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「世界史探究」の教科書 [たんなる日記]

 来年度使用する教科書選定の時期である。熊本県内の多くの学校では、「世界史探究」が始まるのは来年度から。それぞれに決まりつつあると思うが、教科書を読んでみてると、「この内容で3単位とは厳しい」と改めて感じる。2単位+3単位のように、2年かけて履修しないと厳しいのでは....。

 諸地域の形成→交流と再編→結合と変容という流れは世界史Bから継承されている。このうち「諸地域の歴史的特質の構成」の「諸地域」は、「東アジアと中央ユーラシア」「南アジアと東南アジア」「西アジアと地中海世界」の3つのカテゴリーで構成されているが、この3つの前に「古代文明の歴史的特質」というカテゴリー(オリエント文明・インダス文明・中華文明)もある。帝国書院の『新詳世界史探究』のように、「地域」にもとづいて古代文明を諸地域に振り分けている(オリエント文明は「西アジアと地中海世界」、インダス文明は「南アジアと東南アジア」、中華文明は「東アジアと中央ユーラシア」へ)教科書もある一方で、時系列重視で組み込んでいない教科書もある。後者の場合、諸地域の構成順は教科書により異なっており、西アジアから始まる教科書もあれば、東アジアから始まる教科書もある。いずれを選んでも、「先史時代→オリエント→ギリシア→ローマ→インド→中国」という流れに慣れきった私のような教員は大いにとまどうことだろう。

 一つ目を引くのが、「中央ユーラシア」という呼称である。世界史Bでは「内陸アジア」という用語があったが、中央ユーラシアは内陸アジアよりももっと広い地域を指す。この変更には大きな意味があると思われるが、『【地理歴史編】学習指導要領(平成30年告示)解説』[https://www.mext.go.jp/content/20220802-mxt_kyoiku02-100002620_03.pdf]でもあまり深くは触れられていない。1997年に中央公論社から発行された世界の歴史シリーズ第7巻のタイトルは「宋と中央ユーラシア」で、この本では中央ユーラシアとは「ユーラシア大陸から中国、東南アジア、南アジア、地中海、西ヨーロッパの諸文明地域をのぞいた地域」とある(252㌻)。「内陸アジア」という言葉では、アジアに目を奪われて南ロシアや東ヨーロッパといった地域が抜け落ちそうなので、「中央ユーラシア」という表現になったのだろう。この地域が果たした役割としては、東アジア・南アジア・西アジア・地中海(ヨーロッパ)の諸地域を結びつけたことがあげられる(『興亡の世界史』シリーズ(講談社)の第5巻「シルクロードと唐帝国」)。次の「交流と再編」では、中央ユーラシアが果たした役割という視点を加える必要があるだろうが、果たして私に出来るのか。護雅夫先生の著作を読み直してみますか。

 モンゴル草原からハンガリーまで連続する中央ユーラシアの乾燥地帯が、近代以前の人類史上に果たした大きな役割について、論述しなさい。ただしその際、重要な家畜と商品の名をキーワードとして使用し、かつ司馬遷『史記』とヘロドトス『歴史』に見える二つの政治勢力にも論及しなさい(250字程度)。〈2004年の大阪大学の問題〉


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休業中の学習支援をどうするか [たんなる日記]

大型連休を前に熊本県では「県立高等学校・中学校における臨時休業期間の長期化を見据えた学習支援に関する基本方針」が示され、各学校はこれに基づいて学習支援を計画し、実施していくことになった。この方針が示しているのは、大型連休が明けてからの学習支援計画の作成である。これまで(3月・4月)の「復習や橋渡しのための課題の提示」という段階から、5月以降は「学習内容と計画を明示し、教師は生徒の状況や成果にもとづいて評価する」という段階に移行することを示している。評価を行うということは、「休業中に家庭で学習した内容は学校が再開されても授業で扱う余裕はない」可能性を見据えてのことだろう。やるべきことは大きく2つ。教務部が各学年ごとに時間割を作成することと、各教科で評価規準を明示したシラバスとそれに基づく課題をつくることである。時間割の基本は月単位だろうが、熊本県立第二高校は週単位で作成しているようだ。ただ生徒の中には、時間割を決められるのは迷惑だと感じる生徒もいるかもしれない。そういう生徒には、自分の得意不得意や関心に応じて対応できるようにしてもいいと思う。
 シラバス作成にあたっては具体的な内容を指示しなければならないが、オンライン授業をどうするか。大学のセミのような少人数ならともかく、40人でのリアルタイムでの双方向授業はムリだ。となれば動画配信ということになる。熊本北高校では現在の数学Ⅲと理系の生物が動画配信による授業を行っているが、生徒に感想を尋ねたところ高い評価である。自校の生徒向けなので、レベルなどがあっていることのほかyoutubeというイマドキのツールを使っているという物珍しさもあるだろう。しかし全教科で行うのは不可能である。私と同僚で授業動画を作ろうとしても、おそらくNGの連続で1本作るのに1週間かかるかもしれない。そこで、業者が作成した動画授業の配信を利用したいと考えている。団体契約にすればかなり割安になるので、たとえば兵庫県では全県立学校に公費で導入されるという。動画視聴環境の調査を行ったところ、難しい生徒が数名いたのでそうした生徒に限り学校内での視聴を許可するなどの対応をとる必要がある。熊本大学教育学部の苫野一徳先生はツイッターで「行政は教育資源の「均等配分」(みんな同じ)を重視してしまうが、より重要なのは「適正配分」(困っているところにより厚く)である。」「たとえば、PCやタブレットやネット環境がすべての子どもには揃わないから、オンライン授業はやらない、という「みんな同じでなければならない」の発想はかえって不平等を生む。(持っている家庭はどんどん進む。)むしろ、足りないところに資源を傾斜配分することで、格差縮小を目指す必要がある。」と述べているが、まったくその通りだと思う。評価問題はMicrosoft Formsで作成の練習をしてみたが(熊本県の教職員にはOffice365 for Businessのアカウントが発行されている)、返信データはエクセルで出力できるので大変便利だ。専門の講師の授業動画を視聴することは、大変勉強になって有難い。

 ところが9月から新学期という議論が現実味を帯び始めた。もし実現すれば、各学校での対応は再検討する必要があるが、休業だからといって在校生を放置するわけにはいかない。9月までの休業期間、高校はいったい何をすればいいのだろう。9月新学期の論拠として、学力格差の広がりをあげているが、家庭環境や在籍する学校によって9月からのスタートラインはまったく違うことになりはしないか。例えば大学受験に関しては、都会の中高一貫校の場合だと受験勉強だけの期間が増えることになってしまう。新学期は9月スタートとなれば、苫野先生が指摘したような格差は拡大する一方のような気がする。

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モイゼス・ベラスケス=マノフ『寄生虫なき病』(文藝春秋) [たんなる日記]

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 コロナウイルスによる新型肺炎拡大の影響で、体温計が品薄になっているという。入院すると、毎朝脈拍や血圧、そして体温も測定する。高い体温は何らかの異常が起こっているサインだが、それが明らかになったのは8人のイギリス人と1人のスウェーデン人による体を張った実験がきっかけである。『自分の体で実験したい~命がけの科学者列伝』(紀伊國屋書店)によると、18世紀後半にイギリスの医師ジョージ・フォーダイスとその仲間たちは「人間はどれだけの熱に耐えうるか」という実験を数度にわたって行い、そのうちのひとりチャールズ・ブラグデンは127℃の高温に耐えたという。この実験中彼らの体温は37℃越えることはなく、体温は常に一定であることが発見された。『自分の体で実験したい』には、「ペルーいぼ病」の治療法を発見するために患者の血液を自ら注射した医学生、黄熱病は蚊によって媒介されることを証明するために患者の血を吸わせた蚊に自ら刺される実験を行った医師など感染症絡みの話もいくつか紹介されている。

 こうした「自分の体を使った実験」でいちばん強烈だったのは、アメリカ鉤虫という寄生虫に自ら感染して検証したジャーナリストによる『寄生虫なき病』(文藝春秋)である。科学ジャーナリストである著者のモイゼス・ベラスケス=マノフは、彼自身が子どものころから苦しんできたアレルギー疾患と自己免疫疾患は、公衆衛生の向上がもたらしたものではないかという仮説に達する。つまり、寄生虫やウイルス、細菌などを排除して清潔な環境を追求していた結果、花粉症などそれまでになかった新たな病に悩まされることになったのではないか?と考えた。それを証明するため、彼はカバー写真に写っている(アメリカではすでに根絶されている)不気味なアメリカ鉤虫を(大金を払って)自分の体内に取り込んだのである。感染した結果、アトピー性皮膚炎や花粉症、免疫疾患による脱毛に改善がみられたという。結論として、人類は長い年月をかけて免疫攻撃を寛容にすることを通じて寄生虫やウイルスと共存共栄を図ってきたが、「きれいな」環境づくりを追求してきた結果、寛容さが失われた免疫が暴走し、花粉症、アレルギーや自己免疫疾患が増加してきた。きれいな環境づくりの転機となったのが、産業革命による生活環境の悪化であったという点もまた興味深い。

 この本の原題は「AN EPIDEMIC OF ABSENCE」、つまり「不在による病」である。コロナウイルスなど感染症の研究は「何があって病気なのか」を特定する「存在」のアプローチだが、この本は「解説」にもあるように「何が欠けて病気なのか」を特定する「不在」のアプローチである。ややもするとトンデモ本であるが、膨大な症例と報告、そしてなによりも自分の体で実験してみたという結果をみると、もしかするとありえるかも...と思ってしまう。

 「自分が不快とみなす存在の排除」や「不寛容」が悪影響をもたらすという話は、昨今起こっている医療従事者の方への差別や中傷、感染者滞在を明らかにした施設への誹謗にもつながっているような気がする。


ウイルスと寄生虫の違い(群馬大学大学院医学系研究科)
http://yakutai.dept.med.gunma-u.ac.jp/project/H27%20MachinakaCampus.pdf



寄生虫なき病

寄生虫なき病

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/03/17
  • メディア: 単行本



自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 単行本



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台湾修学旅行 [たんなる日記]

 熊本北高校が台湾への修学旅行を始めたのは2016年からで、今年は4回目ということになる。引率としては2度目、下見を含めると3度目の台湾旅行であった。3度目ともなるとそれなりに台湾の事情にも明るくなり、様々に楽しむことができた一方、新しい発見もあった。

 今回の台湾修学旅行は高雄市一泊と台北市三泊の四泊五日だったが、初日と最終日は移動なので実質的な活動は三日間。大まかに言うと、学校交流・班別自主研修・クラス別研修でそれぞれ一日というところである。英語科はすでに一年生でシンガポール&マレーシアの修学旅行を終えているため、今回台湾に行ったのは普通科7クラス・理数科1クラスの計8クラス。一括で移動できる路線はないため、福岡空港発の中華航空とエバー航空それぞれ4クラスずつ桃園まで移動した。かつて大津高校はジャンボ機をチャーターして熊本空港から一括で移動していたが、現在ジャンボ旅客機は退役しており、また桃園空港も臨時便の離着陸は認めないとのこと。桃園空港に降り立つと現地のガイドさん達が「歓迎 熊本県立熊本北高等学校」という横断幕を持っていたた。これを見た、これから帰国するという修学旅行引率の先生(愛媛県)から話しかけられた。

 台北市(桃園駅)から高雄市(左営駅)までは日本の新幹線を導入した高速鉄道(高鉄)での移動だが、飛行機の遅れから予定の列車に間に合わず、先発・後発とも30分程度遅れた列車で高雄まで移動した。幸い先発・後発ともに指定席を確保することができ、桃園駅での待ち時間の間に構内の旅客服務中心で公衆無線LANであるiTaiwanの設定をしてもらった。桃園駅では服務中心から少し離れた場所にiTaiwanの係員が常駐しており、IDは自分のパスポート番号、パスワードは誕生日になる。ただ、つながる場所は限定され、使い勝手はあまり良くない。到着した高雄のホテルは華園飯店(ホリデーガーデンホテル)。3年前の義大皇家酒店(イーダロイヤルホテル)と比べると、設備は劣るが食事の面では生徒からの評価ははるかに高かった。いわゆる「日本人の口に合う」という感じである。華園大飯店は六合夜市から歩いて十分くらいの場所に位置しているため生徒に夜市見学をさせる予定であったが、雨天でありまたホテル到着も予定より遅れたため断念した。

 二日目、午前中は高雄市の市内観光で蓮池潭(竜虎塔)と寿山公園(忠烈祠)を見学したが、意外と生徒には好評であった。事前指導で私が4年前に行ったときの写真を見せながら、「(竜虎塔)はハリボテみたいで期待はずれだった」「高雄の忠烈祠は台北に比べると閑散としていて、見るべきものはあまりない」と紹介したのが逆に良かったのかもしれない。午後からの学校交流の相手校は高雄市立中正高級中学。「中正」というネーミングからわかるように、高雄市立高中の中では様々な面で高いスペックの学校である。中高一貫で生徒数は約2000人。私自身は下見を含めると3度目の訪問であるが、今回も手厚い歓迎をいただだいた。前回は朝9時から昼食(中正高中側から提供いただいた給食)をはさんで、午後まで6時間近い交流であったが、今回は確保できた飛行機の関係で交流できる日がピンポイントで縛られたため午後のみ2時間程度の交流となってしまた。校長先生はしきりに残念がっておられたが、現在の校長先生は3年前の訪問時に主査として交流活動を取り仕切られた方で、その分思いも強かったのだと拝察する。学校交流終了後、高鉄で台北へ移動。夕食はホテル内で。ホテルは豪景大酒店。ホテルリバービューというイングリッシュネームの通り、12階の食堂から見える淡水はよい眺めである。ただ私の部屋は5階で、窓の外には総統選挙候補者の一人である韓国瑜(高雄市長)候補の大きな看板があり、些か興ざめであった。

 三日目は班別自主研修。豪景ホテルは西門町まで歩いて10分という好立地である。朝6時過ぎに散歩をしていると、ビンロウを売るおじさんがいたので買ってみた。自分で作っているらしい。10個くらいはいって50圓。部屋に帰って噛んでみたが、本当に苦い。最初の唾は吐いた方がよいとガイドさんから聞いていたので吐いたところ、緑色の唾液はみるみるうちに赤くなっていった。私が巡回したコースは、「中正紀念堂(スタート)→東門市場→永康街→行天宮→龍山寺→剝皮寮歴史街区→総統府→西門町→ホテル」というルート。永康街の「高記」で焼小籠包と蒸小籠包をいただく。どちらもNTD220。行天宮では「収驚」をやってもらった。この日はラッキーなことに総統府内部が見学できる日だったので、パスポートを見せて中に入った。自動小銃を持った兵士が警備しており、金属探知機はもちろんバッグの中も調べられてビンロウも預かりとなった。西門町のデパート遠東百貨で学校へのお土産を購入して16時頃ホテル着。永康街→行天宮→龍山寺はMRTを使ったが、その他は基本歩き。たぶん10キロくらい歩いた。疲れたので生徒達が帰るまでガイドさんの紹介でマッサージへ。全身90分1500NTD+足裏700NTD+足の角質取り700NTD。送り迎えつき。生徒達が全員帰着したので、ホテル近所に夕食へ。地元の人しかいかないようなお店に入ってメニュー指さしつつ注文。牛麺を注文したつもりが、出てきたのは汁無しの牛肉中華焼きそば。確かにメニューには牛「炒」麺とある。ということで、牛麺食うため別の店にいってこれまた苦労して注文して出てきたのはトマト風味牛麺。どちらも美味しかった。なにより店の人たちみんなニコニコ親切で、こちらの言うことを理解しようと一生懸命。支払いの時には「謝謝」と言いながら両手でお金を受け取る姿には感動した。

四日目はクラス別研修。私は「淡水→故宮博物院→十分で天燈上げ」というコースで巡回。天気が良くて良かった。淡水の老街で売っている魚介類の揚げ物は意外にうまい。三度目の故宮、今回は肉形石が台南に出張中。でも大好きな象牙球を見ることができたので良かった。昼食は「大戈壁」という蒙古烤肉(モンゴル風鉄板焼き)のお店。いわゆる食べ放題の店で、タピオカミルクティーも飲み放題。しかも意外にこれが美味くて、生徒にも大好評のお店だった。この「大戈壁」の通りをはさんだ向かい側が、これまでの定宿だった六福客桟(レオフーホテル)。時間があったのでホテル裏にある長春四面佛に行ったところ、周辺は再開発されて4年前にはたたくさんあったお供え物屋さんも全く消えてビルになっていてビックリ。祭礼日だったのか盛装の女性が二人いたので写真を撮らせてもらった。前回来たとき、早朝にお参りにいったところ、四面佛の方からカランカランと音がする。行ってみると、正座した男性がひたすらポエ占いをやっていて驚いたことがある。夕食は3年前と同じ「馬来亜菜餐廳」。ここは味はそこそこながら、8クラス全員一気に対応してくれる。

台湾には何度行ってもいい。

【台湾のコンビニ】
以前から台湾ではコンビニが多いと感じていたが、また増えたような気がする(特にセブンイレブン)。台北のコンビニ袋は有料だが、そのままゴミ袋として使える。レシートには買った品物は印字されていないが、QRコードを読ませると買った商品が出てくる。私がよく買ったのはフルーツ牛乳32NTD。金牌ビールとほぼ同じ値段なので、結構高め。それともビールが安いのか。初めて「茶葉蛋」を食べたが、意外に普通で日本のおでんの卵とほぼ同じだった。以前はコンビニにはいるとこの臭いを強く感じたが、今回はほとんど気にならなかった。以前よりも臭いが少なくなったのか、それとも私が慣れたのか。コンビニに限らず、レシートは現金が当たる宝くじになっている。抽選は来月なので、私は全部現地のガイドさんにあげてきた。

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高校総体二日目(陸上競技部の顧問編) [たんなる日記]

 初めて陸上部の顧問になって色々と驚いたことがあるが、3000㍍障害(サンショー)の起源には驚いた。3000㍍障害は3000mSCとも表記されるが、このSCとはSteeplechaseの略で、Wikipediaによれば「Steeple(教会の尖塔)を追う、という意味の競技名が示す通り、昔、ヨーロッパの各々の村が教会を中心としたコミュニティーだった時代、ある村の教会を出発点とし、別のある村の教会をゴールとした徒競走(もしくは馬術競走)をする際に村境を示す柵や堀を飛び越えて行ったことに由来する、ヨーロッパなどで人気の高いクロスカントリーのレースをトラック上で再現するためにつくられたと言われている(競馬の障害競走を陸上競技に転用したものという説もある)」という。感動した私は、世界史の授業で山川出版社「世界史写真集」に収録されているフランスの中世都市カルカッソンヌの写真を使って熱弁を振るった次第。サンショーが専門で3年でも世界史を選択した生徒はうれしく感じてくれたようだ。

 もう一つ驚いた、というよりも恥ずかしく感じたのは、特別支援学校の選手が高校総体に出場していると知らなかったこと。昨日私は、総合開会式の見学生徒の引率だったが、開会式の入場行進では、熊本聾学校と熊本盲学校の生徒さんも行進しており、私も拍手を送った一人である。ただ、これまで自分が顧問をつとめてきた部活動で特別支援学校の生徒がエントリーしていたことはなく、当然ながら実際競技に参加している姿を見たこともなかった。しかし今年、初めて特別支援学校の生徒たちが高校総体の競技に参加している姿を見せてもらった。昨日男子1500㍍で、みかけない緑と赤のランニングシャツの生徒がひたむきに走る姿が目に入り、すっと追っていたのだが、それがひのくに高等支援学校の選手だったのである。二日目の今日も、100㍍では男女ともひのくに高等支援学校の選手が、また400㍍リレーで男子で熊本聾学校とひのくに高等支援学校、女子も熊本聾学校の選手が力走を見せてくれた。

 さて陸上競技はどれも過酷だが、8種競技の過酷さは別格ではないだろうか。
 一日目:100m、走幅跳、砲丸投、400m
 二日目:110mH、やり投、走高跳、1500m
をこなすという実に過酷な競技。ウチの学校からは2名が出場し、一人は最後の1500㍍で途中棄権、もう一人は上位4名が南九州大会出場のところ5位で出場を逃してしまった。選手本人だけでなく、OBのコーチももらい泣きしてて、私もなんとも声のかけようがなかった。おそらく、こうした「挫折感」というのが人間を一回り成長させてくれるものの一つなのだろう。

陸上競技は」あと二日。どんなドラマが待っているのか。
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来年度用の教科書を読む [たんなる日記]

 来年度から使用される教科書の見本が届いており、ここ数日は世界史Aの教科書をずっと読んでいるのだが、全体的に「AとBの境界ギリギリのラインで、各社ともよく努力されている」、すなわち各社とも記述が以前より詳しくなっているというのが全体的な印象。各社1冊で計6冊を読んでいるところ。以下は私の備忘録代わりのメモ。

A社
 オランダ独立に関する記述がもっとも詳しい。オラニエ公ウィレムとユトレヒト同盟が太字で、現在のオラニエ=ナッサウ家にも触れてある。フェルメールの絵が掲載されているなど、図版がもっとも充実している。しかし、資料集との併用を考えれば、微妙なところではある。巻末の用語解説は便利。

B社
 首長法、ジェームズ1世、権利の請願、リシュリュー、外交革命など他にはあまり載っていない用語が取り上げられている。三十年戦争の項目では、「旧教国フランス(ブルボン家)がハプスブルク家に対抗するために新教側で参戦し、宗教戦争から政治戦争に性格がかわった。」という記述や、「新教をめぐる決定」という一覧表で、アウクスブルクの和議・ナントの勅令・ウェストファリア条約・ナントの勅令廃止の4項目を比較。「17~18世紀のヨーロッパ文化」の後にアジアの繁栄が出てくるという構成なので、オスマンや清帝国の成立と発展をすっ飛ばして、いきなり衰退というAの弱点も克服できるかもしれない。

C社
 この教科書も、三十年戦争の性格の変化について触れている。
 
D社
 ルターの若い頃?の図版は、「料理上手の女性と結婚して太り始めた」というネタに使える。

E社
 三十年戦争の項目で「オーストリア=ハプスブルク家が支配するベーメンでの反乱を発端に」という記述。エリザベス1世からイギリス革命をへて立憲君主政の成立まで7行でまとめるという荒技。

F社
 宗教改革の項目で王権の強化=主権国家の形成までまとめる。「カルヴァンとフランス」で、カルヴァンからナントの王令まで。確かにカルヴァンはフランス出身だが....「イギリス国教会」ではヘンリ8世からエリザベス1世まで。絶対王政の説明はその後に出てくる。「それまで地中海で優勢であったオスマン帝国の海軍を破った(レパントの海戦)ので、スペインの海軍は無敵艦隊と呼ばれた。」という説には、異説もある模様。
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今年の高校入試「社会」の問題 [たんなる日記]

 今年の熊本県の公立高校の「社会」の入試問題に、こんな問題がありました。



下線部②(注:「文明開化」)について、資料16はこのころの東京の町のようすをえがいたものである。わが国の文明開化おようすをあらわす特徴的なものを、資料16から読み取って二つ書きなさい。


資料16は、下の図ような絵。京橋と銀座の煉瓦造りの町並みをえがいた錦絵で、桜が咲く春の様子が描かれています。

ginzahukei.JPG

使われたのは歌川広重の錦絵。詳細はこちら↓
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko10/bunko10_08408/index.html

ちなみに県教委発表の解答例は「れんがづくりの建物」「洋服」でした。


この問題とそっくりな問題がセンター試験で出題されたことがあります。日本史Aの2008年度本試験 第1問です。




 次の文章は,明治初めの錦絵などを展示した展覧会での太郎さんと先生の会話である。この文章を読み,下の問い(問1~3)に答えよ。,
先生:  この絵(図1)は,明治初めの錦絵だね。
太郎:  蒸気機関車が走っていますね。でもどうして電柱が立っているんですか?
先生:  これは,当時の ア に利用されたもので,1871年には上海・長崎間が海底ケーブルで結ばれている。こうした絵は,開化絵とよばれた。(a)交通や通信の発達は,文明開化の象徴だったんだね。
太郎:  遠くにたくさんの船が見えますが,あれは蒸気船ですか。
先生:  そうだね。でも,帆を張った和船も多いね。明治中期まで廻船にさかんに用いられたんだ。こっちに当時の蒸気船の絵(図2)があるよ。
太郎:  側面に水車のようなものがついていますね。
先生:  これは外輪船といって,蒸気機関でこの外輪を回して進むんだ。
太郎:  でも,蒸気船なのに帆を張っていますよ。
先生:  このころの蒸気船は燃料の イ を節約するために,外洋ではなるべく帆走したんだ。
太郎:  無風や逆風の時には蒸気をおこすんですね。
先生:  風待ちをしないで済むし,入港しやすくなったんだ。技術の進歩によって,しだいに定期的な運航も確保できるようになる。(b)海外との交流の手段も大きく変わってきたんだよ。


問1 空欄 ア   イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
① ア 電 話 イ 石 炭
② ア 電 話 イ 石 油
③ ア 電 信 イ 石 炭
④ ア 電 信 イ 石 油


問2 下線部(a)に関して,明治初期の交通や通信について述べた文として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
① 高橋是清が日本郵船会社を設立した。
② 新橋・横浜間にはじめて鉄道が開業した。
③ 人力車や乗合馬車が用いられた。
④ 飛脚に代わって官営の郵便制度が整えられた。






「これは"似すぎ"だろ」と思うのは私だけかな? 高校入試に使われた図を子細に見てみると、センター試験の解答にも出てる「人力車」「乗合馬車」のほか、「ガス灯」なども見える。橋の横にいる人や左端で洋傘をさしている人など、「着物に洋靴」という人も見えるのは面白い。


ガス灯は、2011年度 本試験 日本史B 第1問 Bでも出題されている。



光 男:  江戸時代になると, ア からとった油が,家の明かりに使われたってね。経済が発達して,商品作物として栽培されたって,学校で習ったよ。
明 里:  しぼった油を行灯(あんどん)行灯(あんどん)などに使ったのよ。それから明治初期の1874年に文明開化の象徴として,東京の銀座には街灯が設置されたわ。
光 男:  その時の街灯は イ だね。
明 里:  そう。燃料切れせず光りつづけたので,びっくりした人もいたそうよ。
光 男:  夜も明るくなると,便利だね。
明 里:  でも,いいことばかりではないのよ。照明があると,深夜業がしやすくなるでしょ。深夜業は,(d)工場労働者の労働条件を悪くすることにつながるよね。
光 男:  照明の普及って,別の問題を生み出したんだね。
明 里:  現代になると,工業化も進展するし,家庭電化製品も普及したし,それに都市は夜中まで煌々(こうこう)と電気がついている。電気の消費量がずいぶん増えてきているわ。(e)発電に使われるエネルギーと環境との関係も気になるわよね。
光 男:  じゃあ,ぼくももっと節電をしなくちゃね。



空欄のイに入るのがガス灯。
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菊池飛行場ミュージアム [たんなる日記]

 気づいたらもう2月も終わり、明後日は卒業式である。明日明後日は出校日なので今日は代休。平日が休みの時は七城温泉ドームに行くのが楽しみ。今日は温泉に行く前に、 「菊池飛行場ミュージアム」に立ち寄った。というのも、菊池市で発見された旧日本陸軍の九三式単軽爆撃機のプロペラが展示されているというニュースがあり、ぜひ見てみたいと思ったからである。
 http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20150222-OYT8T50016.html
 プロペラは木製でかなり大きいサイズ。

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 プロペラもさることながら、今日の大収穫は、当時軍属として菊池飛行場で練習機(通称「赤とんぼ」)の整備に携わった方から直接お話をうかがったことである。

 ミュージアムでたたたま言葉を交わしたこの男性は、大正生まれにもかかわらずすごくお元気で、車を運転されていた。軍人ではなかったが、軍属として菊池飛行場で飛行機の整備に従事し、菊池から玉名、そして島根県の基地を移動したとのこと。自動車の運転免許も、旧陸軍軍属として取得したものがそのまま現在でも有効で、更新中らしい。 複葉機の上の翼から燃料を補給し、「パチンコ」と呼んでいたゴムつきの道具で3人がかりで「赤とんぼ」のエンジンをかけたこと、玉名に移動したらその「赤とんぼ」すらなかったことに始まり、面白すぎる話が次々と飛び出し、録音していなかったのが本当に悔やまれる。

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お話をうかがった男性がご自身で保管されている貴重な記録のひとつ


  ・菊池飛行場には三つの組織があったので、門も三つあった。
  ・落下傘部隊の練習も行っており、近くの橋の上から飛び降りる訓練をしていた。
  ・訓練は3機編隊で行うのが通常だった。
   雪が激しく降っていたある日、1番機は上昇、2番機は下降して電線を避けた。
   しかし3号機は接触して墜落した。
   私が「では編隊は縦に直線で飛行していたのですか?」と尋ねたところ、
   「いやいや、三角形の編隊だった」とのこと。
  ・失速して墜落するときは、浮力がなくなるので、ストンと落ちる感じ。
  ・米軍の攻撃機に高射砲を撃つが、命中したという記憶はない。
   飛行機の周りで爆発が見えた。

「菊池飛行場ミュージアム」は、泗水孔子公園の一角の道路沿いにある。孔子公園にはgoogleのスマホアプリ「Ingress」のミッション「孔子公園散策」も設定されていて、なかなか楽しめる。
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時代を哲学する2 [たんなる日記]

 今日の熊本日々新聞に、先日書いた萱野先生の講演についての記事が掲載されている。記事を読む限り、萱野先生は排外主義に警鐘を鳴らしことが講演のメインだったような印象を受けた。全否定はしないが、私が講演から受けた印象は「哲学とはジレンマ」であるということだ。排外主義は社会的な対立の一例であり、対立が起こらないようにするには、富をどう配分するかを考えていくことが大切だ....ということだと思ったのだけど。
 熊本では、県南の多良木高校の存続が大きな話題となっている。なぜ自分たちの住む地域の高校がなくなるという犠牲を強いられるのか....という気持ちはもっともである(私も郡部の阿蘇高校=現在は統合され阿蘇中央高校の出身である)。こうした思いと、財源がないし生徒数も減っているという問題を天秤にかけた場合、よりよい社会をつくるにはどうすればいいかと考えることが哲学だ...ということだと思ったのだが。
 でもそれは目新しい話ではない。「富が公平に分配されないと、社会が不安定になる」ということは、来月の発売が待たれるトマ・ピケティの本にも書いてあること(らしい)。訳者のブログ[http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20140711/1405091495]と、NAVARまとめ[http://matome.naver.jp/odai/2140654632036368501]で、もう読んだ気分になっている。それにしても、バロウズやフィリップ・K・ディック、それになによりもH.R.ギーガーを翻訳した人が訳者だということに萌える。

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21世紀の資本

21世紀の資本

  • 作者: トマ・ピケティ
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2014/12/09
  • メディア: 単行本



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「時代を哲学する」 [たんなる日記]

 外国ルーツの子どもたち支援研修会でも感じたことだが、グローバル化が進む一方で排外主義的な雰囲気も強くなっているような気がする。排外主義といっても、xenophobia的な思想ではなくて、「外国人に恩恵を与えるより、日本人を優先すべきだ」という雰囲気。広く考えれば、自分以外の人間が利益を得るのはおもしろくない、という気持ちなのかもしれない。アメリカのサンディスプリングス市の例も、根底は同じだという気がする。
 今日は、津田塾大学の萱野稔人教授の講演を聴きにいったのだが、納得した話が、「社会が発展しているときには、争いは起こりにくい」という話。なぜなら、社会が発展しているときには分配できる財も増えるからである(一方で、社会が発展すると経済格差も大きくなるが)。逆に停滞している場合は、分配できる財は減少するので、問題になるのが「貴重な財を誰にどう配分するか」ということになる。どう配分していくのが正しいのか、自分たちにとってよい社会となるのかを考えていくのが「時代を哲学する」ことだろう。やはり弁証法か。
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