SSブログ

鉄器がもたらした社会変動 [大学受験]

 今週の月曜日から夏季課外が始まっています。前半5日間は中国史で、今日で前半はおしまい。毎度の事ながら、様々な発見がありました(それって、単なる勉強不足ってことでは......(^^;))。


 春秋・戦国時代の中国において、鉄器の出現がもたらした経済的・社会的変化を300字以内で述べよ。 (京都大・1991年)

 中国における鉄器の登場について、「鉄製農具と牛耕の普及による農業生産力の向上」というのは定番の知識。鉄製農具がもたらした変化としては、氏族の統制などの旧来の封建制度にもとづく社会秩序が崩壊し、実力本位の社会となったこと、その結果諸侯はそれぞれ富国強兵策をとったことから、余剰生産物の増加とも相まって商工業が発展、青銅の貨幣が流通しはじめたことがあげられます。諸侯の富国強兵策との関係では、山川の『詳説世界史』に「君主に権力が集中」、帝国の『新詳世界史B』では「領域国家の形成」があげられています。また人材登用もさかんとなり諸子百家が登場、新しい政治理論が出てきたこともあげていいでしょうね。山川の『新世界史』には、人口の増加にともなう「中国文化圏の拡大」という点もあげられています。『新世界史』には、「鉄工具が手工業でもちいられて」という点も指摘されているので、余剰生産物の増加に加えてこのことを商工業の発展の背景としてあげてもいい。旧課程版の山川『詳説世界史』には、「それまで公有であったといわれる土地は私有となった」という記述がありましたが、現行の教科書で土地の私有にふれているものは無し。経済格差が広がったことは、あげてもいいでしょう。
 ここで疑問なのは、鉄器は武器として使われなかったのか?という点。山川の『新世界史』の春秋・戦国時代の項目には、「戦争の規模も大きくなって、戦車にかわって騎兵や農民歩兵が登場した」とあります。また春秋・戦国よりもはるか昔のヒッタイトが鉄製武器を使っています。
 結論から言うと、中国において青銅の武器が鉄製の武器に完全にとって変わるのは漢代になってから。秦の始皇帝が民間の武器を没収したという話は有名ですが、始皇帝が没収した武器も当然ながら青銅製。中国では、なぜ鉄を武器に使うことが遅れたのでしょうか?世界史的にみると、鉄器の出現は通常鍛鉄から始まり、溶融に高温を必要とする鋳鉄はこれより遅れて始まるのがふつう。ところが中国の場合、青銅器製作の技術が高度に発達していたから、鋳鉄の方が先に始まったのです。手元の資料集『新詳世界史図説』(浜島書店)の54ページには、鋳型の写真が掲載されています。以上は西嶋定生『中国古代の社会と経済』(東京大学出版会)の43ページに書かれている話でした。なお、この本によると鉄製農具の出現によって「耕地は従来の山麓の湧水地帯や氾濫の恐れのない河岸の低地から、広大な黄土平原に拡大された」(47ページ)。この点で、中谷臣『世界史論述練習帳』(旺文社)の資料編(176ページ)の京大1991年に対するコメント「天水高地農耕→灌漑平地農耕」という指摘は、灌漑平地農耕への変化はいいとしても、その前を「天水高地農耕」とまとめるのには少々疑問。

 明日は休みで日曜から再開。後半はヨーロッパ史です。

中国古代の社会と経済

中国古代の社会と経済

  • 作者: 西嶋 定生
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1981/01
  • メディア: -


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。