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「歴史総合」の授業を考える [授業研究・分析]

 去る12月21日、中教審が次期学習指導要領の改定案を答申した[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1380731.htm]。これを受けて高校の新指導要領は2017年度中に告示され、2022年度から学年単位で実施されることになる。新課程ではおそらく「1年生で公共、2年生で地理総合と歴史総合、3年生で探求科目」ということになる可能性が高いから、歴史総合の授業は2023年度から正式にスタートすることになるだろう。2016年現在50歳の私は、2026年度いっぱいで定年退職となるわけだが、となると3年間は歴史総合の授業を担当しなければならない。大学でアクティブ・ラーニングにもとづく教授法を学んできた若い先生方の足を引っ張らないためにも、今から準備をしておきたい。
 これまで私は「教師は授業が勝負、本をたくさん読んで話題が豊富で、難関大の問題も解けて、受験指導ができる教師こそ理想像」と考えてきた。もちろん教師が勉強するのは当たり前、入試問題も同じく解けて当たり前、そもそも自分自身勉強が好きで、その楽しさを子どもたちに伝えたいと思って教師になったわけだから、前述の考え方が全面的に間違っているとは思わない。しかし、いま振り返って思うことは、こうした知識偏重的な考えが、結局のところ世界史Aを失敗科目としたのではないかということである。
 地理Aと日本史Aはわからないが、少なくとも世界史Aは失敗科目であった。2006年、全国的に世界史未履修が大きな社会問題となったが、その後は未履修逃れのために「世界史Aの看板で、実際は世界史Bの授業を行う」という学校が続出し、これが愛知県で不適切とされながらも今なお全国各地で行われているのは暗黙の了解である。歴史教科書では最大手の山川出版社に至っては『世界史A読本』などという、見方によっては悪い冗談としか思えないタイトルの冊子をつくっていたが、この冊子の需要がかなりあったということが実態を物語っている(最近は『書き込み教科書』を使っている学校が多い)。進研模試の「世界史B」で「近代から学んだ生徒向け」の問題が準備されていたり、熊本県の県下一斉テストの結果を見ると、教育課程上「世界史A」を履修しているはずの学校の生徒が、ほぼ全員古代オリエントや古代ギリシア・ローマの問題を選択しているという例もある。かく言う私も、2年生の世界史Aをルネサンス・宗教改革から始めることでなんとか不適切履修逃れをしているのが実態であり、やはり世界史Aは失敗科目だったと言わざるを得ない。
 
 新しく設置される「歴史総合」を「世界史A」の二の舞にしないためには、一体どうすればよいのだろう。一番簡単な方法は、「歴史総合」をセンター試験に入れないことではないだろうか。現行の「世界史A」は、「世界史B」のダイジェスト版というイメージは拭えない。このため、特に進学校といわれる学校では「ラベルは世界史Aだが中身は世界史B」という授業が横行することになってしまった。しかし、新たに設置される「世界史探究」の内容が、現行の「世界史B」に近い内容だとすれば、「歴史総合」と「世界史探究」はかなり違った内容になると感じている。したがって、「歴史総合」の看板で「日本史探究」や「世界史探究」を行おうという例は、あまり現れないのではないだろうか。もし「歴史総合」を受験科目化してしまえば、「受験にも使えるから」という理由で日本史専門の教師と世界史専門の教師が交互に授業を担当し、それも「世界史探究」と「日本史探究」の内容を教えるという事態にもなりかねない。こうなってくると、「歴史総合」は「世界史A」と同じ運命をたどることになってしまうような気がする。これを避けるには、「歴史総合の単独の問題」をセンター試験から外して、担当者が入試をあまり気にせずに授業を行える環境にしてくれるとありがたい。今のセンター試験では、「世界史Aは必修なのに入試に役立つ科目ではない、にもかかわらず受験を意識した授業をしなければならない、おまけにセンター試験の世界史Aは世界史Bと比べて難易度が低いとも言えない」というのが私の感覚である。確かに「入試科目にしないと勉強しない」という意見はもっともだが、大学入試センターウェブサイトで地歴のA科目受験者の数をみれば、「歴史総合」単独でセンター試験を行う必要性はあまり感じない。それよりも日本学術会議が今年の5月に出した「歴史総合」に対する提言[http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t228-2.pdf]では、「入試科目としては「日本史B」、「世界史B」などと合わせて1科目にするという方法も考えられる。」という考えが示されているが、これには賛成である。新課程で「世界史探究」を課す大学は、センター試験・国公立大個別試験・私大を問わず、「歴史総合の内容を含む」という形式は、たいへんよいアイディアだと感じる(理科では行われている)。ただ心配なのは、「世界史探究」の内容(分量)である。もし現行の「世界史B」と同じ程度のボリュームならば、3単位で完結させることはかなり難しいのではないか。となると、また様々な問題が生じかねない。
 

 新科目「歴史総合」で、私が注目してる点をあげておくと、
「高等学校学習指導要領における「歴史総合(仮称)」の改訂の方向性」(文科省) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/062/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/06/20/1371309_09.pdf

①「私たち」という当事者意識
  ・18世紀後半から現在 「近代化と私たち」
  ・19世紀後半から現在「大衆化と私たち」
  ・20世紀後半から現在「グローバル化と私たち」
 ②3点あげられている特徴
  ・世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉える
  ・課題の解決
  ・歴史の学び方を習得

 上記の点には、日本学術会議の提言にある「能動的に歴史を学ぶ力を身につける」「世界と日本の歴史を結びつけて学ぶ」という内容も反映されていると感じている。

 以上をふまえて、「歴史総合」の授業案を考えているが、「単元の基軸となる問いを設け,資料を活用しながら,歴史の学び方を習得」するとあるため、授業は単元として構成し、「現代的な諸課題につながる」ように方向付けをしなければならない。「歴史総合」の教科書づくりは相当難航すると予想されるが(副教材=資料集づくりは、出版社も頭を痛めているようだ)、「歴史総合」の授業は「単元の基軸となる問い」をうまく設定できるかどうかにかかっている。生徒に対する評価を「問いに対する答え」でも行っていく以上、「単元づくり=授業づくりは問いづくり」になるような気がしている。

 最近読んだ本で、「歴史総合」の授業づくりに使えそうだと思ったのは、加藤陽子先生の『戦争まで』(朝日出版社)だ。先の大戦を考察するとき、加藤先生によれば日本は世界から「どちらを選ぶか」と三度問われ、結果として太平洋戦争への道を選んでしまった。三度とは、「リットン調査団への対応」「日独伊三国同盟」「日米交渉」である。加藤先生曰く、「この講義の目的は、交渉ごとに直面したとき、よりよい選択ができるように、シュミレーションしたことにある」と。交渉ごとに限らす、人生は選択の連続でもある。当事者としてよりよき選択を考えることは、主権者教育の一環としても適しているのでないだろうか。以下、加藤先生の著書をネタにつくった、「大衆化と私たち」に関わる歴史総合の試案である。


単元 「二つの世界大戦」(6時間構成)
  基軸となる問い:「第一次世界大戦後、国際協調の時代を迎えたにもかかわらず、第二次世界大戦に至った原因は何だろうか」
1時間目:総力戦としての第一次世界大戦
 「第一次世界大戦が、それ以前の戦争に比べて大規模になったのはなぜだろう」
2時間目:国際協調の時代
 「第一次世界大戦の反省は、どのような取り組みに現れているだろう」
 「日本は国際協調に、どのように関わったのだろう」
3時間目:世界恐慌のはじまり
「なぜアメリカで起こった株式の暴落が各国の不況へ波及したのだろう」
  (「経済の大衆化」)
4時間目:世界恐慌への対応
 「世界恐慌は世界にどのような影響をもたらしたのだろう」
  (「政治の大衆化」)
5時間目:第二次世界大戦の惨禍
「日中戦争・ヨーロッパの戦争・太平洋戦争の概要をまとめてみよう。」
6時間目:為政者としての選択~アメリカとの妥協か戦争か?
 「日本は、日独伊三国軍事同盟締結後に本格的な日米交渉を開始した。にもかかわらず、なぜ日本はアメリカとの戦争を選んだのだろう」


 「主体的・対話的で深い学び」という視点から、6時間目ではグループでの話し合いを取り入れたい。 「日本悪玉論」に陥らないように注意する必要があるし、またテーマやプロセスについて具体的に指示しないと、「活動あって学びなし」という身体的なアクティブさだけの授業になってしまうことにもなりかねない。ここは「話のもって行き方」をさらに検討したいところだ。

 これまでは「一歩下がって歴史事象を客観的に分析する」のが歴史の授業の王道だと思っていた。その考えを大きく変えざるを得なくなったという点で、私が体験する最後の改訂である新学習指導要領は、重い改訂である。


戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

  • 作者: 加藤 陽子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2016/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

  • 作者: 加藤 陽子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/06/26
  • メディア: 文庫



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『社会科教育』2016年10月号(No.690) [授業研究・分析]

 今年の夏は宮崎県進学指導研究会と熊本県の学習指導要領研究会で、アクティブ・ラーニングについて話をさせてもらったが、冒頭「原理主義者で抵抗勢力の私がアクティブ・ラーニングについて語るのは適当ではないかもしれない」と冗談交じりで断ってから話を始めた。内容をかいつまんで言うと、
 ①授業が対話的・協働的・深い学びの視点から改善されていけばいい。
  教師が一方的にしゃべるだけにならければ、まずはそれでいい。
 ②入試問題をグループ学習で取り組ませれば、アクティブ・ラーニングになる。
  ネタはセンター試験で使われた統計資料や、単文論述。
 ③グループ学習だけがアクティブ・ラーニングじゃない。
  「静かなアクティブ・ラーニング」も十分アリ。

というところ。「授業時数が足りずに話し合いなどに時間がとれない中、何をどう工夫してるか」という実践報告と言った方がいいかもしれない。ちなみに②で使ったネタは、今年のセンター試験世界史B(本試)の問題番号12(国名を消して考えさせる)、2000年度センター試験世界史B本試験第1問B の軍事費の推移、1990年度センター試験世界史(追試)第1問D 欧米主要国の経済、1999年度 世界史A(本試) 第4問B の鉄道の営業キロ数( 吉岡昭彦『インドとイギリス』岩波新書のインドにおける鉄道、飢餓の国の貿易黒字)、井上勇一『鉄道ゲージが変えた現代史』(中公新書 の鉄道ゲージの話などを先に読ませる)。③では、増田義郎『略奪の海カリブ』(岩波新書)を読ませて、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『アミスタッド』の奴隷貿易船の様子を見せる。そして1990年の神戸市立外国語大の砂糖と奴隷貿易に関する問題を考えてみる、というところ。


 アクティブ・ラーニングに関する実に興味深い記事を読んだ。『アクティブラーニングは「3つの構造的限界」によって学力が育たないようになっている』というタイトルである。筆者は国語の指導で知られている福嶋隆史先生。
 https://mine.place/page/151097cf-77f1-439d-8dd0-9bb010ae30fe

「時間の限界」「評価の限界」「知的な限界」を提示した上で、それぞれ論証してあり、正直「その通りだ」と納得してしまった。「時間の制約」「個別評価の困難さ」については、これを危惧しない地歴科の教師はいないだろう。「知的な限界」については、私もかつて中学校の歴史分野の授業を見たときに感じたことだ。なかでも最も「わが意を得たり」と感じたのは、アクティブな精神活動よりも身体的なアクティブさの方を優先する風潮に対する危惧である。なお、「負の影響」も2点あげてあるが、この点に関して私は何とも言えない。

IMG_1306.JPG


 「個別評価の困難さ」について、雑誌『社会科教育』10月号(No.690)で「アクティブ・ラーニングで評価はこう変わる」という特集が組んである。珍しいことに、高大連携歴史教育研究会のウェブサイトでも紹介してあった。この雑誌は以前小中学校の教員が主なターゲットであったが、最近は高校の教員向けの記事も増えてきた。アクティブ・ラーニングの導入に最もとまどっているのは高校、それも地歴科の教師であり、読者も増えているのだろう。「アクティブ・ラーニング祭」が本格化して以降、以前よりもこの雑誌を購入する頻度は私自身増えている。そうした中、10月号の特集はこの一年間で最も面白く、読み応えのある記事が多かった。その中で、印象に残った記事を2~3あげておきたい。

 アクティブ・ラーニングに関する指導では著名な小林昭文先生の記事は、最も興味深いものであった。小林先生は高校の理科(物理)の先生なので、内容も一般化されてり、小中学校の社会科教師向けに書かれた記事よりもはるかにわかりやすい。定期試験の点数だけというのは、目から鱗である。アクティブ・ラーニングの目的は、アクティブ・ラーナー(「学び続けることを幹に持つ、未知な問題や状況にも果敢に挑戦するスピリットと行動力を備えた人」九州大学基幹教育院のホームページより)の育成だと私は考えているが、その点も結果として出ている。

 高校における歴史授業の実践例として竹田和夫先生の「アクティブは反転学習から、評価はペア・班別総選挙で!」も大変興味深い記事であった。ただ反転学習に関しては、高校で実施可能かどうか私は懐疑的な意見を持っている。福嶋先生の記事で「時間の限界」「評価の限界」「知的な限界」という点が指摘してあったが、『社会科教育』10月号でも似たような問題点は指摘されている。①時数が足りない、②もっと活発に議論させたい、③評価に時間がかかりすぎるという3点だ(74㌻)。「時間の不足」という切実な問題について『社会科教育』の記事は、「アクティブ・ラーニングの実施によって生じる授業時間の不足を反転学習で補う」という提案がなされている。しかし、数学や英語、国語といった「取り立てが厳しい教科」の強制的課題さえ提出しない生徒が多い学校では、反転学習の実施はムリだと思う。おそらく大部分の生徒にとって地歴科目の課題などに費やす時間はないだろうし、私自身も世界史の授業に関して、テスト前以外の日常的な家庭学習など期待してはいない。

 高校教師向けに「社会科授業で使える この数字・このデータ」という記事もあったが、期待が大きかっただけに、ガックリ度も高かった。世界史にしろ日本史にしろ、この記事で紹介されている事項を知らない高校の教師が果たしているのだろうか?「蒙古襲来」の民族構成から国際環境を扱うなら、文永の役と弘安の役の比較をさせて南宋滅亡などの国際情勢の変化までをとらえさせるべきだろう。「蒙古襲来絵詞」で蒙古軍が使用してる弓の形状の違いも使える。「図版・写真等を素材としてる例の方が多いような気がしている」という指摘も疑問だ。世界史のセンター試験では確かに図版・写真も数多く使用されているが、数字やデータの方が「考えさせる」度合いはずっと高い。



社会科教育 2016年 10月号

社会科教育 2016年 10月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 2016/09/12
  • メディア: 雑誌



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受験指導とアクティブ・ラーニング [授業研究・分析]

 「今なお高校地歴科(なかでも歴史学習)は教師主導型授業の牙城であり、生徒の活動を重んじた先導的実践が行われ、学習指導要領の改善が度々図られてきたとはいえ、「極北の地」であることに異論はなかろう。」

 この一文は、神戸大学附属中等教育学校が文科省の指定を受けて開発した高校地歴科の科目「地理基礎」「歴史基礎」の「実施報告書Vol.2」(平成27年2月発行)の巻頭言である。私自身、まったく異論はない。これは何を意味しているのか。教員養成系大学で開発されてきた歴史の授業は、いずれも失敗だったということである。以前(7年前)にも指摘したことだが(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2009-05-25)、状況的にはあまり変わっていないようだ。そして「極北の地」にもアクティブ・ラーニングが導入されることにより、教育現場はますます混乱しているように感じる。

 「最後に一つ課題として指摘したいのは、世界史教育への危機意識が弱いと感じられる点である。知識獲得型の講義授業も現状ではやむなしとしているが、日本の世界史教育は悠長にかまえていられる状況にはない。探求的世界史学習いつやるのとの問いには、「今でしょ」と即答していただきたい。」
 こちらの文章は、全国社会科教育学会が発行している『社会科研究』第79号(2013年11月発行)に、書評として掲載された文章の一節だ。こうした現場を無視した物言いが、「活動あって学びなし」の歴史授業(http://zep.blog.so-net.ne.jp/2014-02-23)を褒めそやす風潮を生んでいるのではないか。

 アクティブ・ラーニングに関する本はかなり読んできたが、その中で心に残ったのは次の一文。
「アクティブ・ラーニングというと、賑やかに活動している場面を想像しやすいが、「静かなアクティブ・ラーニング」も有効ではないか。他者とノートを静かに交流し合うことはもちろん、一人一人がテキストを静かに読み、その理解を文字化しながら考えを深めていく、これも静かな「アクティブ・ラーニング」。生徒が集中して静かに考え、それを言語化する場面の設定が重要だ。」
 これは『月刊高校教育』2015年11月号(特集「アクティブ・ラーニングは怖くない!?」)に掲載されていた「「生きて働く質の高い学力」を培うアクティブ・ラーニング」の中の一文。筆者の渡邉久暢先生は国語の先生のようだが、「静かなアクティブ・ラーニング」は、「深い学び」に通じるのではないだろうか。思索することも、歴史の授業では必要だと思う。

 そしてもう一つは、『すぐ実践できる!アクティブ・ラーニング 高校地歴公民』(学陽書房)という本。アクティブ・ラーニングで使う課題について「課題は、出張時などに生徒に取り組ませる自習課題をイメージしてください。」「(教科書の)指導資料の中にある問題例を課題として使用します。」「教科書指導資料に加えて教科書準拠のノートを生徒が購入していれば、ノートに載っている問題を課題としてそのまま使うことができます。」という紹介。これは使えそう。現場の先生方の視点は、現実に即している。




すぐ実践できる!  アクティブ・ラーニング 高校地歴公民 (アクティブ・ラーニング教科別実践法シリーズ)

すぐ実践できる! アクティブ・ラーニング 高校地歴公民 (アクティブ・ラーニング教科別実践法シリーズ)

  • 作者: 後呂 健太郎
  • 出版社/メーカー: 学陽書房
  • 発売日: 2016/04/19
  • メディア: 単行本



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映画『エリザベス』『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で授業を進める [授業研究・分析]

 昨日と今日は2年生4クラスの世界史Aで、映画『エリザベス』と『エリザベス:ゴールデン・エイジ』を使って授業を進めてみた。基本パターンは以下の通り。

1.『エリザベス』:メアリ1世とエリザベスの会話のチャプター。2人の確執と、カトリックVSプロテスタントの対立。系図で、イングランド・テューダー家とスペイン・ハプスブルク家の関係を確認(メアリは従兄弟のカルロス1世の子フェリペと結婚している)。
2.『エリザベス』:戴冠式のチャプター(このシーンはウチが使っている資料集『グローバルワイド』(第一学習社)に写真がある)。チャプター冒頭の言葉は、旧約聖書の「詩篇」からの引用(実際はラテン語だが)。レガリアとして、王冠・王笏・宝珠に注目。宝珠はorbで、ソーシャルゲーム「モンスターストライク」の「オーブ」の元ネタ。実際の戴冠式はウェストミンスター寺院で行われたが、撮影はヨーク大聖堂。素晴らしいステンドグラスとアーチ。戴冠式の後、ウィリアム・セシルが語るイングランドを取り巻く厳しい状況に注目。質問は「女王が結婚するメリットは?」。資料集でエリザベスとメアリ=スチュワートの関係(ヘンリ7世の孫と曾孫)をみて、メアリにイングランド王位継承権があることを確認。メアリの夫はフランス王フランソワ2世であったことを補足。
3.『エリザベス』:統一法制定のチャプター。演説を練習する女王。宗教的統一によって国内分裂の回避を防ぐ。ここでも家臣は結婚を勧める。再度の質問「女王が結婚するメリットは?」メリットその1:王位継承者の増加は暗殺の抑制につながる。
4.『ゴールデンエイジ』:求婚者たちの謁見とウォルター・ローリーのチャプター。「ER」の説明と水たまりへコートを投げ入れるエピソード。メリットその2、相手次第では第3国への牽制となる。タバコとジャガイモ。ヴァージニアの建設。ローリーのことを歌っているイギリスの有名ミュージシャンは?
5.『ゴールデンエイジ』:アルマダの海戦に臨むエリザベスの演説と焼き討ち船。
6.アルマダ敗戦とオランダ独立によるスペインの没落とイングランドの台頭の説明。


1のメアリとエリザベスのチャプターは全クラスで前の時間に予告として見せておいたものの、結局どのクラスも最後までたどり着かなかった。1クラスだけメアリ=スチュワートの処刑を見せて、資料集掲載のリチャード1世によるフランス式処刑との違いを説明したが、これはカットしていい。「女王が結婚するメリット」について、期待した英語科ではあまり答えが出ず。他のクラスでは「世継ぎができる」「他国との戦争を回避できる」との回答あり。ローリーのことを歌っているイギリスの有名ミュージシャン、ビートルズ・、ローリング・ストーンズ、クイーンの3択にしたが、今の高校生はクイーンを知らない模様。聴けばわかるんだろうけど。モンストアニメのエンディングテーマ「ウィ・ウィル・ロック・ユー」。「クイーン知ってる人、手を挙げて」という問いかけに手を挙げたのは、ALTでロンドンっ子のジョニー先生だけだった。
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神戸大学附属中等教育学校の『歴史基礎』 [授業研究・分析]

 日本学術会議では、高校での世界史と日本史を融合した科目『歴史基礎』を提唱してきた。 
 ①提言「グローバル化に対応した時空間認識の育成」(2011年8月)    
 ②提言「再び高校歴史教育のあり方について 」

 神戸大学附属中等教育学校では文科省の指定を受け、特設科目『歴史基礎』『地理基礎』を行っており、去る2月23日に公開授業が行われた。残念ながら授業を見学することはできなかったが、詳細な資料をいただき、たいへん興味深く読ませていただいた。

 特に目を引かれたのは、授業自体ももちろんだが、授業に至るまでのプロセス、つまり「授業はどうあるべきか」という検討であった。近年提唱されているアクティヴ・ラーニングの授業をいくつか拝見させていただいたが、ほとんどの授業は一見すると活発に発言しているように見える授業である。しかし、生徒は思いつきをただ口にしているだけで社会系教科的な内容は薄い=社会系教科の授業である必然性は感じられないという授業も見られた。
 今回送りいただいた『実施報告書Vol.2』を読むと、『歴史基礎』『地理基礎』という科目はどうあるべきか、メリットと留意すべき点、中学校の「歴史的分野」や高校の地歴科との関連など、ベーシックな部分が真摯に検討されている。このことは、運営指導委員会に掲載されている「歴史基礎の各単元の概念とキーワード」の「改訂前の概念」と「改訂後の概念」とを比較するとよくわかる。
 これを読んで、多くの高校(とりわけ私が現在勤務しているような地方の公立進学校)で欠けているのは、このような「社会的認識を育成する授業はどうあるべきか」という議論ではないかという思いを禁じ得ない。1時間の授業は、このような膨大な検討の積み重ねの結果であり、見学できなかったことは返す返すも残念。

 ところで、本校で本格的にアクティヴ・ラーニングを導入しはじめた2年生では、いわゆる受験学力を測定する対外模試の成績は落ち込んでいる。この点は今後検証が必要ではないかと思う。

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多文化共生を考える [授業研究・分析]

 熊本県高等学校地歴・公民研究会では2年に一度、日本史・世界史合同部会を開催している。これは同じく2年に1度開催される九州大会(九州高等学校歴史教育研究協議会:九歴協)が開催されない年に熊本県で開催する勉強会である。一昨年は日本史の先生方の企画で芦北町へ巡検を行ったので、今年は世界史の企画で講演会を行った。講師として三浦徹先生(お茶の水女子大学文教育学部教授:アラブ・イスラーム史、中東地域研究)をお招きし、「イスラームは何を語るか~高校教育との接点」というテーマでお話をいただいた。
 2003年に首都圏の高校生を対象に行った、イスラーム対するアンケート調査の結果が紹介されたが、その結果として、イスラームに対して知識や関心を持つ生徒ほど、イスラームに対して「不寛容」「攻撃的」「奇妙な習慣」「不可解」というネガティヴなイメージを持つ傾向があることが指摘された。とすれば、われわれ世界史の教師はそうしたネガティヴなイメージ形成の片棒を担いでいるということになる。「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」ならぬ、「悪意への道は世界史教師の善意でしきつめられている」である。なぜならば、イスラームに対するマイナスイメージの形成は、学校教育とマスコミ報道によるところが甚大だからである。確かに、「奇妙な差異を語る」ことは我々にとって楽だし、生徒の興味関心もひきやすい。そもそも歴史を学んでいておもしろいと感じるのは、現在の日本という視点からすればずいぶんと奇妙な事実を発見したときだろう。しかし、間違いではない知識が、全体の位置づけによっては誤った認識を生んでしまうこともあるのも事実だ。
 ではどのような改善方法があるのだろうか。三浦先生から提示されたのは、お茶の水女子大学における授業実践で、グループによる研究発表を中心とした授業であった。異質性だけではなく共通性に注目していくという取り組みである。事後に提出されたレポートには「日本の武士・西洋の騎士・イスラーム世界のマムルーク」の共通点と相違点をまとめたものなど、秀逸なレポートもみられた。結果、「違和感」は「共感」に変わったという。

 さて、今日は熊本県人権教育研究協議会主催による課題別研究会「共生の教育」で、多文化共生の実践報告を聴いてきた。私が勤務する熊本北高校の生徒による、熊本市の国際交流会館で行っている「おるがったステーション」についての報告である。これは外国にルーツをもつ子どもたちの日常を支えていく取り組みであり、自分が勤務する学校にこのような活動を行っている生徒がいることを誇りに思うと同時に、いままで学校内で話題にならなかったことに驚いた。彼女の報告では、現状の問題点を冷静に分析している洞察力(そして未来への想像力)が特に素晴らしかった。彼女とは別に今日の研修会では、ステーションに参加している中高校生7名がパネルディスカッションを行ったが、こうした外国にルーツを持つ生徒たちに語ってもらうことが、三浦先生が指摘した「共通性を発見し、共感を持つ」ための第一歩となるのではないかと思う。事実、フィリピンにルーツを持つ高校生は、人権週間に向けて彼自身が書いた作文を全校生徒の前で発表できたことはとてもよかったと語っていた。複数の高校生が、「自分は中国人なんだ」と言ったら友人が「へぇ~、そうなの」で終わって残念だったと言っていた。無関心は無視につながるような気がするし、異なる文化を持つ相手に関心を持つことは必要だと感じる。しかし、「間違いではない知識が、全体の位置づけによっては誤った認識を生んでしまうこともある」ということは肝に銘じる必要がある。そうならないようにコーディネートするのは、我々教師の役目だろう。「学校の先生や友達はあなたの活動について、どんなふうに感じているのだろう?」という問いに彼女が「おるがったステーションのことは、友達にも先生にも言っていません」と答えたことは、北高職員として重く受け止めなければならない(さらにもう一つ、私を含めた北高職員全員がさらに重く受け止める必要がある内容が彼女の口から語られた)。
様々なことがつながった、実り多き二日間であった。

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ICTを使った世界史の授業 [授業研究・分析]

 授業でICTを使ってみたい.....という気持ちはあったのだが、これまでほとんどやったことはなかった。なんとか使ったと言える唯一の例は、「わくわく授業」の時で、移動式のプロジェクターやスクリーンを持ち込んで、PCの映像を投影したくらいのものだ。なにしろ準備に時間がかかる。50分の授業を行うのに準備に15分、片付けに15分もかかるのでは、費用対効果が低すぎる。
 しかし今年度、教室に電子黒板内蔵プロジェクターが常設された。これが実に便利で、黒板に直接投影するため、スクリーンを準備する必要がない。無線LANでプロジェクターとつながるタブレット端末を持って行くだけである。これはぜひ使ってみたい....ということで、本日行われた中学生向けの学校説明会の体験授業でチャレンジすることにした。使用したプロジェクターはエプソンのEB-590WT、タブレットは東芝のダイナブック(Windows8)、使った教材は、現在本校の3年生が使用している浜島書店の『アカデミア世界史』のデジタル版である。
 利点としてまずあげたいのは、生徒の視線を集中させることができるという点。「資料集○ページの、真ん中の地図を見てごらん」などと言わずに済む。そして快適だったのが、プロジェクター内蔵のマウス機能。私は当初、タブレットを抱えてその画面をタッチしながら説明....とイメージしていたのだが、付属のペンをマウスとして使用すれば、黒板をタッチしてページをめくったり、画面を拡大・縮小することが可能である。つまりタブレットを抱えておく必要はまったくない(ウチの学校のダイナブックは、私が知っているMicrosoft Surfaceより重かった)。これには正直「感動」だった。黒板に直接投影するので、チョークで矢印などを書くことも可能である。個人的にはプロジェクターの電子ペンより、黄色のチョークの方が見やすかったように思える。
 なお、本日行ったのは「先史の世界」。『デジタルアカデミア』に収録されている地図や年表、石器の写真を拡大投影したり、部分的にマルで囲んだり、進化の図に矢印を加えるなどを行った。感想文をまだ読んでいないが、効果はかなり高かったと思われる。なお、私にはタブレットの管理者権限がないので、USBメモリにソフトを展開して使用した。
 先月、アクティブ・ラーニングの試みということで、「ベラスケスの"ラス・メニーナス"にみる17世紀のスペイン」という内容の授業を行ったのだが、これらの機器を使ったら、より生徒の思考力を深めることができたのではないかという気がした。正直、「アクティブ・ラーニングで世界史の大学受験学力が定着するのか?」という疑問を持っているのだが、ICT機器と適切な教材を使えば生徒のモチベーションが高まるのは確かだと思う。
 
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中学校の授業を見学して考えたこと [授業研究・分析]

 先日、中学校の授業を見学してきました。社会歴史分野の明治維新の授業です。「単元のテーマについて、討論を通して追求し、自分の考えをまとめよう」というのがこの時間のめあてでしたが、このめあてだと中学校社会科の歴史分野である必要はありません。したがって重要なのはテーマですが、「明治維新は国民のための政治改革だったのか」というものでした。
 「国民のため」という言葉は曖昧な表現です。さまざまな意見を引き出すために、あえて曖昧な表現を用いたのかもしれませんが、こうした曖昧さをテーマにすると様々な意見が出てきて収拾がつかなくなることもあります。生徒からは「一揆の発生が増えていることから、国民のためではなかった」という結果から判断した意見、「なにもしないと外国の植民地になる可能性があったので、日本は植民地とならなかったのだから、国民のためであった」という意義を評価する意見などが出されていました。
 歴史の討論授業でよく知られている加藤公明先生は、常に争点を明確にしておくことが討論の授業では必要だと述べておられます(日本書籍『子どもとつくる近現代史・第1集』)。曖昧なテーマだと争点が明確にならず、単に自分の言いたいことだけを発表しているにすぎない発言が続くことになります(こういう場合、生徒は思いつきを言うだけで済むので、多くの発言が出ることになり、外見的には「生徒が主体的かつ活発に活動している」授業に見える)。だとすれば、教師がやらなければならないことは、いわば交通整理です。生徒の発言をカテゴリー分けして整理し、なぜ違いが出てるのかを考えさせる。たとえば「国民の生活水準は向上したのか」「国際的地位は向上したのか」など、生徒に対する投げかけ=思考を深めるための問題提起が必要でしょう。歴史授業における討論は、知識の成長過程であり、その意義は自分と異なる意見を理解し、自分の意見と突き合わせて止揚するという思考プロセスとそのアウトプットです。
 当日いただいた指導案には、評価基準として「明治維新の意義について、当時の状況をとらえ、対立する意見を考慮しながら、根拠を持ってまとめることができる。」とあります。意義という表現を使ってあるので、「明治維新は国民のためになった」というのが教師の解釈でしょう。だとすれば、明治維新の意義を考えるには「(明治維新より前の)江戸時代の不十分な点を改善した」「(明治時代より後の)大正・昭和時代のよい点をもたらした」という視点を提供する必要があります。1868年から明治憲法成立の1889年という20年間を検討するだけでは、歴史的な思考力を育成することは難しいのではないでしょうか。


子どもとつくる近現代史〈第1集〉 (1単元の授業21)

子どもとつくる近現代史〈第1集〉 (1単元の授業21)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本書籍
  • 発売日: 1998/07
  • メディア: 単行本



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田尻信壹『探求的世界史学習の創造』(梓出版社) [授業研究・分析]

 一昨年出版された『世界史授業デザイン』(明治図書)の編著者である田尻先生の近著です。『世界史授業デザイン』は、歴史学と歴史教育の研究者による提言や視点の提供と、8本の授業モデルからなる本で、コンパクトにまとまっていて読みやすい本でした。しかし全体的な統一感を欠いた印象が感じられ、「提言」の域にとどまっていたように思われます。本書は、前著で示された視点をもとに、実際に使える授業を示した研究として、実に興味深い本です。
 高校で世界史を担当している教師が複数集まった時に話題になるのは、ほとんどが内容なのではないでしょうか?話題は最近の歴史学のトレンドや入試問題関係の話が中心であって、授業・学習論や学習方法が話題になることはあまりありません。たとえば、神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会編『世界史をどう教えるか』(山川出版社)の内容は、その書名にもかかわらず、「どう教えるかという方法」よりも「何を教えるかという内容」に重きを置いた本です。「グローバル・ヒストリーについてはよく理解していても、それを実際の授業に取り入れる、となるとどういう授業になるか思いつかない」「仮説実験授業という言葉は聞いたことがあるものの、具体的に内容は理解できていない」....本書はそうしたいわば世界史教師の「弱点」を補ってくれる本です。
 本書の「おわりに」の記述では、高校における世界史授業の現状が的確に指摘されています。曰く「知識獲得型の講義授業と探求的学習とは二者択一の問題ではなく、両者のバランスを図りながら相互補完的に実施されるべきである」「探求的な学習単元は知識獲得型の授業とのバランスの上に実施されるべきであり、その頻度も学校や生徒の実態に応じて検討されなければならない」、と。知識獲得型の講義授業は、「現状ではやむなし」ではなく、「探求的学習を行う上で必要」であるという考え、私も同意見です。私がモンゴル帝国に関する授業で構想したことは、まさに田尻先生が述べておられる「探求による知識の成長」でした(全国社会科教育学会編著『中学校・高校の優れた社会科授業の条件』明治図書に収録)。この点で、講義ベースの授業記録である小川幸司先生の『世界史との対話』と、探求型の学習を提案する本書は、世界史授業における車の両輪なのではないでしょうか。


探究的世界史学習の創造――思考力・判断力・表現力を育む授業作り

探究的世界史学習の創造――思考力・判断力・表現力を育む授業作り

  • 作者: 田尻信壹
  • 出版社/メーカー: 梓出版社
  • 発売日: 2013/04/06
  • メディア: 単行本



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新課程世界史Aの教科書 [授業研究・分析]

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 4月から使用開始の、帝国書院の世界史A新課程用教科書とその指導書。
 クレジットはないけど、指導書の156~177ページは私の執筆。 教科書を執筆した先生との分担執筆で、旧版をそのまま流用した部分もけっこうあるから、全部を新しく書いたわけではないのだけど、なかなか楽しい作業であった。 旧課程の教科書と新課程の教科書を逐一読み比べるというのは、実に興味深い。 とはいうものの、ウチでは使ってない教科書なんですよね、コレ。 ただ世界史Aの教科書の中ではいちばんシェアが多いはず。 トータルでは山川でしょうけど、山川には世界史Aの教科書3種類もあるから。 ちなみに東京の都立高校のシェアはこんな感じ。
http://resemom.jp/article/img/2012/08/24/9444/35357.html
 世界史Aという科目が始まったころ、もっとも多く使われていた教科書『現代の世界史』は、採択率が激減している。全国的にはどうなのだろう? 確かベネッセが調査をしていたので、見てみよう。

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