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『ヘンリィ五世』(ローレンス・オリヴィェ監督、1945年、イギリス) [歴史映画]

【映画について】
 スタンリー・キューブリックの『スパルタカス』でクラッスス役を演じたローレンス・オリヴィエの主演・監督。彼の監督第一作らしい。原作はシェークスピア。百年戦争でイングランドを圧倒的優位に導き、短命であったものの名君と称えられたヘンリー5世(位1413~1422)の活躍を描いた作品。制作当時は第二次世界大戦中ながら、豪華な映画です。というのも、このシェークスピアの史劇は、「味方の士気を鼓舞して強力な敵を粉砕し、イングランドを勝利に導いた偉大な王の物語」なので、戦争中国民の戦意を高揚させるにはピッタリだった、ということです。映画の内容からして、フランスとの連携という意味合いもあったかも。佐藤賢一氏は『英仏百年戦争』(集英社新書)の中で、「アザンクールのあと、ヘンリーがフランス王の娘であるカトリーヌ王女と結婚して、ほどなく戦争は終結したとも信じられている」という英人ジャーナリストの指摘を引き合いに出して、「これぞ『シェークスピア症候群』の典型的な症状である。」と述べています。英国映画協会 British Film Institute (BFI);選定の映画ベスト100で第18位。[http://www.bfi.org.uk/bfi100/11-20.html]

【ストーリー】
 キネマ旬報DB http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=15506

【グローブ座】
  映画の始まりは百年戦争中ではなくて、ヘンリー5世の時代より200年近くあとのエリザベス1世時代の1600年。ロンドンのグローブ座で、シェークスピア作の史劇『ヘンリー5世』が上演される所から始まります。楽屋裏の様子や、劇を見ている市民の様子なども描かれていますが、多分こんな雰囲気だったのでしょう。上演中に雨が降ってきて皆があわてるシーンがありますが、当時のグローブ座に屋根がなかったのも史実通り。進行中口上役が何度も「想像力を働かせて....」と述べているうちに、野外ロケに移り変わっていくというユニークな構成の映画です。
 グローブ座は1613年、シェークスピアの『ヘンリー8世』の上演中に、装置の大砲から出た火によって火災が発生し焼失します。翌年には再建されますが、1642年には清教徒革命の影響で閉鎖となり、1644年には取り壊されています。1997年には、ロンドンにグローブ座が復元されました。グローブ座のオフィシャル・サイト[http://www.shakespeares-globe.org/]です。

【見所など】
 見所はローレンス・オリヴィエの名演技でしょう。劣勢の味方兵士の士気を鼓舞する名演説と台詞回し。英語が分かれば、韻を踏んだ台詞や、ジョークの内容などももっと楽しめるのでしょう(観客は笑っているのに、私はなんで笑うのかがさっぱり分からない)。このDVDには、日本語の字幕だけで英語の字幕がないのがたいへん残念です。また野外ロケによるアジンコートでの戦いのスペクタクル・シーンも圧巻。記録では、5万のフランス軍に対してイングランド軍は1万2千という圧倒的に不利な状況の中、イングランドの大勝利に終わり、フランス王の弟オルレアン公シャルル(『ジャンヌ・ダルク』でオルレアンを守っているデュノワ伯ジャンの父)という大貴族までがイングランドの捕虜になりました。セント・ジョージはイングランドの守護聖人。サッカーのワールドカップで、イングランドの選手やサポーターが身につけている白地に赤の十字(セント・ジョージ・クロス)がその象徴で、映画中これでもかってほど何度もでてきます。現在の英国旗ユニオン・ジャックの一部を構成しています。赤バラを胸につけている兵士も登場します。

【ヘンリー5世について】
 名君といわれるヘンリー5世は、映画の最初でカンタベリー大司教らが、昔は放蕩だったと話しているとおりの幼年時代を送ったと言われています。シェークスピアの『ヘンリー4世』でも、放埒な皇太子ハル(ハリー)として描かれていますが、このときの友人がこの映画にも登場する「ジョン卿」こと、ジョン・フォルスタッフ卿(Sir John Falstaff )です。この映画だけではジョン卿がなぜあんな風になってしまったかがよくわかりませんが、シェークスピアの史劇では、戴冠式に来たジョン卿にヘンリーが「お前など知らぬ」と冷たく言い放ったのが理由になっています。ちなみにジョン・フォルスタッフのモデルは、サー・ジョン・オールドカッスルという人物で、この人はコンスタンツ公会議(1414)で異端となったイングランドの宗教改革者ウィクリフ(聖書の英訳で知られるオックスフォード大学教授)の説を信奉していたため(いわゆるロラード派)、1417年に処刑されています。史劇とは違って、実際のヘンリーはなんとか彼を処刑から救おうとしたと伝えられています。Wikipesia[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95]
 「アジンコートAgincourtの戦い」(1415)は、フランス風にいうと「アザンクールAzincourtの戦い」のこと。リュック・ベンソンの『ジャンヌ・ダルク』で、ラ・イールがジャンヌに「アザンクールで俺を守ってくれた」お守りを渡そうとするシーンがありました。映画通りの大勝利をおさめたイングランドは、以後ジャンヌ・ダルクの登場まで百年戦争を有利に進め、 以前『ジャンヌ・ダルク』で紹介したトロワ協定の締結に成功します(1420)。その結果フランス王シャルル6世の娘キャサリンオヴ・ヴァロワ(英語ではカトリーヌ)を王妃に迎えるのは映画の通り。ところがまもなく1422年にヘンリーは赤痢のためにあっけなくこの去り(35歳)、後を託されたのが弟のベッドフォード公です。
 王妃キャサリンは21歳の若さで寡婦となりますが、その後王太后付きの納戸係だったオウエン・テューダーとの間に4人の子をもうけました。そのうちの長子エドマンド・テューダーの子ヘンリーが、バラ戦争後に成立するテューダー朝初代のヘンリー7世になります。つまりヘンリー8世やエリザベス1世には、ヘンリー5世妃にしてフランス王女キャサリンの血が流れているわけです。

ヘンリィ五世〈デジタルニューマスター版〉

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  • 出版社/メーカー: ビデオメーカー
  • 発売日: 2002/10/25
  • メディア: DVD


英仏百年戦争

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  • 作者: 佐藤 賢一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 新書


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