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大学入学希望者学力評価テスト [大学受験]

 高大接続システム改革会議で公開された「大学入学希望者学力評価テスト」のイメージの例等(マークシート)には、世界史の問題が含まれています(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/033/shiryo/1367231.htm)。 この問題例で提示されていたグラフは、2013年の大阪大学の問題で使用されていた資料と同じでした。二つの問題とも、長期的なGDPの推移から、どれが西欧・中国・日本等を示しているかを推理するという点では共通しています。また問題の形式では、「会話調」という点でも共通点が感じられます。
 大阪大学の正答率はあまりよくなかったようで、翌2014年の問題では、会話文の中で前年2013年のグラフが再度取り上げられました。会話は高校生と先輩の大学院生との間で交わされているという設定で、高校生は「このグラフのAとBはどちらが中国で、どちらが西ヨーロッパかわからないんですが」と発言しています。この問いかけに対して先輩の大学院生は「Bに対抗してワッハーブ運動が起こったっていうんだから、Bが西欧だとわかるよね」と答えていますが、他の設問から正答を導き出せという指摘は、せっかくのよい資料が生かされていないという印象はぬぐえませんでした(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2013-03-09)。
 一方、改革会議版の問題では、西欧と中国の区別は十分可能です。阪大の問題と改革会議の問題との資料提示の違いは、ヨーロッパと中国が逆転した19世紀前半の数値が、阪大版で提示されたグラフでは確認できない点にあります。19世紀前半の数値が含まれていれば、『VIEW21』6月号(ベネッセコーポレーション)の特集でも触れられているように、アヘン戦争以降の西欧と中国の逆転を想起することが可能となり、難易度はかなり下がります。むしろそのほうが多面的な思考が可能となるように感じますが。阪大2014年の会話文で触れられている「中国における17~18世紀の人口の変化」が、改革会議版でも使われていることから、改革会議版は阪大版を参照していることは明らかですが、完成度はかなり上がっていると言えるでしょう。
 小川幸司先生は『VIEW21』掲載の記事で、「考える授業への転換」のため「生徒を揺さぶる問い」が必要だと指摘しています。改革会議は、世界史の授業で重視すべき学習のプロセスと評価すべき具体的な能力を案として提示してますが、ざっくりとまとめてしまうと、森分孝治先生が主張していた「なぜか、という問いに対して説明できる能力」ということでしょう。そのためには、生徒に考えさせるネタが必要です。今年の1月に実施されたセンター試験の世界史Bでも統計資料を用いた問題が出題されていましたが(問題番号12)、このような資料は、大いに活用できるのではないでしょうか。

 さて、 8月8日に宮崎県の大宮高校で開催される宮崎県進学研模試問題作成力アップ研修会に講師としてお招きいただいております。精一杯頑張りたいと思っていますが、与えられたテーマの一つに「問題作成力を授業力向上にどのように結びつけるか」というものがあります。私自身まったく目途はついていませんが、ますます重要となるテーマだと思いますので、現時点での私の考えを述べさせていただきたいと思っています。私もいろいろとご意見をうかがいたいと思っています。
 この文章をお読みの方の中で、宮崎県の先生がおられましたら、前日から宮崎市内に宿泊しますので、7日の夜に情報交換をお願いできたら幸いです。私のツィッターまたはフェイスブックに連絡いただけたら有り難いです。よろしくお願いします。

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今年の九州大学の問題 [大学受験]

 昨年度地歴二次試験スタート初年度ながら出題ミスを犯してしまった九大。
http://www.kyushu-u.ac.jp/entrance/examination/H27sekaishi.pdf

 
 〔1〕が大論述、〔2〕が40字・150字・200字の中小論述、〔3〕が単問という東大と同じ構成であることは昨年通り。〔2〕〔3〕は全問正解で当たり前のレベル。昨年通り、東京大学とまったく同じ構成であった。前期試験の前、ある予備校の先生から、昨年度の九大の地理はさほど難しくはなかったので、世界史受験者は不利だったのではないか、という話をうかがった。「600字」というボリュームに萎えてしまった受験生もけっこういただろう。昨年度の入試で世界史受験者の点数が低かったなら、今年は形式を変えてくるかも....と思ったが、昨年とほぼ同じ傾向であった。

 〔2〕問3の「シーア派の性格」は、「最後の正統カリフであるアリーとその子孫のみを指導者と認める宗派。」で32文字。40字も要求する必要はない。各予備校とも字数稼ぎには苦労労した印象を受ける。40字要求するならKが使ってる「ウンマ」という用語を指定してもよかった。
 〔2〕問4は200字でカリフ制の変容を論述させる問題。指定語句に「8世紀」、「10世紀」、「13世紀」がはいっているが、それぞれ「アッバース朝」「ファーティマ朝」「マムルーク朝」の指定語句に該当するので、

 ・7世紀:ムスリムの選挙で選ばれた正統カリフ時代から、ウマイヤ朝以降世襲
 ・8世紀:アッバース朝
 ・10世紀:ファーティマ朝がカリフを称し、続いて後ウマイヤ朝もカリフを称したため、アッバース朝のカリフと鼎立
 ・13世紀:アッバース朝が滅亡し、カリフの子孫はマムルーク朝の保護

ということになるだろう。ここで考えたのは、以下の2点。
(1)8世紀のアッバース朝時代、カリフ制の変容に関わる出来事があっただろうか。
(2)カリフが政治権力を失い、宗教的権威のみを保持すうることになった点は、10世紀のブワイフ朝と11世紀のセルージュク朝のどちらで書くか。

 まず(1)について。Sは「ウマイヤ朝や8世紀に成立したアッバース朝では世襲制となった」とまとめ、Kは「8世紀半ばにアッバース朝が成立したが、」という表現にとどまっている。Yは「・・・・世襲に変わり、8世紀に成立したアッバース朝もこれを引き継いだ」とSど同じで、S・Yのほうが「変容」という要求に沿っている。
一方(2)については、SとYはブワイフ朝に触れておらず、Kは「10世紀にはブワイフ朝の侵攻などによりカリフの力は衰え....3カリフ鼎立も生じた」とうまくまとめてある。ずいぶん前のことだが、センター試験で「カリフが政治的実権を失った時期として、適当なものを次の①~④から一つ選べ。①7世紀、②8世紀、③10世紀、④13世紀)という問題が出題された(1993年旧課程世界史追試第3問C)ことがあるので、「10世紀」ははずせないように思われる。

【私の解答例】
7世紀にウマイヤ朝が成立すると、カリフは信者による互選から世襲制となり、8世紀に成立したアッバース朝でも世襲であった。この王朝初期のカリフは政治・宗教両面の指導者であったが、10世紀には政治的権力を失い、またファーティマ朝と後ウマイヤ朝の君主もカリフを称し、3人のカリフが並び立つことになった。13世紀にはマムルーク朝がカリフの子孫を保護し、非アラブ人によってカリフが継承されることにつながった。(196文字)
 
 カリフが政治的権力を失った点については10世紀に含めて、「スルタン」に関する記述を全部削ってみた。3予備校とも「スルタン」の語句を使用しているが、この語句が必須の加点ポイントなのかどうか、ぜひ出題者に尋ねてみたい。


最後に〔1〕。

 19世紀末から20世紀初にかけてのいわゆる帝国主義時代、世界各地には欧米諸国や日本によって様々な植民地が築かれた。なかでもイギリスは当時最大の植民地保有国だった。その植民地には、インドのように広大な面積を有するものから、ナポレオンが流された大西洋のセントヘレナ島のように狭小なものまで、様々なタイプがあった。
 それでは、これらのうち、後者の範疇に属するシンガポール、ジブラルタル、スエズ運河の存在は、当時のイギリスの世界経営において、同じ意味を有する他の植民地の事例もあげながら、500字以内で説明しなさい。ただし下記の9つのキーワードを必ず1回は使用し、その箇所に下線を引くこと。

【キーワード】
 産業革命  資源  市場  中国  自由貿易  物流  南シナ海  大西洋 ケープ植民地



 「シンガポール」「ジブラルタル」「スエズ運河」がイギリスの世界経営において有した意味とは?最初に思いつくのは、キーワードにある「物流」の要地という役割。ここで注目は、Yがあげている「軍事上の重要拠点」としての役割。太平洋戦争中、日本はシンガポール攻略を行い、トラファルガーはジブラルタルの近く。第二次世界大戦後も、イギリスはスエズ駐兵権を維持したことを考えれば、軍事上の重要拠点という役割を含めていいのではないだろうか。確かに、「物流の拠点を守るために軍隊を駐屯させた」という解釈も可能であるが、軍事上の重要性に触れる価値は十分にある。
 では「同じ意味を有する他の植民地の事例」としてどこをあげるか。Sはマラッカ、ペナン、Kがペナン、マラッカに加えてアデンや香港、またYはマルタ、キプロス、香港をあげている。物流と軍事上の需要拠点としての役割ならば、アデン、マルタ、キプロスが適当だという気がするが、アデンとマルタを試験本番中に思いつくことはかなり難しい。キプロスに触れることができれば十分だという気がする。

【私の解答例】
産業革命をいち早く迎え「世界の工場」となったイギリスは、自国製品の市場と原料の供給地を確保を目指し、時には武力を用いて自国に有利な自由貿易体制を世界中に広げようとした。そのため物流と軍事上の拠点を世界各地に確保しつつ、植民地の拡大を進めた。18世紀に獲得したジブラルタルは、大西洋と地中海を結ぶ要衝で、北アフリカへ渡る要地でもある。1869年にスエズ運河が開通すると、ジブラルタルの重要性はさらに増し、アジアへの通路を確保するためイギリスはキプロス島も領有した。ウィーン会議で獲得したケープ植民地は、アジアへの通路という役割は徐々に低下したが、金やダイヤモンドなど資源の供給地としての重要性は高まり、スエズ運河の株式を買収したイギリスは、カイロ、ケープタウンとインドのカルカッタを結ぶ3C政策を展開した。19世紀前半にはシンガポールを確保して、ペナン・マラッカとともに海峡植民地を形成してアジア貿易の拠点とし、アヘン戦争以降は中国を自由貿易体制に組み込んで利権の確保をさらに進めた。こうしてイギリスは19世紀末までに、南シナ海からインド洋を経て地中海、大西洋まで、東アジアからヨーロッパに至るルートを確保した。(499字)


 「産業革命」の語句に関して、Kは「19世紀後半、重化学工業を中心として第2次産業革命が進展する一方、...」と第2次産業革命の文脈で使用しているが、これだと同予備校が出した解答例後半部の「一方シンガポールは....ペナン島やマラッカと海峡植民地を構成し、南シナ海とインド洋を結ぶ中継地であった。」の部分との整合性が苦しくなる(海峡植民地の構成は1826年のため)。SやY同様、スタートは第1次の産業革命とするほうがよいだろう。なおTのウェブサイトでは九大の解答例を見つけることができなかった。まさか、つくってない....なんてことはないよね?
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今年の「センター試験世界史Bの分析」の分析 [大学受験]

今年のセンター試験世界史Bでは久しぶりにグラフが出題されました(第1問の問3)。この問題に対する、各予備校の分析は以下の通りです。

K予備校
「グラフを使用した問3は、七年戦争終結、フランス東インド会社再建の時期がわかった上で、それをグラフから読み取れる情報と照らし合わせる必要がある。」

Y予備校
「問3はグラフから読み取った内容と年号の知識を組み合わせて解くのがポイント。」

T予備校
「Aではオランダなど三国の艤装船舶数のグラフ問題が出題されたが、年号がわかれば判定は容易である。」

S予備校
「問3では1630年から1799年にかけてのオランダ・イギリス・フランスのアジアに向かう船舶数のグラフが示され、二文正誤形式で問われた。グラフから船舶数の変化を正しく読み取ったうえで、七年戦争終結とフランス東インド会社再建の年代を正確におさえている必要があり、判断に迷った受験生も多かったと思われる。各国の船舶数の推移から当時の国際関係をうかがい知ることができる良質な素材であった。」

 われわれ高校教師にとってたいへん有り難いのは、予備校がこうした平均レベルの分析をしてくれることです。大手予備校すべて同じような分析を出してくれると、「主要な予備校は全部年号年代の問題と分析していたけど、並レベルの分析だ!」と大風呂敷を広げることができます。生徒に対して、われわれの腕の見せ所というところでしょう。

 今年使われたグラフは「17世紀前半から18世紀末に西欧3カ国でアジア向けに艤装された船舶数」という興味深い資料です。これを二文の正誤組み合わせと併用しているので、難度は高いと思われます。一見すると、各予備校が出している分析通り年代で判断ということになるでしょう。確かにbについては、コルベール~ルイ14世の時代という年代判断が正攻法(フランスの東インド会社は19世紀にも再建されていますが)。しかしaについては、「スペイン衰退後の17世紀はオランダの世紀で、その後英仏の抗争が始まる」ということを知っていれば、七年戦争の正確な年代を知らなくても正誤の判断は可能です。七年戦争が海外植民地をめぐる英仏の抗争である....ということを思い出せば、グラフから「七年戦争は18世紀」ということも推測可能です。グラフからは、英仏が17世紀の危機に巻き込まれたこともわかるので、日常の授業でも使用したい資料。この点だけはS予備校の分析に同感です。
 





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センター試験の過去問 [大学受験]

 世界史のセンター試験対策は、過去問反復がベストだと思っているので、課外授業では過去問オンリー。最近は年号覚えていないと苦しい問題が多くなってます。時期の正誤を問う問題や、「年代の古いものから順に正しく配列されているもの」を選ぶ問題などは年号知っているのと知らないのでは大いに差がつくのではないでしょうか。

  以前、「トルコ民族の移動」(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2013-01-06)でも触れたことですが、センター試験の問題を解いてみて感じるのは、予備校や出版社が出す予想問題とのクオリティの差です。 たとえば「年代の古いものから順に正しく配列されているもの」を選ぶ問題だとセンター試験の問題は、年号知らなくてもヒントがある場合があります。たとえば2013年の世界史B(本試)問題番号22( http://zep.blog.so-net.ne.jp/2013-01-19)や、2011年の世界史B(追試)問題番号9など。

2011年の追試です。
下線部(9)の時期に起こった出来事について述べた次の文a~cが,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。 
 a カール=マルテルの軍が,トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力を破った。
 b ササン朝ペルシアが滅亡した。
 c ブワイフ朝がバグダードに入城した。
 ① a→b→c   ② a→c→b   ③ b→a→c
 ④ b→c→a   ⑤ c→a→b   ⑥ c→b→a


a~cとも年号知ってて然るべき事項ではありますが、「aはウマイヤ朝時代、bは正統カリフ時代、cはアッバース朝の時代」という判断でも十分でしょう。出題者はむしろこちらを想定したのではないかという気もしますが。

 こうした色んな考え方が出来るという点でもセンター試験の問題は優れています。一度だけではなく、同じ問題に何度もトライしてみていいと思います。
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「最難関への世界史授業」(『歴史と地理』No.686) [大学受験]

 山川出版社の『歴史と地理』No.686に、興味深いレポートが掲載されています。筆者は鹿児島県のK先生で、タイトルは「最難関への世界史授業」。K先生が鹿児島県立鶴丸高校で行ってきた世界史指導の内容紹介です。
 公立のトップ校ではどのような教科指導を行っているのか、というのは高校の教師であれば誰もが持つに違いない関心事項でしょう。中高一貫校と異なり、実質2年足らずで東大や京大などの難関大学に合格させるには、いったいどのような指導をすればいいのでしょうか。
 K先生のレポートで印象に残ったことは、①教師は勉強しないといけない、②正課の授業と課外授業とを峻別しつつも有機的に結びつけることを意識する、③授業は知識の伝達と至高・表現スキルの向上という二つの面からデザインする、④校内模試の積極的な活用、という四点。私自身、これらのことをやっていないわけではありません。特に校内模試の活用については、かなりやってきたという自負心があったのも事実です。が、K先生のレポートを読んだあとでは、自分もまだまだだな、という思いを強くするばかりでした。
 ウチの学校では東大を受ける生徒などいない、教科指導より他にやるべき仕事がたくさんあるという意見ももっともです。しかし、私が公立高校の教師として禄を食むことができているのは、教科指導がベースになっていると自分では思っています。色んな言い訳を見つけて、勉強から逃げる言い訳にしたくはないな、という気持ちです。そもそも教師というのは、自分自身勉強が好きで、その楽しさを他の人にも教えたいという気持ちで職に就いたという気がするのですが。

 ずいぶん前のことですが、私は鶴丸高校でK先生の授業を見学させていただいたことがあります(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-11-10)。その後、大分県での研修会でも再びお会いすることができました(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2009-08-06)。またぜひお話をさせていただきたいものです。

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今年の一橋大の問題 [大学受験]

 一橋大の第2問も、難問だが思考力を要求する良問。

 ともに1967年に発足したヨーロッパ共同体と東南アジア諸国連合は、地域機構として大きな成功をおさめた。両機構の歴史的役割について、その共通点と相違点を説明しなさい。(400字以内)

 「両機構の歴史的役割」について、その「共通点」と「相違点」を説明せというのが要求。各予備校が発表した解答例を見てみたところ、
  1位:Y   2位:S  3位:K
 というのが私の評価。共通点と相違点が明確にわかる書き方をしているのはYのみで、「共通点は経済協力を通じた地域統合」「相違点は統合の深度」とストレートでわかりやすい書き方になっている。Kも「(ASEANは)EUと同様に関税障壁の撤廃による市場統合を果たしつつ高い経済成長率を示した」「共通通貨制度や中央議会制度をもたず政治的統合力は弱いが」と、一応共通点と相違点らしき事項は読み取ることができる。
 Sの解答例はちょっといただけない。「政治的統合へ向けEUに発展し」「政治的統合は実現していない」との文言は見えるが、どれが共通点でどれが相違点なのかよくわからない書き方。Sの一橋分析には、共通点として「米ソ冷戦構造化下で反共的外交姿勢をとったこと」「域内の経済統合を進めたこと」、相違点として「政治的統合に向かったECと、まだ具体性のないASEAN」といった点があげられているが、それが答案では伝わってこない。『世界史論述練習帳』(パレード)を読んでいた受験生は、Sよりもよい答案ができたのではないか?

 カール大帝の戴冠という一橋ではおなじみのテーマを扱った第1問について、「カールは、この時なぜローマに滯在していたのか、また、なぜ「ローマ人の皇帝」としてローマ人民により歓呼されたのか」という問いは難しい。カールのローマ滞在の理由について、リード文に「聖ペテロ教会でのクリスマス・ミサに出かけ」とあるので、これは書けない。Sの分析に「カールがローマを訪れていたのは直接的には教皇を保護するためだが、根本的には西ローマ帝国を復活させるためであり、ローマ人民も帝国が復活したゆえに歓呼したのである」とあるが、どうもピンと来ない。
  
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今年の九州大学と東京外国語大学の問題 [大学受験]

 今年の入試で、私がいちばん注目していたのは九州大学文学部で、今年から課せられることになった地歴の二次試験。
 受験生のゾーンから、名大や北大、阪大等のイメージかなと想像していたが、[1]が大論述(600字、30点)、[2]が中小の論述(240字、60字)と単問の組み合わせ(40点)、[3]が単問(30点)。構成は東大とほぼ同じ感じ。大論述が600字というボリュームなのは意外だった(私の予想は400~450字)。[3]が平易なレベルなので、[3]はできて当たり前、[2]は確実にとって[1]で勝負という東大のパターン通り。東大文Ⅲ受験生が流れてくることを見込んでる?


[1]
 近年よく話題となる「グローバル化」は、実際には15~16世紀の西欧による「地理上の発見」以来、絶え間なく続いてきた現象である。そこでは人・モノ・文化が政治・経済・宗教など様々な理由で移動し、現在ある世界の姿を形作ってきた。
 その中で特に激しい変化が生じてきたのが、現在のアメリカ合衆国にあたる地域である。17世紀から20世紀半ばにかけて、その地域の住民構成がどのように変化してきたか、その背景とともに600字以内で説明しなさい。なお、下記の語句を一度は使用し、下線を付すこと。
     大陸横断鉄道   メイフラワー号   ジャガイモ飢饉   タバコ
     奴隷解放宣言   先住民の強制移住  アインシュタイン  ホームステッド法



 リード文中の「人・モノ・文化が政治・経済・宗教など様々な理由で移動し、現在ある世界の姿を形作ってきた」という一文は、今年の東大の第1問のリード文にある「人・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになった」「交流の諸相について、経済的・および文化的(宗教を含む)側面に焦点を当てて」とい文言と奇しくも通じる。受験生の中には、東大の2013年の問題を思い出した人も多かったのではないだろうか(東大では2002年に中国系の人口移動を扱った問題も出題されている)。
 ただ「住民構成がどのように変化したか」という問い方はちょっと不親切なような気がする。住民構成というなら、「先住民が100%だったのが、ヨーロッパ系が○%を占めるようになり...」のように割合に言及しないといけないが、割合を述べるのは不可能。したがって、出題者が要求しているのは、アメリカの人口構成にどのような要素が加わっていったのかということまでだと思われる。今年の九大は指定語句から、先住民の他イギリス系、アイルランド系、中国系、ユダヤ系、アフリカ系と書くべき内容は十分判断できる。

 各予備校が発表した解答例をみてみた。「変化」を要求しているのだから、他地域から人口が流入する前のアメリカ大陸の先住民について言及しないわけにはいかないだろうが、これを書いているのはKだけ。しかしKの解答例は「奴隷解放宣言」の使い方がよくない。YとSは「奴隷解放宣言で奴隷制が廃止されたので、安価な労働力としてアジア系を導入」というスムーズな使い方をしている。Kは公民権法についても言及しているが、これは「住民構成の変化」とは関係ないだろう。19世紀末の新移民に言及することは当然として、Sが第二次大戦後の中南米からの移民やキューバ革命に言及しているのは目を引く。

 今年の問題を見る限り、九大の世界史対策としては東大の過去問演習がベスト。


 今年の国公立二次の問題で良問だと思ったのが、東京外国語大学の問題。ウィーン体制のもとでイギリスがポルトガルに奴隷制度の廃止を要求した理由を、統計資料(折れ線グラフ)をみながら、人道的理由ではなく経済的な理由から説明せよという問題。指定語句に「安価な労働力」という語句があるのもユニーク。問題の別のページに「イギリスの奴隷制度が廃止された」という説明がある「1807年」が指定語句となっている。内容ももちろんだが、ヒントの出し方も面白い。
 東京外国大学の世界史は、近現代がおもに出題され、これまでは要項にもそのように書いてあったが、今年度は要項にそのような記述は見あたらず、「ヴェーダ」が出題されていた。
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今年の東大の問題 [大学受験]

第1問はこんな問題。

 近年、13~14世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方が提唱されている。それは、「大航海時代」に先立つこの時代に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を統合したことによって、広域にわたる交通・商業ネットワークが形成され、人・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになったことを重視した考え方である。そのような広域交流は、帝国の領域をこえて、南シナ海・インド洋や地中海方面にも広がり、西アジアや北アフリカ、ヨーロッパまでを結びつけた。
 以上のことを踏まえて、この時代に、東は日本列島から西はヨーロッパにいたる広域において見られた交流の諸相について、経済的・および文化的(宗教を含む)側面に焦点を当てて論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を1度は用いて、その語句に下線を付しなさい。なお、( )で並記した語句は、どちらを用いてもよい。


ジャムチ  授時暦   染付(染付磁器)  ダウ船   東方貿易  博多
ペスト(黒死病)  モンテ=コルヴィノ



さほど難しくはないかな....という第一印象で、さっと書き上げたのが次の文章。「博多」と「染付」をどう使うか。「ペスト」はマクニールの説を踏襲。


交易を重視したモンゴル帝国はジャムチとよばれる駅伝制を整備し、元代には海路も整備されたことからユーラシアの東西をむすぶ交流が活発化した。この結果、経済的交流では、ダウ船を用いたムスリム商人による交易が活発化し、なかでも紅海とインド洋を結ぶ交易に従事したカーリミー商人の活動によってヨーロッパでは東方貿易が活発化した。これにより地中海を通じてヨーロッパの銀とアジアの香辛料や絹織物が交換された。イスラーム世界からもたらされた顔料を使用して中国でつくられた染付は、また西方に輸出された。日本は元寇後に博多などを通じて日元貿易を行った。文化的交流では、モロッコ出身のムスリム旅行家イブン=バットゥータ、大都でカトリックを布教したモンテ=コルヴィノらが中国を訪れ、イスラーム暦の影響を受けた授時暦が元朝で成立した。逆に中国絵画の技法はイスラーム世界に伝わり細密画の流行を見た。このような交流によって、アジアの病気であるペストが14世紀にヨーロッパで大流行する事態も起こった。


.....430字くらいしかない....ダメですね。あと最低でも150字は加えないと。



1994年の東大の問題です。

 13世紀は「モンゴルの世紀」と呼ばれる。チンギス・ハーンが、モンゴル高原を統一してモンゴル帝国を築くと、続いて各ハーンが度重なる征服戦争をおこなった。彼らは中国を支配したばかりでなく、朝鮮半島、束南アジアまで勢力を仲ばし、さらに中東イスラム世界、ロシア、東欧にいたる大帝国をつくりあげた。  マルコ・ボーロは、『東方見聞録』の中で、この帝国の多様な性格について、次のように述べている。 フビライ・ハーンは11月にカンバルック(大都)に帰還し、そのまま2~3月の候までそこに逗留している間に、われわれの復活祭の季節がめぐって来た。……彼は盛大な儀式を催して自ら何回も福音書に焼香した後、敬虔な態度で吻(くちさき)をこれに当て、かつ居並ぶすべての重臣・貴族にも命じて彼にならわしめた。この儀式はクリスマス・復活祭といったようなキリスト教徒の主要祭典に際してはいつも挙行される例であった。しかしハーンはイスラム教徒・偶像教徒(仏教徒)・ユダヤ教徒の主要聖節にも、やはり同様に振る舞うのだった。  このモンゴル帝国の各地域への拡大過程とそこにみられた衝突と融合について、宗教・民族・文化などに注目しながら論ぜよ。解答は、下に示した語句を一度は用いて、600字以内で記せ。また使用した語句には下線を付せ。


ガザン・ハーン、 色目人、 バトゥ、 大理国、 駅伝制、 モンテ・コルヴィノ、 細密画、
 マジャパイト王国、 授時暦




「色目人」は「文化」で使えそう。問題文中の「南シナ海」に注目して、「マジャパイト王国」に触れるか。しかし、マジャパイトが「経済的・および文化的(宗教を含む)側面に焦点を当てて」という条件に合うかどうか。陳朝にはラマ教が伝わったらしい。科挙やチュノムなど中国文化の影響は強いらしいが、これは「13~14世紀」にはじまったことではないだろう。94年のリード文にある「元では様々な宗教の信仰が許されていた」ことを強調する方が,
まだ条件にはあっている気がする。




「博多」の使い方について(以下2015年02月28日追記)

 阪大の桃木先生がFBで実に興味深い指摘をされている。新課程用(現在高1・2年生が使用)の山川『詳説世界史』に掲載されている、「13世紀のおもな商業ルートと物品」(170ー171㌻)と題された地図について、

「日本から中国に渡るルートは鎌倉から本州・九州のどこも寄港せずに明州(寧波)に行くように書いてある。当時の日本随一の対外貿易港で日本初のチャイナタウンが成立していた博多がない図では、福岡県の高校生に使わせるわけにはいかない。」

とのご指摘。やはり博多は、当時わが国の対中国貿易の拠点として使用すべき。

第一学習社の資料集『グローバルワイド 最新世界史図表』の「ユーラシア・アフリカをおおうネットワーク」というページはこの問題の参考になる....と思ったら、やはり博多は書かれていない(この資料集の「モンゴル時代の交易ネットワーク」という地図では、そもそも日本は蚊帳の外になっている)。
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今年の大阪大学の問題 [大学受験]

 今年の大阪大学二次試験世界史は、(Ⅰ)で昨年出題された問題を会話文の形式で振り返っているところが面白い。高校生と先輩との会話という形式は2007年の3で、過去の問題を振り返るという形式は2011年の(Ⅲ)でそれぞれ使われていますが、2011年の例から考えると、昨年の(Ⅰ)はグラフを読み違えた受験生が多かったものと思われます。実際、昨年ウチの学校から受験した生徒も読み違えたということで、と自嘲気味に語っていました(英語が得意だった彼女は無事に合格しましたが)。まぁTさんの予想的中.....と言いたいところですが、2011年のときとはかなり意味合いが違う気がします。2011年のリード文は、問題の本質とは関係が薄い取り上げ方でしたが、今年の取り上げ方は「意味のある振り返り」だと感じました。昨年の問題について、私はこの場で批判的な意見を述べたところでしたが、それに対して阪大の先生から「たぶんいちばん気づいてほしかったであろう点(中国のGDPの巨大さ)について、もう少し仕掛けが必要だったのでしょうね。」というメッセージをいただきました。ということで、「昨年の出題の意図が伝わっていない、このままだといたずらに受験生を惑わせたという誤解を招きかねない」という大学側の思いが、今年の会話文にある「現代の中国を理解するのにも、18世紀から続いた人口増はものすごく大事だよね。」という一文にあるのではないでしょうか。
 大阪大学の問題全般について概観してみると、(Ⅰ)問2の8~18世紀における中国の税制に関する問題は、基本的理解を問う良問であったと思います。京大の第一問、官吏任用制度を問う問題とともに、最初の段階の論述問題指導に使いたい良問です。(Ⅱ)では問3の15~17世紀におけるヨーロッパと南アジア・東南アジアとの関係を書かせる問題が、阪大受験者ならぜひとも出来て欲しい問題です。15~17世紀は、東京書籍の教科書では「大交易時代」という呼称が使われています。問い方は異なりますが、今年は東大・京大ともに「マラッカ」が答えとなる問題が出題されました。東大と京大の問題文を足すと、19世紀までカバーできて、ちょうどいい感じになりそう?
 伝染病の流行をとりあげた(Ⅲ)では問1のペストとスペインかぜに関する問題が、少し難しかったのではないでしょうか。以前にも触れましたが、ペストとモンゴルの遠征との関係は、マクニールが『疫病と世界史』の中で提示している説で、ジャネット=アブー=ルゴドも『ヨーロッパ覇権以前』の中で賛意を示していますが、杉山正明氏 は否定的な見解を示しています。同じく(Ⅲ)問2は、黒死病の流行が社会に与えた短期的影響と長期的影響を問う問題。今年の一橋大のⅠでは、ヨーロッパにおける封建社会の解体に関わる問題が出題されましたが、黒死病の流行によって生じた労働力の不足も農民の地位向上も封建社会解体の一因となった、ということで今年はけっこう各大学でつながる問題が多かったように感じました。




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疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

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一橋大は今年も難しかった [大学受験]

 私が大学予備校に対して抱くイメージに大きな影響を与えるのは、その予備校が出してる受験参考書や予備校が発表する大学入試問題の解答例です。講師の先生が個人名で執筆してる参考書は、予備校のイメージというよりも執筆者の先生個人に対するイメージに影響を与えることが多いような気がします(たとえば、中谷臣先生や荒巻豊志先生ってやっぱスゲー、●●●●先生って昔はすごかったけど最近弱ってるなぁ、とか)。とくに、答えが決まってるセンター試験の場合、過去問集の善し悪しは解説次第といっても過言ではありません。センター世界史の過去問集で私が愛用しているのは、駿台の「大学入試完全対策シリ-ズ」の青い表紙です。自信満々のコメントが、実はツッコミどころ満載....という噂。
 各予備校による今年の二次試験の解答例も出そろいました。解答例そのものも重要ですが、分析や概評もその予備校の実力を教えてくれるバロメーターです。昨年と比べて難化か易化かはともかく、論述問題の字数が増えたか減ったか、はたまた地図やグラフが使われているとかは「分析」でも「概評」でもないでしょう。ましてや、自校のテキストが的中したかどうかなどまったくどうでもいいこと。ヤフオクでそのテキストを買ってみて、「どこが的中?バカも休み休み言えよ」という思いをした経験を何度したことか。
 今年の分析は、駿台の一橋に対する分析が実におもしろかったです。前述した「大学入試完全対策シリ-ズ」の解説を執筆されている先生と同じ雰囲気が感じられます。もしかして、同じ方が書かれたのではないでしょうか?(違っていたらすいません)
 昨年から「昔に戻った」観がある一橋世界史、今年もかなり難問でした。まずⅠは、書けないことはないにしても、駿台の分析にあるように「指定語句の代わりに資料を読ませようというのなら、資料の提示の意図・方法を受験生の解答を導くよう工夫すべき」でしょう。「むしろ受験生を混乱させかねない」という指摘は当たってると思います。「国王側近」という要求を入れた理由を、出題者の方にはぜひ説明していただきたい。Ⅱに至っては、書けた受験生に敬意を表したいほどの問題。「ポーランドをのぞく西スラヴ人」が、、チェック人とスロヴァキア人であるとわかるだけでもたいしたもの。エンゲルスの思想については、詳しく知らなくても、問題文の「批判的に踏まえながら」という表現から、引用文を読めばなんとか書けそうだけど、後半部の要求「(ポーランドをのぞく西スラヴ人が)どのような政治的地位にあったか」はかなり厳しい要求。私はというと「21世紀まで」という要求で、チェコとスロヴァキアの分離に思い至り、なんとか書けるかなーといったところ。


大学入試センター試験過去問題集世界史B 2014 (大学入試完全対策シリーズ)

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