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ワトー「シテール島への船出」 [授業ネタ]

 ワトー(1684-1721)の「シテール島の巡礼」は17・18世紀の文化の項目でよく取り上げられる作品です。しかし、帝国の『タペストリー』掲載の絵は、山川出版社の「世界史写真集」に収められている絵と微妙に違います。クレジットを見ると、帝国版には「シャルロテンブルク美術館蔵」とあるのに、山川版には「ルーヴル美術館蔵」とあります。タイトルはどちらも「シテール島の巡礼」ですが、別の絵ですね。

 ワトーはこの絵を二枚描いています。構図はほぼ同じですが、人物の様子や右側のヴィーナス像などが大きく異なっています。一枚はワトーの故国フランスに残り、もう一枚はワトーの死後の1763年にプロイセンのフリードリヒ大王が購入し、サン=スーシ宮殿に飾られます。戦時中の疎開をへて、第二次大戦後は旧西ベルリンに戻りホーエンツォレルン家のシャルロッテンブルク宮殿に収蔵されていましたが、80年代半ば、当時ホーエンツォレルン家の当主であったプリンツ(王子)=フォン=フェルディナント=フォン=プロイセンは、財政難を理由にこの絵を売却する意向を明らかにします。アメリカのポール=ゲティ美術館は3500万マルク(当時約28億)のオファーを出し、その他ドイツ国内からも2500万マルク(約20億円)のオファーがあったそうです。これに対しベルリン市民は、「シテール島の巡礼」がベルリンから流出するのを防ぐべく、市民運動を展開し、500万マルク(約4億円)を集めました。プリンツも「絵が西ベルリンに残るなら1500万マルク(約12億円)でよい」と提示していたことから、残額を市と連邦政府が負担し、絵はベルリンに残ることになります。

 現在この絵があるシャルロッテンブルク宮殿のシャルロッテとは、フリードリヒ大王の祖母でゾフィー・シャルロッテのことです。彼女はハノーヴァー選帝侯の娘で、イギリス国王ジョージ1世の妹にあたります。

 以前この絵は「シテール島への船出」というタイトルで知られていました。ところが第二次大戦後、「船出」というタイトルに疑問が提出されるようになります。描かれている男女は、愛の島に旅立とうとしているのではなく、立ち去ろうとしているのであり、描かれているのは愛の始まりではなく終わりであるとする解釈です。「船出」というタイトルはワトー死後のもので、フランス学士院がこの作品を受け入れたときの記録では「シテール島への巡礼」となっている。もっともこの反論にもさらに反論があり、1984年に米仏で開催されたワトー生誕300年を記念する大回顧展では、パリ作品が「巡礼」、ベルリン作品が「船出」となっていたそうです。

 なお、『タペストリー九訂版』に掲載されている「シテール島」に「シャルロッテンブルク宮殿美術館」という説明がありますが、これは間違い。これはルーヴルの方で、山川の写真集に「ルーヴル」とあるのが、実はシャルロッテンブルク宮殿美術館に収蔵されている作品です。ダブルでクレジットミス。
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