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吉田 裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 アジア・太平洋戦争(この呼称については様々な意見があるが)において、日本軍の兵士が置かれた生活環境から戦争の実態を検証した本(著者の言葉を借りれば、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から「死の現場」を再構成する)。内容が極めて興味深く、表現的にも読みやすい。これまでも日本軍の兵士が置かれた厳しい状況については様々な機会に見聞してきたが、この本が便利なのは証言や記録を出典を明らかにした上で一冊にまとめた点にある。さらに、戦場における歯科医療や海没死、装備の劣化など新たな視点を提供してくれた点もあげておきたい。

 以下、本書で興味深かった点。
・日中戦争開戦から終戦まで、満洲を除く中国本土で死亡した日本人の数は、46万5700人
・1941年の開戦から、アジア・太平洋戦争で亡くなった日本人の数は、約310万人
軍人・軍属      約230万人(うち朝鮮半島・台湾出身者 5万人)
   在外一般邦人     約 30万人
   国内で死亡した民間人 約 50万人
・戦没者の多くは、1944年以降に亡くなったと推定される。9割?
・戦死した軍人・軍属のうち餓死者が多い。 藤原彰61%、秦郁彦37%
したがって、戦争末期において、兵の多くは栄養失調の状態であった。
・戦死軍人・軍属のうち海没死は35万8000人と多い。
・米軍の潜水艦作戦は日本に比べて大きな戦果をあげた。
  日本の場合、潜水艦127隻の損失に対して撃沈した艦船は184隻(90万トン)
  これに対して米軍は、潜水艦52隻の損失に対して1314隻(500万2000トン)を撃沈
・艦船が不足していた日本は、恒常的に過積載状態だった。
・日本の輸送船は低速の商船が多く、さらに敵潜水艦の攻撃を避けるため
 ジグザグ航行を行ったため、一層低速となった。
・圧抵傷と水中爆傷
・体当たり攻撃を行う特攻では、機体に装着した爆弾の破壊力は通常より小さくなる。
・硫黄島守備隊の場合、戦死は3割で残り7割のうち自殺が6割くらい。
・戦争末期には兵士の体格が低下し、サイズが小さくて倉庫に眠っていた昔の軍服が使えるようになった。
・当時は一般に販売されていた覚醒剤のヒロポンが、戦場でも多用された。
・物資不足で、鮫皮を使った軍靴が支給された。サメの皮は水を透す。
・軍靴は糸が切れやすい。
・鉄の不足で飯盒も支給されなくなり、孟宗竹を利用した代用飯盒や代用水筒が支給された。
・重い個人装備。インパール作戦のときは40キロくらい。重くて歩けない。


 旧日本軍における飯盒の重要性が説明されていたが、なるほどという感じであった。確かに、第2次世界大戦を題材にした外国映画をみていると、食堂に集まって一列に並び、自分のトレイに入れてもらうシーンをよくみかける。こうした食事が提供できない場合に非常食として携行するレーションも、米軍は充実していたようだ。

第二次大戦中の米軍戦闘糧食
http://10.pro.tok2.com/~phototec/ww2.htm

 一方で、兵士一人一人が飯盒を携行するような自給自足的な補給方針も、様々な問題を生じたと思われる(本書96~98㌻)。



日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

  • 作者: 吉田 裕
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 新書



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