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主権国家体制の展開 [大学受験]

 受験生は2次試験への準備に追われる毎日です。ウチの学校でも3年生向け特別授業が行われています。世界史は3コースが開講されており、私は論述コースの担当です。回数は全10回。毎回3題の入試問題を解説しています。
 以下の問題は、東京大学の1992年度の入試問題です。

 今日の地球は、ほとんどが独立した主権をもつ国家によっておおわれている。このように国際社会が主権国家によって構成される状態を、主権国家体制と呼ぶことができるが、それは歴史的に形成されたものであった。下図の、〔1〕南北アメリカ、〔2〕東ヨーロッパ、〔3〕東南アジア、を中心とする概略図は、白い部分が主権国家体制のもとにある地域を表している、これら三組の地図は、主権国家により構成される国際関係の発展にとって画期をなした三つの世界的変動の、それぞれの前後の時期の変化を示したものである。この三組の地図に示された変化の特色に注目して、主権国家体制がそれぞれの段階でいかなる新しい展開を示したかを、20行以内(600字)で論ぜよ。

 今でこそ「主権国家体制」という言葉は教科書に出てきますが(山川の用語集では⑥)、この問題が出された92年当時では聞き慣れない言葉だったに違いありません。歴史の大きな流れをまとめる力・総合的な理解力・判断力を問う良問だと思いますが、当時としては受験生の多くが面食らったことでしょう。
 この問題は私の手元にある3冊の世界史論述問題集、『中谷の論述世界史練習帳』(旺文社)、『Z会世界史論述のトレーニング』(増進会出版社)、『詳説世界史論述問題集』(山川出版社)の3冊のいずれにも取り上げられています。私もすべて自力で授業をしているわけではなく、当然こういった参考書も読ませてもらってますが、時々疑問を感じることもあります。この問題について、3冊の解説を読んでみました。
①『中谷の論述世界史練習帳』について。
 この問題のテーマは「比較」であるという指摘は、なるほどと思わせます。しかし気になるのは、述べられている内容が地図で示されている「地域」に限定されている点です。問題文には「主権国家体制がそれぞれの段階でいかなる新しい展開を示したか」とあります。「段階」ですから時期的な内容を指していると考えられるのですが。そうするとこの3組の地図では「地域」よりも「時代」を判断させる材料だったと感じます。問題文にある「三つの世界的変動」を地図から特定せよ、ということです。この点で『Z会』の「巨視的に、世界的にどういった動きが起こっていたのか記したい。」という指摘(211頁)の方が正鵠を得ているように感じられました。

②『Z会世界史論述のトレーニング』について
 この解答例を読んで違和感を感じる点は、地図にまったく言及されていない点です。『中谷』で「問題文の記号を使う」と述べられているように、「①」「②」という記号を使って説明すべきでした。これは「比較」の視点が欠けていたことによるものです。結果として、それぞれの地域で主権国家が増加した理由を述べるにとどまった解答になっています。

③『詳説世界史論述問題集』について
 不要な文が多いような気がします。最初の1文と最後の3文は不要なのではないでしょうか?おそらく、「主権国家体制」という言葉があまり一般的ではなかった時期につくられた解答ゆえ、そのことを説明しようとしたのでしょう。でもこれは解答例ではなく、解説で指摘しておく内容だったと思います。「新しい展開」についてはよく述べられていますが、『Z会』同様に比較の視点が欠けているのが残念です。

以下は私なりの解答例です。いかがでしょうか?
「①は新大陸における米独立革命やナポレオン戦争前後の変化を示している。この時期新大陸では、ヨーロッパの啓蒙思想やフランス革命等の思想的影響を受けて、植民地が本国からの独立戦争を起こした。これらの国は合衆国をはじめ、多くの場合②③とは異なり外国の支援を受けて独立を達成し、主権国家となった。この結果①の段階では、主権国家体制が初めてヨーロッパ以外に広がることになった。②はヨーロッパにおける第一次世界大戦前後の変化を示している。この段階では、大戦後のパリ講和会議やロシア革命などで提唱された民族自決の思想的影響を受け、異民族に支配されていた民族が独立を果たして民族国家を形成した。旧支配国の多くが第一次世界大戦の敗戦国であったため、①③とは異なり大きな混乱もなく主権国家が誕生した。この段階では国民国家の思想が広がった一方で、アジア・アフリカの植民地には民族自決の原則は適用されなかった。③は東南アジアにおける第二次世界大戦前後の変化を示している。大戦中欧米植民地で高揚したナショナリズムは社会主義の思想的影響も受け、日本の敗戦後に独立運動を引き起こしたが、①②とは異なり、インドシナ戦争など多くの国は宗主国との長期に渡る激しい戦闘の末主権国家となった。1960年にはアフリカにも多くの主権国家が生まれるに至り、この段階において主権国家体制は世界中に広まることとなった。」(582字)

 


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コメント 2

N.Y.

    この問題は、私も何度も生徒達といっしょに考えてきました。「国際関係の発展にとって画期をなした三つの世界的変動」に注目して主権国家体制の展開を述べるというかなり高度な問題だと感じますが、重要なのは「世界的変動」をはっきりさせることだと思います。①は、ヨーロッパとアメリカ大陸で連鎖的におこった一連の政治的・社会的な変革(今では教科書でも「大西洋革命」という用語が登場していますが)の一環として、中南米にも市民革命が波及し、一応ヨーロッパ的な近代国家が誕生し主権国家の仲間入りをしたこと。②はオーストリア、ロシア、トルコという近代初期からの家産制的「帝国」(ハプスブルク家などの家が支配する他民族国家)が第一次大戦を機に崩壊して、民族自決原則のもとで東欧にも国民国家が誕生したこと。③は16世紀以来形成されたヨーロッパ諸国による植民地体制が第二次大戦を機についに崩壊して、アジア・アフリカ地域にも主権国家が誕生し、はじめて国際社会の一員として登場したこと。
  私は以上の三つの「世界的変動」を高校生なりの言葉で明確にしようとする答案が必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
by N.Y. (2006-02-12 09:52) 

zep

N.Y.先生、アドバイスを有り難うございます。実は私がこの記事を書いたのは、正直言って自分の解釈に自信がなかったからです。先生から頂いたコメントを読み、私の解釈とかなり近いものを感じたので、ちょっと安心しました。今後とも色々とコメントをいただければ幸いです。ありがとうございました。
by zep (2006-02-12 15:08) 

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