逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房) [歴史関係の本(小説)]
作者は新人だそうだが、相当勉強しているなと思わせられるのは、エレノア・ローズヴェルトの扱い。肯定的に描かれてはいるものの、単にエレノア礼賛に終わっていない点は、フェミニズムがテーマの一つでもあるこの小説に深みを与えている。
2012年度センター試験世界史B(追試験)第3問Cのリード文より。
国家元首の配偶者のなかには,自ら政治的・社会的な指導者としての資質を発揮する者もいた。アメリカ合衆国においては,フランクリン=ローズヴェルトの妻エレノアがその好例である。黒人や女性,失業者などの権利や福祉について関心の高かった彼女は,ニューディールの様々な政策に関して頻繁に夫に助言した。また,人権活動家として執筆活動なども行い,単独で行動することも多かった。夫の死後は,国際連合の人権委員会の委員長として,世界人権宣言の取りまとめに尽力した。
エピローグの静謐さが、内容の社会性ともども胸に迫る。大きな流れの中で個人はどう生きるべきか。とりわけ今現在的な意味をもつ「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか、とセラフィマは思った。」という一文は、多くの読者の記憶に残ることだろう。そして、昨年のNHK『100分de名著』で取り上げられた『戦争は女の顔をしていない』に続く「物語の中の兵士は、必ず男の姿をしていた」までの4行も印象深い。主人公が現代的すぎる感もあるが、それこそが今日的な作品であることの証左であるように思える。したがって、巻末の選評に「タイトルが平板であることが気になる」という意見もあったが、このタイトルは物語の内側における呼びかけ」」のみならず、読者それぞれに対しても向けられた言葉だという気がする。
ドイツ兵士とソ連女性との物語は、 フョードル・ボンダルチュク監督の『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年)を思い出した。
今年の東大の問題(第1問) [大学受験]
「トルキスタン」という言葉はよく目にするが、具体的な地理的範囲は?と問われると私自身もなかなか怪しい。山川の『詳説世界史』によると、トルキンタン=だいたい中央アジアで、パミール高原を境に東西にわけられる。西トルキスタンはソグディアナに相当し、現在はウズベキスタン共和国、東トルキスタンがタリム盆地(ほぼタクラマカン砂漠)で中国の新疆ウイグル自治区に相当する。駿台の分析シートには、「最近では中央アジアに替わって内陸アジアという表現が用いられるようになっている」とあるが、教科書では「中央アジア」「内陸アジア」「中央ユーラシア」といった表現が混在している。駿台の分析シートには、「冬期講習で行った論述問題で受講生が最も使えなかった用語がトルキスタンだった」とあるが、このような曖昧さも理由の一つだという気がする。
古い本だが、羽田明他『西域』(河出書房新社)によれば、広義の西域はヨーロッパも含めて中国より西の地域はすべて含まれ、狭義の西域は東トルキスタンすなわちタリム盆地を意味する。ただし、時代によっては西トルキスタンも含んだ中央アジア(海とつながっていない内陸河や内陸湖が分布している地域)全体を指し、「現在のことばでいえば、内陸アジアというのに近い」とある。問題のリード文には「内陸アジアに位置するパミール高原の東西に広がる乾燥地帯」とあるので、内陸アジアという呼称がよいのかもしれない。
このトルキスタンが重要な点としては、リード文にもあるように、ユーラシア大陸の交易ネットワークの中心として、様々な文化が交錯する場であったこと、つまり東西文化交流の媒介地域であったことがあげられる。そしてもう一点は、とかく対立の文脈で語られてきた農耕民族と遊牧民族が共生してきた、もう一つの文化交流があった地域であるという点である。以下、2011年度センター試験世界史B(本試験)の第4問Bのリード文より。
8世紀にモンゴル高原に興ったウイグルは,ソグド人の商業活動を保護するとともに,ソグド人の文化から大きな影響を受けた。ウイグル文字がソグド文字に由来することや,マニ教を受容したことは,その表れである。9世紀中葉以降,ウイグル人をはじめとするトルコ系遊牧民が中央アジアへ移住すると,彼らの支配下に入ったソグド人・トカラ人・漢人らの定住民もトルコ語を話すようになり,中央アジアのトルコ化が進行した。一方,トルコ系遊牧民も,定住民から商業・交易上の慣習や行政制度,さらには仏教やイスラームなどの諸宗教を受容し,遊牧文化と定住文化を融合させていったのである。
今年の問題で一番迷ったのが、指定語句の「宋」の使い方。宋とトルキスタン地域との関わりが思いつかなかった。河合塾・駿台ともに、宋と金によって滅ぼされた遼の一族がトルキスタンで西遼を建国したという形で使っている。なるほど。
1996年度センター試験世界史(追試験)第1問Bを思い出した。
問5 下線部⑤に関連して,サマルカンド地方を領有した勢力を,年代順に正しく並べているのはどれか。次の①~④のうちから一つ選べ。
① カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――サーマーン朝
② サーマーン朝――カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国
③ カラ=キタイ――サーマーン朝――カラ=ハン朝――チャガタイ=ハン国
④ サーマーン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――カラ=ハン朝
河合塾の二次私大解答速報は過去の内容まで閲覧できるが、駿台の掲載は一年間だけというのが残念。分析だけでもずっと読めるようにしもらえるとうれしい。
武井彩佳 著 『歴史修正主義~ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]
本書の内容は著者が「あとがき」で整理している三点だが、特に法規制を扱った第6章・第7章からは著者の思いが伝わってきて、意気に感じる。言説の法規制の問題は、民主主義を守る上でも考えていかなければならない問題。
WINEの講演会がツイッターで告知されると、(本書の発売前にもかかわらず)否定的なリプライが寄せられ[https://twitter.com/WineWaseda/status/1447853438902042625]、茶谷さやか先生のツイートに対しても同様だった[https://twitter.com/SayakaChatani/status/1451462410955472900](茶谷先生が女性なので、よりいっそう攻撃的なリプがついたようにも思う)。本書の「まえがき」やWINEの講演でも触れられていたが、日本では「歴史修正主義」という言葉がホロコースト否定を含んだ広い意味で使われているため、結構な誤解があるように感じる。その意味でも、本書が好評なのはよいことだと思う。
以下、私のメモ。
序章「歴史学と歴史修正主義」:歴史との向き合い方
・歴史とは全体像
ジグソーパズルのピースだけをみても全体像はわからない
しかし、ピースが一部欠けていても全体像は確認できる
・「事実」と「真実」の違い
・歴史は解釈であり、記述は変わる
(近世日本の士農工商に関する記述などが、それに該当するだろう)
第4章「ドイツ歴史家論争」:歴史修正主義と保守的な歴史解釈との線引き
・ノルテの立場・・・・ホロコーストの否定はしないが、相対化する
ただし、実証を欠く=「問いは立てるが証明はしない」(130㌻)
・不正を矮小化することは、歴史の政治利用につながる
現在に奉仕させる歴史を書くことは悪いことなのか?(133㌻)
→ナショナル・ヒストリーの限界・・・・対立を再生産する可能性がある
第5章「アーヴィング裁判」
・165㌻のルドルフ・ヘスは、元副総統とは別人
・アーヴィングへの判決文(170㌻)
【映画『否定と肯定』】
ホロコーストは「denial」とも言うそうだが、アーヴィング裁判を扱った映画『否定と肯定』の原題は『Denial』なので、映画の邦題は元の意味からかなり離れている。本書では映画『否定と肯定』に触れておらず、自分の筆一本で立ち向かおうという著者の気概が感じられた。本書を読むと、映画の中でアーヴィングが「ヒトラーがホロコーストを支持した証拠をみつけたら賞金を出す」と言っていたのが歴史修正主義のよくある手法であることや、アーヴィング裁判でホロコーストで生き残った人々が証人席に立たなかった理由がよく理解できた。映画で法廷弁護士ランプトンがアウシュヴィッツを歩くシーンはとても印象深いが、本書の「あとがき」における著者のアウシュヴィッツ体験が映画とは対照的なのも興味深い。
映画『否定と肯定』について https://diamond.jp/articles/-/184804
【高校における歴史の授業をどうするか】
WINEの講演会でも話題になったが、多様な解釈を容認する以上、「歴史総合」の授業で歴史修正主義的な意見が出ることはあり得る。解釈の積み重ねは重要だが、映画『否定と肯定』のパンフレットに木村草太先生が書いている両論併記の弊害についても考え込んでしまう。かといって、歴史的な事実とされる資料を並べても、その選択自体に教員の解釈が入り込んでいる以上、「理論批判学習」[https://home.hiroshima-u.ac.jp/~kusahara/kusalab/class/2016/curri/06-3.pdf]が「批判」になることは少ないだろう。授業で提示する資料の選択をどうすればよいのだろうか?

歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書, 2664)
- 作者: 武井 彩佳
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2021/10/18
- メディア: 新書
「歴史総合」のサンプル問題 [大学受験]
大學入試センターによる「歴史総合」のサンプル問題[https://www.dnc.ac.jp/albums/abm00040337.pdf]はとてもよく出来ている。『学習指導要領解説・地理歴史科編』[https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002620_03.pdf]の124㌻に示されている「社会的事象の歴史的な見方・考え方」の視点や方法
①時期,年代など時系列に関わる視点
②展開,変化,継続など諸事象の推移に関わる視点
③類似・差異など諸事象の比較に関わる視点
④背景,原因,結果,影響,関係性,相互作用など事象相互のつながりに関わる視点
⑤現在とのつながり
がしっかりと取り入れられており、 問題をつくった先生方の工夫と熱意=本気度が伝わってくる問題である。
世界史教師には良問だが、世界史受験生にはキツい問題というのが印象。実際の授業の場面を用いて、資料やデータを読み込んでいく問題は、長い文章が読めない生徒にはキツい。内容も単純に暗記だけでは解けず、センター試験の時には読み飛ばしても大勢に影響がなかった資料文も丹念に読まなければならない。一方で、第1問の問1など中学校時代のベーシックな学習が抜けていたら間違ってしまうような問題もあり、気が抜けない。さらに資料同士の比較検討など、相応の訓練が必要となるので、これまでのセンター試験時代の世界史Aの問題とは、まったくもってレベチである。極めつけは「近代化と私たち」を教育制度で考察する前述の第2問Bでの問6で、メタレベルを問う問題になっている。
実際の共通テストでは「日本史探究」「世界史探究」「地理総合・公共」との抱き合わせで行われるので、「歴史総合」の分量としては、それぞれサンプル問題通りの10問くらいだろうが、「歴史総合」を含む科目、とりわけ「歴史総合・世界史探究」で受験する生徒は減るような気がする。これまで「世界史Aならなんとか点が取れるかも」だった層が、「歴史総合・世界史探究」で受験することはなくなるだろう。もっとも、もともと世界史Aの共通テスト受験生の数は極めて少なく(昨年度は第一日程で1544人、第二日程で14人)、作問の苦労に見合わないのが実情だったので、現実に即したという見方もできる。
元日の朝日新聞紙上の岩波書店全面広告[https://www.iwanami.co.jp/news/n45189.html] が話題だが、歴史的な見方考え方はすべての人に大切なことだと思う。それは「歴史総合」の成否にかかっているが.....。
社会科教師教育研究の動向と課題 [その他]
・渡部竜也「教員養成カリキュラムの研究と実践-教科教育の有効的関係の構築を目指して」
・南浦涼介「自主的研究組織と社会科教師の多様性-あるいはSNSという対抗的公共圏からの学会へのまなざし」
この二つの論文が目にとまった背景には、渡部先生(https://twitter.com/qi2yXOPeY1zkJ9J)と世界史教師のボリバル先生(https://twitter.com/world_history_k)とのツイッター上でのやりとりがある。正直お二人の意図を正確に読み取ることもできていないので、どちらがの意見がいいとも言えないのだが、お二方とも真摯な取り組み(=よりよい授業をつくっていきたいという思いが感じられる取り組み)を行っている。しかしそのことが、現場教師と研究者との意識の違いを際立たせることにつながったように私には感じられるのである。
渡部先生の論文には、私が知っている先生方のお名前が登場して、まずは懐かしい思い。「静観型」に分類されている溝口和宏先生とは、新潟大学で行われた日本西洋史学会の第57回大会でご一緒させていただいた[http://www.seiyoushigakkai.org/2007]。鹿児島大学で行われた全国社会科教育学会の研究大会でもお世話になった。また「消極的介入型」に分類されている梅津正美先生とは、共同で発表(社会系教科教育学会)と論文執筆を行ったことがある[https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5975291-00]。溝口・梅津両先生の授業プランについてはこれまでも知る機会があったが、私が現職の教員ということもあり、お二人が教員養成系大学で教師教育をどのように進めているかを知る機会はなかった。それゆえ、お二方それぞれの授業プランと、本業?でもある教員養成との関わりを考えることができてなかなか興味深かった。
日本西洋史学会でのシンポジウムで司会をされたのは、児玉康弘先生だったが、渡部先生のウェブサイトを拝見したところ、児玉先生は渡部先生を批判していると。うーむ。
http://sswatanabe.web.fc2.com/first.html#%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98
私は教員養成系大学(熊本大学教育学部)の出身で、ゼミは西洋史だったが社会科教育法の授業では「説明」の授業理論を中心に勉強した(担当の先生が広島大学出身だったので)。そのため、鳴門教育大学の大学院に派遣されて学んだ「意思決定」の授業理論にはなかなかなじめず、原田智仁先生の「理論批判」や児玉先生の「解釈批判」といった方法論にひかれたものである。そうした経験から、渡部先生がそれぞれの類型に対して述べておられる批判は、それぞれに理解できる。
渡部先生のツイッター上の発言を読むと、時々真意を測りかねる発言がある。しかし、渡部先生の論文を読むと、ツイッター上での発言だけではよくわからなかった先生の考えも、理解できるように思う(特に、4つの類型に対する批判の箇所)。渡部先生の著書については、斉藤仁一朗先生のウェブサイト[https://jinichiro15.com/]に詳しい(「感想メモ」の中)。社会科教育関係の本はここ10年以上読んだ記憶がないが、久しぶりに読んでみたいと感じた本。
南浦涼介先生の論文を読んで改めて感じたことは「教師は基本的に勉強したいと思っている」ということ。多かれ少なかれ、教員は勉強が好きで、その楽しさをわからせたいと思って先生という仕事をしていると思う。しかしその一方で、自分を取り巻く様々な環境に対して不安を持っているのも事実。匿名性が重視されていることは、「身バレ」やトラブルを避けたいという意識の表れだろう。かつて私もツイッターの内容について、公的な機関から注意をされた経験がある。様々な意見を聞いて勉強したいが、あまり深入りはしたくないという若い先生方の思いと、現場の教師の力になりたいがなかなかうまくいかないという研究者の先生方との齟齬も感じられてモヤモヤする。
教師教育研究が注目されているのも、新しい学習指導要領で教育内容のみならず方法まで示されたことで、勉強したいという学校現場の教師が増えたことがあるように思われる。そのことは、明らかに良いことだと思う。しかし私の周りでは、教員の会合でも学習内容の話題には花が咲くが、学習理論が話題になることはあまりない。世代交代を進めるべき時期に差し掛かっているのかもしれない。
今回掲載されていた諸論文には、「ゲートキーピング」という言葉がたびたび出てくる。これは「カリキュラムや授業を目的や目標に応じて調整する教師の主体的な営み」という意味であると[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/39/0/39_107/_pdf ]。授業だけはなく、カリキュラムも含んでいるところが重要なのだろう。昨年受けた教員免許更新講習でも「カキュラム・マネジメント」の講座があったが、私にとってはクソだった。あと10年近く教員を続けるのはキツいな。
今年の東大の問題 [大学受験]
指定語句は、「ギリシア語」「グレゴリウス1世」「クローヴィス」「ジズヤ」「聖像画(イコン)」「バルカン半島」「マワーリー」の7つ。
今年の東大の問題(世界史) 読売新聞のサイト
https://www.yomiuri.co.jp/nyushi/sokuho/k_mondaitokaitou/tokyo/mondai/img/tokyo_zenki_sekaishi_mon.pdf
地中海周辺に成立した3つの文化圏を扱った問題はこれまで様々に出題されてきたので、新傾向の問題が出るかとドキドキした分、ベタな出題に驚いた。思いつくだけでも、1995年の東大、1992年の一橋大、2003年の東京都立大など。横浜国立大が世界史の二次試験をやっていた頃「8世紀を中心とする時代の地中海周辺世界の政治状況を、次の5つの語を必ず一度以上用いて、400字以内で記せ。ただし、句読点も一字に数えること。アッバース朝、ウマイヤ朝、カール大帝、ビザンツ帝国、ローマ教皇」という出題もあった。過去問しっかりやった受験生はよく書けたのではないかと思う。
「5世紀から9世紀」という短いタイムスパンなので、ここは時系列に書いていくという方針でよいと思う。ただし、それぞれの文化圏が確立した時期は明確にしておいたほうがよい。
5世紀:ゲルマン人の移動とゲルマン国家の分立(諸民族の大移動)、西ローマ帝国の滅亡、カトリックと結びついたフランク王国の発展 クローヴィス
↓
6世紀:ビザンツ帝国(生き延びたローマ帝国)のユスティニアヌス、ギリシア正教とギリシア語に基づくギリシア・ビザンツ文化圏の成立
↓
7世紀:イスラーム勢力の地中海進出(地域の帰属関係の変動)
↓
8世紀:ウマイヤ朝からアッバース朝へ(政権の交替)
↓
800年:カールの戴冠(ラテン・カトリック文化圏の確立)
要求は9世紀までだが、9世紀の地中海世界で書けることは思いつかない。さて何を書く? 代ゼミ・河合・駿台の各予備校が公開した解答例をみると、最後の一文は次のようになっていた。
代ゼミ:「両キリスト教会はバルカン半島に移住したスラヴ人への布教を進めて勢力圏拡大を競った。」
河合塾:「東ローマ帝国では、バルカン半島に南下したブルガール人やスラヴ人への布教を進め、コンスタンティノープル教会中心にギリシア語を公用語とする正教文化圏が形成されていった。」
駿台:「9世紀にはビザンツ帝国がスラヴ人・ブルガール人にギリシア語で布教を進め、ギリシア・ビザンツ文化圏を形成した。」
なるほど、「バルカン半島」を9世紀で使うとのはよい考えだと思う。「9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。」としておく。駿台の解答例で使用されている「ギリシア・ビザンツ文化圏」という用語は、2003年の都立大のリード文でも「このように、7世紀後半から8世紀にかけて地中海世界は、ラテン・キリスト教文化圏、ギリシア・ビザンツ文化圏、そしてアラブ・イスラーム文化圏の3つの文化圏に分かれることになった。」と使用されているので、そのまま拝借。ただし「ラテン・キリスト教文化圏」という表現は、ギリシア正教もキリスト教なので「ラテン・カトリック文化圏」としたほうがよいのでは。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立時期は、代ゼミの解答例同様、ギリシア語が公用語となった7世紀としておく。代ゼミの解答例では9世紀が「勢力圏拡大」となっているのは、そのためだろう。
私が考えた解答例は以下の通り。
5世紀に入ると地中海世界ではゲルマン人国家が分立し、その混乱の中西ローマ帝国は滅亡した。代わって勢力を拡大したフランク王国は、初代クローヴィスがアタナシウス派に改宗したことから旧ローマ市民からも支持された。6世紀にはいるとユスティニアヌス帝のもとビザンツ帝国がヴァンダルや東ゴートなどのゲルマン国家を滅ぼして地中海帝国を回復した。その後帝国の勢力は後退するが、ギリシア語とギリシア正教に基づくギリシア・ビザンツ文化圏が確立した。対するカトリックも、グレゴリウス1世の布教でイングランドやゲルマン人に広がった。しかし7世紀になるとイスラーム勢力が進出し、シリア・エジプトをビザンツ帝国から奪ったことでアラブ・イスラーム文化圏が地中海世界まで拡大した。8世紀にはいるとイスラーム文化圏はイベリア半島まで拡大したが、ジズヤを免除されなかったマワーリーの不満が高まり、750年ウマイヤ朝はアッバース朝に交替し、諸王朝の分裂が進んだ。同じころキリスト教世界では、ビザンツ皇帝が聖像画(イコン)を禁止したことにローマ=カトリック教会が反発し、フランク王国に接近した。800年、ローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ皇帝の帝冠を授けたことによってラテン・キリスト教文化圏が成立し、地中海世界に3つの文化圏が成立した。9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。
(596字)
最後の9世紀の事例がとって付けたようで、おさまりが悪い。9世紀のことは何を書けば良かったのだろう。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立を7世紀としている点で、代ゼミの解答例に近いかな。
【代ゼミの解答例】
https://sokuho.yozemi.ac.jp/sokuho/k_mondaitokaitou/1/kaitou/img/tokyo_zenki_sekaishi_kai.pdf
【駿台予備校の解答例】
https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/2021/tky1_sek_1.pdf
【河合塾の解答例】
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/t01-52a.pdf
教員の労働環境と教員養成系大学の授業 [その他]
2月1日(月) 部活交通費 23府県不支給 熊本など
2月2日(火) 教職員残業 上限超え4割
県高教組調査 1割は過労死ライン
2月3日(水) 小学校教員採用 競争率最低
19年度 多忙化 低迷の一因
と、熊本日日新聞には三日連続で教員の労働環境をめぐる記事が掲載されていた。極めつけは、2月4日(木)に掲載された岡崎勝先生の連載「学校のホンネ」の「コロナ禍 増える不登校 教師の疲弊が引き金にも」である。
昭和41年生まれの私は、今年度2度目の教員免許更新講習を受けた。最近ではe-ラーニングや放送大学などオンラインによる研修も少なくないが、母校で受けてみるかと思い熊本大学教育学部で受講したところ、受講費をドブに捨てたようなクズ講習のオンパレード。わが母校ながら嘆かわしい限りだ。受講した5講座の中で唯一満足できたのは「地域研究の方法論」だけで、中でも最悪だったのが「教育の最新事情」。認定試験の問題が午前と午後でほとんど同じだった。当然同じ内容を書いたのだが、結果は「認定」だった。バカにするにもほどがある。
今の学校は、児童生徒のだけでなく教員も児童生徒と同じくらいのキツさを感じていると思う。だがしかし、受講した教員免許更新講習や熊本大学教育学部の入試で行われた過去の面接試験をみると、「児童生徒をどうするか」オンリーで、教師に向けるまなざしがほとんど感じられない。大学で教員のメンタルヘルスに関する講義があっているのかと思ったが、話を聞く限りはそうでもない。まぁ大学の先生方からみれば、スマホ指導や主権者教育、部活に保護者対応とかICTとか、「大学で教えることじゃない」って思っておられるのかもしれないが、実際現場に出れば授業以外の業務が山のようにあるし、どうしていいかわからないことも多いと思う。教員志望の学生には、「同僚のパワハラで鬱になったらどうするか」とか、「管理職から監査の前に〇〇を強制されたときにどう対応するか」「生徒から先輩教師の不適切な言動の訴えがあったらどう対応するか」といった自分の身を護るすべも教えた方が、役に立つのではないか。
教育実習に来る大学生を見ていると、「教師は勤務時間とか無視して当たり前」と思っている節がある。遅くまで残ってるし、教員の勤務時間を過ぎても当然のように訪ねてくる。これは大学側の教育不足とともに、われわれも彼らが高校生の頃に「教師は勤務時間とか無視して当たり前」という誤ったイメージを与えていたと反省している。昨年度末の職員会議でも述べたことだが、私の学年から夕方の課外授業後の自習と土日休日の自習をすべて取りやめたのは、教員の負担軽減ということだけではなく、高校生に対してのメッセージ発信という意味もあった。
今日2月6日は熊本大学の学校推薦型選抜Ⅱ(共通テスト利用型推薦)なので、面接の練習に来た生徒に岡崎先生の「コロナ禍 増える不登校 教師の疲弊が引き金にも」を読ませて、養護教諭志望の生徒には「児童生徒のみならず、教師の心のケアにも心を配りたいこと」、小学校教員強制課程志望の生徒には「児童生徒だけではなく教師も含めて、学校全体が自己肯定感を持てる雰囲気を作るにはどうすればよいかを大学で研究したいこと」を述べてはどうかというアドバイスをしておいた。果たして大学の先生方に伝わるか?
熊本大学教育学部の面接試験の内容を見てみると、児童生徒が抱える問題にあなたはどう対応するかといった質問がほとんどだ。大学に入ってから、「面接で尋ねられた問題には、教師としてどう対応するのが正解なのか」は示されているのか気になる。
ブレグジットから一カ月 [授業ネタ]
本日(1月31日)の新聞(共同記事)では、「英、EU離脱から1カ月」という見出しで、コロナとの二重苦で経済が混乱するイギリスの現状が報告されている。記事では現状のトピックとして、以下の点があげられていた。
【イギリス】
・貿易やビジネスに障壁、不満高まる
・スコットランドなどで独立機運
・「グローバルブリテン」戦略はコロナ禍が足かせに
【EU】
・「離脱の悪影響は当然」と英に冷淡
・在英代表部(大使館)の格下扱いに激怒
・外交・安保協力交渉、英に拒否される
記事は「欧州の亀裂は広がりつつある」と結ばれているが、スコットランドの独立など英国内でも亀裂は進みつつある。イギリス国内は『歴史地理教育』2018年9月号でディヴィッド・ジョン・コックス氏が「悪循環が続きそうなイギリス」で予想したとおりになっているような気がするが、もう一点、共通テストでカレルギーを取り上げた第1問Bでヨーロッパだけでなくアジアの地図も示されているのを見て思い出したのが、コックス氏の「(イギリスの)ナショナリストたちは都合のよいところしか覚えていない」という批判。戦後イギリスの復興には、植民地出身の人々も貢献してきたという指摘である。
本日(2021年1月31日)のNHK「これでわかった!世界のいま」でもブレグジット後のイギリスの状況として、物流の混乱などの現状がレポートされていた。番組ではイギリス国内の企業、EUの企業、日本の企業の対応が紹介されていたが、経済面が中心であり人々の生活がどうなっているのかがあまり見えてこなかったのは残念であった。イギリスはTPPへの正式参加を表明するそうだが、イギリスがEU脱退を決めた本来の理由を思うと、2018年の上智大学TEAP入試の世界史で指摘されていた、イギリスの対ヨーロッパ政策のゆらぎはなるほどと思わせる。そしてさらに、今回の共通テストで示されたイギリスと西ヨーロッパが別ブロックになっている一方で、ドイツとフランスは同じブロックになっている地図を見ると、カレルギーの慧眼に驚く。
齋藤幸平『100分de名著 カール・マルクス 資本論』(NHK出版) [歴史関係の本(小説以外)]
私の中学生~高校生のころには『ゴルゴ13』などの影響で「ソ連や中国など社会主義国家には自由がない」というイメージがあって、私も「私有財産と経済活動に一定の制限を加える社会主義」と「国家による経済への介入を出来る限り排除し、私有財産と自由な経済活動を認める資本主義」という二項対立で説明してきた。また、ソ連による大韓航空機撃墜や日本漁船の拿捕、アフガニスタン侵攻とロサンゼルスオリンピックのボイコット、中国の天安門事件など社会主義を標榜する国にあまりよいイメージがなかったことから、基本的に社会主義国悪玉論の立場であったことも否めない。しかし、もともと社会主義は資本主義へのアンチテーゼとして登場してきたのだから、資本主義の問題点としてどういった点があげられているのかを確認することは必要である。
全4回のうち最も面白かったのは、第2回「なぜ過労死はなくならないのか」。資本主義とは何かを考えるうえで、「資本とは運動であり、絶えず価値を増やしながら自己増殖していく」という説明は重要だと思われる。ウォーラーステインが『史的システムとしての資本主義』(岩波書店)の中で、「資本主義という史的システムにおいて、資本は自己増殖を第一の目的ないし意図として使用される」(6㌻)と述べているのは、このことだろう。さすれば資本主義とは、無限の資本蓄積を目的として発展するシステムとも定義できそうだ。第一回で示されている様々な問題は、ここから生まれている。
先日行われた米大統領就任演説で、バイデン大統領が「団結(Unity)」という言葉を何度も使用したことは、トランプ時代のアメリカでは社会の分断が進んだことを示している。古矢旬先生(岩波新書『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』は名著)は、トランプ大統領が当選した背景として、アメリカの社会や経済を動かしてきた長期的トレンドが行き詰まったことをあげている(『歴史地理教育』2018年9月号:No.884)。行き詰まった長期的トレンドとは、①グローバル化(によるアメリカの地位の相対的低下)、②新自由主義(の失敗)、③多文化主義(への反発)だが、反多文化主義がラストベルトで強いことを思うと、①②のみならず③もまた行きすぎた資本主義がトランプ大統領の登場を準備し、そしてアメリカ社会における分断をさらに進めたという気がしてくる。古矢先生の「トランプ時代のアメリカ民主主義」は、「なぜ?ポピュリズム、ナショナリズム」という特集の一環として掲載されたものであるが、他には「ブレグジット・ナショナリズムが社会を壊す」「ドイツにおけるポピュリズムと移民問題」という文が掲載されている。2018年の上智大学TEAP入試の世界史で出題された(設問3)、イギリスがEU脱退を決定した理由を問う問題でも、「移民」「自由市場経済」「共通通貨」など資本主義に関わる用語が指定語句となっており、また「パンデミックがもたらす新たな分断」(『プロパガンダ戦争』第7章)ですら、罹患・死亡率やワクチン供給など資本主義の負の側面によって一層深まり深刻化していることが読み取れる。
アメリカにおける資本主義という文脈で思い出したのが、次の問題。
次の一コマ風刺マンガは、1989年12月12日にアメリカ合衆国の『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載されたもので、当時の東ヨーロッパ情勢を踏まえながら、アメリカ合衆国の社会状況が批判されている。踏まえられている東ヨーロッパ情勢を説明し、さらに、批判されている社会状況についても説明しなさい(200字程度)。

「なあ君、気持ちいい季節になったものだよな。われわれが勝ったのさ。知ってたか?資本主義が勝利をおさめたんだ。共産主義はこっぱみじんさ。われわれのシステムが支配するんだ。われわれが勝ったのさ。ほら笑えよ!」
これは2001年に大阪大学の個別試験(世界史)で出題された問題である。今から20年前の入試問題だが、「批判されている(アメリカ)の社会状況」はマンガが描かれた1989年・阪大の入試に使われた2001年当時と変わっていない。
問題に使われている絵の作者はパット・オリファント(Pat Oliphant)という風刺画家で、アメリカ議会図書館のウェブサイト[https://www.loc.gov/exhibits/oliphant/]によれば1966年にピューリッツァー賞を受賞し、ジョンソンからクリントンまで7人の米国大統領を似顔絵にし、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争、湾岸戦争など過去30年間の社会的政治的問題について挑発的な風刺マンガを発表してきた。
彼がピューリッツァー賞を受賞したのは、下の作品。

"They won't get us to the conference table...will they?"
ピエタ像のように死者を抱くホー・チ・ミン。私が生まれる4カ月前に発表された作品である。2枚の風刺画は、冷戦→行きすぎた資本主義という分断の原因の変化を示しているように私には感じられる。
![NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 2021年 1月 [雑誌] (NHKテキスト) NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 2021年 1月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51+xHzeFRqL._SL160_.jpg)
NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 2021年 1月 [雑誌] (NHKテキスト)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2020/12/25
- メディア: Kindle版
初めての共通テスト [大学受験]
受験した生徒にマルク=ブロックを使った問題の感想を尋ねてみたが、もっと長い文章は他教科のテストでも読んでいるので、別に驚かなかったと言っていた。高得点者は、先に選択肢から見て、まず「い」は事実として違うから正解は①か②か③、キーワードは「資料」で、X:領主○で農村×、Y:領主×で俗人○、Z:亡命○と整理してから文章を読んだという。また問題番号6は、単に「一番古いのはどれか」だから年代知らなくても当然②、7では日本史で出てきた松方財政と日銀設立のことを思い出して、「戦争では(不換)紙幣を発行する」と予想してグラフをみたらやはり紙幣発行は増えていたということだった。「地頭の良さ」が点数に反映されたという印象である。
「下線部がない問題文」で思いだしたのが、次の問題。
次の史料は、許子(許行)という思想家の教えに心酔する陳相という人物と、 ① との論争である。これを読んで、下の問いに答えよ。
陳相は ① に会い、許行の言葉を受け売りして、言った。「(あなたが今仕えておられる)藤(とう)※の君は、まことに賢君です。しかし、まだ正しい道をご存じない。賢者は、民とともに耕して生計をたて、朝夕自炊しながら、政治をとるもの。今、藤の国には倉廩(こめぐら)も府庫(かねぐら)もありますが、これは、民に頼って暮らしているもの。どうして賢君といえましょう。」
陳 相 「かぶります。」
① 「何の冠をかぶるのか?」
陳 相 「素(しろぎぬ)の冠をかぶります。」
① 「自分でこれを織るのか?」
陳 相 「いえ、粟(こくもつ)ととりかえます。」
① 「許子はどうして自分で織らないのか?」
陳 相 「耕す妨げになります。」
① 「許子は釜甑(なべかま)で煮炊きし、鉄で耕すのか?」
陳 相 「そうです。」
① 「自分でこれを作るのか?」
陳 相 「いや、粟(こくもつ)ととりかえます。」
① 「(中略)許子はどうして陶工や鍛冶屋の仕事をしないのか?みな自分のいえで作ったものを用いずに、どうして面倒にもいろいろな職人ととりかえるのか?何とわずらわしいことよ。」
陳 相 「職人の仕事は、農業をやりながらでは、とてもできないからです。」
① 「それなら、天下を治めることだけが、どうして農業をやりながらできるというのか。」
問1 上の史料から読み取ることができない事実を、次の文①~⑤のうちから一つ選べ。
① この時代には、交易を媒介に農民と手工業者の間の分業関係が成立していた。
② この時代の農業では鉄器の使用が普及していた。
③ この時代には、人民の統治をもっぱら仕事とする人々が生まれていた。
④ この時代には、王による一族の分封が行われていた。
⑤ この時代には、人民から徴収したものを収める倉庫が作られていた。
問2 上の史料は、王道政治を唱えて諸国を遊説した儒家 ① の言行を記した書物の一節である。この人物の名を、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 董仲舒 ② 孟子 ③ 荘子 ④孫子
問3 上の史料の論争が行われたのは、いつの時代か。問1と問2をふまえ、次の①~④の中から正しいものを一つ選べ。
① 周 ② 春秋 ③ 戦国 ④ 前漢
これは1988年12月に実施された、センター試験の試行テストの問題(世界史)である。共通テストの試行調査と異なるのは、センター試験の試行テストを受けたのは翌1989年1月に(最後の)共通一次試験を受ける予定だった人たちという点である。共通テストでも、初めての受験生には試行テストを実施するくらいの配慮が欲しかった。テスト問題の内容面ばかり気にして、受験生のことを後回しにしてしまった自分を恥じ入るばかりである。
内藤正典『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』(集英社新書) [歴史関係の本(小説以外)]
以上のことを踏まえ、18世紀半ばから1920年代までのオスマン帝国の解体過程について、帝国内の民族運動や帝国の維持を目指す動きに注目しつつ、記述しなさい。解答は、解答欄(イ)に 22行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
アフガーニー ギュルハネ勅令 サウード家 セーヴル条約 日露戦争
フサイン=マクマホン協定 ミドハト憲法 ロンドン会議(1830)
これは2019年の東京大学の世界史で出題された問題だが、昨年、一昨年と授業で「オスマン帝国の衰退」の話をするときには紹介してきた。それにしても、一般論として「冷戦の終結は、それまでの東西対立による政治的・軍事的緊張の緩和をもたらし、世界はより平和で安全になるかに思われたが、実際にはこの間、地球上の各地で様々な政治的混乱や対立、紛争、内戦が生じた」理由は何なのだろう。
本書の第一章の書き出しを読んだとき、真っ先に思い出したのは先に示した東大の問題だった。オスマン帝国の解体過程がなぜ現代社会の政治的混乱や対立、紛争、内戦(これらを本書ではまとめて「分断」と表現している)につながるのか。この点を考察するうえで本書は様々なヒントを与えてくれる。考察の対象としている地域もイスラーム圏そしてヨーロッパとの関係であり、私がこれまで持っていた「自分は高校で世界史を教えてるんだから、当然理解してるよ」的な自惚れを正してくれた。私には知らないことが多すぎる。
この本を手に取ったきかっけは、タイトルにひかれたからである。佐藤卓己先生の『ファシスト的公共性』(岩波書店)のあとがきに出てきたエピソード(「プロパガンダ」という言葉をめぐるドイツ人学生との会話)が印象に残っていた。実際には私が求めていた内容とは異なりメディアリテラシーの重要性を説くものであったが、インターネット(とりわけSNS)について書かれた第6章、パンデミックによってもたらされる新たな分断というわれわれが現在直面している問題について書かれた第7章は、これからの高校世界史の授業でも取りあげていくべき問題のように思われる。個人的にはこれまであまり関係性が見えていなかった、『歴史地理教育』の特集を相互につなげる視点を得たことが最大の収穫であった。現代社会の的確な分析とわかりやすい語り口ゆえ、高校生にこそ読んでほしい一冊。
【『プロパガンダ戦争』と関係があると思われる『歴史地理教育』の特集】
・特集「なぜ?ポピュリズム、ナショナリズム」(2018年9月号、No.884)
・「平成」の30年・ポスト冷戦を問う(2020年3月増刊号、No.907)
・学び合う「歴史総合」の授業づくり(2020年7月増刊号、No.912)
・特集「いま、感染症の歴史と向きあう」(2021年1月号、No.919)
佐藤卓己『ファシスト的公共性~総力戦体制のメディア学』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]
さて、「大衆化は何をもたらしたのか」という問いに対する答えを考えるヒントを探していて、たどりついた一冊が本書である。本書は著者が1993年から2015年にかけて発表してきた論考を集めた論文集で、第Ⅰ部「ナチ宣伝からナチ広報へ」(第一~三章)と第Ⅱ部「日本の総力戦体制」(第四~七章)から成るが、考えてみればタイトルの「ファシスト的公共性」とは奇妙な言い回しである。「あいつはファシストだ」というのは誉め言葉にならないし、「この施設は公共性が高い」という表現は対象を評価する言葉になる(「正直な「公共性」研究者の回顧」という副題のついたあとがきも、著者のドイツ留学時にドイツ人学生と交わした会話はなどたいへん面白い。)。「ファシスト的公共性」とはいったいどのような状態・モノを指すのだろうか。序章にある次の一文を読んで、久しぶりに「本に引き込まれる」感じがした。
「19世紀の民主主義は、「財産と教養」を入場条件とした市民的公共圏の中で営まれると考えられていた。一方、20世紀は普通選挙権の平等に基礎を置く大衆民主主義の時代である。そこからファシズムが生まれた事実は強調されねばならない。理性的対話による合意という市民的公共性を建て前とする議会制民主主義のみが民主主義ではない。ヒトラー支持者には彼らなりの民主主義があったのである。ナチ党の街頭行進や集会、ラジオや国民投票は大衆に政治的公共圏への参加の感覚を与えた。この感覚こそがそのときどきの民主主義理解であった。何を決めたかよりも決定プロセスに参加したと感じる度合いがこの民主主義にとっては決定的に重要であった。ワイマール体制(利益集団型民主主義)に対して国民革命(参加型民主主義)が提示されたのである。ヒトラーは大衆に「黙れ」といったのではなく「叫べ」といったのである。民主的参加の活性化は集団アイデンティティに依拠しており、「民族共同体」とも親和的である。つまり民主主義は強制的同質化(Gleichschaltung)とも結託できたし、その結果として大衆社会の平準化が達成された。こうした政治参加の儀礼と空間を「ファシスト的公共性」と呼ぶことにしよう。民主主義の題目はファシズムの歯止めとならないばかりか非国民(外国人)に不寛容なファシスト的公共性にも適合する。」
こうした話を高校の世界史の授業で取り上げることは稀なことであると思う。しかしヒトラー政権は合法的な手続きを経て成立したのであり、上記のような指摘を念頭において初めて「ナチズムはなぜ受け入れられたのか」という問いが立てられるようにも思われる。それにしても、この文章は著者が1997年に雑誌に発表したということだが、本書における引用箇所の前後を読むと著者も述べているように、現在との類似性を感じてしまう。
普通選挙を前提とする20世紀の大衆社会からファシズムは生まれたのであり、本書を読んでいるとファシスト的公共性とは大衆社会そのものであると言い切ってもいいような気がしてきた。ナチスは集会やデモ、ラジオ放送や国民投票を通じて世論形成への参加感覚を与えていたが、映画やラジオ放送というメディアの重要性も授業で取り上げてみたいものである。
ツイッターで政治に関する話題が多いのは、政治参加の感覚が手軽に得られるということがあるのかもしれない。帯にある「参加と共感に翻弄される民主主義」というタタキ文句を見て真っ先に思い出したのは、ツイッターの世界だ。序章の最後、「(現代社会の基軸メディアは最強の即時報酬メディアであるインターネットだが)遅延報酬的な営み、つまり教育が期待できない場所には未来もない」という言葉を肝に銘じておきたい。「学校で学んだこと、テストで測定されるような知識や技能、それらを全部忘れ去ったときに何か残るもの、それが教育の効果である」というマーガレット・サッチャー英元首相が来日時に語ったという言葉を思い出す。

増補 大衆宣伝の神話: マルクスからヒトラーへのメディア史 (ちくま学芸文庫)
- 作者: 佐藤 卓己
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/05/08
- メディア: 文庫
エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』(ちくま文庫) [歴史関係の本(小説以外)]
山川出版社の教科書『詳説世界史』を見ると、今でこそ「(奴隷貿易によって)ヨーロッパでは産業革命の前提条件である資本蓄積がうながされた」という記述があるが、1985年版や91年版には奴隷貿易の記述はあっても産業革命との関連を示す記述は見当たらない。『資本主義と奴隷制』の初版が出版されたのが1944年だが、今回再刊された中山毅先生による日本語訳が初めて出版されたのは、1987年のことだった。ウィリアムズ・テーゼが高校世界史の教科書に反映されるまでは、相当な時間がかかっている。ただ角山栄先生の名著『茶の世界史』(中公新書)の初版発行は1980年で邦訳が出版される前だが、同書ではすでに「興味のある読者には『資本主義と奴隷制』(1944年)を一読することを勧めたい。」(100㌻)と紹介されている。
第4章(149㌻)に登場するベックフォード2世(ウィリアム・トマス・ベックフォード)は、ゴシック小説『ヴァセック』の作者としてよく知られており、増田義郎先生によれば、『オトラントの城』のホレス・ウォルポール、『マンク(修道士)』(1796)のマシュー・グレゴリー・ルイスなども砂糖プランターだったそうで、増田先生は「おもしろいことに、ゴシック派文人には西インドの不在地主が多い」と述べている(『略奪の海カリブ』岩波新書145~146ページ)。このうちルイスは2回ほど西インドに行って、彼の所有する奴隷達の悲惨な状況にショックを受けて、生活の改善を行おうとしたらしい。『ヴァセック』からは『アラビアン・ナイト』からの影響が色濃く感じられるが、彼の生きた時代(1760年~1844年)はレイン版が出版された時期でもある。ベックフォードは下院議員で、スエズ運河の株式買収で有名なディズレーリのパトロンだった(作家出身同士で馬が合ったのかも)そうだ。川北稔先生は北米植民地の「代表なくして課税なし」との対比で、西インド諸島の砂糖プランターを「代表されすぎていた」とも評しているが(『砂糖の世界史』182㌻)、産業革命期に投資その他で寄与した人々の多くは、もとから富裕な不在地主の砂糖プランターではなく奴隷貿易に従事した人々であった(第五章)。
ヨアン・グリフィズの主演で映画にもなった「アメイジング・グレイス」の歌とウィルバーフォースの活躍のように、イギリスにおける奴隷制度の廃止はその非人道的な実態に反省した結果だというイメージがあるが、ウィリアムズによればそれは一面に過ぎない(第十一章)。イギリスにおける奴隷貿易の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利であり、それはアメリカの独立で決定的となった(第六章)。というのも「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」(203㌻)ため、アメリカから食料その他を輸入することは難しくなり収益は大きく低下したからである。また1783年のパリ条約前後から、イギリスは植民地経営の重心をアジアへ移すようになるが、それにともなって西インド砂糖プランテーションの地位の低下とともに奴隷貿易も衰退していく。
イギリスの植民地経営がアジア、そしてアフリカへ軸足を移すようになった背景として、アメリカの独立の影響は注目してよいと思う。山川出版社の『世界史用語集』では「奴隷貿易の廃止(イギリス)」と「奴隷制の廃止(イギリス)」は別個に記されているが、そのことは「奴隷制の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利によってもたらされた」とするウィリアムズの主張(第9章)を考えると、重要なことのように思われる。19世紀前半のイギリスにおける自由主義改革とアジアへの進出を取り上げるとき、このような点にも注意していきたいものである。イギリスが自由貿易に舵を切るのは1820年代以降で、アメリカ独立から奴隷貿易が廃止される1807年まで依然として保護貿易主義だったという指摘もあるが[https://core.ac.uk/download/pdf/235429027.pdf]、「奴隷貿易の利潤は工業化に投資されてイギリス産業革命の資本を提供し、アメリカ独立によってアジア進出を強化したイギリスは、産業革命の進展とともに自由貿易帝国主義を進める」という説明は、授業で取り上げることはないかもしれないが、頭に置いておくと深みが増すような気がする。
教員になって4年目、『茶の世界史』の紅茶帝国主義の話(94~95㌻)をもとに授業をつくったが、18世紀の大西洋三角貿易と19世紀のアジア三角貿易を同時期のこととして話をしてしまった。このミスの原因は、同書94㌻のグラフで、1850年以降茶と砂糖の輸入が急増した理由を深く考えなかったことである。『砂糖と世界史』の第8章「奴隷と砂糖をめぐる政治」を読んで、その間違いに気づきとても恥ずかしい思いをした。苦い失敗である。
2020年に出版されたちくま文庫版は1987年に理論社から発行された邦訳の再発である。この間2004年に明石書店から新訳が出ているが、巷間旧訳の方が評価が高いようだ。明石書店版を最初に読んだときはさほど気にならなかったが、ちくま版を読んで気になったところを新訳と比較してみると、確かに旧訳の方が意味が通りやすい。たとえば前述の「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」が新訳では「アメリカ人は外国人となり....」となっており意味は分かるがスムーズに入ってこない。新訳は複数で翻訳にあたったということもあるかもしれない。明石書店版巻頭の解説もよいが、ちくま文庫版巻末の川北稔先生の解説がとても良いと思う。ウィリアムズがセンター試験のリード文に取り上げられた理由がよくわかる。[http://www.webchikuma.jp/articles/-/2089]
最後の第十三章(結論)の5は、BLM運動の高まりを見ると、本書が今なお名著とされる所以を示していると思われる。
北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房) [歴史関係の本(小説以外)]
とまぁ50歳をすぎて主任になるといろいろと傍からは見えない仕事(これからの時期だと総合型選抜の指導や学校推薦型選抜の推薦書のチェック、学年生徒全員分の調査書チェックとか、挨拶に来る上級学校の対応とか、来週は「共通テスト出願説明会」の計画とか)も色々とあって空き時間もつぶれてしまう。結果として、授業も例年通りに「こなしていく」感じになっていくわけである。
そういった中でも、「いい授業をしたい」という思いは人並みにある。今年は3年普通科文系3クラスのうち2クラスが全員世界史を選択してくれたので、しっかり授業をしないといけないと思うが、なかなかその余裕がない(ちなみに今の私の学年は、普通科理系・文系それぞれ3クラス、SSHクラス・専門課程英語科・専門課程理数科それぞれ1クラスの計9クラスである)。
そういうときにどうするかというと、手っ取り早く「専門書ではなく、教科書よりもちょっと詳しい本」を読んで、授業で話すネタを探す。具体的に言うと、新書や山川の世界史リブレットのシリーズ。使えそうな話が全然ないこともあるが、それはそれで内容的には面白いことが多い。特にツイッター上で大学の先生のアカウントが薦めている本は基本「当たり」と思っていい。それをアマゾンで検索すると似たテーマの本が出てくるので、レビューを見ながらまとめて購入してみることもある。
しかし困ったことに、時期によっては新書すら読む時間がないこともある。むしろそちらの方が日常かもしれない。そういった場合、授業準備としてやることは2つ。まず一つは、採用している教科書とは異なる教科書を読むこと。ウチは山川の『詳説世界史』を使っているが、東書と帝国の教科書には目を通すようにしている。本文はもちろん、コラムや註にも様々な発見がある。各社とも教科書の記述はかなり難しいので、読み込むと様々な疑問がでてくる。それを調べるのも面白い。

もう一つは、北村厚先生の『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)を読むこと。この本の記述内容は基本教科書レベル(項目によってはプラスアルファ)であり、教科書の範囲を越える用語も少ない。乱暴な言い方をすれば、世界史の教科書から政治史を極力排除して、経済面での諸地域どうしのつながり(ネットワーク)という視点で再構成した本である。章立てを見ると、第1~4章で12世紀まで、以後13世紀以降は1世紀にそれぞれ1章、19世紀は前半と後半でそれぞれ1章に充てられている。目次では各章の小項目の内容が細かく示されているので、まずは目次でおおまかな内容を把握して、章単位に読むのが理解しやすいと思う。章単位で読んでもあまり時間はかからないが、どうしても時間が無いときは小項目単位でもよい。最近授業で使った話は、「第3章 東西の大帝国」中の小項目「1.唐帝国と東アジア秩序の構築」。なんとなく「中国の"周辺"諸国だし、"付け足し"でいいか」とごまかしてきた部分だが、吐蕃が果たした役割やこの時期の日本の立ち位置、羈縻政策の破綻と冊封体制による秩序の再建など、帝国書院の教科書に出ている阿倍仲麻呂の話(唐代の中国でを扱うより前に、「東南アジア」の項目で阿倍仲麻呂には触れておいた)と組み合わせて、結構よい話ができたと思う。
『教養のグローバル・ヒストリー』を読むと、故宮崎市定先生の「歴史学とは要約する学問である」(「しごとの周辺」朝日新聞1988年1月12日掲載)という言葉を思い出す。宮崎先生は、要約すれば共通性や特徴が見えてくるという意味で「要約」の大切さを述べておられたと思うが、コンパクトにまとまった本書の内容は、「世界史探求」で示されている「諸地域の交流・再編」「諸地域の結合・変容」といった項目における比較や関連付けのヒントになるだろう。自分が持っている世界史の教科書を、異なる視点から読んでみたいという高校生でも十分ついていける内容だと思う。
『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』 [幻想文学]
『アラビアンナイト』を高校世界史の授業で扱うときには、そのルーツが多様でありイスラーム文化の普遍性を示す事例として紹介することが多い。1991年のセンター試験世界史本試験(第3問)の問題は、そのことをよく示していると思う。
問7 下線部⑦について述べた次の文①~④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
① イスラム文化は,イラン・インド・ギリシアなどの文化遺産を融合し発展させた独自の文化である。
② イスラム文化は,多様な民族を担い手とする国際的文化である。
③ イスラム文化では,神像や礼拝像が盛んに制作された。
④ イスラム文化の影響は,ルネサンスにも及んでいる。
問8 下線部⑧について述べた次の文①~④のうちから,波線部の正しいものを一つ選べ。
① この物語の原形がイランに伝えられたとされる6世紀ころ,イランを支配していたのはササン朝である。
② この物語は,8世紀後半に最初にアラビア語に翻訳されたといわれているが,当時はウマイヤ朝の全盛時代である。
③ この物語が『千夜一夜物語』と呼ばれるようになったのは,12世紀とされるが,このころイランにはサファヴィー朝が成立していた。
④ この物語がほぼ現在の形をととのえるのは,16世紀初めころのカイロにおいてであるとされるが,これはマムルーク朝成立期に当たっている
前嶋信次先生の『アラビアンナイトの世界』(講談社現代新書)によれば、『アラビアンナイト』にはペルシアはもちろんのことユダヤ、ギリシア、インド文明の影響も見て取れるという。そうした様々な文明からの影響という視点以外では、2006年度のセンター試験世界史B(本試験・第1問C:世界史Aとの共通問題)の問題は印象深いものだった。
問7 『千夜一夜物語』の翻訳事業には,ヨーロッパの中東進出という時代状況を反映する一面がある。下線部(7)に関連して,次の年表に示したa~cの時期と,以下のア~ウの出来事との組合せとして正しいものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。
a
1838年 レインによる英語版翻訳の刊行開始
b
1885年 バートンによる英語版翻訳の刊行開始
1899年 マルドリュスによる仏語版翻訳の刊行開始
c
1966年 前嶋信次による日本語版翻訳の刊行開始
ア スエズ運河の開通
イ ワフド党によるエジプト独立運動の開始
ウ ナポレオン=ボナパルト(後のナポレオン1世)によるエジプト遠征の開始
① a―ア b―イ c―ウ
② a―ア b―ウ c―イ
③ a―イ b―ア c―ウ
④ a―イ b―ウ c―ア
⑤ a―ウ b―イ c―ア
⑥ a―ウ b―ア c―イ
『アラビアンナイト』翻訳の進展はヨーロッパの中東進出という時代状況を反映しているとする視点は、「翻訳」の意味を考えていくうえでも興味深い(先日ツイッター上で、「世界中の様々な分野の先端研究が、日本語の翻訳で読めることは大切だ」という指摘が出ていた)。この点で面白かったのが、西尾哲夫先生の『世界史の中のアラビアンナイト』(NHKブックス)である。
2006年のセンター試験で使われた年表の中に最初に登場するのは「1704年 ガランによる仏語版翻訳の刊行開始」。『世界史の中のアラビアンナイト』によれば、アントワーヌ=ガランはルイ14世時代のフランスで活躍した東洋学者で、17世紀後半に三度にわたってイスタンブルに滞在した。このころはすでにオスマン帝国の脅威は過去のものとなっている。ガランの訳は必ずしも忠実な訳ではなく、リード文中で「ヨーロッパの東方趣味を強く反映した」と触れられているバートン版やマルドリュス版と同様に、ガラン版も(バートン版やマルドリュス版とは異なる点で)ヨーロッパ化されていた(108㌻以下)。同じ18世紀には、東インド会社職員のアラビア語用テキストとして『千夜一夜物語』がカルカッタで印刷出版されていた(カルカッタ第一版)というのも面白い(156㌻~)。
年表中の( a )には「ナポレオン=ボナパルト(後のナポレオン1世)によるエジプト遠征の開始」がはいる。これも『アラビアンナイト』と関係がある。同書68㌻に「レインより少し前、ナポレオンのエジプト遠征に同行して『千夜一夜物語』に触れたヴィヴィアン・ドゥノン(ルーブル美術館の初代館長)」のことが、長谷川哲也のマンガ『ナポレオン-獅子の時代』(少年画報社)のドゥノンの登場シーン(舞台はナポレオン遠征中のエジプト)とともに紹介されている。エドワード=サイードが指摘するように「オリエンタリズム」は西洋と区別された東洋を下に見ているが、そうした差別的な要素が明確となるのがナポレオンのエジプト遠征だろう。ナポレオンが発見したロゼッタ=ストーンが現在フランスではなく大英博物館に収蔵されているのに、ロゼッタ=ストーンをもとにヒエログリフを解読したシャンポリオンがイギリス人ではなくフランス人だというのも、当時の英仏関係を象徴してるようで面白い(竹内均監修『世界の科学者100人』教育社)。
次に年表に登場するのは、イギリスの東洋学者エドワード=ウィリアム=レイン(1801~1876)である。彼が1840年に結婚したナフィーサという女性は、もともとギリシア人でギリシア独立戦争の際に捕虜となり奴隷となった女性らしい。ギリシアの独立が国際的に認められるのは1830年、この年フランスではシャルル10世がアルジェリア出兵を行い、七月革命が起きる。ロマン主義の時代だが、ドラクロワやユゴーは東方趣味を示していた(235㌻~)。以後、帝国主義とアジア・アフリカの植民地化が進むにつれて『千夜一夜物語』の翻訳も進んでいったことを年表は示している。( b )の「スエズ運河が開通」は1869年。19世紀後半にイギリスの軍人ローリンソンが楔形文字を解読し、オランダの医師デュボワがジャワ島でピテカントロプス=エレクトゥスの化石を発見するのは、こうした業績が植民地の拡大と無関係ではなったことを示している。
リチャード=バートンについて、Wikipediaには次のような記述がある。
1857年、東アフリカのナイル川の源流を探す旅を友人の探検家ジョン・ハニング・スピークとともに行い、1858年にタンガニーカ湖を「発見」した。これこそが源流だとバートンは主張したが、スピークは納得せずにさらに探検してヴィクトリア湖を発見。これこそ本物だと考えるようになる。二人で帰国しようとするが、途中のアデンでバートンは熱病で伏してしまった。一足先に帰国したスピークは、約束に反して単独で成果を公表したために両者の関係が悪化する。
上記の文章から分かるようにバートンはヴィクトリア時代の探検家だが、「やや狼に似た長く鋭い犬歯をもつ人物であったらしく、1870年代に面識を得たブラム・ストーカーは、このバートンの容貌から『ドラキュラ』の主人公を創り出した」(荒又宏『世界幻想作家事典』国書刊行会・72㌻)。『ドラキュラ』の出版は1897年。
学術的資料的な要素が強いレイン版に対し、マルドリュス版はバートン版と同様に官能性を強調する傾向が強い。2006年センター試験リード文の「バートン訳やマルドリュス訳のように,ヨーロッパの東方趣味を強く反映した翻訳も現れた」という一文は、もしかするとこのことを示しているのだろうか。日本でもマルドリュス版は1920年代から邦訳されていたが、戦前は発禁処分とされたこともあったらしい。
私が生まれた年に刊行が始まった前嶋信次訳(東洋文庫版)は、19世紀前半にイギリスによってインドで編集されたカルカッタ第二版を底本としている。カルカッタ第二版は、バートン版の底本でもある。
18世紀ころのイギリスではチャップブック(民衆本)として『アラビアンンナイト』の説話が流布していた(『世界史の中のアラビアンナイト』146㌻)。チャップブックは子供向けの小型で簡素な本である。手元にある「オズボーン・コレクション」(ほるぷ出版による復刻版)を見てみたが、残念ながら『アラビアンナイト』は含まれていなかった。『アラビアンナイト』は、ファンタジーでミステリーでSFの要素を持った児童文学として受け入れられることで世界文学としての地位を確立した。
現在でも様々なゲームや映画、マンガなど様々なメディア芸術にネタを提供しているのは、ストーリーが教訓的でないうえ、登場人物の属性が厳密でなく、キャラクター設定の自由度が高いからだろう。『アラビアンナイト』はヨーロッパと出会ったことで、文化や言語の壁を越えて愛される普遍性を帯びるようことになったといえる。
絵画資料と世界史の授業 [授業ネタ]
私が絵に関心を持つようになったきっかけは、大学生のころ朝日新聞日曜版に連載されていた「世界名画の旅」だった。この連載はのちに5分冊の書籍として発売され、世界史の授業でかなり役立ったものである。数年前にイギリスBBC制作のテレビドラマ『ダ・ヴィンチ・デーモン』を視ていてウルビーノ公がでてきたときには、鼻の形で「世界名画の旅」で取り上げられたピエロ・デルラ・フランチェスカの作品解説を思い出し、ずいぶんと楽しませてもらった。
とは言うものの最初の頃は掲載されているエピソードを紹介することがほとんどで、単元や一時間の授業に組み込むことはほとんどできなかった。もっと深く授業で絵画資料を使ってみようと思い立ったのは、教師になって3年目の1992年、『歴史と地理』No.441に掲載された今林常美先生(かつて帝国書院発行の情報誌に絵画資料の素敵な解説を寄稿しておられた)の「北宋・徽宗皇帝の「桃鳩図」と日本-中世東アジア文化交流のひとこま」を読んだのがきっかけである。「はじまりは松本清張の小説から」というレポートだが、「桃鳩図」の所有者変遷を追うまさに謎解きミステリーのような内容で、最後の「教科書・図説類のちょっとした図版を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている」という一文に「よし、自分も!」と思ったものである。以来30年近く、その思いは変わっていない。その後同じく『歴史と地理』No.513に掲載された「「アルノルフィニ夫妻の肖像」にみる中世末ヨーロッパの諸相」(窪田善男先生)や、千葉県歴史教育者協議会日本史部会編『絵画資料を読む日本史の授業』(国土社:世界史の授業にも使える実践がいくつも掲載されていた)などを使い、教科書や資料集の図版を活用してきた。ランブール兄弟「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を使った大航海時代の導入(「ヨーロッパで香辛料が高価だったのはなぜか?」)や、ベラスケス「女官たち(ラス・メニーナス)」を使ったスペイン継承戦争の授業(「ベラスケスが描いてるのは誰?」)、Eテレの「わくわく授業」で使った蒙古襲来絵詞などの作品は、今でも授業で取り上げている。
しばらく絵画資料からは遠ざかっていたが、同僚の先生(「アクティブラーニング型授業研究会くまもと」の代表)から、「看図アプローチ」の手法を教えてもらって以来、再び絵画資料を用いた授業作りに目が向いている。ベラスケスの「女官たち」は、看図アプローチ向きの絵画資料だと思う。 今ウチの学校で使っている資料集は第一学習社の『グローバルワイド』だが、以前浜島書店の『アカデミア』を使っていた頃は、16世紀フランドルの絵暦の12月(牙がある豚を屠っている図)が掲載されていたので、「ベリー公の時祷書」と組み合わせることができた。これも看図アプローチに適した絵画資料だと思う。取り上げる絵画資料は、教科書または資料集に掲載されているものがよい、というのが私の持論である。生徒一人一人の手もとにあるためわざわざ印刷しなくてすむし、有名な資料ならば解説の入手も容易である。いま一番使ってみたい絵画資料は、「清明上河図」。教科書と資料集では使われている部分が異なるなど、色々と試すことができそうである。
先ほど引用した今林先生の「教科書・図説類のちょっとした図版を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている」という言葉を実感したのは、私が松島商業高校(すでに廃校)で日本史を担当していた頃に故森浩一先生の著書(草思社の『巨大古墳』と中公新書の『古墳の発掘』)を読んだときだった。日本の古墳時代は、中国では南北朝時代(西晋~隋)に該当するが(『巨大古墳』16㌻)、当時の人々は巨大な古墳を造営する際にどのような長さの単位を用いたのだろう。森先生は中国の晋尺を用いたのではないかと推定している(『古墳の発掘』88㌻以下)。晋(西晋)の1尺は24センチで、山川の世界史教科書『詳説世界史』に写真が掲載されている後漢の光武帝が日本に贈ったとされる金印(「漢委奴国王」)の1辺(2.3㎝)の約10倍である。2.3㎝は漢代の1寸に相当し、古代の中国では1寸=2.3~2.4㎝だった。「日本で古墳を作る際、長さはどのように決めていたのだろうか?」という問いから、「中国で使われている長さの単位を使ったと考えられ、その単位は金印の1辺の長さの単位ともほぼ一致する」とつなげ、漢代以降の南北朝時代も倭の五王など中国との文化交流が続いていたことに触れることができる。
ただサイズを話題にするときは、原寸大のレプリカの方がよいのではないだろうか。金印だと1辺2.3㎝という小ささと、大山古墳に代表される巨大古墳との対比は面白い。金印のレプリカは山川出版社から発売されているが、「印綬」の「綬」がついていないので自分で作ってもいい。『詳説世界史』には金印の印影も掲載されているので、日本と逆の陰刻(日本の地方自治体のほとんどは陰刻印章の印鑑登録を認めていない)であることにも気づかせたい。「紙は後漢の蔡倫が改良した」とされるが、同じ後漢でも光武帝の時代にはまだ紙が普及していなかったのである。「金印はなぜ陰刻か」という話を授業でしていて、木簡・竹簡は表面を削ってしまえば簡単に偽造できるので封泥で封緘して、印を押して偽造防止する.....という話をしたがイメージがわかない様子。こういうときこそ実物教材の出番か?木簡の「冊」を自分で作ろうかと思ったが、映画『HERO』でジェット・リーが切ってみせた「巻」は予想外に大きくて、自作は無理かな。
そのほか「偽造説」や「本物が二つある話」(宮崎市定『謎の七支刀』中公新書6㌻)など、話し始めると50分では足りなくなる。宮崎市定先生による「本物が二つある」というのは、「複製を作った際に、実はどちらが本物かわからなくなっているらしい」という噂を耳にした。福岡市博物館にある「本物」は写真撮影OKなのに、一方で九州国立博物館にある「複製」は写真撮影禁止というのは、それが理由なのだろうか?最近ではICT機器も普及しているので、金印のような実物教材も容易に投影できる。タブレットのカメラ機能を使えば複数をまとめて提示することもできるので、ボリビア・コロンビア・ベネズエラの紙幣を同時に見せたいときは便利だ。別人みたいなシモン=ボリバル(本名は覚えきれないほど長い)の肖像や、正式な国名、通貨単位などは3つ同時に示してこそのおもしろさがある。メディア芸術・教材を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている、と思う。

美術手帖10月号増刊 国宝のすべて 日本美術の粋を集めた国宝を堪能する。
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2014/09/29
- メディア: 雑誌
ガリポリの戦いを描いた映画 [歴史映画]
オーストラリアに留学していた教え子によると「Anzac dayはオーストラリアの祝日の中でもかなり規模が大きいもので、肌感覚ですがQueen birth dayよりも市民の意識のウェイトは高いと思います。私がいたパースでは、パース市内を一望できるキングスパークという場所に戦時中亡くなった方の慰霊碑があるのですが、anzac dayにはそこで一日中イベントが開催されるので、多くの人が集まってました。」ということなので、やはりオーストラリアにとって第一次世界大戦は大きな経験だったと思われる。
チャーチルは作戦失敗により更迭され、ジョンソン英首相は著書『チャーチル・ファクター』(邦訳はプレジデント社より)の中で、チャートル最大の失敗という評価をしているとのこと。こうした経緯から、オーストラリアではガリポリの戦いやアンザックを題材とした映画がいくつも作られているので、いま日本国内でもDVD等で観ることができる映画を2本紹介したい。
【誓い(1981年)】
『誓い』はオーストラリア出身のピーター・ウィアー監督の作品で、原題はストレートに『Gallipoli』である。低予算映画ながら予想外の大ヒットをおさめた『マッドマックス』のメル・ギブソンと、オーストラリアの俳優マーク・リーのダブル主演で、ガリポリの戦いに従軍した二人の青年の友情を描いた作品。以下ウィキペディア掲載のストーリー。「1915年、第一次世界大戦下のオーストラリア。 徒競走が得意な二人の青年フランクとアーチーは、志願兵で構成されるイギリスへの援軍アンザック軍団に入隊する。 フランクは歩兵隊、アーチーは騎兵隊に配属されるが、二人はトルコのガリポリで再開し共に塹壕で戦うことになる。 足が速いフランクは伝令係に任命される。 総攻撃が始まる最中、重要な情報の伝令任務を下されたフランクは、味方を救うため激戦地帯を走り抜ける。」日本版DVD裏ジャケットの解説は、第一次世界大戦とクリミア戦争を混同している。
【ディバイナー 戦禍に光を求めて(2014年)】
『ディバイナー』は、ニュージーランド出身のオスカー俳優ラッセル・クロウが主演・監督した作品。原題「The Water Diviner」は、「水を探す人」の意で、映画は主人公がダウジングで井戸を掘る場所を探すシーンから始まり、後半でも重要なモチーフとなっている。ガリポリの戦いから4年後、帰らぬ3人の息子を探しにオーストラリアからトルコまで赴く主人公が、トルコの人々と心を通わせるストーリーだが、現地ではトルコ語がメインで、イスタンブールの街並みやモスクも美しく、トルコと異文化に対して好意的に描かれている点は好感が持てる(「ガリポリに行く」という主人公に、ホテルの女主人は「チャナッカレに行くの?」と返す)。美人すぎるホテルの未亡人(オルガ・キュリレンコ)とのプラトニックなロマンスは見てて恥ずかしくなるが、重要な役回りをメフレヴィー教団のセマーが担っている点や、ギリシア=トルコ戦争とムスタファ・ケマルなど知識があるとさらに楽しめる点も評価ポイント。しかし一方で、ギリシアをまるで悪者のように描いている点は気になる。逆に言えば、ビザンツ帝国の滅亡からギリシア独立、バルカン戦争から第一次世界大戦といった、ギリシア=トルコ関係を考えるには良いかもしれない。授業では、『ディバイナー』と同じく2014年に制作された『消えた声が、その名を呼ぶ』(第一次世界大戦中に起こったトルコによるアルメニア人ジェノサイドをテーマにした映画~ロード・ムービーとしてはこちらの方がよい)とセットで紹介したい。

『誓い』→『ディバイナー』の順で観ると、ガリポリの戦い前後という流れで楽しめると思う。両映画とも、オーストラリアの過酷な自然の中で暮らす農民達の生活と、赴いたトルコにおける沿岸部での激戦の対比、そして異文化に初めて触れてとまどうヨーロッパ文化圏のオーストラリア人(トルコでのラッセル・クロウ、訓練地エジプトでのメル・ギブソン)という点が共通しており、ギザのピラミッドのスフィンクスの下でラグビーに興じるアンザック兵士たちは、自分たちのアイデンティティを確認しているようにも見える。ピラミッドにはナポレオンのサインがあったが、本当に今も残っているのだろうか。(ピーター・ウィアーは、ラッセル・クロウ主演でナポレオン戦争中の英仏海軍の戦いを描いた『マスター・アンド・コマンダー』を監督している)。
『世界史としての第一次世界大戦』(宝島新書) [歴史関係の本(小説以外)]
第一次世界大戦の授業を一本つくりたいとかねがね思っていたが果たせず終いだったので、読書を再開した。最近読んだのが『世界史としての第一次世界大戦』(宝島新書)。「教科書よりもちょっとだけ詳しく第一次世界大戦のことを勉強したい」という私のような人間には最適の本だった。全部で10のトピックから構成されているが、面白かったのは、「第一次世界大戦とは何だったのか?」(中公新書『第一次世界大戦』の飯倉章先生)、「第一次世界大戦の原因を読み解く」(『経済史』の小野塚知二先生)、「日本にとっての第一次世界大戦」(熊本県高等学校地歴公民研究会に講演に来ていただいた日本史の山室信一先生)、「グローバリゼーションの失敗」(柴山桂太先生)の4本。「第一次世界大戦とは何だったのか?」はよくまとまった第一次世界大戦の推移。『歴史と地理』No.704で紹介されている第一次世界大戦の授業で示されている問いに対する答、「ぎりぎり連合国が勝つ」が実感できる。「ケンカを売った側(オーストリア)が売られた側(セルビア)よりも弱い」といった、所々で挿入されるコメントや数値データなども参考になる。
次の第一次世界大戦の原因を読み解く」は、対話形式なのでわかりやすい。小野塚先生が述べられている点については、『歴史地理教育』2014年7月号(No.821:特集「第一次世界大戦100年:この号では山室信一先生も「現代の起点としての第一次世界大戦」という文を寄稿しておられる)における木畑洋一先生の「第一次世界大戦の基礎知識」(この記事にあるQ&Aの中には、授業でそのまま使えそうなものもある)でも「同盟間の対峙がそのまま戦争に結びついたわけではない」「ヨーロッパ各国における愛国主義の醸成」として触れられていたが、小野塚先生の説明でよりよく理解できると思う。この点を見落とすと、「第一次世界大戦は、なぜ、どのようにして発生したのか?」という問いに対して「三国同盟と三国協商の対立」とか「3B政策と3C政策の対立」という答で終わってしまいそうな気がするし、もしかすると「サライェヴォ事件」という答も出てくるかもしれない。三国協商と三国同盟の対立→サライェヴォ事件→オーストリアの対セルビア宣戦まで説明して、その次に「サライェヴォ事件が引き起こしたオーストリアとセルビアの戦争が、なぜ世界大戦に発展したのか」という問いを立てたほうがいいかもしれない。開戦当初は「まだ局地的な戦争であり、二度のバルカン戦争に次ぐ第三次バルカン戦争という程度ですむかもしれないものだった」(木畑洋一先生)のが、なぜ欧州大戦→世界大戦まで発展したのかという点も着目させたい
第一次世界大戦の原因を考えるキーワードとして、小野塚先生は「ナショナリズム」「グローバル化」をあげている。「グローバル化」については柴山桂太先生も、「グローバリゼーションの失敗」を、戦争発生原因の一つとしてあげている。「グローバル化」という点に注目すれば、バルカン半島での局地戦→欧州大戦→世界大戦という拡大していった理由も見えてくるような気がする。またナショナリズムの醸成は大衆化やメディアの発達とも組み合わせられそうだ。第一次世界大戦の扱いも変えていかないといけないな....と思っている。
1900年代の初めにドイツで作られたという義眼が手許にある。『天国でまた会おう』のエドヴァールのように、第一次世界大戦で負傷した人のために作られたものだという。妖しく冷たい美しさを感じるが、どんな人がどんな人のために作ったのだろう。100年前に異国でつくられたガラスの瞳は、戦争を経験した人の思いが残っているのか、なんとなく悲しげだ。

仮説実験授業 [授業研究・分析]
アメリカの禁酒法をテーマにした授業書は『禁酒法と民主主義』(仮説社)として1983年に出版されており、雑誌『たのしい授業』に掲載されている記録は、この授業書に基づいて行われたものである。『禁酒法と民主主義』の「はしがき」には、中学校や高校の社会、道徳、ホームルームなどで使用してほしいとあるが、「酒を飲んだりタバコを吸ったりするのはいいことだと思うか」という質問から始まる授業書を一読してみたものの、高校の世界史の授業ではあまり使えないのではないかと当時は思ったものである(読み物としては面白く感じたが)。
仮説実験授業を知ったのは大学3年で受けた社会科教材研究の授業がきっかけだった。授業担当の河南一先生から、中学社会歴史分野を想定した縄文時代の授業が実際の授業形式で紹介された。「なぜ縄文時代は西日本よりも寒冷な東日本に人が多く住んでいたのか」という問いに基づく探究を通じて、社会的事象の説明ができるようになるという目標は森分先生の理論に基づくが、授業書という形式は仮説実験授業の手法である。この授業内容は、藤岡信勝・石井郁男編『ストップモーション方式による1時間の授業技術・中学社会歴史』(日本書籍)に掲載されているが、実際は大学4年のとき一緒に教育実習に行った河南先生のゼミ生が授業を行っていた。
「問い」と「お話」で構成される仮説実験授業は誘導尋問との批判も受けそうだが、私自身は使える授業理論だと思っている。仮説実験授業はもともと理科の授業から始まった手法だが、『たのしい授業』1989年11月号(私が教員となって一年目)には板倉先生による高校世界史のインドとイギリスの綿工業関連の記事が掲載されていた。当時の私は、板倉先生がインドとイギリスの綿工業について書かれた文の中にある「子どもたちに<できる>と感動させてあげる」「自分たちの感動を子どもたちに伝えるために」という言葉に感銘を受け、勉強の楽しさを伝えたいと思って教師になったことを再認識させてもらった。今でも仕事が嫌になったときは、この記事を読み返す。
最近では、2013年に出版された田尻信壹先生の『探究的世界史学習の創造』(梓出版)では、先史時代の仮説実験授業が紹介されている。
東京大学教養学部歴史学部会編『歴史学の思考法』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]
これまで読んだ本に対する理解が深まったことも、この本を読んでよかったこと。歴史を学ぶことの有用性については、ともにマルク・ブロックのことばが引用された、小田中直樹先生の『歴史学って何だ?』(PHP新書)と、平成30年度学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の村瀬正幸先生による「歴史総合」の解説。福岡大学人文学部歴史学科西洋史ゼミ編著『地域が語る世界史』(法律文化社)は、第Ⅱ部で示されている思考法にもとづいて行われた研究成果をまとめた論文集で、第10章で紹介されているサバルタン研究(サバルタン・スタディーズ)が「せめぎあう地域」という文脈で紹介されている。第4章について、章末にもあげられている足立啓二先生の『専制国家史論』(柏書房)は、現職で派遣された鳴門教育大学時代に、小浜正子先生の授業で講読した本。「民族も国境も越えて」というサブタイトルがつけられた杉山正明先生の『遊牧民から見た世界史』(日経ビジネス文庫)は、増補改訂版が出ているらしい。同じく第4章関係では『新しい世界史へ』(岩波新書)の著者、羽田正先生には昨年九州高等学校歴史教育者協議会(九歴協)大会が熊本で開催された折に講演に来ていただいた。「30年後を生きる人たちのための歴史」という演題でお話していただいたが、「主権国家や国民国家という西洋近代で生まれた概念が、実は日本列島に住む人々にとって異質なものではなく、それまでに十分に慣れ親しみ容易に理解できるものだったのではないか」という指摘は、第4章のテーマそのものとつながる気がする。「帝国」というキーワードがたびたび登場するが、鈴木薫先生が『オスマン帝国』(講談社現代新書) で指摘した「柔らかい専制」は、第4章(71㌻)や第5章(83㌻以下)との関連で興味深い。第6章では、国民国家は帝国主義と親和性が高いことが指摘されているが(97㌻)、このことについては大澤広晃先生の『歴史総合パートナーズ⑧・帝国主義を歴史する』(清水書院)を手がかりにもう一度考えてみたい。本書全体にかかわるテーマをヨーロッパを例に示したのが、故ジャック・ル・ゴフ先生の『子どもたちに語るヨーロッパ史』(ちくま学芸文庫)。
第4章は、「お国はどちら?」という問いから始まるが、私が大学(熊本大学教育学部)で最初に受けた「西洋史概説」の授業でもこの問いが鶴島博和先生から投げかけられた記憶がある。日本語の「国」に相当する英単語は複数あるが、「state」はこの問いの「お国」のニュアンスではないか、という話だったような気がする。その後鶴島先生のゼミにはいってからは、3年生でGeoffrey Barracloughの「The Crucible of Europe:The Ninth and Tenth Centuries in European History」、4年生ではOtto Brunnerの「Das Problem einer europäischen Sozialgeschichte」(邦訳あり)を読んだ。午後3時に始まったゼミが夜9時まで続いたこともあったが、教員になって10年目に派遣された大学院で田中優先生のご指導のもと、Gerhard Oestreichの「Ständetum und Staatsbildung in Deutschland」(邦訳あり)などそれなりに文献が読むことができたのは学部生時代の経験があったからだと感謝している。学部生時代、当時福岡大学商学部教授だった田北廣道先生からたくさんの文献をお借りしたが、その中にH. Dannenbauerの「Die Entstehung des Territoriums der Reichsstadt Nürnberg」という1928年に発行された本(のコピー:田北先生を通じてドイツから送っていただいた)があったが、辞書にも載っていない単語が出てきた。最初はなんだかわからなかったが、声に出して読んでみて、ようやく解った。「i」が「y」になっていたのである。故阿部謹也先生の『自分の中に歴史をよむ』(筑摩書房)の中に古文書が読めなくて苦労したとき「とにかく声に出してよむことだと(上原専禄)先生はいわれたのです。」という記述があるが、それを実感したのがその時だった。平成9年に九州高等学校歴史研究協議会の第26回大会が熊本県人吉市(私の初任の地)で開催された際、当時一橋大学学長だった阿部先生に講演に来ていただいたのは、大変うれしいことであった。その後九歴協では網野善彦先生(大分大会)、川勝平太先生(熊本大会)、川北稔先生(大分大会)、加藤陽子先生(宮崎大会)、本書第4章を執筆している杉山清彦先生(大分大会)、千田嘉博先生(宮崎大会と長崎大会)など、多くの先生方に講演をしていただいた。有難いというほかない。
「はじめに」での金田一耕助や、11章での澁澤龍彦は私のツボだった。茶木みやこの「まぼろしの人」の歌詞は、全部覚えている。
R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫) [歴史関係の本(小説以外)]
「知的探求体制」の項目を読んでいてはたと思い出したのが、リチャード・ファインマンの自伝『ご冗談でしょう、ファイマンさん』だった。リチャード・フィリップス・ファインマン(1918~1988)は、1965年、朝永振一郎らとともにノーベル物理学賞を共同受賞したアメリカの科学者で、第二次世界大戦中はマンハッタン計画にも関わった。マサチューセッツ工科大学からプリンストン大学の大学院に進学し、ロスアラモス研究所でマンハッタン計画に関わり、戦後はトーマス・エジソンが設立したGE(ゼネラル・エレクトリック社)に勤務、カリフォルニア工科大学の教授としてノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンこそ、アメリカの「知的探求体制」を最もよく示す人物だと思われる。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』は、前書きにもあるようにファインマン本人から聞いた話を彼の友人が編集したもので、純然たる自伝ではない。しかし、「僕」という一人称で書かれ、またエピソードが時系列に並んでいるため、とても読みやすい。当然物理学に関する話も出てくるが、解らなくてもとくに問題はない。邦訳も読みやすく「こいつはべらぼうな話だ」「あったりめえよ!」など江戸っ子みたいな口語表現が、いたずら好きでユーモアがありながら時々頑固なファインマンの人柄をよく伝えている。
ファインマンの両親は東欧からの移民の子孫で、ユダヤ教徒だった。そのせいかもしれないが、マサチューセッツ工科大学時代やノーベル賞授賞式でのエピソードでは、周囲の階級意識への反発を感じさせる部分もある。世界史の教員として面白かったのは、ギリシアの喜劇作家アリストファネスの『蛙』に関する話(ノーベル賞授賞式後の「カエル勲章」は有名だが、もらった人がカエルの鳴き真似をするというのは「ノーベルのもう一つの間違い」で初めて知った)と、マヤ文明の話(「物理学者の教養講座」)だったが、一番心に残っているのは「下から見たロスアラモス」だ。これは大学での講演記録だが、自らは「下っ端」だったと言いながらも「とんでもないモノをつくってしまった」という悔恨が伝わってくる。ノーベル賞晩餐会での日本外交官とのやりとりや、日本を訪れた際の言動(「ディラック方程式を解いていただきたいのですが」)にはロスアラモスでの経験があったのかもしれない。最後の「カーゴ・カルト・サイエンス」(大学の卒業式の式辞)とともに、「科学者とはどうあるべきか」というリチャード・ファインマンの考えがよく伝わってくる章だと思う。それは「知的探求体制」の恩恵を受けてきたファインマン自身、このシステムを必ずしもよしとしていたわけではないことも示している。
有賀夏紀著『アメリカの20世紀(下)』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]
「20世紀はアメリカの時代」だが、アフリカ系を初めとするマイノリティに関わる問題には、多くのページが割かれている。現在でも、アメリカ国内でコロナウイルス感染症で亡くなるのは白人よりも黒人が多いという。アメリカではインスタカートなど、買い物代行の需要が急増しているらしいが、感染するリスクを冒して買い物を実際に行う従業員(ショッパー)の多くは、マイノリティだという統計も目にした。授業ではサイモン&ガーファンクルの「私の兄弟」と、ボブ・ディランの「ハリケーン」を聴かせている。
ケネディとジョンソンという2人の大統領に象徴される第7章「激動の時代」が、最も印象的深い。キューバ危機、ベトナム戦争、公民権運動、フェミニズム、ヒッピーなど授業でも扱うトピックにこと欠かないからだろう。ただ、政治や社会、経済、文化という一見異なるカテゴリーでのトピックに見えるこれらの動きが、無関係に展開したのではなかったことはぜひ伝えておきたいと思っている。2007年の東京外大の二次試験世界史で、このことに関する問題が出題された。センター試験の世界史Aでもウッドストックが出題されている。
『アメリカの20世紀(下)』の最も熱い部分を網羅している映画が、ロバート・ゼメキス監督&トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』。ケネディ・ジョンソン・ニクソンの時代のアメリカを描いた永遠の名作。私は自分の授業で目指しているのは、『フォレスト・ガンプ』や『さらば、わが愛 覇王別姫』のような映画を楽しむことができる知識と感性を持った人になってくれること。できれば退職までにこの2本の映画をノーカットで使って、戦後世界史を語る授業をやってみたい。それだけの力を注ぐ価値のある2本だと思う。
大型連休中、S&Gの『水曜の朝、午前3時』とボブ・ディランの『欲望』を聴き、デンゼル・ワシントンの『ハリケーン』と『マルコムX』、そして『フォレスト・ガンプ』を見た。こうした音楽や映画が受け入れられる点こそ、「20世紀はアメリカの時代」だったことを示していると、改めて思う。「アナログ盤は外側の方(A面やB面の1曲目)が、内側の曲よりも音がいい」そうだが、「私の兄弟」はB面の1曲目だ。

アメリカの20世紀〈下〉1945年~2000年 (中公新書)
- 作者: 有賀 夏紀
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 新書
有賀夏紀『アメリカの20世紀(上)』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]
トピック的にも興味深い話をいくつか。
(1)エレノア=ローズヴェルトの活動
フランクリン=ローズヴェルトの妻。2012年のセンター試験世界史B追試で「黒人や女性,失業者などの権利や福祉について関心の高かった彼女は,ニューディールの様々な政策に関して頻繁に夫に助言した。」と取り上げられた。女性や黒人への言及が多いのも、この本のよかった点。
(2)社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)の受容
これまで私はヨーロッパの帝国主義の文脈で社会進化論に触れてきたが(2005年の京大世界史二次試験問題のイメージ)、アメリカ国内社会における影響という点には目が向かなかった。アメリカにおける社会進化論は、移民として成功したカーネギーら富裕層と貧しい階層との格差社会を正当化するための理論として機能したが、一方でスペンサーの支持者が日本でも多かったことは興味深い。また大富豪と貧しい階層との間の中産階級には、清潔感という観念がでてきた点もこれまた興味深い。先日読んだ『寄生虫なき病』では、イギリス社会がクリーンさを求めるようになったのは産業革命によって悪化した環境を改善するという必要に迫られた結果としていたが、19世紀のアメリカについても「不潔の国」(『寄生虫なき病』59㌻)だったという記述がある。人々が清潔感を求めるようになったことから石鹸の需要も増大するが、P&Gといった大企業の成長とともに、石鹸の原料となるパームやしの産地であるコンゴでは厳しい抑圧が始まる(『世界史100話』)。まさしく世界システム。
(3)この時期のアメリカを描いた映画
2本の映画が取り上げられている。ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の『怒りの葡萄』はよく知られているが、もう一本『わが街セントルイス』もいい映画だ。本書では原題の「丘の王者」というタイトルで紹介されているが、若き日のエイドリアン・ブロディ(ポランスキーの『戦場のピアニスト』の主演)が主人公の少年を助ける役で好演している。『怒りの葡萄』が農民の生活を描いていたのに対して、『わが街セントルイス』は都市部の格差社会を描いている。ブルース・スプリングスティーンが、『怒りの葡萄』の主人公の名前を冠した『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』というアルバムをリリースしたのは1995年。90年代のアメリカは、30年代のような時代だったのだろうか。
吉田美奈子に『FLAPPER』(1976年リリース)というアルバムがある。バックの演奏は伝説のグループ、テイン・パン・アレー(細野晴臣・松任谷正隆・鈴木茂ら)で、コンポーザーは矢野顕子・大瀧詠一・山下達郎といったアーティストが参加したJ-POPの名盤。「FLAPPER」という曲は収録されていないので、アルバムタイトルに込められた意味は不明であるが、20世紀初頭アメリカで旧来の価値観にとらわれず自由に生きようとした女性たちを指した言葉だという。飛び立とうとする女性という意味のタイトルだったのかもしれない。
大型連休中、スプリングスティーンの『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』とトム・パチェコ&ステイナー・アルブリグトゥセンの『ノーバディーズ』(「テディ・ルーズヴェルト」という曲が収められていて、訳者の許可をいただいて授業で日本語訳を使わせていただいている)を聴き、そして『わが街セントルイス』と『怒りの葡萄』を見た。こうした音楽や映画が受け入れられる点こそ、「20世紀はアメリカの時代」だったことの証左なのかも?と思ったりもする。
『わが街セントルイス』で主人公をいじめるホテルの従業員が使っている時計がウォルサムで、主人公の父親が職を得た会社がハミルトンというのは面白い。

アメリカの20世紀〈上〉1890年~1945年 (中公新書)
- 作者: 有賀 夏紀
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 新書
休業中の学習支援をどうするか [たんなる日記]
シラバス作成にあたっては具体的な内容を指示しなければならないが、オンライン授業をどうするか。大学のセミのような少人数ならともかく、40人でのリアルタイムでの双方向授業はムリだ。となれば動画配信ということになる。熊本北高校では現在の数学Ⅲと理系の生物が動画配信による授業を行っているが、生徒に感想を尋ねたところ高い評価である。自校の生徒向けなので、レベルなどがあっていることのほかyoutubeというイマドキのツールを使っているという物珍しさもあるだろう。しかし全教科で行うのは不可能である。私と同僚で授業動画を作ろうとしても、おそらくNGの連続で1本作るのに1週間かかるかもしれない。そこで、業者が作成した動画授業の配信を利用したいと考えている。団体契約にすればかなり割安になるので、たとえば兵庫県では全県立学校に公費で導入されるという。動画視聴環境の調査を行ったところ、難しい生徒が数名いたのでそうした生徒に限り学校内での視聴を許可するなどの対応をとる必要がある。熊本大学教育学部の苫野一徳先生はツイッターで「行政は教育資源の「均等配分」(みんな同じ)を重視してしまうが、より重要なのは「適正配分」(困っているところにより厚く)である。」「たとえば、PCやタブレットやネット環境がすべての子どもには揃わないから、オンライン授業はやらない、という「みんな同じでなければならない」の発想はかえって不平等を生む。(持っている家庭はどんどん進む。)むしろ、足りないところに資源を傾斜配分することで、格差縮小を目指す必要がある。」と述べているが、まったくその通りだと思う。評価問題はMicrosoft Formsで作成の練習をしてみたが(熊本県の教職員にはOffice365 for Businessのアカウントが発行されている)、返信データはエクセルで出力できるので大変便利だ。専門の講師の授業動画を視聴することは、大変勉強になって有難い。
ところが9月から新学期という議論が現実味を帯び始めた。もし実現すれば、各学校での対応は再検討する必要があるが、休業だからといって在校生を放置するわけにはいかない。9月までの休業期間、高校はいったい何をすればいいのだろう。9月新学期の論拠として、学力格差の広がりをあげているが、家庭環境や在籍する学校によって9月からのスタートラインはまったく違うことになりはしないか。例えば大学受験に関しては、都会の中高一貫校の場合だと受験勉強だけの期間が増えることになってしまう。新学期は9月スタートとなれば、苫野先生が指摘したような格差は拡大する一方のような気がする。
モイゼス・ベラスケス=マノフ『寄生虫なき病』(文藝春秋) [たんなる日記]
コロナウイルスによる新型肺炎拡大の影響で、体温計が品薄になっているという。入院すると、毎朝脈拍や血圧、そして体温も測定する。高い体温は何らかの異常が起こっているサインだが、それが明らかになったのは8人のイギリス人と1人のスウェーデン人による体を張った実験がきっかけである。『自分の体で実験したい~命がけの科学者列伝』(紀伊國屋書店)によると、18世紀後半にイギリスの医師ジョージ・フォーダイスとその仲間たちは「人間はどれだけの熱に耐えうるか」という実験を数度にわたって行い、そのうちのひとりチャールズ・ブラグデンは127℃の高温に耐えたという。この実験中彼らの体温は37℃越えることはなく、体温は常に一定であることが発見された。『自分の体で実験したい』には、「ペルーいぼ病」の治療法を発見するために患者の血液を自ら注射した医学生、黄熱病は蚊によって媒介されることを証明するために患者の血を吸わせた蚊に自ら刺される実験を行った医師など感染症絡みの話もいくつか紹介されている。
こうした「自分の体を使った実験」でいちばん強烈だったのは、アメリカ鉤虫という寄生虫に自ら感染して検証したジャーナリストによる『寄生虫なき病』(文藝春秋)である。科学ジャーナリストである著者のモイゼス・ベラスケス=マノフは、彼自身が子どものころから苦しんできたアレルギー疾患と自己免疫疾患は、公衆衛生の向上がもたらしたものではないかという仮説に達する。つまり、寄生虫やウイルス、細菌などを排除して清潔な環境を追求していた結果、花粉症などそれまでになかった新たな病に悩まされることになったのではないか?と考えた。それを証明するため、彼はカバー写真に写っている(アメリカではすでに根絶されている)不気味なアメリカ鉤虫を(大金を払って)自分の体内に取り込んだのである。感染した結果、アトピー性皮膚炎や花粉症、免疫疾患による脱毛に改善がみられたという。結論として、人類は長い年月をかけて免疫攻撃を寛容にすることを通じて寄生虫やウイルスと共存共栄を図ってきたが、「きれいな」環境づくりを追求してきた結果、寛容さが失われた免疫が暴走し、花粉症、アレルギーや自己免疫疾患が増加してきた。きれいな環境づくりの転機となったのが、産業革命による生活環境の悪化であったという点もまた興味深い。
この本の原題は「AN EPIDEMIC OF ABSENCE」、つまり「不在による病」である。コロナウイルスなど感染症の研究は「何があって病気なのか」を特定する「存在」のアプローチだが、この本は「解説」にもあるように「何が欠けて病気なのか」を特定する「不在」のアプローチである。ややもするとトンデモ本であるが、膨大な症例と報告、そしてなによりも自分の体で実験してみたという結果をみると、もしかするとありえるかも...と思ってしまう。
「自分が不快とみなす存在の排除」や「不寛容」が悪影響をもたらすという話は、昨今起こっている医療従事者の方への差別や中傷、感染者滞在を明らかにした施設への誹謗にもつながっているような気がする。
ウイルスと寄生虫の違い(群馬大学大学院医学系研究科)
http://yakutai.dept.med.gunma-u.ac.jp/project/H27%20MachinakaCampus.pdf
『現代思想』2020年4月号 特集「迷走する教育」 [その他]

新年度スタート時期に教育関係の特集を組むことが多い『現代思想』だが、4月号の特集「迷走する教育」はここ数年の特集の中でも特に読み応えある内容だった(特集「教育は変わるのか」の一年後の特集が、「迷走する教育」というのがなんとも....)。特に今号は共通テストをはじめとする教育改革が大きく取り上げられており、高校の教師である自分にとっては実にリアルな話である。私は社会系教科の教員なので、他教科の事情はまったく不明なのだが、今号では国語・英語・数学の各教科が抱える問題点が解説されていて、大変興味深かった。
高大連携とか高大接続とかの改革は、大学入試によって高校教育を変えようとしているが、よく考えたら「入試で教育を変える」というのは本末転倒だし、そもそも大学に進学しない生徒が置き去りにされている。学研からもらった冊子で京都工芸繊維大の羽藤由美先生(本号にも寄稿されている)が、大学入試はその時点における受験者の能力を測定するために行うのであり、能力を育成するため行うのではないと述べていたが、その通りだと思う。新しい学習指導要領は基本的に内容よりも「社会で役立つ人材」の育成が重視されているように思われるが、科目によっては高卒就職者を企業の即戦力にしようとする意図も感じられる。「安い賃金で使うことができる有能な労働者」を育成するイメージである。「役に立つ」の基準が金額で明示されるようになったら、格差はますます増大するのではないだろうか。本号で荒井克弘先生が書いているように(「大学入学共通テストの現在」)、高校で約半分の生徒が授業が理解できていないなか、年齢人口の約6割が大学や短大に進学しているという現状を考えれば、授業理解度の問題をはじめとするミスマッチを改善しない限り高大接続は画餅に帰すように思われる。
今回の教育改革には、「カネにまつわる話」が多すぎる。教育改革推進協議会とか日本アクティブラーニング協会といった団体に「正規社員をなくすべき」と主張する人材派遣会社の会長が関わったり、産業能率大学という教育学部を持たない経営系学部が主体の大学がアクティブラーニングを声高に進めている点にしっくりこない。最近だと共通テストの採点や英語民間試験に関わっていた民間企業がまるで自分たちが被害者であるかのような物言いをしていたり、さらには「未来の教室」とやらを進める経済産業省の官僚がなぜかアベノマスクに関わっていて、自身のSNSで 「ひとしきり文句を垂れていただいた後は」などと国民を小馬鹿にした表現で自身の手柄を誇っているなど、「終わってる感」ばかり。確かに教育改革はビジネスチャンスではあるのだろうが、だからと言ってそれが教育自体より大きく扱われている現状には、「子や孫の時代に日本は一体どうなっているのか」という不安を禁じ得ない。本号に掲載されている赤田圭亮(給特法)・岡崎勝(いちばん面白かった)・内田良(一斉休校に関するタイムリーな話題)・三浦綾希子(私が個人的に関心あるテーマ)の諸先生方が書かれた文を読むと、教育改革に必要なのは経済学ではなくて、教育社会学じゃないの?と思ってしまう。

現代思想 2020年4月号 特集=迷走する教育 ―大学入学共通テスト・新学習指導要領・変形労働時間制―
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2020/03/27
- メディア: ムック
飯島渉『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院) [歴史関係の本(小説以外)]
この本にでは様々な感染症が取り上げられているが、なかでも天然痘は「コロンブス交換」の結果、大航海時代に新大陸のインディオ人口を激減させた病気として世界史の授業でも取り上げられるメジャーな感染症だろう。マンガ『MASTERキートン』では、「ハーメルンの笛吹男」伝説とナチスのホロコーストと絡めて、ロマ(ジプシー)が天然痘の抗体を各地に広めたという仮説が紹介されていた。具体的な病状としては、これまで発疹が出る程度の知識しかなかったが、『感染症と私たちの歴史・これから』に出てくる天然痘を示す言葉「瘡」という文字を漢和辞典(学研『漢字源』)で調べてみると、「かさ・できもの・はれもの」「きず、切りきず、きずあと」といった意味が出てくる。また「痘」には「皮膚に豆粒大のうみをもったできものができて、あとを残す」とある。「痘瘡」の症状がなんとなく分かるが、「あばたもえくぼ」の「あばた」は「痘痕」と書くので、日本でもなじみ深い感染症だったのだろう。
天然痘はWHOにより撲滅宣言が出されたが、現在でも多くの人が命を落としている感染症がマラリア。私もこの本で初めて知ったが、エイズ・結核と並んでマラリアは現代でも「3大感染症」の一つであり、2015年にノーベル賞の生理学賞・医学賞を受賞した屠ユウユウ氏(中国:ユウは口偏に幼「呦呦」)の受賞理由は、「マラリアに対する新たな治療法に関する発見」だった。中国で熱帯に近い南部は昔からマラリアの多発地域だった。
中国の広東省一帯は,古くは「瘴癘の地」として,人々から恐れられる土地であった。瘴癘とは,熱帯・亜熱帯に生息する蚊が媒介する,マラリアの一種と考えられる。その一方で,この地の沿海部にある広州は,古くは)南越の都があった場所で,南海貿易の拠点として発展し,唐代には中国で最も重要な対外貿易港の一つとなった。明末以降,沼沢や山林の開発が進み,人間の生活圏から蚊の生息地が減少すると,「瘴癘の地」というイメージは薄らいだ。清代の広州は欧米諸国との貿易港として発展し,医療を含め,西洋近代文化が中国に浸透する窓口となった。
2008年度 センター試験世界史B 追試験第3問B
屠ユウユウ氏(彼女の名前は『詩経』の一節に由来するという)の経歴は大変興味深い。彼女が生まれたのは、満州事変勃発の前年である1930年。抗日戦争後、文革とベトナム戦争、改革開放などを経験した彼女の伝記は、そのまま中華人民共和国の歴史のようだ。
屠ユウユウ氏を含め、マラリアに関する研究に対して与えられたノーベル生理学・医学賞はこれまで4件あり(1902年、1907年、1927年、2015年)、人類がいかにマラリアに苦しめられてきたかがよくわかるが、このうち1927年に受賞したユリウス・ワーグナー=ヤウレック(オーストリア)の研究は「毒をもって毒を制する」ユニークな治療法。梅毒患者を人工的にマラリアに感染させ、マラリアによる高熱で梅毒の病原菌トレポネーマを死滅させたのち、次にキニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるというものである。当時としては画期的な治療法だったが危険性が高く、抗生物質が普及した現在では行なわれていないという。
マラリアで死んだ有名人は多く、Wikipediaの「マラリアで死亡した人物」にはアレクサンドロス大王やピューリタン革命のクロムウェルをはじめ、一休さん、平清盛、ツタンカーメン、アフリカ探検のリヴィングストンなどが紹介されている。そのほかローマ教皇アレクサンドル6世(チェーザレとツクレツィアのボルジア兄妹の父)や在位最短(12日間)のローマ教皇ウルバヌス7世も死因はマラリアだったとされる。さらにアレクサンドル6世の次に教皇となったユリウス2世と彼の保護を受けたミケランジェロ、そしてメディチ家出身の教皇レオ10世と彼の保護を受けたラファエロの死因についてもマラリア感染症だったという説があり、新型コロナウイルスの罹患者も多いイタリア、感染症ウイルスに適した要因でもあるのだろうか?
マラリアの特効薬として知られるキニーネは、南米アンデス地方原産のキナの木から原料が採取される。このキニーネはイエズス会の宣教師によりヨーロッパに持ち込まれたことから、プロテスタントであるクロムウェルはキニーネの服用を拒否したことが致命的だったらしい(D.R.ヘッドリク『帝国の手先』日本経済評論社78㌻)。キニーネは苦く、カクテルの一種ジントニックにも味付けにも使用される。映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(馬志翔監督、2014年、台湾)の冒頭、フィリピンへ向かうため台湾に来た陸軍大尉錠者博美は、基隆で多くの将兵がマラリアに罹患している状況を目にするが、彼にキニーネを渡す軍医がわざわざ「苦みのない」と付け足しているのはそのためである。
アフリカ大陸はマラリアが蔓延していたためヨーロッパ人が内陸部まで進出するのは困難であったが(アフリカには鎌状赤血球症というマラリアに耐性を持つ貧血症が多い)、キニーネの普及はアフリカの植民地化を加速した。D.R.ヘッドリクは、「(アフリカ争奪戦は)汽船、キニーネ予防薬、そしてこれからみるように、速やかに射撃のできるライフル銃との結合の結果」と述べているが(『帝国の手先』87㌻)、まさに『銃・病原菌・鉄』(ジャレ・ド・ダイヤモンド)である。よく知られたセシル=ローズの風刺画が示す運輸・通信手段(東京大学の2003年の入試)や軍事技術と同様、医療技術もアジアやアフリカの植民地化を促進したということになる。『感染症と私たちの歴史・これから』では、「身体の植民地化」という言葉で、「医療や衛生が植民地主義の最も重要なツールだった」ことが指摘されている。逆に征服される側からみれば、感染症によって護られてきたとも言える。橋本雅一『世界史の中のマラリア』(藤原書店)の中で著者は「マラリアはわれわれの強い味方だ。収奪者は震え上がり、侵略者は逃げ出す。」というアフリカの学生の言葉を紹介し、「近代と前近代、文明と未開、都市と辺境、富と貧困、強者と弱者....マラリアは、多くは前者によって優劣を決定され、対立を明確にされてきたこれらの項目の後者の側にぴったりと寄り添って生きのびてきた病気だったかもしれない」とも指摘している。
マラリアが、ヨーロッパ人が訪れる以前の新大陸にも土着していたかどうかについて、『世界史の中のマラリア』は、新大陸にはなかったという立場をとっている。その根拠として、スペイン人によるインカ帝国やアステカ王国の征服がマラリアによって阻害されなかったこと(当時のヨーロッパ人はキニーネの存在を知らなかった)、そしてインカやアステカの滅亡からヨーロッパへのキニーネ伝来(1630~40年代)まで一世紀を要していることなどをあげている。時期的には、人口が激減したインディオの代替労働力として導入されたアフリカ系の奴隷によって新大陸に持ち込まれたと考えるのが妥当で、その意味では「キナ樹皮のマラリア特効薬としての用法は、征服者にとって以上に、被征服者にとってこそ"発見"だったのではないだろうか」(『世界史の中のマラリア』104㌻)という指摘には考えさせられる。
植民地の拡大につれ、キニーネの需要は増大する。ルシール・H.ブロックウェイ『グリーンウェポン―植物資源による世界制覇』によると、イギリスの王立植物園キューガーデンがイギリスの帝国主義に果たした役割は大きい。キューガーデンには世界中から有用な植物が集められ、品種改良や生育に適した環境の調査が行われた。そしてイギリスの植民地で生育に適した地域に移植され、プランテーションでの大量生産が行われたのである。キニーネもそのひとつで、ペルーからインドやセイロン島に移植された(こうした有用植物は、他に茶やゴムがあげられる)。帝国書院の教科書『新詳世界史』の「19世紀前半 世界の工場イギリスと世界システム」のページではキューガーデンの写真が使われ、「植民地の植物園とのネットワークを生かして世界中の植物が集められ、品質改良がほどこされた。その結果、「中核」にとって有効な植物は「周辺」の環境に深刻な影響を与えることもあった」というキャプションがついていた(現在はインドで栽培された茶を象が運んでいる写真に変更されている)。キニーネを化学的に合成しようとする科学者も多く、イギリス・ヴィクトリア時代の化学者ウィリアム・ヘンリ・パーキンもそのひとりだった。彼は当初キニーネの人工合成を目指して研究していたが、実験の失敗によって生成した沈殿物から紫色の合成染料(アリニン染料)が生産されるようになり、それまで「王侯貴族の色」であった紫が一般にひろがる契機となった(『世界史の中のマラリア』148㌻)。1862年のロンドン万国博覧会で、ヴィクトリア女王が着用していたのは、パーキンの開発した人工染料モーブ(Mauve)で染色された絹のガウンだったという。世界史の教科書にはよく藍がアジアの産物としてでてくるが、藍に代表される天然染料は、キニーネの合成がうまくいかなかったことがきっかけで合成染料に取って代わられることになったのである(社団法人日本化学工業協会「化学はじめて物語」 https://www.nikkakyo.org/upload/plcenter/349_371.pdf 6㌻)。
『感染症と私たちの歴史・これから』では、日本におけるマラリアの流行とその撲滅についても触れられているが、戦争と関係深いことは興味深い。現在の日本では土着のマラリアは撲滅されているが、マラリア原虫を媒介するハマダラカは現在でも日本に生息している。地球温暖化などの気候変動により再流行する可能性もある(環境省による啓発パンフレット「地球温暖化と感染症」 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/pamph_infection/full.pdf 14㌻)。
2020年3月19日のAFP通信は、「新型コロナウイルスの影響によりイタリア全土で封鎖措置が敷かれる中、水の都として世界的に知られる同国のベネチア(Venice)では、観光客の出すごみがなくなり水上交通量もほぼ皆無となって、きれいに澄んだ運河の水が住民の目を楽しませている。」と伝えている[https://www.afpbb.com/articles/-/3274147]。またCNNなどは「新型コロナウイルスによる経済活動を制限したことにより、中国の大気汚染が大きく解消された」とも伝えている。もし地球温暖化がマラリアの大規模な流行を招来するとすれば、感染症の流行は地球自身の自己防御作用なのではないか、という気がしてくる。果たして人類は、地球上から感染症を撲滅することができるのだろうか?
【マラリアに関するエピソード】
感染制御のための情報誌『Ignazzo』「マラリアのはなし」 https://bit.ly/2U2xy3V
イタリア研究会「マラリアはローマの友達」 https://bit.ly/2UjKP76
厚生労働省検疫所FORTH https://www.forth.go.jp/useful/malaria.html
松岡亮二『教育格差』(ちくま新書) [その他]

ずいぶん昔のことだが、教え子のひとりが『東大文1―国家を託される若者たち東大文Ⅰ』(データハウス)という本で取り上げられた。彼がピックアップされた理由は、公立高校出身者だったからである。熊本県内では優秀な生徒が最も多く通っているとされる熊本高校から東京大学に合格したという快挙も、全国的な視点からすれば「進度が遅いというハンデを乗り越えて」栄冠を勝ち取ったと見なされるのである。十数年前にある有名私立校の定期考査問題(世界史)を見せてもらったことがある。熊本高校2年生の定期考査問題とほぼ同レベルの問題だったが、その問題はその学校の中学3年生で実施された定期考査の問題だった。
都市圏と熊本との地域格差はもちろんのこと、熊本県内でも「熊本市内とそれ以外」という居住地域にもとづく「スタート時からの格差」が存在する。2020年3月3日(火)の朝日新聞(熊本県内版)に掲載された「公立校 進む統廃合」と題された記事によれば、2006年に85校あった熊本県内の高校は17年までに76校に減少したが、熊本市内だけに限れば27校という数は1980年代後半から現在まで変わっていない(この間1988年に東稜高校が新設され、2011年に熊本フェイス学院が開新高校と合併して消滅した)。つまり中学卒業後は熊本市内の高校に進学を目指す生徒が多いわけで、実際生徒数をみても熊本県の高校生は2005年の5万8千人から18年には4万8千人に減少したが、熊本市内の高校に通う生徒数は約2万6千~2万7千人とほぼ横ばいである。地方と都市圏のみならず、地方の中でもさらに格差は拡大している。
では、こうした格差が生まれる要因は何だろうか。3月11日付の熊本日々新聞の読者欄「若者コーナー」で、高校生が「三つの格差を縮めるために」と題して、教育格差に言及していたが、教育格差の原因として「親の収入」をあげていた。なるほど、高い所得の家に生まれた子どもは、塾に通ったり家庭教師をつけてもらったりと、親から様々なサポートを受けられるだろう。実際、「東大生の親の年収は、平均の約2倍」という調査結果もある[https://dot.asahi.com/aera/2012111600016.html]。では親の収入の格差が教育格差の原因だという言説は本当に正しく、他の要因はないのだろうか。また教育格差を縮める処方箋はないのだろうか。こうした疑問から手に取ったのが本書である。
教育格差の指標として、最終学歴の差を用いている。最終学歴の差は、生涯賃金をはじめ職業や健康など様々な格差の要因につながるからである。本書の前半はデータの冷静な分析となっている。すなわち、最終学歴は生まれ(親の最終学歴や出身地域)という本人には如何ともしがたい要因に左右されるという仮説が正しいことを、統計データの分析を通じて明らかにしている。序章から第5章までのトピックは、以下の通り。
・父親が大卒だと、子どもも大卒になる割合が高い。
・生活する都道府県が三大都市圏、市町村が大都市だと、大卒となる割合が高い。
・教育格差は、小学校入学前から始まる。
・公立の小学校であっても、学校間で学力の格差が存在する。
・親が大卒だと、中学校教育への親和性が高い。
・中学校では公立と私立のみならず、公立間・私立間でも学力格差が存在する。
・高校間の学力格差は、親学歴による学力格差に起因する。
以上のトピックはさして目新しいことではなく、私を含め多くの人が漠然と感じていることだろう。しかし重要なことは、その漠然と感じていることをデータを使って「今そこにある格差」として論証してみせたことにある。つまり日本の教育格差は、本人の努力では克服することが難しい「生まれ」に起因しており、しかもその差は幼稚園から高校までなかなか縮小しない。したがって、「不利な状況でも努力で克服できる」「学校の成績が悪いのは、勉強をサボっている本人の責任」という自己責任論はあまり説得力を持たないし、その意味で日本は緩やかな身分社会ともいえる。こうした状況を克服することが、結果的には社会全体の平均値を上げることにつながっていく、と著者は主張しているが同感である。
教育格差を克服するため、筆者は二つのことを提案している。まずは分析可能なデータを収集して教育政策や改革を検証すること、そしてもう一点は、大学の教員養成課程で「教育格差」を必修とし、どちらかと言えば「勝ち組」であるため格差に気づきにくい教師に現状を把握させることの二点である。あまりに大きな問題に対して、やや対策が小粒な印象も受けるが、では他に何かあるかというと、今の私は対案を持ち合わせていない。2020年3月15日付の熊本日日新聞「くまにち論壇」で教育哲学者の苫野一徳先生(熊本大学教育学部)は、「公教育の構造転換」を提唱している。これまでの「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」というシステムから、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」への転換である。確かにこれまでのみんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」というシステムでは、小学校入学前から始まっている教育格差は縮まらないだろう。協同化によって、格差は縮まり、またプロジェクト化によって意欲も高まるように思われるが、一方で個別化は格差を増大させるようにも感じる。
① 庶民階級の子供は、学校教育の対象とはされず、読み書きは専ら家庭で教えられていた。
② 中産階級の家庭では、夫婦共働きが理想の家庭と考えられるようになった。
③ 家庭は、消費と精神的なやすらぎの場から、生産と消費の場へと変化した。
④ 中産階級の家庭では、結婚後の女性が家事や育児に専念する傾向が強まった。
(1998年度 センター試験 世界史A本試験 第2問C )
上の問題における選択肢①は逆で、イギリスでは1870年に自由党のグラッドストン内閣のもとで最初の教育法が制定され、庶民階級の子どもを対象とした初等教育が実現した。上流階級の家庭では家庭教師によって初等教育段階での教育を身に付け、その後イートンやハローなどの伝統的なパブリック=スクール(私立学校)で中等教育段階の学習が行われることが多かったからである。国民の統合が必要となった19世紀には、統一的な読み書き能力や共通の歴史認識が必要となってくる。こうして公教育は国家的な事業となり、国民を育成すると同時に教育格差を是正する役割をも担っていた。現在の日本では、そうした格差を縮小するという公立学校の役割は十分に機能しているとは言い難い。その意味で、Youtubeを通じて日本史・世界史の無料授業を行っているMundi先生など大学受験のための授業を無料配信する取り組みは素晴らしいと思うし、また「高校生の半分は大学に行かないから大学進学のための受験指導に血眼になる必要は無い」という意見は、首肯できるものではあるものの格差を自明のものと考える傲慢さも感じられる。もちろん教育格差は日本だけの状況ではないが(鈴木大裕著『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』岩波書店)、こうした認識を欠いた状態での教育は「優秀である一方で、低賃金でも文句を言わずに働く、金持ちに都合がいい労働者」、つまり格差があるのは仕方ないと諦観した人々を生産しているのかもしれない。そして自分はそれに荷担しているのではないか?と自問するとき、私は慄然とするのである。
著者による解説
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65952
都市と地方の格差
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
村上陽一郎『ペスト大流行』(岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

新型コロナウイルス感染症の流行により、カミュの『ペスト』が売れているという。
https://toyokeizai.net/articles/-/335178
https://mainichi.jp/articles/20200227/k00/00m/040/366000c
カミュの作品は、ペストに立ち向かう人々を通じてこの世の不条理さを描いたフィクションだが、同じくペストを扱った村上陽一郎の『ペスト大流行』(岩波新書)もまた注目されているらしい(アマゾンのマーケットプレイスでは2020年3月9日の時点では最低5000円で出品されているが、近々再刊されるとのこと)。ということで30年ぶりくらいに再読。
この本には「ヨーロッパ中世の崩壊」という副題がついており、ペスト大流行の実態と人々の対応を跡づけ、この病気の流行が後世にどのような影響をもたらしたかを論じたものである。隔離政策の開始(当時の隔離は、ハンセン病患者のように遺棄に近いものであった)、ペスト蔓延の原因と見なされたユダヤ人への迫害、宗教的情熱の高揚(宗教改革につながる)などは短期的な影響であるが、長期的には農民の地位の向上に伴う荘園制度の崩壊をもたらし、ヨーロッパが資本主義へと舵を切るきっかけになったとも言える。2000年度のセンター試験世界史B(追試)第4問Aのリード文は、黒死病(ペスト)の流行についてよくまとまった文章だと思う。
ペストの流行が封建社会の衰退をもたらしたという点については高校世界史の教科書にも記述がある。村川堅太郎・江上波男・山本達郎・林健太郎の諸先生が名を連ねておられた時代の『詳説世界史』(山川出版社)の記述。
【1985年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパをおそい、農村人口は激減した。領主は農村の労働力確保のため、農民の待遇改善をはかった。そのため農民の生活はますます向上し、貨幣をおさめるだけでよい独立自営農民に上昇していった。特に貨幣地代のもっとも普及していたイギリスでは、農民の地位の向上が著しかった。」
【1991年版】
1985年版と同じだが、「黒死病」が太字となり、独立自営農民に「(ヨーマン)」とカッコ書きが加わっている。
【1997年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパで流行し、農村人口が激減すると、領主は農民の確保のため、彼らの身分的束縛をゆるめるようになった。こうした農奴解放の動きとともに、農民の地位は高まって、彼らはしだいに自営農民に上昇していった。この傾向は、もっとも貨幣地代が普及したイギリスで著しく、かつての農奴はヨーマンと呼ばれる独立自営農民に上昇したのである。」
現行の『詳説』の記述と比べると、ペストの役割が強調されているように感じる。現行版では「1348年」という年代も、なくなっている。

14世紀のヨーロッパで流行したペストのルーツについて、村上陽一郎『ペスト大流行』では中国や中央アジアなど複数の説を紹介しているが、いずれにせよ他地域から交易ルートに乗ってもたらされたという点では同じである。そのうちの中国から伝わったという説については、13世紀にモンゴルによってユーラシアの東西が結ばれた結果、アジアからヨーロッパにペストがもたらされたともいわれている。ウィリアム・マクニールという研究者は、その著書『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、新潮社)の中で「ヒマラヤ山麓に根を下ろしていたペストは、モンゴルの征服活動の結果中国に広がり(中国では1331年にペストが流行している)、その後交易ルートに乗ってクリミアに至り、1348年のヨーロッパにおける大流行をもたらした」と述べている。フビライが雲南の大理を征服するのが1254年なので、計算上ムリはない。ジャネット・アブー=ルゴド女史も、『ヨーロッパ覇権以前(上)』(岩波書店)の中で、「マクニールの推論を確証する十分なデータはないが(反証するデータもまたない)、彼の説は説得力があり、すべてとは言わないが少なくとも一部は証拠づけられている。」と賛意を示している(219ページ)。このモンゴル説は、ある予備校の東大模試に使われたこともある。リード文でボッカチオの『デカメロン』におけるペスト流行の描写を引用した上で、「古代よりペストの流行は幾度か発生しており、多くの文献にもその様子が記されている。しかし、かつてこれほどに迅速かつ広範囲にペストが広まったことはなかったし、多くの犠牲者が出たこともなかったのである。14世紀半ばのヨーロッパを襲った危機的な状況は、単に一地域での事象にとどまらず、より巨視的な視点の上で理解されるべきである。」と述べ、解答例では「....モンゴル帝国による駅伝制の整備や十字軍を契機とする西欧の遠隔地商業の発達により、ユーラシア全域に渡る交易網が形成されており、これらがペストの被害を拡大した。」としている。最近でも北村厚先生の『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)では「ペストはモンゴル帝国のユーラシア・ネットワークにのって西に伝わった。ペスト菌を媒介するネズミやノミが遠方の都市に到達することは、従来ありえなかったが、モンゴルのつくったジャムチは、ペスト菌の遠隔移動を可能にした。」とされている。この仮説が正しいとすれば、西欧封建社会の解体にモンゴルも一役買ったということになるが、一方でモンゴル研究の権威、杉山正明先生はマクニール説に懐疑的だ。曰く「すくなくとも、モンゴル帝国の東から西へ、はるばると旅をしてきた黒死病が、クリミアをへて、ついに西欧に達したというマクニールのシニカルな説は、根拠なしなら誰でも考えつきそうな仮説の一つとして、つまりは一種のジョークとして、なおいまだ、真に受けるにはおよばない。」(『大モンゴルの時代』中央公論社、232ページ)。
ところでこの『ペスト大流行』には「14世紀のペスト大流行の時期には、バッタによる激しい蝗害があった」という興味深い記述がある(57㌻~)。昨年からアフリカにおけるバッタ被害が報道されており、いよいよアジアに迫っているというが、奇妙な符合である。本書では14世紀のペスト大流行に拍車をかけたのは、蝗害や洪水・気候変動による食糧の不足による栄養状態の低下であったとも指摘されている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56324260T00C20A3FF8000/
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200307-00166447/
果たして新型コロナウイルス感染症は、ペストのように大きな変動をもたらすのだろうか?

ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)
- 作者: 村上 陽一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/03/22
- メディア: 新書
原田智仁『「歴史総合」の授業を創る』(明治図書) [授業研究・分析]
新科目「歴史総合」を扱った本として、本書はとてもまとまっている印象を受ける。第1章で「歴史総合」に必要な視点と方法論、これを受けて第2章では具体的な授業モデルが提示されるが、一読して「使える」内容だと思う。というのも、第2章の冒頭で、授業時数年間60時間程度とし(3つの大項目はそれぞれ20時間、さらにその20時間の内訳は「導入:2時間-展開1:8時間-展開2:8時間-終結:2時間」と配分)、第2章で提示された授業プランはこの年間計画に準じている。しかも3つの大項目すべての授業プランが提示されているため、この本通りにやればとりあえず「歴史総合」の授業を行うことも可能である。これまで「歴史総合かくあるべし」というものは多かったが、実際の授業プランはあまり多くなく、あっても単発のものが多かった。掲載されている授業プランを一通り読んでみると、「歴史総合の授業」の具体的なイメージが頭の中に浮かんでくると思う。こうしたプランをもとに、教師個人がそれぞれによりよく改善していこうというスタンスが授業改善につながっていくと感じている。たとえば、72~81㌻に掲載されている福井を題材とした「地域→日本→世界」と広げていく授業で、自分たちが生活している地域を題材にするならばどのような題材がよいか、という感じで、自分たちの改善案を教員同士で話し合うことができれば最高だろう。
第1章の内容も、よいと思う。「コモン・グッド」「SDGs」「レリバンス」「メタヒストリー」といったキーワードをもとに、授業改善の視点が提示されている。教育改革の動きに対して私が距離を置いていたのは、関連する文章や講演に「ルーブリック」「コンピテシー」「チェックイン」といったカタカナ用語がやたら多かったのも理由の一つである。今どきの教員ならば「わかっていて当然」なんだろうけど、説明もなしにそうした用語を使っている人をみると、尊敬すると同時に浅学さに卑屈になってしまい、とりあえずそのカタカナの意味内容をスマホで検索してみるものの、ついには「日本語で説明しろよ、気取りやがって、お前教師だろ」と逆ギレ暴走老人と化してしまうこともあった。この本ではそうした用語もキーワードとして解題してあり、すんなり頭にはいってきた。全体的に読みやすい一冊であり、「歴史総合」事始めにはオススメの本である。