SSブログ

マララさんとワトスン博士 [授業ネタ]

 12月11日付のノーベル賞関係の新聞記事は実に興味深いものでした。日本人2人の受賞もたいへんうれしいことですが、やはりマララさんとサトヤルティさんの平和賞受賞。「2人はインドとパキスタンの関係改善に向け、両国首脳に授賞式出席を呼びかけたが、実現しなかった。」とありますが、これは印パ関係に使えるな....と思っていたところ、なぜか平和賞はスウェーデンではなくノルウェーでの授賞式。これはノーベルの遺言によるものらしいですが、その理由については諸説あるようです。 http://www.no.emb-japan.go.jp/Japanese/Nikokukan/nikokukan_files/nouberuheiwashou.pdf
ノーベル存命当時当時、ノルウェーとスウェーデンは同君連合だったものの、必ずしも良好な関係ではなかった模様で、それも理由の一つ?.....印パ関係に重なるような気も。
 しかしもっと私の注目をひいたのは、マララさんの名前の由来でした。「私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクであるマイワンドのマラライにちなんでつけられた」....マイワンドの戦い!!これはあのシャーロック・ホームズの助手ワトスン博士が参加し、重傷を負った戦いです。『緋色の研究』によれば、ワトスン博士は「あのマイワンドの激戦に参加し」「肩をジェーゼル銃で打ち抜かれて、骨を砕かれたうえに、鎖骨下の動脈に裂傷を負った」。ということで、ホームズとワトソンが初めで出会ったとき、「あなたはアフガニスタンに行ってきましたね?(パシュトゥン人はアフガニスタンの約45%、パキスタンの約11%をしめる)」「どうして、それがおわかりになったのです?」というやりとりになるわけです。新聞記事では「マラライは、19世紀の第2次アフガン戦争中に英国を苦しめた「マイワンドの戦い」でパシュトゥン人兵士を励まし、勝利に導いた英雄」なんだけど、ワトスン先生は「残虐きわまる回教徒兵士」だと評しているのも面白い。
 ということで、久しぶりに世界史の授業でNIE。新聞記事の裏には『シャーロック・ホームズ大全』(鮎川信夫訳、講談社)の「緋色の研究」から、冒頭の部分の「ワトスン」「シャーロック・ホームズ」を消したうえで印刷して配布。東京書籍の世界史Aの教科書には、パキスタンでの児童労働の写真があったのでさらにグッドでした。

 このことは『わたしはマララ』でも述べられています。

IMG_2359.JPG

IMG_2354.JPG
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。