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富の原西区・慰霊の日 [たんなる日記]

 今から68年前の昭和20年5月13日、私が現在住んでいる場所はアメリカ軍の艦載機グラマンの攻撃を受けた。当時この地には、旧陸軍の菊池通信教育隊の施設があった。アメリカ軍はこの施設と隣接する飛行場を標的にしたのである。

 この攻撃によって、陸軍特別幹部候補生陸軍少年飛行兵の方々38名が犠牲となったという。今日はその慰霊祭が、地元の公民館で行われた。当時九死に一生を得たお二人が、慰霊の言葉を述べられたが、「反撃しようにも銃には弾丸の一発もはいっていなかった」「攻撃の成果を確認しようと低空で地上を見ている米兵に何もできず、畜生としか言えなかった」「遺体すら残らなかった犠牲者に、指導教官は、せめて遺品の一つを家族に届けたいと必死で探しまわっていた」等、時折声を震わせながら述べられる言葉に、聴いている私も思わず涙を禁じ得なかった。

 昭和20年5月13日といえば、終戦のわずか3カ月前である。このような時期に15~18歳の、今なら高校生の若者が命を落とすとは、まったく理不尽なことだと思う。夜は慰霊の竹灯籠が灯された。68年前、今私が住んでいる場所で亡くなった方々のご冥福を、心から祈るばかりである。


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