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地域から世界史を考えてみる [授業研究・分析]

 今年の夏、山口県の世界史の先生から「地域から世界史を考えてみませんか」という、ご提案をいただきました。8月に神戸で行われた歴史教育者協議会の全国大会の世界史分科会で話をしたところ、好反応を得ることができたとのことでした。世界史の授業で熊本の関係の話をすることはあったものの(加藤清正の朝鮮出兵と本妙寺の話や、荒尾の宮崎滔天と孫文の関係など)、「なんとなく話のネタとして」やってきただけで体系化したものではなかったので、授業として組み直してみると面白いと思います。

 今日の熊本日々新聞には、県社会科教育学会の記事が出ていました。会では地域教材の開発を重視しているとのこと。「身近な教材になると、子どもの反応が全く違う」という指摘は、当たっていると思います。例としてあがっていたのが、菊池の武将菊池武光。南朝に忠誠を誓う武光と、「裏切り者」少弍頼尚を対比させ、「どちらが当時の生き方として正しいか」という問いを投げかける、という授業。「どちらも武士の生き方だ」という結論に辿り着いたということです。結局教材が熊本というだけの話で、人物の「生き方」に特化させる「生き方教育」である点は、これまで小中学校の歴史の授業で行われてきたこととあまり変わっていないような気がしますが?新聞には「共感し歴史学ぶのが大切」という見出しが躍ってますが、これは別に目新しい視点ではなく、これまで日本の小学校で行われてきた歴史の授業の典型的なスタイルにすぎません(渡辺雅子『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』三元社)。これまで小学校で行われてきた授業ではあまり見られない、対照的な二人の生き方を比較させ、生徒に葛藤を生む、という点が違うのかも......と一人考えてみる。

 他の地域ならばともかく、菊池氏の地元である菊池市では、こうした「武光も少弍もどちらも立派、みんな頑張ってたんだ」的な話はあまり受け入れられないのではないでしょうか?菊池市には「菊池公頌徳歌(きくちこうしょうとくか)」というのがあり、ウチの子どもが通う小学校では、運動会で歌っていました。観客の祖父母らも唱和していたらしい。3番の歌詞は「南北朝の乱れには 武時 武重 武土や 武光 武政 武朝等 赤き心の一筋に 累世王事に勤労し 忠義の神と なりにけり 誉れは千載朽ちもせず 勲は 万古に輝けり」というもの。菊池神社の祭りの日には、小学校の授業は午前中で終わるほど菊池氏が尊崇されている土地で、菊池氏の不倶戴天の敵を肯定的に扱うのは、かなり難しいような気がします。もしやるんだったら、小学校段階でしっかり菊池氏の南北朝時代の活動を教えておくことでしょうね(歴史の授業が「生き方教育」なのは、中学校よりも小学校の方が多い)。そして中学生の発達段階にあわせて、多面的なものの見方というを身につけていくような長期的プランができれば理想的。菊池市内で小学校と中学校の教師が共同研究でやっていけば、かなり良い地域教材になるはず。ただウチの子どもが通う中学校は期待薄。以前妻がその中学校に勤務していたんですけど、元高校の英語教師だった妻が「英語の授業を見せてくれ」といったら、断られてしまったとのこと。別に部外者ではないから見せてくれてもいいと思うんですが、一体どんな授業をしているんでしょうか?他人から自分の授業を見てもらい、アドバイスをしてもらうことは授業力向上の基本。この時点で、「この中学校終わってる」ような気がします。もっと唖然とするような話もあるんですが、書き始めると止まらなくなりそうなんで、これくらいで。

 「菊池公頌徳歌」の2番は「歴史は古し 延久に 則隆此の地を 管領し 菊池の姓を 立てしより 伝統二十有余代 中にも 武房 有隆は 弘安四年の戦いに 仇なす元寇 打ち破り 護国の神と仰がれる」という歌詞です。「有隆」というのは菊池氏の分家である赤星有隆のこと。私の妻の実家にある家系図(昨年の「わくわく授業」のときテレビに映っていたもの)によると、妻の実家は初代の有隆から数えて29代目の子孫。世界史だったら、こちらの方が教材になりそう。

叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

  • 作者: 渡辺 雅子
  • 出版社/メーカー: 三元社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本


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