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スパルタクスの反乱 [授業ネタ]

 前回紹介した映画『スパルタカス』の中で、スパルタクスが仲間と今後どうするかを話し合っているとき、仲間の一人がハンニバルのアルプス越えのエピソードを語る場面があります。ハンニバルがアルプスを越える時に大きな岩に道をふさがれ、立ち往生したけれど、木を燃やして岩を熱し、さらに酢をかけたところ岩は砕け、ハンニバル一行は前進を続けたという話です。彼は岩をローマに例えました。
 ハンニバルのこの話は、私の手元にあるサトクリッフ著『エピソード科学史Ⅰ・化学編』(社会思想社教養文庫)に載っていました。この本によれば、酢は「ポスカ」とよばれてローマ兵士の飲み物の一つとされており、カエサルも進軍の際には濃い酢を携行し、大量の水で薄めた酢を兵士に飲ませていたということです。ですからカルタゴ軍が酢を持っていても、別に不思議ではありません。酢を使って岩が割れるとすれば、その岩は酢と反応して酢酸カルシウムになる石灰岩か大理石であった可能性が高いらしいですが、その場合かなり大量の酢を必要とするとのこと。
 この話を伝えているのは、教科書にも載っているローマの歴史家リヴィウスで、『博物誌』のプリニウスもこのことに触れています。ただハンニバルのアルプス越えについて詳しい話を最初に書いたボリビオスは、酢で岩を砕いた話にはまったく触れていないそうです。で、この『エピソード科学史』の著者は新説を出しています。強く熱してすぐに水をかけて急激に冷やせば岩にヒビがはいるので、そこに何らかの鉄の道具を差し込んでヒビを広げて割ったのではないか、という説です。というのも、北イタリアでは「鉄のくさびを使って」という意味で「acuto」という言葉を使っており、これは「酢で」を意味する「aceto」によく似ています。この話が伝わるうち、「鉄で」が「酢で」に聞き間違えられたのではないかということです。

 スパルタクスの反乱をあつかった有名な歴史授業があります(高校の世界史の授業ではなく中学校の授業ですが)。授業を行ったのは安井俊夫氏。Wikipediaでは「『スパルタクスの蜂起』の授業、『松戸の農民』の授業は歴史学者との間に対話の機会をもたらした。」とあります[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E4%BF%8A%E5%A4%AB]。私が目にしたのは、雑誌『歴史地理教育』348号と、同じく380号に掲載された実践報告ですが、安井氏の著書『子どもが動く社会科』(地歴社)、同じく『学びあう歴史の授業-知る楽しさを生きる力へ』(青木書店)にも収録されているとのことです(いずれも未読)。安井氏の授業は、「共感による理解に基づく授業」と評され、大きな話題となりました(歴史教育者協議会の内部でも、論争となりました)。この授業は歴史学者土井正興氏の『スパルタクスの蜂起』『古代奴隷制社会論』(いずれも青木書店)を内容をベースに構成されていますが、土井氏自身も安井氏の授業に対してたびたびコメントしています(「スパルタクス蜂起で子どもに何を問うか」、『歴史地理教育』445号など)。Wikipediaの記事で「歴史学者との間に対話の機会をもたらした」とあるのはこのことです。
 あくまで私の個人的な意見ですが、この授業ではすべて奴隷側に立つて考察していくことが前提になっています。奴隷以外の人々(たとえば一般のローマ市民や兵士、貴族階級その他)の視点が全く欠けています。映画『スパルタカス』を見た人は、ローマ支配の不合理さに怒りを感じ、スパルタクスを応援する人がほとんどで、クラッススを応援する人はまずいないでしょう。映画はそういうふうに作られているからです。乱暴な言い方をすれば、この授業構成は映画と同じで、誘導尋問に近い気がします。教師が期待する認識を生み出せるように作られているからです。その結果かなり教師の意図した価値観を注入することになっており、映画を観ている場合ならともかく、歴史の授業で「共感を強いる」ことは少々難しい面もあるような気がします。
 安井氏が目指したのは、社会のできごとを自分と無関係な「ひとごと」とせずに、「わがこと」として積極的に関わろうとする態度の育成です。その意味では、目的と方法、内容が一貫した素晴らしい実践だと思います。ただ社会の構造全体まで踏み込んで分析するのは難しいでしょう。中学生の段階ではいいとして、高校ではこの授業以上の説明的な知識と理解が必要なのではないでしょうか。高校のレベルでは、森分孝治氏がいうように社会を分析し説明する能力の方がより重要だという気がします。
 なお、安井氏のスパルタクスの授業に関しては、私が目にしたものでは次のような論考があります。
・『社会科授業の理論と展開-社会科教育法-』現代教育社、32~38ページ
(服部秀一氏による)
・『歴史学習における新しい教材の開発研究』財団法人日本教材文化研究財団、6~17ページ(原田智仁氏による)

社会科授業構成の理論と方法

社会科授業構成の理論と方法

  • 作者: 森分 孝治
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 1975/09
  • メディア: 単行本


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コメント 4

小田中直樹

安井さんの授業をとりあつかったものとしては、村井淳志『学力から意味へ』(草土文化、1996)が面白いと思います。これは、安井「スパルタクス」授業をはじめ、教育実践の領域で著名な先生方の授業に参加した元・生徒たちにインタビューし、それにもとづいて考察を加えるという、目からウロコの仕事です。
by 小田中直樹 (2006-08-02 06:46) 

zep

サッチャー元英国首相が日本に来たとき、「テストで測定できる知識や技能をすべて忘れたときに何か残っているものこそ教育的効果だ」ということを述べていましたが、村井さんの仕事は、その「何か残っているもの」で授業を評価しようという試み、と考えればいいでしょうか。確かに目からウロコですが、高校ではどうも安井さんの評価はさほど高くないような気がします(というより彼の名を知らない人も多い)。おそらく安井さんの授業では歴史的事実の把握は後回しになっているからでしょう。「世界史の教室から」で先生が書かれていたように、我々高校の世界史教師には、「知識は理解の前提である」という暗黙の了解があるからです。大阪大学の「知のインターフェイス」事業が人気なのもそのためではないでしょうか。義務制(特に小学校)の授業が方法を重視するのに対し、高校の授業が内容を重視してるってことでしょうね。したがって我々高校の教師としては、授業の内容構成をどうすべきかに関心があるわけで、そのことを明らかにしつつある小田中先生の調査研究に期待します。
by zep (2006-08-03 10:06) 

なお

 まさに、この授業を受けた、安井先生のもと教え子です。安井先生は、どの授業においても、一方の意見だけで進めることは、ありませんでした。事前にプリントで学習し、その結果自分はどう思うか、と必ず私達生徒に考えさせて、討論しました。スパルタクスの反乱についても確かに奴隷側の考えの方が人数は多かったのが事実ですが、ローマ側や、反乱蜂起を良しとしないものの意見もきちんとありました。
 安井先生は教科書では覚えられない歴史の楽しさを教えてくれた唯一の恩師です。
by なお (2007-08-15 00:37) 

zep

なおさん、はじめまして。今や伝説ともなった、安井先生の授業を受けた方から直々にコメントをいただけるとは、実にうれしいことです。ありがとうございます。なるほど、ローマ側の意見も取り入れた授業だったのですか。それは実に興味深いことです。私は、安井先生が敢えてローマ側の意見をとりあげなかった、と考えていました。というのも、スパルタクスなど奴隷側の意見は、立場の違いがわかりやすいと思いますが、ローマ側の場合は階層その他によって、その立場を一般化することが難しいため、ローマ側の立場を考えさせると収拾がつかなくなると感じました。そのためローマ側の立場には敢えて触れなかったと思ったのですが、ローマ側の立場もとりいれた授業だったとなると、私のイメージとは違った授業展開だったように思えてきました。もしよければ、ご記憶の範囲内で結構ですので、ローマ側の立場についてどの程度まで取り上げられたのか、教えていただければ有り難いのですが。不躾ですが、個人的にもたいへん興味深いお話でしたし、おそらく他にも同じ考えの方はいらっしゃるのではないでしょうか。
by zep (2007-08-15 20:50) 

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