逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房) [歴史関係の本(小説)]
作者は新人だそうだが、相当勉強しているなと思わせられるのは、エレノア・ローズヴェルトの扱い。肯定的に描かれてはいるものの、単にエレノア礼賛に終わっていない点は、フェミニズムがテーマの一つでもあるこの小説に深みを与えている。
2012年度センター試験世界史B(追試験)第3問Cのリード文より。
国家元首の配偶者のなかには,自ら政治的・社会的な指導者としての資質を発揮する者もいた。アメリカ合衆国においては,フランクリン=ローズヴェルトの妻エレノアがその好例である。黒人や女性,失業者などの権利や福祉について関心の高かった彼女は,ニューディールの様々な政策に関して頻繁に夫に助言した。また,人権活動家として執筆活動なども行い,単独で行動することも多かった。夫の死後は,国際連合の人権委員会の委員長として,世界人権宣言の取りまとめに尽力した。
エピローグの静謐さが、内容の社会性ともども胸に迫る。大きな流れの中で個人はどう生きるべきか。とりわけ今現在的な意味をもつ「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか、とセラフィマは思った。」という一文は、多くの読者の記憶に残ることだろう。そして、昨年のNHK『100分de名著』で取り上げられた『戦争は女の顔をしていない』に続く「物語の中の兵士は、必ず男の姿をしていた」までの4行も印象深い。主人公が現代的すぎる感もあるが、それこそが今日的な作品であることの証左であるように思える。したがって、巻末の選評に「タイトルが平板であることが気になる」という意見もあったが、このタイトルは物語の内側における呼びかけ」」のみならず、読者それぞれに対しても向けられた言葉だという気がする。
ドイツ兵士とソ連女性との物語は、 フョードル・ボンダルチュク監督の『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年)を思い出した。
ジェニファー・リー・キャレル『シェイクスピア・シークレット』(角川書店) [歴史関係の本(小説)]
ミレーの「オフィーリア」のカバーにひかれて読んだ本ですが、スピード感あふれる現代サスペンスでした。
ストーリーその他はこちらにあり。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200905-03/
「シェイクピアの戯曲を一つも読んだことがなくても十二分に楽しめる」(解説より)のは確かですが、16~17世紀のイングランド史に関する知識があれば、数倍楽しめると思います。
王朝で言えば、テューダー朝からステュアート朝時代。
(ロンドン出身の英語の先生によれば、正しい発音は「テューダー」ではなく「チューダー」だそう)
この作品には実在の人物が数多く登場するが、特にフランシス・チャイルド教授とニコラス・ヒリヤードの二人が同時に登場するというだけで、私にはかなりツボな作品。
英国トラッド・ロックの大御所フェアポート・コンヴェンションの名作アルバム『リージ&リーフ』の内ジャケットにチャイルド教授の写真が掲載されており、英国トラッド/フォーク系が好きな人にも名前が知られています。
ニコラス・ヒリヤードの作品を見たことがあれば、この作品のイメージがより明確になるような気がします。私はこの本を読んで、同朋舎『週刊グレート・アーティスト』のヒヤード特集(58巻)を見返したくなりました。
『ワイルド・スワン』ユン・チアン [歴史関係の本(小説)]
分量が多く、読むのにかなりの時間がかかりますが、それだけの価値はある面白い小説。大躍進や文化大革命といった世界史の教科書ではほんの数行ですんでしまう事項が「庶民レベルではいったい何が起こっていたのか」を知る上で絶好の本だと思います。また歴史の専門書とは異なり、庶民は何を思いどう行動していたかを知るうえでもたいへん興味深い本です。しかもその内容がかなりエグくて(小説という点は考慮する必要があるかもしれませんが)、特に作者自身が実体験した文革時代に関しては、階級敵人とされた人々がどんな目にあっていたか生々しく描写されています。一方で、混乱した社会の中で、少しでも楽しみを見いだそうとする感覚もまた共感できます。毛沢東に対する厳しい筆致は、後の『マオ』を予感させるに十分でしょう。狂った社会の中でどう生きるか、高校時代に読んで欲しい本の一つ。
纏足の足をつくる方法の詳しい説明は、かなりリアルです。
中国では、お葬式を出来る限り盛大に執り行うのがよいとされているようですが、この点『おくりびと』に見られる日本的な「シンプルさ(貧しさ)の美」とは極めて対照的な感じがします。
現行版は増補改訂されているようです。
ユン・チアン来日インタビュー(読売Online 2005年)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20051207bk08.htm
藤本ひとみ『ブルボンの封印』 [歴史関係の本(小説)]
17世紀のフランス。ルイ13世が臨終の際に「必ずイングランドに届けるように」と言い残した人物は、ブルボン朝の根幹を揺るがしかねない、封印されるべき爆弾だった。
昨年末紀伊国屋書店光の森店に行った折、店頭でみて買って帰った本。かなり長い小説でした。
ディカプリオ主演の映画『仮面の男』や、佐藤賢一の小説『二人のガスコン』とネタ的に同じの上、半分くらい読んだところでジェームズ・ラ・クローシュとマリエール・ボスの出自も予想がついてしまうので、「こりゃ失敗したな」と思ったのですが、かなり面白い作品。女性の心理描写が巧いからでしょうね。ラストは予想とかなり違ってました。歴史サスペンス・ラヴ・ロマンスってところでしょうか。佐藤賢一のヴァイオレンスな部分が苦手な人には、いい作品だと思います。でも、この時代のフランスのことを知っておかないと、少々わかりづらいかも。
世界史の教科書には、チャールズ2世がフランスに亡命していたことは出てきますが、彼の生母アンリエッタ・マリアがフランス王ルイ13世の妹(つまりアンリ4世とカトリーヌ・ド・メディシスの間に生まれた娘)だったとは知りませんでした(つまりフランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世とは従兄弟どうしということになる)。漫画化され、宝塚歌劇団によって舞台化もされたようです。
紅白でZARDの特集があってましたが、「負けないで」の作曲は、有能なメロディ・メーカーである織田哲郎。彼が核戦争の恐怖を歌った「2001年」は素晴らしい名曲で、高校時代にこの曲を聴いた私は本当に感動したものです。
ジャスコにて、1000円で買った福袋の中身。
ブルボンの封印 上 (集英社文庫 ふ 14-8) (集英社文庫 ふ 14-8)
- 作者: 藤本 ひとみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/12/14
- メディア: 文庫
ブルボンの封印 下(集英社文庫 ふ 14-9) (集英社文庫 ふ 14-9)
- 作者: 藤本 ひとみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/12/14
- メディア: 文庫
佐藤賢一『オクシタニア』(集英社) [歴史関係の本(小説)]
これまでにも何度か紹介した、一橋大学の世界史で1993年に出題された問題。
教皇権が絶頂に達したのは、第4回十字軍をおこした教皇の時代といわれる。この教皇は東方だけでなく、ヨーロッパの内部にも十字軍を送っている。いわゆる異端討伐の十字軍である。これは、宗教と政治の双方においてともに重大な歴史的結果を生みだした。この十字軍の名称とそれを最初に主唱した教皇名を明らかにしつつ、その過程と結果を下記の語を用いて説明せよ。(400字)
カタリ派 ドミニコ修道会 ルイ9世
この問題で問われているアルビジョワ十字軍を題材にしたのが、この作品。原稿用紙にして1800枚という超大作で、読むのにかなり時間がかかるものの、これも面白い作品。時代背景についての知識がなくても楽しめるけど、上の問題を解いた後に読むと、ドミニコ会が果たした役割など、より楽しめるかも。前半の3章に比べると、男女の愛憎を中心とした後半3章は少々ダレ気味な部分もあります(特にラモン7世の「夢」の部分などは冗長な感じもしましたが、これは最後で必要な話だったことが分かります)。「大人の恋愛小説」として読むのもアリ。巻末の参考文献を見る限り、この作品もかなり詳細な取材の結果のようです。
(以下、「トゥルヴァドール」という表記が誤りだということがご指摘により分かりましたので、「トルバドール」にあらためました。2008.0303」)
一橋の問題にある「政治における重大な歴史的結果」を簡単に言うと、現在の南フランスがフランスに組み込まれたということです。北の西岸海洋性気候に対して地中海性気候であり、かつては言語も北のオイル語に対して南のオック語という風に違っていました。タイトルの『オクシタニア』とは「オック語の地域(ラングドック)」の意。
中世の南フランスというと、吟遊詩人トルバドール(「見出す人」の意味)が活躍した地域。11世紀末ころからポワティエ(当時のアキテーヌ公領)を中心に広がり、トロサ(トゥールーズ)やカルカソンヌ(山川の『世界史写真集』には、上空から撮った写真があります)など『オクシタニア』に出てくる都市などでも多くのトルバドールが活躍をした記録が残っています。山川の『世界史B用語集』で「吟遊詩人」の項目を見ると「フランスのトルバドール」とありますが、浜島書店の『新詳世界史図説』では吟遊詩人の説明にある「南フランスではトルバドール」の方が正しい。北フランスではトゥルヴェールといいます(オイル語とオック語の違い)。当然ながらトルバドールはオック語、トゥルヴェールはオイル語で歌われますが、トルバドールはアルビジョワ十字軍により衰退し、13世紀のなかばにはほぼ衰退してしましまいました。これに対してトゥルヴェールの活躍は遅れて12世紀後半からパリを中心に活発となり、13世紀にかけて隆盛を迎えます。
トルバドールが歌うのは、ほとんどが愛の歌。南仏ではなく北のトゥルヴェールの曲ですが、コノン・ドベチューヌ(1160?~1220?)の「あまりにも愛したために」が、この作品に合いそうな気がします。
ワン・ヴォイス ~中世トルバドゥール、トルヴェールの愛の歌 ~
- アーティスト: ボット(キャサリン), ボルネイユ, モー, リュデル, ブリュレ, バタール, ベンタドルン
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1997/01/25
- メディア: CD
- アーティスト: ヒリアー(ポール), ヒドリー(エレン), ローレンス=キング(アンドリュー), スタッブス(スティーブン), プロエンサ
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1993/05/26
- メディア: CD
塚本靑史『マラトン 小説ペルシア戦争Ⅰ』(幻冬社) [歴史関係の本(小説)]
中国史関係の小説では定評ある著者による、古代ギリシアを舞台にした歴史小説。よく知られたエピソードであるものの日本ではこれまであまり小説の題材とはならなかった分野をモチーフにした作品で、長編小説ながら読者を飽きさせない構成は見事。
この本では、前494年からマラトンの戦いが起こった前490年までが描かれており、マラトンの戦いそのものではなく、マラトンの戦いに至るまでのアテネの動きが小説の主な部分をなす。主人公は、マラトンの戦いでギリシア軍を指揮した将軍ミルティアデス。その他クレイステネス、テミストクレス、アイスキュロスをはじめ、アルテミシア、ダマトラス、ヒッピアス、レオニダスなど有名どころが登場するので、混乱しがちなギリシア系の名前がなんとか整理できる。ピタゴラス教団の活動によって、作品にミステリータッチを加味することに成功している(活動の理由は最後に明らかになるが、それだけの理由ではなんとなく弱い気も)。続編はまだリリースされていないようであるが、続編に期待大。
評価 ★★★★(満点は星5つ)
酒見賢一『後宮小説』 [歴史関係の本(小説)]
『墨攻』の原作者、酒見賢一のデビュー作。日本ファンタジーノベル大賞の第一回目の受賞作であり、直木賞の候補にもなった作品。
ストーリーは、出版元新潮社のウェブサイトを見ていただきましょう。一般名詞のような奇妙なタイトルからして風変わりな作品ですが、これがなにゆえファンタジーなのかというと、ストーリーもさることながら、まったく架空の正史をさも本当らしく紹介しているところ。時々織り込まれる、ちょっとユーモアある「筆者」のコメントが、「さも史実らしい感じ」をだしていて面白い。人物描写も面白い。主人公銀河をはじめ、紅葉や渾沌など魅力的な人物が多い。最初、時代設定がなぜ17世紀?という感じがしたのですが(煙草と火砲を小説中に登場させたい、という理由にしては、かなり弱い)、最後に判明。いい結末です。まぁネタがネタだけに、閨房がらみの話が多いのですが、淫靡な感じはまったくなく、「乾」いた印象。西洋歴史小説の賢一サンとは違って、セックスそのものの描写がほとんどないからでしょうね。『雲のように風のように』というタイトルでアニメ化され、テレビ放映もされました。アニメ作品のオフィシャル・サイトはこちら[http://pierrot.jp/title/kumokaze/]。
陳舜臣『耶律楚材』(上・下)集英社 [歴史関係の本(小説)]
私はコーエーのPCゲーム「チンギス・ハーン 蒼き狼と白き牝鹿」が好きです。このゲームに登場する将軍に耶律楚材という人物がいます。彼は戦闘力は34とほとんど使い物になりませんが、政治力が最高の100で知謀も93、内政特技は全部○という内政担当としてはこれ以上いない人物。ゲーム中彼に対抗できる内政力を持つのは、政治力94、知謀98を有するフランスのフィリップ2世くらい(フィリップは戦闘力も90ありますが、彼は君主ですから別格ということで)。この耶律楚材を主人公にした小説です。
耶律楚材は、その姓からわかるように遼の王族ですが、生まれたのは遼滅亡後かなり時間の経過した1190年(遼の滅亡は1125年、実質的には1122年に首都燕京が陥落している)。彼の父は遼を滅ぼした金に仕えた官僚で、楚材も金に仕えた人物でしたが、1215年にモンゴル軍が燕京(北京)を占領した際にチンギス=ハン召し出され、以後第2代オゴタイまで仕えました(オゴタイの死とともに失脚したらしい)。彼の墓は現在北京の頤和園(西太后の避暑地として有名な世界遺産)にあり、清代に建てられた墓碑の文字は清朝第6代高宗乾隆帝の筆によるものです。小説にも登場する楚材の息子の鋳は、元の世祖フビライに仕えています。
この小説で耶律楚材は、天下万民のために全力を尽くす天才として描かれています。強大な力を有し覇者となりつつあるモンゴルを、単なる武闘集団から文明的な集団に変貌させ、モンゴルの軍事力を平和を維持するために活用しようとしたのが楚材だったというわけです。モンゴル軍の慣習である「屠城」を戒め、文明を守り、人々が人間らしく生きていけるように彼はあらゆる手段を尽くします。集めた情報を分析して事態を予測し、君主にアドバイスして信頼を得て政治の中枢に参画し、また道教の長春真人と語らい、仏教と道教が対立していることを装って論争することで、モンゴルに文化的雰囲気をつくりだそうと腐心します。ちなみに長春真人は、教科書に出てくる全真教の教祖王重陽の高弟で、ゲーム「チンギス・ハーン」には政治力91、戦闘力1、知謀78の将軍として登場します(戦闘力「1」って....)。耶律楚材の活躍もさることながら、モンゴルの諸将たちも生き生きと描かれています。特に第2代オゴタイなどは、親しみやすく描かれていると思います。上下2冊ですが、戦闘中心の上巻、政治中心の下巻といった流れも見事です。 耶律阿海や完顔陳和尚といった、ゲーム「チンギス・ハーン」に出てくる諸将たちが登場するのも、個人的には楽しかったです。私は完顔陳和尚(政治力は36ながら戦闘力95、知謀83)という人物が好きで、配下にはいったら必ず「婿将軍」にします(笑)。ゲームで「宴」に耶律楚材を招くと、「酒を控えるように」との諫言をするイベントがあり、OKを出すと君主の寿命が延びます。これは小説中下巻の182ページに出てくる、酒を控えるようにオゴタイに意見したエピソードをモチーフにしているようです。ゲームの攻略本『ハンドブック』でも、耶律楚材は大きく紹介されています(52ページ)。
この耶律楚材ですが、以前は浜島書店が発行していた世界史の授業用資料集にもコラムが載っていました。確か、この小説の221ページに出てくる中原政策について述べられていたと記憶しています。この本の帯には、「大モンゴルを支えた名宰相」「チンギス・ハンを覇者にした名宰相伝」「諸葛孔明を超えた男、耶律楚材の生涯」「歴史に新しい偉人を発掘!」といった言葉が踊っていますが、杉山正明氏の彼に対する評価は極めて否定的です[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B6%E5%BE%8B%E6%A5%9A%E6%9D%90]。『モンゴル帝国の興亡(上)』(講談社現代新書)の中で杉山氏は、「物語やイメージはともかく、現実の耶律楚材は、ややウソでもいいから虚栄の肩書きを好む、少しねじけた人格の持ち主」だと述べています。「愛とやさしさの政治を命を賭して主著した傑物」という描写とはエライ違いです。杉山氏が言う「物語」とは、おそらく陳舜臣氏のこの本のことでしょう。『耶律楚材』の出版が1994年で、一方 杉山氏の『耶律楚材とその時代』(白帝社)『モンゴル帝国の興亡』の出版はいずれも1996年です。「虎の威を借る狐」「傲岸、尊大な態度に引き比べ、実際には哀れを誘うまでに、無力に近かった」という評価等、この小説との落差には驚かされます。「野蛮で無教養の武闘集団モンゴル」を「近代的な集団に変貌」させた、「野蛮なモンゴル人と違って教養がある漢人」という設定が、杉山氏は気に入らなかったのでしょうか?こうした読み比べをするのも、歴史小説の楽しみの一つかも。ちなみにゲームの攻略本『ハンドブック』(98年発行)では、参考文献に杉山氏の『モンゴル帝国の興亡』があげてありますが、耶律楚材については肯定的に紹介されています。
チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿 4 (説明扉付きスリムパッケージ版)
- 出版社/メーカー: ソースネクスト
- 発売日: 2005/07/08
- メディア: ソフトウェア
コーエー定番シリーズ チンギスハーン 蒼き狼と白き牡鹿 IV
- 出版社/メーカー: コーエー
- 発売日: 2003/05/22
- メディア: ビデオゲーム
佐藤賢一『剣闘士スパルタクス』(中央公論新社) [歴史関係の本(小説)]
西洋歴史小説の第一人者による、剣奴の反乱の指導者スパルタクスを主人公とした小説。この小説のおもしろさは、スパルタクスの心理描写。抑圧され悲惨な生活を送っていたという固定観念を逆手にとり、図らずも奴隷反乱の指導者になってしまったという設定。
奴隷身分ではあるものの、美形の一級剣闘士(他にも二級剣闘士、新人剣闘士などのランクがある)として剣闘士試合の花形スターだったスパルタクスは、彼が所属する剣闘士養成所のパトロンで、スパルタクスを愛人としていた貴族女性の怒りを買い、様々な嫌がらせを受けます。そんな様子を見かねた仲間の剣闘士たちから推され、スパルタクスは反乱に参加、気がついたらリーダーとなっていたわけですが、奴隷とはいえかつての栄光の日々を思い出しては「これでよかったのだろうか?」と逡巡し、膨れあがっていく集団にリーダーとしての重荷を感じはじめる。こうしたスパルタクスの視点でストーリーが展開するため、『双頭の鷲』のグライーや『二人のガスコン』のシラノのような、主人公のライバルともいえる存在が入り込む余地がありません。その点佐藤氏の他の小説に比べると、コンパクトにまとまりすぎという印象。また、ローマでのガリア人クリクススとの試合をのぞいて、緊迫感のある場面の描写がほとんどなく、スパルタクスが剣闘士として最初にのぞんだ試合のように該当部分の描写を直前で止め、回想によって結果を読者に知らせるという手法をとっていることは、一層その印象を強くしています。そうした部分の細かい描写を入れたらよかったのにと思ってしまうのですが、スパルタクスがやらた強いためライバルが設定できず、入れてもあまり変わらなかったかもしれません。ちなみにスパルタクスとクリクススが戦ったのはローマの闘技場という設定ですが、私たちがよく知っているいわゆる「コロッセウム」は帝政時代に完成したもので、たぶん別の闘技場でしょう。
以上は一般的な感想。この小説を読んで思い出したのが、スパルタクス研究では古典ともいえる土井正興氏の『スパルタクスの蜂起』(青木書店)。浜島書店がやってる高校生向けに世界史関係の本を紹介するホームページでも推薦されていて[http://www.hamajima.co.jp/dokusyo/sekaishi/stars/suparuta.html]、また安井先生の授業もこの本が元ネタです。大麦の食事、カプアやポンペイの養成所や闘技場、試合の回数を示した取組表、ガリア・トラキア・ギリシアの3タイプの存在など、おそらく佐藤氏も部分的にはこの本を参考にしたのではないでしょうか?ただ土井氏の本以上に細かい描写があるので、おそらくはかなり資料集めをしたと思われます。ちょっとした部分にも、ハッとさせられる描写がありますね。ストーリーも史実にほぼ忠実で、養成所の経営者レントゥルス・パティアトゥスをはじめ、盟友オエノマウスとクリクスス(クリコス)といった主要な指導者も史実通り実在の人物。有名な剣闘士が、いわばアイドル的存在だったというのも事実のようです。土井氏の本ではレントゥルスは「貪欲で残忍」と書かれていますが、オエノマウスが最初に戦死し、クリクススが主戦論を唱えるのは史実通り。最後にスパルタクスがクラッススを追いながら、背後から足を槍で刺されるというのも土井氏の本に書かれている通りです。土井氏の『スパルタクスの蜂起』は、当時のローマ社会の構造や貴族の生活(とくにブルートゥスの実像などは意外かも)などがわかりやすく書かれていて、いい本だと思います。
という具合に史実に忠実なわけですが、受ける印象は土井氏の研究所と佐藤氏の小説からではまったく違います。もしかすると、佐藤氏は土井氏の本はもちろん安井先生のスパルタクスの授業のことも知っていて、あえて違うスパルタクス像を描いたのではないでしょうかね?基本的な部分では研究書と同じでも、読者に与える「スパルタクスってこんな人」っていう印象は全然違う。私はこの小説のすごさは、作者佐藤氏の伝統的な見方に対する挑戦と小説家の自由な想像力の主張にあるような気がします。
一つ疑問。エピローグで「歴史に名高い古の」アクティウムの海戦がでてきますが、これはいったいいつのアクティウムでしょう?調べたけどわかりませんでした。
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 』と『傭兵ピエール』 [歴史関係の本(小説)]
先日『半島を出よ』を貸してもらった公民のT先生から借りたのが、話題の『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 』。さおだけ屋がもうかっているのかという疑問は誰だって持ったことがあるはず。以前私は、本の中で言及されている「さおだけ屋スパイ説」をなんかの本で読んだことがあります(笑)。私はミステリー探検の類の本かと思ったら、会計学の本でした。利益を生む考え方の説明というところですね。まあまあ面白かったです。
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学
- 作者: 山田 真哉
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/02/16
- メディア: 新書
先日古本屋で買った、佐藤賢一の『傭兵ピエール』を読み終えました。『カルチェ・ラタン』は私には今ひとつでしたが、これは面白かった。こうしたスリル溢れる作品の方が、佐藤作品としては魅力的。ストーリーの展開として『双頭の鷲』→『ジャンヌ・ダルクまたはロメ』→『傭兵ピエール』の順番で読むのが正しい読み方かな。この三作品をつなぐのが、ベルトラン・デュ・ゲクランの小姓だったアルマン・ドゥ・ラ・フルト。彼はジャンヌ登場の立役者であり、傭兵ピエールの父、という設定です。ベルトラン・デュ・ゲクランが死ぬのが1380年、そしてジャンヌ・ダルクの火刑は1431年。両者の時間的間隔は50年ですから、アルマンは当時としてはかなり長生き?佐藤作品では、以降もドゥ・ラ・フルトの名が随所にでてきます。佐藤作品には女性を陵辱する描写が少なからず出てくるので、それを嫌悪する読者も多いようです。でも佐藤作品に共通するのは、母と子、父と子といった家族愛だと思うんですがね?