするのはいいことだと思うか」という質問から始まる授業書を一読してみたものの、高校の世界史の授業ではあまり使えないのではないかと当時は思ったものである(読み物としては面白く感じたが)。

 仮説実験授業を知ったのは大学3年で受けた社会科教材研究の授業がきっかけだった。授業担当の河南一先生から、中学社会歴史分野を想定した縄文時代の授業が実際の授業形式で紹介された。「なぜ縄文時代は西日本よりも寒冷な東日本に人が多く住んでいたのか」という問いに基づく探究を通じて、社会的事象の説明ができるようになるという目標は森分先生の理論に基づくが、授業書という形式は仮説実験授業の手法である。この授業内容は、藤岡信勝・石井郁男編『ストップモーション方式による1時間の授業技術・中学社会歴史』(日本書籍)に掲載されているが、実際は大学4年のとき一緒に教育実習に行った河南先生のゼミ生が授業を行っていた。

 「問い」と「お話」で構成される仮説実験授業は誘導尋問との批判も受けそうだが、私自身は使える授業理論だと思っている。仮説実験授業はもともと理科の授業から始まった手法だが、『たのしい授業』1989年11月号(私が教員となって一年目)には板倉先生による高校世界史のインドとイギリスの綿工業関連の記事が掲載されていた。当時の私は、板倉先生がインドとイギリスの綿工業について書かれた文の中にある「子どもたちに<できる>と感動させてあげる」「自分たちの感動を子どもたちに伝えるために」という言葉に感銘を受け、勉強の楽しさを伝えたいと思って教師になったことを再認識させてもらった。今でも仕事が嫌になったときは、この記事を読み返す。

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 最近では、2013年に出版された田尻信壹先生の『探究的世界史学習の創造』(梓出版)では、先史時代の仮説実験授業が紹介されている。



探究的世界史学習の創造

探究的世界史学習の創造

  • 作者: 田尻信壹
  • 出版社/メーカー: 梓出版社
  • 発売日: 2017/04/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)



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原田智仁『「歴史総合」の授業を創る』(明治図書) [授業研究・分析]

 2022年度から高校地歴科の新科目「歴史総合」が始まる。「準備しないといけないな」とは思っているが、なかなか手に付かない。手に付かない理由としてはいくつかあるが、まず時間的な余裕が年々なくなってきていること。学年主任5年目で、今は2年生の学年主任をしているが、英語民間試験導入中止など振り回された一年だった。保護者対応やら学校徴収金やら授業以外の仕事は増えこそすれ、減ることはない。二つ目として、自分にとって「歴史総合」はさほど魅力的な科目とは思えなかったことがある。私は勉強が好きで、その楽しさを教えたいと思って教師になった(もっとも、志望した英語科ではなく社会科にまわされたが)つもりだが、対話的というラベルのもとで生徒が苦し紛れに出した思いつきや、KP法などで歴史を学ぶ楽しさがわかるのだろうかという疑問を感じていたのである。しかし地方公務員の定年も延長されると、状況次第では私も65歳まで働くことになる。これまで「歴史総合」に対してとってきた「見て見ぬふり」や「様子見」はできない。

 新科目「歴史総合」を扱った本として、本書はとてもまとまっている印象を受ける。第1章で「歴史総合」に必要な視点と方法論、これを受けて第2章では具体的な授業モデルが提示されるが、一読して「使える」内容だと思う。というのも、第2章の冒頭で、授業時数年間60時間程度とし(3つの大項目はそれぞれ20時間、さらにその20時間の内訳は「導入:2時間-展開1:8時間-展開2:8時間-終結:2時間」と配分)、第2章で提示された授業プランはこの年間計画に準じている。しかも3つの大項目すべての授業プランが提示されているため、この本通りにやればとりあえず「歴史総合」の授業を行うことも可能である。これまで「歴史総合かくあるべし」というものは多かったが、実際の授業プランはあまり多くなく、あっても単発のものが多かった。掲載されている授業プランを一通り読んでみると、「歴史総合の授業」の具体的なイメージが頭の中に浮かんでくると思う。こうしたプランをもとに、教師個人がそれぞれによりよく改善していこうというスタンスが授業改善につながっていくと感じている。たとえば、72~81㌻に掲載されている福井を題材とした「地域→日本→世界」と広げていく授業で、自分たちが生活している地域を題材にするならばどのような題材がよいか、という感じで、自分たちの改善案を教員同士で話し合うことができれば最高だろう。

 第1章の内容も、よいと思う。「コモン・グッド」「SDGs」「レリバンス」「メタヒストリー」といったキーワードをもとに、授業改善の視点が提示されている。教育改革の動きに対して私が距離を置いていたのは、関連する文章や講演に「ルーブリック」「コンピテシー」「チェックイン」といったカタカナ用語がやたら多かったのも理由の一つである。今どきの教員ならば「わかっていて当然」なんだろうけど、説明もなしにそうした用語を使っている人をみると、尊敬すると同時に浅学さに卑屈になってしまい、とりあえずそのカタカナの意味内容をスマホで検索してみるものの、ついには「日本語で説明しろよ、気取りやがって、お前教師だろ」と逆ギレ暴走老人と化してしまうこともあった。この本ではそうした用語もキーワードとして解題してあり、すんなり頭にはいってきた。全体的に読みやすい一冊であり、「歴史総合」事始めにはオススメの本である。




高校社会「歴史総合」の授業を創る

高校社会「歴史総合」の授業を創る

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: 単行本



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明治図書『教育科学 社会科教育』2019年9月号 [授業研究・分析]

 以前は?な記事もあった明治図書発行の教育雑誌『社会科教育』。『社会科教育』に限らず、『現代教育科学』や『ツーウェイ』など(ともに今は廃刊となっているようだ)1990年代後半に明治図書から出ていた雑誌を読み直してみると、色々な意味で面白い。当時『社会科教育』の編集長だった方のブログでお叱りを受けたことも、今ではそれなりによき思い出だ。
 さて、『社会科教育』9月号の特集は「近現代史と政治 授業づくりパーフェクトガイド」である。それぞれに興味深い記事が並んでいた。

(1)「昭和初期の社会の様子と探究型学習」
 写真をメインとしているが、看図アプローチのように写真そのものを看て考えるデザインとはなっておらず、考察の結果として写真を選ぶのが社会科的だ。8枚のうち2枚はダミー。

(2)「エピソードから教材へ」
 歴史の授業を担当する教員なら、同感という部分が多い。ただエピソード解釈の妥当性には注意を要するかも。ヒトラーが結婚資金を貸し付けたの理由が少子化対策?Volks Wagenを英語に訳すと、People's Carでよいのかな。こうした疑問も教材化できそう。

(3)授業改革と連動した高校歴史「調査・体験活動」プラン 
 連載「歴史探究ミニツアー」とも相まって、フィールドワークはやってみたい。熊本県の大先輩の世界史の先生が、かつて日露戦争の出征者について調べていたことがあったし、熊本市内のある高校には宮崎滔天とともに孫文が来たときの講演記録が残っている。15㌻掲載の表中「湊川神社・大倉山公園」(日清・日露戦争)は、この3年間ダンス部の引率で毎年行っている神戸文化ホールの近く。

(4) 「この人物」お宝授業ネタ&エピソード
 33㌻「お宝授業ネタ&エピソードを発見する方法」が面白い。

(5)教えるのが難しい「領土」授業でどう扱うか
 視点の提供。

(6)歴史の当事者となって「自分なら」を考える授業を!
「あなたが幕府の役人だったら、開国に賛成しますか?反対しますか?」という問いが紹介されているが、思い出したのが先日関西の先生方と話したときに話題となった授業。滋賀県立守山高校の大橋康一先生が行った「老中は知っていた オランダ風説書と黒船来航~江戸幕府は何をわかって開国を決意したのか~」という世界史Aの公開授業である。タイトルから分かるとおり歴史総合を念頭に置いた授業で、「あなた方が1853年に開国を決断した理由は何ですか」という問いをオランダ風説書をもとに考察する。生徒の反応も含めた授業記録をいただいたが、生徒が考えた開国の理由について、2時間目と10時間目の変化が興味深い。2時限目は、江戸幕府が開国した理由について、ほとんどの生徒(93.5%)が黒船の武力に屈したと考えていたが、同時代の世界史を学習し、風説書の内容が理解できた後では、軍事面を挙げた生徒が激減している(13%)。歴史総合「近代化とわたしたち」のお手本のような授業。



社会科教育 2019年 09月号

社会科教育 2019年 09月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 雑誌



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看図アプローチの研修 [授業研究・分析]

「教育改革で真価を発揮する看図アプローチ~授業づくり入門講座~」という研修会に参加してきた。
  日時:令和元年6月22日(土)
  場所:熊本学園大学付属高校
  講師:鹿内信善先生(天使大学教授)
  主催:アクティブラーニング型授業研究会くまもと


 高校の世界史の授業を考えたとき、生徒全員が図版が数多く載っている資料集を持っているので、看図アプローチは有効な手法だと思っている。これまでベラスケスの「ラス・メニーナス」を使った授業などをやってみたが、発問や導入など基本的に「私の思いつき」で作ったものであり、根拠や理論に基づいたものではなかった。例えば、「ベラスケスが向かっているキャンバスに書かれているのは何だろうか」といった「正解がない問い」が果たして妥当なのかどうか。また山川出版社の『アクティブラーニング実践集 世界史』には、ウルのスタンダードを用いた看図アプローチの授業が紹介されているが、描かれているものやことよりも、「果たしてこれは一体何に使ったのだろうか?」という問いの方が面白いと思う。こうした疑問を解消するためのヒントを得たいと思い参加した。

 私が視覚資料を用いた授業に関心を持ったきっかけは、初めて日本史の授業を担当したときに買った『絵画資料を読む日本史の授業』(国土社、千葉県歴史教育者協議会日本史部会 編)だった。同書に収録されている実践記録を読むと、タイトルを今風にアクティブラーニング○○○とかつけ直して再発しても十分通用するように思われるが(同書の初版発行は1993年)、この本に見られるように「ビジュアルテキストの読解」と「読み解いた内容にもとづいた発信」を行うという歴史の授業は、かなり前から行われていた。ただこうした取り組みは、教員の経験と閃きに基づいて行われる場合がほとんどで、方法論として確立されていたわけではない。わざわざ「看図アプローチ」という用語が使われているのは、認知心理学に基づいて体系化された手法で、「見る」という行為を学習活動の中核としているからである。鹿内先生からは汎用性の高いルーブリックも紹介され、看図アプローチは大変有効な手法であると感じた。

研修会で印象に残ったのは、以下の点。
(1)「よく見る」ための情報処理・・・・「もの」と「こと」を区別する
  ①変換:「もの」を「言葉」に置き換える
  ②要素関連づけ:構成している諸要素を相互に関連づける
  ③外挿:「こと」を越えて発展させる
(2)ビジュアルテキストの読解指導
  ①「要素関連づけ」「外挿」を誘発する発問
  ②焦点づけを促して情報を精査させる指示
(3)オープンエンドであっても、個人の中ではクローズエンドにする
  納得が必要
(4)思考の記録を成績化するルーブリック:A~Dの4段階
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新学習指導要領における世界史の授業 [授業研究・分析]

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 歴史科学協議会が発行している雑誌『歴史評論』2019年4月号の特集は、「歴史教育の転機にどう向き合うか」である。『社会科教育』(明治図書)をはじめとする教育学関係の記事とはまた違った視点で書かれた記事もあって、興味深い論考が並んでいた。掲載された論文のうち、特に面白かったのは以下の4つ。
 ①今野日出晴  内面化される「規範」と動員される「主体」
 ②成田龍一   『学習指導要領』「歴史総合」の歴史像をめぐって
 ③桃木至朗   歴史の「思考法」の定式化
 ④吉嶺茂樹   高校教員の目から見た世界史探究

 まず①は、「期待と可能性」で語られる新しい学習指導要領、なかんずく「歴史総合」を批判的に検討した論文。国語の教科書で取り上げられている教材が徳育的であるという話は以前からあったが、歴史教育もそうなっていくのだろうか。『社会科教育』2019年4月号86㌻以下を読むと、確かにそんな気がしてくる。①を踏まえて②を読むと、「歴史総合」がこれまでの歴史系科目とどこが違うのかがよく分かる。③は高校の歴史教員にとって耳の痛い部分もあるが、「大変革に混乱はつきものだがそれを乗り越える覚悟がないとダメ」という点は肝に銘じておきたい。④は、新科目「世界史探究」を論じている点で珍しい。今や「死に体」となってしまった観のある「世界史A」を元に、「探究」とはいかなる内容かという点を論じている。教員に求められるのはプロデューサーになる力という指摘は、『社会科教育』2019年1月号で「「教える授業」から「コ-ディネートする授業」へ」(18㌻)とあるのと同様の視点だろう。なお、同一の内容は原田智仁編著『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』でも述べられている。筆者は同じだが、『社会科教育』掲載の記事には授業構成の概略が示されており、より具体的である。ふたつ併せ読むことではじめて、筆者の云わんとすることが伝わってくるような気がするが。
 『歴史評論』4月号のそれぞれの論考には数多くの論文が参考として引用されており、「歴史総合」や新学習指導要領に対する評価検討の流れも確認できてなかなか便利だった。大枠で「歴史教育が大きな転機を迎えているので、教壇に立つ側の意識を変えなければならない」という認識では共通している。その通りだと思うが、「歴史を役に立つ科目にしなければならない」という意志を強く感じるのは気になる。「役に立つ」の基準はいったい何なのだろう。「正解が複数ある」とはいうものの、教師の意向を忖度した意見を発表した生徒が高い評価を得るようになってしまっては困ってしまうし、そもそも「多様性を尊重」するために、役に立つ授業かそうでないかというような二項対立を持ってくるような論調にも疑問を感じる。①の最後の箇所(11㌻、「歴史学が....」以下)は、常々私が感じていたことに通じる。
『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の「「世界史探究」-ポイントはここだ」でも、「世界史探究」が目指していることの一つとして、公民としての資質・能力の育成があげられている。政治教育が目的ならば、歴史教育は手段となってしまうのだろうか。教育学部の学部生時代には森分孝治先生の社会科授業論に傾倒した私などは「歴史の授業も大変になったもんだ」とため息しか出ないが、おそらく私のような世界史教師こそ時代遅れの代表なのだろう。



社会科教育 2019年 01月号

社会科教育 2019年 01月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2018/12/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 04月号

社会科教育 2019年 04月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 03月号

社会科教育 2019年 03月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/02/12
  • メディア: 雑誌



歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 歴史科学協議会
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

  • 作者: 原田 智仁
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/14
  • メディア: 単行本



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中村高康著『暴走する能力主義』 (ちくま新書) [授業研究・分析]

 「多面的・多角的に考察する力」「課題の解決に向けて構想する力」「考察したり構想したことを効果的に説明する力」「議論する力」。これらの能力は、今回改定された学習指導要領において地理歴史科で身に付けるべきとされている力の一例である。これらの能力は、果たして本当に新しいのだろうか。個人的な感覚では、まったく新しくない。現行の世界史Aの学習指導要領においても、「多面的・多角的に考察」「追究し考察した過程や結果を適切に表現」「課題意識を高め,意欲的に追究」「国際社会に主体的に生きる国家・社会の一員としての責任」といった表現が出てくる。このような教科・科目の内容に関する知識ではない能力の重要性は、今になって主張されてきたわけではない。私が小学生の頃のジャポニカ学習帳のCMソングは「天才秀才ガリ勉くん、点取り虫にはなりたくない」という歌詞だったが、これを思い出しても「知識偏重はよくない」という考えが40年以上前からあったことが分かる。推薦入試やAO入試に集団面接・集団討論が取り入れられていることも「ペーパーテストでは測定できない能力」を重視したためだったように思われる。
 「議論する力」も新しい能力とは思えない。加藤公明先生は討論にもとづく日本史授業を実践して来られた[https://www.jstage.jst.go.jp/article/socialstudies/1996/74/1996_6/_pdf/-char/ja]。ベネッセのサイトで紹介されているモンゴル帝国の授業[https://www.benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html]は、NHKのEテレ「わくわく授業」で2006年に放送されたものであり(記録は、岩波ブックレット『世界史なんていらない?』と、明治図書『中学・高校の優れた社会科授業の条件』に掲載されている)、新しい授業ではない。グループワークについて故鳥越泰彦先生とお話ししたのも、2007年の日本西洋史学界のことであり、(平成30年に発表された指導要領から数えて)2つ前の学習指導要領の時期に当たる。このことは岡崎勝氏も、アクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びという言葉は「以前から教育界で唱えていた「自ら考え、自ら学ぶ」という呪文を言い換えただけ」と指摘している(『現代思想』2017年4月号・特集「教育は誰のものか」84㌻)。

 なぜこうした「今さら」の話しになるのだろうか。以下、本書からの引用である。
 「私たちが「新しい能力」であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初からわかりきった能力にすぎないものなのである。そのように考えてくると、職業に求められる能力の質が大きく変化した結果としてこれらの能力が注目されるようになったと考えるよりは、全体として能力観が転換しているとの根拠のない前提のうえで、「ではどんな新しい能力が必要か」を無理やりひねり出そうとした結果、最大公約数的な陳腐な能力を、あたかも新しいものであるかのように、あるいはあたかも新しい時代に対応する能力であるかのように看板だけかけ替えて、その場を丸くおさめるといったことを繰り返してきたものなのだ、と考えたほうが、私個人は非常にすっきりする。」( p.46)

 昔から重視されてきた能力が、今になって「"新しい"能力」と強調されるようになったのは「いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければいけない」という議論それ自体である。」(24㌻)からだ。このため、「新しい能力」を後づけで探さなくてはいけなくなったということだろう。

 たとえば、「おとなしい、議論もできないような性格では、高校を出てから社会や仕事に十分適応できない」という言説があるとしよう。本書の第2章「能力を測る」を読んで考えたことは、議論する力はどうやれば測定できるのかという疑問である。なかなか難しいことは容易に想像がつくが、測定が困難であるにもかかわらず声高に能力の必要性が叫ばれる理由は、指摘されているように「ダブルスタンダード」である。

 本書を貫くキーワードは、「メリトクラシー(能力主義)の再帰性」である。能力は社会的に構成され、常に問い直され批判される性質を持っている。ということは、「新しい能力」は常に求められ、そして求めること自体が自己目的化していくことになるが、「まえがき」で筆者は、何が何でも変えなければならないという強固な「意志」の存在に触れている。その意志は一体どこから生まれてきたのだろうか。
 「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」「日本の正社員は世界一守られている労働者になった。だから非正規が増えた」「正社員をなくせばいい」といった発言が、教育改革推進協議会という団体の中心メンバーから出てきている。私が「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」という言説に危惧を感じるのは、この言説が生産性で人間の価値を決めてしまおうという風潮に通じるからだ。「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」と、誰がどういう基準で調査した結果かはわからないが、私が「教育改革」という言葉に不安を覚えるのは、この点にあるのかもしれない。この不安を解消してもらうため、議論する力の育成やICT環境の充実の前に家庭程の経済状況や居住地域の差異にもとづく学業格差(例えば英語民間試験の受験機会の不平等)を解消してもらいたい。夏休みにスイスの牧場で生活体験をする高校生と、明日学校に持っていく弁当を心配しなければならない高校生が、同じ土俵で「議論する能力」や「高校における活動実績」を比較されてしまうことに私はどうしても違和感を拭えない。

 ある調査によれば、「高校生の半数の資質・能力は大学生になってもあまり変化しない 」そうである。とすれば、確かに「高校時代の授業でグループワークや議論が出来なかった高校生は、社会でやっていけない」という言説は、ある程度の説得力がありそうだ。しかし本書の第2章で述べられているように「グループワークや議論する力」の測定は困難である。にもかかわらず、なぜそれが「将来必要な力」で「出来ない人は将来社会でやっていけない」と言い切れるのだろうか。それに調査結果はあくまで「高校生の半数」であり、また文部科学省による平成29年度学校基本調査(確定値)によれば、「大学(学部)進学率(過年度卒含む)は52.6%(前年度より0.6ポイント上昇)で過去最高」となっている(現役は49.6%)。高校を卒業した生徒の半分は大学には行かないという実態を踏まえれば、大学進学者だけを対象にした調査がさほど重要であるとは思えない。

 小針誠著『アクティブラーニング~学校教育の理想と現実』(講談社現代新書)に中でも、大学におけるアクティブラーニングの導入には経済界からの強い要請があったこと(29㌻~)、これまでもアクティブラーニング型授業は実施されてきたこと(第2章)が述べられている。教育学と社会学、視点は異なるが実に興味深い。


暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

  • 作者: 中村 高康
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: 新書



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「近代化と私たち」の授業 [授業研究・分析]

 新しい学習指導要領によれば、新科目「歴史総合」は①歴史の扉、②近代化と私たち、③国際秩序の変化や大衆化と私たち、④グローバル化と私たち、の4部構成となっている。「近代化」「大衆化」「グローバル化」といった「近現代の歴史の変化」の内容や意義・特色などを理解したうえで、「調べまとめる技能」を身につけ、「多面的・多角的に考察」し、さらに「考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度」まで身につけさせなければならない。何とも盛りだくさんの内容である。

 4つの大項目のうち「近代化と私たち」は、(1) 近代化への問い、(2) 結び付く世界と日本の開国、 (3) 国民国家と明治維新、(4) 近代化と現代的な諸課題の4つの中項目から構成されている。4つの中項目のうち「近代化への問い」では、「交通と貿易、産業と人口、権利意識と政治参加や国民の義務、学校教育、労働と家族、移民などに関する資料を活用し、課題を追究したり解決したりする活動を通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。」となっており、同解説では「交通と貿易」、「産業と人口」、「権利意識と政治参加や国民の義務」、「学校教育」、「労働と家族」、「移民」それぞれについて活用が想定される資料が例示されている。たとえば「交通と貿易を取り上げた場合は、例えば、教師が、貿易額や貿易品目の推移を示す資料、鉄道の敷設距離の推移や航路の拡大と所要日数の推移を示す資料、工場数の推移を示す資料などを提示し、鉄道や蒸気船の急速な普及の理由、貿易によって豊かになった国々の特徴など、生徒が歴史的な見方・考え方を働かせて資料を読み解くことができるように指導を工夫する。」とあるのだが、こうした資料を教師が個人で集めることは不可能であろう。少なくとも学習指導要領解説に例示してある資料は、教科書や資料集などに例示してもらわないと困る。山口県の藤村泰夫先生は、「近代化と私たち」の「結び付く世界と日本の開国」で「綿織物から考える日本と世界」というテーマの授業を提案されているが(平成30年7月開催の高大連携歴史教育研究会・第4回大会)、ほとんどの資料集に掲載されている貿易グラフを除いても、かなり多くの資料を準備されている。

 藤村先生の授業案で面白かったのは、同じく「近代化と私たち」の第一時間目「近代化への問い」の授業プランである。「私たちの生活の中に見る近代化」をテーマに、
起床から就寝までの1日の生活の中で、近代以降生まれたものを前近代の生活と比較しながら考えさせるという授業である。具体的には、目覚まし時計による起床、朝食、衣服、通勤と通学手段、労働と学校、スポーツとクラブ、余暇、近代家族などである。変化を明確にするためには、変わる前と後両方を比べなければならない。あまりに昔と比較しても意味はないので、東京エレクトロンのCM(百年後の日本)をネタに「100年前にはなかったもの」くらいの比較が妥当ではないだろうか。

 藤村先生の「私たちの生活の中に見る近代化」の授業プランを見ていてふと思ったことは、近代になって時間に対する考え方が変化したのではないかということ。これは現行の世界史Aの産業革命あたりでもやれそうだ。

 工業化で機械時計が普及し、時刻が共有化されると、職住分離にともない労働者は工場へ働きに出るため就業時間を守り、公共交通機関も時間通りの運行を求められる。一方で、遅刻の元凶となる酒が敵視され、wikipediaによればイギリスの大手旅行代理店トーマス・クック・グループの「設立者のトーマス・クックはプロテスタントの一派であるバプティスト派の伝道師で、禁酒運動に打ち込んでいた。1841年に開催された禁酒運動の大会に、信徒を数多く送り込むため、列車の切符の一括手配を考えだし、当時高価だった鉄道を割安料金で乗れるようにした。これをきっかけに一般の団体旅行を扱い始めた。」と。時計メーカーのセイコーによるウェブサイトにある、「機械式時計の発達」「初期資本主義の成立」も織り交ぜて使えそうだ。
https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation/relation_03/index.html#addOtherPageAnc03

世界史Aのセンター試験にも使えそうな問題がある。

19世紀後半~20世紀初頭の西欧の家庭や家族について述べた文として最も適当なものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。
 ① 庶民階級の子供は、学校教育の対象とはされず、読み書きは専ら家庭で教えられていた。
 ② 中産階級の家庭では、夫婦共働きが理想の家庭と考えられるようになった。
 ③ 家庭は、消費と精神的なやすらぎの場から、生産と消費の場へと変化した。
 ④ 中産階級の家庭では、結婚後の女性が家事や育児に専念する傾向が強まった。
                   (1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

次の絵aは、1851年にヨーロッパのある都市で開かれた催しの会場を、絵bは、そこに集まった見物客を描いたものである。これらの絵について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① この催しには、鉄道を利用してやってきた見物客も多かった。
② この催しには、自動車を利用してやってきた見物客も多かった。
③ この催しは、パリで開かれた第一回万国博覧会である。
④ この催しは、ベルリンで開かれた第一回万国博覧会である。
(1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

鉄道旅行について述べた次の文の空欄( ア )と( イ )に入れる都市の名と行事の名の組合せとして正しいものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。
トマス=クックは、1840年代から鉄道を利用した団体旅行を企画・実施し始め、1851年に( ア )で開催された( イ )にも格安で団体旅行客を送り込んだ。
①ア―パ リ      イ―第1回万国博覧会
②ア―パ リ      イ―第2回万国博覧会
③ア―ロンドン     イ―第1回万国博覧会
④ア―ロンドン     イ―第2回万国博覧会
(2004年度 本試験 世界史A 第2問 A )

 ....という話しをMLで行っていたところ、近代における余暇~レジャーの変化をテーマに、した授業を教えてもらった。著者は愛知県の磯谷正行先生で、産業革命以降、民衆が「規律化(勤勉化)」されて資本家の提供する娯楽を享受するようになった、という変化を授業化したものである。近代以前の娯楽は野蛮であり、労働生産性にマイナスに作用していたのである。トーマス・クックと禁酒法の関係も、この視点から見ると大変興味深い。磯谷先生の授業プランは『歴史と地理』447号(1992年11月)に掲載されている。なお磯谷先生のこの授業は、1992年に開催された全国社会科教育学界(全社学:広島大学系)と日本社会科教育学会(日社学:筑波大系)の合同研究大会で発表されたものである。昔は両学会合同の研究大会などやっていたのか....とちょっとビックリ。

 山川出版社の教科書『新世界史』第Ⅳ部「近代」の冒頭の解説で、近代とは、「現在に近い時代」ではなく、「まとまった一つの時代」であると指摘されている。近代は人々が「進歩」を追求し、技術革新や国民国家、自由主義を実現しようとした時代である、と。その結果さまざまな諸問題もひきおこしたのであるが、この前書きの最後は含蓄に富んでおり、「歴史総合」全体に関わるような提言だと思う。筆者はおそらく小田中直樹先生であろう。

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