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井野瀬久美恵『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日選書) [歴史関係の本(小説以外)]

 以前このブログで紹介した井野瀬先生の『「受験世界史」の忘れ物』は、このブログを介してアマゾンで7冊も売れたという堂々たる記録を残しました(もっとも1冊1円という価格ゆえ、アフィリエイトとしては1円の収入にもなりませんでしたが〈笑〉)。井野瀬先生の本で次に手に取ってみたのが、高山宏先生曰く「井野瀬氏を一躍ポピュラーにした」という、この『大英帝国はミュージック・ホールから』。

 ミュージック・ホールというと、われわれの世代ではどうしても笑福亭鶴光の「うぐいす谷ミュージック・ホール」を思い出してしまい、「いかがわしさ120%」みたいな感覚があるのですが、イギリスにおけるミュージック・ホールはかなり趣が違います。イギリスにおけるミュージック・ホールとは、19世紀なかばに生まれた、労働者向けの娯楽施設で歌舞音曲が演じられた場所。当初はアルコール類が欠かせない要素でしたが、ヴィクトリア時代に重視された「レスペクタビリティ」を備えるに至り、広い階層から受けいられるようになった施設です。このミュージック・ホールこそ、イギリスが「大英帝国」であった時代において広く「帝国意識」(広義にはナショナリズムとも言えるでしょう......若干ニュアンスは違うように私は感じましたが・・・・・本書でも使われている「(植民地を含む大英帝国への)共通の帰属意識」ってとこでしょうか?)を醸成する役割を担った、といいうのが本書の内容。

 第一部の第三章までは、ミュージック・ホールの歴史的変遷をあとづけたもので、固有名詞が多くて結構読むのに苦労しますが、第四章からは俄然面白くなります。イギリスでは真の意味での革命は起こらなかったのはなぜか。新しいタイプの労働者の出現と、ミュージック・ホールの成熟はそれと無関係ではない、ということです。イギリスの支配地域が拡大し、大英帝国となるにつれイギリスは様々な戦争を体験するようになると、ミュージック・ホールで歌われる歌には、ジンゴ・ソングとよばれる帝国意識を高揚させる歌詞を持った歌が見られるようになっていきます。日露戦争の結果について、イギリス人は、同盟国の日本が勝ったことを喜ぶより、白人国が有色人種に敗北したことを残念がったという記述をどこかで読んだ記憶がありました。しかし当時のミュージック・ホールでは、同盟国日本を支援する「行け、行け、ちび助」という曲が流行っていたらしいです(タイトルはアレだけど)。オドロキ。ミュージック・ホールは、イギリスの「普通の人」たちに大英帝国の存在とイメージを印象づけるうえで、大きな役割を果たしたというワケです。

 しかしボーア戦争以後、20世紀にはいると、ミュージック・ホールで愛国心や帝国意識を高揚させるような歌は次第に人気を失っていきました(この理由もなかなか興味深い)。手品などを含めたヴァラエティ・シアターとなったミュージック・ホールは、大ブリテン島を飛び出し、世界各地の植民地まで進出していきますが、間もなく(アメリカ製の映画を上映する)映画館にその地位は取って代わられることになります。

 今年(2008年)の東京大の入試の、世界史の第1問で出題された問題と、本書が対象としている時期が重なっているだけに、大変興味深く読むことができました。東大の問題で指定語句になっている「第1回万国博覧会」がロンドンで開催されたのは1851年。最初のミュージック・ホール「カンタベリ」が開業したのは、その翌年です。東大の問題が要求していたのは、「世界史が大きなうねりをみせた1850年ころから70年代までの間に、日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗したのか」でした。本書には「パックス・ブリタニカの崩壊がはじまる一八七〇年代以降、イギリスが傾斜を強めた『大英帝国』とは、法によって定められたイギリス領植民地、いわゆる『公式の帝国』に加えて、法的には独立国ながら政治的、経済的にイギリスの影響下にあった中国や日本、ラテンアメリカなど『非公式の帝国』も含んでいた。とりわけ、カナダ、オーストリア、南アフリカなど自治植民地は、資本の輸出先として、利子生活者となったイギリス経済に不可欠の存在となっていた。」という記述がありますが(199㌻)、ミュージック・ホールで活動したのが、イギリス人だけでなく、「公式の帝国」から来た植民地芸人、「非公式の帝国」から来た日本人や中国人などもいたことも、大変興味深い事実です。そしてまた、パックス・ブリタニカが衰退し始める1870年以降、逆にミュージック・ホールが隆盛に向かうということにも注目したところです。


大英帝国はミュージック・ホールから (朝日選書)

大英帝国はミュージック・ホールから (朝日選書)

  • 作者: 井野瀬 久美恵
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/02
  • メディア: -



大英帝国という経験

大英帝国という経験

  • 作者: 井野瀬 久美惠
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/04/18
  • メディア: 単行本



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コメント 2

オガピー

ごぶさたしております。7冊のうちの1冊を購入したのが私です。1年生の学年末試験に1年間の授業をふりかえさせているのですが(要は感想を書かせる)、単に書きなさいではおもしろくないので、井野瀬先生のこの本の「はじめに」の一部をリード文として読ませて書かせました。本当はこの本を全部読んでもらいたかったのですが…。
先生のこのブログをいつも拝見させていただいており大いに勉強をさせていただいております。今後ともよろしくお願いします。
by オガピー (2008-04-06 22:06) 

zep

いよいよ新学期が始まりましたね。今年度は難題もいくつも抱え、なんとも重苦しいスタートになっております。まさに八方ふさがり?
『「受験世界史」の忘れもの』の「はじめに」は、いい文章ですね。「歴史の面白さ」ってのは、他人から教えられるよりも、自分で見つけていくほうがよくわかるよ、って感じです。そうした糸口を示してやるのが、我々世界史教師の役目かもしれませんね。
『「受験世界史」の忘れもの』は表紙も授業で使えます(一粒で二度美味しい?)。『タペストリー』掲載のベラスケス「女官たち」とあわせて使いたいところ。もっと大きな絵、できれば「マルガリータ」全種類あればいいんですがね。
by zep (2008-04-08 20:33) 

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