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国家と民族 [授業ネタ]

来週から二学期の期末テスト。2年生の世界史Aは、イタリアとドイツの統一までがテスト範囲である。いわゆる「国民国家」の形成である。

 今日の新聞に「移民街 漂う疎外感」という記事が掲載されていた。記事によれば、問題を抱えているのは、移民の2世や3世であるという。両親や祖父母の国に親近感が持てない一方で、生まれ育ったフランスにもなじめない。そうした疎外感にイスラーム過激派はつけこむと指摘されていた。ウチの生徒(中国籍で父は中国人、母は日本人)が「中国では日本人と呼ばれ、日本では中国人と呼ばれて、からかわれたりデリカシーのないことを言われてきた」という経験を語っていたことを思い出した。

世界史Aの教科書では、国家と民族に関する記述が多く見られる。勤務校で使用しているのは東京書籍だが、「ネーション」という言葉の解説や、「国家と民族」という特集ページなどがある。10月31日付の熊本日日新聞では、特集「日本に生きる」の中で姜信子先生が、「国家や民族という概念からの解放」ということを述べておられた。

 もちろん現代社会においては、国家の一員という前提を抜きにしては権利も主張できない。パスポートの最初のページには「日本国民である本旅券の所持人」と書いてある。それでも、外国ルーツの人たちに対するネガティヴなイメージは、国家や民族という考え方を自明の前提と考えていることにも原因の一つがあるように思われる。国家や民族、国民国家という枠組みの形成について授業でじっくり考えてみるのも必要だという気がする。

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坂本智恵子

日本で暮らしている間は国籍を意識することはありませんでした。
夫の都合で26歳で渡米。
アメリカでの出産と子育ての過程で国籍を認識し始めました。
もし夫がテロの被害者になったら・・・イスラム原理主義者のテロ行為に対するキリスト社会の『報復』は、『イスラム的陶酔感を与えるに過ぎない』から、『頬を打たれたら片方の頬を出すように』と言えます。
もし息子がテロの被害者になったら・・・『目には目を、歯には歯を』と叫ぶでしょう。
『憎しみからは憎しみしか生まれないから寛容の精神を示そう』と教えることはできるのですが、実践できるか・・・不安です。

親の国籍と異なる土地(異郷)で育つ十代の若者にとって、帰属意識はとても大きな問題です。
欧米社会で育つ十代の若者の自己アイデンティティーをコンクリートの柱に例えるなら、イスラム過激主義者の誘いは、その柱の亀裂にしみこむ雨水のようなもので、見えないところで根底から覆します。

宗教~土地・労働力・資源~そして宗教をめぐって・・・と、人類は『取り合うことと否定すること:すなわち戦争』の歴史をくりかえすものなのでしょうか。極東の小さな島国で育った私には難しい問題で、62歳の今も悩みながらロサンゼルスでジャパニーズを教えています。
by 坂本智恵子 (2015-11-23 01:35) 

zep

「国家」とか「民族」といったことは、日本にいるとあまり意識しないですよね。
私は教師になって初めて意識しました。
日本の場合、周りを海に囲まれていて、なんとなくそれが国境になっている感じなので、「他国」とか「自分と異なる民族」とは、あえて交流しなくても別に不自由はしませんし。
でもいまの時代、自分とことなる文化にバックボーンを持つ人と関わらないでいることは、事実上不可能です。

自分が「世界史」を学校で教えてきて、
いまパリのテロや、ロシア軍機の撃墜などの事件をみていて感じるのは、
19世紀以来、欧米社会はどうもイスラーム世界を含むアジアを、軽く見てきたのではないのだろうか?ということです。
by zep (2015-11-30 21:53) 

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