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清代の貨幣 [モノ教材(貨幣)]

Yahoo!のオークションで購入した清代の貨幣です。

左上:「乾隆元寶」110円、左下:「同治重寶」310円、右上「咸豊重寶」240 円 、右下:「光緒元寶」210 円。大きいから高いというわけでもなさそうです。安値なので本物かどうかは不明ですが、教科書に出てくる皇帝名が見えるので、買ってみました。咸豊帝は教科書に出てきませんが、この人の皇后が西太后で、同治帝はこの人の子供です。それぞれ裏面には満州文字が見えます。


 これはすべて「光緒通寶」で、約450グラム。こういう状態を「刺し」というらしいですが、1600円。これを何に使うかというと、もちろん「光緒新政」でも十分でしょうが、清代における銀のインフレについて教えるときにも使えそう。
 陳舜臣『実録アヘン戦争』(中公新書)によると、アヘン問題が真剣に取りあげられるようになったのは、アヘンなど吸わないごくふつうの人民も税金を払えなくなったからです(確かに、当時はアヘンの輸入を公認して、税収を確保した方がいいのではという意見もありました)。地丁銀制のもと、税金は銀の重量によって表示されましたが、一般の人民が普段用いているのは銅銭でしたから、事実上は銅銭で納めることになります。乾隆帝以前には銅銭700文を銀一両(37.3125グラム)に換えていたのが、銀の流出増加によって、次第に800文、900文と上がっていきました。そして道光十年(1830)すぎには銀一両が銅銭1200文になり、さらにアヘン戦争のころには2000文までなったといいます。つまり税額が一定でも銀価が3倍になれば、農民にとっては税金が3倍になったことに等しかったのです。 

 というわけで、以前買った大小二つの馬蹄銀を用意して、「以前はこれくらいの大きさの銀と交換できたのだけれど、銀の流出による銀価の上昇により以前より小さな銀としか交換できなくなった」と使うのはどうでしょうね?
 ちなみに写真の大きい方の馬蹄銀は、Yahoo!のオークションで2000円で買ったものですが、こちらのホームページ[http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/S013.htm]によると、予想通り?ニセモノでした(笑)。

 さて、私が以前から疑問だったのが、明清時代にはなぜメキシコ銀(墨銀)や日本銀が改鋳されずにそのまま流通したのかということ。馬蹄銀は民間でも多く鋳造されています。つまり銅銭は国家の管理のもとで鋳造されていたのに、なぜ銀は自由放任だったのか?という疑問です。答えが陳舜臣氏のこの本に書いてありました。まず一点目は、外国の銀貨は純度が安定していたので便利だったから。そして二点目は、銅は武器製造の原料となるので、国家の管理下におかねばならなかったからです。つまり、銀は武器製造の原料にならないので私鋳を許し、外国貨幣の流通まで認めたということです。
  

実録アヘン戦争

実録アヘン戦争

  • 作者: 陳 舜臣
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1985/03
  • メディア: 文庫


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貨幣 [モノ教材(貨幣)]

 まず中国の昔の貨幣。宋銭7枚と唐銭1枚のセットで700円(Yahoo!のオークション)。いずれも大量に輸入されたものだけに二束三文ゆえ、500円くらいでもと思ったけど、まあよしとしましょう。

 次にフランコ時代のスペインの貨幣2種。上の5ペセタが660円で、下の25センチモが760円。これまたいずれもYahoo!のオークション。新聞なんかでみかけるフランクリン・ミント社の、「世界の偉大な歴史的コイン」というシリーズの1枚らしい。5ペセタは独裁者フランコのデザイン。「GAUDILLO」(ガウディーヨ)の称号が見えます。また25センチモにはファランヘ党の紋章が見えます。ファシズムの語源はラテン語のファスケスで、ファスケスとは斧を軸に周りに棒をたばねたもので、古代ローマの執政官が権利の象徴として用いたもの。そこからバラバラなものを一つにまとめるとか、結束・団結の意となったわけです。ファランヘ党の紋章には、イタリアのファシスタ党の紋章とは違って斧がなく、矢を束ねたデザインになっています。矢の左には太陽の光がデザインされていますが、ファランヘ党の頌歌「Cara al Sol(太陽を見上げて)」に由来するようです。年号「1937」の下には「Ⅱ ANO TRIVNFAL(凱旋の2年目)」とあります。スペイン内戦の勃発は1936年7月18日なので、政権獲得から2年目ということでしょうね。


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馬蹄銀 [モノ教材(貨幣)]


 ヤフオクで2650円(上:約380g)と2000円(下:約46g)。大きい方には「宣統」、小さい方には「状元」の文字があります。状元とは、科挙の殿試における主席のことです。アヘン戦争前夜、アヘン問題が清朝で真剣に取りあげられるようになったのは、アヘンなど吸わないごくふつうの人民も税金を払えなくなったからです。当時の清朝では地丁銀制のもと、税金は銀の重量によって表示されていましたが、一般の人民が普段用いているのは銅銭でしたから、実際には銅銭で納めることになります。乾隆帝以前には銅銭700文を銀一両に換えていましたが、それが銀の流出増加によって、次第に800文、900文と上がっていきます。そして道光十年(1830)すぎには銀一両が銅銭1200文になり、さらにアヘン戦争のころには2000文までなったといいます。つまり税額が一定でも銀価が3倍になれば、農民にとっては税金が3倍になったことに等しかったわけです。

  「馬蹄銀」に関する追加情報 [http://zep.blog.so-net.ne.jp/2006-09-10]

実録アヘン戦争

実録アヘン戦争

  • 作者: 陳 舜臣
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1985/03
  • メディア: 文庫


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