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北村 厚 『大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合』(KADOKAWA) [授業研究・分析]

 北村厚先生の新著『大学の先生と学ぶはじめての歴史総合』(KADOKAWA)は、「歴史総合」を学ぶ高校生向けに書かれた本。会話調の文体で、とても読みやすい。高校生向けではあるが、 むしろ私のように「歴史総合」の授業を担当する教師にとって有益な本である。全国で行われている「歴史総合」の授業は、おそらく教師が一方的に話す知識伝達型(いわゆる講義型)がいまだに多いと思う(学習指導要領の学校現場における受け取り方については、『現代思想』2017年4月号81㌻~で岡﨑勝先生が指摘している通り)。しかし一方で、講義型の授業を行っている先生方の中にも、「これではいけない、自分の授業を変えていきたい」と思っている方も少なくはないのではないだろうか。そうした迷える教師(まさに私のことである)に、実際の授業の進め方を提示する本としてとても有り難い一冊である。これまでの歴史総合本は、教科書の内容をより詳しく解説した参考書か、教員向けの素材提供本だったが、いわば「知識の使い方」を示した本書は、両者の中間とも言える。「はじめに」にある「この本に書いているからといって、それがこの「問い」の正解だ!なんて考えてはいけない。」という一文に、本書のコンセプトがよく表現されている。
 本書の各章(全13章)は、それぞれメインの問いとサブの問いから構成されているが、このような問いの立て方と授業構成については、渡部竜也・井手口泰典『社会科授業づくりの理論と方法』(明治図書)が参考になる。8月に渡部先生が熊本に来られた際に模擬授業を受けたが、本書を読んでいてそのときの模擬授業を思い出した。本書を実践編、『社会科授業づくりの理論と方法』を理論編として併せて読むと実際の授業のイメージが掴みやすいと思う。
 また、「はじめに」にもあるとおり、「この本では歴史総合の全部の内容をあつかているわけじゃないから、そこは注意が必要だ」が、メインの問いに含まれるキーワードが、理解すべき「概念」として提示されている。この概念で「歴史総合」に含まれる内容の理解に必要なツールは、ほぼカバーされていると思う。市民社会や国民国家、立憲制、「文明化」といった言葉は、高校生が理解できるように説明することは難しい。こうした「概念」の扱い方も、自分の授業で取り入れていきたい。そして本書では割愛されている内容を、「コラム」で紹介されている本を使って、自分の勤務校の実態や関心にもとづいて授業をつくっていけばよいのでないか。渡部先生の模擬授業を受けたとき、同期の日本史の先生と一緒に問いを考えたが、メインの問いを「日露戦争の世界史的な意義は何か」と「日露戦争がアジアに与えた影響は何か」のどちらにするか、「影響」と「意義」はどう違うのか等色々と話ができて面白かった。自分の授業がブラッシュアップできそうな予感の一冊。


大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合

大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合

  • 作者: 北村 厚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2023/10/31
  • メディア: Kindle版



社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 単行本



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『オフィサー・アンド・スパイ』(ロマン・ポランスキー監督、2019年、フランス・イタリア合作) [歴史映画]

 第三共和政下のフランスで起こったドレフュス事件を、巨匠ロマン・ポランスキーが監督が映画化した作品。全編フランス語。DVD/ブルーレイに日本語吹替は収録されていないが、内田樹氏が字幕の監修を行っている。



日本版公式サイト https://longride.jp/officer-spy/

 ドレフュス有罪の証拠がねつ造されたものであったことを知った、防諜部のピカール中佐が主人公。さまざまな圧力に抗して真実を告発しようとするピカールが、再審にもちこんだものの歯切れの悪い幕引きとなってしまうまでを描いている。

 ドレフュス事件そのものと当時のフランスの社会に対する予備知識がないと楽しめる作品ではない。歴史的に評価が定まった出来事を映画化するのは、なかなか難しいものだ。「オフィサー・アンド・スパイ」という邦題も微妙で、原題の「J'accuse」=「私は弾劾する」でもよかったかもしれない(が、これも微妙である)。ピカールやゾラのキャンペーンによって、次第に世論が二分されていく点をもう少し入れてもよかったのではないか。第一次世界大戦後にパリ講和会議を主催したフランス大統領クレマンソーが、ゾラ達とともにドレフュス擁護側して登場する。『戦場のピアニスト』(第二次世界大戦下のワルシャワ)や、『オリヴァー・ツイスト』(19世紀のロンドン)など当時の再現にこだわるポランスキー監督らしく、19世紀のフランスの再現度は極めて高い。

 ラスト、軍籍に復帰したドレフュスがピカールのもとを訪れ、(ピカールと違って)自分が収監されていた年月が軍籍に加算されていないため、昇進が遅れているので官位を上げて欲しいと申し入れるが、政府高官となったピカールはそれを拒否する。ユダヤ系でホロコーストを生き延びたポランスキー監督の思いが感じられるシーンだが、一方で児童への性的虐待で現在も罪に問われている自分自身を投影しているようにも感じる。



オフィサー・アンド・スパイ Blu-ray

オフィサー・アンド・スパイ Blu-ray

  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • 発売日: 2022/12/02
  • メディア: Blu-ray



オフィサー・アンド・スパイ DVD

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  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • 発売日: 2022/12/02
  • メディア: DVD



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「問いの構造図」にもとづく社会科授業づくり [授業研究・分析]

 今年の熊本県高等学校地歴・公民科研究会の日本史・世界史合同部会は、東京学芸大学の渡部竜也先生を講師にお迎えしての勉強会だった。最初に渡部先生による模擬授業が行われ、続いて講演(「問いの構造化」による探求学習の設計)、そして最後が参加者によるワークショップ(授業作成)という流れであった。前日は台風6号が九州に接近していたため開催が危ぶまれたものの、当日は天候も回復して無事開催することができた。注目を集めている先生が講師と言うこともあり、他県の先生方もオンライン・対面で参加されており(私の前の席に座っておられたのは大分県の先生であった)、充実した会となった。

 学部・院生時代ともに社会系教科教育法の指導を受けた先生がお二人とも広島大学のご出身だったこともあり、「なぜ」発問にもとづく探求学習の授業は私にとって馴染み深いものである。教育実習で最初にやった授業も「ヨーロッパで香辛料が高価だったのはなぜだろう」という問いにもとづく授業だった。

 渡部先生による模擬授業は、江戸時代の鎖国を題材としたものであった(『社会科授業づくりの理論と方法』第4章)。私の隣に座っていたのは副会長のO先生(私と同期で日本史)だったが、二人で話し合いながら楽しく参加することができた。参加者は「分かった気になる」のは楽しいものだ、ということを実感できたことだろう。思い出したのは、今から40年近くも前のこと、大学の社会科教材研究の時間に受けた模擬授業である。このとき受けた模擬授業は、後に「よみがえれ!縄文人」として藤岡信勝・石井郁男編『ストップモーション方式による1時間の授業技術』(日本書籍)という本に収められた(当時の授業で出てきた縄文土器が気になり、後藤和民『縄文土器をつくる』を読んで「調理に使える=縄文土器のスゴさ」を改めて実感した)。以後私の授業作りでは、「(~なのに、)~なのはなぜか」という問いにもとづく構成にできるようにしたいと考えてきた。

 渡部先生による「問いの構造図」にもとづく探求授業と、森分孝治先生による探求授業との違いは『社会科授業づくりの理論と方法』78㌻と第7章で触れられているが、講演で印象深かったのは「本質的な問いは後づけでよい」という話だった。理想は「逆向き設計」だろうが、実際に授業をつくる場合は「後づけ設計」(『社会科授業づくりの理論と方法』134㌻~)の方が現実的であると思う。最後のワークショップでは、私を含めて4人で「露仏同盟と日英同盟があるにもかかわらず、日露戦争が始まってすぐに英仏協商が成立したのはなぜか」という問いを設定して問いの構造化を考えたが、問いを考える中で、「日露戦争の世界史的な意義は何か」などの後づけEQが出された。

 そしてもう一つ、「歴史と地理/政治/経済など諸科学との総合化=間接的な歴史教育の公民化」という点。現在担当してる「公共」「歴史総合」「世界史B」に加えて、二学期からは「地理B」も担当する予定。


社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

社会科授業づくりの理論と方法 本質的な問いを生かした科学的探求学習

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 単行本



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「世界史探究」の教科書 [たんなる日記]

 来年度使用する教科書選定の時期である。熊本県内の多くの学校では、「世界史探究」が始まるのは来年度から。それぞれに決まりつつあると思うが、教科書を読んでみてると、「この内容で3単位とは厳しい」と改めて感じる。2単位+3単位のように、2年かけて履修しないと厳しいのでは....。

 諸地域の形成→交流と再編→結合と変容という流れは世界史Bから継承されている。このうち「諸地域の歴史的特質の構成」の「諸地域」は、「東アジアと中央ユーラシア」「南アジアと東南アジア」「西アジアと地中海世界」の3つのカテゴリーで構成されているが、この3つの前に「古代文明の歴史的特質」というカテゴリー(オリエント文明・インダス文明・中華文明)もある。帝国書院の『新詳世界史探究』のように、「地域」にもとづいて古代文明を諸地域に振り分けている(オリエント文明は「西アジアと地中海世界」、インダス文明は「南アジアと東南アジア」、中華文明は「東アジアと中央ユーラシア」へ)教科書もある一方で、時系列重視で組み込んでいない教科書もある。後者の場合、諸地域の構成順は教科書により異なっており、西アジアから始まる教科書もあれば、東アジアから始まる教科書もある。いずれを選んでも、「先史時代→オリエント→ギリシア→ローマ→インド→中国」という流れに慣れきった私のような教員は大いにとまどうことだろう。

 一つ目を引くのが、「中央ユーラシア」という呼称である。世界史Bでは「内陸アジア」という用語があったが、中央ユーラシアは内陸アジアよりももっと広い地域を指す。この変更には大きな意味があると思われるが、『【地理歴史編】学習指導要領(平成30年告示)解説』[https://www.mext.go.jp/content/20220802-mxt_kyoiku02-100002620_03.pdf]でもあまり深くは触れられていない。1997年に中央公論社から発行された世界の歴史シリーズ第7巻のタイトルは「宋と中央ユーラシア」で、この本では中央ユーラシアとは「ユーラシア大陸から中国、東南アジア、南アジア、地中海、西ヨーロッパの諸文明地域をのぞいた地域」とある(252㌻)。「内陸アジア」という言葉では、アジアに目を奪われて南ロシアや東ヨーロッパといった地域が抜け落ちそうなので、「中央ユーラシア」という表現になったのだろう。この地域が果たした役割としては、東アジア・南アジア・西アジア・地中海(ヨーロッパ)の諸地域を結びつけたことがあげられる(『興亡の世界史』シリーズ(講談社)の第5巻「シルクロードと唐帝国」)。次の「交流と再編」では、中央ユーラシアが果たした役割という視点を加える必要があるだろうが、果たして私に出来るのか。護雅夫先生の著作を読み直してみますか。

 モンゴル草原からハンガリーまで連続する中央ユーラシアの乾燥地帯が、近代以前の人類史上に果たした大きな役割について、論述しなさい。ただしその際、重要な家畜と商品の名をキーワードとして使用し、かつ司馬遷『史記』とヘロドトス『歴史』に見える二つの政治勢力にも論及しなさい(250字程度)。〈2004年の大阪大学の問題〉


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今年の東大の問題 [大学受験]

今年の東大の大論述(第1問)は、以下のような問題。

 近代世界は主に、君主政体や共和政体をとる独立国と、その植民地からなっていた。この状態は固定的なものではなく、植民地が独立して国家をつくったり、一つの国の分裂や解体によって新しい独立国が生まれたりすることがあった。当初からの独立国であっても、革命によって政体が変わることがあり、また憲法を定めるか、議会にどこまで権力を与えるか、国民の政治参加をどの範囲まで認めるか、などといった課題についても、さまざまな対応がとられた。総じて、それぞれの国や地域が、多様な選択肢の間でよりよい方途を模索しながら近代の歴史が進んできたといえる。
 以上のことを踏まえて、1770年前後から1920年前後までの約150年間の時期に、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、諸国で政治のしくみがどのように変わったか、およびどのような政体の独立国が誕生したかを、後の地図Ⅰ・Ⅱも参考にして記述せよ。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、以下の8つの語句を必ず一度は用いて、それらの語句全てに下線を付すこと。


アメリカ独立革命  ヴェルサイユ体制  光緒新政  シモン=ボリバル
選挙法改正*  大日本帝国憲法  帝国議会**  二月革命***


*イギリスにおける4度にわたる選挙法改正
**ドイツ帝国の議会
***フランス二月革命



 問題の要求は、「1770年前後から1920年前後までの約150年間の時期に、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、諸国で政治のしくみがどのように変わったか、およびどのような政体の独立国が誕生したか」。同じ地域の時代が異なる地図を並べた点で、1992年東大の第1問(この問題を取り上げていない論述問題集はないと思われる)を思い出した人も多かったのではないだろうか。

 構成は、時系列か地域に分けるかのどちらかになるが、地図が出ているので地域ごとに「ヨーロッパでは~、南北アメリカでは~、東アジアでは~」と書いていきたい。600字なので、ヨーロッパ200字+南北アメリカ200字+東アジア200字をベースとして、多く書くことができる部分は字数を多くするなどの調整していく。なお各予備校が公開した解答例をみると、代ゼミと河合塾が時系列で、東進が地域ごとになっていた。発表が遅れた駿台の解答例から歯切れの悪さを感じるのは、作成者が時系列で書くかそれとも地域別に書くかで迷ったからか?駿台と代ゼミは指定語句からスタートしているが、いきなり指定語句からの書き始めは、これから論述を練習しようという人にはちょっとハードルが高い。目にした予備校の解答例では、東進の解答例がよかった。

指定語句を3つの地域に分けてみると、以下のようになる。
・ヨーロッパ・・・・ヴェルサイユ体制、選挙法改正、帝国議会、二月革命
・南北アメリカ・・・・アメリカ独立革命、シモン=ボリバル、
・東アジア・・・・光緒新政、大日本帝国憲法

 ヨーロッパに関する指定語句が、他の二つの地域に比べると多いので、書けることが多いはず。なので、この段階で時数配分はヨーロッパを多めにしたい。ヨーロッパ300~350字+南北アメリカと東アジアで300~250字程度か。

地図から読み取れる変化。
・ヨーロッパ・・・・立憲君主政の国が増えているが、フランスは共和政となっている
(フランスが目立っているので、フランス革命に触れないわけにはいかない)
・南北アメリカ・・・・アメリカ以外はほとんど植民地だったのが、成文憲法を持つ共和政の独立国が大勢となっている
・東アジア・・・・多くが君主政の国だったのが、日本が立憲君主政、朝鮮が植民地、中国が共和政となっている

【私の解答例】
ヨーロッパの多くは君主政国家であったが、フランスは18世紀末に共和政となった。その後君主政が復活したが、二月革命後は男性普通選挙を採用した第二共和政となり、第二帝政を経て成立した第三共和政以降は共和政が定着した。イギリスは君主政が続いたが伝統的に議会の力が強く、選挙法改正を通じて選挙権が拡大し、第一次世界大戦後には女性参政権も実現した。これに対してドイツ帝国は君主権が強く、男性普通選挙を導入した帝国議会の力は弱かった。第一次世界大戦後、男女普通選挙を定めた憲法を持つドイツ共和国となった。第一次世界大戦でヨーロッパの帝政諸国家は解体し、ヴェルサイユ体制の下、民族自決の原則により多くの共和政国家が生まれた。北アメリカではアメリカ独立革命後に合衆国が共和政国家として成立し、19世紀前半には男性普通選挙が実現したが、対象は白人だけであった。同じころ南アメリカでは多くの国がシモン=ボリバルらの指導によってヨーロッパの宗主国から独立し、共和政となった。東アジアでは、日本が1889年に大日本帝国憲法を制定して立憲君主政国家となったが、ドイツ同様に君主権が強かった。日本は清朝を日清戦争で破り、台湾を植民地とした。一方敗れた清朝は日本にならって立憲君主政をめざす光緒新政を断行したが、辛亥革命によって清朝は倒れ、共和政の中華民国が成立した。朝鮮は大韓帝国として清朝から独立したが、日本の植民地となった。(595字)

 日本の普通選挙法にも触れたいところだが、「1920年前後」に1925年ははいるのだろうか?書けるネタはかなり多いので、600字とはいえ書きすぎると字数オーバーになりかねない。宮崎市定先生の「歴史学における要約の重要性(特徴が見えてくる)」という指摘を改めて実感。


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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史A)~追試験 [大学受験]

 おおまかな印象としては、よい資料を用いた良問が多かった。しかし一方で、本試験と同様に世界史Aの問題としては難易度が高い。「世界史Bの問題」と言われても違和感なく、受験者がゼロまたは極少数である世界史Aの追試としては、正直「もったいなかった」と思う。

 第1問のテーマは、歴史の動きとモノや習慣との関係。問2は「う」が匈奴であるため、単純な知識問題となってしまったのが惜しい。「あ」と「い」がトルコ系であるため、「う」もトルコ系で揃えると、トルコ系民族の西方移動として考えることも可能である(こうなると世界史Bだが)。かつてセンター試験の時代に出題されたことがあるが[https://zep.blog.ss-blog.jp/2013-01-06]、やはり世界史Bである。問3のヒントは絵ではなく、先生の言葉「西アジア産の青いコバルト顔料で文様を描いて絵付けをした」である。絵で示された器の拡大図はなんとなく宋や高麗の青磁のようにも見えるが、「青」というキーワードから染付を選ばせるのは、世界史Aのみ履修者にはキツかったと思われる。ウチが使っている第一学習社の教科書『高等学校 改訂版世界史A』を見てみたが、染付の写真は見つけることができなかった。染付は山川の世界史用語集でも③なので、これを世界史Aで出すのは厳しいと思う。驚いたのはBの会話文中の「ンクルマは、日本ではエンクルマとも呼ばれます」という表記。センター試験時代から含めて「ンクルマ」の表記は初めて目にした。問6の選択肢「う」の「ムスタファ=ケマルが服装の改革を行ったのは、ローマ字の採用と同じ政策の一環である。」という選択肢は、「西欧化」というメタな認識を問うよい問題であった。「え」の選択肢は簡単すぎるが、世界史Aである以上は妥当だと思う。問9は読めばわかる系の問題なので、国語の問題だと揶揄されそうだが、読むためには中国史の素養が必要だと思うので、国語ではなく歴史の問題だと思う。資料・選択肢ともに、読解力をみる世界史Aの問題として、よく練られた問題である。この問題をみていると、「読めば分かる」というのはわれわれ教員が日常的に教科書などを読んでいるからであり、受験する高校生にとっては、簡単とは言えないのではないかという気がしてくる。

 第2問のテーマは、「歴史上の国民や国家」。Aは佐藤卓己先生の『ヒューマニティーズ 歴史学』の一部を要約したものをもとに先生と生徒が会話している文章である。ナチ党の日本語訳は国家社会主義ドイツ労働者党ではなく国民社会主義ドイツ労働者党であり、「(フランス人権宣言)以来の健全な国民主権や民主主義の政治的伝統の上に、ナチズムは登場したのである」、という指摘と、その部分を補足して問10につながる赤木くんの言葉は深い。話題となった田野大輔先生の論考[https://gendai.media/articles/-/69830]を再読したい。とてもよい文と設問だが、あまり目立たない「世界史Aの追試」であることが残念だ。 Bは、戊戌の変法を進めた梁啓超が日本で発表した文章の要約とをもとに、先生と生徒が会話する文章。一般的な説明に対して具体例を答えさせる問5もよい問題だが、正解以外の選択肢が「事実として間違っている」のでちょっと残念。他の選択肢を工夫して、世界史Bの問題として出題したいところ。問6も、第1問の問9同様に、世界史の素養を必要とする読解問題。今回の第2問A・Bのように、資料をもとに教師と生徒が会話するという形式は、様々な発見があってとてもよかった。

 第3問のテーマは「20世紀を動かした政治家」。世界史Aらしいテーマだ。かつてのセンター試験のようなオーソドックスな問題が目立ったが、問9のEC・EUに加盟した国を示した地図を年代順に並べる問題は難問。会話文の「マルタ共和国は2004年にEUに加盟し」「旧社会主義圏の東欧の国々がマルタ共和国と同じ時期にEUに加盟」という内容からb→cという流れは判断できるが、aがbとcの間にくるという判断は難しい。EFTA加盟国という中途半端な知識では、かえって間違えそうな気がする。

 第4問はのテーマは、「統計資料を通じた歴史理解」。ラストにグラフなど統計データの読み取りという面倒な問題が並んでいるのはなかなかキツい。Aは表とグラフが並んで示されているが、ダブル読み取りではなくそれぞれ単独の読み取りなので、読み取り自体は難しくない。しかし、問1は読み取った結果とその要因を組み合わせるという合わせ技問題で、「い」を読み取ったあとに知識を使うことになる。問5も同様で、単に「グラフをみればわかる」という問題でなない点はよいが、最後にこうした面倒な問題がくるのは大変。問3は、「グラフから立てられる問い」と「問いに対する仮説」の内容を完成させる問題で、歴史総合を意識した問題。問6は、ポルトガルの植民地を答えさせる問題で、かつてセンター試験時代に世界史Bでよく出題されていたアンゴラを答えさせる問題。エジプトとリベリアはともかく、(アフリカではないがポルトガルの植民地である)東ティモールを選択肢に入れているのがエグい。世界史Aのみ履修者で、ここまで手が回っている受験生がいるのだろうか....

 教員の視点からは良問が多く、作問委員の先生方はかなりご苦労されたと思う。その結果、受験した高校生、とりわけ世界史Aのみ履修者には相当厳しい問題だった。




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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史B) [大学受験]

 今年の共通テスト世界史Bは31ページで、センター試験の時代と比べるとだいたい5ページくらい増えた。約20%の増加である。問題数は34と例年通りで増えたのはリード文だが、センター試験時代の世界史Bはリード文や図は問題と関係ないことが多く、読まなくても解ける問題が多かった。そのためかつてのセンター試験では、設問とリード文の乖離がよく批判されていた。一方で、様々に興味深いトピックやメッセージ性を感じられるリード文も多く、出題者の個性が感じられたものである(2007年本試験第4問Bの紅灯照や、2006年本試験第1問Cのアラビアンナイト翻訳の意味、エリック・ウィリアムズやマルク・ブロックなど)。私が大学入試センターの問題評価委員をしていたとき、「リード文と問題との乖離など、そんなに重要なことではない」という意味のことを書いたのは、リード文と設問の結びつきに拘りすぎると、面白いリード文が読めなくなるのではないかと思ったからである。その意味で、今年の共通テスト世界史Bのリード文は、題材も面白くかつ読まないと解けないという点で良問だった。とりわけ地中海世界で使用された貨幣にみられる共通性や、フランス国王の紋章と系図の組み合わせは、興味深い題材であった。

 知識と読解力の両方が必要という問題が多いが、読解力の中身は持久力(読むのを面倒くさがらない能力)と情報処理能力(知識活用能力)と言えるかもしれない。文章中から時期を特定できるデータやカギとなる用語を見つけ出す能力だが、これは共通テストタイプの問題を繰り返せば身につくと思う。なかでも時期を特定できる力が求められる場面が目立った(これは世界史Aも同じ)。しかし学習持久力は身につけるにはどうすればいいのだろう。第4問Bのマラトンの戦いの、23と25の問題、知識はあってもそれを使わないと正解にたどり着けない。長々と書いてある文章を正しく要約して、まとめる能力か。27などは、「べーダが731年頃に執筆」という冒頭の言葉から、資料1→資料2はわかるが、その間に資料3がくることはあとの文章を読まないと特定できない。こうなってくると、先に設問をみて、あとから問いに沿って資料やリード文を読んだ方がいいのではないかとも思う。
 一つ共通テストとしてちょっと難しいか?と思ったのが3。ニュージーランドで女性が参政権を獲得したのはリード文中にあるように1893年で、自治領となったのはこの年よりも前か後かを判断させる、という問題。イギリスの植民地で最初に自治領となったのはカナダだったというのはよく知られている。1998年の筑波大で 「1840~1870年代の時期の大陸国家としてのアメリカ合衆国の発展」が出題されたとき、指定語句の一つが「カナダ連邦の形成」だった。 カナダの場合は、南北戦争後にアラスカ購入など拡大の傾向を見せるアメリカに対抗するための自治領化であるが、ニュージーランドについては自治領化の背景としてあまり思い浮かばない。強いてあげれば、オーストラリアの自治領化は移民制限法(白豪主義)の成立と同じ1901年なので、それとあまり違わないのではという推理か。

 適度な知識と読解力が必要で、知識不要の問題はみられなかったという点で、よい問題だったと思う。しかし一方で、果たしてこれでいいのかという思いも残る。そんなに深い知識がなくても答えることは可能だが、そのためには読まなければならない。難しくはないが、面倒くさい。これだけ面倒くさい問題が多いと、受験生は世界史を敬遠するのではないだろうか。どの大学のどの学部を受ける人でも共通の問題を課す、という共通テストの性格を考えれば、もう少し取り組みやすい問題でもよかったと思う。

 なお、私が高校時代に使用した教科書『世界史 三訂版』(三省堂、昭和56年3月30日3版発行)では、「ムアーウィ」という表記だった。
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今年(2023年)の共通テスト問題(世界史A) [大学受験]

 世界史Bは世界史探究に引き継がれていくが、世界史Aを引き継ぐ科目はなくなる。大学入試センターが発表した「令和7年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テストの出題教科・科目の出題方法等の予告」によれば、令和7年度も「経過措置科目」として「旧世界史A」として出題されるそうだが、現在の高校1年生は「旧世界史A」を受験することはできない。したがって、共通テストで世界史Aが出題されるのは事実上来年までということになる。最終盤を迎えつつある世界史Aの共通テストは、いったいどういうものだったのだろうか。

 大まかに言うと、かつてのセンター試験時代の世界史Aと比べて難しく、かつセンター試験の名残が感じられる試験という印象だった。

 第1問は「史跡をめぐる歴史」。問題番号1・2・4はセンター試験的である。3の「野中がパリ万博に関わった理由」を問うのは、板野さんの発言に「肥前の地の大半は佐賀県だったよね」とあるので、このことを問う必要はあまり感じられない。5のハングルに関する設問の選択肢に「日本で仮名文字が成立した時期」があるが、これは中学校で学ぶ歴史分野の知識である。3と5は、歴史総合を意識した問題なのかもしれない。6もセンター試験的だが、受験生は①か②かで迷ったと思われる。大韓帝国という国号は、日清戦争後の下関条約で、清朝が朝鮮の独立を認めたことにより使用された。したがって、②は日清戦争の契機となった事件であることから大韓帝国以前の出来事であり、正解は①となる。しかし世界史Bであるならまだしも、世界史Aでこれを問うのは少々酷ではないだろうか。確かに会話文と問題番号5の選択肢「清からの独立」という観点からは、至極妥当な問題であるが、勤務校で使用している世界史Aの教科書『高等学校 改訂版世界史A』(第一学習社)では、(日露戦争の後に)「日本の韓国併合」の文脈で大韓帝国という語句は登場しており、難易度は高い。

 第2問はやや抽象的なテーマで、リード文には「近現代における国のあり方」とある。全体的に知識を問うセンター試験的な問題が多く、中でも8・9・13・14と歴史事象が起こった時期を問う問題が多い。 中東戦争に関する問題の7は、正解である②以外の選択肢が時期的に違っていることから正解を導くことが可能だが、正攻法だと「第三次中東戦争でイスラエルがシナイ半島を占領した」「第四次中東戦争が石油危機の原因となった」という流れを把握しておく必要があるため、やや難しい。スエズ戦争(第二次中東戦争)を問うた第4問の27ともに、中東問題の正確な把握が必要だった点は、世界史Aのみ履修者にはキツかったのではないだろうか。12は図版資料の読み解きで、いい問題だと思う。③は事実として間違っており、①④は図を見て誤りを判断する。ラーマ4世、ラーマ5世の近代化政策という知識を使って、力業で②を正解とすることも可能ではあるが。15は正直あまり好きな問題ではない。史実として間違っているのは②だけで、①④は史実としては正しい。「地図上から消えてしまった国」という条件に合致しないから誤りということだろうが、史実としては正しい選択肢を誤りと判断させるためには、問い方にもう少し工夫が欲しかった。
 
 第3問は「旅行経験から学ぶ歴史」。16はマウリヤ朝や扶南、「インダス川流域のモエンジョ=ダーロ」「アーリヤ人のガンジス川流域進出」など、世界史Aのみ履修者には厳しい問題だった。17はセンター試験時代の世界史Bのような問題。日露戦争後のベンガル分割令反対運動におけるスワラージ・スワーデシの運動、第一次世界大戦後のローラット法反対のガンディーによる非協力運動、プールナ=スワラージ翌年の塩の行進といったインド独立運動の流れを把握しておくことが要求された。やはり「○○はいつ起こった」という時代を問う問題に行き着く。その一方で、19は「いつ」だけではなく「どこ」も抱き合わせで問われた点でセンター試験的。選択肢4つのうち、トルコとイランが2つずつ。③は20世紀のことなので誤り、というわけだが17の選択肢にあるウラービーをはじめ、30のマフディーなどイスラーム圏の民族運動の整理まで世界史Aのみ履修者は手が回っていなかったのでは。18はメモの「ベンガル地方の東部ではイスラーム教徒が、西部ではヒンドゥー教徒が住民の多数を占めるようになっていた」という文から、「西がインド」ということになり正解は②か③のどちらかだろうという想像はつく。しかし正解にたどり着くにはもうひとつ知識が必要で、「ベンガル分割令の公布から40年後」にベンガル地方に成立するのはパキスタンなのかバングラデシュなのかを判断しなければならない。結構大変。20はまさに「国語の問題」。エルギン=マーブルは昨年末に返還の報道が流れたが、その後どうなったのだろう。22~24は、メモ1=五四運動、メモ2=大躍進、メモ3=天安門事件の正確な内容把握が必要。陳独秀が中国共産党を結成するのが五・四運動直後の1921年であるため、22は時代で判断することが可能である。しかしメモ1~3のいずれも「近代中国の運動」について述べてあるため、自分自身で整理しておかないと混乱してしまいそう。

 第4問は「歴史上の移動や流通」というどこかで見たようなテーマ。ただコロナウイルスやスエズ運河の事故など切り口は新しい。26はスエズ運河開通の年代(1869年)さえ知っておけばなんとかなるが、逆にそれを知らないと厳しい。27は年代を知らなくても、「スエズ戦争はナセルのスエズ運河国有化宣言を契機に始まったので、スエズ戦争は「え」のあとにくる」という判断(=⑤⑥は誤りという判断)はできそうだが、それ以上はやはり知識が必要となる。28は、まずウの都市が広州という判断がつかないと始まらない。29は、センター試験の時代によく見られたグラフを使った年代問題。Xが第一次世界大戦中の出来事で、清仏戦争が1884年という知識は、世界史Aのみ履修者には厳しかったと思われる。

 全体的に日本史と絡めた問題と時代を問う問題が多かったが、「フランス革命と明治維新はどちらが先か」的な知識は歴史総合でも必要となる。来年は実質的に共通テスト世界史A最後の試験となるが(一応再来年の経過措置は予告されている)、おそらくこの流れは続くだろう。有終の美を飾るにふさわしい問題を期待したい。
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明治図書『教育科学 社会科教育』2022年9月号 [授業研究・分析]

 雑誌『教育科学 社会科教育』2022年9月号は、とてもよい特集号だった。この雑誌を欠かさず講読してきたわけではないが、歴史関係をはじめ面白そうな特集号の時はだいたい買ってきた。その中でもわかりやすく、読み応えがある特集だったと思う。「歴史総合の授業をどうするか」という私の目下の関心事にそっていたこともあるだろうが、この4月から実際に「歴史総合」が始まり、諸先生方の実践も研究会等で俎上に上るようになったことから、なるほどと思わせる論文が多かった。いずれも5㌻程度の分量であるためまとまっており、読みやすい点もよかった。
 最初の5本は授業デザインについて述べられているが、1999年11月号の「歴史理解のコードをどう育てるか」という特集と比べると、この約20年間の歴史の授業に対する考え方の変化がよく分かる。1999年というと、私が教育委員会から鳴門教育大学大学院(徳島県)に派遣されていた時期だが、20年前も現在も「歴史的な思考力を育成して歴史に対する理解を深めることで、現代の諸課題も考察できるようにする」という目標はあまり変わらないように感じる。が、20年前は内容理解を通じて歴史理解をめざす授業がほとんどだった。本号に掲載されている最初の5論文からこれからの授業で留意すべき点を私なりにまとめると、
  ・内容指向から資質・能力指向へ(覚えるから考えるへの転換)
  ・歴史を大観できる学び
  ・歴史と社会だけでなく、歴史と生徒との関係も視野に入れる
 20年前には「歴史と現代社会との関係」を考えることはあっても、「歴史と生徒自身との関係」を授業で扱うことは念頭になかった。宮本英征先生によれば、これは構築主義的思考とよぶそうだが、二井正浩先生が「自分事」と述べておられることに通じる。二井先生も述べておられるように、「私たち」という点からも、この視点は必要だと思われる。

 具体的な授業プランとして小中高あわせて17本(うち高校は4本)が掲載されているが、中学校の授業プランはそれぞれに興味深い。ただ高校の4本のうち、日本史探究の日本史は、「私たち」という点から歴史総合的でもあり、一方で歴史総合の日本史は探究的な印象も受ける。これらの授業プラン、特に小学校明治時代と日本史歴史総合の2本を、『近現代史の授業改革2 特集:世界史の中の日露戦争』(社会科教育1995年12月別冊、明治図書)の内容と比べると、時代の変化を感じてしまう。

 今回の特集には「歴史好き」という言葉がたびたび出てくる。筆者の先生方には、2006年秋から翌年にかけて発覚した世界史未履修問題を念頭に「歴史の授業を変えたい」という思いがあるように感じられる。このこととの関連では、冒頭の宇都宮明子先生の文章の「おわりに」が印象深い。教師生活が長い教員が「今の授業ではダメだ」と言われると、これまで数十年にわたるの教員生活すべてを否定されたような気分になるのかもしれない。歴史系科目の趣旨を生かすためには、教科教育学や歴史学以外の視点も必要かも。


 
社会科教育 2022年 09月号 (子どもを歴史好きにする! 見方・考え方を働かせる歴史授業)

社会科教育 2022年 09月号 (子どもを歴史好きにする! 見方・考え方を働かせる歴史授業)

  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2022/08/08
  • メディア: 雑誌



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木畑洋一『二〇世紀の歴史』 (岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

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 20世紀を帝国主義の時代ととらえ、その時期を1870年代から1990年代までと設定し、この時期の歴史的な動きを新しい視点でわかりやすく説明した好著。本書では、帝国主義が始まった1870年代から、ほとんどの植民地が独立を達成した1990年代までを「長い20世紀」とし(ホブズボームの「短い20世紀」との対比)、支配と被支配(従属)の関係を叙述の軸としている。ソ連の崩壊(1991年)も、ソ連という支配と東欧諸国という被支配の関係の終焉とする視点は興味深い。
 「長い20世紀」を①1870年代から第一次世界大戦(帝国主義世界体制の形成期)、②第一次世界大戦から1920年代(動揺期)、③世界恐慌から第二次世界大戦(動揺激化期)、④第二次世界大戦の終わりから1990年代初め(解体期)の4期に分けて説明されているが、この分け方もわかりやすい。さらにそれぞれの時期で、ヨーロッパ(アイルランド)・アフリカ(南アフリカ)・アジア(沖縄)の諸地域における支配と被支配の様相を定点観測するという叙述もよく整理されている(1942年に旧日本軍の特殊潜行艇がマダガスカルまで遠征していたとは驚いた)。これまでは、この時期のアジアは中国(清朝)を取り上げるのが多かった。しかし現在の日本に含まれる地域で、「長い20世紀」を通じて常に戦争と暴力にさらされてきたのは沖縄であり、この地域を取り上げた点に著者の眼差しが感じられる。。興味深いトピック(暗黒大陸ではなかったアフリカ、ジェントルマン資本主義、ジンゴイズムなど)がさりげなく(深入りせずに)紹介されている点もよい。
 新書としては難しい、秋田茂先生の『イギリス帝国の歴史』(中公新書)は、本書を読んだ後に読むと、よりよく理解ができるように思われる。さらに言えば、本書→川北稔・木畑洋一『イギリスの歴史』(有斐閣アルマ)→『イギリス帝国の歴史』と読み進めると、「大英帝国」というワードをこれまでとは違ったイメージでとらえることができるのではないだろうか。


二〇世紀の歴史 (岩波新書)

二〇世紀の歴史 (岩波新書)

  • 作者: 木畑 洋一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/09/20
  • メディア: 新書



イギリス帝国の歴史 (中公新書)

イギリス帝国の歴史 (中公新書)

  • 作者: 秋田 茂
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/06/22
  • メディア: 新書






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逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房) [歴史関係の本(小説)]

 物語の舞台は、独ソ戦。女性だけで構成された狙撃手小隊「第39独立親衛小隊」は、スターリングラードからケーニヒスベルクなど激戦地を転戦し、ナチス=ドイツとの「大祖国戦争」を戦い抜く。小隊メンバーはみな凄腕で、過酷な訓練と困難な作戦を成功させていくものの、一方で主人公の悲しみや苦しみ、そして逡巡が丁寧に描かれており、「痛快な冒険小説」「少女たちの成長譚」「武勇伝的な英雄譚」には終わっていない。とりわけ印象深いのは、同じ人間の中に天使と悪魔が同居しているかのような描写。戦争における人間とは、こうしたものかもしれない。また、戦史に詳しい人が読めば誤りもあるかもしれないが、ディテール豊かな戦闘シーンのハラハラドキドキ感は、エンターティメント小説としてもぬきんでている。

 作者は新人だそうだが、相当勉強しているなと思わせられるのは、エレノア・ローズヴェルトの扱い。肯定的に描かれてはいるものの、単にエレノア礼賛に終わっていない点は、フェミニズムがテーマの一つでもあるこの小説に深みを与えている。
2012年度センター試験世界史B(追試験)第3問Cのリード文より。

 国家元首の配偶者のなかには,自ら政治的・社会的な指導者としての資質を発揮する者もいた。アメリカ合衆国においては,フランクリン=ローズヴェルトの妻エレノアがその好例である。黒人や女性,失業者などの権利や福祉について関心の高かった彼女は,ニューディールの様々な政策に関して頻繁に夫に助言した。また,人権活動家として執筆活動なども行い,単独で行動することも多かった。夫の死後は,国際連合の人権委員会の委員長として,世界人権宣言の取りまとめに尽力した。
 
 エピローグの静謐さが、内容の社会性ともども胸に迫る。大きな流れの中で個人はどう生きるべきか。とりわけ今現在的な意味をもつ「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか、とセラフィマは思った。」という一文は、多くの読者の記憶に残ることだろう。そして、昨年のNHK『100分de名著』で取り上げられた『戦争は女の顔をしていない』に続く「物語の中の兵士は、必ず男の姿をしていた」までの4行も印象深い。主人公が現代的すぎる感もあるが、それこそが今日的な作品であることの証左であるように思える。したがって、巻末の選評に「タイトルが平板であることが気になる」という意見もあったが、このタイトルは物語の内側における呼びかけ」」のみならず、読者それぞれに対しても向けられた言葉だという気がする。

 ドイツ兵士とソ連女性との物語は、 フョードル・ボンダルチュク監督の『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年)を思い出した。




同志少女よ、敵を撃て

同志少女よ、敵を撃て

  • 作者: 逢坂 冬馬
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2021/11/17
  • メディア: 単行本



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今年の東大の問題(第1問) [大学受験]

 今年の東京大学の世界史、第1問は、「8世紀から19世紀までのトルキスタンの歴史的展開」を問う問題であった。内容分析その他は駿台予備校による分析シートが詳細で、さらに考え方も明記してありとても良い。高校生に解説をするときにも自分でアレンジして使えそうだ。

 「トルキスタン」という言葉はよく目にするが、具体的な地理的範囲は?と問われると私自身もなかなか怪しい。山川の『詳説世界史』によると、トルキンタン=だいたい中央アジアで、パミール高原を境に東西にわけられる。西トルキスタンはソグディアナに相当し、現在はウズベキスタン共和国、東トルキスタンがタリム盆地(ほぼタクラマカン砂漠)で中国の新疆ウイグル自治区に相当する。駿台の分析シートには、「最近では中央アジアに替わって内陸アジアという表現が用いられるようになっている」とあるが、教科書では「中央アジア」「内陸アジア」「中央ユーラシア」といった表現が混在している。駿台の分析シートには、「冬期講習で行った論述問題で受講生が最も使えなかった用語がトルキスタンだった」とあるが、このような曖昧さも理由の一つだという気がする。

 古い本だが、羽田明他『西域』(河出書房新社)によれば、広義の西域はヨーロッパも含めて中国より西の地域はすべて含まれ、狭義の西域は東トルキスタンすなわちタリム盆地を意味する。ただし、時代によっては西トルキスタンも含んだ中央アジア(海とつながっていない内陸河や内陸湖が分布している地域)全体を指し、「現在のことばでいえば、内陸アジアというのに近い」とある。問題のリード文には「内陸アジアに位置するパミール高原の東西に広がる乾燥地帯」とあるので、内陸アジアという呼称がよいのかもしれない。

 このトルキスタンが重要な点としては、リード文にもあるように、ユーラシア大陸の交易ネットワークの中心として、様々な文化が交錯する場であったこと、つまり東西文化交流の媒介地域であったことがあげられる。そしてもう一点は、とかく対立の文脈で語られてきた農耕民族と遊牧民族が共生してきた、もう一つの文化交流があった地域であるという点である。以下、2011年度センター試験世界史B(本試験)の第4問Bのリード文より。

 8世紀にモンゴル高原に興ったウイグルは,ソグド人の商業活動を保護するとともに,ソグド人の文化から大きな影響を受けた。ウイグル文字がソグド文字に由来することや,マニ教を受容したことは,その表れである。9世紀中葉以降,ウイグル人をはじめとするトルコ系遊牧民が中央アジアへ移住すると,彼らの支配下に入ったソグド人・トカラ人・漢人らの定住民もトルコ語を話すようになり,中央アジアのトルコ化が進行した。一方,トルコ系遊牧民も,定住民から商業・交易上の慣習や行政制度,さらには仏教やイスラームなどの諸宗教を受容し,遊牧文化と定住文化を融合させていったのである。

今年の問題で一番迷ったのが、指定語句の「宋」の使い方。宋とトルキスタン地域との関わりが思いつかなかった。河合塾・駿台ともに、宋と金によって滅ぼされた遼の一族がトルキスタンで西遼を建国したという形で使っている。なるほど。
1996年度センター試験世界史(追試験)第1問Bを思い出した。

問5 下線部⑤に関連して,サマルカンド地方を領有した勢力を,年代順に正しく並べているのはどれか。次の①~④のうちから一つ選べ。
   ① カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――サーマーン朝
 ② サーマーン朝――カラ=ハン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国
 ③ カラ=キタイ――サーマーン朝――カラ=ハン朝――チャガタイ=ハン国
 ④ サーマーン朝――カラ=キタイ――チャガタイ=ハン国――カラ=ハン朝


 河合塾の二次私大解答速報は過去の内容まで閲覧できるが、駿台の掲載は一年間だけというのが残念。分析だけでもずっと読めるようにしもらえるとうれしい。
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武井彩佳 著 『歴史修正主義~ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 「歴史修正主義は、質は悪いが、歴史に関する言説には違いない」(本書177㌻)以上、高校の授業で遭遇することもあり得る。「多面的に物事を考えた」結果、ホロコースト否定論を支持する生徒がいるかもしれないし、あるいは調べ学習の参考資料にトンデモ本を使う生徒がいるかもしれない。知的レベルが高い生徒でも、こうした事例は見られる(もっともその背景にはイデオロギー的なものよりも、「通説を批判する」とか「既存のものではない」「主流から外れた」オルタナティヴのカッコよさにあこがれるという気持ちを感じた)。「歴史修正主義といかに向き合うか」(著者である武井彩佳先生がWINEで行った講演のサブタイトル)は、高校で歴史の授業を担当している私にとって、真剣に考えなければならないテーマである。

 本書の内容は著者が「あとがき」で整理している三点だが、特に法規制を扱った第6章・第7章からは著者の思いが伝わってきて、意気に感じる。言説の法規制の問題は、民主主義を守る上でも考えていかなければならない問題。
 WINEの講演会がツイッターで告知されると、(本書の発売前にもかかわらず)否定的なリプライが寄せられ[https://twitter.com/WineWaseda/status/1447853438902042625]、茶谷さやか先生のツイートに対しても同様だった[https://twitter.com/SayakaChatani/status/1451462410955472900](茶谷先生が女性なので、よりいっそう攻撃的なリプがついたようにも思う)。本書の「まえがき」やWINEの講演でも触れられていたが、日本では「歴史修正主義」という言葉がホロコースト否定を含んだ広い意味で使われているため、結構な誤解があるように感じる。その意味でも、本書が好評なのはよいことだと思う。

以下、私のメモ。
序章「歴史学と歴史修正主義」:歴史との向き合い方
  ・歴史とは全体像 
    ジグソーパズルのピースだけをみても全体像はわからない
    しかし、ピースが一部欠けていても全体像は確認できる
  ・「事実」と「真実」の違い
  ・歴史は解釈であり、記述は変わる
   (近世日本の士農工商に関する記述などが、それに該当するだろう)
第4章「ドイツ歴史家論争」:歴史修正主義と保守的な歴史解釈との線引き
  ・ノルテの立場・・・・ホロコーストの否定はしないが、相対化する
   ただし、実証を欠く=「問いは立てるが証明はしない」(130㌻)
  ・不正を矮小化することは、歴史の政治利用につながる
   現在に奉仕させる歴史を書くことは悪いことなのか?(133㌻)
   →ナショナル・ヒストリーの限界・・・・対立を再生産する可能性がある
第5章「アーヴィング裁判」
  ・165㌻のルドルフ・ヘスは、元副総統とは別人
・アーヴィングへの判決文(170㌻)

【映画『否定と肯定』】
 ホロコーストは「denial」とも言うそうだが、アーヴィング裁判を扱った映画『否定と肯定』の原題は『Denial』なので、映画の邦題は元の意味からかなり離れている。本書では映画『否定と肯定』に触れておらず、自分の筆一本で立ち向かおうという著者の気概が感じられた。本書を読むと、映画の中でアーヴィングが「ヒトラーがホロコーストを支持した証拠をみつけたら賞金を出す」と言っていたのが歴史修正主義のよくある手法であることや、アーヴィング裁判でホロコーストで生き残った人々が証人席に立たなかった理由がよく理解できた。映画で法廷弁護士ランプトンがアウシュヴィッツを歩くシーンはとても印象深いが、本書の「あとがき」における著者のアウシュヴィッツ体験が映画とは対照的なのも興味深い。
    映画『否定と肯定』について   https://diamond.jp/articles/-/184804

【高校における歴史の授業をどうするか】
 WINEの講演会でも話題になったが、多様な解釈を容認する以上、「歴史総合」の授業で歴史修正主義的な意見が出ることはあり得る。解釈の積み重ねは重要だが、映画『否定と肯定』のパンフレットに木村草太先生が書いている両論併記の弊害についても考え込んでしまう。かといって、歴史的な事実とされる資料を並べても、その選択自体に教員の解釈が入り込んでいる以上、「理論批判学習」[https://home.hiroshima-u.ac.jp/~kusahara/kusalab/class/2016/curri/06-3.pdf]が「批判」になることは少ないだろう。授業で提示する資料の選択をどうすればよいのだろうか?



歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書, 2664)

歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書, 2664)

  • 作者: 武井 彩佳
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2021/10/18
  • メディア: 新書



否定と肯定 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 株式会社ツイン
  • 発売日: 2018/06/20
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  • 発売日: 2018/06/20
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「歴史総合」のサンプル問題 [大学受験]

 武井彩佳先生の『歴史修正主義』(中公新書)を読んでいて、大学入試センターが昨年公表した歴史総合のサンプル問題を思い出した。同書133㌻の「ナショナル・ヒストリーの限界」で指摘されている点は、サンプル問題の最後の問題(第2問・問6)とつながるように感じられる。

 大學入試センターによる「歴史総合」のサンプル問題[https://www.dnc.ac.jp/albums/abm00040337.pdf]はとてもよく出来ている。『学習指導要領解説・地理歴史科編』[https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002620_03.pdf]の124㌻に示されている「社会的事象の歴史的な見方・考え方」の視点や方法
  ①時期,年代など時系列に関わる視点
  ②展開,変化,継続など諸事象の推移に関わる視点
  ③類似・差異など諸事象の比較に関わる視点
  ④背景,原因,結果,影響,関係性,相互作用など事象相互のつながりに関わる視点
  ⑤現在とのつながり
がしっかりと取り入れられており、 問題をつくった先生方の工夫と熱意=本気度が伝わってくる問題である。

 世界史教師には良問だが、世界史受験生にはキツい問題というのが印象。実際の授業の場面を用いて、資料やデータを読み込んでいく問題は、長い文章が読めない生徒にはキツい。内容も単純に暗記だけでは解けず、センター試験の時には読み飛ばしても大勢に影響がなかった資料文も丹念に読まなければならない。一方で、第1問の問1など中学校時代のベーシックな学習が抜けていたら間違ってしまうような問題もあり、気が抜けない。さらに資料同士の比較検討など、相応の訓練が必要となるので、これまでのセンター試験時代の世界史Aの問題とは、まったくもってレベチである。極めつけは「近代化と私たち」を教育制度で考察する前述の第2問Bでの問6で、メタレベルを問う問題になっている。

 実際の共通テストでは「日本史探究」「世界史探究」「地理総合・公共」との抱き合わせで行われるので、「歴史総合」の分量としては、それぞれサンプル問題通りの10問くらいだろうが、「歴史総合」を含む科目、とりわけ「歴史総合・世界史探究」で受験する生徒は減るような気がする。これまで「世界史Aならなんとか点が取れるかも」だった層が、「歴史総合・世界史探究」で受験することはなくなるだろう。もっとも、もともと世界史Aの共通テスト受験生の数は極めて少なく(昨年度は第一日程で1544人、第二日程で14人)、作問の苦労に見合わないのが実情だったので、現実に即したという見方もできる。

 元日の朝日新聞紙上の岩波書店全面広告[https://www.iwanami.co.jp/news/n45189.html] が話題だが、歴史的な見方考え方はすべての人に大切なことだと思う。それは「歴史総合」の成否にかかっているが.....。

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社会科教師教育研究の動向と課題 [その他]

 四捨五入すれば還暦という年齢になり、教師生活も残り僅かとなった(段階的定年延長がスケジュール通りに進めば、昭和41年生まれの私は64歳が定年になるが)。この年齢で正担任と部活顧問(野球部部長=責任教師)を抱えていると、教師としてのスキルアップなどはついつい後回しになる(はっきり言うと、優先順位は低い)。現在は社会系教科教育学会・全国社会科教育学会の会員だが、学会誌を読む時間的・体力的な余裕もなく、ましてや研究大会に参加する余裕などまったくない。そろそろ退会しようかと思っていた。これまでは課外授業による時間外手当があり確定申告を毎年行っていたため、こうした学会の会費も必要経費として計上することができたが、それもなくなった。退会するいい機会かな....と思案していた中、先日届いた『社会科教育論叢』(全国社会科教育学会)の特集「社会科教育研究の動向と課題」はなかなか面白かった。特に興味深かったのは、以下の二つ。

 ・渡部竜也「教員養成カリキュラムの研究と実践-教科教育の有効的関係の構築を目指して」
 ・南浦涼介「自主的研究組織と社会科教師の多様性-あるいはSNSという対抗的公共圏からの学会へのまなざし」

 この二つの論文が目にとまった背景には、渡部先生(https://twitter.com/qi2yXOPeY1zkJ9J)と世界史教師のボリバル先生(https://twitter.com/world_history_k)とのツイッター上でのやりとりがある。正直お二人の意図を正確に読み取ることもできていないので、どちらがの意見がいいとも言えないのだが、お二方とも真摯な取り組み(=よりよい授業をつくっていきたいという思いが感じられる取り組み)を行っている。しかしそのことが、現場教師と研究者との意識の違いを際立たせることにつながったように私には感じられるのである。

 渡部先生の論文には、私が知っている先生方のお名前が登場して、まずは懐かしい思い。「静観型」に分類されている溝口和宏先生とは、新潟大学で行われた日本西洋史学会の第57回大会でご一緒させていただいた[http://www.seiyoushigakkai.org/2007]。鹿児島大学で行われた全国社会科教育学会の研究大会でもお世話になった。また「消極的介入型」に分類されている梅津正美先生とは、共同で発表(社会系教科教育学会)と論文執筆を行ったことがある[https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5975291-00]。溝口・梅津両先生の授業プランについてはこれまでも知る機会があったが、私が現職の教員ということもあり、お二人が教員養成系大学で教師教育をどのように進めているかを知る機会はなかった。それゆえ、お二方それぞれの授業プランと、本業?でもある教員養成との関わりを考えることができてなかなか興味深かった。
 日本西洋史学会でのシンポジウムで司会をされたのは、児玉康弘先生だったが、渡部先生のウェブサイトを拝見したところ、児玉先生は渡部先生を批判していると。うーむ。
http://sswatanabe.web.fc2.com/first.html#%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98


 私は教員養成系大学(熊本大学教育学部)の出身で、ゼミは西洋史だったが社会科教育法の授業では「説明」の授業理論を中心に勉強した(担当の先生が広島大学出身だったので)。そのため、鳴門教育大学の大学院に派遣されて学んだ「意思決定」の授業理論にはなかなかなじめず、原田智仁先生の「理論批判」や児玉先生の「解釈批判」といった方法論にひかれたものである。そうした経験から、渡部先生がそれぞれの類型に対して述べておられる批判は、それぞれに理解できる。

渡部先生のツイッター上の発言を読むと、時々真意を測りかねる発言がある。しかし、渡部先生の論文を読むと、ツイッター上での発言だけではよくわからなかった先生の考えも、理解できるように思う(特に、4つの類型に対する批判の箇所)。渡部先生の著書については、斉藤仁一朗先生のウェブサイト[https://jinichiro15.com/]に詳しい(「感想メモ」の中)。社会科教育関係の本はここ10年以上読んだ記憶がないが、久しぶりに読んでみたいと感じた本。

 南浦涼介先生の論文を読んで改めて感じたことは「教師は基本的に勉強したいと思っている」ということ。多かれ少なかれ、教員は勉強が好きで、その楽しさをわからせたいと思って先生という仕事をしていると思う。しかしその一方で、自分を取り巻く様々な環境に対して不安を持っているのも事実。匿名性が重視されていることは、「身バレ」やトラブルを避けたいという意識の表れだろう。かつて私もツイッターの内容について、公的な機関から注意をされた経験がある。様々な意見を聞いて勉強したいが、あまり深入りはしたくないという若い先生方の思いと、現場の教師の力になりたいがなかなかうまくいかないという研究者の先生方との齟齬も感じられてモヤモヤする。
 教師教育研究が注目されているのも、新しい学習指導要領で教育内容のみならず方法まで示されたことで、勉強したいという学校現場の教師が増えたことがあるように思われる。そのことは、明らかに良いことだと思う。しかし私の周りでは、教員の会合でも学習内容の話題には花が咲くが、学習理論が話題になることはあまりない。世代交代を進めるべき時期に差し掛かっているのかもしれない。

 今回掲載されていた諸論文には、「ゲートキーピング」という言葉がたびたび出てくる。これは「カリキュラムや授業を目的や目標に応じて調整する教師の主体的な営み」という意味であると[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/39/0/39_107/_pdf ]。授業だけはなく、カリキュラムも含んでいるところが重要なのだろう。昨年受けた教員免許更新講習でも「カキュラム・マネジメント」の講座があったが、私にとってはクソだった。あと10年近く教員を続けるのはキツいな。

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今年の東大の問題 [大学受験]

 今年の東大第1問の要求は、地中海世界における3つの文化圏の成立過程を宗教の問題に着目しながら述べること。「宗教の問題」とは、「宗教をめぐる様々な葛藤が生じ、それが政権の交替や特定地域の帰属関係の変動につながることもあった」と説明されている。
 指定語句は、「ギリシア語」「グレゴリウス1世」「クローヴィス」「ジズヤ」「聖像画(イコン)」「バルカン半島」「マワーリー」の7つ。

今年の東大の問題(世界史) 読売新聞のサイト
https://www.yomiuri.co.jp/nyushi/sokuho/k_mondaitokaitou/tokyo/mondai/img/tokyo_zenki_sekaishi_mon.pdf

 地中海周辺に成立した3つの文化圏を扱った問題はこれまで様々に出題されてきたので、新傾向の問題が出るかとドキドキした分、ベタな出題に驚いた。思いつくだけでも、1995年の東大、1992年の一橋大、2003年の東京都立大など。横浜国立大が世界史の二次試験をやっていた頃「8世紀を中心とする時代の地中海周辺世界の政治状況を、次の5つの語を必ず一度以上用いて、400字以内で記せ。ただし、句読点も一字に数えること。アッバース朝、ウマイヤ朝、カール大帝、ビザンツ帝国、ローマ教皇」という出題もあった。過去問しっかりやった受験生はよく書けたのではないかと思う。

 「5世紀から9世紀」という短いタイムスパンなので、ここは時系列に書いていくという方針でよいと思う。ただし、それぞれの文化圏が確立した時期は明確にしておいたほうがよい。
   
5世紀:ゲルマン人の移動とゲルマン国家の分立(諸民族の大移動)、西ローマ帝国の滅亡、カトリックと結びついたフランク王国の発展  クローヴィス
     ↓
6世紀:ビザンツ帝国(生き延びたローマ帝国)のユスティニアヌス、ギリシア正教とギリシア語に基づくギリシア・ビザンツ文化圏の成立
      ↓
7世紀:イスラーム勢力の地中海進出(地域の帰属関係の変動)
     ↓
8世紀:ウマイヤ朝からアッバース朝へ(政権の交替)
     ↓ 
800年:カールの戴冠(ラテン・カトリック文化圏の確立)


要求は9世紀までだが、9世紀の地中海世界で書けることは思いつかない。さて何を書く? 代ゼミ・河合・駿台の各予備校が公開した解答例をみると、最後の一文は次のようになっていた。

代ゼミ:「両キリスト教会はバルカン半島に移住したスラヴ人への布教を進めて勢力圏拡大を競った。」
河合塾:「東ローマ帝国では、バルカン半島に南下したブルガール人やスラヴ人への布教を進め、コンスタンティノープル教会中心にギリシア語を公用語とする正教文化圏が形成されていった。」
駿台:「9世紀にはビザンツ帝国がスラヴ人・ブルガール人にギリシア語で布教を進め、ギリシア・ビザンツ文化圏を形成した。」

 なるほど、「バルカン半島」を9世紀で使うとのはよい考えだと思う。「9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。」としておく。駿台の解答例で使用されている「ギリシア・ビザンツ文化圏」という用語は、2003年の都立大のリード文でも「このように、7世紀後半から8世紀にかけて地中海世界は、ラテン・キリスト教文化圏、ギリシア・ビザンツ文化圏、そしてアラブ・イスラーム文化圏の3つの文化圏に分かれることになった。」と使用されているので、そのまま拝借。ただし「ラテン・キリスト教文化圏」という表現は、ギリシア正教もキリスト教なので「ラテン・カトリック文化圏」としたほうがよいのでは。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立時期は、代ゼミの解答例同様、ギリシア語が公用語となった7世紀としておく。代ゼミの解答例では9世紀が「勢力圏拡大」となっているのは、そのためだろう。

私が考えた解答例は以下の通り。

5世紀に入ると地中海世界ではゲルマン人国家が分立し、その混乱の中西ローマ帝国は滅亡した。代わって勢力を拡大したフランク王国は、初代クローヴィスがアタナシウス派に改宗したことから旧ローマ市民からも支持された。6世紀にはいるとユスティニアヌス帝のもとビザンツ帝国がヴァンダルや東ゴートなどのゲルマン国家を滅ぼして地中海帝国を回復した。その後帝国の勢力は後退するが、ギリシア語とギリシア正教に基づくギリシア・ビザンツ文化圏が確立した。対するカトリックも、グレゴリウス1世の布教でイングランドやゲルマン人に広がった。しかし7世紀になるとイスラーム勢力が進出し、シリア・エジプトをビザンツ帝国から奪ったことでアラブ・イスラーム文化圏が地中海世界まで拡大した。8世紀にはいるとイスラーム文化圏はイベリア半島まで拡大したが、ジズヤを免除されなかったマワーリーの不満が高まり、750年ウマイヤ朝はアッバース朝に交替し、諸王朝の分裂が進んだ。同じころキリスト教世界では、ビザンツ皇帝が聖像画(イコン)を禁止したことにローマ=カトリック教会が反発し、フランク王国に接近した。800年、ローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ皇帝の帝冠を授けたことによってラテン・キリスト教文化圏が成立し、地中海世界に3つの文化圏が成立した。9世紀にはバルカン半島のブルガール人がギリシア正教を受容し、ギリシア・ビザンツ文化圏は拡大した。
(596字)

 最後の9世紀の事例がとって付けたようで、おさまりが悪い。9世紀のことは何を書けば良かったのだろう。ギリシア・ビザンツ文化圏の成立を7世紀としている点で、代ゼミの解答例に近いかな。

【代ゼミの解答例】
https://sokuho.yozemi.ac.jp/sokuho/k_mondaitokaitou/1/kaitou/img/tokyo_zenki_sekaishi_kai.pdf

【駿台予備校の解答例】
https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/2021/tky1_sek_1.pdf

【河合塾の解答例】
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/21/t01-52a.pdf
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教員の労働環境と教員養成系大学の授業 [その他]

2月に入って、新聞の紙面では新型コロナウィルス感染症と教員の労働環境に関する記事が目立つ・教員の労働関連では、
  2月1日(月) 部活交通費 23府県不支給 熊本など
  2月2日(火) 教職員残業 上限超え4割 
          県高教組調査 1割は過労死ライン
  2月3日(水) 小学校教員採用 競争率最低
          19年度 多忙化 低迷の一因
と、熊本日日新聞には三日連続で教員の労働環境をめぐる記事が掲載されていた。極めつけは、2月4日(木)に掲載された岡崎勝先生の連載「学校のホンネ」の「コロナ禍 増える不登校 教師の疲弊が引き金にも」である。

 昭和41年生まれの私は、今年度2度目の教員免許更新講習を受けた。最近ではe-ラーニングや放送大学などオンラインによる研修も少なくないが、母校で受けてみるかと思い熊本大学教育学部で受講したところ、受講費をドブに捨てたようなクズ講習のオンパレード。わが母校ながら嘆かわしい限りだ。受講した5講座の中で唯一満足できたのは「地域研究の方法論」だけで、中でも最悪だったのが「教育の最新事情」。認定試験の問題が午前と午後でほとんど同じだった。当然同じ内容を書いたのだが、結果は「認定」だった。バカにするにもほどがある。
 今の学校は、児童生徒のだけでなく教員も児童生徒と同じくらいのキツさを感じていると思う。だがしかし、受講した教員免許更新講習や熊本大学教育学部の入試で行われた過去の面接試験をみると、「児童生徒をどうするか」オンリーで、教師に向けるまなざしがほとんど感じられない。大学で教員のメンタルヘルスに関する講義があっているのかと思ったが、話を聞く限りはそうでもない。まぁ大学の先生方からみれば、スマホ指導や主権者教育、部活に保護者対応とかICTとか、「大学で教えることじゃない」って思っておられるのかもしれないが、実際現場に出れば授業以外の業務が山のようにあるし、どうしていいかわからないことも多いと思う。教員志望の学生には、「同僚のパワハラで鬱になったらどうするか」とか、「管理職から監査の前に〇〇を強制されたときにどう対応するか」「生徒から先輩教師の不適切な言動の訴えがあったらどう対応するか」といった自分の身を護るすべも教えた方が、役に立つのではないか。

 教育実習に来る大学生を見ていると、「教師は勤務時間とか無視して当たり前」と思っている節がある。遅くまで残ってるし、教員の勤務時間を過ぎても当然のように訪ねてくる。これは大学側の教育不足とともに、われわれも彼らが高校生の頃に「教師は勤務時間とか無視して当たり前」という誤ったイメージを与えていたと反省している。昨年度末の職員会議でも述べたことだが、私の学年から夕方の課外授業後の自習と土日休日の自習をすべて取りやめたのは、教員の負担軽減ということだけではなく、高校生に対してのメッセージ発信という意味もあった。

 今日2月6日は熊本大学の学校推薦型選抜Ⅱ(共通テスト利用型推薦)なので、面接の練習に来た生徒に岡崎先生の「コロナ禍 増える不登校 教師の疲弊が引き金にも」を読ませて、養護教諭志望の生徒には「児童生徒のみならず、教師の心のケアにも心を配りたいこと」、小学校教員強制課程志望の生徒には「児童生徒だけではなく教師も含めて、学校全体が自己肯定感を持てる雰囲気を作るにはどうすればよいかを大学で研究したいこと」を述べてはどうかというアドバイスをしておいた。果たして大学の先生方に伝わるか?

 熊本大学教育学部の面接試験の内容を見てみると、児童生徒が抱える問題にあなたはどう対応するかといった質問がほとんどだ。大学に入ってから、「面接で尋ねられた問題には、教師としてどう対応するのが正解なのか」は示されているのか気になる。



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ブレグジットから一カ月 [授業ネタ]

 共通テスト第2日程の世界史Bでは、グーテンホーフ=カレルギーの『汎ヨーロッパ論』が取り上げられた(地図を見たとき東大1992年度第1問を思い出した)。カレルギーのことはウチで使っている第一学習社の資料集『グローバルワイド最新世界史図表』の「戦後の西ヨーロッパ」の項目で取り上げられているが、イギリスのEU離脱が発生したのがちょうど一年前の2020年1月31日、EUとの貿易協定が成立して(移行期間が終了)イギリスがEUから完全に離脱したのがちょうど一カ月前である。このタイミングでカレルギーを出題しようと考えたのであれば、出題者恐るべし。

 本日(1月31日)の新聞(共同記事)では、「英、EU離脱から1カ月」という見出しで、コロナとの二重苦で経済が混乱するイギリスの現状が報告されている。記事では現状のトピックとして、以下の点があげられていた。
【イギリス】
 ・貿易やビジネスに障壁、不満高まる
 ・スコットランドなどで独立機運
 ・「グローバルブリテン」戦略はコロナ禍が足かせに
【EU】
 ・「離脱の悪影響は当然」と英に冷淡
 ・在英代表部(大使館)の格下扱いに激怒
 ・外交・安保協力交渉、英に拒否される

 記事は「欧州の亀裂は広がりつつある」と結ばれているが、スコットランドの独立など英国内でも亀裂は進みつつある。イギリス国内は『歴史地理教育』2018年9月号でディヴィッド・ジョン・コックス氏が「悪循環が続きそうなイギリス」で予想したとおりになっているような気がするが、もう一点、共通テストでカレルギーを取り上げた第1問Bでヨーロッパだけでなくアジアの地図も示されているのを見て思い出したのが、コックス氏の「(イギリスの)ナショナリストたちは都合のよいところしか覚えていない」という批判。戦後イギリスの復興には、植民地出身の人々も貢献してきたという指摘である。
本日(2021年1月31日)のNHK「これでわかった!世界のいま」でもブレグジット後のイギリスの状況として、物流の混乱などの現状がレポートされていた。番組ではイギリス国内の企業、EUの企業、日本の企業の対応が紹介されていたが、経済面が中心であり人々の生活がどうなっているのかがあまり見えてこなかったのは残念であった。イギリスはTPPへの正式参加を表明するそうだが、イギリスがEU脱退を決めた本来の理由を思うと、2018年の上智大学TEAP入試の世界史で指摘されていた、イギリスの対ヨーロッパ政策のゆらぎはなるほどと思わせる。そしてさらに、今回の共通テストで示されたイギリスと西ヨーロッパが別ブロックになっている一方で、ドイツとフランスは同じブロックになっている地図を見ると、カレルギーの慧眼に驚く。
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齋藤幸平『100分de名著 カール・マルクス 資本論』(NHK出版) [歴史関係の本(小説以外)]

 東大の2019年の問題(大問1のリード文)や、内藤正典著『プロパガンダ戦争』(集英社新書)の第一章が言うように、冷戦が終結しても世界各地では紛争が絶えない。テロのような暴力、紛争、内戦はなぜなくならないのだろうか。その手がかりを得たのが、NHKラジオの番組「100分de名著」のカール・マルクスであった。放送第1回から第3回までの内容を読むと、世界各地で進む分断は資本主義の悪い面が表出してきた結果だという気がしてくる。一方で第4回で紹介されてた「コモン」や「アソシエーション」という言葉は、「分断」とは真逆に作用する力を持っているようにも感じる。

 私の中学生~高校生のころには『ゴルゴ13』などの影響で「ソ連や中国など社会主義国家には自由がない」というイメージがあって、私も「私有財産と経済活動に一定の制限を加える社会主義」と「国家による経済への介入を出来る限り排除し、私有財産と自由な経済活動を認める資本主義」という二項対立で説明してきた。また、ソ連による大韓航空機撃墜や日本漁船の拿捕、アフガニスタン侵攻とロサンゼルスオリンピックのボイコット、中国の天安門事件など社会主義を標榜する国にあまりよいイメージがなかったことから、基本的に社会主義国悪玉論の立場であったことも否めない。しかし、もともと社会主義は資本主義へのアンチテーゼとして登場してきたのだから、資本主義の問題点としてどういった点があげられているのかを確認することは必要である。 

 全4回のうち最も面白かったのは、第2回「なぜ過労死はなくならないのか」。資本主義とは何かを考えるうえで、「資本とは運動であり、絶えず価値を増やしながら自己増殖していく」という説明は重要だと思われる。ウォーラーステインが『史的システムとしての資本主義』(岩波書店)の中で、「資本主義という史的システムにおいて、資本は自己増殖を第一の目的ないし意図として使用される」(6㌻)と述べているのは、このことだろう。さすれば資本主義とは、無限の資本蓄積を目的として発展するシステムとも定義できそうだ。第一回で示されている様々な問題は、ここから生まれている。

 先日行われた米大統領就任演説で、バイデン大統領が「団結(Unity)」という言葉を何度も使用したことは、トランプ時代のアメリカでは社会の分断が進んだことを示している。古矢旬先生(岩波新書『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』は名著)は、トランプ大統領が当選した背景として、アメリカの社会や経済を動かしてきた長期的トレンドが行き詰まったことをあげている(『歴史地理教育』2018年9月号:No.884)。行き詰まった長期的トレンドとは、①グローバル化(によるアメリカの地位の相対的低下)、②新自由主義(の失敗)、③多文化主義(への反発)だが、反多文化主義がラストベルトで強いことを思うと、①②のみならず③もまた行きすぎた資本主義がトランプ大統領の登場を準備し、そしてアメリカ社会における分断をさらに進めたという気がしてくる。古矢先生の「トランプ時代のアメリカ民主主義」は、「なぜ?ポピュリズム、ナショナリズム」という特集の一環として掲載されたものであるが、他には「ブレグジット・ナショナリズムが社会を壊す」「ドイツにおけるポピュリズムと移民問題」という文が掲載されている。2018年の上智大学TEAP入試の世界史で出題された(設問3)、イギリスがEU脱退を決定した理由を問う問題でも、「移民」「自由市場経済」「共通通貨」など資本主義に関わる用語が指定語句となっており、また「パンデミックがもたらす新たな分断」(『プロパガンダ戦争』第7章)ですら、罹患・死亡率やワクチン供給など資本主義の負の側面によって一層深まり深刻化していることが読み取れる。

 アメリカにおける資本主義という文脈で思い出したのが、次の問題。

 次の一コマ風刺マンガは、1989年12月12日にアメリカ合衆国の『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載されたもので、当時の東ヨーロッパ情勢を踏まえながら、アメリカ合衆国の社会状況が批判されている。踏まえられている東ヨーロッパ情勢を説明し、さらに、批判されている社会状況についても説明しなさい(200字程度)。
pat01.jpg
'Tis the season to be jolly, my good man! We won - did you know that? Capitalism is triumphant. Communism lies in ruins. Our system prevails! We won! Smile!'
「なあ君、気持ちいい季節になったものだよな。われわれが勝ったのさ。知ってたか?資本主義が勝利をおさめたんだ。共産主義はこっぱみじんさ。われわれのシステムが支配するんだ。われわれが勝ったのさ。ほら笑えよ!」


これは2001年に大阪大学の個別試験(世界史)で出題された問題である。今から20年前の入試問題だが、「批判されている(アメリカ)の社会状況」はマンガが描かれた1989年・阪大の入試に使われた2001年当時と変わっていない。

 問題に使われている絵の作者はパット・オリファント(Pat Oliphant)という風刺画家で、アメリカ議会図書館のウェブサイト[https://www.loc.gov/exhibits/oliphant/]によれば1966年にピューリッツァー賞を受賞し、ジョンソンからクリントンまで7人の米国大統領を似顔絵にし、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争、湾岸戦争など過去30年間の社会的政治的問題について挑発的な風刺マンガを発表してきた。

 彼がピューリッツァー賞を受賞したのは、下の作品。

pat02.jpg
"They won't get us to the conference table...will they?"


 ピエタ像のように死者を抱くホー・チ・ミン。私が生まれる4カ月前に発表された作品である。2枚の風刺画は、冷戦→行きすぎた資本主義という分断の原因の変化を示しているように私には感じられる。


NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 2021年 1月 [雑誌] (NHKテキスト)

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  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2020/12/25
  • メディア: Kindle版


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初めての共通テスト [大学受験]

 大学入試センターから入学共通テスト中間集計が発表されたが[https://bit.ly/35ZqsCH]、世界史Bの平均点は65.79と私の予想よりもかなり高い。また北九州予備校による集計データを見ると、昨年度に比べて上位と下位が減少して中位が厚くなっており、よい分布となっていると思う。正直、世界史Bは昨年に比べて結構下がると予想していたが、実際はそうでもなく自分の学校でも前年との大きな変化はなかった。「平均点下がるよ、これは」なんて騒いでいたのは私だけだった、というオチ。

 受験した生徒にマルク=ブロックを使った問題の感想を尋ねてみたが、もっと長い文章は他教科のテストでも読んでいるので、別に驚かなかったと言っていた。高得点者は、先に選択肢から見て、まず「い」は事実として違うから正解は①か②か③、キーワードは「資料」で、X:領主○で農村×、Y:領主×で俗人○、Z:亡命○と整理してから文章を読んだという。また問題番号6は、単に「一番古いのはどれか」だから年代知らなくても当然②、7では日本史で出てきた松方財政と日銀設立のことを思い出して、「戦争では(不換)紙幣を発行する」と予想してグラフをみたらやはり紙幣発行は増えていたということだった。「地頭の良さ」が点数に反映されたという印象である。

「下線部がない問題文」で思いだしたのが、次の問題。

次の史料は、許子(許行)という思想家の教えに心酔する陳相という人物と、 ① との論争である。これを読んで、下の問いに答えよ。


 陳相は ① に会い、許行の言葉を受け売りして、言った。「(あなたが今仕えておられる)藤(とう)※の君は、まことに賢君です。しかし、まだ正しい道をご存じない。賢者は、民とともに耕して生計をたて、朝夕自炊しながら、政治をとるもの。今、藤の国には倉廩(こめぐら)も府庫(かねぐら)もありますが、これは、民に頼って暮らしているもの。どうして賢君といえましょう。」

(中略)
 ①  「許子は冠をかぶるのか?」
陳 相 「かぶります。」
 ①  「何の冠をかぶるのか?」
陳 相 「素(しろぎぬ)の冠をかぶります。」
 ①  「自分でこれを織るのか?」
陳 相 「いえ、粟(こくもつ)ととりかえます。」
 ①  「許子はどうして自分で織らないのか?」
陳 相 「耕す妨げになります。」
 ①  「許子は釜甑(なべかま)で煮炊きし、鉄で耕すのか?」
陳 相 「そうです。」
 ①  「自分でこれを作るのか?」
陳 相 「いや、粟(こくもつ)ととりかえます。」
 ①  「(中略)許子はどうして陶工や鍛冶屋の仕事をしないのか?みな自分のいえで作ったものを用いずに、どうして面倒にもいろいろな職人ととりかえるのか?何とわずらわしいことよ。」
陳 相 「職人の仕事は、農業をやりながらでは、とてもできないからです。」
 ①  「それなら、天下を治めることだけが、どうして農業をやりながらできるというのか。」
※注 藤は当時の小国の名

 問1 上の史料から読み取ることができない事実を、次の文①~⑤のうちから一つ選べ。
  ① この時代には、交易を媒介に農民と手工業者の間の分業関係が成立していた。
  ② この時代の農業では鉄器の使用が普及していた。
  ③ この時代には、人民の統治をもっぱら仕事とする人々が生まれていた。
  ④ この時代には、王による一族の分封が行われていた。
  ⑤ この時代には、人民から徴収したものを収める倉庫が作られていた。

 問2 上の史料は、王道政治を唱えて諸国を遊説した儒家 ① の言行を記した書物の一節である。この人物の名を、次の①~④のうちから一つ選べ。
  ① 董仲舒    ② 孟子   ③ 荘子   ④孫子

 問3 上の史料の論争が行われたのは、いつの時代か。問1と問2をふまえ、次の①~④の中から正しいものを一つ選べ。
  ① 周   ② 春秋   ③ 戦国   ④ 前漢




これは1988年12月に実施された、センター試験の試行テストの問題(世界史)である。共通テストの試行調査と異なるのは、センター試験の試行テストを受けたのは翌1989年1月に(最後の)共通一次試験を受ける予定だった人たちという点である。共通テストでも、初めての受験生には試行テストを実施するくらいの配慮が欲しかった。テスト問題の内容面ばかり気にして、受験生のことを後回しにしてしまった自分を恥じ入るばかりである。
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内藤正典『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』(集英社新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 1989年(平成元年)の冷戦終結宣言からおよそ30年が経過した。冷戦の終結は、それまでの東西対立による政治的・軍事的緊張の緩和をもたらし、世界はより平和で安全になるかに思われたが、実際にはこの間、地球上の各地で様々な政治的混乱や対立、紛争、内戦が生じた。とりわけ、かつてのオスマン帝国の支配領域はいくつかの大きな紛争を経験し今日に至るが、それらの歴史的起源は、多くの場合、オスマン帝国がヨーロッパ列強の影響を受けて動揺した時代にまでさかのぼることができる。
 以上のことを踏まえ、18世紀半ばから1920年代までのオスマン帝国の解体過程について、帝国内の民族運動や帝国の維持を目指す動きに注目しつつ、記述しなさい。解答は、解答欄(イ)に 22行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。


 アフガーニー  ギュルハネ勅令  サウード家   セーヴル条約  日露戦争
 フサイン=マクマホン協定     ミドハト憲法  ロンドン会議(1830)



 これは2019年の東京大学の世界史で出題された問題だが、昨年、一昨年と授業で「オスマン帝国の衰退」の話をするときには紹介してきた。それにしても、一般論として「冷戦の終結は、それまでの東西対立による政治的・軍事的緊張の緩和をもたらし、世界はより平和で安全になるかに思われたが、実際にはこの間、地球上の各地で様々な政治的混乱や対立、紛争、内戦が生じた」理由は何なのだろう。
 本書の第一章の書き出しを読んだとき、真っ先に思い出したのは先に示した東大の問題だった。オスマン帝国の解体過程がなぜ現代社会の政治的混乱や対立、紛争、内戦(これらを本書ではまとめて「分断」と表現している)につながるのか。この点を考察するうえで本書は様々なヒントを与えてくれる。考察の対象としている地域もイスラーム圏そしてヨーロッパとの関係であり、私がこれまで持っていた「自分は高校で世界史を教えてるんだから、当然理解してるよ」的な自惚れを正してくれた。私には知らないことが多すぎる。

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 この本を手に取ったきかっけは、タイトルにひかれたからである。佐藤卓己先生の『ファシスト的公共性』(岩波書店)のあとがきに出てきたエピソード(「プロパガンダ」という言葉をめぐるドイツ人学生との会話)が印象に残っていた。実際には私が求めていた内容とは異なりメディアリテラシーの重要性を説くものであったが、インターネット(とりわけSNS)について書かれた第6章、パンデミックによってもたらされる新たな分断というわれわれが現在直面している問題について書かれた第7章は、これからの高校世界史の授業でも取りあげていくべき問題のように思われる。個人的にはこれまであまり関係性が見えていなかった、『歴史地理教育』の特集を相互につなげる視点を得たことが最大の収穫であった。現代社会の的確な分析とわかりやすい語り口ゆえ、高校生にこそ読んでほしい一冊。

【『プロパガンダ戦争』と関係があると思われる『歴史地理教育』の特集】
・特集「なぜ?ポピュリズム、ナショナリズム」(2018年9月号、No.884)
・「平成」の30年・ポスト冷戦を問う(2020年3月増刊号、No.907)
・学び合う「歴史総合」の授業づくり(2020年7月増刊号、No.912)
・特集「いま、感染症の歴史と向きあう」(2021年1月号、No.919)


プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア (集英社新書)

プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア (集英社新書)

  • 作者: 内藤 正典
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書




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佐藤卓己『ファシスト的公共性~総力戦体制のメディア学』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]

 年が明けて2021年となり、高校で新科目「歴史総合」がスタートするまであと1年余りとなった。折に触れて「歴史総合」をテーマとした本などを読んでいるが、読めば読むほどやれる自信はなくなっていく。「歴史総合」は、近現代史における長期的な三つの変化「近代化」「大衆化」「グローバル化」に焦点をあてて構成されているが、「大衆化は何をもたらしたのか」と問われても、正直よくわからない。分からないことを考えることが重要だと言われればその通りだが、わからないままで評価や助言をしようなどは不遜極まりない。かと言って、教員が想定した答えが出せるように資料を構成した誘導尋問的な授業は対話的にはなるかもしれないが、真の意味での主体的な学びにはならないような気がする(「理論批判学習」でも「批判」にならないことが多い)。抽象的なルーブリックをいくら作成しようが、「授業でこんな答えが導き出せたら何点」という具体的な基準をつくっておかなければ意味がないのでないだろうか。現状、「この答えはルーブリックのどのレベルに該当するのですか?」と生徒から問われたとき、「根拠を示して説明」できなければならないが、正直私には自信がない。

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 さて、「大衆化は何をもたらしたのか」という問いに対する答えを考えるヒントを探していて、たどりついた一冊が本書である。本書は著者が1993年から2015年にかけて発表してきた論考を集めた論文集で、第Ⅰ部「ナチ宣伝からナチ広報へ」(第一~三章)と第Ⅱ部「日本の総力戦体制」(第四~七章)から成るが、考えてみればタイトルの「ファシスト的公共性」とは奇妙な言い回しである。「あいつはファシストだ」というのは誉め言葉にならないし、「この施設は公共性が高い」という表現は対象を評価する言葉になる(「正直な「公共性」研究者の回顧」という副題のついたあとがきも、著者のドイツ留学時にドイツ人学生と交わした会話はなどたいへん面白い。)。「ファシスト的公共性」とはいったいどのような状態・モノを指すのだろうか。序章にある次の一文を読んで、久しぶりに「本に引き込まれる」感じがした。
 
「19世紀の民主主義は、「財産と教養」を入場条件とした市民的公共圏の中で営まれると考えられていた。一方、20世紀は普通選挙権の平等に基礎を置く大衆民主主義の時代である。そこからファシズムが生まれた事実は強調されねばならない。理性的対話による合意という市民的公共性を建て前とする議会制民主主義のみが民主主義ではない。ヒトラー支持者には彼らなりの民主主義があったのである。ナチ党の街頭行進や集会、ラジオや国民投票は大衆に政治的公共圏への参加の感覚を与えた。この感覚こそがそのときどきの民主主義理解であった。何を決めたかよりも決定プロセスに参加したと感じる度合いがこの民主主義にとっては決定的に重要であった。ワイマール体制(利益集団型民主主義)に対して国民革命(参加型民主主義)が提示されたのである。ヒトラーは大衆に「黙れ」といったのではなく「叫べ」といったのである。民主的参加の活性化は集団アイデンティティに依拠しており、「民族共同体」とも親和的である。つまり民主主義は強制的同質化(Gleichschaltung)とも結託できたし、その結果として大衆社会の平準化が達成された。こうした政治参加の儀礼と空間を「ファシスト的公共性」と呼ぶことにしよう。民主主義の題目はファシズムの歯止めとならないばかりか非国民(外国人)に不寛容なファシスト的公共性にも適合する。」

 こうした話を高校の世界史の授業で取り上げることは稀なことであると思う。しかしヒトラー政権は合法的な手続きを経て成立したのであり、上記のような指摘を念頭において初めて「ナチズムはなぜ受け入れられたのか」という問いが立てられるようにも思われる。それにしても、この文章は著者が1997年に雑誌に発表したということだが、本書における引用箇所の前後を読むと著者も述べているように、現在との類似性を感じてしまう。

普通選挙を前提とする20世紀の大衆社会からファシズムは生まれたのであり、本書を読んでいるとファシスト的公共性とは大衆社会そのものであると言い切ってもいいような気がしてきた。ナチスは集会やデモ、ラジオ放送や国民投票を通じて世論形成への参加感覚を与えていたが、映画やラジオ放送というメディアの重要性も授業で取り上げてみたいものである。

 ツイッターで政治に関する話題が多いのは、政治参加の感覚が手軽に得られるということがあるのかもしれない。帯にある「参加と共感に翻弄される民主主義」というタタキ文句を見て真っ先に思い出したのは、ツイッターの世界だ。序章の最後、「(現代社会の基軸メディアは最強の即時報酬メディアであるインターネットだが)遅延報酬的な営み、つまり教育が期待できない場所には未来もない」という言葉を肝に銘じておきたい。「学校で学んだこと、テストで測定されるような知識や技能、それらを全部忘れ去ったときに何か残るもの、それが教育の効果である」というマーガレット・サッチャー英元首相が来日時に語ったという言葉を思い出す。



ファシスト的公共性――総力戦体制のメディア学

ファシスト的公共性――総力戦体制のメディア学

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/04/05
  • メディア: 単行本



増補 大衆宣伝の神話: マルクスからヒトラーへのメディア史 (ちくま学芸文庫)

増補 大衆宣伝の神話: マルクスからヒトラーへのメディア史 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/05/08
  • メディア: 文庫



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エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』(ちくま文庫) [歴史関係の本(小説以外)]

 平成30年度の大学入試センター試験世界史A(本試験)のリード文で、エリック・ウィリアムズが取り上げられていた。私はその文章にいたく心を動かされたので、その年の試験問題評価委員会報告書に高等学校教科担当教員の意見・評価 として「毎年センター試験の「世界史A」問題には、はっとさせられることがある。過去にはビートルズやウッドストックロックフェスティバルといったカウンターカルチャー系の選択肢が出題されており、今年は「世界史の問題なのに選択肢が全て日本史関係」という問題も出題された。またリード文では、昨年のマルク=ブロックに続いて本年度はエリック=ウィリアムズが取り上げられた。いずれも業績のみならずその生き方がわれわれに感動を与える歴史家であり、「この人たちの著作は読んでほしい」という出題者からのメッセージのようにも思える。われわれ高等学校教員は、こうした出題者の思いに応えていかなければならないとも感じている。」という感想を書いた[https://bit.ly/34WLRvV] 。

 山川出版社の教科書『詳説世界史』を見ると、今でこそ「(奴隷貿易によって)ヨーロッパでは産業革命の前提条件である資本蓄積がうながされた」という記述があるが、1985年版や91年版には奴隷貿易の記述はあっても産業革命との関連を示す記述は見当たらない。『資本主義と奴隷制』の初版が出版されたのが1944年だが、今回再刊された中山毅先生による日本語訳が初めて出版されたのは、1987年のことだった。ウィリアムズ・テーゼが高校世界史の教科書に反映されるまでは、相当な時間がかかっている。ただ角山栄先生の名著『茶の世界史』(中公新書)の初版発行は1980年で邦訳が出版される前だが、同書ではすでに「興味のある読者には『資本主義と奴隷制』(1944年)を一読することを勧めたい。」(100㌻)と紹介されている。

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 第4章(149㌻)に登場するベックフォード2世(ウィリアム・トマス・ベックフォード)は、ゴシック小説『ヴァセック』の作者としてよく知られており、増田義郎先生によれば、『オトラントの城』のホレス・ウォルポール、『マンク(修道士)』(1796)のマシュー・グレゴリー・ルイスなども砂糖プランターだったそうで、増田先生は「おもしろいことに、ゴシック派文人には西インドの不在地主が多い」と述べている(『略奪の海カリブ』岩波新書145~146ページ)。このうちルイスは2回ほど西インドに行って、彼の所有する奴隷達の悲惨な状況にショックを受けて、生活の改善を行おうとしたらしい。『ヴァセック』からは『アラビアン・ナイト』からの影響が色濃く感じられるが、彼の生きた時代(1760年~1844年)はレイン版が出版された時期でもある。ベックフォードは下院議員で、スエズ運河の株式買収で有名なディズレーリのパトロンだった(作家出身同士で馬が合ったのかも)そうだ。川北稔先生は北米植民地の「代表なくして課税なし」との対比で、西インド諸島の砂糖プランターを「代表されすぎていた」とも評しているが(『砂糖の世界史』182㌻)、産業革命期に投資その他で寄与した人々の多くは、もとから富裕な不在地主の砂糖プランターではなく奴隷貿易に従事した人々であった(第五章)。

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 ヨアン・グリフィズの主演で映画にもなった「アメイジング・グレイス」の歌とウィルバーフォースの活躍のように、イギリスにおける奴隷制度の廃止はその非人道的な実態に反省した結果だというイメージがあるが、ウィリアムズによればそれは一面に過ぎない(第十一章)。イギリスにおける奴隷貿易の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利であり、それはアメリカの独立で決定的となった(第六章)。というのも「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」(203㌻)ため、アメリカから食料その他を輸入することは難しくなり収益は大きく低下したからである。また1783年のパリ条約前後から、イギリスは植民地経営の重心をアジアへ移すようになるが、それにともなって西インド砂糖プランテーションの地位の低下とともに奴隷貿易も衰退していく。

 イギリスの植民地経営がアジア、そしてアフリカへ軸足を移すようになった背景として、アメリカの独立の影響は注目してよいと思う。山川出版社の『世界史用語集』では「奴隷貿易の廃止(イギリス)」と「奴隷制の廃止(イギリス)」は別個に記されているが、そのことは「奴隷制の廃止は重商主義に対する自由貿易主義の勝利によってもたらされた」とするウィリアムズの主張(第9章)を考えると、重要なことのように思われる。19世紀前半のイギリスにおける自由主義改革とアジアへの進出を取り上げるとき、このような点にも注意していきたいものである。イギリスが自由貿易に舵を切るのは1820年代以降で、アメリカ独立から奴隷貿易が廃止される1807年まで依然として保護貿易主義だったという指摘もあるが[https://core.ac.uk/download/pdf/235429027.pdf]、「奴隷貿易の利潤は工業化に投資されてイギリス産業革命の資本を提供し、アメリカ独立によってアジア進出を強化したイギリスは、産業革命の進展とともに自由貿易帝国主義を進める」という説明は、授業で取り上げることはないかもしれないが、頭に置いておくと深みが増すような気がする。

 教員になって4年目、『茶の世界史』の紅茶帝国主義の話(94~95㌻)をもとに授業をつくったが、18世紀の大西洋三角貿易と19世紀のアジア三角貿易を同時期のこととして話をしてしまった。このミスの原因は、同書94㌻のグラフで、1850年以降茶と砂糖の輸入が急増した理由を深く考えなかったことである。『砂糖と世界史』の第8章「奴隷と砂糖をめぐる政治」を読んで、その間違いに気づきとても恥ずかしい思いをした。苦い失敗である。

 2020年に出版されたちくま文庫版は1987年に理論社から発行された邦訳の再発である。この間2004年に明石書店から新訳が出ているが、巷間旧訳の方が評価が高いようだ。明石書店版を最初に読んだときはさほど気にならなかったが、ちくま版を読んで気になったところを新訳と比較してみると、確かに旧訳の方が意味が通りやすい。たとえば前述の「アメリカは外国となり、航海法の全条項の適用を受けることになった。」が新訳では「アメリカ人は外国人となり....」となっており意味は分かるがスムーズに入ってこない。新訳は複数で翻訳にあたったということもあるかもしれない。明石書店版巻頭の解説もよいが、ちくま文庫版巻末の川北稔先生の解説がとても良いと思う。ウィリアムズがセンター試験のリード文に取り上げられた理由がよくわかる。[http://www.webchikuma.jp/articles/-/2089]

 最後の第十三章(結論)の5は、BLM運動の高まりを見ると、本書が今なお名著とされる所以を示していると思われる。




資本主義と奴隷制 (ちくま学芸文庫)

資本主義と奴隷制 (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 文庫



砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 川北 稔
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: Kindle版



茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書)

茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書)

  • 作者: 角山 栄
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/11/18
  • メディア: 新書



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北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房) [歴史関係の本(小説以外)]

 ツイッター界隈では「#先生死ぬかも」というハッシュタグがトレンドになっていたが、授業と担任業務だけやればいいのであれば、教員の仕事はどんなにか楽しいものだろう。現在私は学年主任6年目で2度目の3年学年主任をしているが、今年はコロナ対策関連や新しい大学入試制度への対応その他の理由により、運営委員会や学年会その他諸々の打ち合わせ時間が例年以上に多い。実質的に一人で顧問をしているダンス部は熊本県高体連主催の熊本県学校ダンス発表会を5連覇中で、毎年夏には神戸の全日本高校・大学ダンスフェスティバルに参加している(今年は残念ながら中止となったが)。その準備も結構大変で、遠征5日間で約300万円かかるので金銭面での手続きや準備、県外遠征の申請などもある。(もっとも、「部活大変ですね」と言われたときは面倒くさいから「ええ、マジ大変ですよ、代わりにやってもらえませんか?」と返しているが、正直あまり大変とは思っていない。自分にとっては、アホな価値観が異なる教員と話す方がはるかに疲れる。)

 とまぁ50歳をすぎて主任になるといろいろと傍からは見えない仕事(これからの時期だと総合型選抜の指導や学校推薦型選抜の推薦書のチェック、学年生徒全員分の調査書チェックとか、挨拶に来る上級学校の対応とか、来週は「共通テスト出願説明会」の計画とか)も色々とあって空き時間もつぶれてしまう。結果として、授業も例年通りに「こなしていく」感じになっていくわけである。
 そういった中でも、「いい授業をしたい」という思いは人並みにある。今年は3年普通科文系3クラスのうち2クラスが全員世界史を選択してくれたので、しっかり授業をしないといけないと思うが、なかなかその余裕がない(ちなみに今の私の学年は、普通科理系・文系それぞれ3クラス、SSHクラス・専門課程英語科・専門課程理数科それぞれ1クラスの計9クラスである)。

 そういうときにどうするかというと、手っ取り早く「専門書ではなく、教科書よりもちょっと詳しい本」を読んで、授業で話すネタを探す。具体的に言うと、新書や山川の世界史リブレットのシリーズ。使えそうな話が全然ないこともあるが、それはそれで内容的には面白いことが多い。特にツイッター上で大学の先生のアカウントが薦めている本は基本「当たり」と思っていい。それをアマゾンで検索すると似たテーマの本が出てくるので、レビューを見ながらまとめて購入してみることもある。

 しかし困ったことに、時期によっては新書すら読む時間がないこともある。むしろそちらの方が日常かもしれない。そういった場合、授業準備としてやることは2つ。まず一つは、採用している教科書とは異なる教科書を読むこと。ウチは山川の『詳説世界史』を使っているが、東書と帝国の教科書には目を通すようにしている。本文はもちろん、コラムや註にも様々な発見がある。各社とも教科書の記述はかなり難しいので、読み込むと様々な疑問がでてくる。それを調べるのも面白い。

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 もう一つは、北村厚先生の『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)を読むこと。この本の記述内容は基本教科書レベル(項目によってはプラスアルファ)であり、教科書の範囲を越える用語も少ない。乱暴な言い方をすれば、世界史の教科書から政治史を極力排除して、経済面での諸地域どうしのつながり(ネットワーク)という視点で再構成した本である。章立てを見ると、第1~4章で12世紀まで、以後13世紀以降は1世紀にそれぞれ1章、19世紀は前半と後半でそれぞれ1章に充てられている。目次では各章の小項目の内容が細かく示されているので、まずは目次でおおまかな内容を把握して、章単位に読むのが理解しやすいと思う。章単位で読んでもあまり時間はかからないが、どうしても時間が無いときは小項目単位でもよい。最近授業で使った話は、「第3章 東西の大帝国」中の小項目「1.唐帝国と東アジア秩序の構築」。なんとなく「中国の"周辺"諸国だし、"付け足し"でいいか」とごまかしてきた部分だが、吐蕃が果たした役割やこの時期の日本の立ち位置、羈縻政策の破綻と冊封体制による秩序の再建など、帝国書院の教科書に出ている阿倍仲麻呂の話(唐代の中国でを扱うより前に、「東南アジア」の項目で阿倍仲麻呂には触れておいた)と組み合わせて、結構よい話ができたと思う。

 『教養のグローバル・ヒストリー』を読むと、故宮崎市定先生の「歴史学とは要約する学問である」(「しごとの周辺」朝日新聞1988年1月12日掲載)という言葉を思い出す。宮崎先生は、要約すれば共通性や特徴が見えてくるという意味で「要約」の大切さを述べておられたと思うが、コンパクトにまとまった本書の内容は、「世界史探求」で示されている「諸地域の交流・再編」「諸地域の結合・変容」といった項目における比較や関連付けのヒントになるだろう。自分が持っている世界史の教科書を、異なる視点から読んでみたいという高校生でも十分ついていける内容だと思う。


教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門

教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門

  • 作者: 北村 厚
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2018/05/11
  • メディア: 単行本



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『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』 [幻想文学]

 映画化もされた藤子・F・不二雄原作『ドラえもん のび太のドラビアンナイト』(小学館コロコロ文庫)は、タイトルからわかるように『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』をモチーフとした作品である。『アラビアンナイト』の物語に入り込んでしまい、奴隷商人に囚われてしまったしずかをドラえもん一行が助けに行くという話だが、この長編にはアッバース朝のカリフ、ハールーン=アッラシードが登場する。盗賊団に襲われかけたドラえもん一行を助けて宮殿内へ招待してもてなし、さらには通行手形まで与えるという設定だが、凛々しく正義感の強い偉丈夫として描かれている。助けられた一行の誰かが「おどろいたなぁ」「あの人がハールーン・アル・ラシード王だったなんて」と言っているが、吹き出しの位置関係から考えると、のび太のセリフのようだ。ということで、授業では「のび太も知ってるハールーン=アッラシード」という紹介をしている。アドルフ=ヒトラーは、初めてウィーンを訪れたときの印象を「なん時間もわたしは歌劇場の前に立ち,なん時間も議事堂に目をみはっていた。環状道路が千一夜物語の魔法のように,私に働きかけた。」と述べている(平野一郎・将積茂訳『わが闘争(上)』角川文庫43-44㌻) 。「モンスターストライク(モンスト)」や「Fate/ Grand Order(FGO)」など、私がプレイしているスマホゲームにも『アラビアンナイト』関連のキャラクターが登場するなど、『アラビアンナイト』を読んだことがない人でもおおよその内容は知っているのではないだろうか。

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 『アラビアンナイト』を高校世界史の授業で扱うときには、そのルーツが多様でありイスラーム文化の普遍性を示す事例として紹介することが多い。1991年のセンター試験世界史本試験(第3問)の問題は、そのことをよく示していると思う。

 世界史上で大きな役割を果たしてきた⑦イスラム文化を代表する文学作品として,『千夜一夜物語(アラビアン=ナイト)』がある。これは,⑧インド起源の説話が中世ペルシア語の物語集として成長し,それがアラビア語に翻訳されて発展したものであると考えられている。この物語はおとぎ話や奇談・珍談を数多く含んでいるが,有名な「船乗りシンドバードの物語」などは,⑨アッバース朝の都の繁栄ぶりをよく描いていると同時に,当時の地理的知識に裏づけられたものとして興味深い

問7 下線部⑦について述べた次の文①~④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。
 ① イスラム文化は,イラン・インド・ギリシアなどの文化遺産を融合し発展させた独自の文化である。
 ② イスラム文化は,多様な民族を担い手とする国際的文化である。
 ③ イスラム文化では,神像や礼拝像が盛んに制作された。
 ④ イスラム文化の影響は,ルネサンスにも及んでいる。

問8 下線部⑧について述べた次の文①~④のうちから,波線部の正しいものを一つ選べ。
 ① この物語の原形がイランに伝えられたとされる6世紀ころ,イランを支配していたのはササン朝である。
 ② この物語は,8世紀後半に最初にアラビア語に翻訳されたといわれているが,当時はウマイヤ朝の全盛時代である。
 ③ この物語が『千夜一夜物語』と呼ばれるようになったのは,12世紀とされるが,このころイランにはサファヴィー朝が成立していた。
 ④ この物語がほぼ現在の形をととのえるのは,16世紀初めころのカイロにおいてであるとされるが,これはマムルーク朝成立期に当たっている

 前嶋信次先生の『アラビアンナイトの世界』(講談社現代新書)によれば、『アラビアンナイト』にはペルシアはもちろんのことユダヤ、ギリシア、インド文明の影響も見て取れるという。そうした様々な文明からの影響という視点以外では、2006年度のセンター試験世界史B(本試験・第1問C:世界史Aとの共通問題)の問題は印象深いものだった。

 (7)『千夜一夜物語』の翻訳には,ヨーロッパと中東の文化接触という面があった。18世紀にフランスのガランは,これを初めて翻訳紹介したが,その中に含まれていた「アリババ」や「アラジン」は,彼が独自に採集した物語を組み入れたものとされ,アラビア語の写本には存在しない。この二つの物語が(8)イスラーム世界に広く知られるようになったのも,ガランの紹介以降のことであった。(9)19世紀に入ると,中東の風俗や文化を紹介する手段としてのレイン訳『千夜一夜物語』が出版される一方で,バートン訳やマルドリュス訳のように,ヨーロッパの東方趣味を強く反映した翻訳も現れた。特にマルドリュス訳は創作が目立ち,ヨーロッパ製『千夜一夜物語』とでも名付けられよう。

問7 『千夜一夜物語』の翻訳事業には,ヨーロッパの中東進出という時代状況を反映する一面がある。下線部(7)に関連して,次の年表に示したa~cの時期と,以下のア~ウの出来事との組合せとして正しいものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。

1704年 ガランによる仏語版翻訳の刊行開始
 a 
1838年 レインによる英語版翻訳の刊行開始
 b
1885年 バートンによる英語版翻訳の刊行開始
1899年 マルドリュスによる仏語版翻訳の刊行開始
 c
1966年 前嶋信次による日本語版翻訳の刊行開始

  ア スエズ運河の開通
  イ ワフド党によるエジプト独立運動の開始
  ウ ナポレオン=ボナパルト(後のナポレオン1世)によるエジプト遠征の開始
  ① a―ア b―イ c―ウ
  ② a―ア b―ウ c―イ
  ③ a―イ b―ア c―ウ
  ④ a―イ b―ウ c―ア
  ⑤ a―ウ b―イ c―ア
  ⑥ a―ウ b―ア c―イ

 『アラビアンナイト』翻訳の進展はヨーロッパの中東進出という時代状況を反映しているとする視点は、「翻訳」の意味を考えていくうえでも興味深い(先日ツイッター上で、「世界中の様々な分野の先端研究が、日本語の翻訳で読めることは大切だ」という指摘が出ていた)。この点で面白かったのが、西尾哲夫先生の『世界史の中のアラビアンナイト』(NHKブックス)である。
 2006年のセンター試験で使われた年表の中に最初に登場するのは「1704年 ガランによる仏語版翻訳の刊行開始」。『世界史の中のアラビアンナイト』によれば、アントワーヌ=ガランはルイ14世時代のフランスで活躍した東洋学者で、17世紀後半に三度にわたってイスタンブルに滞在した。このころはすでにオスマン帝国の脅威は過去のものとなっている。ガランの訳は必ずしも忠実な訳ではなく、リード文中で「ヨーロッパの東方趣味を強く反映した」と触れられているバートン版やマルドリュス版と同様に、ガラン版も(バートン版やマルドリュス版とは異なる点で)ヨーロッパ化されていた(108㌻以下)。同じ18世紀には、東インド会社職員のアラビア語用テキストとして『千夜一夜物語』がカルカッタで印刷出版されていた(カルカッタ第一版)というのも面白い(156㌻~)。

 年表中の( a )には「ナポレオン=ボナパルト(後のナポレオン1世)によるエジプト遠征の開始」がはいる。これも『アラビアンナイト』と関係がある。同書68㌻に「レインより少し前、ナポレオンのエジプト遠征に同行して『千夜一夜物語』に触れたヴィヴィアン・ドゥノン(ルーブル美術館の初代館長)」のことが、長谷川哲也のマンガ『ナポレオン-獅子の時代』(少年画報社)のドゥノンの登場シーン(舞台はナポレオン遠征中のエジプト)とともに紹介されている。エドワード=サイードが指摘するように「オリエンタリズム」は西洋と区別された東洋を下に見ているが、そうした差別的な要素が明確となるのがナポレオンのエジプト遠征だろう。ナポレオンが発見したロゼッタ=ストーンが現在フランスではなく大英博物館に収蔵されているのに、ロゼッタ=ストーンをもとにヒエログリフを解読したシャンポリオンがイギリス人ではなくフランス人だというのも、当時の英仏関係を象徴してるようで面白い(竹内均監修『世界の科学者100人』教育社)。
 次に年表に登場するのは、イギリスの東洋学者エドワード=ウィリアム=レイン(1801~1876)である。彼が1840年に結婚したナフィーサという女性は、もともとギリシア人でギリシア独立戦争の際に捕虜となり奴隷となった女性らしい。ギリシアの独立が国際的に認められるのは1830年、この年フランスではシャルル10世がアルジェリア出兵を行い、七月革命が起きる。ロマン主義の時代だが、ドラクロワやユゴーは東方趣味を示していた(235㌻~)。以後、帝国主義とアジア・アフリカの植民地化が進むにつれて『千夜一夜物語』の翻訳も進んでいったことを年表は示している。( b )の「スエズ運河が開通」は1869年。19世紀後半にイギリスの軍人ローリンソンが楔形文字を解読し、オランダの医師デュボワがジャワ島でピテカントロプス=エレクトゥスの化石を発見するのは、こうした業績が植民地の拡大と無関係ではなったことを示している。

 リチャード=バートンについて、Wikipediaには次のような記述がある。

 1857年、東アフリカのナイル川の源流を探す旅を友人の探検家ジョン・ハニング・スピークとともに行い、1858年にタンガニーカ湖を「発見」した。これこそが源流だとバートンは主張したが、スピークは納得せずにさらに探検してヴィクトリア湖を発見。これこそ本物だと考えるようになる。二人で帰国しようとするが、途中のアデンでバートンは熱病で伏してしまった。一足先に帰国したスピークは、約束に反して単独で成果を公表したために両者の関係が悪化する。

 上記の文章から分かるようにバートンはヴィクトリア時代の探検家だが、「やや狼に似た長く鋭い犬歯をもつ人物であったらしく、1870年代に面識を得たブラム・ストーカーは、このバートンの容貌から『ドラキュラ』の主人公を創り出した」(荒又宏『世界幻想作家事典』国書刊行会・72㌻)。『ドラキュラ』の出版は1897年。

 学術的資料的な要素が強いレイン版に対し、マルドリュス版はバートン版と同様に官能性を強調する傾向が強い。2006年センター試験リード文の「バートン訳やマルドリュス訳のように,ヨーロッパの東方趣味を強く反映した翻訳も現れた」という一文は、もしかするとこのことを示しているのだろうか。日本でもマルドリュス版は1920年代から邦訳されていたが、戦前は発禁処分とされたこともあったらしい。

 私が生まれた年に刊行が始まった前嶋信次訳(東洋文庫版)は、19世紀前半にイギリスによってインドで編集されたカルカッタ第二版を底本としている。カルカッタ第二版は、バートン版の底本でもある。

 18世紀ころのイギリスではチャップブック(民衆本)として『アラビアンンナイト』の説話が流布していた(『世界史の中のアラビアンナイト』146㌻)。チャップブックは子供向けの小型で簡素な本である。手元にある「オズボーン・コレクション」(ほるぷ出版による復刻版)を見てみたが、残念ながら『アラビアンナイト』は含まれていなかった。『アラビアンナイト』は、ファンタジーでミステリーでSFの要素を持った児童文学として受け入れられることで世界文学としての地位を確立した。
 現在でも様々なゲームや映画、マンガなど様々なメディア芸術にネタを提供しているのは、ストーリーが教訓的でないうえ、登場人物の属性が厳密でなく、キャラクター設定の自由度が高いからだろう。『アラビアンナイト』はヨーロッパと出会ったことで、文化や言語の壁を越えて愛される普遍性を帯びるようことになったといえる。

世界史の中のアラビアンナイト (NHKブックス)

世界史の中のアラビアンナイト (NHKブックス)

  • 作者: 西尾 哲夫
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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絵画資料と世界史の授業 [授業ネタ]

 「美術鑑賞には勉強が必要」というツイートを見かけたが、同感である。もちろん「見てそして素晴らしいと感動するだけ」なら、知識は必須というわけでもない。しかしそうなると高校世界史の授業では「作者名と作品名の組み合わせを覚える」ことが目標になってしまうような気がするし、どうぜ見るなら楽しんだほうがよいと思う。

 私が絵に関心を持つようになったきっかけは、大学生のころ朝日新聞日曜版に連載されていた「世界名画の旅」だった。この連載はのちに5分冊の書籍として発売され、世界史の授業でかなり役立ったものである。数年前にイギリスBBC制作のテレビドラマ『ダ・ヴィンチ・デーモン』を視ていてウルビーノ公がでてきたときには、鼻の形で「世界名画の旅」で取り上げられたピエロ・デルラ・フランチェスカの作品解説を思い出し、ずいぶんと楽しませてもらった。

 とは言うものの最初の頃は掲載されているエピソードを紹介することがほとんどで、単元や一時間の授業に組み込むことはほとんどできなかった。もっと深く授業で絵画資料を使ってみようと思い立ったのは、教師になって3年目の1992年、『歴史と地理』No.441に掲載された今林常美先生(かつて帝国書院発行の情報誌に絵画資料の素敵な解説を寄稿しておられた)の「北宋・徽宗皇帝の「桃鳩図」と日本-中世東アジア文化交流のひとこま」を読んだのがきっかけである。「はじまりは松本清張の小説から」というレポートだが、「桃鳩図」の所有者変遷を追うまさに謎解きミステリーのような内容で、最後の「教科書・図説類のちょっとした図版を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている」という一文に「よし、自分も!」と思ったものである。以来30年近く、その思いは変わっていない。その後同じく『歴史と地理』No.513に掲載された「「アルノルフィニ夫妻の肖像」にみる中世末ヨーロッパの諸相」(窪田善男先生)や、千葉県歴史教育者協議会日本史部会編『絵画資料を読む日本史の授業』(国土社:世界史の授業にも使える実践がいくつも掲載されていた)などを使い、教科書や資料集の図版を活用してきた。ランブール兄弟「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を使った大航海時代の導入(「ヨーロッパで香辛料が高価だったのはなぜか?」)や、ベラスケス「女官たち(ラス・メニーナス)」を使ったスペイン継承戦争の授業(「ベラスケスが描いてるのは誰?」)、Eテレの「わくわく授業」で使った蒙古襲来絵詞などの作品は、今でも授業で取り上げている。

 しばらく絵画資料からは遠ざかっていたが、同僚の先生(「アクティブラーニング型授業研究会くまもと」の代表)から、「看図アプローチ」の手法を教えてもらって以来、再び絵画資料を用いた授業作りに目が向いている。ベラスケスの「女官たち」は、看図アプローチ向きの絵画資料だと思う。 今ウチの学校で使っている資料集は第一学習社の『グローバルワイド』だが、以前浜島書店の『アカデミア』を使っていた頃は、16世紀フランドルの絵暦の12月(牙がある豚を屠っている図)が掲載されていたので、「ベリー公の時祷書」と組み合わせることができた。これも看図アプローチに適した絵画資料だと思う。取り上げる絵画資料は、教科書または資料集に掲載されているものがよい、というのが私の持論である。生徒一人一人の手もとにあるためわざわざ印刷しなくてすむし、有名な資料ならば解説の入手も容易である。いま一番使ってみたい絵画資料は、「清明上河図」。教科書と資料集では使われている部分が異なるなど、色々と試すことができそうである。

 先ほど引用した今林先生の「教科書・図説類のちょっとした図版を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている」という言葉を実感したのは、私が松島商業高校(すでに廃校)で日本史を担当していた頃に故森浩一先生の著書(草思社の『巨大古墳』と中公新書の『古墳の発掘』)を読んだときだった。日本の古墳時代は、中国では南北朝時代(西晋~隋)に該当するが(『巨大古墳』16㌻)、当時の人々は巨大な古墳を造営する際にどのような長さの単位を用いたのだろう。森先生は中国の晋尺を用いたのではないかと推定している(『古墳の発掘』88㌻以下)。晋(西晋)の1尺は24センチで、山川の世界史教科書『詳説世界史』に写真が掲載されている後漢の光武帝が日本に贈ったとされる金印(「漢委奴国王」)の1辺(2.3㎝)の約10倍である。2.3㎝は漢代の1寸に相当し、古代の中国では1寸=2.3~2.4㎝だった。「日本で古墳を作る際、長さはどのように決めていたのだろうか?」という問いから、「中国で使われている長さの単位を使ったと考えられ、その単位は金印の1辺の長さの単位ともほぼ一致する」とつなげ、漢代以降の南北朝時代も倭の五王など中国との文化交流が続いていたことに触れることができる。

 ただサイズを話題にするときは、原寸大のレプリカの方がよいのではないだろうか。金印だと1辺2.3㎝という小ささと、大山古墳に代表される巨大古墳との対比は面白い。金印のレプリカは山川出版社から発売されているが、「印綬」の「綬」がついていないので自分で作ってもいい。『詳説世界史』には金印の印影も掲載されているので、日本と逆の陰刻(日本の地方自治体のほとんどは陰刻印章の印鑑登録を認めていない)であることにも気づかせたい。「紙は後漢の蔡倫が改良した」とされるが、同じ後漢でも光武帝の時代にはまだ紙が普及していなかったのである。「金印はなぜ陰刻か」という話を授業でしていて、木簡・竹簡は表面を削ってしまえば簡単に偽造できるので封泥で封緘して、印を押して偽造防止する.....という話をしたがイメージがわかない様子。こういうときこそ実物教材の出番か?木簡の「冊」を自分で作ろうかと思ったが、映画『HERO』でジェット・リーが切ってみせた「巻」は予想外に大きくて、自作は無理かな。
 そのほか「偽造説」や「本物が二つある話」(宮崎市定『謎の七支刀』中公新書6㌻)など、話し始めると50分では足りなくなる。宮崎市定先生による「本物が二つある」というのは、「複製を作った際に、実はどちらが本物かわからなくなっているらしい」という噂を耳にした。福岡市博物館にある「本物」は写真撮影OKなのに、一方で九州国立博物館にある「複製」は写真撮影禁止というのは、それが理由なのだろうか?最近ではICT機器も普及しているので、金印のような実物教材も容易に投影できる。タブレットのカメラ機能を使えば複数をまとめて提示することもできるので、ボリビア・コロンビア・ベネズエラの紙幣を同時に見せたいときは便利だ。別人みたいなシモン=ボリバル(本名は覚えきれないほど長い)の肖像や、正式な国名、通貨単位などは3つ同時に示してこそのおもしろさがある。メディア芸術・教材を生かすも殺すも、我々教える側の”フトコロの深さ”にかかっている、と思う。



美術手帖10月号増刊 国宝のすべて 日本美術の粋を集めた国宝を堪能する。

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  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2014/09/29
  • メディア: 雑誌



国宝 (とんぼの本)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/01/01
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世界名画の旅 (1)

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  • 作者: 朝日新聞日曜版「世界名画の旅」取材班
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2020/07/23
  • メディア: 大型本



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ガリポリの戦いを描いた映画 [歴史映画]

 世界史の教科書に出てくる第一次世界大戦中の具体的な戦闘は、西部戦線のマルヌと東部戦線のタンネンベルク、あとはペタンとの関係でヴェルダンくらいだが、『世界史としての第一次世界大戦』(宝島社新書)ではガリポリの戦い(1915年)について触れられている。ガリポリの戦いは、当時の英海軍相ウィンストン・チャーチルが立案した連合軍によるトルコ上陸作戦で、死傷者はトルコ軍25万人、英仏軍30万人という大規模な戦闘であった(ヴェルダンのそれはドイツ軍34万人、フランス軍38万人)。このときのイギリス軍には自治領オーストリアとニュージーランドの連合軍(ANZAC)が含まれており、3万4千人の死傷者を出した。前掲書によると、この戦いをきっかけにオーストラリアとニュージーランドでは「国民」意識が高まり、毎年4月25日は「アンザック・デー」というオーストラリアやニュージーランド、その他サモアやトンガなどで国民の祝日となっている(中東に派遣されるANZAC軍団の護衛は、日英同盟によるイギリスの要請を受けて日本海軍の巡洋艦「伊吹」が担当した)。
 
 オーストラリアに留学していた教え子によると「Anzac dayはオーストラリアの祝日の中でもかなり規模が大きいもので、肌感覚ですがQueen birth dayよりも市民の意識のウェイトは高いと思います。私がいたパースでは、パース市内を一望できるキングスパークという場所に戦時中亡くなった方の慰霊碑があるのですが、anzac dayにはそこで一日中イベントが開催されるので、多くの人が集まってました。」ということなので、やはりオーストラリアにとって第一次世界大戦は大きな経験だったと思われる。

 チャーチルは作戦失敗により更迭され、ジョンソン英首相は著書『チャーチル・ファクター』(邦訳はプレジデント社より)の中で、チャートル最大の失敗という評価をしているとのこと。こうした経緯から、オーストラリアではガリポリの戦いやアンザックを題材とした映画がいくつも作られているので、いま日本国内でもDVD等で観ることができる映画を2本紹介したい。

【誓い(1981年)】
 『誓い』はオーストラリア出身のピーター・ウィアー監督の作品で、原題はストレートに『Gallipoli』である。低予算映画ながら予想外の大ヒットをおさめた『マッドマックス』のメル・ギブソンと、オーストラリアの俳優マーク・リーのダブル主演で、ガリポリの戦いに従軍した二人の青年の友情を描いた作品。以下ウィキペディア掲載のストーリー。「1915年、第一次世界大戦下のオーストラリア。 徒競走が得意な二人の青年フランクとアーチーは、志願兵で構成されるイギリスへの援軍アンザック軍団に入隊する。 フランクは歩兵隊、アーチーは騎兵隊に配属されるが、二人はトルコのガリポリで再開し共に塹壕で戦うことになる。 足が速いフランクは伝令係に任命される。 総攻撃が始まる最中、重要な情報の伝令任務を下されたフランクは、味方を救うため激戦地帯を走り抜ける。」日本版DVD裏ジャケットの解説は、第一次世界大戦とクリミア戦争を混同している。

【ディバイナー 戦禍に光を求めて(2014年)】
 『ディバイナー』は、ニュージーランド出身のオスカー俳優ラッセル・クロウが主演・監督した作品。原題「The Water Diviner」は、「水を探す人」の意で、映画は主人公がダウジングで井戸を掘る場所を探すシーンから始まり、後半でも重要なモチーフとなっている。ガリポリの戦いから4年後、帰らぬ3人の息子を探しにオーストラリアからトルコまで赴く主人公が、トルコの人々と心を通わせるストーリーだが、現地ではトルコ語がメインで、イスタンブールの街並みやモスクも美しく、トルコと異文化に対して好意的に描かれている点は好感が持てる(「ガリポリに行く」という主人公に、ホテルの女主人は「チャナッカレに行くの?」と返す)。美人すぎるホテルの未亡人(オルガ・キュリレンコ)とのプラトニックなロマンスは見てて恥ずかしくなるが、重要な役回りをメフレヴィー教団のセマーが担っている点や、ギリシア=トルコ戦争とムスタファ・ケマルなど知識があるとさらに楽しめる点も評価ポイント。しかし一方で、ギリシアをまるで悪者のように描いている点は気になる。逆に言えば、ビザンツ帝国の滅亡からギリシア独立、バルカン戦争から第一次世界大戦といった、ギリシア=トルコ関係を考えるには良いかもしれない。授業では、『ディバイナー』と同じく2014年に制作された『消えた声が、その名を呼ぶ』(第一次世界大戦中に起こったトルコによるアルメニア人ジェノサイドをテーマにした映画~ロード・ムービーとしてはこちらの方がよい)とセットで紹介したい。

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 『誓い』→『ディバイナー』の順で観ると、ガリポリの戦い前後という流れで楽しめると思う。両映画とも、オーストラリアの過酷な自然の中で暮らす農民達の生活と、赴いたトルコにおける沿岸部での激戦の対比、そして異文化に初めて触れてとまどうヨーロッパ文化圏のオーストラリア人(トルコでのラッセル・クロウ、訓練地エジプトでのメル・ギブソン)という点が共通しており、ギザのピラミッドのスフィンクスの下でラグビーに興じるアンザック兵士たちは、自分たちのアイデンティティを確認しているようにも見える。ピラミッドにはナポレオンのサインがあったが、本当に今も残っているのだろうか。(ピーター・ウィアーは、ラッセル・クロウ主演でナポレオン戦争中の英仏海軍の戦いを描いた『マスター・アンド・コマンダー』を監督している)。




誓い [DVD]

誓い [DVD]

  • 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
  • 発売日: 2007/09/21
  • メディア: DVD



ディバイナー 戦禍に光を求めて [DVD]

ディバイナー 戦禍に光を求めて [DVD]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2016/06/08
  • メディア: DVD



ディバイナー 戦禍に光を求めて [Blu-ray]

ディバイナー 戦禍に光を求めて [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2016/06/08
  • メディア: Blu-ray



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『世界史としての第一次世界大戦』(宝島新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 傑作ミステリー『その女アレックス』(早川文庫)の著者ピエール・ルメートルには、『天国でまた会おう』(早川書店)という第一次世界大戦と戦後のフランスを舞台にした作品がある。戦場で上官の不正を発見したアルベールと、戦場で彼を助けようとして顔の一部を失ったエドヴァールが、大規模な詐欺事件を通じて社会への復讐を実行しようとするストーリーだ。映画化もされたが、フランス映画らしいエスプリとアートワークの映像美が印象的な傑作である( http://tengoku-movie.com/ )。気は弱いが優しいアルベールと、屈折した才人エドヴァールとの友情、弱者に厳しい戦後社会を時に反発しながらも支え合って生きる二人の心の機微(下顎を失ったエドヴァールは喋れない)、そんな二人を取り持つかのような不思議な少女テレーズ、彼らの前に登場するかつての上官で悪辣なブラデル、実家は裕福なエドヴァールの父と姉、近づきたくはないけど愛すべき役人メルランなど個々の人間の描写が読みどころだが、この小説から伝わってくるのはフランスにとって第一次世界大戦がいかに大きな出来事だったかという点だ。それがあるからこそ、この作品は成立しているともいえる。木村靖二先生が『第一次世界大戦』(ちくま新書)の「はじめに」で述べておられる通り。

 第一次世界大戦の授業を一本つくりたいとかねがね思っていたが果たせず終いだったので、読書を再開した。最近読んだのが『世界史としての第一次世界大戦』(宝島新書)。「教科書よりもちょっとだけ詳しく第一次世界大戦のことを勉強したい」という私のような人間には最適の本だった。全部で10のトピックから構成されているが、面白かったのは、「第一次世界大戦とは何だったのか?」(中公新書『第一次世界大戦』の飯倉章先生)、「第一次世界大戦の原因を読み解く」(『経済史』の小野塚知二先生)、「日本にとっての第一次世界大戦」(熊本県高等学校地歴公民研究会に講演に来ていただいた日本史の山室信一先生)、「グローバリゼーションの失敗」(柴山桂太先生)の4本。「第一次世界大戦とは何だったのか?」はよくまとまった第一次世界大戦の推移。『歴史と地理』No.704で紹介されている第一次世界大戦の授業で示されている問いに対する答、「ぎりぎり連合国が勝つ」が実感できる。「ケンカを売った側(オーストリア)が売られた側(セルビア)よりも弱い」といった、所々で挿入されるコメントや数値データなども参考になる。
 次の第一次世界大戦の原因を読み解く」は、対話形式なのでわかりやすい。小野塚先生が述べられている点については、『歴史地理教育』2014年7月号(No.821:特集「第一次世界大戦100年:この号では山室信一先生も「現代の起点としての第一次世界大戦」という文を寄稿しておられる)における木畑洋一先生の「第一次世界大戦の基礎知識」(この記事にあるQ&Aの中には、授業でそのまま使えそうなものもある)でも「同盟間の対峙がそのまま戦争に結びついたわけではない」「ヨーロッパ各国における愛国主義の醸成」として触れられていたが、小野塚先生の説明でよりよく理解できると思う。この点を見落とすと、「第一次世界大戦は、なぜ、どのようにして発生したのか?」という問いに対して「三国同盟と三国協商の対立」とか「3B政策と3C政策の対立」という答で終わってしまいそうな気がするし、もしかすると「サライェヴォ事件」という答も出てくるかもしれない。三国協商と三国同盟の対立→サライェヴォ事件→オーストリアの対セルビア宣戦まで説明して、その次に「サライェヴォ事件が引き起こしたオーストリアとセルビアの戦争が、なぜ世界大戦に発展したのか」という問いを立てたほうがいいかもしれない。開戦当初は「まだ局地的な戦争であり、二度のバルカン戦争に次ぐ第三次バルカン戦争という程度ですむかもしれないものだった」(木畑洋一先生)のが、なぜ欧州大戦→世界大戦まで発展したのかという点も着目させたい
 第一次世界大戦の原因を考えるキーワードとして、小野塚先生は「ナショナリズム」「グローバル化」をあげている。「グローバル化」については柴山桂太先生も、「グローバリゼーションの失敗」を、戦争発生原因の一つとしてあげている。「グローバル化」という点に注目すれば、バルカン半島での局地戦→欧州大戦→世界大戦という拡大していった理由も見えてくるような気がする。またナショナリズムの醸成は大衆化やメディアの発達とも組み合わせられそうだ。第一次世界大戦の扱いも変えていかないといけないな....と思っている。

 1900年代の初めにドイツで作られたという義眼が手許にある。『天国でまた会おう』のエドヴァールのように、第一次世界大戦で負傷した人のために作られたものだという。妖しく冷たい美しさを感じるが、どんな人がどんな人のために作ったのだろう。100年前に異国でつくられたガラスの瞳は、戦争を経験した人の思いが残っているのか、なんとなく悲しげだ。

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世界史としての第一次世界大戦 (宝島社新書)

世界史としての第一次世界大戦 (宝島社新書)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2020/01/24
  • メディア: 新書



天国でまた会おう

天国でまた会おう

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/10/16
  • メディア: 単行本



天国でまた会おう[Blu-ray]

天国でまた会おう[Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2019/08/02
  • メディア: Blu-ray



天国でまた会おう[DVD]

天国でまた会おう[DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2019/08/02
  • メディア: DVD



天国でまた会おう[DVD]

天国でまた会おう[DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2019/08/02
  • メディア: DVD



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仮説実験授業 [授業研究・分析]

 20世紀前半のアメリカ関連で思い出すのが、仮説実験授業による「禁酒法と民主主義」の授業。小学生を対象にした授業の記録が、雑誌『たのしい授業』1988年12月号に掲載され、中学生を対象にした授業の記録は同じく1989年11月号と12月号に掲載された。仮説実験授業は故板倉聖宣先生が提唱した授業手法で、「授業書」と呼ばれるテキストを用いて進められる。所与の問題に対する自分の「仮説」を、討論という「実験」を通じて検証していくことから仮説実験授業とよばれ、このプロセスを他の問題にも応用できるようになることを目指している。そして、雑誌のタイトルにもなっているように「たのしい授業」であるべきだというのも仮説実験授業の大きな主張である。
 アメリカの禁酒法をテーマにした授業書は『禁酒法と民主主義』(仮説社)として1983年に出版されており、雑誌『たのしい授業』に掲載されている記録は、この授業書に基づいて行われたものである。『禁酒法と民主主義』の「はしがき」には、中学校や高校の社会、道徳、ホームルームなどで使用してほしいとあるが、「酒を飲んだりタバコを吸ったりするのはいいことだと思うか」という質問から始まる授業書を一読してみたものの、高校の世界史の授業ではあまり使えないのではないかと当時は思ったものである(読み物としては面白く感じたが)。

 仮説実験授業を知ったのは大学3年で受けた社会科教材研究の授業がきっかけだった。授業担当の河南一先生から、中学社会歴史分野を想定した縄文時代の授業が実際の授業形式で紹介された。「なぜ縄文時代は西日本よりも寒冷な東日本に人が多く住んでいたのか」という問いに基づく探究を通じて、社会的事象の説明ができるようになるという目標は森分先生の理論に基づくが、授業書という形式は仮説実験授業の手法である。この授業内容は、藤岡信勝・石井郁男編『ストップモーション方式による1時間の授業技術・中学社会歴史』(日本書籍)に掲載されているが、実際は大学4年のとき一緒に教育実習に行った河南先生のゼミ生が授業を行っていた。

 「問い」と「お話」で構成される仮説実験授業は誘導尋問との批判も受けそうだが、私自身は使える授業理論だと思っている。仮説実験授業はもともと理科の授業から始まった手法だが、『たのしい授業』1989年11月号(私が教員となって一年目)には板倉先生による高校世界史のインドとイギリスの綿工業関連の記事が掲載されていた。当時の私は、板倉先生がインドとイギリスの綿工業について書かれた文の中にある「子どもたちに<できる>と感動させてあげる」「自分たちの感動を子どもたちに伝えるために」という言葉に感銘を受け、勉強の楽しさを伝えたいと思って教師になったことを再認識させてもらった。今でも仕事が嫌になったときは、この記事を読み返す。

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 最近では、2013年に出版された田尻信壹先生の『探究的世界史学習の創造』(梓出版)では、先史時代の仮説実験授業が紹介されている。



探究的世界史学習の創造

探究的世界史学習の創造

  • 作者: 田尻信壹
  • 出版社/メーカー: 梓出版社
  • 発売日: 2017/04/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)



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東京大学教養学部歴史学部会編『歴史学の思考法』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]

 東大教養学部で行われる12回の授業内容を収録した本。全部で12名の先生方が執筆しておられるが、共通点は東大の歴史学の先生というだけで、それぞれ専門の地域も時代も異なる。しかし、「歴史学的思考は現代社会を生きぬくうえで有用なスキルである」という共通認識の下で書かれており、全部でⅣ部12章構成だが読み進んでも統一感が感じられる。第Ⅰ部第2章では、「過去への問い→事実の認識→事実の解釈→歴史像の提示」という「歴史学の営み」が紹介されているが、高校新学習指導要領における「歴史総合」で想定されているのは、このプロセスのように思われる。第2章に加えて第Ⅱ部(「地域から思考する」)と第Ⅲ部(「社会・文化から思考するする」)を読むと、高校の授業科目である「世界史の授業」と大学における「歴史学の授業」との違いはより明確になる。私が高校生のころを振り返ってみると、世界史は各国史の寄木細工であり、その対象は各国の制度や組織、国どうしの戦争や外交といった表層で、心性や身体などの深層が扱われていた記憶はない。しかし現在ではグローバルヒストリーは常識となり、様々なネットワークにもとづく広狭様々な地域が高校世界史の授業でも扱われるようになった。昨年行われた九州高等学校歴史教育研究協議会では、伝説を通じて心性を考える高校世界史の授業も発表された。こうした変化は歴史学の成果を反映しているのだろう。まとめともいえる最終章では歴史学の有用性について語られているが、自分の授業で他者を理解する能力が育成されているかというと、心もとない。それどころか逆に作用したことの方が多かったかもしれない。それを意識したのは、『地域から考える世界史』で触れた経験だが、今の自分の関心は自分たちの閉じた認識をいかに開かせていくかという点にある。それは歴史学的思考により可能となるのかもしれない。「映画や小説と教科書の橋渡し的な授業」を自分の授業で目指してきた私には、歴史を学ぶ意義のひとつとして「歴史学的な思考の有用性」という点で、有益な一冊であった。

 これまで読んだ本に対する理解が深まったことも、この本を読んでよかったこと。歴史を学ぶことの有用性については、ともにマルク・ブロックのことばが引用された、小田中直樹先生の『歴史学って何だ?』(PHP新書)と、平成30年度学習指導要領改訂のポイント』(明治図書)掲載の村瀬正幸先生による「歴史総合」の解説。福岡大学人文学部歴史学科西洋史ゼミ編著『地域が語る世界史』(法律文化社)は、第Ⅱ部で示されている思考法にもとづいて行われた研究成果をまとめた論文集で、第10章で紹介されているサバルタン研究(サバルタン・スタディーズ)が「せめぎあう地域」という文脈で紹介されている。第4章について、章末にもあげられている足立啓二先生の『専制国家史論』(柏書房)は、現職で派遣された鳴門教育大学時代に、小浜正子先生の授業で講読した本。「民族も国境も越えて」というサブタイトルがつけられた杉山正明先生の『遊牧民から見た世界史』(日経ビジネス文庫)は、増補改訂版が出ているらしい。同じく第4章関係では『新しい世界史へ』(岩波新書)の著者、羽田正先生には昨年九州高等学校歴史教育者協議会(九歴協)大会が熊本で開催された折に講演に来ていただいた。「30年後を生きる人たちのための歴史」という演題でお話していただいたが、「主権国家や国民国家という西洋近代で生まれた概念が、実は日本列島に住む人々にとって異質なものではなく、それまでに十分に慣れ親しみ容易に理解できるものだったのではないか」という指摘は、第4章のテーマそのものとつながる気がする。「帝国」というキーワードがたびたび登場するが、鈴木薫先生が『オスマン帝国』(講談社現代新書) で指摘した「柔らかい専制」は、第4章(71㌻)や第5章(83㌻以下)との関連で興味深い。第6章では、国民国家は帝国主義と親和性が高いことが指摘されているが(97㌻)、このことについては大澤広晃先生の『歴史総合パートナーズ⑧・帝国主義を歴史する』(清水書院)を手がかりにもう一度考えてみたい。本書全体にかかわるテーマをヨーロッパを例に示したのが、故ジャック・ル・ゴフ先生の『子どもたちに語るヨーロッパ史』(ちくま学芸文庫)。

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 第4章は、「お国はどちら?」という問いから始まるが、私が大学(熊本大学教育学部)で最初に受けた「西洋史概説」の授業でもこの問いが鶴島博和先生から投げかけられた記憶がある。日本語の「国」に相当する英単語は複数あるが、「state」はこの問いの「お国」のニュアンスではないか、という話だったような気がする。その後鶴島先生のゼミにはいってからは、3年生でGeoffrey Barracloughの「The Crucible of Europe:The Ninth and Tenth Centuries in European History」、4年生ではOtto Brunnerの「Das Problem einer europäischen Sozialgeschichte」(邦訳あり)を読んだ。午後3時に始まったゼミが夜9時まで続いたこともあったが、教員になって10年目に派遣された大学院で田中優先生のご指導のもと、Gerhard Oestreichの「Ständetum und Staatsbildung in Deutschland」(邦訳あり)などそれなりに文献が読むことができたのは学部生時代の経験があったからだと感謝している。学部生時代、当時福岡大学商学部教授だった田北廣道先生からたくさんの文献をお借りしたが、その中にH. Dannenbauerの「Die Entstehung des Territoriums der Reichsstadt Nürnberg」という1928年に発行された本(のコピー:田北先生を通じてドイツから送っていただいた)があったが、辞書にも載っていない単語が出てきた。最初はなんだかわからなかったが、声に出して読んでみて、ようやく解った。「i」が「y」になっていたのである。故阿部謹也先生の『自分の中に歴史をよむ』(筑摩書房)の中に古文書が読めなくて苦労したとき「とにかく声に出してよむことだと(上原専禄)先生はいわれたのです。」という記述があるが、それを実感したのがその時だった。平成9年に九州高等学校歴史研究協議会の第26回大会が熊本県人吉市(私の初任の地)で開催された際、当時一橋大学学長だった阿部先生に講演に来ていただいたのは、大変うれしいことであった。その後九歴協では網野善彦先生(大分大会)、川勝平太先生(熊本大会)、川北稔先生(大分大会)、加藤陽子先生(宮崎大会)、本書第4章を執筆している杉山清彦先生(大分大会)、千田嘉博先生(宮崎大会と長崎大会)など、多くの先生方に講演をしていただいた。有難いというほかない。

「はじめに」での金田一耕助や、11章での澁澤龍彦は私のツボだった。茶木みやこの「まぼろしの人」の歌詞は、全部覚えている。

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東大連続講義 歴史学の思考法

東大連続講義 歴史学の思考法

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 単行本



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