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今年の東大世界史第1問....難しい(>_<) [大学受験]

 今年の東大の第一問は、「ウィーン会議から19世紀末までの時期、ロシアの対外政策がユーラシア各地の国際情勢にもたらした変化」でした。「要求と指定語句を見るとなんとなく書けそうな気がするが、いざ書こうとすると難しい」というのが印象です。
 書く対象となる時期が短いにもかかわらず、受験生が思いつく事項が多い....ということで、今年は600字なのでしょうか。代ゼミの分析では「論理展開としては時系列・地域別のどちらでも書けるが、地域別に書いていったほうがおそらく書きやすい」とあります。うーん、微妙。変化を書く、という点では時系列に書いていった方が書きやすいような気もしますが、まとめるという点では地域別に書いた方がいいような気もします。とりあえず、思いつくまま書ける項目を時系列に沿って列挙。

1.ウィーン体制のもと神聖同盟や四国同盟を通じてイギリスやプロイセン、オーストリアと協調して体制の維持をはかった。
2.七月革命の影響でポーランドなどヨーロッパ各地で自由主義運動が起こると、オーストリアとともに介入して鎮圧した。
3.ロシアの南下政策によりイギリスやオーストリアとの対立が表面化すると、クリミア戦争がおこりウィーン体制は完全に崩壊した(東方問題)。
4.西アジアでは、カージャール朝との間にトルコマンチャーイ条約を結んで、さらにアフガニスタンへ圧力を加えたため、インド防衛をはかるイギリスとの勢力争いが強まった。
5.極東では清朝の弱体化に乗じて北京条約を結び、沿海州を獲得した。このため極東でもイギリスとの対立が強まった。
6.露土戦争後のサン=ステファノ条約によりイギリス・オーストリアとの対立が強まったことから、ビスマルクの調停でベルリン会議が開催された。フランスの孤立化をはかるドイツとは再保障条約を結んだ。
7.中央アジアでは清朝とイリ条約を結び、新疆は清支配下となったためウイグル人が漢民族から支配を受ける契機となった。
8.日清戦争後の三国干渉で旅順・大連を租借して南下政策を強化したため、反ロシアで利害が一致する日英による日英同盟成立をもたらした。

 時系列で書くとゴチャゴチャしてる、やはり地域別の方がいいかな...と判断したけれど、どう書くかを判断するだけでかなり時間を食ってしまった。ヨーロッパでは、ウィーン体制下で列国と強調していたロシアは東方問題を契機にイギリスやオーストリアと対立するようになり、ビスマルク外交でドイツと同盟を結んだものの、ビスマルク退陣後はドイツから離れてフランスと露仏同盟を結び、極東で日英と対立したことから日英同盟の成立をみた....という感じでしょうか。でも.要求は「ユーラシア各地の国際情勢」にもたらした影響なのですから、ヨーロッパにおける関係だけ見ていてもダメでしょう。とりあえず、最近のウイグル自治区などに触れてみたい気もしますが、果たして試験中に思いつくかどうか。いやー、難しい。 今年の世界史で高得点をあげた受験生の方、脱帽ですぞ!

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今年の大阪大学の問題 [大学受験]

 今年の大阪大学で出された問題では、グラフがちょっと問題。
阪大問題.jpg
 上のグラフは各地域のGDPの推移を示しており、A・B・Cは、それぞれ西欧・中国・アメリカ合衆国のいずれかに該当しています。Cが1700年代から始まっていることから、アメリカであることは容易に判断できますが、AとB、どちらが西欧でどちらが中国かという判断は困難です。


 実はあとの問題を読めば、判断は容易についたのですが....問題(Ⅱ)問1の問題文にある「Bが急激な経済発展を示した18世紀以降」「Bとの対抗のなかで....生まれたワッハーブ運動」という表現から、Bは18世紀に産業革命が始まった西欧と判断できます。
 問題(Ⅰ)問1および(Ⅱ)問3は、AとBを取り違えても答案作成が可能であることから、取り違えた受験生は少なくなかったでしょう(ウチの学校から受けた生徒も、取り違えたと言ってました)。「資料の活用・読み取り能力」という観点から考えれば、「問題文を読まないとグラフの読み取りが難しい」という問題は、本来あるべき姿ではないと思います。一つのグラフで判断が難しいのであれば、1990年度の追試験(世界史)第1問Dのように複数の資料を使うという方法もあったはずです。逆に言えば、グラフはなくても解答は可能ですが.....。


 ウチの生徒は無事に合格しましたが、どうやら上智大学に進学するようです。「また2011年の問題みたいに『間違った受験生が多かった....』なんて来年書かれるんですかね」と笑っていた彼女、大阪大学に行かないのはこの問題のせい.......じゃないよね(^_^;)?





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今年の東大の問題 [大学受験]

 今年の東京大学の第1問、テーマは「人の移動」。定番のテーマなので(名古屋大1996年、筑波大1997年、一橋大2003年)、東大の問題としては書きやすかったと思います。昨年の阪大の(Ⅲ)と類似の問題で、ちょっとビックリ。

 対象の時期は17~19世紀、地域はカリブ海と北アメリカ。両地域における非白人系の移動と、移動の要因となった開発を論ぜよ、という要求。副次的な要求として、「奴隷制廃止前後の差異に留意しながら」とあります。

 「17世紀には....」「18世紀には....」「19世紀には....」と時系列に沿ってメモをつくっていくのがいいと思います。指定語句をそれぞれの時期に振り分けてみると、19世紀に使う語句がもっとも多くなりそうです。結果的に、17世紀や18世紀よりも、19世紀について書くことがずっと多くなりそう。

 17世紀・・・・「大西洋三角貿易」
       アフリカからの黒人奴隷
       カリブ海のサトウキビ、北アメリカのタバコプランテーション
 18世紀・・・・「リヴァプール」→奴隷貿易の拠点
       奴隷貿易の利益=「産業革命」に必要な資本
 19世紀・・・・①カリブ海
       黒人奴隷の反乱→「ハイチ独立」=奴隷貿易廃止の契機
       奴隷貿易の廃止→代替労働力として中国人「年季労働者」導入
      ②北アメリカ
       英の産業革命→南部で黒人奴隷を使役する綿花プランテーション発展
       英仏の奴隷制廃止→北米でも奴隷制反対運動
            →南部の「奴隷州」と北部の自由州の対立 
       カリフォルニアのゴールドラッシュ・・・・中国人「年季労働者」流入
→南北戦争後、北米でも奴隷制度廃止
            →代替労働力としてて中国人「年季労働者」増加
       「白人下層労働者」(アイルランド、東欧、南欧など)
         ・・・・低賃金の中国人に対する反感→「アメリカ移民法改正」

 「奴隷制廃止前後の差異」というのは、奴隷制度が維持されていた時期の労働力は黒人だったのが、廃止以後は奴隷の代替労働力としてアジア系肉体労働者が導入された、ということでしょう。

 今年の問題で興味深かったのは、「ハイチ独立」が奴隷制廃止の文脈で指定語句となっている点。ハイチ独立というと、これまではラテンアメリカ諸国の独立のスタートとして、ウィーン体制の動揺の始まりとして語られてきましたが、山川の『詳説世界史』新課程版は、「ハイチ革命の成功は、諸国の奴隷制廃止運動に大きな影響を与えた」という点を強調しています。確かに、クリオーリョの指導によって独立した、他のラテンアメリカ諸国と同列に語るのはムリがあるように感じます。
               
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今年のセンター試験(世界史B) [大学受験]

 世界史Bのセンター試験、第一印象は「難しい」。4択のうち、2択まで絞れても、最後に間違うという可能性の問題が目立つ。

 最初の問題、商鞅ではなく李斯だとはわかっても、律が刑法か民法かでつまづいた人も多かったはず。3のフィンランド独立の時期、9のカナダが英連邦の一員となった時期、14のセルビアの宗教、16のAPECやASEANの加盟国、31のクリミア戦争開始時の皇帝、36の南アフリカ連邦成立の時期など、「ひとつひとつ選択肢を見ると難しい」という問題が見られた。9は、ウェストミンスター憲章を想起できれば問題ないが、「カナダが最初の自治領となった時期」と間違った受験生もいたのではないだろうか。31は、農奴解放令がクリミア戦争敗戦の反省から新しい皇帝によって出されたこと、また36は、南ア戦争後だと思いつくことができたかどうか。
 6択の整序問題はやはり難しく、22ではタラス河畔がアッバース朝時代であること、さらにキエフ公国がノルマン人によって建国されたことを思い出してそれぞれの時期が判断できたかどうか。29のアチェも久々の出題。13のニューオーリーンズは、オーリーンズがオルレアンの英語読みであることを知っていれば判断は容易だが、知らないと迷うだろう。

 戦後史の出題は少なかったが、地域と時代は網羅されており、正確な知識が必要とされる問題であった。即答できなくても、年号をはじめ、知っている知識を総動員して正解を導くという「問題を組み伏せるパワー」が求められる。毎年、問題とは別に、興味深いリード文があるのだが、今年のリード文は、ここ数年ではいちばん面白くなかった。

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トルコ民族の移動 [大学受験]

 昨日で冬休みの課外も終了。
 一昨日の課外は、2010年のセンター試験追試をやってみました。第2問B問6に次のような問題がありました(問題番号15)。





 トルコ系の国家・王朝について述べた次の文a~cが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。

  a  カラ=ハン朝がサーマーン朝を滅ぼした。

  b  セルジューク朝がバグダードに入城した。

  c  突厥が東西に分裂した。





 近年多い、6択の整序問題です。

 『蛍雪時代』1月号の特集「センター本番で勝つ!実戦解答テクニック」にも書いてありますが、このタイプは、文中に出ている歴史用語だけでは判断がつきにくく、点差がつく問題です。確かに、学校のマークカードリーダーで採点してみると、このタイプの問題は出来が悪い。2012年の本試(第1問C、問題番号9)にもこのタイプの問題が出題されていますが、各事項の時期が接近しているため、なかなか正解にたどり着くことが難しいと思います。

 まずは、最初または最後を決めると、6択が2択にまで絞れるので、スムーズに行けます。

 が、その後が問題。最後の2つから、一つをどうやって選ぶか。


 各予備校や出版社が出しているセンター過去問集の解説を読むと、このタイプの問題はほとんど「○○は×世紀末の出来事なので~」という説明に終始していますが、果たしてそれでいいのでしょうか?「起こった時代を覚えよ」という説明だと、受験生は際限なく暗記を強いられることになります。まさに「苦役への道」。

 2010年の追試の問題は、リード文中の「トルコ系」がヒント。これは、帝国書院の教科書『新詳世界史B』52ページの地図にある、「トルコ人の移動」が問われている問題。トルコ人が「モンゴル高原(突厥・ウイグル)」→「中央アジア(カラ=ハン朝)」→「西アジア(セルジューク朝)」と、西方移動していったことが問われている問題で、年号・年代を問うている問題ではありません。この問題は、タイプこそ違え、前年2010年の本試で出題された問題(第4問C問9)で出題された、トルコ人の移動の問題と本質的には同じです。問題の作成者は、「○○が起こったのは×世紀」とするだけの解説を見て、本質をとらえきれない予備校をなげいたのではないでしょうか。

 一方、2012年の問題は、『蛍雪時代』の解説にもあるとおり、関連する語句を関係づけてみると、前後関係が見えてくるタイプ。「エラスムスとルターは仲が悪い」「ルネサンスの中心地は、フィレンツェ(ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ)からローマ(三大巨匠)に移った」「ルターは、ラファエロのパトロンだった教皇レオ10世の贖宥状の販売に反対した」「ダ=ヴィンチは、フランソワ1世に招かれてフランスに行った」「セルバンテスは、フェリペ2世時代のレパントの海戦に参加した」「ルターを弾圧したカール5世はフェリペ2世の父親で、フランス王フランソワ1世と対立した」等々....このうち2つか3つでも知っていれば、ある程度まで絞り込めます。

 各予備校は、このタイプの問題を、「年号で判断する」問題ととらえているので、模試で出題される類問のクオリティが低くなっている.....と思うのは私だけでしょうか?2010年センター試験世界史B本試第4問B問6(問題番号33)に重箱の隅をつつくような解説をつけるくらいなら、受験生が試験場で活用できるような解説をつけてほしいものです。


 1月2日、5年前に卒業した生徒たちの同窓会に出席してきました。予餞会のとき、『一丁目の朝ぼらけ』をつくった学年です。私のブログを時々見てくれているという諸君がいて、転勤してからはほとんど更新していないので、うれしいやら恥ずかしいやら.....ということで久々の更新でした。

 大学や大学院で歴史を研究しているという人たちも多く、なんともうれしいこと。美術史を研究しているというOくん、もっと話を聞きたかったのですが、終わりの校歌斉唱がはじまってしまって残念。いずれ、ぜひ。


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「ディープピープル」 [大学受験]

 昨日(24日)の夜11:30からNHKで放送されていた、『ディープピープル』は、実におもしろかった。登場していたのは、竹岡広信さん(英語)、板野博行さん(国語)、大竹真一さん(数学)の3人。

 「どこでつまずくかがわからないといけない」というのは、その通り。これは大学受験に限ったことではないと思いますが。語呂合わせも大事、というのも同感でした。

 ただ世界史の場合には、思考力を問う問題というのは東大とか一橋と言った一部の大学にjかぎられるので、センター試験レベルでは、問題としっかり向き合うというのはあまり体験できることではないでしょう。だから、「ウチの学校には東大受ける生徒なんていないから」というのではなく、東大その他の入試問題を考えるというのは、必要なことだと思います。自分でも考えて、予備校の解答などと比べてみる。どこの予備校の解答がいいのか、ということを考えるのも、いい勉強になると思います。

 何のために勉強するのか?という問いに対する答えも、実にカッコよかったですね。

 ある予備校は、チョークの固さが4種類あるって。今の学校は1種類だけ。前の学校は2種類あったけど。
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今年の東大の第1問 [大学受験]

 ある予備校の分析にある「『世界史における役割』が読み手にわかるようにメリハリをつけて書くことが大事。」という指摘には同感。

 要求は「都市・産業・交易・経済・文化・人材・海外進出」で「オランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割」なので、以下のような点があげられるでしょう。
17世紀:世界経済の中心、宮廷文化に対して市民文化の発展、亡命者の受け入れ
    鎖国下の日本に海外情報を提供
    グロティウスが国際法を主張し、主権国家体制を促進
19世紀:南ア戦争が帝国主義時代における国際関係再編の契機となる
20世紀:太平洋戦争で連合軍の勝利に貢献
    ECの原加盟国として独仏とともにヨーロッパ統合を推進

 ネット上の解答例は「流れ」を叙述しているだけのように思いますが、それだけでは不十分なのではないでしょうか?「役割」が述べられているのはKだけのように感じます。
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ナショナリズムにもとづく二つの動き2 [大学受験]

昨日の問題の解答例と加点ポイントです。

フランス革命やロマン主義の影響下で生まれたナショナリズムは、19世紀初めイタリアのカルボナリやドイツのブルシェンシャフトの運動などに見られたが、いずれもウィーン体制のもとで鎮圧された。しかし1829年にギリシアがオスマン帝国からの独立を達成すると、1830年の七月革命の際には、オランダからベルギーが独立し、ポーランドでもロシアからの独立運動がおこるなどナショナリズムが高まった。1848年の二月革命では、オーストリアでチェック人やコッシュートに指導されたマジャール人の独立運動が起こる一方、ドイツでは統一を目指してフランクフルトで国民議会が開催された。またポーランド、イタリアでも独立運動がそれぞれ起こった。こうしたナショナリズムの高揚は、国民国家建設の気運を一層強め、サルディーニャ王国を中心に統一をすすめたイタリアでは、1861年にイタリア王国が成立した。ドイツではプロイセン王国を中心に統一がすすめられ、1871年にドイツ帝国が成立した。この間プロイセンに敗北してドイツの統一から除外されたオーストリアは、領内のマジャール人に自治を認め、オ-ストリア=ハンガリー帝国となった。19世紀はじめにイギリスに併合されたアイルランドは根強い独立運動を展開していたが、19世紀を通じて自治要求が高まり、19世紀後半にアイルランド自治法が提出されたが成立せず、独立運動はいっそう激化した。(580字)


【加点ポイント】
・フランス革命とロマン主義の影響でナショナリズムが生まれる        2点
・19世紀はじめ、イタリアのカルボナリやドイツのブルシェンシャフトの運動  3点
        (イタリア・ドイツがない場合は減点)
・オスマン帝国からギリシアが独立                     2点
        (「オスマン帝国から」がない場合は減点)
・七月革命時、オランダからベルギーが独立、ポーランドの独立運動      3点
       (「オランダ」がない場合は減点)
・二月革命時、コッシュート指導によるマジャール人(ハンガリー)の独立運動 3点
・ 〃   、ドイツにおけるフランクフルト国民議会            2点
・1861年、サルデーニャを中心にイタリア王国成立              3点
    (サルデーニャの代わりに他の語句でも加点)
・1871年、ビスマルクの指導によるドイツ王国成立 2点
    (年号の代わりに他の語句でも加点)
・普墺戦争後、マジャール人に自治を与え、オーストリア=ハンガリー帝国が成立 3点
・アイルランド自治法が成立しなかったアイルランドで独立運動激化      2点

〈以下の記述にも加点〉※上限は3点
オスマン帝国支配下のバルカン半島では、パン=スラウ主義の高まりとも相まって露土戦争を契機にルーマニア・セルビア・モンテネグロが独立した。
その他、スラヴ民族会議(二月革命時)やグラッドストンによるアイルランド自治政策など。




さて、次の問題は一昨年校内模試用につくっておいたものの、転勤によりボツになった問題です。

 1877年にインド帝国が成立し、インドは完全にイギリスの植民地となった。しかし20世紀にはいると、インドにおける反英運動は活発化し、自治や独立を求める運動が高まった。1900年代から1930年代半ばまでのインドにおける民族運動の動きを、以下の語句を用いて600字以内で説明せよ。以下の語句は、文中で最初に使用した箇所に下線をひくこと。

 日露戦争   カルカッタ大会 ラホール大会  ネルー  「非協力運動」
 第一次世界大戦

【解答例】
イギリスはインド人を支配に協力者とするため、1885年に親英的なインド国民会議を発足させた。20世紀にはいり民族運動が高まると、イギリスは1905年にベンガル分割令を発して運動の分断をはかった。これに対して国民会議派は、日露戦争における日本の勝利の影響もあり、急進派のティラクの指導のもと反英運動を展開し、1906年のカルカッタ大会では英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育の4綱領を決議して、イギリスに対する対決姿勢を明確にした。ヒンドゥー教徒主体の国民会議に対し、ムスリムは運動の分断をはかるイギリスの政策にそって、親英的な全インド=ムスリム連盟を結成した。その後運動は沈静化したが、第一次世界大戦後に民族自決の動きが高まると、反英運動は再び高まりをみせた。イギリスが戦後の自治の約束を守らなかったばかりか、1919年にインド統治法やローラット法を発したことにインド民衆は反発し、「非協力運動」を説くカンディーを指導者として反英運動を展開した。その後民族運動は一時停滞したが、1920年代後半から再び活発化し、国民会議派は急進派のネルーらの指導で1929年のラホール大会においてプールナ=スワラージを決議した。30年代から再びガンディーも民族運動に復帰したが、イギリス側の弾圧とムスリム・ヒンドゥー両教徒の対立などにより運動は停滞し、35年に発表された新インド統治法も自治とはほど遠い内容であった。(593字)

【加点ポイント】
・発足当初の国民会議が親英的であったこと 2点
・ベンガル分割令を契機に民族運動が高まる 2点
・急進派ティラクの指導 1点
・4綱領 すべて書けて  3点
・親英的な全インド=ムスリム連盟の結成 2点
・第一次世界大戦後、イギリスが自治の約束を守らなかったこと 2点
・1919年のインド統治法 1点
・ローラット法     2点
・ガンディーの活躍   1点「
・プールナ=スワラージ 1点
・新インド統治法  1点
・運動停滞の理由として、ヒンドゥー・ムスリムの反目 1点
・指定語句の使用 各1 6点

その他
 アムリットサール事件、英印円卓会議など




 明後日から国公立大学の前期日程試験で、今日でようやく直前授業が終了。毎日連続2コマで、加えて小論文の指導を4人抱えていたので結構疲れました。今年世界史の論述で受験するのは2名。二人とも合格してほしいものです。
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ナショナリズムにもとづく二つの動き [大学受験]

 熊本高校の校内模試のために作った問題です(平成19年の11月に実施しました)。リード文の元ネタは、『世界史論述問題の解き方』(山川出版社)の56ページに載っている聖心女子大学の問題。


  近・現代において、ヨーロッパの国の数は1870年に最小となり、国境線地図は最も簡単な形となる。その後半世紀の間は、反対に国の数が増え、国境線は複雑化する。こうした国家の統合と分裂の動きを推し進めた思想・運動がナショナリズムである。この言葉に相当する日本語には国民主義という言葉もあるが、一般的には民族主義という言葉があてられる。このように英語では一つの単語が、日本語ではいくつもの単語に使い分けられることがあるのは、この思想・運動が、「統合と分裂」という正反対の作用をもたらすからである。
 19世紀のヨーロッパにおけるナショナリズムの展開について、以下の語句を用いて600字以内で述べよ。使用した語句には、最初に用いた箇所に下線を付せ。


 七月革命      フランクフルト     ロマン主義    1861年
 アイルランド自治法    コッシュート   ブルシェンシャフト  ポーランド

 解答例と採点基準は明日掲載します。


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ベトナム戦争とカウンター・カルチャー [大学受験]

 2007年の東京外語大の問題です。


 ヴェトナム戦争が世界の政治、経済、社会それぞれの分野に与えた影響について、400字以内で説明しなさい。その際、以下の語句を必ず使用し、用いた箇所すべてに下線を引きなさい。(20点)

    反戦運動   キング牧師   カウンター・カルチャー   多極化   ドル危機





 ベトナム戦争の影響に関しては、2000年に一橋大学でも出題されています。


 次の文章は、アメリカ合衆国のジミー・カーター大統領が1977年5月22日におこなった演説の一部です。これを読んで、下記の問1、問2に答えなさい。


 わが国の未来が揺るぎないことを確信しているゆえに、現在われわれは共産主義に対して過度の恐怖を抱いていない。かつてはその恐れのために、独裁者であっても、われわれと同じ恐れを抱いている者とは手を結ばざるをえなかったのである。あまりにも長い年月、われわれはみずから敵対者の不完全で誤った原則や戦術を取り入れようと努め、ときには彼らの価値観を受け入れて自分自身の価値観を放棄した。われわれは火と戦うのに火をもってし、火は水をもって消す方が良いことに気がつかなかった。

 このような方策は失敗に終わった。知性と道義心に欠けたその方策がもたらした最悪のものがヴェトナム戦争であった。しかし失敗を通じてわれわれは今や自分自身の原則と価値観に立ち帰る道を見いだし、失った自信を取り戻したのである。 (有賀 貞 訳)


問1 この演説の背景となったアメリカ合衆国のヴェトナム戦争介入の歴史(1954~75年)について、その原因と結果を具体的に述べなさい。(200字以内)

問2 ヴェトナム戦争介入がアメリカ合衆国の社会と対外関係に与えた影響を具体的に述べなさい。(200字以内)


 古くは、1987年に東大でも次のような問題が出題されています。


朝鮮戦争とヴェトナム戦争の原因・国際的影響・結果について、両者を比較しながら18行以内で記述せよ。





 一橋や東大のこうした問題を見ると、中谷臣『世界史論述練習帳』にある通り、結果と影響って違うのだなぁと実感します(予備校が出した解答例を見るとわかりますが、実は両者の峻別を意識した解答例は実に少ない.....というより皆無?)。


 3問はそれぞれに異なる部分・重なる部分ともにありますが、今回は東京外大の問題に注目。まずは指定語句を要求通りのカテゴリーに分けてみましょう。「多極化」は政治、「ドル危機」は経済、「カウンター・カルチャー」は社会でいいでしょうね。ただし、要求は「世界の政治、経済、社会それぞれの分野に与えた影響」ですから、ドル危機をアメリカ国内の話で終わらせないように。この点がアメリカ合衆国の社会と対外関係に与えた影響」を問うている一橋の問題と違うところ。

 「キング牧師」と「反戦運動」はどうでしょうね?この2つ、私は「政治」にするか「社会」にするか迷いました。キング牧師について、公民権法制定という点を強調して政治とするか、公民権法が人種のみならず宗教、性、出身国による差別を禁止したという社会問題の解決をめざした点を強調して社会のカテゴリーにするか。反戦運動については、政府への反体制運動という点に注目して政治にするか。いやフラワー・ムーブメントや担い手のフラワー・チルドレン(東京書籍の教科書に写真が載っています)に注目すると社会のカテゴリーのような気もする。いやフラワー・ムーブメントやウラワー・チルドレンはヒッピー文化なので、カウンター・カルチャーだろう.....。迷いますね。


 これは政治・経済・社会に分けて書くことが難しい問題です。そもそも「60年代にはベトナム反戦運動と結びついて、黒人の人種差別撤廃を求めるキング牧師らの公民権運動や過激な都市暴動が、アメリカ社会を大きく揺るがした。」(山川の『新世界史』)のですから、ベトナム戦争後に起きた動きは政治・経済・社会のいずれにも関わる側面を持っていたように思います。たとえば帝国の教科書には、「カウンター・カルチャー」というコラムがあり、カウンター・カルチャーは公民権運動の産物であると書いてある。ならばいっそのこと、分けずに書いたらどうか。「政治では.....。経済では.....。社会では.....。」とカテゴリー分けして書ければスッキリするんですがね。苦肉の策として、逆につながりを強調した論述にしてみました。


 「国際政治・経済」と「国際社会」の二つのカテゴリーをつくるというのが方針。

1.ドル危機によるアメリカの経済力低下が、変動相場制や多極化、米中接近などにつながった。

2.反戦運動が公民権運動と結びつく一方、両者はカウンター・カルチャーを生み、世界に広がった。


つくってみたのが、以下の解答例。

ベトナム戦争は、アメリカに深刻な財政赤字をもたらし、ドルの基軸通貨としての信用は低下、ドル危機が進んだ。このため1971年にアメリカはドルと金の交換を停止したが、これはブレトン=ウッズ体制の動揺を招き、73年に為替相場は変動相場制へと移行した。また軍事産業中心のアメリカ経済は家電などで日本などとの競争に敗れ、67年のEC結成とも相まって多極化が進んだが、この変化は、アメリカと中国との関係改善にもつながった。一方、米軍の北爆や残虐行為の報道は、徴兵対象者であった若者を中心としたアメリカ国内の反戦運動を盛り上げた。反戦運動は、キング牧師に指導された黒人公民権運動とも結びついて広がり、ウッドストックやフラワー・チルドレンなどヒッピー文化に代表される反体制的なカウンター・カルチャーを生み出した。この動きは世界中に広がり、フランスでは1968年の五月危機でド=ゴールは退陣を余儀なくされた。


「世界の政治、経済、社会それぞれの分野に与えた影響」の「世界の」という点はかなり強調したつもりです。ちなみに、この解答例をつくる上で役立ったのは、東京書籍と帝国書院の教科書。ウッドストックは69年なので、五月危機(68年)の一年前ですが、ウッドストックには触れておきたかったので使ってみました。「ドラッグやフラワー・ムーブメントなどのヒッピー文化」とか、ステレオタイプですが「セックス・ドラッグ・ロックンロール」でもよかったんですがね。


 旺文社の『全国大学入試問題正解』に掲載されている解答例は、「政治面では....経済面では.....社会面では....」という書き方になっており、政治で「反戦運動」と「多極化」、経済で「ドル危機」、社会で「反戦運動」と「カウンター・カルチャー」を使っています。この解答例がよくない点は、「多極化をさらに加速」「」戦後の世界経済に転換点をもたらした」「その後の文化に影響を与えた」というふうに、世界への影響が単なるつけ足しになっている点。メインの要求は世界への影響でしょう?ここの具体例がしっかり書ければ、よい答案になったはず。東京書籍と帝国書院の教科書には、五月危機や米中国交正常化などがベトナム戦争との関係で述べられています。

 カウンター・カルチャーについては、奇しくも2007年のセンター試験現代社会に「既存の社会の価値観に対抗するという傾向が強く,物質文明を否定して自然回帰を呼び掛けたヒッピーなども含まれる。」(第6問)とピンポイント出題。東京外語大の受験生なら「カウンター・カルチャーなんて知らないよ」なんて言わないこと。

 でも東書の教科書には「ウッドストック」というコラムがあるのには驚き。このイベントのドキュメンタリー映画を、私は高校生の頃に見ました(リバイバル上映ですが)。熊本市新市街にあったシネロマンという小さな映画館でした(今のDENKIKANがあるところ)。同時上映が「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」で、もちろんツェッペリンの方が本命。しらないミュージシャンばかりで、「はやく終わんねかな~ツェッペリン見せろよ~」と思いながら観た記憶があります。なんとも長い映画で、ラビ・シャンカールのあたりで寝てしまいました。

 昨年はこのウッドストック・フェスティバルから40周年ということで、DVD・CDともに豪華な記念盤がリリースされています。雑誌『ストレンジ・デイズ』昨年の10月号は、表紙はビートルズなのに巻頭特集はウッドストック40周年でした。DVDに新たに加わった蔵出し映像(ディスク4)の最初は、ジョーン・バエズ。反戦フォークの旗手として、ウッドストック初日のトリだったそうですが、私が大学生のときに見たライヴ・エイドでは、60年代のカウンター・カルチャーのノリで出てしまい、見事にズッコケてました。ウッドストックというと、やはりジミ・ヘンドリックスの演奏でしょうね。ウッドストックでのジミヘンのアメリカ国歌とか、カウンター・カルチャーの例として聞かせるといいかも。映画だったら、トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』がオススメです。





ライヴ・アット・ウッドストック~デラックス・エディション [DVD]

ライヴ・アット・ウッドストック~デラックス・エディション [DVD]

  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • メディア: DVD
ウッドストック~40周年記念ボックスセット

ウッドストック~40周年記念ボックスセット

  • アーティスト: ラヴィ・シャンカール
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2009/08/19
  • メディア: CD
イージー★ライダー [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD
イージー★ライダー [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: Blu-ray


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