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渡辺 雅子(編著)『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』(三元社) [授業研究・分析]

 小田中先生のブログで紹介してあったので、買ってみた本。 以下の四部から構成され、一~四部は、それぞれ2本の論文とそれに対する1本のコメントから構成されている(第五部は論文一本のみ)。論文の著者はそれぞれ異なる。
  第一部 叙述のスタイルと理解のスタイル
  第二部 叙述からみた現代の歴史教科書と授業
  第三部 叙述の変遷
  第四部 グローバル時代の歴史教科書
  第五部 歴史と歴史教育学からの論考

 授業づくりのヒントを与えてくれる本ではないが、歴史の教科書はどのように叙述され、また教師の説明はどのように語られているか、という問題関心は、歴史関係の教師ならば誰しも持っているハズ。何のために(=どのような能力を育成し、そのような人間に育ってほしいと教師は願っているのか)授業をやってるのか、考え直すにはいい本であった。
 歴史を教えている立場からすると、いちばん興味深かったは、編著者渡辺雅子氏 による第二部第二章「歴史の教授法と説明のスタイル」。我々は日々の授業で必ずと言っていいほど「説明」を行っているが、日本とアメリカの歴史の授業(小学校)を比較してみると、両者における説明のスタイルには大きな違いがある。言い方を変えると、日米それぞれに特徴がある、ということ。すなわち日本の場合は時間軸に沿って時系列な連鎖の説明を重視しており、一方アメリカでは因果関係の説明に重点を置いている。日本の授業では「どのように(how)」型の発問が多いのに対し、アメリカでは「なぜ(why)」型の発問が多いのはこのような理由からだという。そして日本では、過去を追体験しすることで時系列の流れをつかませるため、「共感」が重視されている、というのが渡辺氏の分析。
 が、どうもこの対比は「しっくりこない」。たぶん、別に目新しい話ではないからだろう。おそらく社会科教育関係の読者の多くは、「共感」と「(なぜという問いに対する)説明」という言葉から、安井俊雄氏と森分孝治氏の授業実践・理論を思い出したのではないだろうか。安井氏は「共感」にもとづく授業で、歴史上のある場面における当事者に対して共感を持たせ、当事者としての意識を持たせようとした。これによって未来の主権者としての意識を育成するわけである。一方森分氏は、社会科で育成すべき能力は、感情や情緒、倫理的判断を交えない分析力であるとする立場。したがって森分氏によれば、「なぜ、という問に対して説明する能力」が重要なのである(『社会科授業構成の理論と方法』第Ⅲ章)。
 森分氏の授業というのは、まぎれもないアメリカ型。森分氏はアメリカの「新社会科」を参考にした授業理論であったので、当然といえば当然だが。森分氏の流れをくむ原田智仁氏の理論批判学習などがその代表例。例えば「現在のインドが貧しいのはなぜか」という問いから、イギリスの産業革命を探求していく。ちなみに原田氏は「歴史の授業は、現代社会をよりよく理解するためにある(現代的関心から営まれるべきだ)」とお考えになっている。
 ところで渡辺氏の分析によれば、アメリカの授業が究極的に目指すのは意志決定能力。でも村井淳志氏によれば、それは安井氏の授業が目指している能力だということになる。授業のスタイルが異なっていても、目指していることが同じになるとは.......。「しっくりこなかった」のは、このためか。「因果関係説明」によるアメリカ型か、「共感にもとづく理解」による日本型、とでもラベルをつくってくれれば、よりわかりやすかったような気もする。

 う~む、全然感想になってないない。 読み方が拙かった(筆者の意図とは異なっていた)ような気がする。どなたかアドバイスを。

 今日は長男のサッカー部の打ち上げだったが、お隣に座ったのが地元では有名なスートンズ・マニアの方。ザ・ヒートというアマチュア・バンドのヴォーカリストで、ミック・ジャガーのカヴァーをやってらしゃる[http://www.stage007.com/enter/rockband/index.html]。カッコよかった!

叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

  • 作者: 渡辺 雅子
  • 出版社/メーカー: 三元社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本


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