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飯島渉『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院) [歴史関係の本(小説以外)]

 清水書院発行のシリーズ「歴史総合パートナーズ」の一冊『感染症と私たちの歴史・これから』は、欧米の視点から書かれているウィリアム・マクニールの『疫病と世界史』をヒントに、日本の視点(時代区分やトピック)から書かれた本である。100㌻に満たない本なので概説書として手軽に読むことができる。新型コロナウイルスが世界中で蔓延している現在、読んでみて損はない。

 この本にでは様々な感染症が取り上げられているが、なかでも天然痘は「コロンブス交換」の結果、大航海時代に新大陸のインディオ人口を激減させた病気として世界史の授業でも取り上げられるメジャーな感染症だろう。マンガ『MASTERキートン』では、「ハーメルンの笛吹男」伝説とナチスのホロコーストと絡めて、ロマ(ジプシー)が天然痘の抗体を各地に広めたという仮説が紹介されていた。具体的な病状としては、これまで発疹が出る程度の知識しかなかったが、『感染症と私たちの歴史・これから』に出てくる天然痘を示す言葉「瘡」という文字を漢和辞典(学研『漢字源』)で調べてみると、「かさ・できもの・はれもの」「きず、切りきず、きずあと」といった意味が出てくる。また「痘」には「皮膚に豆粒大のうみをもったできものができて、あとを残す」とある。「痘瘡」の症状がなんとなく分かるが、「あばたもえくぼ」の「あばた」は「痘痕」と書くので、日本でもなじみ深い感染症だったのだろう。

 天然痘はWHOにより撲滅宣言が出されたが、現在でも多くの人が命を落としている感染症がマラリア。私もこの本で初めて知ったが、エイズ・結核と並んでマラリアは現代でも「3大感染症」の一つであり、2015年にノーベル賞の生理学賞・医学賞を受賞した屠ユウユウ氏(中国:ユウは口偏に幼「呦呦」)の受賞理由は、「マラリアに対する新たな治療法に関する発見」だった。中国で熱帯に近い南部は昔からマラリアの多発地域だった。

 中国の広東省一帯は,古くは「瘴癘の地」として,人々から恐れられる土地であった。瘴癘とは,熱帯・亜熱帯に生息する蚊が媒介する,マラリアの一種と考えられる。その一方で,この地の沿海部にある広州は,古くは)南越の都があった場所で,南海貿易の拠点として発展し,唐代には中国で最も重要な対外貿易港の一つとなった。明末以降,沼沢や山林の開発が進み,人間の生活圏から蚊の生息地が減少すると,「瘴癘の地」というイメージは薄らいだ。清代の広州は欧米諸国との貿易港として発展し,医療を含め,西洋近代文化が中国に浸透する窓口となった。
2008年度 センター試験世界史B 追試験第3問B


 屠ユウユウ氏(彼女の名前は『詩経』の一節に由来するという)の経歴は大変興味深い。彼女が生まれたのは、満州事変勃発の前年である1930年。抗日戦争後、文革とベトナム戦争、改革開放などを経験した彼女の伝記は、そのまま中華人民共和国の歴史のようだ。

 屠ユウユウ氏を含め、マラリアに関する研究に対して与えられたノーベル生理学・医学賞はこれまで4件あり(1902年、1907年、1927年、2015年)、人類がいかにマラリアに苦しめられてきたかがよくわかるが、このうち1927年に受賞したユリウス・ワーグナー=ヤウレック(オーストリア)の研究は「毒をもって毒を制する」ユニークな治療法。梅毒患者を人工的にマラリアに感染させ、マラリアによる高熱で梅毒の病原菌トレポネーマを死滅させたのち、次にキニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるというものである。当時としては画期的な治療法だったが危険性が高く、抗生物質が普及した現在では行なわれていないという。

 マラリアで死んだ有名人は多く、Wikipediaの「マラリアで死亡した人物」にはアレクサンドロス大王やピューリタン革命のクロムウェルをはじめ、一休さん、平清盛、ツタンカーメン、アフリカ探検のリヴィングストンなどが紹介されている。そのほかローマ教皇アレクサンドル6世(チェーザレとツクレツィアのボルジア兄妹の父)や在位最短(12日間)のローマ教皇ウルバヌス7世も死因はマラリアだったとされる。さらにアレクサンドル6世の次に教皇となったユリウス2世と彼の保護を受けたミケランジェロ、そしてメディチ家出身の教皇レオ10世と彼の保護を受けたラファエロの死因についてもマラリア感染症だったという説があり、新型コロナウイルスの罹患者も多いイタリア、感染症ウイルスに適した要因でもあるのだろうか?

 マラリアの特効薬として知られるキニーネは、南米アンデス地方原産のキナの木から原料が採取される。このキニーネはイエズス会の宣教師によりヨーロッパに持ち込まれたことから、プロテスタントであるクロムウェルはキニーネの服用を拒否したことが致命的だったらしい(D.R.ヘッドリク『帝国の手先』日本経済評論社78㌻)。キニーネは苦く、カクテルの一種ジントニックにも味付けにも使用される。映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(馬志翔監督、2014年、台湾)の冒頭、フィリピンへ向かうため台湾に来た陸軍大尉錠者博美は、基隆で多くの将兵がマラリアに罹患している状況を目にするが、彼にキニーネを渡す軍医がわざわざ「苦みのない」と付け足しているのはそのためである。

 アフリカ大陸はマラリアが蔓延していたためヨーロッパ人が内陸部まで進出するのは困難であったが(アフリカには鎌状赤血球症というマラリアに耐性を持つ貧血症が多い)、キニーネの普及はアフリカの植民地化を加速した。D.R.ヘッドリクは、「(アフリカ争奪戦は)汽船、キニーネ予防薬、そしてこれからみるように、速やかに射撃のできるライフル銃との結合の結果」と述べているが(『帝国の手先』87㌻)、まさに『銃・病原菌・鉄』(ジャレ・ド・ダイヤモンド)である。よく知られたセシル=ローズの風刺画が示す運輸・通信手段(東京大学の2003年の入試)や軍事技術と同様、医療技術もアジアやアフリカの植民地化を促進したということになる。『感染症と私たちの歴史・これから』では、「身体の植民地化」という言葉で、「医療や衛生が植民地主義の最も重要なツールだった」ことが指摘されている。逆に征服される側からみれば、感染症によって護られてきたとも言える。橋本雅一『世界史の中のマラリア』(藤原書店)の中で著者は「マラリアはわれわれの強い味方だ。収奪者は震え上がり、侵略者は逃げ出す。」というアフリカの学生の言葉を紹介し、「近代と前近代、文明と未開、都市と辺境、富と貧困、強者と弱者....マラリアは、多くは前者によって優劣を決定され、対立を明確にされてきたこれらの項目の後者の側にぴったりと寄り添って生きのびてきた病気だったかもしれない」とも指摘している。

 マラリアが、ヨーロッパ人が訪れる以前の新大陸にも土着していたかどうかについて、『世界史の中のマラリア』は、新大陸にはなかったという立場をとっている。その根拠として、スペイン人によるインカ帝国やアステカ王国の征服がマラリアによって阻害されなかったこと(当時のヨーロッパ人はキニーネの存在を知らなかった)、そしてインカやアステカの滅亡からヨーロッパへのキニーネ伝来(1630~40年代)まで一世紀を要していることなどをあげている。時期的には、人口が激減したインディオの代替労働力として導入されたアフリカ系の奴隷によって新大陸に持ち込まれたと考えるのが妥当で、その意味では「キナ樹皮のマラリア特効薬としての用法は、征服者にとって以上に、被征服者にとってこそ"発見"だったのではないだろうか」(『世界史の中のマラリア』104㌻)という指摘には考えさせられる。

 植民地の拡大につれ、キニーネの需要は増大する。ルシール・H.ブロックウェイ『グリーンウェポン―植物資源による世界制覇』によると、イギリスの王立植物園キューガーデンがイギリスの帝国主義に果たした役割は大きい。キューガーデンには世界中から有用な植物が集められ、品種改良や生育に適した環境の調査が行われた。そしてイギリスの植民地で生育に適した地域に移植され、プランテーションでの大量生産が行われたのである。キニーネもそのひとつで、ペルーからインドやセイロン島に移植された(こうした有用植物は、他に茶やゴムがあげられる)。帝国書院の教科書『新詳世界史』の「19世紀前半 世界の工場イギリスと世界システム」のページではキューガーデンの写真が使われ、「植民地の植物園とのネットワークを生かして世界中の植物が集められ、品質改良がほどこされた。その結果、「中核」にとって有効な植物は「周辺」の環境に深刻な影響を与えることもあった」というキャプションがついていた(現在はインドで栽培された茶を象が運んでいる写真に変更されている)。キニーネを化学的に合成しようとする科学者も多く、イギリス・ヴィクトリア時代の化学者ウィリアム・ヘンリ・パーキンもそのひとりだった。彼は当初キニーネの人工合成を目指して研究していたが、実験の失敗によって生成した沈殿物から紫色の合成染料(アリニン染料)が生産されるようになり、それまで「王侯貴族の色」であった紫が一般にひろがる契機となった(『世界史の中のマラリア』148㌻)。1862年のロンドン万国博覧会で、ヴィクトリア女王が着用していたのは、パーキンの開発した人工染料モーブ(Mauve)で染色された絹のガウンだったという。世界史の教科書にはよく藍がアジアの産物としてでてくるが、藍に代表される天然染料は、キニーネの合成がうまくいかなかったことがきっかけで合成染料に取って代わられることになったのである(社団法人日本化学工業協会「化学はじめて物語」 https://www.nikkakyo.org/upload/plcenter/349_371.pdf 6㌻)。

 『感染症と私たちの歴史・これから』では、日本におけるマラリアの流行とその撲滅についても触れられているが、戦争と関係深いことは興味深い。現在の日本では土着のマラリアは撲滅されているが、マラリア原虫を媒介するハマダラカは現在でも日本に生息している。地球温暖化などの気候変動により再流行する可能性もある(環境省による啓発パンフレット「地球温暖化と感染症」 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/pamph_infection/full.pdf 14㌻)。

 2020年3月19日のAFP通信は、「新型コロナウイルスの影響によりイタリア全土で封鎖措置が敷かれる中、水の都として世界的に知られる同国のベネチア(Venice)では、観光客の出すごみがなくなり水上交通量もほぼ皆無となって、きれいに澄んだ運河の水が住民の目を楽しませている。」と伝えている[https://www.afpbb.com/articles/-/3274147]。またCNNなどは「新型コロナウイルスによる経済活動を制限したことにより、中国の大気汚染が大きく解消された」とも伝えている。もし地球温暖化がマラリアの大規模な流行を招来するとすれば、感染症の流行は地球自身の自己防御作用なのではないか、という気がしてくる。果たして人類は、地球上から感染症を撲滅することができるのだろうか?


【マラリアに関するエピソード】
感染制御のための情報誌『Ignazzo』「マラリアのはなし」 https://bit.ly/2U2xy3V
イタリア研究会「マラリアはローマの友達」 https://bit.ly/2UjKP76
厚生労働省検疫所FORTH https://www.forth.go.jp/useful/malaria.html


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