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R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫) [歴史関係の本(小説以外)]

 有賀夏紀『アメリカの20世紀(上)』(中公新書)では20世紀アメリカの特徴として、「知的探求体制」というシステムが指摘されている。それは「ひと言でいえば、企業、政府、教育・研究機関一体となって、科学的知識・技術を活用して、社会の発展を推進していくようなシステム」である(75~79㌻)。コロナウイルス関係でよく耳にする、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学(日本ではホプキン「ス」と表記されることが多いが、どちらが正しいのだろう)などはその好例。

 「知的探求体制」の項目を読んでいてはたと思い出したのが、リチャード・ファインマンの自伝『ご冗談でしょう、ファイマンさん』だった。リチャード・フィリップス・ファインマン(1918~1988)は、1965年、朝永振一郎らとともにノーベル物理学賞を共同受賞したアメリカの科学者で、第二次世界大戦中はマンハッタン計画にも関わった。マサチューセッツ工科大学からプリンストン大学の大学院に進学し、ロスアラモス研究所でマンハッタン計画に関わり、戦後はトーマス・エジソンが設立したGE(ゼネラル・エレクトリック社)に勤務、カリフォルニア工科大学の教授としてノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンこそ、アメリカの「知的探求体制」を最もよく示す人物だと思われる。

 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』は、前書きにもあるようにファインマン本人から聞いた話を彼の友人が編集したもので、純然たる自伝ではない。しかし、「僕」という一人称で書かれ、またエピソードが時系列に並んでいるため、とても読みやすい。当然物理学に関する話も出てくるが、解らなくてもとくに問題はない。邦訳も読みやすく「こいつはべらぼうな話だ」「あったりめえよ!」など江戸っ子みたいな口語表現が、いたずら好きでユーモアがありながら時々頑固なファインマンの人柄をよく伝えている。
 ファインマンの両親は東欧からの移民の子孫で、ユダヤ教徒だった。そのせいかもしれないが、マサチューセッツ工科大学時代やノーベル賞授賞式でのエピソードでは、周囲の階級意識への反発を感じさせる部分もある。世界史の教員として面白かったのは、ギリシアの喜劇作家アリストファネスの『蛙』に関する話(ノーベル賞授賞式後の「カエル勲章」は有名だが、もらった人がカエルの鳴き真似をするというのは「ノーベルのもう一つの間違い」で初めて知った)と、マヤ文明の話(「物理学者の教養講座」)だったが、一番心に残っているのは「下から見たロスアラモス」だ。これは大学での講演記録だが、自らは「下っ端」だったと言いながらも「とんでもないモノをつくってしまった」という悔恨が伝わってくる。ノーベル賞晩餐会での日本外交官とのやりとりや、日本を訪れた際の言動(「ディラック方程式を解いていただきたいのですが」)にはロスアラモスでの経験があったのかもしれない。最後の「カーゴ・カルト・サイエンス」(大学の卒業式の式辞)とともに、「科学者とはどうあるべきか」というリチャード・ファインマンの考えがよく伝わってくる章だと思う。それは「知的探求体制」の恩恵を受けてきたファインマン自身、このシステムを必ずしもよしとしていたわけではないことも示している。


ご冗談でしょう,ファインマンさん 上 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう,ファインマンさん 上 (岩波現代文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版



ご冗談でしょう,ファインマンさん 下 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう,ファインマンさん 下 (岩波現代文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版



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有賀夏紀著『アメリカの20世紀(下)』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 下巻が扱うのは1945~2000年、東西冷戦から9.11まで。後半部分は1966年生まれの私自身リアルタイムに体験した時代で、それ以前の時期もNHKで放送された『映像の世紀』などで記憶がある内容だった。授業で戦後の話をするとき、出来事の前後関係や因果関係がなかなか分かりづらい。アメリカという場所を一定にして、それぞれの大統領の時代を軸に叙述されているために流れが把握しやすい。
 「20世紀はアメリカの時代」だが、アフリカ系を初めとするマイノリティに関わる問題には、多くのページが割かれている。現在でも、アメリカ国内でコロナウイルス感染症で亡くなるのは白人よりも黒人が多いという。アメリカではインスタカートなど、買い物代行の需要が急増しているらしいが、感染するリスクを冒して買い物を実際に行う従業員(ショッパー)の多くは、マイノリティだという統計も目にした。授業ではサイモン&ガーファンクルの「私の兄弟」と、ボブ・ディランの「ハリケーン」を聴かせている。

 ケネディとジョンソンという2人の大統領に象徴される第7章「激動の時代」が、最も印象的深い。キューバ危機、ベトナム戦争、公民権運動、フェミニズム、ヒッピーなど授業でも扱うトピックにこと欠かないからだろう。ただ、政治や社会、経済、文化という一見異なるカテゴリーでのトピックに見えるこれらの動きが、無関係に展開したのではなかったことはぜひ伝えておきたいと思っている。2007年の東京外大の二次試験世界史で、このことに関する問題が出題された。センター試験の世界史Aでもウッドストックが出題されている。

『アメリカの20世紀(下)』の最も熱い部分を網羅している映画が、ロバート・ゼメキス監督&トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』。ケネディ・ジョンソン・ニクソンの時代のアメリカを描いた永遠の名作。私は自分の授業で目指しているのは、『フォレスト・ガンプ』や『さらば、わが愛 覇王別姫』のような映画を楽しむことができる知識と感性を持った人になってくれること。できれば退職までにこの2本の映画をノーカットで使って、戦後世界史を語る授業をやってみたい。それだけの力を注ぐ価値のある2本だと思う。

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 大型連休中、S&Gの『水曜の朝、午前3時』とボブ・ディランの『欲望』を聴き、デンゼル・ワシントンの『ハリケーン』と『マルコムX』、そして『フォレスト・ガンプ』を見た。こうした音楽や映画が受け入れられる点こそ、「20世紀はアメリカの時代」だったことを示していると、改めて思う。「アナログ盤は外側の方(A面やB面の1曲目)が、内側の曲よりも音がいい」そうだが、「私の兄弟」はB面の1曲目だ。


アメリカの20世紀〈下〉1945年~2000年 (中公新書)

アメリカの20世紀〈下〉1945年~2000年 (中公新書)

  • 作者: 有賀 夏紀
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/10/01
  • メディア: 新書



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有賀夏紀『アメリカの20世紀(上)』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 「13世紀はモンゴルの時代、17世紀はオランダの時代、19世紀はイギリスの時代、そして20世紀はアメリカの時代」というフレーズを時々授業で使う。本書の前書きにもあるように、「20世紀はアメリカの時代」だったと思う。上巻は1890年代(20世紀前夜)から1940年代(第二次世界大戦勝利)までを扱っているが、国際関係は最小限でおもにアメリカ国内の社会や経済の動きや変化に主眼を置いているのでわかりやすい。特に印象に残ったのがアメリカ社会を理解するためのキーワードとして、文化や価値観における「ネイティヴィズム」(47㌻)と社会システムとしての「知的探求体制」(76㌻)の2つ。今のアメリカでも、トランプ大統領が一定の支持を受けていることや、GAFAやFAANGの興隆とファーウェイへの圧力などを考えれば、なるほどと思った。

 トピック的にも興味深い話をいくつか。
(1)エレノア=ローズヴェルトの活動
 フランクリン=ローズヴェルトの妻。2012年のセンター試験世界史B追試で「黒人や女性,失業者などの権利や福祉について関心の高かった彼女は,ニューディールの様々な政策に関して頻繁に夫に助言した。」と取り上げられた。女性や黒人への言及が多いのも、この本のよかった点。

(2)社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)の受容
 これまで私はヨーロッパの帝国主義の文脈で社会進化論に触れてきたが(2005年の京大世界史二次試験問題のイメージ)、アメリカ国内社会における影響という点には目が向かなかった。アメリカにおける社会進化論は、移民として成功したカーネギーら富裕層と貧しい階層との格差社会を正当化するための理論として機能したが、一方でスペンサーの支持者が日本でも多かったことは興味深い。また大富豪と貧しい階層との間の中産階級には、清潔感という観念がでてきた点もこれまた興味深い。先日読んだ『寄生虫なき病』では、イギリス社会がクリーンさを求めるようになったのは産業革命によって悪化した環境を改善するという必要に迫られた結果としていたが、19世紀のアメリカについても「不潔の国」(『寄生虫なき病』59㌻)だったという記述がある。人々が清潔感を求めるようになったことから石鹸の需要も増大するが、P&Gといった大企業の成長とともに、石鹸の原料となるパームやしの産地であるコンゴでは厳しい抑圧が始まる(『世界史100話』)。まさしく世界システム。

(3)この時期のアメリカを描いた映画
 2本の映画が取り上げられている。ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の『怒りの葡萄』はよく知られているが、もう一本『わが街セントルイス』もいい映画だ。本書では原題の「丘の王者」というタイトルで紹介されているが、若き日のエイドリアン・ブロディ(ポランスキーの『戦場のピアニスト』の主演)が主人公の少年を助ける役で好演している。『怒りの葡萄』が農民の生活を描いていたのに対して、『わが街セントルイス』は都市部の格差社会を描いている。ブルース・スプリングスティーンが、『怒りの葡萄』の主人公の名前を冠した『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』というアルバムをリリースしたのは1995年。90年代のアメリカは、30年代のような時代だったのだろうか。

 吉田美奈子に『FLAPPER』(1976年リリース)というアルバムがある。バックの演奏は伝説のグループ、テイン・パン・アレー(細野晴臣・松任谷正隆・鈴木茂ら)で、コンポーザーは矢野顕子・大瀧詠一・山下達郎といったアーティストが参加したJ-POPの名盤。「FLAPPER」という曲は収録されていないので、アルバムタイトルに込められた意味は不明であるが、20世紀初頭アメリカで旧来の価値観にとらわれず自由に生きようとした女性たちを指した言葉だという。飛び立とうとする女性という意味のタイトルだったのかもしれない。

 大型連休中、スプリングスティーンの『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』とトム・パチェコ&ステイナー・アルブリグトゥセンの『ノーバディーズ』(「テディ・ルーズヴェルト」という曲が収められていて、訳者の許可をいただいて授業で日本語訳を使わせていただいている)を聴き、そして『わが街セントルイス』と『怒りの葡萄』を見た。こうした音楽や映画が受け入れられる点こそ、「20世紀はアメリカの時代」だったことの証左なのかも?と思ったりもする。

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『わが街セントルイス』で主人公をいじめるホテルの従業員が使っている時計がウォルサムで、主人公の父親が職を得た会社がハミルトンというのは面白い。





アメリカの20世紀〈上〉1890年~1945年 (中公新書)

アメリカの20世紀〈上〉1890年~1945年 (中公新書)

  • 作者: 有賀 夏紀
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/10/01
  • メディア: 新書



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休業中の学習支援をどうするか [たんなる日記]

大型連休を前に熊本県では「県立高等学校・中学校における臨時休業期間の長期化を見据えた学習支援に関する基本方針」が示され、各学校はこれに基づいて学習支援を計画し、実施していくことになった。この方針が示しているのは、大型連休が明けてからの学習支援計画の作成である。これまで(3月・4月)の「復習や橋渡しのための課題の提示」という段階から、5月以降は「学習内容と計画を明示し、教師は生徒の状況や成果にもとづいて評価する」という段階に移行することを示している。評価を行うということは、「休業中に家庭で学習した内容は学校が再開されても授業で扱う余裕はない」可能性を見据えてのことだろう。やるべきことは大きく2つ。教務部が各学年ごとに時間割を作成することと、各教科で評価規準を明示したシラバスとそれに基づく課題をつくることである。時間割の基本は月単位だろうが、熊本県立第二高校は週単位で作成しているようだ。ただ生徒の中には、時間割を決められるのは迷惑だと感じる生徒もいるかもしれない。そういう生徒には、自分の得意不得意や関心に応じて対応できるようにしてもいいと思う。
 シラバス作成にあたっては具体的な内容を指示しなければならないが、オンライン授業をどうするか。大学のセミのような少人数ならともかく、40人でのリアルタイムでの双方向授業はムリだ。となれば動画配信ということになる。熊本北高校では現在の数学Ⅲと理系の生物が動画配信による授業を行っているが、生徒に感想を尋ねたところ高い評価である。自校の生徒向けなので、レベルなどがあっていることのほかyoutubeというイマドキのツールを使っているという物珍しさもあるだろう。しかし全教科で行うのは不可能である。私と同僚で授業動画を作ろうとしても、おそらくNGの連続で1本作るのに1週間かかるかもしれない。そこで、業者が作成した動画授業の配信を利用したいと考えている。団体契約にすればかなり割安になるので、たとえば兵庫県では全県立学校に公費で導入されるという。動画視聴環境の調査を行ったところ、難しい生徒が数名いたのでそうした生徒に限り学校内での視聴を許可するなどの対応をとる必要がある。熊本大学教育学部の苫野一徳先生はツイッターで「行政は教育資源の「均等配分」(みんな同じ)を重視してしまうが、より重要なのは「適正配分」(困っているところにより厚く)である。」「たとえば、PCやタブレットやネット環境がすべての子どもには揃わないから、オンライン授業はやらない、という「みんな同じでなければならない」の発想はかえって不平等を生む。(持っている家庭はどんどん進む。)むしろ、足りないところに資源を傾斜配分することで、格差縮小を目指す必要がある。」と述べているが、まったくその通りだと思う。評価問題はMicrosoft Formsで作成の練習をしてみたが(熊本県の教職員にはOffice365 for Businessのアカウントが発行されている)、返信データはエクセルで出力できるので大変便利だ。専門の講師の授業動画を視聴することは、大変勉強になって有難い。

 ところが9月から新学期という議論が現実味を帯び始めた。もし実現すれば、各学校での対応は再検討する必要があるが、休業だからといって在校生を放置するわけにはいかない。9月までの休業期間、高校はいったい何をすればいいのだろう。9月新学期の論拠として、学力格差の広がりをあげているが、家庭環境や在籍する学校によって9月からのスタートラインはまったく違うことになりはしないか。例えば大学受験に関しては、都会の中高一貫校の場合だと受験勉強だけの期間が増えることになってしまう。新学期は9月スタートとなれば、苫野先生が指摘したような格差は拡大する一方のような気がする。

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モイゼス・ベラスケス=マノフ『寄生虫なき病』(文藝春秋) [たんなる日記]

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 コロナウイルスによる新型肺炎拡大の影響で、体温計が品薄になっているという。入院すると、毎朝脈拍や血圧、そして体温も測定する。高い体温は何らかの異常が起こっているサインだが、それが明らかになったのは8人のイギリス人と1人のスウェーデン人による体を張った実験がきっかけである。『自分の体で実験したい~命がけの科学者列伝』(紀伊國屋書店)によると、18世紀後半にイギリスの医師ジョージ・フォーダイスとその仲間たちは「人間はどれだけの熱に耐えうるか」という実験を数度にわたって行い、そのうちのひとりチャールズ・ブラグデンは127℃の高温に耐えたという。この実験中彼らの体温は37℃越えることはなく、体温は常に一定であることが発見された。『自分の体で実験したい』には、「ペルーいぼ病」の治療法を発見するために患者の血液を自ら注射した医学生、黄熱病は蚊によって媒介されることを証明するために患者の血を吸わせた蚊に自ら刺される実験を行った医師など感染症絡みの話もいくつか紹介されている。

 こうした「自分の体を使った実験」でいちばん強烈だったのは、アメリカ鉤虫という寄生虫に自ら感染して検証したジャーナリストによる『寄生虫なき病』(文藝春秋)である。科学ジャーナリストである著者のモイゼス・ベラスケス=マノフは、彼自身が子どものころから苦しんできたアレルギー疾患と自己免疫疾患は、公衆衛生の向上がもたらしたものではないかという仮説に達する。つまり、寄生虫やウイルス、細菌などを排除して清潔な環境を追求していた結果、花粉症などそれまでになかった新たな病に悩まされることになったのではないか?と考えた。それを証明するため、彼はカバー写真に写っている(アメリカではすでに根絶されている)不気味なアメリカ鉤虫を(大金を払って)自分の体内に取り込んだのである。感染した結果、アトピー性皮膚炎や花粉症、免疫疾患による脱毛に改善がみられたという。結論として、人類は長い年月をかけて免疫攻撃を寛容にすることを通じて寄生虫やウイルスと共存共栄を図ってきたが、「きれいな」環境づくりを追求してきた結果、寛容さが失われた免疫が暴走し、花粉症、アレルギーや自己免疫疾患が増加してきた。きれいな環境づくりの転機となったのが、産業革命による生活環境の悪化であったという点もまた興味深い。

 この本の原題は「AN EPIDEMIC OF ABSENCE」、つまり「不在による病」である。コロナウイルスなど感染症の研究は「何があって病気なのか」を特定する「存在」のアプローチだが、この本は「解説」にもあるように「何が欠けて病気なのか」を特定する「不在」のアプローチである。ややもするとトンデモ本であるが、膨大な症例と報告、そしてなによりも自分の体で実験してみたという結果をみると、もしかするとありえるかも...と思ってしまう。

 「自分が不快とみなす存在の排除」や「不寛容」が悪影響をもたらすという話は、昨今起こっている医療従事者の方への差別や中傷、感染者滞在を明らかにした施設への誹謗にもつながっているような気がする。


ウイルスと寄生虫の違い(群馬大学大学院医学系研究科)
http://yakutai.dept.med.gunma-u.ac.jp/project/H27%20MachinakaCampus.pdf



寄生虫なき病

寄生虫なき病

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/03/17
  • メディア: 単行本



自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 単行本



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『現代思想』2020年4月号 特集「迷走する教育」 [その他]

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 新年度スタート時期に教育関係の特集を組むことが多い『現代思想』だが、4月号の特集「迷走する教育」はここ数年の特集の中でも特に読み応えある内容だった(特集「教育は変わるのか」の一年後の特集が、「迷走する教育」というのがなんとも....)。特に今号は共通テストをはじめとする教育改革が大きく取り上げられており、高校の教師である自分にとっては実にリアルな話である。私は社会系教科の教員なので、他教科の事情はまったく不明なのだが、今号では国語・英語・数学の各教科が抱える問題点が解説されていて、大変興味深かった。

 高大連携とか高大接続とかの改革は、大学入試によって高校教育を変えようとしているが、よく考えたら「入試で教育を変える」というのは本末転倒だし、そもそも大学に進学しない生徒が置き去りにされている。学研からもらった冊子で京都工芸繊維大の羽藤由美先生(本号にも寄稿されている)が、大学入試はその時点における受験者の能力を測定するために行うのであり、能力を育成するため行うのではないと述べていたが、その通りだと思う。新しい学習指導要領は基本的に内容よりも「社会で役立つ人材」の育成が重視されているように思われるが、科目によっては高卒就職者を企業の即戦力にしようとする意図も感じられる。「安い賃金で使うことができる有能な労働者」を育成するイメージである。「役に立つ」の基準が金額で明示されるようになったら、格差はますます増大するのではないだろうか。本号で荒井克弘先生が書いているように(「大学入学共通テストの現在」)、高校で約半分の生徒が授業が理解できていないなか、年齢人口の約6割が大学や短大に進学しているという現状を考えれば、授業理解度の問題をはじめとするミスマッチを改善しない限り高大接続は画餅に帰すように思われる。

 今回の教育改革には、「カネにまつわる話」が多すぎる。教育改革推進協議会とか日本アクティブラーニング協会といった団体に「正規社員をなくすべき」と主張する人材派遣会社の会長が関わったり、産業能率大学という教育学部を持たない経営系学部が主体の大学がアクティブラーニングを声高に進めている点にしっくりこない。最近だと共通テストの採点や英語民間試験に関わっていた民間企業がまるで自分たちが被害者であるかのような物言いをしていたり、さらには「未来の教室」とやらを進める経済産業省の官僚がなぜかアベノマスクに関わっていて、自身のSNSで 「ひとしきり文句を垂れていただいた後は」などと国民を小馬鹿にした表現で自身の手柄を誇っているなど、「終わってる感」ばかり。確かに教育改革はビジネスチャンスではあるのだろうが、だからと言ってそれが教育自体より大きく扱われている現状には、「子や孫の時代に日本は一体どうなっているのか」という不安を禁じ得ない。本号に掲載されている赤田圭亮(給特法)・岡崎勝(いちばん面白かった)・内田良(一斉休校に関するタイムリーな話題)・三浦綾希子(私が個人的に関心あるテーマ)の諸先生方が書かれた文を読むと、教育改革に必要なのは経済学ではなくて、教育社会学じゃないの?と思ってしまう。






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飯島渉『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院) [歴史関係の本(小説以外)]

 清水書院発行のシリーズ「歴史総合パートナーズ」の一冊『感染症と私たちの歴史・これから』は、欧米の視点から書かれているウィリアム・マクニールの『疫病と世界史』をヒントに、日本の視点(時代区分やトピック)から書かれた本である。100㌻に満たない本なので概説書として手軽に読むことができる。新型コロナウイルスが世界中で蔓延している現在、読んでみて損はない。

 この本にでは様々な感染症が取り上げられているが、なかでも天然痘は「コロンブス交換」の結果、大航海時代に新大陸のインディオ人口を激減させた病気として世界史の授業でも取り上げられるメジャーな感染症だろう。マンガ『MASTERキートン』では、「ハーメルンの笛吹男」伝説とナチスのホロコーストと絡めて、ロマ(ジプシー)が天然痘の抗体を各地に広めたという仮説が紹介されていた。具体的な病状としては、これまで発疹が出る程度の知識しかなかったが、『感染症と私たちの歴史・これから』に出てくる天然痘を示す言葉「瘡」という文字を漢和辞典(学研『漢字源』)で調べてみると、「かさ・できもの・はれもの」「きず、切りきず、きずあと」といった意味が出てくる。また「痘」には「皮膚に豆粒大のうみをもったできものができて、あとを残す」とある。「痘瘡」の症状がなんとなく分かるが、「あばたもえくぼ」の「あばた」は「痘痕」と書くので、日本でもなじみ深い感染症だったのだろう。

 天然痘はWHOにより撲滅宣言が出されたが、現在でも多くの人が命を落としている感染症がマラリア。私もこの本で初めて知ったが、エイズ・結核と並んでマラリアは現代でも「3大感染症」の一つであり、2015年にノーベル賞の生理学賞・医学賞を受賞した屠ユウユウ氏(中国:ユウは口偏に幼「呦呦」)の受賞理由は、「マラリアに対する新たな治療法に関する発見」だった。中国で熱帯に近い南部は昔からマラリアの多発地域だった。

 中国の広東省一帯は,古くは「瘴癘の地」として,人々から恐れられる土地であった。瘴癘とは,熱帯・亜熱帯に生息する蚊が媒介する,マラリアの一種と考えられる。その一方で,この地の沿海部にある広州は,古くは)南越の都があった場所で,南海貿易の拠点として発展し,唐代には中国で最も重要な対外貿易港の一つとなった。明末以降,沼沢や山林の開発が進み,人間の生活圏から蚊の生息地が減少すると,「瘴癘の地」というイメージは薄らいだ。清代の広州は欧米諸国との貿易港として発展し,医療を含め,西洋近代文化が中国に浸透する窓口となった。
2008年度 センター試験世界史B 追試験第3問B


 屠ユウユウ氏(彼女の名前は『詩経』の一節に由来するという)の経歴は大変興味深い。彼女が生まれたのは、満州事変勃発の前年である1930年。抗日戦争後、文革とベトナム戦争、改革開放などを経験した彼女の伝記は、そのまま中華人民共和国の歴史のようだ。

 屠ユウユウ氏を含め、マラリアに関する研究に対して与えられたノーベル生理学・医学賞はこれまで4件あり(1902年、1907年、1927年、2015年)、人類がいかにマラリアに苦しめられてきたかがよくわかるが、このうち1927年に受賞したユリウス・ワーグナー=ヤウレック(オーストリア)の研究は「毒をもって毒を制する」ユニークな治療法。梅毒患者を人工的にマラリアに感染させ、マラリアによる高熱で梅毒の病原菌トレポネーマを死滅させたのち、次にキニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるというものである。当時としては画期的な治療法だったが危険性が高く、抗生物質が普及した現在では行なわれていないという。

 マラリアで死んだ有名人は多く、Wikipediaの「マラリアで死亡した人物」にはアレクサンドロス大王やピューリタン革命のクロムウェルをはじめ、一休さん、平清盛、ツタンカーメン、アフリカ探検のリヴィングストンなどが紹介されている。そのほかローマ教皇アレクサンドル6世(チェーザレとツクレツィアのボルジア兄妹の父)や在位最短(12日間)のローマ教皇ウルバヌス7世も死因はマラリアだったとされる。さらにアレクサンドル6世の次に教皇となったユリウス2世と彼の保護を受けたミケランジェロ、そしてメディチ家出身の教皇レオ10世と彼の保護を受けたラファエロの死因についてもマラリア感染症だったという説があり、新型コロナウイルスの罹患者も多いイタリア、感染症ウイルスに適した要因でもあるのだろうか?

 マラリアの特効薬として知られるキニーネは、南米アンデス地方原産のキナの木から原料が採取される。このキニーネはイエズス会の宣教師によりヨーロッパに持ち込まれたことから、プロテスタントであるクロムウェルはキニーネの服用を拒否したことが致命的だったらしい(D.R.ヘッドリク『帝国の手先』日本経済評論社78㌻)。キニーネは苦く、カクテルの一種ジントニックにも味付けにも使用される。映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(馬志翔監督、2014年、台湾)の冒頭、フィリピンへ向かうため台湾に来た陸軍大尉錠者博美は、基隆で多くの将兵がマラリアに罹患している状況を目にするが、彼にキニーネを渡す軍医がわざわざ「苦みのない」と付け足しているのはそのためである。

 アフリカ大陸はマラリアが蔓延していたためヨーロッパ人が内陸部まで進出するのは困難であったが(アフリカには鎌状赤血球症というマラリアに耐性を持つ貧血症が多い)、キニーネの普及はアフリカの植民地化を加速した。D.R.ヘッドリクは、「(アフリカ争奪戦は)汽船、キニーネ予防薬、そしてこれからみるように、速やかに射撃のできるライフル銃との結合の結果」と述べているが(『帝国の手先』87㌻)、まさに『銃・病原菌・鉄』(ジャレ・ド・ダイヤモンド)である。よく知られたセシル=ローズの風刺画が示す運輸・通信手段(東京大学の2003年の入試)や軍事技術と同様、医療技術もアジアやアフリカの植民地化を促進したということになる。『感染症と私たちの歴史・これから』では、「身体の植民地化」という言葉で、「医療や衛生が植民地主義の最も重要なツールだった」ことが指摘されている。逆に征服される側からみれば、感染症によって護られてきたとも言える。橋本雅一『世界史の中のマラリア』(藤原書店)の中で著者は「マラリアはわれわれの強い味方だ。収奪者は震え上がり、侵略者は逃げ出す。」というアフリカの学生の言葉を紹介し、「近代と前近代、文明と未開、都市と辺境、富と貧困、強者と弱者....マラリアは、多くは前者によって優劣を決定され、対立を明確にされてきたこれらの項目の後者の側にぴったりと寄り添って生きのびてきた病気だったかもしれない」とも指摘している。

 マラリアが、ヨーロッパ人が訪れる以前の新大陸にも土着していたかどうかについて、『世界史の中のマラリア』は、新大陸にはなかったという立場をとっている。その根拠として、スペイン人によるインカ帝国やアステカ王国の征服がマラリアによって阻害されなかったこと(当時のヨーロッパ人はキニーネの存在を知らなかった)、そしてインカやアステカの滅亡からヨーロッパへのキニーネ伝来(1630~40年代)まで一世紀を要していることなどをあげている。時期的には、人口が激減したインディオの代替労働力として導入されたアフリカ系の奴隷によって新大陸に持ち込まれたと考えるのが妥当で、その意味では「キナ樹皮のマラリア特効薬としての用法は、征服者にとって以上に、被征服者にとってこそ"発見"だったのではないだろうか」(『世界史の中のマラリア』104㌻)という指摘には考えさせられる。

 植民地の拡大につれ、キニーネの需要は増大する。ルシール・H.ブロックウェイ『グリーンウェポン―植物資源による世界制覇』によると、イギリスの王立植物園キューガーデンがイギリスの帝国主義に果たした役割は大きい。キューガーデンには世界中から有用な植物が集められ、品種改良や生育に適した環境の調査が行われた。そしてイギリスの植民地で生育に適した地域に移植され、プランテーションでの大量生産が行われたのである。キニーネもそのひとつで、ペルーからインドやセイロン島に移植された(こうした有用植物は、他に茶やゴムがあげられる)。帝国書院の教科書『新詳世界史』の「19世紀前半 世界の工場イギリスと世界システム」のページではキューガーデンの写真が使われ、「植民地の植物園とのネットワークを生かして世界中の植物が集められ、品質改良がほどこされた。その結果、「中核」にとって有効な植物は「周辺」の環境に深刻な影響を与えることもあった」というキャプションがついていた(現在はインドで栽培された茶を象が運んでいる写真に変更されている)。キニーネを化学的に合成しようとする科学者も多く、イギリス・ヴィクトリア時代の化学者ウィリアム・ヘンリ・パーキンもそのひとりだった。彼は当初キニーネの人工合成を目指して研究していたが、実験の失敗によって生成した沈殿物から紫色の合成染料(アリニン染料)が生産されるようになり、それまで「王侯貴族の色」であった紫が一般にひろがる契機となった(『世界史の中のマラリア』148㌻)。1862年のロンドン万国博覧会で、ヴィクトリア女王が着用していたのは、パーキンの開発した人工染料モーブ(Mauve)で染色された絹のガウンだったという。世界史の教科書にはよく藍がアジアの産物としてでてくるが、藍に代表される天然染料は、キニーネの合成がうまくいかなかったことがきっかけで合成染料に取って代わられることになったのである(社団法人日本化学工業協会「化学はじめて物語」 https://www.nikkakyo.org/upload/plcenter/349_371.pdf 6㌻)。

 『感染症と私たちの歴史・これから』では、日本におけるマラリアの流行とその撲滅についても触れられているが、戦争と関係深いことは興味深い。現在の日本では土着のマラリアは撲滅されているが、マラリア原虫を媒介するハマダラカは現在でも日本に生息している。地球温暖化などの気候変動により再流行する可能性もある(環境省による啓発パンフレット「地球温暖化と感染症」 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/pamph_infection/full.pdf 14㌻)。

 2020年3月19日のAFP通信は、「新型コロナウイルスの影響によりイタリア全土で封鎖措置が敷かれる中、水の都として世界的に知られる同国のベネチア(Venice)では、観光客の出すごみがなくなり水上交通量もほぼ皆無となって、きれいに澄んだ運河の水が住民の目を楽しませている。」と伝えている[https://www.afpbb.com/articles/-/3274147]。またCNNなどは「新型コロナウイルスによる経済活動を制限したことにより、中国の大気汚染が大きく解消された」とも伝えている。もし地球温暖化がマラリアの大規模な流行を招来するとすれば、感染症の流行は地球自身の自己防御作用なのではないか、という気がしてくる。果たして人類は、地球上から感染症を撲滅することができるのだろうか?


【マラリアに関するエピソード】
感染制御のための情報誌『Ignazzo』「マラリアのはなし」 https://bit.ly/2U2xy3V
イタリア研究会「マラリアはローマの友達」 https://bit.ly/2UjKP76
厚生労働省検疫所FORTH https://www.forth.go.jp/useful/malaria.html


歴史総合パートナーズ 4 感染症と私たちの歴史・これから

歴史総合パートナーズ 4 感染症と私たちの歴史・これから

  • 作者: 飯島 渉
  • 出版社/メーカー: 清水書院
  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本



世界史の中のマラリア―微生物学者の視点から

世界史の中のマラリア―微生物学者の視点から

  • 作者: 橋本 雅一
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2020/03/21
  • メディア: 単行本



グリーンウェポン―植物資源による世界制覇

グリーンウェポン―植物資源による世界制覇

  • 出版社/メーカー: 社会思想社
  • 発売日: 2020/03/21
  • メディア: 単行本



帝国の手先―ヨーロッパ膨張と技術

帝国の手先―ヨーロッパ膨張と技術

  • 出版社/メーカー: 日本経済評論社
  • 発売日: 1989/08/01
  • メディア: 単行本



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松岡亮二『教育格差』(ちくま新書) [その他]

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 ずいぶん昔のことだが、教え子のひとりが『東大文1―国家を託される若者たち東大文Ⅰ』(データハウス)という本で取り上げられた。彼がピックアップされた理由は、公立高校出身者だったからである。熊本県内では優秀な生徒が最も多く通っているとされる熊本高校から東京大学に合格したという快挙も、全国的な視点からすれば「進度が遅いというハンデを乗り越えて」栄冠を勝ち取ったと見なされるのである。十数年前にある有名私立校の定期考査問題(世界史)を見せてもらったことがある。熊本高校2年生の定期考査問題とほぼ同レベルの問題だったが、その問題はその学校の中学3年生で実施された定期考査の問題だった。

 都市圏と熊本との地域格差はもちろんのこと、熊本県内でも「熊本市内とそれ以外」という居住地域にもとづく「スタート時からの格差」が存在する。2020年3月3日(火)の朝日新聞(熊本県内版)に掲載された「公立校 進む統廃合」と題された記事によれば、2006年に85校あった熊本県内の高校は17年までに76校に減少したが、熊本市内だけに限れば27校という数は1980年代後半から現在まで変わっていない(この間1988年に東稜高校が新設され、2011年に熊本フェイス学院が開新高校と合併して消滅した)。つまり中学卒業後は熊本市内の高校に進学を目指す生徒が多いわけで、実際生徒数をみても熊本県の高校生は2005年の5万8千人から18年には4万8千人に減少したが、熊本市内の高校に通う生徒数は約2万6千~2万7千人とほぼ横ばいである。地方と都市圏のみならず、地方の中でもさらに格差は拡大している。

 では、こうした格差が生まれる要因は何だろうか。3月11日付の熊本日々新聞の読者欄「若者コーナー」で、高校生が「三つの格差を縮めるために」と題して、教育格差に言及していたが、教育格差の原因として「親の収入」をあげていた。なるほど、高い所得の家に生まれた子どもは、塾に通ったり家庭教師をつけてもらったりと、親から様々なサポートを受けられるだろう。実際、「東大生の親の年収は、平均の約2倍」という調査結果もある[https://dot.asahi.com/aera/2012111600016.html]。では親の収入の格差が教育格差の原因だという言説は本当に正しく、他の要因はないのだろうか。また教育格差を縮める処方箋はないのだろうか。こうした疑問から手に取ったのが本書である。

 教育格差の指標として、最終学歴の差を用いている。最終学歴の差は、生涯賃金をはじめ職業や健康など様々な格差の要因につながるからである。本書の前半はデータの冷静な分析となっている。すなわち、最終学歴は生まれ(親の最終学歴や出身地域)という本人には如何ともしがたい要因に左右されるという仮説が正しいことを、統計データの分析を通じて明らかにしている。序章から第5章までのトピックは、以下の通り。

  ・父親が大卒だと、子どもも大卒になる割合が高い。
  ・生活する都道府県が三大都市圏、市町村が大都市だと、大卒となる割合が高い。
  ・教育格差は、小学校入学前から始まる。
  ・公立の小学校であっても、学校間で学力の格差が存在する。
  ・親が大卒だと、中学校教育への親和性が高い。
  ・中学校では公立と私立のみならず、公立間・私立間でも学力格差が存在する。
  ・高校間の学力格差は、親学歴による学力格差に起因する。
  
 以上のトピックはさして目新しいことではなく、私を含め多くの人が漠然と感じていることだろう。しかし重要なことは、その漠然と感じていることをデータを使って「今そこにある格差」として論証してみせたことにある。つまり日本の教育格差は、本人の努力では克服することが難しい「生まれ」に起因しており、しかもその差は幼稚園から高校までなかなか縮小しない。したがって、「不利な状況でも努力で克服できる」「学校の成績が悪いのは、勉強をサボっている本人の責任」という自己責任論はあまり説得力を持たないし、その意味で日本は緩やかな身分社会ともいえる。こうした状況を克服することが、結果的には社会全体の平均値を上げることにつながっていく、と著者は主張しているが同感である。

 教育格差を克服するため、筆者は二つのことを提案している。まずは分析可能なデータを収集して教育政策や改革を検証すること、そしてもう一点は、大学の教員養成課程で「教育格差」を必修とし、どちらかと言えば「勝ち組」であるため格差に気づきにくい教師に現状を把握させることの二点である。あまりに大きな問題に対して、やや対策が小粒な印象も受けるが、では他に何かあるかというと、今の私は対案を持ち合わせていない。2020年3月15日付の熊本日日新聞「くまにち論壇」で教育哲学者の苫野一徳先生(熊本大学教育学部)は、「公教育の構造転換」を提唱している。これまでの「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」というシステムから、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」への転換である。確かにこれまでのみんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」というシステムでは、小学校入学前から始まっている教育格差は縮まらないだろう。協同化によって、格差は縮まり、またプロジェクト化によって意欲も高まるように思われるが、一方で個別化は格差を増大させるようにも感じる。

 19世紀後半~20世紀初頭の西欧の家庭や家族について述べた文として最も適当なものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。
 ① 庶民階級の子供は、学校教育の対象とはされず、読み書きは専ら家庭で教えられていた。
 ② 中産階級の家庭では、夫婦共働きが理想の家庭と考えられるようになった。
 ③ 家庭は、消費と精神的なやすらぎの場から、生産と消費の場へと変化した。
 ④ 中産階級の家庭では、結婚後の女性が家事や育児に専念する傾向が強まった。
                (1998年度 センター試験 世界史A本試験 第2問C )

 
 上の問題における選択肢①は逆で、イギリスでは1870年に自由党のグラッドストン内閣のもとで最初の教育法が制定され、庶民階級の子どもを対象とした初等教育が実現した。上流階級の家庭では家庭教師によって初等教育段階での教育を身に付け、その後イートンやハローなどの伝統的なパブリック=スクール(私立学校)で中等教育段階の学習が行われることが多かったからである。国民の統合が必要となった19世紀には、統一的な読み書き能力や共通の歴史認識が必要となってくる。こうして公教育は国家的な事業となり、国民を育成すると同時に教育格差を是正する役割をも担っていた。現在の日本では、そうした格差を縮小するという公立学校の役割は十分に機能しているとは言い難い。その意味で、Youtubeを通じて日本史・世界史の無料授業を行っているMundi先生など大学受験のための授業を無料配信する取り組みは素晴らしいと思うし、また「高校生の半分は大学に行かないから大学進学のための受験指導に血眼になる必要は無い」という意見は、首肯できるものではあるものの格差を自明のものと考える傲慢さも感じられる。もちろん教育格差は日本だけの状況ではないが(鈴木大裕著『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』岩波書店)、こうした認識を欠いた状態での教育は「優秀である一方で、低賃金でも文句を言わずに働く、金持ちに都合がいい労働者」、つまり格差があるのは仕方ないと諦観した人々を生産しているのかもしれない。そして自分はそれに荷担しているのではないか?と自問するとき、私は慄然とするのである。


著者による解説
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65952

都市と地方の格差
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353




教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

  • 作者: 松岡 亮二
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/07/05
  • メディア: 新書



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村上陽一郎『ペスト大流行』(岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

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 新型コロナウイルス感染症の流行により、カミュの『ペスト』が売れているという。
https://toyokeizai.net/articles/-/335178
https://mainichi.jp/articles/20200227/k00/00m/040/366000c

カミュの作品は、ペストに立ち向かう人々を通じてこの世の不条理さを描いたフィクションだが、同じくペストを扱った村上陽一郎の『ペスト大流行』(岩波新書)もまた注目されているらしい(アマゾンのマーケットプレイスでは2020年3月9日の時点では最低5000円で出品されているが、近々再刊されるとのこと)。ということで30年ぶりくらいに再読。

 この本には「ヨーロッパ中世の崩壊」という副題がついており、ペスト大流行の実態と人々の対応を跡づけ、この病気の流行が後世にどのような影響をもたらしたかを論じたものである。隔離政策の開始(当時の隔離は、ハンセン病患者のように遺棄に近いものであった)、ペスト蔓延の原因と見なされたユダヤ人への迫害、宗教的情熱の高揚(宗教改革につながる)などは短期的な影響であるが、長期的には農民の地位の向上に伴う荘園制度の崩壊をもたらし、ヨーロッパが資本主義へと舵を切るきっかけになったとも言える。2000年度のセンター試験世界史B(追試)第4問Aのリード文は、黒死病(ペスト)の流行についてよくまとまった文章だと思う。

 1347年秋にマルセイユ等の地中海沿岸都市から上陸した黒死病(ペスト)は,その後全ヨーロッパで猛威を振るった。人々は,有効な治療法を知らず,病人との接触を避ける以外に予防手段を持たなかった。そしてひたすら神に祈るかと思えば,むち打ち苦行団に加わり,あるいは恐怖のはけ口を求めてユダヤ人大虐殺を引き起こすなど,パニック状態に陥った。この時の流行で3000万とも言われる死者を出したペストは,その後も流行を繰り返し,ヨーロッパの人口の回復を妨げた。イギリスとフランスでは,これに百年戦争も重なって,すでに進行しつつあった荘園制の危機に拍車がかけられることになった。


ペストの流行が封建社会の衰退をもたらしたという点については高校世界史の教科書にも記述がある。村川堅太郎・江上波男・山本達郎・林健太郎の諸先生が名を連ねておられた時代の『詳説世界史』(山川出版社)の記述。

【1985年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパをおそい、農村人口は激減した。領主は農村の労働力確保のため、農民の待遇改善をはかった。そのため農民の生活はますます向上し、貨幣をおさめるだけでよい独立自営農民に上昇していった。特に貨幣地代のもっとも普及していたイギリスでは、農民の地位の向上が著しかった。」

【1991年版】
1985年版と同じだが、「黒死病」が太字となり、独立自営農民に「(ヨーマン)」とカッコ書きが加わっている。

【1997年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパで流行し、農村人口が激減すると、領主は農民の確保のため、彼らの身分的束縛をゆるめるようになった。こうした農奴解放の動きとともに、農民の地位は高まって、彼らはしだいに自営農民に上昇していった。この傾向は、もっとも貨幣地代が普及したイギリスで著しく、かつての農奴はヨーマンと呼ばれる独立自営農民に上昇したのである。」

 現行の『詳説』の記述と比べると、ペストの役割が強調されているように感じる。現行版では「1348年」という年代も、なくなっている。

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 14世紀のヨーロッパで流行したペストのルーツについて、村上陽一郎『ペスト大流行』では中国や中央アジアなど複数の説を紹介しているが、いずれにせよ他地域から交易ルートに乗ってもたらされたという点では同じである。そのうちの中国から伝わったという説については、13世紀にモンゴルによってユーラシアの東西が結ばれた結果、アジアからヨーロッパにペストがもたらされたともいわれている。ウィリアム・マクニールという研究者は、その著書『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、新潮社)の中で「ヒマラヤ山麓に根を下ろしていたペストは、モンゴルの征服活動の結果中国に広がり(中国では1331年にペストが流行している)、その後交易ルートに乗ってクリミアに至り、1348年のヨーロッパにおける大流行をもたらした」と述べている。フビライが雲南の大理を征服するのが1254年なので、計算上ムリはない。ジャネット・アブー=ルゴド女史も、『ヨーロッパ覇権以前(上)』(岩波書店)の中で、「マクニールの推論を確証する十分なデータはないが(反証するデータもまたない)、彼の説は説得力があり、すべてとは言わないが少なくとも一部は証拠づけられている。」と賛意を示している(219ページ)。このモンゴル説は、ある予備校の東大模試に使われたこともある。リード文でボッカチオの『デカメロン』におけるペスト流行の描写を引用した上で、「古代よりペストの流行は幾度か発生しており、多くの文献にもその様子が記されている。しかし、かつてこれほどに迅速かつ広範囲にペストが広まったことはなかったし、多くの犠牲者が出たこともなかったのである。14世紀半ばのヨーロッパを襲った危機的な状況は、単に一地域での事象にとどまらず、より巨視的な視点の上で理解されるべきである。」と述べ、解答例では「....モンゴル帝国による駅伝制の整備や十字軍を契機とする西欧の遠隔地商業の発達により、ユーラシア全域に渡る交易網が形成されており、これらがペストの被害を拡大した。」としている。最近でも北村厚先生の『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)では「ペストはモンゴル帝国のユーラシア・ネットワークにのって西に伝わった。ペスト菌を媒介するネズミやノミが遠方の都市に到達することは、従来ありえなかったが、モンゴルのつくったジャムチは、ペスト菌の遠隔移動を可能にした。」とされている。この仮説が正しいとすれば、西欧封建社会の解体にモンゴルも一役買ったということになるが、一方でモンゴル研究の権威、杉山正明先生はマクニール説に懐疑的だ。曰く「すくなくとも、モンゴル帝国の東から西へ、はるばると旅をしてきた黒死病が、クリミアをへて、ついに西欧に達したというマクニールのシニカルな説は、根拠なしなら誰でも考えつきそうな仮説の一つとして、つまりは一種のジョークとして、なおいまだ、真に受けるにはおよばない。」(『大モンゴルの時代』中央公論社、232ページ)。
 
 ところでこの『ペスト大流行』には「14世紀のペスト大流行の時期には、バッタによる激しい蝗害があった」という興味深い記述がある(57㌻~)。昨年からアフリカにおけるバッタ被害が報道されており、いよいよアジアに迫っているというが、奇妙な符合である。本書では14世紀のペスト大流行に拍車をかけたのは、蝗害や洪水・気候変動による食糧の不足による栄養状態の低下であったとも指摘されている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56324260T00C20A3FF8000/
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200307-00166447/

 果たして新型コロナウイルス感染症は、ペストのように大きな変動をもたらすのだろうか?



ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

  • 作者: 村上 陽一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1983/03/22
  • メディア: 新書



疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 文庫



疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 文庫



教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門

教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門

  • 作者: 北村 厚
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2018/05/11
  • メディア: 単行本



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原田智仁『「歴史総合」の授業を創る』(明治図書) [授業研究・分析]

 2022年度から高校地歴科の新科目「歴史総合」が始まる。「準備しないといけないな」とは思っているが、なかなか手に付かない。手に付かない理由としてはいくつかあるが、まず時間的な余裕が年々なくなってきていること。学年主任5年目で、今は2年生の学年主任をしているが、英語民間試験導入中止など振り回された一年だった。保護者対応やら学校徴収金やら授業以外の仕事は増えこそすれ、減ることはない。二つ目として、自分にとって「歴史総合」はさほど魅力的な科目とは思えなかったことがある。私は勉強が好きで、その楽しさを教えたいと思って教師になった(もっとも、志望した英語科ではなく社会科にまわされたが)つもりだが、対話的というラベルのもとで生徒が苦し紛れに出した思いつきや、KP法などで歴史を学ぶ楽しさがわかるのだろうかという疑問を感じていたのである。しかし地方公務員の定年も延長されると、状況次第では私も65歳まで働くことになる。これまで「歴史総合」に対してとってきた「見て見ぬふり」や「様子見」はできない。

 新科目「歴史総合」を扱った本として、本書はとてもまとまっている印象を受ける。第1章で「歴史総合」に必要な視点と方法論、これを受けて第2章では具体的な授業モデルが提示されるが、一読して「使える」内容だと思う。というのも、第2章の冒頭で、授業時数年間60時間程度とし(3つの大項目はそれぞれ20時間、さらにその20時間の内訳は「導入:2時間-展開1:8時間-展開2:8時間-終結:2時間」と配分)、第2章で提示された授業プランはこの年間計画に準じている。しかも3つの大項目すべての授業プランが提示されているため、この本通りにやればとりあえず「歴史総合」の授業を行うことも可能である。これまで「歴史総合かくあるべし」というものは多かったが、実際の授業プランはあまり多くなく、あっても単発のものが多かった。掲載されている授業プランを一通り読んでみると、「歴史総合の授業」の具体的なイメージが頭の中に浮かんでくると思う。こうしたプランをもとに、教師個人がそれぞれによりよく改善していこうというスタンスが授業改善につながっていくと感じている。たとえば、72~81㌻に掲載されている福井を題材とした「地域→日本→世界」と広げていく授業で、自分たちが生活している地域を題材にするならばどのような題材がよいか、という感じで、自分たちの改善案を教員同士で話し合うことができれば最高だろう。

 第1章の内容も、よいと思う。「コモン・グッド」「SDGs」「レリバンス」「メタヒストリー」といったキーワードをもとに、授業改善の視点が提示されている。教育改革の動きに対して私が距離を置いていたのは、関連する文章や講演に「ルーブリック」「コンピテシー」「チェックイン」といったカタカナ用語がやたら多かったのも理由の一つである。今どきの教員ならば「わかっていて当然」なんだろうけど、説明もなしにそうした用語を使っている人をみると、尊敬すると同時に浅学さに卑屈になってしまい、とりあえずそのカタカナの意味内容をスマホで検索してみるものの、ついには「日本語で説明しろよ、気取りやがって、お前教師だろ」と逆ギレ暴走老人と化してしまうこともあった。この本ではそうした用語もキーワードとして解題してあり、すんなり頭にはいってきた。全体的に読みやすい一冊であり、「歴史総合」事始めにはオススメの本である。




高校社会「歴史総合」の授業を創る

高校社会「歴史総合」の授業を創る

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: 単行本



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今年の東大の問題 [大学受験]

 第1問の大論述は、冊封体制がテーマ。具体的には、15世紀頃から19世紀末までの時期における、東アジアの伝統的な国際関係のあり方とその変容。史料が3つ提示され、論述内容の具体的事例として示さないといけないので、結構難しい印象。

 史料Aは明滅亡後の朝鮮で書かれた文書。中国が夷狄の満洲人による支配の地となったため、朝鮮が中華となったと自負している。崇禎帝は明最後の皇帝で、FGOに秦良玉が登場してからはネタにしやすくなった。徐光啓がアダム=シャールとともに作成した『崇禎暦書』が完成したのは、 崇禎帝の時代である。崇禎帝が自殺したのは1644年なので、史料は明が滅亡してから100年以上あとに書かれたことになり、なかなか強い意志を感じる。これは指定語句の「小中華」と組み合わせることが可能で、リード文の「国内的には....異なる説明で正当化」に関係するだろう。
 史料Bは「フランス」「フエ」がヒントで、ベトナムの阮朝でフランス人が書いた文章。「1875年から1878年」という年代なので清仏戦争よりも前だが、第一学習社『グローバルワイド最新世界史図表』巻末の年表をみると、1874年には第2次サイゴン条約が結ばれており、ベトナムに対するフランスの干渉が激しくなった時期に当たる。アヘン戦争・アロー戦争と清仏戦争の間の時期で、清の衰退によって冊封体制が崩壊に向かう時期でもあるが、それでも阮朝は清を宗主国として認めていた。一方で、フランス人の目にはそれが無礼に写っていったこともうかがえる。フランス人の常識であった主権国家体制と、伝統的な冊封体制がせめぎ合っているような印象である。場所がベトナムなので、指定語句の「清仏戦争」と組み合わせることができそうだ。
 史料Cは琉球が貿易ネットワークの中心であったことを示す史料だが、琉球処分が始まる1872年よりも前に書かれた史料だと思われる。山川の『詳説世界史』180㌻の記述に近いイメージなので、問題で指定された時期「15世紀頃から」に合致し、内容はリード文中の「自らの支配の強化に利用」と関係する。組み合わせる指定語句は「薩摩」だが、島津氏による琉球攻撃は17世紀の初めであり、琉球が日清に「両属」するのはそれ以降なので使用には注意が必要かも(『詳説世界史』190㌻)。ちなみに熊本の荒尾に亡命していた孫文が熊本の済々黌高校で講演をした際に、日本と中国との関係を「唇と歯」にたとえている。

 次に構成。最初に冊封体制の説明→変容という2部構成か。朝鮮・ベトナム・琉球を具体例として、後半の「変容」を説明する。
(1)「東アジアの伝統的な国際関係のあり方」
   ・冊封体制の説明
   ・使用する指定語句・・・・「朝貢」
   ・使用する史料・・・・C
(2)「東アジアの伝統的な国際関係の近代における変容」
   ・朝鮮における変容・・・・史料Aと指定語句「小中華」
   ・ベトナムにおける変容・・・・史料Bと指定語句「清仏戦争」
   ・琉球における変容・・・・指定語句「薩摩」
   ・冊封体制の崩壊・・・・下関条約

 残った指定語句「条約」をどう使うか。リード文に「このような関係は、ヨーロッパで形づくられた国際関係が近代になって持ち込まれてくると、現実と理念の両面で変容を余儀なくされることになる」とある。つまり冊封体制がヨーロッパ起原の主権国家体制によって変容を迫られることになるが、そのあらわれが対等な主権国家同士によって結ばれる「条約」であったという文脈で使うことにしよう。分量的には前半よりも後半の方が多くなりそうなので、前半200字+後半400字くらいか。最初の書き出しについて、「基本の3パターン」のうち今回は「リード文中の語句」を用いることにした。

【解答例】
東アジアでは、中国の諸王朝が周辺諸国の朝貢に対して返礼品の下賜と官職の授与を行う冊封体制が、伝統的な国際秩序として機能していた。史料Cに記されている琉球のように、この体制を受容した周辺諸国には経済的繁栄がもたらされた。また、明滅亡後の朝鮮で見られた小中華の思想のように、この体制を国内統治の手段として利用することもあった(史料A)。しかしヨーロッパ起原の主権国家体制が中国にもたらされて以降、冊封体制も変容を迫られることになった。19世紀になりアヘン戦争・アロー戦争に連敗した清王朝は、主権国家としてヨーロッパ諸国と様々な条約を結ぶことになり、冊封体制は動揺した。まず琉球は17世紀以来、薩摩と清に両属していたが、19世紀後半の琉球処分により冊封体制から離れることになった。またベトナムには19世紀からフランスが進出し、史料Bにみられるように近代的な主権国家体制と伝統的な冊封体制とのせめぎ合いが見られたが、清仏戦争に敗北した清は、天津条約でベトナムに対する宗主権を放棄した。そして17世紀以降外交関係を清と日本の2国に限っていた朝鮮でも、1876年に日本との間に日朝修好条規が結ばれたため、中国同様に主権国家体制と冊封体制とのせめぎ合いが見られた。この状況は、日清戦争後の下関条約で清が朝鮮の宗主権を放棄することで解消され、東アジアでは冊封体制にかわって主権国家体制が浸透することになった。
(591字)


 河合塾の解答例は「小中華」を「変容」の文脈で使っているが、それもアリだろう。駿台の解答例は、前半「あり方」で朝鮮・琉球・ベトナムに触れ、後半「変容」でも再び朝鮮・琉球・ベトナムに触れていて読みづらい。確かに、「変容」としては「変わる前」と「変わった後」の両者を述べる必要があるが、「変わる前」は三者に共通の点を述べることで要求を満たすように思われる。駿台よりも河合塾の解答例の方が良いと思う。
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台湾修学旅行 [たんなる日記]

 熊本北高校が台湾への修学旅行を始めたのは2016年からで、今年は4回目ということになる。引率としては2度目、下見を含めると3度目の台湾旅行であった。3度目ともなるとそれなりに台湾の事情にも明るくなり、様々に楽しむことができた一方、新しい発見もあった。

 今回の台湾修学旅行は高雄市一泊と台北市三泊の四泊五日だったが、初日と最終日は移動なので実質的な活動は三日間。大まかに言うと、学校交流・班別自主研修・クラス別研修でそれぞれ一日というところである。英語科はすでに一年生でシンガポール&マレーシアの修学旅行を終えているため、今回台湾に行ったのは普通科7クラス・理数科1クラスの計8クラス。一括で移動できる路線はないため、福岡空港発の中華航空とエバー航空それぞれ4クラスずつ桃園まで移動した。かつて大津高校はジャンボ機をチャーターして熊本空港から一括で移動していたが、現在ジャンボ旅客機は退役しており、また桃園空港も臨時便の離着陸は認めないとのこと。桃園空港に降り立つと現地のガイドさん達が「歓迎 熊本県立熊本北高等学校」という横断幕を持っていたた。これを見た、これから帰国するという修学旅行引率の先生(愛媛県)から話しかけられた。

 台北市(桃園駅)から高雄市(左営駅)までは日本の新幹線を導入した高速鉄道(高鉄)での移動だが、飛行機の遅れから予定の列車に間に合わず、先発・後発とも30分程度遅れた列車で高雄まで移動した。幸い先発・後発ともに指定席を確保することができ、桃園駅での待ち時間の間に構内の旅客服務中心で公衆無線LANであるiTaiwanの設定をしてもらった。桃園駅では服務中心から少し離れた場所にiTaiwanの係員が常駐しており、IDは自分のパスポート番号、パスワードは誕生日になる。ただ、つながる場所は限定され、使い勝手はあまり良くない。到着した高雄のホテルは華園飯店(ホリデーガーデンホテル)。3年前の義大皇家酒店(イーダロイヤルホテル)と比べると、設備は劣るが食事の面では生徒からの評価ははるかに高かった。いわゆる「日本人の口に合う」という感じである。華園大飯店は六合夜市から歩いて十分くらいの場所に位置しているため生徒に夜市見学をさせる予定であったが、雨天でありまたホテル到着も予定より遅れたため断念した。

 二日目、午前中は高雄市の市内観光で蓮池潭(竜虎塔)と寿山公園(忠烈祠)を見学したが、意外と生徒には好評であった。事前指導で私が4年前に行ったときの写真を見せながら、「(竜虎塔)はハリボテみたいで期待はずれだった」「高雄の忠烈祠は台北に比べると閑散としていて、見るべきものはあまりない」と紹介したのが逆に良かったのかもしれない。午後からの学校交流の相手校は高雄市立中正高級中学。「中正」というネーミングからわかるように、高雄市立高中の中では様々な面で高いスペックの学校である。中高一貫で生徒数は約2000人。私自身は下見を含めると3度目の訪問であるが、今回も手厚い歓迎をいただだいた。前回は朝9時から昼食(中正高中側から提供いただいた給食)をはさんで、午後まで6時間近い交流であったが、今回は確保できた飛行機の関係で交流できる日がピンポイントで縛られたため午後のみ2時間程度の交流となってしまた。校長先生はしきりに残念がっておられたが、現在の校長先生は3年前の訪問時に主査として交流活動を取り仕切られた方で、その分思いも強かったのだと拝察する。学校交流終了後、高鉄で台北へ移動。夕食はホテル内で。ホテルは豪景大酒店。ホテルリバービューというイングリッシュネームの通り、12階の食堂から見える淡水はよい眺めである。ただ私の部屋は5階で、窓の外には総統選挙候補者の一人である韓国瑜(高雄市長)候補の大きな看板があり、些か興ざめであった。

 三日目は班別自主研修。豪景ホテルは西門町まで歩いて10分という好立地である。朝6時過ぎに散歩をしていると、ビンロウを売るおじさんがいたので買ってみた。自分で作っているらしい。10個くらいはいって50圓。部屋に帰って噛んでみたが、本当に苦い。最初の唾は吐いた方がよいとガイドさんから聞いていたので吐いたところ、緑色の唾液はみるみるうちに赤くなっていった。私が巡回したコースは、「中正紀念堂(スタート)→東門市場→永康街→行天宮→龍山寺→剝皮寮歴史街区→総統府→西門町→ホテル」というルート。永康街の「高記」で焼小籠包と蒸小籠包をいただく。どちらもNTD220。行天宮では「収驚」をやってもらった。この日はラッキーなことに総統府内部が見学できる日だったので、パスポートを見せて中に入った。自動小銃を持った兵士が警備しており、金属探知機はもちろんバッグの中も調べられてビンロウも預かりとなった。西門町のデパート遠東百貨で学校へのお土産を購入して16時頃ホテル着。永康街→行天宮→龍山寺はMRTを使ったが、その他は基本歩き。たぶん10キロくらい歩いた。疲れたので生徒達が帰るまでガイドさんの紹介でマッサージへ。全身90分1500NTD+足裏700NTD+足の角質取り700NTD。送り迎えつき。生徒達が全員帰着したので、ホテル近所に夕食へ。地元の人しかいかないようなお店に入ってメニュー指さしつつ注文。牛麺を注文したつもりが、出てきたのは汁無しの牛肉中華焼きそば。確かにメニューには牛「炒」麺とある。ということで、牛麺食うため別の店にいってこれまた苦労して注文して出てきたのはトマト風味牛麺。どちらも美味しかった。なにより店の人たちみんなニコニコ親切で、こちらの言うことを理解しようと一生懸命。支払いの時には「謝謝」と言いながら両手でお金を受け取る姿には感動した。

四日目はクラス別研修。私は「淡水→故宮博物院→十分で天燈上げ」というコースで巡回。天気が良くて良かった。淡水の老街で売っている魚介類の揚げ物は意外にうまい。三度目の故宮、今回は肉形石が台南に出張中。でも大好きな象牙球を見ることができたので良かった。昼食は「大戈壁」という蒙古烤肉(モンゴル風鉄板焼き)のお店。いわゆる食べ放題の店で、タピオカミルクティーも飲み放題。しかも意外にこれが美味くて、生徒にも大好評のお店だった。この「大戈壁」の通りをはさんだ向かい側が、これまでの定宿だった六福客桟(レオフーホテル)。時間があったのでホテル裏にある長春四面佛に行ったところ、周辺は再開発されて4年前にはたたくさんあったお供え物屋さんも全く消えてビルになっていてビックリ。祭礼日だったのか盛装の女性が二人いたので写真を撮らせてもらった。前回来たとき、早朝にお参りにいったところ、四面佛の方からカランカランと音がする。行ってみると、正座した男性がひたすらポエ占いをやっていて驚いたことがある。夕食は3年前と同じ「馬来亜菜餐廳」。ここは味はそこそこながら、8クラス全員一気に対応してくれる。

台湾には何度行ってもいい。

【台湾のコンビニ】
以前から台湾ではコンビニが多いと感じていたが、また増えたような気がする(特にセブンイレブン)。台北のコンビニ袋は有料だが、そのままゴミ袋として使える。レシートには買った品物は印字されていないが、QRコードを読ませると買った商品が出てくる。私がよく買ったのはフルーツ牛乳32NTD。金牌ビールとほぼ同じ値段なので、結構高め。それともビールが安いのか。初めて「茶葉蛋」を食べたが、意外に普通で日本のおでんの卵とほぼ同じだった。以前はコンビニにはいるとこの臭いを強く感じたが、今回はほとんど気にならなかった。以前よりも臭いが少なくなったのか、それとも私が慣れたのか。コンビニに限らず、レシートは現金が当たる宝くじになっている。抽選は来月なので、私は全部現地のガイドさんにあげてきた。

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明治図書『教育科学 社会科教育』2019年9月号 [授業研究・分析]

 以前は?な記事もあった明治図書発行の教育雑誌『社会科教育』。『社会科教育』に限らず、『現代教育科学』や『ツーウェイ』など(ともに今は廃刊となっているようだ)1990年代後半に明治図書から出ていた雑誌を読み直してみると、色々な意味で面白い。当時『社会科教育』の編集長だった方のブログでお叱りを受けたことも、今ではそれなりによき思い出だ。
 さて、『社会科教育』9月号の特集は「近現代史と政治 授業づくりパーフェクトガイド」である。それぞれに興味深い記事が並んでいた。

(1)「昭和初期の社会の様子と探究型学習」
 写真をメインとしているが、看図アプローチのように写真そのものを看て考えるデザインとはなっておらず、考察の結果として写真を選ぶのが社会科的だ。8枚のうち2枚はダミー。

(2)「エピソードから教材へ」
 歴史の授業を担当する教員なら、同感という部分が多い。ただエピソード解釈の妥当性には注意を要するかも。ヒトラーが結婚資金を貸し付けたの理由が少子化対策?Volks Wagenを英語に訳すと、People's Carでよいのかな。こうした疑問も教材化できそう。

(3)授業改革と連動した高校歴史「調査・体験活動」プラン 
 連載「歴史探究ミニツアー」とも相まって、フィールドワークはやってみたい。熊本県の大先輩の世界史の先生が、かつて日露戦争の出征者について調べていたことがあったし、熊本市内のある高校には宮崎滔天とともに孫文が来たときの講演記録が残っている。15㌻掲載の表中「湊川神社・大倉山公園」(日清・日露戦争)は、この3年間ダンス部の引率で毎年行っている神戸文化ホールの近く。

(4) 「この人物」お宝授業ネタ&エピソード
 33㌻「お宝授業ネタ&エピソードを発見する方法」が面白い。

(5)教えるのが難しい「領土」授業でどう扱うか
 視点の提供。

(6)歴史の当事者となって「自分なら」を考える授業を!
「あなたが幕府の役人だったら、開国に賛成しますか?反対しますか?」という問いが紹介されているが、思い出したのが先日関西の先生方と話したときに話題となった授業。滋賀県立守山高校の大橋康一先生が行った「老中は知っていた オランダ風説書と黒船来航~江戸幕府は何をわかって開国を決意したのか~」という世界史Aの公開授業である。タイトルから分かるとおり歴史総合を念頭に置いた授業で、「あなた方が1853年に開国を決断した理由は何ですか」という問いをオランダ風説書をもとに考察する。生徒の反応も含めた授業記録をいただいたが、生徒が考えた開国の理由について、2時間目と10時間目の変化が興味深い。2時限目は、江戸幕府が開国した理由について、ほとんどの生徒(93.5%)が黒船の武力に屈したと考えていたが、同時代の世界史を学習し、風説書の内容が理解できた後では、軍事面を挙げた生徒が激減している(13%)。歴史総合「近代化とわたしたち」のお手本のような授業。



社会科教育 2019年 09月号

社会科教育 2019年 09月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 雑誌



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リチャード・ベッセル著(大山晶 訳)『ナチスの戦争 1918~1949』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 大木毅著『独ソ戦』(岩波新書)では、ナチスの戦争が「収奪戦争」から最後には「世界観戦争(絶滅戦争)」へと向かっていったことが述べられていた。本書のタイトルには「1918-1949」とある。ヒトラー政権成立(1933)から敗戦(1945)までではない。第一次世界大戦の終わりが、ナチスの戦争の始まりであり、一方ナチスの戦争の終わりは、第二次世界大戦の敗戦によりもたらされた苦難の始まりであった。ナチスの戦争が絶滅戦争となる道は、第2次世界大戦開戦前からすでにあったと言える。ヒトラーはドイツ人による民族共同体建設をめざしたが、それはドイツ人の幸福のため他民族を隷属させて搾取することと「劣った民族」の絶滅につながり、それらを実現するための手段が戦争であった。こうした「ナチスの戦争」という視点から、ナチスの時代を叙述した本であり、ナチスの本質が戦争と人種主義であったことがよくわかる。国防軍最高司令官だったヒトラーが、独ソ戦開始後に陸軍総司令官に就任して自ら作戦指揮にあたったことも頷ける。『独ソ戦』と重なる部分も多いが、第2次世界大戦開戦前の時代からスタートしているため、個人的にはこの『ナチスの戦争』を読んでから『独ソ戦』に向かった方が、スムーズに理解できるような気がする。

 翻訳であるせいか、表現的にやや読みづらい部分があるものの、はおおよそ見開き2㌻ごとに見出しがついており、内容の把握が容易であり、ほぼ時系列に叙述されているので、破滅へと向かう流れがつかみやすい。 
 
 興味深いのが、義勇軍(フライコー-ル)である。これは従軍経験のある元軍人が率いた軍事組織で、ナチス幹部にはルドルフ=ヘスや突撃隊隊長レームなど義勇軍出身者が多い。もちろん正式な軍隊ではないが軍隊のように制服に身を固め武装した組織で、「鉄兜団」などがあった。1919年3月の時点で25万人が義勇軍に所属していたという(23㌻)。ヴェルサイユ条約(1919年6月)では「陸軍10万、海軍1万5千」となっていたので、義勇軍所属者の数がいかに多かったかがわかる。教科書には「社会民主党を中心とする臨時政府は、議会制民主主義の樹立をめざす一方、軍部など旧勢力と結んで、スパルタクス団など左派をおさえた。」(東京書籍『世界史B』)とか、「指導者ローザ=ルクセンブルクやカール=リープクネヒトは、1919年初め右翼軍人に殺害された。」(山川出版社『詳説世界史』)とあるので、手を下したのは正規軍だと思っていたが、実際には国防大臣から命令を受けた義勇軍であった。もともと左派だった社会民主党政府が右派と手を組むというのも妙な話だが、共産主義に対する敵意がよほど強かったのか。

 こうした暴力容認の風潮が、ドイツ人の民族共同体建設=生存圏の拡大(「血と土」)のための戦争を容認していくというのは自然な成り行きのように思える。おまけに軍事支出の増大と再軍備宣言で、ドイツの失業問題を解消することができた。景気が回復すると今度は労働者不足が深刻になったが(83㌻)、オ-ストリアとズデーテン地方の併合により、ドイツは労働力と外貨を確保することに成功したが(110㌻)、これらはずべてが戦争に向けて活用されることになる。。

 ドイツ人の生存圏拡大と食糧の安定供給を目指した戦争は、ポーランド侵攻後は「イデオロギーの戦争、民族と人種の戦争」へと発展していく(118㌻)。これは『独ソ戦』(岩波新書)における「収奪戦争」→「世界観戦争」への展開とよく似ている。

アインザッツグルッペンEinsatzguruppen : 『独ソ戦』に出てきた「出動部隊」は、本書では「特別行動隊」という用語を使用している。1944年10月には、16歳の少年から60歳の老人までが国民突撃隊という軍事組織に編成されたが(195㌻)、国民突撃隊は国防軍の一部ではなくNSDAPによって組織された民兵組織である(223㌻)。アインザッツグルッペン・国民突撃隊ともに日本語Wikipediaにも項目があった。私には知らないことが多すぎる。

完全なる敗北「工業先進国が最後の最後まで戦い、攻守ともに数十万人の死傷者を出した市街戦の末、敵軍部隊が政府所在地を制圧してようやく降伏したというのは現代史上はじめてのことだった。」確かに。日本との比較(214㌻)。第二次世界大戦におけるドイツの全戦死者の四分の一が最後の4ヶ月に集中している(216㌻)。

本書で触れられているデンミンにおける集団自殺について、つい先日ネット上で記事を読んだ。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-00010000-clc_teleg-int


最近見たいと思ったナチズム関係の映画。負の遺産の記憶。
 ・『ハンナ・アーレント』(2012)
 ・『ゲッベルスと私』(2016)
 ・『否定と肯定』(2016)   
 この3つのうち、『否定と肯定』しか見れてない。



ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い (中公新書)

ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い (中公新書)

  • 作者: リチャード・ベッセル
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/09/24
  • メディア: 新書



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ハンセン病のこと [その他]

 私がハンセン病のことを初めて知ったのは、小学生の頃だった。『少年少女世界の名作 22:フランス編3』(小学館)に収録されていた「ガルガンチュワ物語」に登場するポノクラート博士が、「いっそ、らい病(ハンセン氏病)にかかったほうがましじゃわい」というセリフを口にしていた。その直後だったと思うが、「少年チャンピオン」に連載されていた手塚治虫のマンガ『ブラック・ジャック』にもハンセン病が出てきた。ただ当時はハンセン病という呼称ではなく、「らい」という難しい漢字に「レプラ」というルビが振ってあったように記憶している(現在では修正されているようだ)。就職してから観た映画『ベン・ハー』には、主人公の母親と妹がハンセン病を発症し、「死者の谷」に赴くシーンがあった。最近印象に残っているのは、リドリー・スコット監督の映画『キングダム・オブ・ヘブン』に登場するイェルサレム王ボードワン4世。

 去る6月28日に熊本地裁が出したは、国の誤った隔離政策によって(患者本人だけではなく)患者の家族も不利益を被ったことを認めた重要な判決だった。
 患者家族の苦悩に関して私がいつも思い出すのは、熊本市の黒髪小学校で1954年におこった「龍田寮事件」(黒髪小事件)である。これはハンセン病患者の子どもが小学校に通うことに対して大きな反対運動が起きた事件で、当時は熊本日日新聞でさえ、「(通学賛成の理論は)正しいと思うが、通学には必ずしも賛成できない」と社説で「事実上の反対」を主張している。入学式の日にPTAが掲示した張り紙(Wikipediaに写真がある)を読むと胸が痛むが、当時黒髪小に勤務していた先生によれば「付き添いの保母さん達がみなうつむいているのに、子どもたちは訳もわからず、にこにこしていたのが対照的だった」、と。具体的な学校名や関係者が明白なので、学校の授業で扱うことは難しいが、こうした過去と向き合うことが大切なことだという気がする。

 特効薬プロミンについて。映画監督の宮崎駿氏が関わった 「プロミンの光」 という絵が先日話題になった。が、プロミンにもまた苦難の歴史がある。注射は肉が裂かれるほどの激痛だったという「大風子油」、症状がかえって悪化した「セファランチン」、遺骨が青くなる「虹波(こうは)」....いずれも患者たちを苦しめた薬で、「虹波」は旧陸軍による人体実験だったという説もある。これらの失敗から、患者達は新薬に疑心暗鬼となっていたものの、プロミンが投与された患者の多くには画期的な治癒が見られた。熊本の菊池恵楓園では当初希望者131人から32人が選ばれたそうだが、その劇的な効果を目の当たりにして「プロミンを打ってくれって、注射場の窓にすがって泣きじゃくる女性もいた」という。

 加藤清正が眠る本妙寺の周辺には、かつてハンセン病患者の集落があったが、1940年に患者全員強制収容されたという(本妙寺事件)。本妙寺の参道並ぶ塔頭をまわって当時の話を尋ねてみたものの、ご住職はほとんどが代替わりしていて、詳細を知る方はおられなかった。
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大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 「戦場ではない 地獄だ」というコピーから、スターリングラード市街戦などの凄惨な地獄絵図的エピソードを集めた本かと思ったが、独ソ戦に焦点を絞って政治や経済、思想などの面から「なぜこのような悲惨な戦争になってしまったのか」を考察した本であり、とても分かりやすい本であった。

 第二次世界大戦でドイツがソ連に侵攻した理由について、高校で使っている教科書にはあまり明確に記されていない。もちろん、前提としてナチスが共産主義を敵視していたことはあげられるが、その一方で1939年8月には独ソ不可侵条約を結んでいる。本書では、その背景が明快に記されており、授業で説明がしやすくなった。

 (1) ソ連がドイツに屈服すれば、ソ連を頼みにしているイギリスも屈服するだろうとヒトラーは考えた(12㌻)。
 (2) ルーマニアの油田を守るため、ヒトラーがソ連侵攻の決断を下すよりも先に、軍部が対ソ侵攻の意志を固めていた(18㌻)。(実教出版の教科書『世界史B』と東京書籍の教科書『世界史B』には、「ドイツのバルカン侵略がドイツとソ連の関係を悪化させた」ことに触れている)
 (3) 戦時下であってもドイツ国民に負担をかけずに生活水準を維持するため、占領地から資源や食料、労働力を収奪することを目的とした「収奪戦争」。
 (4) ナチスの世界観にもとづく「劣等人種」の絶滅をめざす「絶滅戦争」。

 (3)と(4)について、ナチスが設置した強制収容所にはダッハウのような強制労働を目的とした収容所と、映画『ショアー』で取り上げられたトレブリンカやヘウムノ、アウシュヴィッツといった絶滅収容所があった。山川出版社の『新世界史』には、「ドイツは国内および占領地でユダヤ人の絶滅とスラヴ人の奴隷化をめざし、彼らを強制収容所で働かせ、約600万人といわれるユダヤ人を虐殺した(ホロコースト)」とある。

 ノルマンディー上陸以後、ドイツ軍は総崩れになったようなイメージだが、実際には頑強に戦い続けた。「負けたら後がない」とわかっていたからである。食うか食われるかの絶対戦争は、大戦終結後も負の遺産を残した。




次に掲げた地図は、第二次世界大戦後にポーランドの国境線の変更やチェコスロヴァキアの独立回復などに伴って、ヨーロッパで生じた大規模な人口移動の主なものを示したものである。ドイツ人のズデーテン地方からの移動を示すものとして正しいものを、次のうちから1つ選べ。(1993年度 センター試験 本試験 世界史 第1問C )
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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

  • 作者: 大木 毅
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 新書



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看図アプローチの研修 [授業研究・分析]

「教育改革で真価を発揮する看図アプローチ~授業づくり入門講座~」という研修会に参加してきた。
  日時:令和元年6月22日(土)
  場所:熊本学園大学付属高校
  講師:鹿内信善先生(天使大学教授)
  主催:アクティブラーニング型授業研究会くまもと


 高校の世界史の授業を考えたとき、生徒全員が図版が数多く載っている資料集を持っているので、看図アプローチは有効な手法だと思っている。これまでベラスケスの「ラス・メニーナス」を使った授業などをやってみたが、発問や導入など基本的に「私の思いつき」で作ったものであり、根拠や理論に基づいたものではなかった。例えば、「ベラスケスが向かっているキャンバスに書かれているのは何だろうか」といった「正解がない問い」が果たして妥当なのかどうか。また山川出版社の『アクティブラーニング実践集 世界史』には、ウルのスタンダードを用いた看図アプローチの授業が紹介されているが、描かれているものやことよりも、「果たしてこれは一体何に使ったのだろうか?」という問いの方が面白いと思う。こうした疑問を解消するためのヒントを得たいと思い参加した。

 私が視覚資料を用いた授業に関心を持ったきっかけは、初めて日本史の授業を担当したときに買った『絵画資料を読む日本史の授業』(国土社、千葉県歴史教育者協議会日本史部会 編)だった。同書に収録されている実践記録を読むと、タイトルを今風にアクティブラーニング○○○とかつけ直して再発しても十分通用するように思われるが(同書の初版発行は1993年)、この本に見られるように「ビジュアルテキストの読解」と「読み解いた内容にもとづいた発信」を行うという歴史の授業は、かなり前から行われていた。ただこうした取り組みは、教員の経験と閃きに基づいて行われる場合がほとんどで、方法論として確立されていたわけではない。わざわざ「看図アプローチ」という用語が使われているのは、認知心理学に基づいて体系化された手法で、「見る」という行為を学習活動の中核としているからである。鹿内先生からは汎用性の高いルーブリックも紹介され、看図アプローチは大変有効な手法であると感じた。

研修会で印象に残ったのは、以下の点。
(1)「よく見る」ための情報処理・・・・「もの」と「こと」を区別する
  ①変換:「もの」を「言葉」に置き換える
  ②要素関連づけ:構成している諸要素を相互に関連づける
  ③外挿:「こと」を越えて発展させる
(2)ビジュアルテキストの読解指導
  ①「要素関連づけ」「外挿」を誘発する発問
  ②焦点づけを促して情報を精査させる指示
(3)オープンエンドであっても、個人の中ではクローズエンドにする
  納得が必要
(4)思考の記録を成績化するルーブリック:A~Dの4段階
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新学習指導要領における世界史の授業 [授業研究・分析]

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 歴史科学協議会が発行している雑誌『歴史評論』2019年4月号の特集は、「歴史教育の転機にどう向き合うか」である。『社会科教育』(明治図書)をはじめとする教育学関係の記事とはまた違った視点で書かれた記事もあって、興味深い論考が並んでいた。掲載された論文のうち、特に面白かったのは以下の4つ。
 ①今野日出晴  内面化される「規範」と動員される「主体」
 ②成田龍一   『学習指導要領』「歴史総合」の歴史像をめぐって
 ③桃木至朗   歴史の「思考法」の定式化
 ④吉嶺茂樹   高校教員の目から見た世界史探究

 まず①は、「期待と可能性」で語られる新しい学習指導要領、なかんずく「歴史総合」を批判的に検討した論文。国語の教科書で取り上げられている教材が徳育的であるという話は以前からあったが、歴史教育もそうなっていくのだろうか。『社会科教育』2019年4月号86㌻以下を読むと、確かにそんな気がしてくる。①を踏まえて②を読むと、「歴史総合」がこれまでの歴史系科目とどこが違うのかがよく分かる。③は高校の歴史教員にとって耳の痛い部分もあるが、「大変革に混乱はつきものだがそれを乗り越える覚悟がないとダメ」という点は肝に銘じておきたい。④は、新科目「世界史探究」を論じている点で珍しい。今や「死に体」となってしまった観のある「世界史A」を元に、「探究」とはいかなる内容かという点を論じている。教員に求められるのはプロデューサーになる力という指摘は、『社会科教育』2019年1月号で「「教える授業」から「コ-ディネートする授業」へ」(18㌻)とあるのと同様の視点だろう。なお、同一の内容は原田智仁編著『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』でも述べられている。筆者は同じだが、『社会科教育』掲載の記事には授業構成の概略が示されており、より具体的である。ふたつ併せ読むことではじめて、筆者の云わんとすることが伝わってくるような気がするが。
 『歴史評論』4月号のそれぞれの論考には数多くの論文が参考として引用されており、「歴史総合」や新学習指導要領に対する評価検討の流れも確認できてなかなか便利だった。大枠で「歴史教育が大きな転機を迎えているので、教壇に立つ側の意識を変えなければならない」という認識では共通している。その通りだと思うが、「歴史を役に立つ科目にしなければならない」という意志を強く感じるのは気になる。「役に立つ」の基準はいったい何なのだろう。「正解が複数ある」とはいうものの、教師の意向を忖度した意見を発表した生徒が高い評価を得るようになってしまっては困ってしまうし、そもそも「多様性を尊重」するために、役に立つ授業かそうでないかというような二項対立を持ってくるような論調にも疑問を感じる。①の最後の箇所(11㌻、「歴史学が....」以下)は、常々私が感じていたことに通じる。
『平成30年版学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の「「世界史探究」-ポイントはここだ」でも、「世界史探究」が目指していることの一つとして、公民としての資質・能力の育成があげられている。政治教育が目的ならば、歴史教育は手段となってしまうのだろうか。教育学部の学部生時代には森分孝治先生の社会科授業論に傾倒した私などは「歴史の授業も大変になったもんだ」とため息しか出ないが、おそらく私のような世界史教師こそ時代遅れの代表なのだろう。



社会科教育 2019年 01月号

社会科教育 2019年 01月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2018/12/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 04月号

社会科教育 2019年 04月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



社会科教育 2019年 03月号

社会科教育 2019年 03月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/02/12
  • メディア: 雑誌



歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

歴史評論 2019年 04 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 歴史科学協議会
  • 発売日: 2019/03/12
  • メディア: 雑誌



平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

平成30年版 学習指導要領改訂のポイント 高等学校 地理歴史・公民

  • 作者: 原田 智仁
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2019/03/14
  • メディア: 単行本



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『グレースと公爵』(エリック・ロメール監督、2001年、フランス) [歴史映画]

 大串夏身『DVD映画で楽しむ世界史』(青弓社)の中でフランス革命を描いた映画として紹介されており、観たいと思っていたが現在は絶版。最近DVDを手に入れたが、正直ちょっと「期待はずれ」だったかも。

 スコットランド生まれの女性グレース・エリオット(1754~1823)の自伝的小説『グレースと公爵』を映画化した作品。フランスの王族オルレアン公フィリップ(七月王政のルイ・フィリップの父)の愛人となってフランスに渡り、オルレアン公との関係が終わった後もフランスで暮らした。この映画はフランス革命を王党派だったグレースの目を通して見たもので、「劇薬」としての革命の側面をよく描き出している。数々の危機を知恵と度胸で切り抜けるグレース役のルーシー・ラッセルと、胡散臭いイメージのオルレアン公を好人物に演じたジャン=クロード・ドレフュスの演技が素晴らしい。またくすんだ独特の画面が印象的で、これは忠実に再現した当時のフランスの風景をCGで合成したとのこと。ラストで査問されていたグレースを救うのはロベスピエールで、彼は証拠の手紙を読むために眼鏡をかけるが、マンガ『ナポレオン~獅子の時代』(長谷川哲也)に出てくるロベスピエール風の外見。
 ストーリーがやや難しいため授業で使うには少し厳しいが、フランス革命の「劇薬」的な部分を感じさせるにはよいかもしれない。



グレースと公爵 [DVD]

グレースと公爵 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: DVD



グレースと公爵 (集英社文庫)

グレースと公爵 (集英社文庫)

  • 作者: グレース エリオット
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/10/01
  • メディア: 文庫



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下地ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―』(青土社) [歴史関係の本(小説以外)]

 外国ルーツのスポーツ選手の活躍や出入国管理法の改定など、最近では日本人と外国人の違いに言及したトピックに事欠かない。一方で日本での国際結婚は30組に1組の割合にのぼり、国内の新生児の50人に1人はいわゆる「ハーフ」であるという。この場合の「ハーフ」は、「どちらか一方の親が外国籍」を意味するが、かつては「混血」とよばれたり、最近では「ダブル」「ミックス」という呼称もある。こうした呼称がどのように意味づけされ、また変化していったのかを社会学的に考察した本である。

 全450㌻となかなかの大著であるが、それぞれの章には小括があり、さらに大きな部にもまとめがあるので理解しやすい。もともと学位論文だということで、序章は理論や研究の枠組みを示している。やや読みづらい部分もあるので、読み飛ばしても差し支えないが、時期区分と位相、人種プロジェクトの概念は理解しておいた方がよいと思われる(序章2-1~2-3)。時期区分と位相は図0-3(36㌻)で分かりやすく示してあるが、初版は表中に気になる誤植がある。

 第Ⅰ部「混血の戦後史」は、戦後を四つの時期に区分し、それぞれの時代を「1.混血児」「2.ハーフ」「3.ダブル」「4.多様なハーフ」という言葉で象徴させる。ここで興味深かったのは、戦後まもなく文部省が出した「混血児対策」と学校現場での対応の記録をまとめた第一章。また、「多文化共生」を目指す施策中には、自分たち「日本人」とは異なる「外国人」という二項対立的な構造を前提にしているとの第三章の5での指摘も興味深い。「外国人」を「日本人以上に日本的」と褒め称えるのは、この二項対立にもとづいているが、この前提に基づけば「ハーフ」とよばれる人々は「日本人」でも「外国人」でもなくなってしまう。ナチスはニュルンベルク法にみられるようにユダヤ人を「血の論理」で区分していたが、歴史的に形成されてきた「日本人」と「外国人」という二項対立の中では、その内容が多様な「ハーフ」の存在は見えにくくなるだろう。
 第Ⅱ部「戦後史から生活史へ」では、「ハーフ」の人々のインタビューに基づいて「日本人」でも「外国人」でもない彼らが日本でどのように生きてきたかが紹介される。『地域から考える世界史』でも書いたことだが、私自身も様々なエピソードや体験を耳にしてきた。こうした差別や偏見にさらされた人たちに対して、「よく耐えたね、頑張ったね」だけで終わらせてはいけないような気がする。

 学校の教室にハーフの子どもがいることは珍しくない。普段私は「外国ルーツの人(子ども)」という呼び方をするが、それは「ハーフ」という言葉を使うことになんとなく抵抗があるからだ。おそらくその言葉に蔑視的なニュアンスを感じるからだと思うが、根拠があるわけではなかった。「ハーフという言葉に、自分はなぜ抵抗があるのか」を考える機会となった。


著者による評論
https://www.nippon.com/ja/currents/d00443/
https://www.nippon.com/ja/currents/d00444/
https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/lawrenceyoshitakashimoji01
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57709



「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―

「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―

  • 作者: 下地ローレンス吉孝
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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文部科学省大学入学者選抜改革推進委託事業人文社会分野(地理歴史科・ 公民科)における試行試験 [大学受験]

 早稲田大学を中心に作成された、次期学習指導要領向けのサンプルテスト(地歴・公民)が公開されたので、世界史の問題を解いてみた。正式には「文部科学省大学入学者選抜改革推進委託事業人文社会分野(地理歴史科・ 公民科)における試行試験」という名称で、問題冊子の表紙には「この試行試験は、文部科学省委託事業として「思考力・判断力・表現力」等をどのように問えるかを検討するために行ったものであり、試行試験の結果を踏まえ、今後の課題等について検討していく予定です。このため、今回公開する問題は完成したものではないことをご了承ください。また、その目的のために様々なパターンの問題を含めております。試行試験は生徒の学力を評価するためのものではなく、特定の大学の入学試験とも一切関係がありません。 このことにつきまして十分ご理解のうえご覧いただけますと幸いです。 」とある。

 大学入試センターの試行調査(プレテスト)とは異なり、次期学習指導要領で求められている学力をトータルで評価することを目的としてるため、客観式の問題のみならず記述・論述式の問題も出題されている。大問構成は3つで、100点満点(第1問・2問がそれぞれ30点、第3問は40点)。第1問は「アメリカ合衆国への移民」、第2問は「世界史上の疫病」、そして第3問が「大交易時代」。第1問と第2問は客観式の問題で、第3問は客観式・記述・論述式の混合。このうち論述問題は、「100字以上130字以内」(指定語句3つあり)と「30字以内」の2つであった。全体としてグラフや年表、資料文の丁寧な読み取りが必要で、「資料データの読み取りや読解力、そして読み取った結果をもとに考える姿勢を重視したい」という出題者の意図が伝わってくる。そのため、即答するのはかなり難しい。前近代分野からの出題がないのは、資料データの提示が難しいからだろう。

  第1問は、グラフ・年表・会話文の読み取りを正しく組み合わせないと正解が導けない。よく工夫された問題である。ヨーロッパが移民を生み出したプッシュ要因を問う問2は、「19世紀の後半」というヒントだけでロとハのどちらが史実にあわないか判断するのは難しい。風刺画を時系列に並べる問5が面白い。以前、ナポレオンを描いた絵を時系列に並べてみるという授業を見たことがあるが、それぞれの絵に付けられたタイトルが英語なので、日本語訳のタイトルがついていたらもっと解きやすかったと思う。

 第2問では、グラフと地図の読み取りを組み合わせた問1がよく工夫されている。知識を必要とせず資料の読み取り技能だけで答えるという問題は、2003年度のセンター試験世界史B本試験第4問Cで出題されたが、今回の問題はグラフだけではなく地図の読み取りも組み合わされている。問2は、地理的な知識も必要である。問3「14世紀のペスト流行の原因」の正解は「ハとニ」となっているが、「ニ 百年戦争の終結」は15世紀だからこれは明らかに解答のミスだろう。「ハ 農奴制の強化」もペスト流行との因果関係は不明だ。私は「イ ヴェネチアの繁栄」と「ロ ジャムチ(駅伝制)の整備」と思ったのだが、どうだろう。ジャムチ整備は13世紀だが、マクニールの「モンゴルのヨーロッパ遠征がペスト流行をもたらした」というのが頭にあったので。説明に必要なデータを選ばせる問5、資料を読んで課題レポートを完成させる問6も良問。

 第3問は、全体的に難度が高い問題が並んでいる。問3「足利義満の死後、次の義持の時代に明との国交が不安定であった理由」を6つの選択肢から2つ選ばせる問題は、時代的にあわないイと文中の記述から誤りとわかるハは除外できるが、残った4つから2つ選ぶのは難しい。「日本側の事情」と考えればよいのだろうか。論述問4は、「後期倭寇の活動が明代前半期に成立した国際秩序に与えた影響」を130字で述べる問題。指定語句は「琉球王国」「朝貢貿易」「日明貿易」の3つである。「明代前半期に成立した国際秩序」とは「海禁」であり、それが崩れていくというのが「影響」である、というのが求められている結論。これに気づけば、3つの指定語句をいずれも減速傾向で使うことになるからさほど難しくはない。しかし、「海禁」という語句自体が問1で問われているのは少々問題ありではないか?会話や資料の内容から適切なものを選ばせる問7は、時代の全体像を示すような選択肢で固めてみてもよかった気がする。

 60分という解答時間で最後までいきついた被験者はあまり多くなかったように思われる。確かに難易度は高いが、考えさせる場面が多い問題が並んでおり、授業中にグループワークで取り組ませるに適した問題である。
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世界史Bのプレテスト [大学受験]

 先日今年度のプレテスト(大学入学共通テストの試行調査)が実施され、問題と解答および出題のねらい等が公開された[https://www.dnc.ac.jp/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h30_1110.html] 。世界史Bに関しては、「昨年より簡単」になり、残念ながら「思考力を問うという点で後退した」というのが第一印象であった。

 「簡単になった」と感じる原因の一つは、わかりやすい選択肢である。例えば解答番号3では、「②メロヴィング朝とマムルーク朝」の組み合わせは時代的な隔たりが大きすぎるうえ、他の三つの選択肢は「教科書で同じ箇所に載っているのを見た」記憶がある。小問の概要は「地中海とその周辺地域で接触した国家・王朝について考察し判断する」となっているが、折角地図を使っているのだから、ダミー選択肢として「上の地図で表された地域において接触した可能性がない勢力」(地理的にハズれている勢力)を取り上げた方がよかったように感じる。

 一方「思考力を問うという点で後退した」と感じた原因は、「これって前にもあったよね」という問題が散見されたことである。まず問題番号12。宮崎滔天『三十三年之夢』を使った問題だが、2000年度の世界史A本試験第3問Bと引用箇所、さらに文中で空欄になっている部分までまったく同じであった。それはともかく、文中で空欄になっている国の組み合わせの選択肢は、かつての世界史Aのセンター試験のほうが良かったようにも思える。今年の試行問題では、単に組み合わせを問うのみで
  ① ロシア 日本     ② スペイン 清国
  ③ 日本  清国     ④アメリカ合衆国 スペイン
という選択肢だが、2000年度の世界史A問題では、
  ① a―アメリカ合衆国 b―スペイン
  ② a―スペイン b―アメリカ合衆国
  ③ a―アメリカ合衆国 b―日 本
  ④ a―日 本     b―アメリカ合衆国
 という選択肢であり、より深い読解が必要となっている。過去にこの問題があったことで、「後退した」印象を抱いてしまったのだろう。出題者の方には申し訳ない言い方だが、「世界史Bの新テスト(試行)問題が、世界史Aの過去問より簡単なんて信じられない」というのが正直な思いだ。

 次に問題番号24。ポーランド分割の風刺画は、同じものが2002年度の世界史A追試験第4問Bで使われた。分割に参加した国名と君主名の組み合わせを解答させる点も同じである。

 問題番号34については、類似の地図が今年のセンター試験世界史A追試第1問Bに使われているが(問題番号6)、小問の概要に「グラフと説明文とを関連付けて」とあるように今年の「高等学校担当教員の意見・評価」[https://www.dnc.ac.jp/center/kako_shiken_jouhou/h30/jisshikekka/hyouka_honshiken/chirirekishi.html]で指摘されている点がよく生かされていたと感じる。

 貨幣の写真を示して古い順に並べさせるタイプ(問題番号22)は、類似の問題が1998年の世界史B本試験第3問Aで出題されたが、貨幣の説明文を読み王朝を特定することが必要となっており、今回の問題は読解力を必要とした。

 この問題を見ていて思いだしたのが、平成25年に実施した熊本県の県下一斉テスト(世界史)で出題した問題で、ユーロ導入前のギリシアの貨幣(デモクリトス・ペリクレス・ホメロス・アリストテレス)を活躍した古い順に並べよというものである。並べた順番の選択肢もかなり工夫して、「ペリクレスで始まる選択肢とホメロスで始まる選択肢が二つずつ、ホメロスのほうが古いだろうから答えは二つに絞られ、正解候補の二つのうち片方は最後がアリストテレスでもう片方はペリクレスだから、アレクサンドロスの家庭教師だったアリストテレスが最後だろう」という流れを期待したのだが、寄せられた感想は残念ながら「難しすぎる」というものばかりであった。この問題を選択させた学校は世界史Bを履修しているはずだから、正直「これくらい説明できないような教員なら、やめてほしいんだけど」と思ったものである。


 今回の試行でよかったのは、文章をしっかり読むことを期待する問題が見られたことである(問題番号14、16、26、28)。 また正解が複数あるという問題もあった(問題番号24)。「東ロボくん」の開発者は「東ロボくんは、意味が分からないのに世界史の教科書を読み込んでコンスタントに高得点を出した」と自画自賛していたが、読解力を必要とする問題はAIで解答するには難しいだろう。一方で、昨年の試行問題にみられた「根拠を問う問題」「調べるための資料として適当なものを選ばせる問題」「誰の意見が正しいかを問う問題」などがあってもよかったのではないか。特に、昨年の「アジア・アフリカの民族運動に関する資料を読ませてその共通性を問う」というメタ認識的な問題はあってもよかった(難易度の関係もあったのかもしれないが)。全体としてこれまで実施されてきたセンター試験とあまり変わらず、「高得点をとるためにはアクティブラーニング的な授業など必要ないし、むしろ講義形式のほうが適しているのでは」と感じた。
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玉木俊明『近代ヨーロッパの形成~商人と国家の近代世界システム』(創元社) [歴史関係の本(小説以外)]

 ツィッターに「歴史bot」( https://twitter.com/history_theory/)というアカウントがある。歴史関係の本の一部をそのまま呟くアカウントだが、なかなか面白い。そのツィートで見つけたのがこの本。序章と第一章における研究成果の整理と批判的検討は、読み物としても大変面白い。最初に面白かったのは、ツィッターでも紹介されていた以下の2点(37㌻)。
 ・産業革命は、それまで劣勢であったヨーロッパ経済がアジア経済に追いつき追い越す過程だともいえ、それはエネルギー源を生物由来の有機エネルギーから無機エネルギーへと転換することによって可能となった。
 ・欧米と日本とでは、歴史教育をめぐる状況がかなり異なる。
 
 次にウォーラーステインの世界システム論に関する検討も興味深い。現在ウチの学校で使っている教科書『世界史A』(実教)には、「国際分業体制」というコラムで世界システム論の解説があり、資料集『グローバルワイド最新世界史図説図表』(第一学習社)でも「近代世界システムの形成」という特集ページがあり、(『グローバルワイド』には「妥当性について疑問を呈する意見もある」という記述もあるが)なおウォーラーステインの世界史システム論はなお大きな影響力を持っている。しかし本書によれば、ウォーラーステインの近代世界システム論はヨーロッパではあまり人気がなく、グローバルヒストリアンの中には反ウォーラーステインの論者もいるという。その上でグローバルヒストリーに欠けている従属理論の視点、一方近代世界システム論に欠けている産業革命を考慮しつつ、商人ネットワークによる情報の重要性に対する指摘はなかなか興味深い。

 進学希望者向けの課外授業ならともかく、歴史理論を高校世界史の日常の授業で扱うことはまずない。しかし「大きなストーリー」が頭にあれば、個別具体的な場面を授業で扱うときにも、知らない場合に比べて自分なりに強調したり分かりやすく説明できたりするように感じる。とりわけ第4章には色々と面白い視点が並んでいた。主権国家に税金という視点がはいれば「領土は主権が国民に対して税金を課すことができる範囲」と、主体・対象・範囲で説明することもできる。戦争の重要性にしても然り。教科書的にはウェストファリア条約で主権国家体制が確立したと言われるが、スイスが永世中立国となったことからわかるように、これは戦争を前提とした体制でもある。18世紀にはいって七年戦争などヨーロッパ外での戦争が増えるとともに戦費は増加する一方で、国家財政に占める戦費の割合は増加の一途をたどる。こうした戦争を可能としたのが商人のネットワークを通じた資金の流れであり、また戦争によって国民意識は高まり、フィクションとしての国民国家が形成されていく、と。商人ネットワークの視点があれば、「最も利益を得たのはスペイン人の砂糖プランダーではなく、なぜイギリス商人だったのか」が説明できるような気がする。

 2013年の大阪大学の入試(世界史)と2016年に出された大学入学希望者学力評価テストの問題イメージでは、アンガス・マディソンの『The world economy: a millennial perspective』(邦訳は『経済統計で見る世界経済2000年史』柏書房)所収の統計が示されているが、本書の内容が頭にあれば、生徒にとってより分かりやすい解説ができるのではないだろうか。

 たまたま同時期に読んだのが、江戸川乱歩賞作家である高野史緒氏の『翼竜館の宝石商人』(講談社)。17世紀のアムステルダムを舞台に、「光と影の画家」レンブラントが謎を解く歴史ミステリー。物語の背景は、オランダの商人ネットワークである。おかげでよりよく楽しめた。


近代ヨーロッパの形成:商人と国家の近代世界システム (創元世界史ライブラリー)

近代ヨーロッパの形成:商人と国家の近代世界システム (創元世界史ライブラリー)

  • 作者: 玉木 俊明
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2012/08/21
  • メディア: 単行本



翼竜館の宝石商人

翼竜館の宝石商人

  • 作者: 高野 史緒
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本



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長谷川 修一/小澤 実 編著『歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏』勁草書房 [歴史関係の本(小説以外)]

 高校で用いられている世界史の教科書を対象に、記述内容と作成プロセスを検討した本である。第Ⅰ部および第Ⅱ部では、古代イスラエル、中世ヨーロッパ、中・東欧、アメリカ合衆国(以上第Ⅰ部)、イスラーム史、日中関係、東南アジア、日本に関する記述(以上第Ⅱ部)を対象に記述内容が批判的に検討されている。視点は様々であり、記述内容の妥当性に対する批判(古代イスラエル)、構成に対する批判(東南アジア)、複数教科書における記述内容の差異や変化(日中関係)、提案(イスラーム史)、整理(日本に関する記述)などがある。これらの内容は「授業で役立つ」というものではないが、それぞれに読んでいて興味深い。とりわけそれぞれの章の「おわりに」は、執筆者の方々のスタンスがよく表れており、高校世界史教員へのメッセージとも言える。

 もう一つ面白かったのが、教科書の記述がなぜ変わらないかという話だ。長谷川修一氏は、第一に内容の大幅な変更を好まない現場の意図に忖度した教科書会社が最低限の記述変更にとどめる傾向が強いこと、第二に学習指導要領の「世界の歴史の大きな枠組みと展開」を理解させることを目的としているため、「ステレオタイプな『出来事』としての理解」が重視されること、第三に厳密な史料批判が行われないまま「『旧約聖書』の本文のみを史料として過去の歴史を再構成する傾向」があったこと、第四に教科書執筆者が「古代イスラエル史」を厳密に研究してこなかったことの四つの複合的要因があるとしている。
 これら四つの要因のうち、三と四は古代イスラエル史固有の問題だが、一つ目と二つ目は他でもあり得る話だろうし、しかも両者には密接な関係があるように思われる。『詳説世界史』の執筆者である東京大学の橋場弦氏によれば、衆愚政という言葉を削除したら現場の教員からクレームが相次いだという[http://todai-umeet.com/article/34727/]。というのも「橋場教授は正しい表現に直したのにすぎないが、現場からすればわかりやすいストーリーが崩されてしまった」からだ。確かに自分自身の授業を考えてみても、因果関係を軸にしたストーリーを展開した方が話しやすい。

 個人的には、第Ⅰ部・第Ⅱ部よりも第Ⅲ部が面白かったが、中でも元教科書調査官の新保良明氏による第10章「世界史教科書と教科書検定制度」と矢部正明氏による第12章「高等学校の現場から見た世界史教科書―教科書採択の実態」は興味深い内容である。第10章は教科書検定とはどのように行われるのか、検定を行う教科書調査官(教科調査官とは異なる)とはどんな人で、どうやったらなれるのかなど興味はつきない。ここでも「おわりに」がリアルだった。よほど腹に据えかねたのだろう。
 「序」にあるように、この本は授業の改善や世界史という科目の在り方に直接「役に立つ」ものではない。であるにせよ、これまで正面から語られることがあまりなかった内容であり、自分自身が当事者であることも相まって、たいへん面白く読むことができた。

1930年度に松山高等学校で出題された世界史の問題はたいへん興味深い。確認できる範囲では、穴埋め問題の初出だとのこと(第11章)。



歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

  • 作者: 長谷川 修一
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2018/06/29
  • メディア: 単行本



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中村高康著『暴走する能力主義』 (ちくま新書) [授業研究・分析]

 「多面的・多角的に考察する力」「課題の解決に向けて構想する力」「考察したり構想したことを効果的に説明する力」「議論する力」。これらの能力は、今回改定された学習指導要領において地理歴史科で身に付けるべきとされている力の一例である。これらの能力は、果たして本当に新しいのだろうか。個人的な感覚では、まったく新しくない。現行の世界史Aの学習指導要領においても、「多面的・多角的に考察」「追究し考察した過程や結果を適切に表現」「課題意識を高め,意欲的に追究」「国際社会に主体的に生きる国家・社会の一員としての責任」といった表現が出てくる。このような教科・科目の内容に関する知識ではない能力の重要性は、今になって主張されてきたわけではない。私が小学生の頃のジャポニカ学習帳のCMソングは「天才秀才ガリ勉くん、点取り虫にはなりたくない」という歌詞だったが、これを思い出しても「知識偏重はよくない」という考えが40年以上前からあったことが分かる。推薦入試やAO入試に集団面接・集団討論が取り入れられていることも「ペーパーテストでは測定できない能力」を重視したためだったように思われる。
 「議論する力」も新しい能力とは思えない。加藤公明先生は討論にもとづく日本史授業を実践して来られた[https://www.jstage.jst.go.jp/article/socialstudies/1996/74/1996_6/_pdf/-char/ja]。ベネッセのサイトで紹介されているモンゴル帝国の授業[https://www.benesse.jp/kosodate/201608/20160816-2.html]は、NHKのEテレ「わくわく授業」で2006年に放送されたものであり(記録は、岩波ブックレット『世界史なんていらない?』と、明治図書『中学・高校の優れた社会科授業の条件』に掲載されている)、新しい授業ではない。グループワークについて故鳥越泰彦先生とお話ししたのも、2007年の日本西洋史学界のことであり、(平成30年に発表された指導要領から数えて)2つ前の学習指導要領の時期に当たる。このことは岡崎勝氏も、アクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びという言葉は「以前から教育界で唱えていた「自ら考え、自ら学ぶ」という呪文を言い換えただけ」と指摘している(『現代思想』2017年4月号・特集「教育は誰のものか」84㌻)。

 なぜこうした「今さら」の話しになるのだろうか。以下、本書からの引用である。
 「私たちが「新しい能力」であるかのように議論しているものは、実はどんなコンテクストでも大なり小なり求められる陳腐な、ある意味最初からわかりきった能力にすぎないものなのである。そのように考えてくると、職業に求められる能力の質が大きく変化した結果としてこれらの能力が注目されるようになったと考えるよりは、全体として能力観が転換しているとの根拠のない前提のうえで、「ではどんな新しい能力が必要か」を無理やりひねり出そうとした結果、最大公約数的な陳腐な能力を、あたかも新しいものであるかのように、あるいはあたかも新しい時代に対応する能力であるかのように看板だけかけ替えて、その場を丸くおさめるといったことを繰り返してきたものなのだ、と考えたほうが、私個人は非常にすっきりする。」( p.46)

 昔から重視されてきた能力が、今になって「"新しい"能力」と強調されるようになったのは「いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければいけない」という議論それ自体である。」(24㌻)からだ。このため、「新しい能力」を後づけで探さなくてはいけなくなったということだろう。

 たとえば、「おとなしい、議論もできないような性格では、高校を出てから社会や仕事に十分適応できない」という言説があるとしよう。本書の第2章「能力を測る」を読んで考えたことは、議論する力はどうやれば測定できるのかという疑問である。なかなか難しいことは容易に想像がつくが、測定が困難であるにもかかわらず声高に能力の必要性が叫ばれる理由は、指摘されているように「ダブルスタンダード」である。

 本書を貫くキーワードは、「メリトクラシー(能力主義)の再帰性」である。能力は社会的に構成され、常に問い直され批判される性質を持っている。ということは、「新しい能力」は常に求められ、そして求めること自体が自己目的化していくことになるが、「まえがき」で筆者は、何が何でも変えなければならないという強固な「意志」の存在に触れている。その意志は一体どこから生まれてきたのだろうか。
 「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」「日本の正社員は世界一守られている労働者になった。だから非正規が増えた」「正社員をなくせばいい」といった発言が、教育改革推進協議会という団体の中心メンバーから出てきている。私が「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」という言説に危惧を感じるのは、この言説が生産性で人間の価値を決めてしまおうという風潮に通じるからだ。「グループワークから逃げる人は社会でもやっていけない」と、誰がどういう基準で調査した結果かはわからないが、私が「教育改革」という言葉に不安を覚えるのは、この点にあるのかもしれない。この不安を解消してもらうため、議論する力の育成やICT環境の充実の前に家庭程の経済状況や居住地域の差異にもとづく学業格差(例えば英語民間試験の受験機会の不平等)を解消してもらいたい。夏休みにスイスの牧場で生活体験をする高校生と、明日学校に持っていく弁当を心配しなければならない高校生が、同じ土俵で「議論する能力」や「高校における活動実績」を比較されてしまうことに私はどうしても違和感を拭えない。

 ある調査によれば、「高校生の半数の資質・能力は大学生になってもあまり変化しない 」そうである。とすれば、確かに「高校時代の授業でグループワークや議論が出来なかった高校生は、社会でやっていけない」という言説は、ある程度の説得力がありそうだ。しかし本書の第2章で述べられているように「グループワークや議論する力」の測定は困難である。にもかかわらず、なぜそれが「将来必要な力」で「出来ない人は将来社会でやっていけない」と言い切れるのだろうか。それに調査結果はあくまで「高校生の半数」であり、また文部科学省による平成29年度学校基本調査(確定値)によれば、「大学(学部)進学率(過年度卒含む)は52.6%(前年度より0.6ポイント上昇)で過去最高」となっている(現役は49.6%)。高校を卒業した生徒の半分は大学には行かないという実態を踏まえれば、大学進学者だけを対象にした調査がさほど重要であるとは思えない。

 小針誠著『アクティブラーニング~学校教育の理想と現実』(講談社現代新書)に中でも、大学におけるアクティブラーニングの導入には経済界からの強い要請があったこと(29㌻~)、これまでもアクティブラーニング型授業は実施されてきたこと(第2章)が述べられている。教育学と社会学、視点は異なるが実に興味深い。


暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

  • 作者: 中村 高康
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: 新書



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「近代化と私たち」の授業 [授業研究・分析]

 新しい学習指導要領によれば、新科目「歴史総合」は①歴史の扉、②近代化と私たち、③国際秩序の変化や大衆化と私たち、④グローバル化と私たち、の4部構成となっている。「近代化」「大衆化」「グローバル化」といった「近現代の歴史の変化」の内容や意義・特色などを理解したうえで、「調べまとめる技能」を身につけ、「多面的・多角的に考察」し、さらに「考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度」まで身につけさせなければならない。何とも盛りだくさんの内容である。

 4つの大項目のうち「近代化と私たち」は、(1) 近代化への問い、(2) 結び付く世界と日本の開国、 (3) 国民国家と明治維新、(4) 近代化と現代的な諸課題の4つの中項目から構成されている。4つの中項目のうち「近代化への問い」では、「交通と貿易、産業と人口、権利意識と政治参加や国民の義務、学校教育、労働と家族、移民などに関する資料を活用し、課題を追究したり解決したりする活動を通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。」となっており、同解説では「交通と貿易」、「産業と人口」、「権利意識と政治参加や国民の義務」、「学校教育」、「労働と家族」、「移民」それぞれについて活用が想定される資料が例示されている。たとえば「交通と貿易を取り上げた場合は、例えば、教師が、貿易額や貿易品目の推移を示す資料、鉄道の敷設距離の推移や航路の拡大と所要日数の推移を示す資料、工場数の推移を示す資料などを提示し、鉄道や蒸気船の急速な普及の理由、貿易によって豊かになった国々の特徴など、生徒が歴史的な見方・考え方を働かせて資料を読み解くことができるように指導を工夫する。」とあるのだが、こうした資料を教師が個人で集めることは不可能であろう。少なくとも学習指導要領解説に例示してある資料は、教科書や資料集などに例示してもらわないと困る。山口県の藤村泰夫先生は、「近代化と私たち」の「結び付く世界と日本の開国」で「綿織物から考える日本と世界」というテーマの授業を提案されているが(平成30年7月開催の高大連携歴史教育研究会・第4回大会)、ほとんどの資料集に掲載されている貿易グラフを除いても、かなり多くの資料を準備されている。

 藤村先生の授業案で面白かったのは、同じく「近代化と私たち」の第一時間目「近代化への問い」の授業プランである。「私たちの生活の中に見る近代化」をテーマに、
起床から就寝までの1日の生活の中で、近代以降生まれたものを前近代の生活と比較しながら考えさせるという授業である。具体的には、目覚まし時計による起床、朝食、衣服、通勤と通学手段、労働と学校、スポーツとクラブ、余暇、近代家族などである。変化を明確にするためには、変わる前と後両方を比べなければならない。あまりに昔と比較しても意味はないので、東京エレクトロンのCM(百年後の日本)をネタに「100年前にはなかったもの」くらいの比較が妥当ではないだろうか。

 藤村先生の「私たちの生活の中に見る近代化」の授業プランを見ていてふと思ったことは、近代になって時間に対する考え方が変化したのではないかということ。これは現行の世界史Aの産業革命あたりでもやれそうだ。

 工業化で機械時計が普及し、時刻が共有化されると、職住分離にともない労働者は工場へ働きに出るため就業時間を守り、公共交通機関も時間通りの運行を求められる。一方で、遅刻の元凶となる酒が敵視され、wikipediaによればイギリスの大手旅行代理店トーマス・クック・グループの「設立者のトーマス・クックはプロテスタントの一派であるバプティスト派の伝道師で、禁酒運動に打ち込んでいた。1841年に開催された禁酒運動の大会に、信徒を数多く送り込むため、列車の切符の一括手配を考えだし、当時高価だった鉄道を割安料金で乗れるようにした。これをきっかけに一般の団体旅行を扱い始めた。」と。時計メーカーのセイコーによるウェブサイトにある、「機械式時計の発達」「初期資本主義の成立」も織り交ぜて使えそうだ。
https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation/relation_03/index.html#addOtherPageAnc03

世界史Aのセンター試験にも使えそうな問題がある。

19世紀後半~20世紀初頭の西欧の家庭や家族について述べた文として最も適当なものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。
 ① 庶民階級の子供は、学校教育の対象とはされず、読み書きは専ら家庭で教えられていた。
 ② 中産階級の家庭では、夫婦共働きが理想の家庭と考えられるようになった。
 ③ 家庭は、消費と精神的なやすらぎの場から、生産と消費の場へと変化した。
 ④ 中産階級の家庭では、結婚後の女性が家事や育児に専念する傾向が強まった。
                   (1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

次の絵aは、1851年にヨーロッパのある都市で開かれた催しの会場を、絵bは、そこに集まった見物客を描いたものである。これらの絵について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① この催しには、鉄道を利用してやってきた見物客も多かった。
② この催しには、自動車を利用してやってきた見物客も多かった。
③ この催しは、パリで開かれた第一回万国博覧会である。
④ この催しは、ベルリンで開かれた第一回万国博覧会である。
(1998年度 本試験 世界史A 第2問C )

鉄道旅行について述べた次の文の空欄( ア )と( イ )に入れる都市の名と行事の名の組合せとして正しいものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。
トマス=クックは、1840年代から鉄道を利用した団体旅行を企画・実施し始め、1851年に( ア )で開催された( イ )にも格安で団体旅行客を送り込んだ。
①ア―パ リ      イ―第1回万国博覧会
②ア―パ リ      イ―第2回万国博覧会
③ア―ロンドン     イ―第1回万国博覧会
④ア―ロンドン     イ―第2回万国博覧会
(2004年度 本試験 世界史A 第2問 A )

 ....という話しをMLで行っていたところ、近代における余暇~レジャーの変化をテーマに、した授業を教えてもらった。著者は愛知県の磯谷正行先生で、産業革命以降、民衆が「規律化(勤勉化)」されて資本家の提供する娯楽を享受するようになった、という変化を授業化したものである。近代以前の娯楽は野蛮であり、労働生産性にマイナスに作用していたのである。トーマス・クックと禁酒法の関係も、この視点から見ると大変興味深い。磯谷先生の授業プランは『歴史と地理』447号(1992年11月)に掲載されている。なお磯谷先生のこの授業は、1992年に開催された全国社会科教育学界(全社学:広島大学系)と日本社会科教育学会(日社学:筑波大系)の合同研究大会で発表されたものである。昔は両学会合同の研究大会などやっていたのか....とちょっとビックリ。

 山川出版社の教科書『新世界史』第Ⅳ部「近代」の冒頭の解説で、近代とは、「現在に近い時代」ではなく、「まとまった一つの時代」であると指摘されている。近代は人々が「進歩」を追求し、技術革新や国民国家、自由主義を実現しようとした時代である、と。その結果さまざまな諸問題もひきおこしたのであるが、この前書きの最後は含蓄に富んでおり、「歴史総合」全体に関わるような提言だと思う。筆者はおそらく小田中直樹先生であろう。

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吉田 裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 アジア・太平洋戦争(この呼称については様々な意見があるが)において、日本軍の兵士が置かれた生活環境から戦争の実態を検証した本(著者の言葉を借りれば、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から「死の現場」を再構成する)。内容が極めて興味深く、表現的にも読みやすい。これまでも日本軍の兵士が置かれた厳しい状況については様々な機会に見聞してきたが、この本が便利なのは証言や記録を出典を明らかにした上で一冊にまとめた点にある。さらに、戦場における歯科医療や海没死、装備の劣化など新たな視点を提供してくれた点もあげておきたい。

 以下、本書で興味深かった点。
・日中戦争開戦から終戦まで、満洲を除く中国本土で死亡した日本人の数は、46万5700人
・1941年の開戦から、アジア・太平洋戦争で亡くなった日本人の数は、約310万人
軍人・軍属      約230万人(うち朝鮮半島・台湾出身者 5万人)
   在外一般邦人     約 30万人
   国内で死亡した民間人 約 50万人
・戦没者の多くは、1944年以降に亡くなったと推定される。9割?
・戦死した軍人・軍属のうち餓死者が多い。 藤原彰61%、秦郁彦37%
したがって、戦争末期において、兵の多くは栄養失調の状態であった。
・戦死軍人・軍属のうち海没死は35万8000人と多い。
・米軍の潜水艦作戦は日本に比べて大きな戦果をあげた。
  日本の場合、潜水艦127隻の損失に対して撃沈した艦船は184隻(90万トン)
  これに対して米軍は、潜水艦52隻の損失に対して1314隻(500万2000トン)を撃沈
・艦船が不足していた日本は、恒常的に過積載状態だった。
・日本の輸送船は低速の商船が多く、さらに敵潜水艦の攻撃を避けるため
 ジグザグ航行を行ったため、一層低速となった。
・圧抵傷と水中爆傷
・体当たり攻撃を行う特攻では、機体に装着した爆弾の破壊力は通常より小さくなる。
・硫黄島守備隊の場合、戦死は3割で残り7割のうち自殺が6割くらい。
・戦争末期には兵士の体格が低下し、サイズが小さくて倉庫に眠っていた昔の軍服が使えるようになった。
・当時は一般に販売されていた覚醒剤のヒロポンが、戦場でも多用された。
・物資不足で、鮫皮を使った軍靴が支給された。サメの皮は水を透す。
・軍靴は糸が切れやすい。
・鉄の不足で飯盒も支給されなくなり、孟宗竹を利用した代用飯盒や代用水筒が支給された。
・重い個人装備。インパール作戦のときは40キロくらい。重くて歩けない。


 旧日本軍における飯盒の重要性が説明されていたが、なるほどという感じであった。確かに、第2次世界大戦を題材にした外国映画をみていると、食堂に集まって一列に並び、自分のトレイに入れてもらうシーンをよくみかける。こうした食事が提供できない場合に非常食として携行するレーションも、米軍は充実していたようだ。

第二次大戦中の米軍戦闘糧食
http://10.pro.tok2.com/~phototec/ww2.htm

 一方で、兵士一人一人が飯盒を携行するような自給自足的な補給方針も、様々な問題を生じたと思われる(本書96~98㌻)。



日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

  • 作者: 吉田 裕
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 新書



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佐藤卓己『キングの時代』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]

 山川の『歴史と地理』(2017年5月号、No.704)で目にした第一次世界大戦の授業のレポートを読み、本村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)を購入した[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-06-29]。同書のまえがきでは、第一次世界大戦に対する捉え方が日本と西欧諸国ではかなり異なることが指摘されている。この指摘には既視感を感じていたものの、なかなか思い出せずにいたのだが、ようやく見つけることができた。同じく『歴史と地理』の2003年5月号(No.564)に掲載されている木村靖二先生による「新課程版『詳説世界史』の執筆を振り返って」である。

 ....しかし、第一次世界大戦を現代の起点とするのは、それがなにもヨーロッパ近代に大きな衝撃をあたえ、大戦前との断絶をもたらしたという狭い意味からだけではない。大戦期は現代福祉国家の原点であり、帝国を一掃して国民国家モデルを国際社会の基本単位とする契機になり、さらに現代大衆文化を産みだし、アジアなどでの民族運動・独立運動を本格的に台頭させた。また国際関係の次元でみても、国際連盟という新たな国際調整機関を成立させ、ヨーロッパ一局構造からアメリカ・ソ連の三元構造への移行をうながしている。要するに、大戦期が現代世界、現代国家の基本的仕組みや枠組みをつくり出すうえで、決定的役割を果たしたことが重要なのであって、そこに注目すれば、1914年に現代への転換点を設定するのは十分根拠があると考えた。

 さらに以下のような文章が続いている。

 なお、日本史では現代の始まりを第二次世界大戦後においていて、日本史と西洋史の現代の時期区分の違いはあいかわらず続いているが、最近これに一石を投じる意欲的な研究が出された(佐藤卓己『キングの時代』岩波書店 2002年)。参考にして欲しい。

 佐藤卓己先生の『キングの時代』は400ページを超える大著で、なかなか読み進まなかったが、内容はかなり面白かった。高校の日本史では、大正から昭和初期にかけての大衆文化の項目で創刊号の表紙の写真が掲載されている雑誌『キング』だが、その内容についてはほとんど知らなかったため、「なるほど、こういう雑誌なのか」と初めて知ることができた。女性や子どもを含む大衆の講談社文化と知的エリートの岩波文化という捉え方は面白かったが、著者はこれを再検討したうえで、『キング』のメディアミックス的性格を指摘する。知識人からは攻撃されながらも、「何でもあり」なラジオ的雑誌がトーキー化することで、劇場型による大衆の動員に成功したという流れだと個人的には理解した。大衆の動員という点で思い出したのは、井野瀬久美恵先生の『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日選書)[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-04-04]。イギリスではロシア=トルコ戦争や南ア戦争を契機に、ミュージックホールで流れた歌の歌詞を通じて、本国と植民地をつなぐ「大英帝国意識」が形成されていった。娯楽を通じた劇場型による大衆動員という点で、共通点を感じる。

 内容が面白すぎて、木村先生の指摘を確認することが後回しになってしまったが、本書の冒頭で、佐藤先生は木村先生と同じような指摘をしている(第一章第二節)。第一世界大戦後に日本でも現れた大衆を「国民化」し、国民的公共圏をつくりあげていったのが『キング』という図式である(本書18ページの図)。

 ある歴史系授業の研究会で 、著者の佐藤先生とご一緒させていただいたことがある。そのときに私は自分の授業[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-09-23]を紹介したうえで 、「『歴史総合』の授業として考えると、戦争がテーマの授業であれば第二次世界大戦よりも第一次世界大戦をとりあげてみたい」と締めくくった。その理由は、一橋大1989年の入試問題「第一次世界大戦の前と後で、日本を取り巻く国際環境はどう変化したか」が頭にあり、「日本史でも世界史でもやれそうだ」と感じたからである。これに対して佐藤先生からは「第一次世界大戦をきっかけに世界は大きく変わったので、授業で取り上げる価値は大きい」とアドバイスを受けたのだが、出席していた日本史の先生方(高校)は、第二次世界大戦の方が適切だろうという意見が大半であった。佐藤先生からは、電気やラジオの普及率を調べると面白い情報が得られるのではないかというアドバイスをいただいたのだが、この本を読んでいればそのときもっと質問が出来たと思う。返す返すも残念だ。


『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/25
  • メディア: ハードカバー



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『山川デジタル指導書 世界史』(山川出版社) [授業研究・分析]

 昨年の実教出版に続いて[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-11-18]、今年度は山川出版社がパワポ授業用のICT教材をリリースした。パッケージの名称は『山川デジタル指導書世界史 改訂版』で、「デジタル素材集」と「デジタル教材集」の2枚のDVD-ROMで構成されている。価格は3万8千円。「教材集」にはPDF形式の指導書が収録されているため「教科書の指導書」扱いとなり、基本的には教科書を販売している店でしか購入できない。「素材集」単体なら教科書販売店以外でも購入することが可能で、価格は2万円である。

DSCF3330.jpg


 2枚のうち、パワポ教材が収録されているのは「教材集」(「指導書」扱いの方)で、内容は以下の通り。
 ①教科書と指導書のPDFデータ(テキスト抽出可能)
 ②パワポ授業用スライドデータ
 ③デジタルマップ
 ④黒板投影用白地図
 山川出版社は、世界史ABそれぞれ3点計6点の世界史教科書を発行しているが、「教材集」には6点すべての指導書が収録されている。山川の指導書は6種類とも「授業実践編」と「研究編」の2冊セットであるが、「研究編」は6点とも同一なので、「授業実践編」が6点と「研究編」が収録されている。個人的には読むときには紙媒体の方が好みだが、これだけの分量がROM1枚に入っていることを思えば、持ち運びにはデジタルメディアの方が便利なのは言うまでも無い。
 大いに注目だったのがパワポ授業用のスライドデータ。実教よりも後発という点で「王者山川だけに、もっとすごいものを出してくるに違いない」と期待したのだが、実教とはコンセプトが全く異なるものを出してきた。実教版のパワポ教材は、基本的に「板書代わり」である。クリックすると重要事項がアニメーションで表示されていくもので、同内容の書き込みプリント(ワード形式)や一問一答、テスト問題、教科書本文まで用意されており、世界史の授業を初めて担当するという教員も、このスライドに沿って進めていけばだいたい授業の形になる。しかし、そのままだと一方的な説明による講義がメインとなる可能性が高く、工夫が必要である。一方、山川のパワポスライドは、より理解を深めるための説明用であり、テキストが主体の実教版とは異なり、地図や図版が大きなウェイトを占めている。このため教師の語り(説明)が重要な役割を果たすことになり、また生徒に対する問いかけも山川版の方が行いやすい。大まかなイメージとしては実教版よりも経験を積んだ教員向けという気がする。
 「素材集」は、「教材集」のパワーアップキットと考えてよい。「教材集」収録のパワポスライドのデータに、自分でつくったスライドを挿入したり既存のスライドをカスタマイズするときに活用できる素材集である。収録されている素材は、前述の山川出版社が発行している世界史教科書6冊に収録されている図版や表、グラフなどの画像データで、自作のプリントやパワポスライドに挿入できる。画像データは、教科書別、種類別(地図・年表・図・表・グラフ・史料・系図の7種:複数選択可)で関連するデータを検索してPCに保存して使用する。例えば、「すべての教科書」から「アヘン戦争」をキーワードに「すべての種類の画像データ」を検索すると、「三角貿易の概念図」や「アヘンの流入量と銀の流出量の折れ線グラフ」など22種のデータがヒットする。使いたい素材にチェックを入れて、「選択した画像をパソコンに保存」をクリックすれば、任意の場所に画像を保存できる。ただし、同じデータや類似のデータが異なる教科書に掲載されていることもあるため、実際の種類は22よりも少ない。また、肖像画をはじめとする絵画は収録されていない(ウィキメディアをはじめとするフリー素材がネット上で入手できるからであろう)。個人的な感想だが、「素材集」は、かつて株式会社ゼータ(https://www.zeta.co.jp/)が発売していたPCソフト「プリントメーカー」とほぼ同じである。余談だが「プリントメーカー」は収録データに間違いが多く、なかなか困ったソフトであった。指摘するたびに修正はしてくれたが、何度も間違いを指摘したお礼なのか、私の似顔絵画像データを3種類つくってくれた。
 最後に地図ソフトについて触れておく。「教材集」収録データのうち「黒板投影用白地図」は、黒地に白ラインの海岸線がはいった画像データで、国境線がはいっているものとそうでないものが用意されており、西アジアや東アジアなど地域ごとの地図も用意されている。黒板に投影して教師が黄色のチョークでデータを記入していくことができそうだが、活躍する場面はあまりないようにも思われる。また山川版「デジタルマップ」については、特筆すべき点はない。私の使用方法が良くないのか、画面上で線を引こうと思ったら二点間を結ぶ直線になってしまう。第一学習社の「世界史図表DVD-ROM」収録のデジタルマップも線をひくことはできないが、浜島書店の「デジタルアカデミア世界史」はフリーハンドで自在に線を引くことが可能である。黒板に投影すればチョークで線を入れることは可能だが、黒板ではなく大型テレビに投影している場合はチョークを使えないため、やはりアプリ上で線が引ける方が便利だろう。私の場合、世界史のICT教材として活用する機会が最も多いのは、「デジタルアカデミア世界史」になりそうだ。
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小針誠『アクティブラーニング 学校教育の理想と現実』(講談社現代新書) [授業研究・分析]

 アクティブラーニングを教育史や教育行政の立場から分析した好著。これまで読んできたいわば実践本とは異なる視点から書かれているため、大変面白く読むことができた。引用される資料が多く、かなり検証されているなという印象。
 まず著者は、アクティブラーニングをめぐる五つの幻想を提示する。これらを検証する中で様々な問題点が指摘されてたが、特に気になったのは、子どもの家庭状況(貧困など)によってはなじめない子どもが出てくるのではないかという指摘。基礎知識がある児童生徒は積極的な参加が期待できるが、そうではない児童生徒はどうなるのか。先日、英語の新テストに使われる民間の外部検定が発表されたが、中には受験料が2万円を超えるものもあった。新テストの採点はベネッセなど民間業者が行うことから、その受験料も気になる。おそらく検定料や受験料の調整はこれから行われるだろうが、しっかりと対応していただきたい。「子どもの貧困」など経済的な格差が、教育格差につながりはしないか。
 興味深かったのが、第二章「近代教育史のアクティブラーニング」で、大正時代に成城小学校で行われたドルトン・プランなどの実際が紹介されている。ドルトン・プランについては、同じく講談社現代新書の『教育の力』など苫野一徳氏の著作でも紹介されているが、実際どのように運用されてどのような問題点があったのかというまとめはとてもわかりやすかった。こうした過去の先行例を見ておくのも、無駄ではあるまい。
 現実問題としていま私が最も気になっているのが、第一章で指摘されている「ゆとり教育」から「ふとり教育」へ移行した結果、授業時間の確保をどうするかという点である。地理歴史科の新科目「世界史探求」は、現行の「世界史B」の4単位から標準3単位となった。「歴史総合」では、日本史関係も世界史関係も両方扱うが、これは2単位である。ディスカッションやグループワーク、探求活動などを行うことを想定すると、教科書の内容は精選されるだろうが、2単位での運用は破綻するような気がしてならない。現在多くの学校では、世界史AとBの時間を合わせて、Bの内容を完結させている例が多いと思うが、カリキュラム・マネジメントの名の下に運用は現場に丸投げされ、「戦時下の国民精神総動員のスローガン「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」を思い出す」(64㌻)という状況を危惧している。
 今を去ること10年以上前、新潟で行われた日本西洋史学会で故鳥越泰彦先生は、「考えさせる」という独特な使役形に対する違和感を表明しておられた。このことは、『新しい世界史教育へ』に収録されている「高校世界史教育からの発信」でも述べられているが、主体的であることを強制するというのは確かに奇妙なことである。本書で引用されている調査結果によれば、学校段階があがるにつれてアクティブラーニングに対する意欲は低下するという(20㌻)。先日、大学に進学した教え子が尋ねてきた折りに、大学での活動を色々尋ねてみた。『地域から考える世界史』の中で、私が紹介している女性である。彼女の話を総合すれば、有名大学であってもそうした傾向は見られるようだ。



アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)

  • 作者: 小針 誠
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: 新書



新しい世界史教育へ

新しい世界史教育へ

  • 作者: 鳥越 泰彦
  • 出版社/メーカー: 飯田共同印刷
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: 単行本



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