So-net無料ブログ作成
授業研究・分析 ブログトップ
前の10件 | -

明治図書『教育科学 社会科教育』2019年9月号 [授業研究・分析]

 以前は?な記事もあった明治図書発行の教育雑誌『社会科教育』。『社会科教育』に限らず、『現代教育科学』や『ツーウェイ』など(ともに今は廃刊となっているようだ)1990年代後半に明治図書から出ていた雑誌を読み直してみると、色々な意味で面白い。当時『社会科教育』の編集長だった方のブログでお叱りを受けたことも、今ではそれなりによき思い出だ。
 さて、『社会科教育』9月号の特集は「近現代史と政治 授業づくりパーフェクトガイド」である。それぞれに興味深い記事が並んでいた。

(1)「昭和初期の社会の様子と探究型学習」
 写真をメインとしているが、看図アプローチのように写真そのものを看て考えるデザインとはなっておらず、考察の結果として写真を選ぶのが社会科的だ。8枚のうち2枚はダミー。

(2)「エピソードから教材へ」
 歴史の授業を担当する教員なら、同感という部分が多い。ただエピソード解釈の妥当性には注意を要するかも。ヒトラーが結婚資金を貸し付けたの理由が少子化対策?Volks Wagenを英語に訳すと、People's Carでよいのかな。こうした疑問も教材化できそう。

(3)授業改革と連動した高校歴史「調査・体験活動」プラン 
 連載「歴史探究ミニツアー」とも相まって、フィールドワークはやってみたい。熊本県の大先輩の世界史の先生が、かつて日露戦争の出征者について調べていたことがあったし、熊本市内のある高校には宮崎滔天とともに孫文が来たときの講演記録が残っている。15㌻掲載の表中「湊川神社・大倉山公園」(日清・日露戦争)は、この3年間ダンス部の引率で毎年行っている神戸文化ホールの近く。

(4) 「この人物」お宝授業ネタ&エピソード
 33㌻「お宝授業ネタ&エピソードを発見する方法」が面白い。

(5)教えるのが難しい「領土」授業でどう扱うか
 視点の提供。

(6)歴史の当事者となって「自分なら」を考える授業を!
「あなたが幕府の役人だったら、開国に賛成しますか?反対しますか?」という問いが紹介されているが、思い出したのが先日関西の先生方と話したときに話題となった授業。滋賀県立守山高校の大橋康一先生が行った「老中は知っていた オランダ風説書と黒船来航~江戸幕府は何をわかって開国を決意したのか~」という世界史Aの公開授業である。タイトルから分かるとおり歴史総合を念頭に置いた授業で、「あなた方が1853年に開国を決断した理由は何ですか」という問いをオランダ風説書をもとに考察する。生徒の反応も含めた授業記録をいただいたが、生徒が考えた開国の理由について、2時間目と10時間目の変化が興味深い。2時限目は、江戸幕府が開国した理由について、ほとんどの生徒(93.5%)が黒船の武力に屈したと考えていたが、同時代の世界史を学習し、風説書の内容が理解できた後では、軍事面を挙げた生徒が激減している(13%)。歴史総合「近代化とわたしたち」のお手本のような授業。



社会科教育 2019年 09月号

社会科教育 2019年 09月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 雑誌



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

看図アプローチの研修 [授業研究・分析]

「教育改革で真価を発揮する看図アプローチ~授業づくり入門講座~」という研修会に参加してきた。
  日時:令和元年6月22日(土)
  場所:熊本学園大学付属高校
  講師:鹿内信善先生(天使大学教授)
  主催:アクティブラーニング型授業研究会くまもと


 高校の世界史の授業を考えたとき、生徒全員が図版が数多く載っている資料集を持っているので、看図アプローチは有効な手法だと思っている。これまでベラスケスの「ラス・メニーナス」を使った授業などをやってみたが、発問や導入など基本的に「私の思いつき」で作ったものであり、根拠や理論に基づいたものではなかった。例えば、「ベラスケスが向かっているキャンバスに書かれているのは何だろうか」といった「正解がない問い」が果たして妥当なのかどうか。また山川出版社の『アクティブラーニング実践集 世界史』には、ウルのスタンダードを用いた看図アプローチの授業が紹介されているが、描かれているものやことよりも、「果たしてこれは一体何に使ったのだろうか?」という問いの方が面白いと思う。こうした疑問を解消するためのヒントを得たいと思い参加した。

 私が視覚資料を用いた授業に関心を持ったきっかけは、初めて日本史の授業を担当したときに買った『絵画資料を読む日本史の授業』(国土社、千葉県歴史教育者協議会日本史部会 編)だった。同書に収録されている実践記録を読むと、タイトルを今風にアクティブラーニング○○○とかつけ直して再発しても十分通用するように思われるが(同書の初版発行は1993年)、この本に見られるように「ビジュアルテキストの読解」と「読み解いた内容にもとづいた発信」を行うという歴史の授業は、かなり前から行われていた。ただこうした取り組みは、教員の経験と閃きに基づいて行われる場合がほとんどで、方法論として確立されていたわけではない。わざわざ「看図アプローチ」という用語が使われているのは、認知心理学に基づいて体系化された手法で、「見る」という行為を学習活動の中核としているからである。鹿内先生からは汎用性の高いルーブリックも紹介され、看図アプローチは大変有効な手法であると感じた。

研修会で印象に残ったのは、以下の点。
(1)「よく見る」ための情報処理・・・・「もの」と「こと」を区別する
  ①変換:「もの」を「言葉」に置き換える
  ②要素関連づけ:構成している諸要素を相互に関連づける
  ③外挿:「こと」を越えて発展させる
(2)ビジュアルテキストの読解指導
  ①「要素関連づけ」「外挿」を誘発する発問
  ②焦点づけを促して情報を精査させる指示
(3)オープンエンドであっても、個人の中ではクローズエンドにする
  納得が必要
(4)思考の記録を成績化するルーブリック:A~Dの4段階
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

新学習指導要領における世界史の授業 [授業研究・分析]

IMG_1495.JPG


 歴史科学協議会が発行している雑誌『歴史評論』2019年4月号の特集は、「歴史教育の転機にどう向き合うか」である。『社会科教育』(明治図書)をはじめとする教育学関係の記事とはまた違った視点で書かれた記事もあって、興味深い論考が並んでいた。掲載された論文のうち、特に面白かったのは以下の4つ。
 ①今野日出晴  内面化される「規範」と動員される「主体」
 ②成田龍一   『学習指導要領』「歴史総合」の歴史像をめぐって
 ③桃木至朗   歴史の「思考法」の定式化
 ④吉嶺茂樹   高校教員の目から見た世界史探究

 まず①は、「期待と可能性」で語られる新しい学習指導要領、なかんずく「歴史総合」を批判的に検討した論文。国語の教科書で取り上げられている教材が徳育的であるという話は以前からあったが、歴史教育もそうなっていくのだろうか。『社会科教育』2019年4月号86㌻以下を読むと、確かにそんな気がしてくる。①を踏まえて②を読むと、「歴史総合」がこれまでの歴史系科目とどこが違うのかがよく分かる。③は高校の歴史教員にとって耳の痛い部分もあるが、「大変革に混乱はつきものだがそれを乗り越える覚悟がないとダメ」という点は肝に銘じておきたい。④は、新科目「世界史探究」を論じている点で珍しい。今や「死に体」となってしまった観のある「世界史A」を元に、「探究」とはいかなる内容かという点を論じている。教員に求められるのはプロデューサーになる力という指摘は、『社会科教育』2019年1月号で「「教える授業」から「コ-ディネートする授業」へ」(18㌻)とあるのと同様の視点だろう。なお、同一の内容は原田智仁編著『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』でも述べられている。筆者は同じだが、『社会科教育』掲載の記事には授業構成の概略が示されており、より具体的である。ふたつ併せ読むことではじめて、筆者の云わんとすることが伝わってくるような気がするが。
 『歴史評論』4月号のそれぞれの論考には数多くの論文が参考として引用されており、「歴史総合」や新学習指導要領に対する評価検討の流れも確認できてなかなか便利だった。大枠で「歴史教育が大きな転機を迎えているので、教壇に立つ側の意識を変えなければならない」という認識では共通している。その通りだと思うが、「歴史を役に立つ科目にしなければならない」という意志を強く感じるのは気になる。「役に立つ」の基準はいったい何なのだろう。「正解が複数ある」とはいうものの、教師の意向を忖度した意見を発表した生徒が高い評価を得るようになってしまっては困ってしまうし、そもそも「多様性を尊重」するために、役に立つ授業かそうでないかというような二項対立を持ってくるような論調にも疑問を感じる。①の最後の箇所(11㌻、「歴史学が....」以下)は、常々私が感じていたことに通じる。
『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の「「世界史探究」-ポイントはここだ」でも、「世界史探究」が目指していることの一つとして、公民としての資質・能力の育成があげられている。政治教育が目的ならば、歴史教育は手段となってしまうのだろうか。教育学部の学部生時代には森分孝治先生の社会科授業論に傾倒した私などは「歴史の授業も大変になったもんだ」とため息しか出ないが、おそらく私のような世界史教師こそ時代遅れの代表なのだろう。



社会科教育 2019年 01月号

社会科教育 2019年 01月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2018/12/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 04月号

社会科教育 2019年 04月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 03月号

社会科教育 2019年 03月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/02/12
  • メディア: 雑誌



歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 歴史科学協議会
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

  • 作者: 原田 智仁
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/14
  • メディア: 単行本



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

中村高康著『暴走する能力主義』 (ちくま新書) [授業研究・分析]

 「多面的・多角的に考察する力」「課題の解決に向けて構想する力」「考察したり構想したことを効果的に説明する力」「議論する力」。これらの能力は、今回改定された学習指導要領において地理歴史科で身に付けるべきとされている力の一例である。これらの能力は、果たして本当に新しいのだろうか。個人的な感覚では、まったく新しくない。現行の世界史Aの学習指導要領においても、「多面的・多角的に考察」「追究し考察した過程や結果を適切に表現」「課題意識を高め,意欲的に追究」「国際社会に主体的に生きる国家・社会の一員としての責任」といった表現が出てくる。このような教科・科目の内容に関する知識ではない能力の重要性は、今になって主張されてきたわけではない。私が小学生の頃のジャポニカ学習帳のCMソングは「天才秀才ガリ勉くん、点取り虫にはなりたくない」という歌詞だったが、これを思い出しても「知識偏重はよくない」という考えが40年以上前からあったことが分かる。推薦入試やAO入試に集団面接・集団討論が取り入れられていることも「ペーパーテストでは測定できない能力」を重視したためだったように思われる。
 「議論する力」も新しい能力とは思えない。加藤公明先生は討論にもとづく日本史授業を実践して来られた[https://www.jstage.jst.go.jp/article/socialstudies/1996/74/1996_6/_pdf/-char/ja]。ベネッセのサイトで紹介されているモンゴル帝国の授業[https://www.benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html]は、NHKのEテレ「わくわく授業」で2006年に放送されたものであり(記録は、岩波ブックレット『世界史なんていらない?』と、明治図書『中学・高校の優れた社会科授業の条件』に掲載されている)、新しい授業ではない。グループワークについて故鳥越泰彦先生とお話ししたのも、2007年の日本西洋史学界のことであり、(平成30年に発表された指導要領から数えて)2つ前の学習指導要領の時期に当たる。このことは岡崎勝氏も、アクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びという言葉は「以前から教育界で唱えていた「自ら考え、自ら学ぶ」という呪文を言い換えただけ」と指摘している(『現代思想』2017年4月号・特集「教育は誰のものか」84㌻)。

 なぜこうした「今さら」の話しになるのだろうか。以下、本書からの引用である。
 「私たちが「新しい能力」であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初からわかりきった能力にすぎないものなのである。そのように考えてくると、職業に求められる能力の質が大きく変化した結果としてこれらの能力が注目されるようになったと考えるよりは、全体として能力観が転換しているとの根拠のない前提のうえで、「ではどんな新しい能力が必要か」を無理やりひねり出そうとした結果、最大公約数的な陳腐な能力を、あたかも新しいものであるかのように、あるいはあたかも新しい時代に対応する能力であるかのように看板だけかけ替えて、その場を丸くおさめるといったことを繰り返してきたものなのだ、と考えたほうが、私個人は非常にすっきりする。」( p.46)

 昔から重視されてきた能力が、今になって「"新しい"能力」と強調されるようになったのは「いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければいけない」という議論それ自体である。」(24㌻)からだ。このため、「新しい能力」を後づけで探さなくてはいけなくなったということだろう。

 たとえば、「おとなしい、議論もできないような性格では、高校を出てから社会や仕事に十分適応できない」という言説があるとしよう。本書の第2章「能力を測る」を読んで考えたことは、議論する力はどうやれば測定できるのかという疑問である。なかなか難しいことは容易に想像がつくが、測定が困難であるにもかかわらず声高に能力の必要性が叫ばれる理由は、指摘されているように「ダブルスタンダード」である。

 本書を貫くキーワードは、「メリトクラシー(能力主義)の再帰性」である。能力は社会的に構成され、常に問い直され批判される性質を持っている。ということは、「新しい能力」は常に求められ、そして求めること自体が自己目的化していくことになるが、「まえがき」で筆者は、何が何でも変えなければならないという強固な「意志」の存在に触れている。その意志は一体どこから生まれてきたのだろうか。
 「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」「日本の正社員は世界一守られている労働者になった。だから非正規が増えた」「正社員をなくせばいい」といった発言が、教育改革推進協議会という団体の中心メンバーから出てきている。私が「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」という言説に危惧を感じるのは、この言説が生産性で人間の価値を決めてしまおうという風潮に通じるからだ。「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」と、誰がどういう基準で調査した結果かはわからないが、私が「教育改革」という言葉に不安を覚えるのは、この点にあるのかもしれない。この不安を解消してもらうため、議論する力の育成やICT環境の充実の前に家庭程の経済状況や居住地域の差異にもとづく学業格差(例えば英語民間試験の受験機会の不平等)を解消してもらいたい。夏休みにスイスの牧場で生活体験をする高校生と、明日学校に持っていく弁当を心配しなければならない高校生が、同じ土俵で「議論する能力」や「高校における活動実績」を比較されてしまうことに私はどうしても違和感を拭えない。

 ある調査によれば、「高校生の半数の資質・能力は大学生になってもあまり変化しない 」そうである。とすれば、確かに「高校時代の授業でグループワークや議論が出来なかった高校生は、社会でやっていけない」という言説は、ある程度の説得力がありそうだ。しかし本書の第2章で述べられているように「グループワークや議論する力」の測定は困難である。にもかかわらず、なぜそれが「将来必要な力」で「出来ない人は将来社会でやっていけない」と言い切れるのだろうか。それに調査結果はあくまで「高校生の半数」であり、また文部科学省による平成29年度学校基本調査(確定値)によれば、「大学(学部)進学率(過年度卒含む)は52.6%(前年度より0.6ポイント上昇)で過去最高」となっている(現役は49.6%)。高校を卒業した生徒の半分は大学には行かないという実態を踏まえれば、大学進学者だけを対象にした調査がさほど重要であるとは思えない。

 小針誠著『アクティブラーニング~学校教育の理想と現実』(講談社現代新書)に中でも、大学におけるアクティブラーニングの導入には経済界からの強い要請があったこと(29㌻~)、これまでもアクティブラーニング型授業は実施されてきたこと(第2章)が述べられている。教育学と社会学、視点は異なるが実に興味深い。


暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

  • 作者: 中村 高康
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: 新書



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

「近代化と私たち」の授業 [授業研究・分析]

 新しい学習指導要領によれば、新科目「歴史総合」は①歴史の扉、②近代化と私たち、③国際秩序の変化や大衆化と私たち、④グローバル化と私たち、の4部構成となっている。「近代化」「大衆化」「グローバル化」といった「近現代の歴史の変化」の内容や意義・特色などを理解したうえで、「調べまとめる技能」を身につけ、「多面的・多角的に考察」し、さらに「考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度」まで身につけさせなければならない。何とも盛りだくさんの内容である。

 4つの大項目のうち「近代化と私たち」は、(1) 近代化への問い、(2) 結び付く世界と日本の開国、 (3) 国民国家と明治維新、(4) 近代化と現代的な諸課題の4つの中項目から構成されている。4つの中項目のうち「近代化への問い」では、「交通と貿易、産業と人口、権利意識と政治参加や国民の義務、学校教育、労働と家族、移民などに関する資料を活用し、課題を追究したり解決したりする活動を通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。」となっており、同解説では「交通と貿易」、「産業と人口」、「権利意識と政治参加や国民の義務」、「学校教育」、「労働と家族」、「移民」それぞれについて活用が想定される資料が例示されている。たとえば「交通と貿易を取り上げた場合は、例えば、教師が、貿易額や貿易品目の推移を示す資料、鉄道の敷設距離の推移や航路の拡大と所要日数の推移を示す資料、工場数の推移を示す資料などを提示し、鉄道や蒸気船の急速な普及の理由、貿易によって豊かになった国々の特徴など、生徒が歴史的な見方・考え方を働かせて資料を読み解くことができるように指導を工夫する。」とあるのだが、こうした資料を教師が個人で集めることは不可能であろう。少なくとも学習指導要領解説に例示してある資料は、教科書や資料集などに例示してもらわないと困る。山口県の藤村泰夫先生は、「近代化と私たち」の「結び付く世界と日本の開国」で「綿織物から考える日本と世界」というテーマの授業を提案されているが(平成30年7月開催の高大連携歴史教育研究会・第4回大会)、ほとんどの資料集に掲載されている貿易グラフを除いても、かなり多くの資料を準備されている。

 藤村先生の授業案で面白かったのは、同じく「近代化と私たち」の第一時間目「近代化への問い」の授業プランである。「私たちの生活の中に見る近代化」をテーマに、
起床から就寝までの1日の生活の中で、近代以降生まれたものを前近代の生活と比較しながら考えさせるという授業である。具体的には、目覚まし時計による起床、朝食、衣服、通勤と通学手段、労働と学校、スポーツとクラブ、余暇、近代家族などである。変化を明確にするためには、変わる前と後両方を比べなければならない。あまりに昔と比較しても意味はないので、東京エレクトロンのCM(百年後の日本)をネタに「100年前にはなかったもの」くらいの比較が妥当ではないだろうか。

 藤村先生の「私たちの生活の中に見る近代化」の授業プランを見ていてふと思ったことは、近代になって時間に対する考え方が変化したのではないかということ。これは現行の世界史Aの産業革命あたりでもやれそうだ。

 工業化で機械時計が普及し、時刻が共有化されると、職住分離にともない労働者は工場へ働きに出るため就業時間を守り、公共交通機関も時間通りの運行を求められる。一方で、遅刻の元凶となる酒が敵視され、wikipediaによればイギリスの大手旅行代理店トーマス・クック・グループの「設立者のトーマス・クックはプロテスタントの一派であるバプティスト派の伝道師で、禁酒運動に打ち込んでいた。1841年に開催された禁酒運動の大会に、信徒を数多く送り込むため、列車の切符の一括手配を考えだし、当時高価だった鉄道を割安料金で乗れるようにした。これをきっかけに一般の団体旅行を扱い始めた。」と。時計メーカーのセイコーによるウェブサイトにある、「機械式時計の発達」「初期資本主義の成立」も織り交ぜて使えそうだ。
https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation/relation_03/index.html#addOtherPageAnc03

世界史Aのセンター試験にも使えそうな問題がある。

19世紀後半~20世紀初頭の西欧の家庭や家族について述べた文として最も適当なものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。
 ① 庶民階級の子供は、学校教育の対象とはされず、読み書きは専ら家庭で教えられていた。
 ② 中産階級の家庭では、夫婦共働きが理想の家庭と考えられるようになった。
 ③ 家庭は、消費と精神的なやすらぎの場から、生産と消費の場へと変化した。
 ④ 中産階級の家庭では、結婚後の女性が家事や育児に専念する傾向が強まった。
                   (1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

次の絵aは、1851年にヨーロッパのある都市で開かれた催しの会場を、絵bは、そこに集まった見物客を描いたものである。これらの絵について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① この催しには、鉄道を利用してやってきた見物客も多かった。
② この催しには、自動車を利用してやってきた見物客も多かった。
③ この催しは、パリで開かれた第一回万国博覧会である。
④ この催しは、ベルリンで開かれた第一回万国博覧会である。
(1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

鉄道旅行について述べた次の文の空欄( ア )と( イ )に入れる都市の名と行事の名の組合せとして正しいものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。
トマス=クックは、1840年代から鉄道を利用した団体旅行を企画・実施し始め、1851年に( ア )で開催された( イ )にも格安で団体旅行客を送り込んだ。
①ア―パ リ      イ―第1回万国博覧会
②ア―パ リ      イ―第2回万国博覧会
③ア―ロンドン     イ―第1回万国博覧会
④ア―ロンドン     イ―第2回万国博覧会
(2004年度 本試験 世界史A 第2問 A )

 ....という話しをMLで行っていたところ、近代における余暇~レジャーの変化をテーマに、した授業を教えてもらった。著者は愛知県の磯谷正行先生で、産業革命以降、民衆が「規律化(勤勉化)」されて資本家の提供する娯楽を享受するようになった、という変化を授業化したものである。近代以前の娯楽は野蛮であり、労働生産性にマイナスに作用していたのである。トーマス・クックと禁酒法の関係も、この視点から見ると大変興味深い。磯谷先生の授業プランは『歴史と地理』447号(1992年11月)に掲載されている。なお磯谷先生のこの授業は、1992年に開催された全国社会科教育学界(全社学:広島大学系)と日本社会科教育学会(日社学:筑波大系)の合同研究大会で発表されたものである。昔は両学会合同の研究大会などやっていたのか....とちょっとビックリ。

 山川出版社の教科書『新世界史』第Ⅳ部「近代」の冒頭の解説で、近代とは、「現在に近い時代」ではなく、「まとまった一つの時代」であると指摘されている。近代は人々が「進歩」を追求し、技術革新や国民国家、自由主義を実現しようとした時代である、と。その結果さまざまな諸問題もひきおこしたのであるが、この前書きの最後は含蓄に富んでおり、「歴史総合」全体に関わるような提言だと思う。筆者はおそらく小田中直樹先生であろう。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

『山川デジタル指導書 世界史』(山川出版社) [授業研究・分析]

 昨年の実教出版に続いて[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-11-18]、今年度は山川出版社がパワポ授業用のICT教材をリリースした。パッケージの名称は『山川デジタル指導書世界史 改訂版』で、「デジタル素材集」と「デジタル教材集」の2枚のDVD-ROMで構成されている。価格は3万8千円。「教材集」にはPDF形式の指導書が収録されているため「教科書の指導書」扱いとなり、基本的には教科書を販売している店でしか購入できない。「素材集」単体なら教科書販売店以外でも購入することが可能で、価格は2万円である。

DSCF3330.jpg


 2枚のうち、パワポ教材が収録されているのは「教材集」(「指導書」扱いの方)で、内容は以下の通り。
 ①教科書と指導書のPDFデータ(テキスト抽出可能)
 ②パワポ授業用スライドデータ
 ③デジタルマップ
 ④黒板投影用白地図
 山川出版社は、世界史ABそれぞれ3点計6点の世界史教科書を発行しているが、「教材集」には6点すべての指導書が収録されている。山川の指導書は6種類とも「授業実践編」と「研究編」の2冊セットであるが、「研究編」は6点とも同一なので、「授業実践編」が6点と「研究編」が収録されている。個人的には読むときには紙媒体の方が好みだが、これだけの分量がROM1枚に入っていることを思えば、持ち運びにはデジタルメディアの方が便利なのは言うまでも無い。
 大いに注目だったのがパワポ授業用のスライドデータ。実教よりも後発という点で「王者山川だけに、もっとすごいものを出してくるに違いない」と期待したのだが、実教とはコンセプトが全く異なるものを出してきた。実教版のパワポ教材は、基本的に「板書代わり」である。クリックすると重要事項がアニメーションで表示されていくもので、同内容の書き込みプリント(ワード形式)や一問一答、テスト問題、教科書本文まで用意されており、世界史の授業を初めて担当するという教員も、このスライドに沿って進めていけばだいたい授業の形になる。しかし、そのままだと一方的な説明による講義がメインとなる可能性が高く、工夫が必要である。一方、山川のパワポスライドは、より理解を深めるための説明用であり、テキストが主体の実教版とは異なり、地図や図版が大きなウェイトを占めている。このため教師の語り(説明)が重要な役割を果たすことになり、また生徒に対する問いかけも山川版の方が行いやすい。大まかなイメージとしては実教版よりも経験を積んだ教員向けという気がする。
 「素材集」は、「教材集」のパワーアップキットと考えてよい。「教材集」収録のパワポスライドのデータに、自分でつくったスライドを挿入したり既存のスライドをカスタマイズするときに活用できる素材集である。収録されている素材は、前述の山川出版社が発行している世界史教科書6冊に収録されている図版や表、グラフなどの画像データで、自作のプリントやパワポスライドに挿入できる。画像データは、教科書別、種類別(地図・年表・図・表・グラフ・史料・系図の7種:複数選択可)で関連するデータを検索してPCに保存して使用する。例えば、「すべての教科書」から「アヘン戦争」をキーワードに「すべての種類の画像データ」を検索すると、「三角貿易の概念図」や「アヘンの流入量と銀の流出量の折れ線グラフ」など22種のデータがヒットする。使いたい素材にチェックを入れて、「選択した画像をパソコンに保存」をクリックすれば、任意の場所に画像を保存できる。ただし、同じデータや類似のデータが異なる教科書に掲載されていることもあるため、実際の種類は22よりも少ない。また、肖像画をはじめとする絵画は収録されていない(ウィキメディアをはじめとするフリー素材がネット上で入手できるからであろう)。個人的な感想だが、「素材集」は、かつて株式会社ゼータ(https://www.zeta.co.jp/)が発売していたPCソフト「プリントメーカー」とほぼ同じである。余談だが「プリントメーカー」は収録データに間違いが多く、なかなか困ったソフトであった。指摘するたびに修正はしてくれたが、何度も間違いを指摘したお礼なのか、私の似顔絵画像データを3種類つくってくれた。
 最後に地図ソフトについて触れておく。「教材集」収録データのうち「黒板投影用白地図」は、黒地に白ラインの海岸線がはいった画像データで、国境線がはいっているものとそうでないものが用意されており、西アジアや東アジアなど地域ごとの地図も用意されている。黒板に投影して教師が黄色のチョークでデータを記入していくことができそうだが、活躍する場面はあまりないようにも思われる。また山川版「デジタルマップ」については、特筆すべき点はない。私の使用方法が良くないのか、画面上で線を引こうと思ったら二点間を結ぶ直線になってしまう。第一学習社の「世界史図表DVD-ROM」収録のデジタルマップも線をひくことはできないが、浜島書店の「デジタルアカデミア世界史」はフリーハンドで自在に線を引くことが可能である。黒板に投影すればチョークで線を入れることは可能だが、黒板ではなく大型テレビに投影している場合はチョークを使えないため、やはりアプリ上で線が引ける方が便利だろう。私の場合、世界史のICT教材として活用する機会が最も多いのは、「デジタルアカデミア世界史」になりそうだ。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

小針誠『アクティブラーニング 学校教育の理想と現実』(講談社現代新書) [授業研究・分析]

 アクティブラーニングを教育史や教育行政の立場から分析した好著。これまで読んできたいわば実践本とは異なる視点から書かれているため、大変面白く読むことができた。引用される資料が多く、かなり検証されているなという印象。
 まず著者は、アクティブラーニングをめぐる五つの幻想を提示する。これらを検証する中で様々な問題点が指摘されてたが、特に気になったのは、子どもの家庭状況(貧困など)によってはなじめない子どもが出てくるのではないかという指摘。基礎知識がある児童生徒は積極的な参加が期待できるが、そうではない児童生徒はどうなるのか。先日、英語の新テストに使われる民間の外部検定が発表されたが、中には受験料が2万円を超えるものもあった。新テストの採点はベネッセなど民間業者が行うことから、その受験料も気になる。おそらく検定料や受験料の調整はこれから行われるだろうが、しっかりと対応していただきたい。「子どもの貧困」など経済的な格差が、教育格差につながりはしないか。
 興味深かったのが、第二章「近代教育史のアクティブラーニング」で、大正時代に成城小学校で行われたドルトン・プランなどの実際が紹介されている。ドルトン・プランについては、同じく講談社現代新書の『教育の力』など苫野一徳氏の著作でも紹介されているが、実際どのように運用されてどのような問題点があったのかというまとめはとてもわかりやすかった。こうした過去の先行例を見ておくのも、無駄ではあるまい。
 現実問題としていま私が最も気になっているのが、第一章で指摘されている「ゆとり教育」から「ふとり教育」へ移行した結果、授業時間の確保をどうするかという点である。地理歴史科の新科目「世界史探求」は、現行の「世界史B」の4単位から標準3単位となった。「歴史総合」では、日本史関係も世界史関係も両方扱うが、これは2単位である。ディスカッションやグループワーク、探求活動などを行うことを想定すると、教科書の内容は精選されるだろうが、2単位での運用は破綻するような気がしてならない。現在多くの学校では、世界史AとBの時間を合わせて、Bの内容を完結させている例が多いと思うが、カリキュラム・マネジメントの名の下に運用は現場に丸投げされ、「戦時下の国民精神総動員のスローガン「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」を思い出す」(64㌻)という状況を危惧している。
 今を去ること10年以上前、新潟で行われた日本西洋史学会で故鳥越泰彦先生は、「考えさせる」という独特な使役形に対する違和感を表明しておられた。このことは、『新しい世界史教育へ』に収録されている「高校世界史教育からの発信」でも述べられているが、主体的であることを強制するというのは確かに奇妙なことである。本書で引用されている調査結果によれば、学校段階があがるにつれてアクティブラーニングに対する意欲は低下するという(20㌻)。先日、大学に進学した教え子が尋ねてきた折りに、大学での活動を色々尋ねてみた。『地域から考える世界史』の中で、私が紹介している女性である。彼女の話を総合すれば、有名大学であってもそうした傾向は見られるようだ。



アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)

  • 作者: 小針 誠
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: 新書



新しい世界史教育へ

新しい世界史教育へ

  • 作者: 鳥越 泰彦
  • 出版社/メーカー: 飯田共同印刷
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: 単行本



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

パワポで世界史の授業 [授業研究・分析]

 マイクロソフト社のプレゼンテーションソフト、「パワーポイント」(以下パワポ)を使い始めたのは、10年ちょっと前のこと。島根県立松江教育センターでの「授業力向上セミナー」(2007年)とか、九州高等学校歴史教育研究協議会大分大会(2009年)の時にはパワポを使ったプレゼンを行ってきたが、授業で使ったことは全くなかった。NHKの「わくわく授業」収録の時には、「テレビに映るんだから、カッコいい授業をしたい」と思ってパワポ使おうとしたら、NHKのディレクターさんからストップがかかった。現在はどうなっているか知らないが、10年くらい前はパワポ使う場面が番組に映り込むとマイクロソフト社からクレームがきていたらしい。

 今年の九州高等学校歴史教育研究協議会(長崎大会)の全体会で、開催県である長崎県からは、パネルディスカッションの報告が行われた。「歴史教育におけるICT活用について」というテーマのパネルディスカッションである。ディスカッションの前に事前のアンケートもとられているが、集計結果を見る限り「ICT活用の効果は認める」が、「機器の整備や活用スキルの問題から、なかなか使えていない」「あくまで手段であり、本質ではない」という考えが見えてくる。後者の意見に関して言うと、ICTというよりもパソコン関係一般についても言えることかもしれない。柳原伸洋先生は「インターネットと世界史教育は相性がよくない」「多くの教育者は、インターネットを敵視しているきらいがある」と指摘しているが(「インターネット時代と世界史」、勉誠出版『地域から考える世界史』に収録)、さきほどの「ICT機器の活用はあくまで手段であり、本質ではない」という考えに通じるような気がする。

 私自身について言えば、パワポは使ってないが、機器の活用には熱心な部類だと思う。3年生の授業は、プロジェクターが使える教室が空いているときはそちらの教室を使うようにしている。
ブログの過去記事から
「ICTを使った世界史の授業」http://zep.blog.so-net.ne.jp/2014-07-25
「新聞記事を使ったアクティブラーニング:現代社会
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2015-07-28

 ICT機器を使った授業を、生徒はどう感じているのだろうか。私が熊本北高校で担任していた3年1組の学級日誌に、男子生徒が以下のような文を書いていた(原文のまま)

平成27年7月31日 雨   今日の世界史は電子黒板を使った授業でした。昨日から楽しみにしていて、その期待を裏切らない性能でただ驚くばかりでした。今日、一部マスコミで騒がれている、教育のデジタル化。ある知識人は「百害あって一利なし」と言っておられました。私は今回の授業のように、先生方のみ使用するのであれば導入してもよいと思います。なぜなら生徒ひとりずつに配ると、必ず機械を無駄に触る者が出てくるからです。パソコン室での授業がよい例でしょう。先生方のみが使用するのであれば上のようなことは起こらないと思います。

 これは夏休みの課外授業の際、浜島書店の『デジタルアカデミア』を使ってみたときの生徒の感想であるが、生徒一般の意見として、地図の拡大縮小や移動方向の図示、美術作品の解説はとてもわかりやすいとのこと。

 現在使っているのは浜島書店の『デジタルアカデミア』だけであり、あくまで「理解を助ける」という目的である。授業そのものをICTで行っているわけではない。授業は穴埋めプリントと板書で行っている。しかし最近は、社会系の授業でパワポを使っている先生も多いようだ。「パワポ世界史」で検索してみると、様々なコンテンツがヒットする。

 私自身は、これまで授業でパワポを使ったことはない。できればやってみたいとは思っているのだが、「スライド作るのが億劫」という実に後ろ向きの理由が、使っていない理由である。一枚のスライドにはいる文字数には限りがある。一時間の授業で必要なスライドの枚数は、いったいどれくらいになるのか。もし挫折して年度途中から板書に逆戻りになったらカッコ悪いし....など様々な不安が頭をよぎる。

 そして今年購入したのが、実教出版の「教育支援デジタルコンテンツ 世界史共通」である。正直、「今の若い先生たちは楽チンでいいね」と皮肉の一つも言いたくなるほどの収録内容であった。これまでも、一問一答や定期考査問題例、白地図ワーク、教科書本文などは各社の教師用ROMに収録されていたが、パワーポイント用スライドを収録した商品は、初めて目にした。「黒板用(背景が文字は白、重要事項の文字は黄色)」と「ノーマル版」の内容が同じスライドが2種類、スライドに対応した穴埋めプリント&解答も収録されている。その他、「各国史プリント」「テーマ史プリント」(いずれも問題形式)など課外授業でも使えるだろう。いずれもWord形式のファイルなので、自分用にカスタマイズできる。スライド中の「Link」をクリックすると画像データに飛び、さらに重要部分は拡大される。例えば「大航海時代」だと、Linkでコロンブスの航路データに飛び、さらに航路部分が拡大されるという流れ。実教さん、勝負に出たな!という感じだが、横綱山川も来年3月にパワポ教材を発売するとのこと。

PP.jpg

メニューはこんな感じ


 先日、「パワーポイントのスライドを使った授業が恐ろしくつまらない理由」という記事[http://blog.share-wis.com/?p=457]を目にしたが、「つまらない理由」は「追体験を発揮しづらい」という指摘だった。この指摘に関して言うと、世界史の場合は空欄とアニメーションを使って十分クリアできるのではないかと思う。3年生から中国史の解説をして欲しいという要望があるので、そこで実教世界史のパワポをテスト使用してみようかと考えている。

 現時点では、浜島の『デジタルアカデミア』が世界史関係ではベストだと思っているが、先日、ある会社から「『デジタルアカデミア』のような資料集ソフトに動画や音声を入れた商品に魅力を感じるか」と尋ねられた。大いに感じる。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

「主体的、対話的で深い学び」をもう一度 [授業研究・分析]

 10年前、新潟で鳥越泰彦先生と私が話したことは、世界史の授業におけるディスカッションについてだった。「クラス全体だとなかなか発言できない生徒でも、小グループだと発言しやすい」「グループの意見をクラス全体に発表するときも、自分だけの意見じゃないので、責任感が薄まり抵抗感が小さい」という小グループによるディスカッションのメリットから、「根拠がない思いつきの意見を排除するにはどうすればいいか」「話し合いに適しているのはどんなテーマか」といった点だった(グループ学習の意義については、鳥越先生の『新しい世界史学習へ』67~68㌻で述べられている)。

 このときの西洋史学会で、私は「生徒の自発的思考を促す世界史学習の試み」というテーマで発表した。発表の元になったのが、NHKの教育テレビで2006年の7月に放送された「わくわく授業」の内容である。折も折、放送から間もない2006年の10月、全国の高校で世界史の未履修が発覚して社会問題となった。これを契機に日本西洋史学会でも高校における世界史の授業に関心が向けられ、翌年2007年の大会では「歴史教育への現代的アプローチ -歴史学者、社会科教育学者、実践家の立場から-」というシンポジウムが設定され、私に声がかかったのであった。

 ・西洋史学会第57回大会のプログラム http://www.seiyoushigakkai.org/2007/annai.pdf
 ・私の発表レジュメ
    http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/seiyousigakkai.pdf
 ・鳥越泰彦「世界史未履修問題を考える」(日本学術協力財団『学術の動向』2008年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/10/13_10_8/_pdf
 ・鶴島博和他「世界史教育の現状と課題(Ⅰ)」(『熊本大学教育学部紀要』62、2013)
  http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/29209/1/KKK062_029-056.pdf

 NHKのディレクターさんから「講義形式ではない歴史の授業を提示したい」というお話をいただき、ディレクターさんと話し合いながら授業をつくっていったのだが、ここ数年来この時の授業に関する問い合わせを時々頂き、授業見学などもいただいている。「アクティブ・ラーニング祭」のおかげだ。当時はアクティブ・ラーニングなんて言葉はなかった。あったのかもしれないが、耳にした記憶はない。「対話的・主体的な深い学び」「アクティブ・ラーニング型授業」が脚光を浴びたおかげで、10年も前の私の授業が注目されたというわけだ。NHKでは「わくわく授業」の番組自体が終了しており、NHKのサイトは閉鎖されているが、現在ベネッセのサイトで紹介されている。有り難いような恥ずかしいような不思議な気分だ。なぜ恥ずかしいのかというと、現在このような「考えさせる」授業は、ほとんどやっていないから。それでも当時のディレクターさんの文章を改めて読ませていただいて、とても懐かしい気分である(ビデオ見直す勇気はないから笑)。

・ベネッセのサイト: http://benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html
  ・番組を視聴された方(栃木県の高校日本史の先生)による分析と評価
    http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub5.htm#9e
  ・私自身による授業解説「こんな授業をやってみた」
    南塚信吾『世界史なんていらない?』(岩波ブックレット)に収録
  ・「モンゴル帝国の発展」の授業プラン
  「ネットワーク論にもとづく高等学校世界史の授業 :
     小単元「モンゴル民族の発展」の場合」
    http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/standard.pdf
    全国社会科教育学会「社会科教育論叢」第45号に掲載
    全国社会科教育学会編『中学校・高校の“優れた社会科授業”の条件』
     (明治図書)に加筆して再録


 昨年度(今年の2月)、学年末考査も終わったことから、2年生の世界史Aでやったのが、「第二次世界大戦に至る道」という授業である[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2016-12-30]。

平成29年2月23日・熊本県立熊本北高校2年2組・世界史A)
 ・問い「第一次世界大戦後、国際協調の時代を迎えたにもかかわらず、第二次世界大戦に至った原因は何だろうか」
 ・テーマ「自分の言葉で歴史を語ろう」
  (「わくわく授業」のキャッチコピー「「歴史の謎に自力で迫れ」」のパクリである)
(1)生徒の理解の深化状況
①生徒の記述より
・【原因】として「世界恐慌」という言葉をあげた生徒は多かった(41名中24名)。
  (「世界恐慌→ファシズムの台頭→侵略戦争」という流れ)
例)(第二次世界大戦が起こった理由は)「世界恐慌」である。
   (なぜなら)「世界恐慌対策のために各国が自国のことを考えたブロック経済などを行った結果、日本やドイツ、イタリアの国が兵力を使って無理に領土を拡大しようとしたから」である
 ・概念化できていた生徒の例
  (第二次世界大戦が起こった理由は)「国際協調を無視し、自国の利益を優先した行動を起こすことで、国どうしの調和がとれなくなるから」である。
  (なぜなら)「ヴェルサイユ・ワシントン体制での二つの条件である、世界経済が好調で規模も拡大していること、平和維持の価値が広く認められていることの1つ目が世界恐慌で失われ、ドイツがナチズムをとるとともにヴェルサイユ体制の打破をとなえ、国際連盟から脱退するなど協調を保つことが難しくなったから」である。
 ※この生徒(日本史選択)は「国際協調の精神はなぜ失われたのか」という点に注目したと言っていた。
②教師の見取り
・資料として年表を使ったため、事件や出来事には目が向いたが、上位の概念化は難しかった。

(2)反省と改善
 ①全般:「戦争を未然に防ぐには、どうすればよいだろう?」という問いに進む時間はまったくなかった。
 ② 資料の提示
  ・反省:年表の活用について、提示の仕方や具体的な指示について工夫が必要。
    配付資料の右側に目がいかない生徒がいた。年表で「帰還不能点」を探すことと、戦争が起こってしまった理由を考察することが結びつかない生徒もいた。
  ・改善:教科書や資料集のみを使い、教師がつくる資料は特に提示しない。
③文章の基本構成:例の提示について・・・・構成を変える
・改善:今回は「論点→意見→論拠」としたが、「年表を見て考える」というプロセスなので、「論拠→意見」という構成に変更する。
  (参考:山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書)
② 文章化の具体的なプロセス
・反省:「自分の意見」を書くのか「班の意見」を書くのか指示が不明確であった。
・改善:「最初に個人で文章化→次にグループで他者と意見交換→再度個人で文章完成」、というプロセスの方がよいのでは?

「対話的」な学びを、「深い」学びに引き上げるのは、本当に難しい。






nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

鳥越泰彦『新しい世界史教育へ』(飯田共同印刷株式会社) [授業研究・分析]

 私が鳥越泰彦先生と直接お会いして言葉をかわしたのは一度だけ、今からちょうど10年前のことである。2007年に新潟で開催された第57回日本西洋史学会で、私の発表に対して好意的なコメントをしていただき(このときのビデオが残っている)、シンポジウム後に少しお話をさせてもらった[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-06-18]。当時私は鳥越先生のことをよく存じておらず、後日凄い先生だということを知り、ずいぶんと慌てたものだ。その後、何度かメールを交わして教えをいただいたのも、大変貴重な体験だった。

 本書は2014年に急逝した鳥越先生の歴史教育論をまとめた論集である。小川幸司先生による「あとがき」を読むと、編集の苦労が偲ばれる。
  第Ⅰ部 歴史教育論
  第Ⅱ部 授業実践
  第Ⅲ部 未来への構想
  第Ⅳ部 回想記


 以下、特に印象に残った項目について、私の備忘録的メモ。
 まず第Ⅰ部・第1章「高校世界史教育からの発信」。最近、女優の水原希子が出演しているサントリーのCMに対して、ツイッター上で差別的なツィートが寄せられるという出来事があった。鳥越先生の日高先生の実践に対するコメント「○○人というレッテルで人を区分することの限界」を目にして、この水原問題という今日的な問題が、歴史学習の切り口としても十分通用するのでは?と感じた。
 「改めて歴史的思考力を考える」ことは、われわれにとっては何のために授業をするのかということにつながる。「理解させる」「考えさせる」という独特な使役形に対する違和感。鳥越先生と同じ意見を持つ必要はないが、われわれ一人一人が自分にとっての歴史的思考力とは何かを考え、授業作りのベースにしていくことは大切な作業だと思う。
 小川幸司先生の『世界史との対話』について。鳥越先生は「世界史の知の三層構造(第一が事件・事実、第二が事件・事実を相互に結ぶ解釈、第三が「歴史批評」)」を評価しつつ、小川先生の歴史批評のみが提示され、生徒(読者)の歴史批評を提示する余地がないことを指摘している。今年の5月、第67回日本西洋史学会(一橋大学)で小川先生が講演なさったときのレジュメを入手し、拝読したが小川先生はその時の発表で「問い」にこだわっているような印象を受けた。 「世界史リテラシーの観点100」は、「過去への問いかけ」から始まり、 教科書案では「歴史を見つめる問い」が設定されている。複数資料の読み取りにもとづく考察も示されている。これらは、鳥越先生のコメントに対する小川先生からの回答ではないかと感じている。
 第Ⅰ章・「世界史教育の何が問題なのか?」(初出:青山学院大学教育学会紀要「教育研究」第49号2005)講義形式、プリント穴埋め形式依存への批判と、グループ学習の可能性が指摘されている。私が西洋史学会の折、鳥越先生から頂いたグループ学習に対するコメントを思い出す。
第Ⅲ部 新しい歴史教科書のモデルプラン。思考力育成型のテキスト。19世紀後半のアメリカ史「アメリカ合衆国の奴隷制と南北戦争」。
 鳥越先生の授業実践については、第Ⅱ部だけでなく、第Ⅳ部における同僚の先生と教え子の方による回想もあわせると、より雰囲気が感じられる。

 新しい歴史教科書プランや、歴史用語精選の試みなど鳥越先生が端緒をつけた取り組みは、現在多くの先生方によって受け継がれている。まだアクティブ・ラーニングという用語が一般化していなかった時期に、その先駆的な実践を行ったのも鳥越先生であった。日常的な私の授業は、鳥越先生が批判している「講義&プリント穴埋め」形式で、「知識を教え込む授業」(土井浩『「テーマ」で学ぶ世界史』文芸社、10~11㌻)である。しかし、本書のような「世界史の授業とはどうあるべきかを考える本」を読むことで、自分の授業に対する姿勢が変わったと感じている。学会誌をはじめとする授業の内容に特化した実践記録を読むことと同じか、それ以上にこうした授業論を語る本を読むことは大切ではないだろうか。鳥越先生のご冥福を心からお祈りする。


「私はすべてを語るべきではなく、人々が自らに問いかけるべきなのだと思ったのです」(クロード・ランズマン、『現代思想』1995年7月号・特集『ショアー』)。「歴史との対話」は、過去へ主体的に問いかける(疑問をもつ)ことからスタートするのだろう。
 
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学校
前の10件 | - 授業研究・分析 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。