イギリス議会の起源 [モノ教材(切手)]
イギリスでは、13~14世紀に議会制の伝統が生まれたといわれる。その形成過程を説明しなさい。(250字以内) (津田塾大・国際関係)
イギリスで1965年7月19日に発行された「議会成立700年記念」のFDC。ebayで買ったのですが、いくらだったか忘れてしまいました。たぶん送料入れても五百円未満だったと思います。
イギリスにおける議会の起源は、1265年にシモン=ド=モンフォールが開催した集会だと言われています。これ以前にも議会のプロトタイプと言える機関は存在していました。教科書にある「以前からあった高位聖職者・大貴族の会議」で、マグナ=カルタの第12条「いっさいの楯金もしくは援助金は、朕の王国の一般評議会によるのでなければ....」中の「一般評議会」です。これはクリア=レギスと呼ばれましたが、これとは別に当時イングランドには地方の代表によって構成される集会があり、シモンはこの両者を統合したというわけです。
このシモン=ド=モンフォールですが、彼の父親がアルビジョワ十字軍で活躍した人物だとは、佐藤賢一の『オクシタニア』を読むまで知りませんでした。
マルク 「でもアルビジョワ十字軍といえば・・・・・」
エドモン 「モンセギュールの戦いを待たずして、あの覇王は死んだのだ」
マルク 「えっ、それからイングランドに渡ったのではないのですか」
エドモン 「議会を盾にロンドンで暴れておるシモンは、同じ名前の息子のほうじゃ」
ドニ 「だから、きちんと勉強しなさいというのです」
『オクシタニア』(「プロローグ」より)
シモン=ド=モンフォールが反抗したイングランド王というのが、ヘンリ3世(位1216~1272)。『オクシタニア』ではラモン7世の従兄弟として登場し、仏王ル9世に敗北しています。ヘンリ3世の妹エリナーは、シモン=ド=モンフォール(子)の妻となりました。
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