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手段としての歴史教育 [その他]

 『中学校・高校の“優れた社会科授業”の条件 (優れた社会科授業の基盤研究2) 』(明治図書)では、よい歴史の授業の指標として、次の2点があげられています。
 ①「歴史で何らかの社会的な見方・考え方を教えようとしている」
 ②「歴史と現代社会との関連性を意識させようとしている」
 「歴史を現代社会理解のための手段」とする授業は、こうした観点から注目されているのだろうと思います。が、私が目にした「歴史を手段化した授業」(3つほどですが)を見る限り、よくできた授業だとは思いますが「なぜ歴史の授業でやらなければならないのか」という必然性はあまり感じられません。むしろ公民科目でやるべき内容なのでは?と感じてしまいます。学ぶ価値ある歴史の授業をつくろう、という姿勢は十分理解できますが、逆に「歴史の授業が必要なのか」という点で、考え込んでしまうわけです。私自身は、歴史は手段ではなく事象そのものの面白さを伝えていくべきだと思います。
 「単に『興味・関心が高まって面白かった授業』というのでは、何か肝心なものが抜けている」というのは正論です。でも、「教育に理想は必要だが、タテマエの議論でどんなに理想を説いても現実の打開にはつながらないのではないだろうか」(ある歴史教育学者の方の文章より)と、最近真剣に思ってます。


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の

東京都在住の、中世イングランド都市史を専攻している大学生です。
来年から千葉県の某私立高校で講師をすることがきまっています。

「現代社会理解のための手段」か、「事象そのものの面白さ」か。非常に難しいですね。
教育実習で米独立革命と仏革命を扱ったのですが、「現代社会理解のための手段」としてこれを授業した結果、独立宣言の内容、三権分立、憲法の制定、人権宣言…これらを強調しすぎて、ほぼ公民の授業のようになってしまいました…。もちろんこの分野では話さないわけにはいかないでしょうが、偏りすぎましたね。

僕自身は、自分の専門も関係しているのでしょうが、自分の価値観とか世界観とは違う見方で生きていた人たちがいた(あるいは今もいる)ということに、面白さを感じますね。「異文化としての歴史」とでも言いましょうか。それは「事象そのものの面白さ」に通じるかもしれません。
by の (2008-01-09 00:25) 

nettarou

いつも拝読させてもらってます。
私は大学で歴史系を学んでいたときに、何故歴史を学ぶ必要があるのかという事を考えていました。

最近では結論としては、過去の人類の多様性を知る事で、現在の価値観などを相対化させて見る事が出来る事にその意義があるのかなと思ってます。
また、価値観やら歴史観やら概念が相対化される瞬間に面白いと感じているんだろうと思ってます。

例えば、子供の扱い方が時代や地域によって異なっていたり。
へー、っていう風に面白がれるのは現代社会の価値観と比較してるからだと思います。

その点で言えば、「事象そのものの面白さ」と「現代社会理解のための手段」というのは両立し得ると思うのですが。
zepさんが考えておられる「事象そのものの面白さ」とはどういったものなのか、いつか記事にあげていただけると嬉しいです。

歴史を離れた自分もずっと関心のある事だったので、つい長文のコメントになってしまいました。
すみません。
by nettarou (2008-01-09 02:13) 

zep

活発なリアクションをいただき、感謝します。お二方からのコメントを拝読し、結論から言うと私の考えはお二人がお書きになっていることとあまり変わりません。「歴史の面白さを感じるとき」は、意識的にせよ無意識のうちによ、我々が生きている現代社会と比較して価値観が違っていたり、意外なところで現代とつながっていたりということを知ったときだと思います(具体的にはヨーロッパ中世の法意識や世界観、マツダ自動車の社名がゾロアスター教のアフラ=マズダに由来している、など......トリビアや不思議発見が人気なのは、それを示しているのでは)。したがって、「現代社会理解」という要素は、授業者がことさら意識しなくてもよいのではないか?と思った次第です。この点で、のさんがお書きになっている「異文化としての歴史」は、まさに私が言いたいことを代弁していただきました。もちろん、こうした「小ネタ」は「教えなければならない」というものではなく、「教えなければならない(身につけなくてはならない)」ことは他にたくさんあります。この点は小田中先生の『世界史の教室から』で、「興味関心を持たせるのが先か、知識の教授を優先させるか」という分析がされており、世界史教師の立場は分かれています。ただどちらを優先するか、と問われると、全員必修という現状に鑑みて「興味関心を持たせるため、面白さを優先する」と私は答えます。nettarou さんがおっしゃっている「事象そのものの面白さ」と「現代社会理解のための手段」というのは両立し得る、というお考えには賛成です。補足すると「世界史の時間なんだから、現代社会の理解はあと回しでもいいのではないか?最初から目的にしなくても、過去を対象にするという科目の特性上、結果として現代社会の理解がついてくることも多いし......」というのが私の考えです。

のさん、ご専攻は中世イングランド都市市ですか。私はニュルンベルクを中心としたドイツ都市をやりました。熊本大学教育学部のT先生から、学部生時代は随分と鍛えられました(不肖の弟子ですが)。
by zep (2008-01-09 19:24) 

papa

 公民科の教師のしているものです。公民の授業だって、現代社会の理解に役にたちゃしませんよ(笑)

 個人的には、「理解」という言葉に胡散臭さを感じます。そんなことをいうオマエらが「理解」できてんのかと。

 だから、「興味・関心が高まって面白かった」という成果だけで十分だと思います。「理解」なんて言い出すと、独りよがりの勝手な結論を導き出しかねないので。
by papa (2008-01-11 21:02) 

zep

papa先生、そんなホンネを言ってしまっては.....(笑)。少しフォローしとくと、私は公民を教えることも多いですが、現社や政経では現代社会が抱える問題について、少しは理解が進んだのでは?と思ってます。ウチの学校は、学年全体で一ヶ月くらいかけてディベートをやりますが、生徒もよく調べてきて、結構盛り上がりました。それはさておき、私が胡散臭さ(というよりも警戒感か?)を感じるのは、「理解」よりも「~ねばならない」という点です。「なぜ、させなければならないのか」という点にどうも根拠の弱さを感じます。もしかすると、そこまで信念を持って教育にあたれる人がうらやましいのかもしれません。「興味・関心が高まって面白かった」という要素は、授業の十分条件ではないかもしれませんが、必要条件だと思ってます。
by zep (2008-01-11 22:00) 

nettarou

お返事?ありがとうございます。

確かに今のような通史としての授業だと、1時間の中で毎回のように全ての事柄について、現代と結びつけるのは時間的に難しいですしね。
また、他に地理や公民がある現行でのシステムの中でいえば、社会を理解するという土台を持ちながらもバランスをもって歴史・世界史としての特性をもつべきだというのも分かりました。

それでも、僕は個人的な趣味でなく義務教育などの科目としての歴史を語るときに、現代社会を理解するための手段として意識するという面により強い魅力を感じてしまいますね。
学生のときに、よく「そんな事調べて何の役に立つの?」って聞かれる事が多かったから(^^;)

しかしながら、現代との比較とか特に考えずにzepさんがこのブログに書かれている歴史的な事柄を単純に楽しんでいる自分もいるんですよねぇ。
これからも拝読させていただきます。
by nettarou (2008-01-11 23:00) 

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