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村上陽一郎『ペスト大流行』(岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

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 新型コロナウイルス感染症の流行により、カミュの『ペスト』が売れているという。
https://toyokeizai.net/articles/-/335178
https://mainichi.jp/articles/20200227/k00/00m/040/366000c

カミュの作品は、ペストに立ち向かう人々を通じてこの世の不条理さを描いたフィクションだが、同じくペストを扱った村上陽一郎の『ペスト大流行』(岩波新書)もまた注目されているらしい(アマゾンのマーケットプレイスでは2020年3月9日の時点では最低5000円で出品されているが、近々再刊されるとのこと)。ということで30年ぶりくらいに再読。

 この本には「ヨーロッパ中世の崩壊」という副題がついており、ペスト大流行の実態と人々の対応を跡づけ、この病気の流行が後世にどのような影響をもたらしたかを論じたものである。隔離政策の開始(当時の隔離は、ハンセン病患者のように遺棄に近いものであった)、ペスト蔓延の原因と見なされたユダヤ人への迫害、宗教的情熱の高揚(宗教改革につながる)などは短期的な影響であるが、長期的には農民の地位の向上に伴う荘園制度の崩壊をもたらし、ヨーロッパが資本主義へと舵を切るきっかけになったとも言える。2000年度のセンター試験世界史B(追試)第4問Aのリード文は、黒死病(ペスト)の流行についてよくまとまった文章だと思う。

 1347年秋にマルセイユ等の地中海沿岸都市から上陸した黒死病(ペスト)は,その後全ヨーロッパで猛威を振るった。人々は,有効な治療法を知らず,病人との接触を避ける以外に予防手段を持たなかった。そしてひたすら神に祈るかと思えば,むち打ち苦行団に加わり,あるいは恐怖のはけ口を求めてユダヤ人大虐殺を引き起こすなど,パニック状態に陥った。この時の流行で3000万とも言われる死者を出したペストは,その後も流行を繰り返し,ヨーロッパの人口の回復を妨げた。イギリスとフランスでは,これに百年戦争も重なって,すでに進行しつつあった荘園制の危機に拍車がかけられることになった。


ペストの流行が封建社会の衰退をもたらしたという点については高校世界史の教科書にも記述がある。村川堅太郎・江上波男・山本達郎・林健太郎の諸先生が名を連ねておられた時代の『詳説世界史』(山川出版社)の記述。

【1985年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパをおそい、農村人口は激減した。領主は農村の労働力確保のため、農民の待遇改善をはかった。そのため農民の生活はますます向上し、貨幣をおさめるだけでよい独立自営農民に上昇していった。特に貨幣地代のもっとも普及していたイギリスでは、農民の地位の向上が著しかった。」

【1991年版】
1985年版と同じだが、「黒死病」が太字となり、独立自営農民に「(ヨーマン)」とカッコ書きが加わっている。

【1997年版】
「たまたま1348年を中心に黒死病(ペスト)が西ヨーロッパで流行し、農村人口が激減すると、領主は農民の確保のため、彼らの身分的束縛をゆるめるようになった。こうした農奴解放の動きとともに、農民の地位は高まって、彼らはしだいに自営農民に上昇していった。この傾向は、もっとも貨幣地代が普及したイギリスで著しく、かつての農奴はヨーマンと呼ばれる独立自営農民に上昇したのである。」

 現行の『詳説』の記述と比べると、ペストの役割が強調されているように感じる。現行版では「1348年」という年代も、なくなっている。

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 14世紀のヨーロッパで流行したペストのルーツについて、村上陽一郎『ペスト大流行』では中国や中央アジアなど複数の説を紹介しているが、いずれにせよ他地域から交易ルートに乗ってもたらされたという点では同じである。そのうちの中国から伝わったという説については、13世紀にモンゴルによってユーラシアの東西が結ばれた結果、アジアからヨーロッパにペストがもたらされたともいわれている。ウィリアム・マクニールという研究者は、その著書『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、新潮社)の中で「ヒマラヤ山麓に根を下ろしていたペストは、モンゴルの征服活動の結果中国に広がり(中国では1331年にペストが流行している)、その後交易ルートに乗ってクリミアに至り、1348年のヨーロッパにおける大流行をもたらした」と述べている。フビライが雲南の大理を征服するのが1254年なので、計算上ムリはない。ジャネット・アブー=ルゴド女史も、『ヨーロッパ覇権以前(上)』(岩波書店)の中で、「マクニールの推論を確証する十分なデータはないが(反証するデータもまたない)、彼の説は説得力があり、すべてとは言わないが少なくとも一部は証拠づけられている。」と賛意を示している(219ページ)。このモンゴル説は、ある予備校の東大模試に使われたこともある。リード文でボッカチオの『デカメロン』におけるペスト流行の描写を引用した上で、「古代よりペストの流行は幾度か発生しており、多くの文献にもその様子が記されている。しかし、かつてこれほどに迅速かつ広範囲にペストが広まったことはなかったし、多くの犠牲者が出たこともなかったのである。14世紀半ばのヨーロッパを襲った危機的な状況は、単に一地域での事象にとどまらず、より巨視的な視点の上で理解されるべきである。」と述べ、解答例では「....モンゴル帝国による駅伝制の整備や十字軍を契機とする西欧の遠隔地商業の発達により、ユーラシア全域に渡る交易網が形成されており、これらがペストの被害を拡大した。」としている。最近でも北村厚先生の『教養のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)では「ペストはモンゴル帝国のユーラシア・ネットワークにのって西に伝わった。ペスト菌を媒介するネズミやノミが遠方の都市に到達することは、従来ありえなかったが、モンゴルのつくったジャムチは、ペスト菌の遠隔移動を可能にした。」とされている。この仮説が正しいとすれば、西欧封建社会の解体にモンゴルも一役買ったということになるが、一方でモンゴル研究の権威、杉山正明先生はマクニール説に懐疑的だ。曰く「すくなくとも、モンゴル帝国の東から西へ、はるばると旅をしてきた黒死病が、クリミアをへて、ついに西欧に達したというマクニールのシニカルな説は、根拠なしなら誰でも考えつきそうな仮説の一つとして、つまりは一種のジョークとして、なおいまだ、真に受けるにはおよばない。」(『大モンゴルの時代』中央公論社、232ページ)。
 
 ところでこの『ペスト大流行』には「14世紀のペスト大流行の時期には、バッタによる激しい蝗害があった」という興味深い記述がある(57㌻~)。昨年からアフリカにおけるバッタ被害が報道されており、いよいよアジアに迫っているというが、奇妙な符合である。本書では14世紀のペスト大流行に拍車をかけたのは、蝗害や洪水・気候変動による食糧の不足による栄養状態の低下であったとも指摘されている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56324260T00C20A3FF8000/
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200307-00166447/

 果たして新型コロナウイルス感染症は、ペストのように大きな変動をもたらすのだろうか?



ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

  • 作者: 村上 陽一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1983/03/22
  • メディア: 新書



疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

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  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 文庫



疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

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  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 文庫



教養のグローバル・ヒストリー:大人のための世界史入門

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  • 作者: 北村 厚
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2018/05/11
  • メディア: 単行本



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