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長谷川 修一/小澤 実 編著『歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏』勁草書房 [歴史関係の本(小説以外)]

 高校で用いられている世界史の教科書を対象に、記述内容と作成プロセスを検討した本である。第Ⅰ部および第Ⅱ部では、古代イスラエル、中世ヨーロッパ、中・東欧、アメリカ合衆国(以上第Ⅰ部)、イスラーム史、日中関係、東南アジア、日本に関する記述(以上第Ⅱ部)を対象に記述内容が批判的に検討されている。視点は様々であり、記述内容の妥当性に対する批判(古代イスラエル)、構成に対する批判(東南アジア)、複数教科書における記述内容の差異や変化(日中関係)、提案(イスラーム史)、整理(日本に関する記述)などがある。これらの内容は「授業で役立つ」というものではないが、それぞれに読んでいて興味深い。とりわけそれぞれの章の「おわりに」は、執筆者の方々のスタンスがよく表れており、高校世界史教員へのメッセージとも言える。

 もう一つ面白かったのが、教科書の記述がなぜ変わらないかという話だ。長谷川修一氏は、第一に内容の大幅な変更を好まない現場の意図に忖度した教科書会社が最低限の記述変更にとどめる傾向が強いこと、第二に学習指導要領の「世界の歴史の大きな枠組みと展開」を理解させることを目的としているため、「ステレオタイプな『出来事』としての理解」が重視されること、第三に厳密な史料批判が行われないまま「『旧約聖書』の本文のみを史料として過去の歴史を再構成する傾向」があったこと、第四に教科書執筆者が「古代イスラエル史」を厳密に研究してこなかったことの四つの複合的要因があるとしている。
 これら四つの要因のうち、三と四は古代イスラエル史固有の問題だが、一つ目と二つ目は他でもあり得る話だろうし、しかも両者には密接な関係があるように思われる。『詳説世界史』の執筆者である東京大学の橋場弦氏によれば、衆愚政という言葉を削除したら現場の教員からクレームが相次いだという[http://todai-umeet.com/article/34727/]。というのも「橋場教授は正しい表現に直したのにすぎないが、現場からすればわかりやすいストーリーが崩されてしまった」からだ。確かに自分自身の授業を考えてみても、因果関係を軸にしたストーリーを展開した方が話しやすい。

 個人的には、第Ⅰ部・第Ⅱ部よりも第Ⅲ部が面白かったが、中でも元教科書調査官の新保良明氏による第10章「世界史教科書と教科書検定制度」と矢部正明氏による第12章「高等学校の現場から見た世界史教科書―教科書採択の実態」は興味深い内容である。第10章は教科書検定とはどのように行われるのか、検定を行う教科書調査官(教科調査官とは異なる)とはどんな人で、どうやったらなれるのかなど興味はつきない。ここでも「おわりに」がリアルだった。よほど腹に据えかねたのだろう。
 「序」にあるように、この本は授業の改善や世界史という科目の在り方に直接「役に立つ」ものではない。であるにせよ、これまで正面から語られることがあまりなかった内容であり、自分自身が当事者であることも相まって、たいへん面白く読むことができた。

1930年度に松山高等学校で出題された世界史の問題はたいへん興味深い。確認できる範囲では、穴埋め問題の初出だとのこと(第11章)。



歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

  • 作者: 長谷川 修一
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2018/06/29
  • メディア: 単行本



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