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『文藝春秋』4月号 [授業ネタ]

 「小倉侍従日記」、実に興味深いです(詳しい出所が書かれていないのは、少々気になりますが)。以前同じく『文藝春秋』(1990年12月号)に掲載された「昭和天皇独白録」は、昭和天皇が戦後(昭和20年)に語った回顧的内容のものでしたが、今回発表された「小倉侍従日記」は、リアルタイムの記録です。それだけに生々しさが伝わってきます。昭和15年の満州皇帝来訪に関する記述、親しいオランダが同盟国ドイツに降伏して対応に苦慮する様子、三国同盟の締結、昭和16年の日ソ中立条約の締結から独ソ戦の開始、そして太平洋戦争の始まりまで 、世界史の授業ネタに使えそうな記述が並んでいます。昭和17年以降のミッドウェー海戦から戦況が悪化し、日本が降伏するまでの推移も興味深い。中でも興味深いのが、昭和17年12月11日(金)、昭和天皇が京都で語った戦争観。
 その他、今月の『文藝春秋』は世界史の教師にとっては色々と興味深い記事が並んでいます。カラー写真のインド特集と硫黄島、カストロに関するエッセイ(檜垣博紀氏)、「周恩来は毛沢東に殺された」など。周恩来の話は、『周恩来秘録』の著者へのインタビュー。数年前、日曜の朝にラジオを聴いていたら、「周恩来は江青の策略でガンの手術を受けさせてもらえなかった」という話を聞いたような気がしますが、今月の『文藝春秋』によると、それは毛沢東の指示によるものだたとのこと。

 『昭和天皇独白録』は、当時の御用掛だった寺崎英成氏(1900~51)が書き残した記録です。NHKでドラマ化され、日本テレビの『知ってるつもり』でも紹介された「マリコ」のマリコ=テラサキ=ミラーの父親、といった方が有名かもしれません。 太平洋戦争開戦直前、アメリカのワシントンに赴任した外交官の寺崎英成は、外務省に勤務していた兄から、アメリカ政府の対日態度を伝えるように命令されます。寺崎はアメリカ人の妻グエンとの間に生まれた娘「マリコ」(名付け親は当時中国南京政府の特命全権大使の重光葵)を暗号に、アメリカ側の反応がよければ「マリコは元気」、悪ければ「マリコは病気」と電話で伝えることにしました。具体的には、「マリコの具合はいかがですか?」=日米関係はどうですか?、「マリコは大変悪いです。どんどん悪くなる一方です」=見込みが薄くなりました、「それはいけない。 荻窪のオヤジが生きているうちに、良い医者に診てもらわないと」=近衛首相が辞職させられそうです、首相であるうちに改善しないと危ない、 という具合。「マリコ」の状況は日を追う毎に悪化し、寺崎は日米開戦を避ける最後の望みとして、ローズヴェルト大統領から昭和天皇宛の親書を出してもらうことに成功します。大統領の親電が打診されたのは1941年12月7日午前10時。だが、この親電は日本軍部の情報撹乱によって大幅に遅れ、駐日大使ジョセフ=グルーの元に届いたのが7日午後10時。その親電が翻訳され天皇の手に渡ったのが8日午前3時すぎ、真珠湾攻撃が開始されるわずか30分前であり、結局真珠湾攻撃は敢行されてしまいます。
 戦後、寺崎は吉田茂首相から宮内庁御用掛を命じられ、天皇とマッカーサーの通訳担当官となりますが、彼は自分の記録を日記に残しており、彼の死後40年たってから発表されたのが『昭和天皇独白録』です。昭和天皇はローズヴェルトからの親書について「親電がくるであろうことはあらかじめ知っていた。待ち受けていたが一向にこない。私はこの親電に答えたいと思っていたが…」と語っていたそうです。

昭和天皇独白録

昭和天皇独白録

  • 作者: 寺崎 英成, マリコ・テラサキ・ミラー
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 文庫


マリコ

マリコ

  • 作者: 柳田 邦男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1983/01
  • メディア: 文庫


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